【栃木県の歴史】戦国時代、何が起きていた? 宇都宮氏、那須氏、小山氏、そして佐野氏らが激闘を展開した下野戦国史

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歴史トラベル - REKISHI TRAVEL

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Күн бұрын

Пікірлер: 255
@Chio_Zoi
@Chio_Zoi Жыл бұрын
地元ながら戦国時代の栃木は正直パッとしたことがなかったイメージだからこういう動画ありがたいです!
@rekishitravel
@rekishitravel Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて幸いです^ ^ 次は小山や宇都宮などエリア別特集も検討中です!
@heyhey4206
@heyhey4206 8 ай бұрын
栃木市出身です。宇都宮、佐野、小山氏が没落したのに、信長と組み一時の平和を得、北条攻めでは一緒に小田原城で籠城も逃げ出すことに成功、かつ、秀吉からも家康からも許され、家光の時代まで生きた皆川広照って、なんか凄いっすね。末裔は今も存続してます。いつか深掘りしていただけたら嬉しいです。
@rekishitravel
@rekishitravel 8 ай бұрын
コメントありがとうございます! 実は近日宇都宮氏特集をアップ予定なのですが、皆川氏も気になっているところでした! いずれ特集したいと思います^ ^
@珈琲軍師
@珈琲軍師 2 жыл бұрын
下野がこんなにも内紛続きだったとは知りませんでした…。勉強になりました。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 最後まで一国を統一する大名は現れませんでしたね…!
@s浩則
@s浩則 2 жыл бұрын
修羅の国
@大出英明-q8u
@大出英明-q8u 2 жыл бұрын
UP主様 栃木県の戦国時代の歴史がよくわかりました。 ありがとうございました。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 栃木編お待たせしました^ ^ 楽しんで頂けて幸いです!
@腰抜け武士
@腰抜け武士 2 жыл бұрын
いやはや、めまぐるしい程に敵・味方が入れ替わっての攻防が続いたのですね! 『昨日の敵は今日の友』。正に”戦国時代”を象徴するような激しさだったのですね。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! ここまで動きが激しいと頭が混乱しそうです!笑
@タムタムたーくん
@タムタムたーくん 8 ай бұрын
栃木に引っ越しして8年になりますが、今に引き継がれている地名は武将の苗字が多いですね。
@mami2086
@mami2086 8 ай бұрын
なんか地味に今の世になっても戦国の大名たちの名が地名になってるって凄いことだな🎉
@ああ-p1l6t
@ああ-p1l6t 7 ай бұрын
藤原の子孫やらが地方に下向してきたりして、在地の地名を姓にしました
@セトランドール
@セトランドール 2 жыл бұрын
地元の壬生氏の名前が出ただけでも嬉しいのに壬生城跡の映像も出るとか最高です!
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! つい先日壬生氏関連の城跡を見学しましたが、とても楽しかったです^ ^ 壬生城の映像はその時のものです!笑
@SO-kj6fd
@SO-kj6fd 2 жыл бұрын
鹿沼を支配していた壬生さんまじかっこいいっす!
@ひろたかし-w8m
@ひろたかし-w8m 8 ай бұрын
鹿沼どころか日光山も支配してましたし、一時期は下野で最大勢力に躍り出ましたよね。
@しょーじだよ
@しょーじだよ 8 ай бұрын
約4万人の街の同士🤝 もう少し頑張れば壬生県だったのにーっておもいながら見てましたꉂ🤣𐤔 生まれも育ちも壬生です(((o(*゚▽゚*)o)))
@マサミさんスズキ
@マサミさんスズキ 4 ай бұрын
壬生には山口組の五代目こと渡辺親分がいる。北関東のチンピラからあの山口組のトップになっただけでも凄いことだよ。
@jakoneko2
@jakoneko2 5 ай бұрын
後半に出てくる宇都宮氏(国綱)と那須氏の間で薄葉ヶ原の戦いというのがあり、ここで宇都宮氏側についていた山田氏の山田城が落城。城主・山田辰業の正室・菊の前と11人の侍女らは那須勢の追手から逃げたが最後に箒川沿いの崖から身投げした。身投げした場所は十二御前と呼ばれ、現在は住所に小字名として残っている。
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Ай бұрын
山田氏の一部は、落ち延びる途中で黒子と苗字を変え、県内各地に散らばったようです。 戦国末期から江戸末期まで上大羽の宇都宮氏歴代墓所の墓守をしていたのも実はこの黒子一族で、尾羽寺の鎮守社賀茂明神の神主も黒子さんでした
@ゾーマ-o6g
@ゾーマ-o6g 3 ай бұрын
眠くなるいい声や チャンネル登録しました
@luckyget9021
@luckyget9021 2 жыл бұрын
待ってました🎉 やっぱり歴史は楽しいですね〜!
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 楽しいですよね^ ^ 特に地元周辺の歴史はまた親近感があって面白いですね!
@PPK-l2u
@PPK-l2u 2 жыл бұрын
県毎、地域に絞り込んでの歴史解説は、あんまり見たことないです 目の付け所が凄く良いと思います 旅行とかで訪れてもこちらの動画を思い出せば、より深く楽しめると思いました
@政克横田
@政克横田 2 жыл бұрын
視点を変えれば、歴史も、人物も変わりますね!! 隠れた「魅力ある武者が、歴史の谷間に、数多埋もれて仕舞いましたね」 其れが、残念ですね。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 今後も他の地域を取り上げていく予定ですので楽しんで頂けると幸いです^ ^
@まーく-j8z
@まーく-j8z 8 ай бұрын
埼玉、群馬、栃木を見たけど何処もかしこも戦だらけで恐ろしい修羅の時代だったんだなー。車も無いのにあっちゃこっちゃ出て行って戦って凄いよね。
@rekishitravel
@rekishitravel 8 ай бұрын
コメントありがとうございます! 当時は川を渡るのも大変なので、改めて凄いですね!
