【歴史解説】ゆっくり大江戸139 江戸仏教の神秘 〜即身仏~【江戸時代】

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tera sen ゆっくり大江戸

tera sen ゆっくり大江戸

Күн бұрын

Пікірлер: 117
@大城寺市川大了
@大城寺市川大了 Жыл бұрын
投稿おつかれさまです。 他宗それぞれに考え方がありますので、私共の宗派には即身仏の概念は無いです。 しかし、誓願を貫徹された高僧の偉業は以て称賛すべきと思います。 大変、興味深い解説をありがとうございます。
@terasen
@terasen Жыл бұрын
Thanksありがとうございます。 様々な意見があるとは思いますが、苦行に耐えきれず逃げ出す者も多かったと言われる中で、即身仏になられた方々の偉業は称賛される伝え残すべき存在だと思います
@パオパオ-r2q
@パオパオ-r2q Жыл бұрын
ありがとうございます!
@齋藤佳織-c4w
@齋藤佳織-c4w Жыл бұрын
ナイス〜
@terasen
@terasen Жыл бұрын
いつも応援ありがとうございます。大変励みになります
@0269-h5w
@0269-h5w Жыл бұрын
こういうテーマを扱ったチャンネルは少ないので、今回はすごく参考になったっす。
@yamatoi1805
@yamatoi1805 Жыл бұрын
大日坊・注連寺・海向寺・西生寺は観光化されてるから大丈夫だろうけどほかは即身仏以前にお寺の経営自体が苦しいかもね。
@hesoh9811
@hesoh9811 Жыл бұрын
小学生の頃に図書館で「日本にのこるなぞのミイラ」という本を読んで中尊寺の奥州藤原氏のミイラや即身仏を知ったなぁと思い出しました😳 子供にはちょっと刺激が強いとは思いますが、地元の歴史に気付ける良い機会になって良かったなと思います😄
@yh6146
@yh6146 Жыл бұрын
母親の実家が寺泊だけど即身仏の話は初めて知った。
@terasen
@terasen Жыл бұрын
そうですね。うちのオヤジも知りませんでしたから。地元の人でもマイナーですね
@名無し-q6y5w
@名無し-q6y5w Жыл бұрын
かなりマニアックな話題をチョイスしましたな。勉強になります。 江戸時代の百姓の仕事、例えば伝馬役とかも解説していただけたらありがたい
@玉置清二
@玉置清二 Жыл бұрын
岐阜の横蔵寺の即身仏は、30代の方だった気がする
@2DCP
@2DCP Жыл бұрын
空海と最澄という教祖同士の仲違いから始まって、真言宗と天台宗の対立は江戸時代まで及んでいたんですね…。
@由貴-x2b
@由貴-x2b Жыл бұрын
平安末期の奥州藤原氏も遺体をミイラにしているし、即神仏が東北に集中しているのはそのことともなにかしらの関係がありそうな気がする。中尊寺でミイラ保管していることは交流ある寺なら知ってただろうし・・・
@御神誉黎
@御神誉黎 Жыл бұрын
奥州藤原氏のミイラは、人為的なものではなく 自然になったものだ。 湿気の多い日本では自然にミイラになる事は珍しいが 埋葬方法によってはそのようなことも起こる。
@yh6146
@yh6146 Жыл бұрын
​@@御神誉黎奥州藤原三代の遺体と四代泰衡の首が全てミイラ化しているけど、自然なのか。
@mocchi2643
@mocchi2643 Жыл бұрын
権力者の意向や寺院内での派閥争いから、「即身仏」と認定されなかった例もありそう。
@4989K
@4989K Жыл бұрын
勉強になりました。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
@sonata9019
@sonata9019 Жыл бұрын
何年か前に上野の科学博物館でやってたミイラ展で見た時は何か不思議な感じだったなぁ 想像してたよりもずっと小さくて、それでいて存在感があったというか
@dai7607
@dai7607 Жыл бұрын
