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愛媛県伊予郡南山崎村(現伊予市)に生まれる。旧制松山中学校、岐阜高等農林学校(現岐阜大学応用生物科学部)卒。
若い頃は横浜税関の植物検査課に所属し研究に没頭していたが、急性肺炎にかかり死に直面すると、「この世には何もない」と悟り、仕事をやめ地元に戻り農業を始めた。「やらなくてもいい」ことを探しながら、つまり科学農法を否定するために多くの失敗を重ね、自然農法を確立していった[1]。
著作の序文では、不耕起(耕さない)、無肥料、無農薬、無除草を特徴とする自然農法を行うとしているが、著作中には肥料[2]と農薬(除草剤、除虫剤)[3]の使用について記述がある。
米麦連続不耕起直播は、稲を刈る前にクローバーの種を蒔き、裸麦の種の粘土団子を蒔き、稲を刈ったら稲わらを振りまく。麦を刈る前に稲籾の粘土団子を蒔き、麦を刈ったら麦わらを振りまくという栽培技術である。
自然農法は海外でも実践されている例があり、イタリアのトスカーナ地方で育てられる幻の豚・チンタセネーゼ育成者にも引き継がれている[4][5][6]。
「粘土団子」と呼ばれる、様々な種を100種類以上混ぜた団子によって砂漠緑化を行おうとした。行われた場所は、ギリシャ・スペイン・タイ[7]。ケニア・インド[8]、ソマリア[9]、中国・アフリカなどの十数カ国[10]とされる。東南アジア諸国では、粘土団子方式で荒野がバナナ畑や森として甦った[11]。
1988年、ロックフェラー兄弟財団の出資で発足したフィリピンのマグサイサイ賞を受賞。
90歳を過ぎ歩行が困難になっても、中国の要請に応え[12]、粘土団子の技術指導に現地へ飛ぶなど、最晩年も達者な活動ぶりを見せていた。