@平山一夫
@平山一夫 2 жыл бұрын
勉強になります。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて幸いです^ ^
@藤寅-v5q
@藤寅-v5q 2 жыл бұрын
画像が、沢山初見が多くつい見ました。👍
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて幸いです^ ^
@マサミさんスズキ
@マサミさんスズキ 4 ай бұрын
栃木は戦国武将の名前がその地名に残ってるのが凄い。生に涯あれど名に涯は無し。
@yoshimi2322
@yoshimi2322 3 ай бұрын
宇都宮、小山、那須と東北線と東北新幹線の駅になっています。 群馬も足利や佐野といった関東豪族、大名が勢力を誇っていたか。
@ototoicomer
@ototoicomer 2 жыл бұрын
沼尻の陣は『秋田藩家蔵文書』によると北条方8万、佐竹宇都宮連合軍は2万となっています。ただ、佐竹方の鉄砲数は8千丁となっておりこの軍備が膠着状態を生んだ可能性があります。佐竹氏は金山を持っており羽柴秀吉と繋がってました。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 改めて佐竹氏の軍事力に驚かされますね!
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 2 жыл бұрын
篠井金山ですね。
@sbow3
@sbow3 8 ай бұрын
目まぐるしい北関東の攻防を分かりやすく解説して頂きありがとうございました😊
@rekishitravel
@rekishitravel 8 ай бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて嬉しいです^ ^
@山本貴彦-z6f
@山本貴彦-z6f 2 жыл бұрын
栃木県に住んでますが物凄く参考になりました‼️また栃木の話題が有りましたら宜しくお願いします😭✨
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて幸いです^ ^ また別の時代の栃木動画も取り上げたいと思います!
@山本貴彦-z6f
@山本貴彦-z6f 2 жыл бұрын
宜しくお願いします‼️😍
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Ай бұрын
壬生氏は横田氏の庶流と言われていますね。 最初は小規模な地域領主に過ぎなかったはずですが、上都賀〜下都賀北部一帯を支配する有力な国人に成長しました。 戦国期の胤業は、業が通字なので横田氏の庶流、胤は君島氏一族が烏帽子親か何かだった縁から付いた名前と言われてます。綱重からは主君宇都宮氏より綱の字を拝領しました
@micchan_vlog
@micchan_vlog 2 жыл бұрын
とっても勉強になりました。高知出身なので四国編を楽しみに待ってます!
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! はい!しばらく後になるかもしれませんが、四国も必ず取り上げます^ ^
@野森佳
@野森佳 9 ай бұрын
ちょいちょいちょっかい入れてくる上杉サンがジワジワくるw
@haruyofujimori4898
@haruyofujimori4898 3 ай бұрын
仕事で栃木へ引越ししてきた者です。栃木の郷土歴史知りたいと思っていたので有難いです。足利って足利学校のでしょ?宇都宮のお城が残ってないのは何故?などいろいろ気になっていたし、栃木を中心に歴史を知れて面白かったです。
@rekishitravel
@rekishitravel 3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて嬉しいです^ ^ 今後も栃木の動画アップしていきますね!
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Ай бұрын
宇都宮にお城が残っていないのは、戊辰戦争で焼失したからです。東北への玄関口であった宇都宮は、何度も激しい戦火に見舞われました
@haruyofujimori4898
@haruyofujimori4898 Ай бұрын
⁠@@讃岐国造竹取翁えーっ!宇都宮って戊辰戦争の被害があったんですね!衝撃です、、、。 戊辰戦争って北海道の印象が強くて、、、。今調べてみたら、宇都宮城は東北地方から来る敵を意識した北向きの城だから被害を受けてしまったんですね。しかも指揮をとってたのはあの土方歳三、、、カッコイイですねぇ😅 素敵な話を教えて下さり有難うございます。
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Ай бұрын
@@haruyofujimori4898 そうなんです。というか、戊辰戦争は官軍が旧幕府軍を駆逐しながら徐々に北上していった戦いなので、日本中全国各地が戦地になっています。 そうですね。宇都宮城の守備意識がどちらかというと北に向けられているのはあると思います。(近世城郭としての)宇都宮城が建てられたのは江戸時代前期で、まさに北からの攻めに対して江戸方面を守るために建てられたようなお城でした。城主も江戸時代を通して本多、奥平、阿部、深溝松平、戸田などすべて譜代大名です。 しかし、戊辰戦争では宇都宮藩(戸田家)が官軍側についたため、城の創建時に想定されていなかった、まさかの江戸方面(南側・幕府方)からの侵攻を受けることになってしまうんですよね。土方や大鳥の率いる旧幕府軍に守りの弱い南側から攻められ落城しました。 ちなみに世間一般では、土方歳三はヒーロー化されているし、会津藩も白虎隊の悲話などもありヒーローとして語られることも多い昨今ですが、宇都宮の城下町を焼き払って火の海にしたり、宇都宮藩の陣所となっていた農家の屋敷を蔵や家ごと焼き払ってしまったり、黒羽藩領の庄屋を寺の門前で処刑して血祭りに上げたりなど、彼らは栃木県ではかなり深い傷跡を残しました。世間では観光地の戦略も相まって土方や会津藩がヒーロー扱いされていますが、戊辰戦争期の栃木県の歴史を知る人間からすると複雑な思いです。😅 長々とすみません。🙇
@sugarwarehouse
@sugarwarehouse 2 жыл бұрын
栃木県ありがとうございます。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! お待たせしました^ ^
@ああ-s6w8k
@ああ-s6w8k 2 жыл бұрын
僕は真岡出身なので、芳賀氏の活躍は見てて面白かったです。なぜ、芳賀氏が佐竹氏を下野の情勢に引き入れたのかは、隣接する真壁郡の真壁氏や下館城の水谷(みずのや)氏の動きから読み取れるでしょう。ちょうどこの頃、常陸西部の勢力は、小田氏から離反して佐竹氏に付いた頃でした。今の茨城と隣接していて常陸国が大国であることを理解していた高定としては、鹿沼や栃木方面の勢力を宇都宮から駆逐する為にも常陸国の力を必要としていたのだと思います。 その後、地政学的にも共通の敵を有する宇都宮氏と佐竹氏は結び付きを強め、小田原の後北条滅亡を見届けた迄はいいですが、その後宇都宮氏は滅亡、佐竹氏は秋田移封の憂き目に・・・無情の戦国乱世の感がありました。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 芳賀氏視点で見る下野の歴史も面白そうですね^ ^ 今回の動画では宇都宮氏目線になりがちなので、また次の機会に参考とさせて頂きます!