江戸幕府の分断政策好き。 東西本願寺もたまらん。
@abbtk14
@abbtk14 Жыл бұрын
湯殿山麓呪い村という映画で即身仏に虫がたかってるというグロ極まる演出がなされていましたが、そんな状態で保管されていたらとっくに白骨化してますよね…。お話自体にも無理がありました。
@金山光行
@金山光行 Жыл бұрын
今回も楽しませてもらいました。阿闍梨も特集してほしいです
@MT-rx9ls
@MT-rx9ls Жыл бұрын
出羽三山のうち、湯殿山は「未来、生まれ変わり」を司るのも、即身仏と関係があるのかもしれないですね。(羽黒山が現世、月山が過去)。 酒田市がインバウンドの「観光資源」として使おうとしてます。 信仰の対象たる「人間」をそう言う利用をするのに、大変に違和感を感じますが。
@conspiracy_shine
@conspiracy_shine Жыл бұрын
それを言ったら人間の信仰心や生きた証を観光資源にしてる場所はどこも批判対象になるから気にする方が負け
@MR-ek7km
@MR-ek7km Жыл бұрын
即身仏になる事って凄いけど、それまでの手順が相当キツい。 食べ物とか食べられるのって物ばっかり。 途中で断念された方かなりおられると思う。
@Funyasan
@Funyasan Жыл бұрын
興味深い話が江戸時代に起きていたのですね
@chuandkoyuki
@chuandkoyuki Жыл бұрын
ええ〜。コリャ特例法を作って特別有形文化財とする方がいいのでは?
@snack-gon
@snack-gon Жыл бұрын
そういや、ドラマ「相棒」で即身仏回がありましたね。
@I1I1I-yuyuko-konpaku
@I1I1I-yuyuko-konpaku Жыл бұрын
あー、なんかありましたね。 あれって結局、物的証拠がない自殺幇助って形で終わったんでしたっけ? 記憶があやふやであまり覚えてませんが。
@y8e-k2n
@y8e-k2n Жыл бұрын
そうなん!? 気になる
@snack-gon
@snack-gon Жыл бұрын
たしか、山中で人徳がある中高年男性と、その男性を慕う人達が集団で生活していて、3人目の相棒の人がその中高年男性が即身仏になろうと土中に入ったのを邪魔しようとしてボコボコにされて記憶喪失になり、小料理屋の女将が見舞いにひつまぶしを差し入れに来るという話でした。 結局、土中に入った男性は発見されないというオチだったはず。
@nightfriday4829
@nightfriday4829 Жыл бұрын
少ない情報から即身仏に辿り着いてさらに即身仏を掘り返そうとする右京さんのヤバさが際立った回で凄い印象的
@中村眞二-p4w
@中村眞二-p4w Жыл бұрын
アニメの犬夜叉に即身仏が出てましたね。清くはなかったですが
@nuruosan4398
@nuruosan4398 Жыл бұрын
横溝正史だったっけ? 即身仏を作ろうとしたけど本人が出してもらいたくて天井を掻きむしるような姿勢で死んでいたので公開できなかったとかいう話が挿入された小説があった気がしたけど・・・
@smb2574
@smb2574 Жыл бұрын
孔雀王は高野山真言宗やったんかな?十二神将やら金剛界曼荼羅やら用語いっぱい出てきて面白い漫画やったな〜阿修羅より月読さんのほうが好きやった。
@いでたかゆき-r8i
@いでたかゆき-r8i Жыл бұрын
羽黒山は後に横網の名前になりました 江戸時代の相樸の解説をリクエストします(雷電が現投のころ) ゆっくりの守が見に行くといったので
@芦柄金太郎-x3e
@芦柄金太郎-x3e Жыл бұрын
知人が雷電さんの子孫で お名前が関さんでした✨
@東洋鬼子
@東洋鬼子 Жыл бұрын
湯殿山注連寺といえば、東宝特撮映画の監督である本多猪四郎監督の父親が住職をつとめていたことがある。
@s.imamura
@s.imamura Жыл бұрын
即身仏、科博のミイラ展で初めて知りました。興味深いテーマを取り上げていただきありがとうございます!
