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破壊王・橋本真也の喧嘩マッチといえば、その相手は小川直也というのが多くのプロレスファンの認識であろう。
小川が柔道からプロレスに転向して、1997年4月12日のデビュー戦の相手となったのが橋本だ。
その後も名勝負を繰り広げた2人だが、特にファンの間で語り草となっているのが1999年1月4日の通称「1・4事変」である。
小川がパンチやキックなどを繰り出して圧倒的な勝利を収めたものの、これはプロレスなのかと問題視され、小川が「暴走王」と命名されるきっかけになった因縁の喧嘩マッチである。
だが、その10年近く前に、橋本が繰り広げていた喧嘩マッチについて知る人は少ない。
今回は、知られざる「涙の壮絶喧嘩マッチ」について紹介する。
新日本プロレスの真夏の祭典「G1クライマックス」第1回開催の前年、1990年8月3日の後楽園ホール大会。そこで実現した橋本真也vs栗栖正伸のシングルマッチである。
この年の8月1日~7日の1週間、新日本は「バトルホール・ア・ウィーク」と題して後楽園ホール7連戦を興行。
その第3戦となる8月3日に、武藤敬司、蝶野正洋と並び「闘魂三銃士」として台頭してきた橋本と、全日本でいったん引退したものの大仁田厚のFMWで現役復帰した栗栖がマッチメイクされたのである。
ノーテレビでの興行だったため、その試合を目撃したのは会場で観戦した超満員の観客とマスコミ関係者のみ。ところがプロレス専門誌の報道やその後の思わぬ事態も重なって、この一戦は「伝説のケンカマッチ」と称されるようになった。
#プロレス #猪木 #長州力 #橋本真也