@政克横田
@政克横田 2 жыл бұрын
秀吉、恩顧の家臣として、「反徳川に、着いたのが、其後の運命を分けた!」と云えましょうね。
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Жыл бұрын
浅野家との押し付け養子縁組が家中の混乱を招き、改易の主因となってしまいましたね。 また関ヶ原の際には、当主国綱は徳川方に身を寄せていたようですが弟2人は西軍に付くなど一枚岩になれず、お家再興は叶いませんでした
@ひろたかし-w8m
@ひろたかし-w8m 11 ай бұрын
宇都宮はもとより芳賀益子塩谷茂木松野武茂等々、佐竹氏に付いていって秋田に土着した武士が多いですね。
@SO-kj6fd
@SO-kj6fd 2 жыл бұрын
多気山頂の多気城跡に行ったことがあるけど、宇都宮の景色がめちゃよく見えて、宇都宮より近い鹿沼の景色は別の山に隠れて全く見えなかった。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 良い城跡ですよね!私も一度行きましたが、一日では回り切れない規模でしたので、またチャレンジしたいです^ ^笑
@Zohar4Merkabah
@Zohar4Merkabah 2 жыл бұрын
室町幕府末栃木の勢力図は猫の目の様にクルックルッ変わるので一通り概略を押さえてあるのがとても有難いです。  戊辰戦争時代になると壬生、宇都宮城近辺での新選組副隊長土方歳三も参加した攻防戦もあるので戦国時代が終わりましたらいつの日かお願いします。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 幕末編の栃木も面白そうですね^ ^ 幕末シリーズ開始次第特集したいと思います!
@quanhault879
@quanhault879 Жыл бұрын
そうですね、小山も火の海になりました。
@nobu0192
@nobu0192 8 ай бұрын
親戚の用事で最近栃木に良く行くので戦国時代ってどうなってたのか?と気にはなってましたが争いの末何も残らなかった感じですね
@28maaru88
@28maaru88 Жыл бұрын
宇都宮、那須、佐竹、壬生の関係がよく分かっていなかったから助かります。
@rekishitravel
@rekishitravel Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 同盟や決裂を繰り返していて面白い関係ですよね^ ^
@たかぼーおじ
@たかぼーおじ 7 ай бұрын
地元の藤岡城が出てきて嬉しい、ご先祖様が藤岡城に仕えてたと小さい頃よく聞かされてたなー
@rekishitravel
@rekishitravel 7 ай бұрын
コメントありがとうございます! 藤岡城見学してみたいです^ ^
@user-oomugi.aojiru
@user-oomugi.aojiru Жыл бұрын
何度も観てしまう(笑)興味あるところは歴史楽しいですよね🎉興味ない昭和時代の幣原喜重郎とか何したか覚えてないですもん。鎌倉後期から江戸前期までなら文系でも良いのですが(笑) そーいえば、足利の先祖のお墓の夢をみました。行けてないからかなぁ
@rekishitravel
@rekishitravel Жыл бұрын
コメントありがとうございます! リピート再生感謝です^ ^ 鎌倉後期も良いですね!いずれ特集したいです!
@マコト-n8u
@マコト-n8u 2 жыл бұрын
栃木県小山市在住です。面白かったです☆
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 小山は今回の動画ではまさに激戦地ですね^ ^ 楽しんで頂けて幸いです!
@s浩則
@s浩則 2 жыл бұрын
白鴎大学有名ですよね🤔
@seas3142
@seas3142 2 жыл бұрын
宇都宮市南部は今でも北条さんって苗字のひとが多くて歴史を感じる
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! そうなんですね!南部なのがまた興味深いですね^ ^
@norioAmparo
@norioAmparo 2 жыл бұрын
私の生まれた所は、真岡市の京泉と言う所で裏山には三重の塔の跡がまして現在は廃寺の看板が有りました、兄が十八代藤原系だと言われていました。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 京泉は芳賀氏ゆかりの地ですね^ ^
@一明森川
@一明森川 Жыл бұрын
栃木県民で城跡や遺跡巡りをたまにしてますがわかりやすくてよかったです(^^)、あと余裕があれば北の関ヶ原とゆう感じで北関東の動向もやってほしいですね
@rekishitravel
@rekishitravel Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 北の関ヶ原良いですね! 特に下野は重要エリアなので必ず特集したいと思います^ ^
@雨乞
@雨乞 2 жыл бұрын
長々と失礼しますが、 8:56 上杉謙信はこの臼井城戦の直前の小田城戦のときに佐竹義重と仲違いをしていますね。謙信は義重父の佐竹義昭とは対等な同盟を結んでおり佐野より東は佐竹氏の指揮に属することを約束していましたが、1566の小田城攻略の際に義重からその権利を一方的に取り上げたように見えます(これを示唆する謙信書状有り)。これが原因で東方の衆は北条氏武田氏と近づきますが、意表をついて一足先に謙信が北条と同盟するということになります。 上杉謙信と佐竹義重の亀裂はかなり深刻で、後に謙信は東方の衆の指揮を「(佐竹)義昭在世時の如く」義重に戻したものの、義重は謙信への不信感を拭いきれず謙信が救援しようとしていた関宿城を北条氏に引き渡してしまいます。しかし謙信は佐竹氏との連携を諦めず、会津蘆名氏と佐竹氏の抗争停止を斡旋し、これがもとで謙信死後に蘆名氏佐竹氏主導の南奥州から北関東に至る諸大名の惣無事連合体制というべきものが生まれ、沼尻合戦、人取橋合戦へと至ります。また 12:11 の小川台合戦では東方の衆が北条氏政を結城~小山付近に釘付けにしたことで、北条氏による越後御館の乱への救援が遅れ、結果上杉景勝が上杉氏を支配することになります。ここで武田、上杉、東方の衆の同盟に近い状況が生まれ、敵対国に囲繞された北条氏はしきりに「滅亡」と唱え出すことになります。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 仰る通り、佐竹氏と謙信の関係はなかなか複雑で簡単には描写できないですね! 特に北条氏の関宿城攻略前後の動きは説明したかったのですが、尺の問題かつ下野の話と少し離れるので思いきってカットしました^ ^
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Жыл бұрын
へえ、東方の衆のおかげで景勝は御館の乱平定できたようなもんなんですね結果的には
@中野幹直
@中野幹直 2 жыл бұрын
こういうのを大河ドラマでやってもらいたい‼️
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 下野の戦国史はなかなかドラマで見る機会が無いいので、是非取り上げて欲しいですね^ ^
@玉助864
@玉助864 2 жыл бұрын
地元の戦国時代気になっていて、こんなに詳しく知ることが、出来たのでありがたく思いました! 楽しい動画ありがとうございます
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 地元の方に楽しんで頂けて嬉しいです^ ^ 励みになります!