@耕一郎横山
@耕一郎横山 Жыл бұрын
そういえば、山形県に山寺と言う寺があったな〜たしか、空海系(真言宗)の寺で、1000年以上燃え続けている灯火があったっけ。
@Econazibuster
@Econazibuster Жыл бұрын
山寺(正式名:立石寺(りっしゃくじ) )は天台宗のお寺です。不滅の法灯は比叡山焼き討ちの後にここから分灯されました。
@私は元のら猫
@私は元のら猫 Жыл бұрын
中で暴れた形跡のある即神仏さまは出さずにそのまま残してると聞きました。💧
@komorio
@komorio Жыл бұрын
次回は補陀落渡海か。
@岩口直樹
@岩口直樹 Жыл бұрын
まさかの即身仏ネタ!ちょっと今からレーニン廟行ってきます。
@マッチ-x1y
@マッチ-x1y Жыл бұрын
ガウタマ・シッダールタ「(即身仏、回峰行を調べた直後)ヒェッ…。」
@hotaru-bh9rv
@hotaru-bh9rv Жыл бұрын
山形県出身です。湯殿山の石碑は結構あちこちにあるので(昔はお参りに行った記念として集落ごとに石碑を建設してたららしく実家近くにも建ってました)山岳信仰の対象という知識しかなかったので即身仏が多く残されているというのは初めて知りました・・・勉強になります。
@スリーリングス
@スリーリングス Жыл бұрын
手塚先生の「火の鳥」で初めて知った記憶
@カテキン誠
@カテキン誠 Жыл бұрын
日本にもシェルパ居たんすねぇ。 即身仏は修行者のやりたい事の究極形で扇動者による後追いも少ない様なので個人的には良いと思う。 年食って飯も食えん身体動かせん後やれる事はなんだ?で怠いに埋もれんで自己実現と奉仕に命掛けたのは凄い。
@マヴ-p8u
@マヴ-p8u Жыл бұрын
東京はあいにく日照時間は相変わらず汗ばみます。温暖化深刻です😢
@Omaturigurui
@Omaturigurui Жыл бұрын
日本最南端の即身仏、心宗行順行者様が、長野県下伊那郡阿南町新野に今も祀られています。 全国的に珍しい禅宗の即身仏で、今も4月29日と9月敬老の日の御開帳があります。特に、秋祭は盛大に執り行われ花火大会等もありますので、是非一度お参りを。
@biwa108
@biwa108 Жыл бұрын
さらに西に行った岐阜の横蔵寺の即身仏が有名なので長野県阿南町が『日本最南端』というあたりが上手い言い回しですね
@caither2413
@caither2413 Жыл бұрын
開祖の釈迦は普通に「生きながらにして仏になった」のに、なんで彼らはこんなことをやろうと思ったんだろう…。
@鏑66
@鏑66 Жыл бұрын
あくまで、ブッダは真理に到達する一つの宗派に過ぎません。 宗派の中にはブッダも一つだけ、弟子に教えを広めるという欲だけは消せなかったという考え方があり、 完全に欲を捨て去るには、死の直前しかないという考え方があったのです。 まぁ、時代が進み、即身仏の意味は真理の到達よりも、飢餓からの救済や、飢餓の時代に信者達の信仰をつなぎ止めるため、というのが現実的です。
@nuruosan4398
@nuruosan4398 Жыл бұрын
赤痢に掛かって血便垂れ流しながら横たわって死んだっていう説もあります・・・
@nightfriday4829
@nightfriday4829 Жыл бұрын
仏教の考え方に釈迦は天才過ぎて生きながら悟りを開いたけどワイら凡人は一生で悟りなんて開けないって考えもあるし
@caither2413
@caither2413 Жыл бұрын
@@nuruosan4398 赤痢じゃなくて食中毒です。生きながらにして仏になった釈迦は、普通に80歳で亡くなりました。 「死んだら仏になる」のではなく、「生きたまま仏になって、そのまま普通に死ぬ」のです。
@Jade.Mt.
