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品鎌倉時代は品川氏の所領で、中世の港湾都市品川湊が基盤となって成立した江戸の衛星都市。東海道の第一宿。旧東海道が目黒川と交差するところが品川宿で、川より北側を北品川、南側を南品川と呼んだ。
元文年間(1736-40)には旅篭180軒を数えたという。江戸時代は色町として賑わい、新宿、本宿には遊女「品川女郎」を置く旅篭屋や煮売茶屋が集中していた。明治に入ると工業の町となり、海岸が埋め立てられた。戦後、色町はなくなり地域の商店街となって今に至る。震災戦災を免れているため古い町並みが残っている。
北端に八ツ山があったが今はない(JR線掘り割り)。京急線の踏切から猟師町に渡る旧鳥海橋(旧目黒川で現八ツ山通り)あたりまでが新宿。旧鳥海橋あたりから品川橋までが北品川である。北品川駅から山手通り交差点、旧鳥海橋に折れる道、新馬場駅前通りに看板建築や出桁造りの町家がみられる。旧街道の西側、法善寺から新馬場通りに抜ける路地には法善寺の煉瓦壁が残る。
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DataBase 品川(東京都)
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