@織姫-n3l
@織姫-n3l 8 ай бұрын
栃木県足利市に 生まれ育ちました。 上杉謙信公の家来で 足利市に移り住み 今でも毎年、一家の お祭りをしています。 安藤と申します。 栃木県の歴史KZbin ありがとうございます。
@rekishitravel
@rekishitravel 8 ай бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて嬉しいです^ ^
@しいたけ-h3p
@しいたけ-h3p 5 ай бұрын
私も足利出身です。歴史好きながら案外地元の歴史って知らないことが多く、特に戦国期はどうなっているのかほとんど知らなかったです。
@55tg
@55tg 2 жыл бұрын
関東と東北の出入り口と言う事もあってか、激戦だなぁ...。(親子対立、兄弟対立、家臣対立、後継者問題、カオスすぎ)😅
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 今回の動画ではカットしてしまいましたが、南奥の勢力とも度々争っていますよね^ ^
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 2 жыл бұрын
ちなみに概要欄の参考文献に掲載されている江田郁夫氏と松本一夫氏は、「宇都宮俊綱は興綱の子」という従来説(この動画も従来説を採用されてますね)を否定し、「忠綱、興綱、俊綱の3人は兄弟であり、いずれも17代成綱の子」という新説を提唱されました。 現在、県内の研究者の間ではこちらの新説が有力視されています。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます!天文期頃までの宇都宮氏の系譜は謎も多くてとても興味深いです! 成綱の子が三人も当主となっているのが当時の宇都宮氏の混乱を物語っていて面白いですね…^ ^笑
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Жыл бұрын
@@rekishitravel ですね。俊綱(尚綱)なんかは還俗して当主になったようですからね。 それと、こういう家中分裂してる時って土豪や地侍などの中・下級家臣団はどうしてたのかが凄く気になるんですよね。 私の先祖も宇都宮氏に仕える土豪だったようなんですが、芳賀氏や塩谷氏が反乱起こした時とか、特に塩谷なんかは私の実家と地理的にも近いので、主家と反乱側のどちらに付いてたのかは凄く興味があります。
@kamim3299
@kamim3299 8 ай бұрын
もう無茶苦茶ですな~
@verde9964
@verde9964 2 жыл бұрын
やっと地元来たぁ
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて幸いです^ ^
@鶴見五郎丸
@鶴見五郎丸 8 ай бұрын
栃木県は田中正造氏の功績があまりにも凄過ぎて、歴史上の他の人物について関心を持つことはなかったな。それに常陸の水戸藩の印象が大き過ぎて、下野は影に隠れてしまうよね。
@マサミさんスズキ
@マサミさんスズキ 4 ай бұрын
足利出身の足利尊氏の方が凄いですよね?
@鶴見五郎丸
@鶴見五郎丸 4 ай бұрын
@@マサミさんスズキ 尊氏は足利出身かどうかわからないのね 氏名は足利だけどね
@ak47andak74
@ak47andak74 5 ай бұрын
うちのご先祖は皆川広照公の家臣だったらしいです。 天正十三年の北条氏照との太平山の戦いで、当主が討ち死にして山伝いに落ち延びて、佐野(旧田沼町)の山奥で土着したらしい。 あと本当かどうかわかりませんが、祖母の祖先に那須氏にルーツを持つ薙刀使いの武士がいたなんて話を聞いたことがありますねw
@しいたけ-h3p
@しいたけ-h3p 5 ай бұрын
うちの実家は足利なんですが、戸籍謄本で調べてみたら5代前の先祖は田沼から来た人だそうです。 もしかしたらたどっていけば同族かもしれませんねw
@ak47andak74
@ak47andak74 5 ай бұрын
@@しいたけ-h3p 同族じゃ!(戦国自衛隊) 現在足利在住です。ただいま花火大会から帰ってきましたw
@しいたけ-h3p
@しいたけ-h3p 5 ай бұрын
@@ak47andak74 おー今日は花火大会の日でしたか~!お疲れ様でした! もう何十年も見てないですが、久しぶりに見たいですね~!足利の花火は調べてみると日本でも指折りの長い歴史を持つ花火大会だそうですね~ しかし、戦国自衛隊とはまたw
@naotoro-e5z
@naotoro-e5z 2 жыл бұрын
栃木県の地名として残っている人ばかりですね。宇都宮氏って伊予(愛媛県)や豊後(大分県)にも一派がいたような。愛媛県には宇都宮さんという名前もそこそこある。流れをくんでいる人なんでしょうかね。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 仰る通り、庶家ですね^ ^ 流石鎌倉時代以来の名門なだけあって、各地に分家が点在していますね!