@Jade.Mt. Жыл бұрын
即身仏になった人が元々高僧じゃないってのがびっくりやわ。。。
@John_Doe____
@John_Doe____ Жыл бұрын
仏陀は、苦行なんて無意味だって教えてくれてたのに、どうしてこうなった
@雲居雁乃
@雲居雁乃 Жыл бұрын
農耕民族である日本人の「苦労すること自体に価値がある」教は今に始まった事ではないということですね…
@nattosoba
@nattosoba Жыл бұрын
お釈迦様が否定した苦行とは、バラモン教などで行われた肉体を痛めつけること自体を目的とした修行のことです。 精神修養を目的として肉体に負荷をかける修行はお釈迦様も否定していません。 まあ即身仏はやり過ぎじゃね?って言われるかもですが😅
@tk2pene655
@tk2pene655 Жыл бұрын
真言天台なんて仏教じゃないだろ
@n代目豆助
@n代目豆助 Жыл бұрын
スジャータの乳粥ですね
@権兵衛-b4n
@権兵衛-b4n Жыл бұрын
​@@雲居雁乃 あほらし。 世界中文明の栄えたとこはどこも農耕で食料生産が安定した農耕民族だ。
@ichidoureysol1964
@ichidoureysol1964 Жыл бұрын
湯殿山、鳥海山、月山。併せて出羽三山と一纏めにしてしまう傾向が現代人にはありますが、それぞれの山岳信仰に端を発する修験道と、今回の即身仏さまの御遺骸を正しい処置を施されて信仰の対象とされるお寺さま。そして廃仏毀釈運動のもとに栄えて湯殿山神社、月山神社、鳥海山の神社などを管轄した神道。 それぞれの信仰の垣根を超えて出羽三山と地元住民や自治体それぞれがともに栄えてくれたら、ご入定なされた即身仏さまも本望ではないでしょうか。
@user-hirotaka0123
@user-hirotaka0123 Жыл бұрын
室町時代に紀伊の勝浦で流行った補陀落渡海が即身仏みたいな捨身入定のはじまりだと思う
@いでたかゆき-r8i
@いでたかゆき-r8i Жыл бұрын
今回は魔利沙の兜は真田幸村になっている
@terasen
@terasen Жыл бұрын
コメントありがとうございます。幸村兜魔理沙はこのチャンネルのイメージキャラです
@gopond
@gopond Жыл бұрын
子どもの頃大丸で催されてた即身仏展に言った覚えが。
@松ちゃん工房
@松ちゃん工房 Жыл бұрын
即身仏、そう言う習慣が密教にはありました。
@Mae-Torano
@Mae-Torano Жыл бұрын
意外なテーマでびっくりしました🫢
@芦柄金太郎-x3e
@芦柄金太郎-x3e Жыл бұрын
貴重な動画をありがとうございます 身を持って、悩める衆生の苦しみを 救う為,その苦しみを引き受け 苦行を課して亡くなる… 究極の自己犠牲ですね そんな境地には,なかなか凡人は なれないですよね 亡くなった顔や,姿が、とても 苦痛に満ちて居る方々を この世の苦しみを持って行って下さったと,表現する事が あるそうです 日本人が持つ,仏の国の『慈悲の』 優しい解釈の一つです
@通りすがりのスピーカー
@通りすがりのスピーカー Жыл бұрын
即身仏?  新潟県新潟市「大円寺」  「観海上人」  昭和51年、水曜スペシャル (直接は関係無いですが、どうしてもこれが思い起こされ)  (観海上人も湯殿山ゆかりの方だから繋がりが有るのか)
@いでたかゆき-r8i
