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加藤英司と言えば、フルスイングで2ストライク取られたらちょこんと左へ打つ。そんな打者だった。そして通算犠飛105があらわす通り1番福本豊が塁に出てすかさず2盗し2番大熊or簑田が進めて3番加藤が犠牲フライとホント強かった阪急の攻撃パターンに苦しんだ他の5球団だった。
プロ入り後は3年くらいで辞めるつもりで記念にと若い背番号を希望し10番をもらう。しかし3年目から当時の西本監督の眼鏡にかない3番バッターに。そして.321 25本塁打をマークし3番打者を全うした。
その後も首位打者2回、阪急在籍時は9回の三割越えをマーク。広島、近鉄、巨人、南海と渡り歩くがパ・リーグでは活躍する典型的なバッターだった。
1度はあきらめた2000本安打も最後に南海で達成しその年に引退。昭和の強かった阪急の最強の3番バッターだった。
通算成績・タイトル・表彰
2028試合 2055安打 347本塁打 1268打点 105犠飛 打率.297
首位打者2回 打点王3回 最高出塁数3回
MVP(1975年)