@naotoro-e5z
@naotoro-e5z 2 жыл бұрын
@@rekishitravel さん、コメントありがとうございます。数年前、松山から宇都宮に転勤し3年ほど住んだのですが、転勤前にいろいろ調べて愛媛と栃木は関係が深いことを知りました。今は埼玉に住んでいますが、時々、宇都宮に遊びに行きます。
@s浩則
@s浩則 2 жыл бұрын
@@naotoro-e5z さん お疲れ様です🦊
@yuyushiki3677
@yuyushiki3677 4 ай бұрын
栃木県に雨後の竹の子のように城跡が山ほどあるのはこういうわけか。
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Ай бұрын
メチャメチャ多いですよね。その辺の農家にも土塁や濠の遺構が残ってたりするので、地侍層(江戸期に帰農していった)も軒並み居館を要塞化していたんだと思います。
@wintom3843
@wintom3843 Жыл бұрын
8:55 臼井城の戦いは知らなかった。上杉謙信が大敗してる戦なんてあったんやな。白井入道浄三という人物も初めて知った!
@rekishitravel
@rekishitravel Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 臼井城の戦いはまさに関東戦国史の節目となる戦いですね^ ^
@生まれ変わった元新人王越
@生まれ変わった元新人王越 Жыл бұрын
白井入道自体は存在が疑問視されとるでな...。 松田康郷が活躍したのは確からしいが。
@110sla9
@110sla9 2 жыл бұрын
関東の細かな歴史が分かって嬉しいですー(*^^*) 東京の動画再アップ楽しみにしております。 次は中部地方ですかね?
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 東京編は脚本も再検討中ですので、もうしばらくお待ち頂けると幸いです^ ^ 次回は栃木県のお隣ということで福島県を予定しています!中部地方も構想中ですが、先に東北方面に展開するかもしれません….!
@qwert8519
@qwert8519 2 жыл бұрын
真田親子の犬伏の別れもあるし、栃木は奥深い
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 今回は小田原征伐を動画の締めとしましたが、やはり関ヶ原合戦前後にもクライマックスがありますよね^ ^
@quanhault879
@quanhault879 Жыл бұрын
歴史的に見ると栃木はやっぱり茨城と仲がいいのね。戦国の間、群馬もとい上野と下野はほとんど同盟が見られなかった。
@rekishitravel
@rekishitravel Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 仰る通り、下野と常陸の勢力は特に密接な関係ですね^ ^ その点、佐竹氏と那須氏の対立は興味深いです!
@hikken305
@hikken305 2 жыл бұрын
畿内同様、守護家の内部分裂が繰り返されていたんですね。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! そうですね^ ^関東は享徳の乱の影響が大きいですね!
@金太郎チャンネル-c7k
@金太郎チャンネル-c7k 2 жыл бұрын
とても勉強になりました。小山市に住んで30年だけど、歴史は古いんですね。だから、7月7日の七夕祭りはないのですね。小山市出身者が戦国時代に小山城が、落城したからやらないそうですよ。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! なるほど!落城日だから七夕は祝わないのですね!参考になります^ ^
@穴山小助-l3z
@穴山小助-l3z 2 жыл бұрын
勝姫の話が無く、宇都宮家無くなった等、簡略化されてたけど、流れは分かりやすかった
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 小田原征伐後の動きはまた別のシリーズで取り上げたいと思います^ ^
@poipoi3693
@poipoi3693 2 жыл бұрын
仲間とはいえ腹に一物あって複雑怪奇。 この時代を生き抜くのは難易度スーパーハードだな。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 同族ですら簡単に信頼できないですね…!
@松本松本-c6v
@松本松本-c6v 2 жыл бұрын
後北条氏、大河ドラマになったら面白い❗️
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! やってほしいですね!伊勢宗瑞だけでも面白そうです^ ^
@OMOSHIRO_IYASHI
@OMOSHIRO_IYASHI 2 жыл бұрын
地元来た!
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて幸いです!
@飛田龍人
@飛田龍人 2 жыл бұрын
地元栃木県のこの時代のことがよくわかりました。ありがとうございます。 ただ「鳥山」じゃなくて「烏山」ですね。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! ご指摘ありがとうございます!早速、概要欄に注意書きを記載しました…!
@シン事務局員
@シン事務局員 2 жыл бұрын
大田原城も太田原になってましたね…(´-ω-`) しかしながら、取り上げていただきありがとうございます。 あと3回くらい観ます。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
@@シン事務局員 コメントありがとうございます! ご指摘ありがとうございます!大田原氏の「太田原城」になってますね…笑 誤記ないよう改善します!
@直重秋野
@直重秋野 2 жыл бұрын
宇都宮広綱の次男結城朝勝は北関東の情勢と秀吉の政策方針により実家の宇都宮氏どころか結城氏まで大名家としての家格を失いました。関ケ原では上杉景勝、大坂の陣では豊臣方として参陣すると言う重大な判断ミスをしたのにも関わらず許されて、結果的に宇都宮氏は真壁重幹の次男が朝勝の娘婿となり、宇都宮光綱として佐竹氏で宇都宮の家名を残しました。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 秀康の入嗣あたりは気の毒な朝勝ですが、最後は報われて良かったですね>_
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Жыл бұрын