@いでたかゆき-r8i Жыл бұрын
庄内潘は海坂潘のモデルになっています
@s.imamura
@s.imamura Жыл бұрын
藤沢周平さんですね(^-^)
@いでたかゆき-r8i
@いでたかゆき-r8i Жыл бұрын
@@s.imamura はいっ
@kojisato2987
@kojisato2987 Жыл бұрын
亡くなった祖母が注連寺の信者だったので、よく連れてもらいました。 鉄門海上人が安置されている注連寺の目の前にあった家は映画『ゴジラ』初代監督の本田猪四郎さんの生家だったり、また昆虫や野鳥が多い場所だったのでガキの頃の興味本意で徘徊してました。 何年か前に注連寺の目の前で大規模な地滑りが起きてしまい、注連寺のある集落は誰も住めなくなってしまいました。 今の注連寺の住職さんの話しだと、湯殿山の温泉で濡らしたお祓い棒の紙は注連寺や大日坊で再使用する文化が昔はあったそうですが、明治時代の廃仏毀釈の時に廃れたとは聞いた事があります。
@古河青山
@古河青山 Ай бұрын
どぎゃんもこぎゃんも彼岸まで🙋
@塩島聖一
@塩島聖一 Жыл бұрын
今回はまた、で偉え内容だね。 どんな人が、と言うあたり、修道院に近いものがあるね。 理性的には、公開として知名度を上げ寺の維持など資すると言うことだろうけど、価値としては、秘匿することで俗に塗れないわけで難しいね。でも、こう言ったトレードオフは割と有るよね。
@hiro-jj9cc
@hiro-jj9cc Жыл бұрын
部外者からすると自〇する感じは補陀落渡海と同じように思いますが、取り組む思想とかは違うんですかね~
@豊臣亨
@豊臣亨 Жыл бұрын
悟りとは、文字通り、わかること。なんのために人として生まれてきたのか、なんのために人として生きるのか。何をもって生きることが自身にとっての至上の生き方となるのか。その最上、最高の理解こそが悟り。 躯を晒すことが悟り、または衆生済度であるというのなら、それこそ仏教国の僧侶がこぞって躯を晒したことでせう。
@明治ろっぱ
@明治ろっぱ Жыл бұрын
空海は? 高野山奥の院…
@newmarimo
@newmarimo Жыл бұрын
昔テレビで即身仏を開封する番組やってた気がする
@友之森田
@友之森田 Жыл бұрын
即身仏なる話は、聞いては居るな、東北の話でね。明治の終わり迄は、やらかされたのは、驚きだけれども、特に山形県なのね。
@take4591
@take4591 Жыл бұрын
サムネがいつもと雰囲気違うので、見落としていました(闇の○○系かなと)。
@terasen
@terasen Жыл бұрын
コメントありがとうございます。確かにそうですよね…少し手直し致しました
@take4591
@take4591 Жыл бұрын
@@terasen ありがとうございます! 兜被った魔理沙がこのチャンネルの特長ですね~
@M司書
@M司書 Жыл бұрын
空海も入定されてますけど、まだ生存されているらしいので即身仏にならないんですかねぇ。
@M司書
@M司書 Жыл бұрын
修験道というと役小角を思い出しましたね。
@M司書
@M司書 Жыл бұрын
仙人って究極の趣味人って認識なんですけどね。
@M司書
@M司書 Жыл бұрын
密教•仏教も神道と同じで日本の守護の為だったと思いますけどね。
@中村毅彦-d4e
@中村毅彦-d4e Жыл бұрын
切りましたか...