結城朝勝は秀康入嗣で廃嫡の憂き目に遭ったのでよほど徳川方を憎んでいたのでしょうね。 でも結果的に秋田佐竹藩と水戸徳川藩の両方で宇都宮家が存続したのは本当に良かったです。
@生まれ変わった元新人王越
@生まれ変わった元新人王越 Жыл бұрын
個人的に天正2年の羽生城(木戸親子ら)の破却もそうだが、この永禄10年の唐沢山城在番衆(色部勝長らと思われ)の救出後の撤退。戦略的に大きく後退したワンシーンながら、この戦略的敗退の中にこそ謙信の真骨頂が詰まっているのでは個人的に思っている。少しでも可能性があれば、鬼神の如き行軍の後、最前線を守り続けた味方を見殺しにせず拾って帰る...この時は信濃で信玄と対峙し、飯山城の普請を行った後、関東の敵城の間を超スピードで縫っていって唐沢山城の在番衆を救援している...。無論敗退ながら、これだけの行軍はそうできるものでは無いと思う。 因みに天正2年の羽生城破却時は、木戸一族らに撤収を指示した後、北条方の"いゝの入小屋之衆"が追撃してきたところを謙信自ら旗本の女淵城将の後藤勝元の手勢を率いて押し返すという殿軍のようなことをこなしており、個人的には凄みを感じる。 人間追い詰められた時に本性が出るというが、良いかは悪いか別として、こういった危機的状況時における謙信のリーダーとしての振る舞いが好きなのだな...。本庄繁長の反乱の際、本庄が呼びかけた中条や色部らが同調せずすぐに謙信に報告したのも、こういった部分が絡んでるのかも...とか妄想。 まぁかなり贔屓目で見てる自覚はあるけど、関東の話だと何かとこき下ろされがちなので、ちょっと悪あがき(ただの自己満足)してみた()
@寺山商事
@寺山商事 2 жыл бұрын
内紛から北条・上杉と大勢力の中で生き残りしたが最後は没落 秀吉、あんた 下野のなんなのさ的な仕置き
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 宇都宮氏は特に気の毒ですね…>_
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Жыл бұрын
秀吉は義理の甥にあたる浅野の三男を養子として送り込む事で宇都宮氏を豊臣一門化したかったのではないでしょうか。秀秋を小早川の養子にしたのと同じように。 当初小早川秀秋は毛利氏へ送り込まれる予定でしたが、小早川隆景が毛利宗家に他家の血を入れる訳には行かないと気を利かせ、自分が引き取りましょうと言って秀秋を養子に迎え入れたとされます。
@HumanoidDamian
@HumanoidDamian 2 жыл бұрын
下野国の戦国時代と言えば、大関高増さんとかいうめちゃくちゃヤバい人がいると聞いたことがあるw もしよろしければ、彼の特集もやってほしいですw
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 永禄期以降の那須氏の抗争は大分カットしてしまったので、残念ながら今回は登場無しでした…! また別の機会に特集したいと思います^ ^
@ハリーブッチ
@ハリーブッチ 2 жыл бұрын
都道府県エピソード編が終わったら幕末の新政府軍の進軍の動画を見てみたいです。 m(_ _)m
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 面白そうですね!!是非チャレンジしたいです! 素敵なアイデアありがとうございます^ ^
@ああ-p1l6t
@ああ-p1l6t 7 ай бұрын
かつては奥州藤原氏戦でたった7騎で迂回奇襲を成功させ全国に名を轟かせたり、元寇討伐軍の総大将を務めたり、楠木正成に坂東一の弓取りと評されてたりしてた宇都宮が、ここまで没落してしまうとは。 しかし庶流の秋元氏が徳川譜代となり老中として川越藩主になる大出世 田沼意次との対立で山形に飛ばされるも最後は館林藩主として、宇都宮系で唯一大名として維新を迎え子爵に。
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 2 жыл бұрын
ちなみに近世大名として存続したのは皆川、那須衆の那須・大関・大田原の4家ですね。 うち皆川と那須は改易になって那須は旗本になり皆川はどっかの藩に仕えたので、結局幕末まで残り維新で華族となったのは大関と大田原だけですね。
@ひろたかし-w8m
@ひろたかし-w8m 8 ай бұрын
皆川氏も維新まで旗本で残ってますね。
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 8 ай бұрын
@@ひろたかし-w8m あ、皆川も旗本になってましたか。 お教え下さりありがとうございます。
@ひろたかし-w8m
@ひろたかし-w8m 8 ай бұрын
@@讃岐国造竹取翁 皆川広照の孫成郷が藩主になる時に分知した弟の家が明治維新まで残ってます。後佐野も旗本で残ってますね。1年前のコメントに投稿してすみません😅
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 8 ай бұрын
@@ひろたかし-w8m いえいえ。むしろこちらこそ歴史談義ができて嬉しい限りです。😊 なるほど。皆川は分知した家が旗本になってましたか。あと皆川って名前をたしか水戸藩だかどっかでも見た気がするんですよね。佐野も旗本にいましたね。佐野傍流の田沼氏は紀州藩の下級武士だったみたいですしね。(その後、意次が出世して老中に。) 下野の旧国人クラスの武家は、だいたい旗本かどこかの藩士になってるんですよね。西方氏も秋田藩だかどこかに行きましたし、南摩氏も会津藩(だったかな?)に仕官したようですし、多功氏は今治藩に仕えたみたいですね。 旧地侍クラスでも運が良ければ士分を保てたようで、芳賀氏傍流の地侍だった籠谷氏は姫路藩酒井雅楽頭家に仕官してますね。
@コウ-d6d
@コウ-d6d 14 сағат бұрын
ちなみに、廃藩置県後も大関氏と大田原氏の旧領同士は仲が良かったようで、平成の大合併で大田原市に統合されてたりします まあ、大関氏自体那須家内での勢力争いで当時の当主の大田原資清に負けて長男高増を後継者にされて乗っ取られてるせいですが 後、栃木県北東部の市町村に那須○○が複数あるのが色々面白いですね
@KARAOKE_BAKA
@KARAOKE_BAKA 2 жыл бұрын
スバラシい~🦧 登録しました✌️
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! チャンネル登録もありがとうございます^ ^
@ototoicomer
@ototoicomer 2 жыл бұрын
宇都宮氏と那須氏が仲が悪いのは周知の通りで、那須氏に囲まれてる宇都宮氏系の武茂氏は佐竹氏に近づき配下になってます。同じく八田氏系の茂木氏も佐竹氏に従うようになりました。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 今回は登場していませんが、天正期の両者の抗争も泥沼化していて面白いですね!