@うどんげ視聴専用
@うどんげ視聴専用 Жыл бұрын
自ら進んで餓死する訳ですから、途轍もない精神力の強さが求められる事だと思います。また、即身仏になる前の段階の修行も過酷を極めるし、その動機も衆生の安寧を願ってと言うのですから生半可な覚悟では出来ないでしょう。現代人の倫理観では判断できない事象だと思います。
@金曜日のカンパネラ
@金曜日のカンパネラ Жыл бұрын
少女スジャータに乳粥を食べさして貰った釈尊は苦行なんかしても意味無いって悟ったんだよな😅
@伝説の麻婆豆腐
@伝説の麻婆豆腐 Жыл бұрын
寺が火事で火葬とか神も仏も無い話😙
@さんちゃ太郎
@さんちゃ太郎 Жыл бұрын
入場される前に腐敗を 防ぐ為に漆の液を飲んだ というのは本当ですか?
@changnabe2606
@changnabe2606 Жыл бұрын
仏教における真理とは無であり、 ともすると遺骸を保存して崇敬の対象とするのは 肉体も現世での仮の姿であり死ねば無に帰すのが理とする仏教の考えと 矛盾するようにも思うのだが、衆生済度の実践として、 無とともに仏教で重視される利他の尊ぶべき例を後世に残した方便の一つとでも 解釈するべきなのだろうか。
@オザワカズオ
@オザワカズオ Жыл бұрын
火の鳥で、結構ショッキングでしたね。 火の鳥で描かれた行基さん、大好きでしたから余計にショック受けました。
@沙流汰彦
@沙流汰彦 Жыл бұрын
日本三大外国人もビックリ、ハラキリ、ソクシンブツ、ヘンタイ😊
@zassoubooko
@zassoubooko Жыл бұрын
禅の六祖・慧能はミイラにされて残っているが、慧能が偉大だったのは生前に仏法を体得し、また仏法を多くの人にわかりやすく説いたからであり、ミイラとして残っているからではない。 即身成仏とは本来、生きたままで仏陀となることにある。死を賭して衆生を救いたいという気持ちは尊重するが、残念ながら方法を誤ったとしか思えない。当時の仏法の理解が浅かったのだろう。 生きたままで仏陀になるとはどういう事か。 物事を区別する分別知から離れ、個人という概念から離れたとき、全体と個人との境目は無くなり1つになり、丁度指先が少し切れても自分の痛みと感じるように、他者の痛みを自分の痛みと感じる様に万物への愛が生まれる。また分別知を離れているので、痛みを感じてもそれを個人として忌避する苦悩からは離れて安楽となり、全体の調和に沿った行動に自然となる。これが即身仏の本来の尊い働きであり、どんな難しい状況でも、考えること無く調和の為の言動が可能となり、世の人の助けとなる。 道教では「水は方円に従う」という言い方をするが、水が何を考えなくても自然の法則=道(タオ)、仏教で言う法(ダルマ)、に従って動く様を聖人の働きとしている。
@古河青山
@古河青山 Ай бұрын
六根清浄!
@しぐまる-l7n
@しぐまる-l7n Жыл бұрын
たまにほっとかれちゃう奴もいたのかしら…
@ねこあつめ-h2q
@ねこあつめ-h2q Жыл бұрын
今やったら死体損壊罪や死体遺棄罪に問われるな。
@kialo720
@kialo720 Жыл бұрын
即身仏はホットケー
@yucarin
@yucarin Жыл бұрын
外部から来た身寄りのない社会的弱者に餓死を推奨して観光資源とする行為は現代の価値観では受け入れ難いですが、そういう時代だということでしょうね。興味深い動画ありがとうございました。
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
ヤフコメで書いて下さい。
@genl.f4797
@genl.f4797 Жыл бұрын
前向きな餓死、即身仏
@長田清司-z2h
@長田清司-z2h Жыл бұрын
前回テーマが人斬り… そして今回は… 主サマの対比センスがエエですよね。 ところで毎回上がってる扁額文字…今回は即身佛でしたが あれは主サマの直筆なんですかね?
@terasen
@terasen Жыл бұрын
いつもご覧いただきありがとうございます 額の文字は「衡山毛筆フォント」というフォントを使わせて頂いております
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【ゆっくり解説】 夏王朝は実在したのか 【夏】
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鳥人間 中国史三昧
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