@ひろたかし-w8m
@ひろたかし-w8m 8 ай бұрын
茂木は江戸時代秋田藩では十二所(現大館市)の統治を任されていて石高は約3000石でした。対する結城朝勝の子孫の宇都宮家は800石。また旧宇都宮家臣だった梅津家は秋田藩の筆頭家老を輩出する名家となりました。
@tf8413
@tf8413 Жыл бұрын
1-2年で状況コロコロ変わるんだな〜
@rekishitravel
@rekishitravel Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 仰る通りですね!特に天正年間は混沌としていますね〜
@nojukunotakumi
@nojukunotakumi 2 жыл бұрын
大名の名はすべて地名として残っていますね!見事です。 あまりにも激しい主導権争いは何処も一緒なんですね。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 特に栃木は地名が分かりやすく残っていますよね! 歴史散策もまた楽しめそうです^ ^
@SO-kj6fd
@SO-kj6fd 2 жыл бұрын
大名の名前が地名として残ったのではなく、足利も含めて地名を苗字に使った武士が御家人になり大名になったんよ
@坂本龍馬-m5z
@坂本龍馬-m5z 2 жыл бұрын
芳賀氏のお膝元飛山城の近くで育ちました。元来、家老の家系なのに宇都宮氏と争ったり、婚姻関係を結んだりして力関係が強くなったのか、それが原因で宇都宮氏が取り潰しになったかもしれませんね。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 飛山城立派な城跡ですよね^ ^ 芳賀氏が宇都宮氏から完全に独立していたら…つい想像してしまいます!
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Жыл бұрын
22代宇都宮国綱の弟で芳賀家に養子に入った高武は、宇都宮家と浅野家との養子縁組を進める重臣今泉高光を攻め滅ぼしてしまいました。 当時はすでに秀吉の惣無事令が発布されていて私闘は禁止されてますし、この一件が宇都宮氏改易の主因となったとみられます。
@hitoshiishizuka-lu7fm
@hitoshiishizuka-lu7fm Жыл бұрын
お疲れ様です。 興味深いですね。 でも、流石にこれだけ情勢が変わると、絵に書いて聞かないと、わけわからないです。 まっ、絵を書いている時間が楽しいんだよね。 ありがとうございます。
@junichif4755
@junichif4755 2 жыл бұрын
関東の歴史って後北条家が出てくる前の方が面白いよね。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! やっぱり享徳の乱〜永正の乱あたりの泥沼の戦いが面白いですよね^ ^
@服部充雄-l7m
@服部充雄-l7m 2 жыл бұрын
那須氏も織田権力には従属姿勢を示していませんでした。ここで一つ疑問が残ります。那須資胤はなぜ織田権力に従属姿勢を示していなかったのでしょうか。滝川一益の誘いはなかったのでしょうか。ご意見をお願いします。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 個人的な考えですが、資胤も実際は従属姿勢示していたのではないでしょうか。 下野の政情を考慮してもそれが自然な気がしますね^ ^
@長野業正-j9l
@長野業正-j9l 3 ай бұрын
結城家って下野に干渉していた気が、それに那須参加だった大関家は、しぶとく生き残って黒羽藩としと江戸時代を通して存続したはず。
@rekishitravel
@rekishitravel 3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 大関氏ほか那須氏の内容が少なくなってしまったので、近日特集予定です!
@政克横田
@政克横田 2 жыл бұрын
戦国時代の、幕開けは、①「伊勢新九郎」②「太田道灌」等、幾つかの、【関東説】が有りますが、西🇯🇵説には、どの様な、説が、どれ程有るのでしょうかね??  非常に、興味深いですね。  軈ての、登場に期待して居ます。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 西日本では明応の政変とすることが多いと思いますが、東国とはまた背景が異なるのでその辺もいずれ動画で取り上げたいです^ ^
@政克横田
@政克横田 2 жыл бұрын
@@rekishitravel 「伊勢新九郎」は、 其の政変を、京で見聞し、末世〜逃れたい気持を抱えながら、駿府に、嫁いた姉を訪ねたのが、東国での「旗揚げ」に、至った様ですが、何時頃に、登場されるかに、気を高めておりますので、宜しくお願い致します。
@とまとまと-q9f
@とまとまと-q9f 5 ай бұрын
宇都宮頼綱の血をひくものです。とはいえ私は庶家の血筋ですが。 動画の続きとしては秀吉の朝鮮出兵に一族が駆り出され、戦死者も出しています。 本家の宇都宮氏が衰えると庶家のほとんどが帰農し少し力の強い程度の農家になりました。 その後私の先祖は残っていた財も小学校を立てる費用や用水路や道の整備に出資したりしたそうです。 最終的に宇都宮市内に一族の地名と城跡が残る程度で他に文化財になるようなものはほぼ残らなかったと聞いております。
@TakahiroIwata-vw6qm
@TakahiroIwata-vw6qm 4 ай бұрын
宇都宮の礎となられたのですね。
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Ай бұрын
頼綱の系統で苗字が地名に残っているということは、貴方様の苗字は横田、今泉、刑部、児山さんとかでしょうか。
@nownowswanow
@nownowswanow 9 ай бұрын
無常とはこのことだな
@仮アカ4
@仮アカ4 2 жыл бұрын
北条武田上杉の泥沼やばすぎ😂もう少し前の時代だと、関東管領の上杉と武田今川北条で泥々してたし😅
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 下野、上野での勢力の移り変わりも凄まじいですよね!笑 戦国時代を通してずっと激戦地なのがまた面白いです^ ^
@らくだ-y4b
@らくだ-y4b 2 жыл бұрын
序盤のギョウザ県のドタバタやべぇ笑笑
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 立て続けの内輪揉めにも関わらず、なんだかんだでよく立て直しましたよね!笑
@らくだ-y4b
@らくだ-y4b 2 жыл бұрын
@@rekishitravel この時は関東全体が荒れてましたからね😅 歴史的には畿内に注目されがちですけど、この時の関東のドタバタって人間関係もドロドロしてて、個人的にはすごく魅力的ですw
@どんぐり-u2n
@どんぐり-u2n 2 жыл бұрын
九州までワクワク!
@ベテルギウスタウ
@ベテルギウスタウ 2 жыл бұрын
やっぱり、もしやの、九州南朝から、ですかね、もしやるならうれしい。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 時間は掛かると思いますが、九州編も是非チャレンジしたいです^ ^
@左投右打
@左投右打 8 ай бұрын
栃木がこんなに激しかったとは😮北条も最初から佐竹と手を組めばもっと早く制圧出来たんじゃないかな。
@user-rudel
@user-rudel 2 жыл бұрын
栃木県意外と佐野氏とか上杉氏相手に優秀な武将がいたり宇都宮氏だって優秀な方なのに何故だかマイナー過ぎるのか知られていないんですよね。ただ戦国の最後結局ほとんど誰も生き残らないのは悲しいですね。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 仰る通り、西国あたりと比較すると何故か知名度が劣る印象ですね… 個性的な武将が多くてドラマティックな地域なのですが>_
@saitaniumetaro5249
@saitaniumetaro5249 8 ай бұрын
余りにもぐちゃぐちゃで頭に入らん~。
@Super_Glider
@Super_Glider 2 жыл бұрын
地元だ🥰🥰🥰🥰
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて幸いです^ ^
@Wiiaretheworld
@Wiiaretheworld 8 ай бұрын
長年一進一退の攻防を繰り返しながら、最後の最後でほぼ全員没落とか哀し過ぎるな。
@S_McQueen
@S_McQueen 2 жыл бұрын
いつも群雄割拠だね。 下野だけの信長の野望、下野の野望を出したら面白そう
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 戦国末期まで多様なキャラクターが揃ってるので面白そうですね!
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 2 жыл бұрын
宇都宮氏の内部抗争は、嫡流の断絶とそれによる有力庶家間の宗家跡目争いに起因します。 12代満綱の死によって嫡流が断絶し、満綱の娘婿である持綱(有力庶家の武茂氏出身)が13代当主となりますが、それに対して塩谷氏や芳賀氏など他の有力庶家が「我こそが宗家の跡継ぎを出すべき家柄なのだ。武茂氏がなんぼのもんじゃい!」と反発するのです。それ以来ず〜っと宗家と庶家の間に火種が燻り続けます。 中興の祖と呼ばれる17代成綱による一族平定後もなお、緊張と紛争と妥協を絶え間なく繰り返して行くのです。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 今回は塩谷氏や武茂氏はカットしてしまいましたが、宇都宮氏の内乱をテーマにした動画もいずれチャレンジしてみたいです^ ^
@桔梗じゅげつ
@桔梗じゅげつ 2 жыл бұрын
氏が現在の市と同じ地名の大名ばっかりなので、凄く地域抗争に見えるw
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 仰る通りですね!笑 栃木県は特にその印象が強いです^ ^
@SS-kg8on
@SS-kg8on 2 жыл бұрын
徳島県はまだまだ出ないですか?
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! しばらく先になると思いますが、いずれアップ予定です^ ^
@455jj3
@455jj3 2 жыл бұрын
那須氏って 漫画ドリフターズで有名那須与一だっけ 北関東の役割が対東北の対応って 東北の出身者からしたら複雑
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 出自は諸説ありますが、那須与一と関連している説もありますね^ ^
@希安斗黒霧
@希安斗黒霧 6 ай бұрын
蛇と百足の戦争やっけ
@しいたけ-h3p
@しいたけ-h3p 5 ай бұрын
戦場ヶ原の由来かな?
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke 2 жыл бұрын
秀吉政権は関東にことのほか厳しい。。。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 特に宇都宮氏は気の毒ですね。。。!
@muchospantaloons
@muchospantaloons 2 жыл бұрын
義時あたりに脅されて京で百人一首系に変身する宇都宮氏じゃなく地元に残ったほうも、結構反後北条として頑張ったのね
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 宇都宮市は今も百人一首のまちづくりが盛んなようですね^ ^
@讃岐国造竹取翁
@讃岐国造竹取翁 Жыл бұрын
定家に弟子入りした宇都宮頼綱は和歌に身を投じ京で生涯を終えますが、頼綱の息子や孫たちはその後も下野の有力御家人として君臨し続けます。
@kelptea_1548
@kelptea_1548 2 жыл бұрын
栃木全体的に世紀末で草
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! まさに激戦地ですね^ ^
@市村雄基-w9n
@市村雄基-w9n 2 жыл бұрын
それな!
@提灯屋八郎衛門
@提灯屋八郎衛門 8 ай бұрын
立場が違えば評価も違うけど、前から上杉謙信が『義』の人と言われるのは不可解。 援軍を待って嫡流が滅亡した(長野主膳は末裔を自称)長野氏などの実例があるんだけどね。 援軍は出せないと正式に通告していたら和睦で生存の可能性もあったと妄想するけどね。
@あみ-e3b
@あみ-e3b 2 жыл бұрын
同族(味方)が、必ず敵に通じるのが興味深いです。 徳川家康や武田信玄が息子を56していますが、家中真っ二つで争うのは、この時代、よくあることだったのですね。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 戦国初期は特にその傾向が強いですね^ ^ その点では北条氏は稀有な存在ですね!
@00237046
@00237046 2 жыл бұрын
こういう話は楽しい 二心の面々ですからねw
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! 目まぐるしい変わりっぷりですよね!笑 またそれが下野の戦国史の魅力ですね^ ^
@天孫降臨はなぜ高千穂に
@天孫降臨はなぜ高千穂に 8 ай бұрын
なんというか、内紛の繰り返しで大きな大名が現れず、皆滅んだ。悲しい国だなあ
@ひろたかし-w8m
@ひろたかし-w8m 8 ай бұрын
那須氏の家臣だった大関氏と大田原氏は小田原の陣後に那須から独立して那須郡の小大名になりました。関東生え抜きの武士で明治まで関東から国替えなしで生き残ったのはこの両家だけです。
@みなみこうちゃん
@みなみこうちゃん 2 жыл бұрын
享徳の乱→家中の分裂→血みどろの抗争→家中を統一→北条家の圧迫→謙信に味方→謙信から離反→東方の衆結成→秀吉襲来。下野の戦国150年をざっくりまとめてみました🤣。しかしまぁ、景虎さんは人心を掴むのが下手ですね・・・。
@rekishitravel
@rekishitravel 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます! コンパクトにまとめて頂きありがとうございます^ ^ そのまま概要欄に載せられそうです!笑
@小田桐英樹-o5k
@小田桐英樹-o5k 2 жыл бұрын
@DELTA-xz9qf
@DELTA-xz9qf 6 ай бұрын
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