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春日陽のレトロ近現代史
Күн бұрын
Пікірлер: 232
@瑞星-t1y
2 ай бұрын
田舎は氷屋もなかったです家電は裸電球とラジオだけ軒先にランプ煮物は竈門 実家は築400年でした。
@yuyaken
2 ай бұрын
お祖父ちゃん達やお祖母ちゃん達の時代ですね、大変だったんですね。お父さんやお母さんを育ててくれて有難う御座いました
@鈴木-i1o
2 ай бұрын
うちの曾祖父は氷屋さんで製氷機の技師でした! 器械は24時間監視体制なので大変なお仕事だったようですが 戦前・戦中・戦後も氷の需要は多く、かなり稼げていたようですよ!
@KANA-gr3wq
2 ай бұрын
氷屋さん懐かしくていいですね!数年前、京都で久々に氷屋さんが搬入してるタイミングに出くわして感動したので、そのお店のかき氷を食べに行きました🫶
@yutagame7935
2 ай бұрын
氷は機械で生成していたんですか?
@鈴木-i1o
2 ай бұрын
@@yutagame7935 昔のアンモニア冷媒の製氷機ですね。天然氷もよく出回っていましたが、衛生と保存の観点からたくさん氷を出荷するため、人工氷も結構早い時代から普及されていたみたいです。
@yutagame7935
2 ай бұрын
@@鈴木-i1o そんな昔から、氷にする技術があったんですね。 昔の時代だから、山から持ってきたのだと思ってました。
@lavie_tie_link
Ай бұрын
65歳を過ぎたおばあちゃんですが、私の祖父母の家には製氷機、蓄音機、冷蔵庫、が納戸の部屋に保管されていたのを見たことがあります。 祖父母の家の建て直しの際に、処分してしまったようですが、今考えると歴史を物語る貴重品でしたよねー。 捨てなきゃ良かったのかも...😅
@hinata.n
2 ай бұрын
東北の田舎昭和50年頃まで 朝に『こ〜り〜。こ〜りはいらんかぁ~。』と、言いながら売り歩いていてくれてました。1個の氷で夏でも、大体3日位持ちました。 大体氷屋さんも、購入する家を曲がってくれる事もありました。大っきなノコギリみたいなのでザクザクと、切り分けてくれました。店頭に行けば、ドライアイスも、売ってくれました。 氷屋さんが来た日は、午前中売りに来てくれる八百屋さんからスイカとかメロンとか肉(肉は、昔は副菜)なんかを購入してました。夕方近く魚屋とお豆腐屋さん来て…。通りには、色々とリヤカーで売りに来る…。たまに暑すぎる時に今のアイスの『アイスクリン』を買ってもらたなぁ…。練乳に卵を入れて棒に刺してある。今思えば?っと思う味。夏休み、朝6:30ラジオ体操終わったらその足で、集会所に集まって宿題午前中は、1〜4年生。わからない時は、5〜6年が当番で2人位だったかな?勉強をみてあげて、午後から5〜6年が集まる。部活帰りの中学生が5〜6年生の勉強をみてくれた。とても中学生に憧れた。夕方頃売れ残ったのかな?集会所での勉強が終わり帰りの時間になると氷屋さんと紙芝居屋さんが庭に現れる。煎餅にジャムを塗ったお菓子か水飴かを売っていて、隣にかき氷屋さんに変身したオジサンが、いちごシロップやらメロンやらレモンのシロップをかけてくれる。なんか昔は、大人が入ると恥ずかしい子供だけの独特な時間ってありました。上の子は下の子の面倒を見るのが義務っていうか…。 アルマイト=土方弁当とか言われてましたね
@rosy0371
2 ай бұрын
なんていい時代なんだ!!😢
@tk.2931
2 ай бұрын
@@rosy0371さま 不便でしたよ〜
@白猫-i2o
2 ай бұрын
アルマイトのお弁当箱、今でも売っていますよ(^^)私はあのお弁当箱が好きでしたね〜❤
@natural-samurai
2 ай бұрын
情景が浮かび、とても楽しい気持ちになりました。 大変なこともたくさんあったと思いますが、素敵な時代ですね
@KANA-gr3wq
2 ай бұрын
35歳です。23歳の時祖母が死にましたが、それまで軽トラででしたけど魚屋さんと八百屋さんが熊本市内の祖母の家に来てました。懐かしい思い出と重なりました。ありがとうございます!
@しゅうぞうしゅこ
2 ай бұрын
トトロ見た後だから嬉しい ほんとためになる
@アクション大魔王-j4z
2 ай бұрын
今でも一部の魚屋さんや料理屋さんでは氷冷蔵庫(外装はステンレス)を使っていて、毎日氷屋さんが氷柱を配達しているところを見かけますよ。 電子レンジや炊飯ジャーのない時代、お茶漬けや雑炊もアリでしたが、一般の家庭では冷ご飯を蒸し器で温め直していましたね。
@johnny74058
Ай бұрын
死んだお袋から聞いた話だけど、お袋が子供のころ、お母さんが、「そのうち、寝ててもご飯が炊ける時代が来るよ」なんてよく言ってたそうです。
@虎色の脳細胞
2 ай бұрын
「うちの小さな女中さん」 昭和初期の家政がよくわかる楽しいコミックです。
@user-さわ
2 ай бұрын
平成の途中まで、水道が通らなかった地域出身ですが、井戸にモーターをつけていたので、どの家も普通に蛇口から水が出ていました。 出てくる水は、カルキで消毒された水道水ではなく、地下水ですが。 夏、生ぬるくて冬は冷えている水道水と違って、井戸水は夏冷たくて冬は温かいんですよ😊 そして、冷蔵庫はありましたが、動画で紹介されたように、夏は丸ごとのスイカを井戸につるして冷やしたりしました。 中学校の時、給食がなかったので(郡部は給食だったけど、市は給食は小学校だけだった)、冬はアルマイトのお弁当箱を教室の保温機に入れて温めていました。 一方、ランチジャーは昭和50年代には存在していて、父はランチジャーのお弁当を持っていってました。
@まる2
2 ай бұрын
氷冷式冷蔵庫は、朝、氷屋さんに氷を大きく切ってもらう前に小さくなった氷を麦茶のやかんに入れて、井戸に吊るして冷やし、冷蔵庫は掃除をして氷を待ったと祖母が話してくれたことがある。 あれにもピンきりがあって、中は銅板で外も螺鈿で細工されていたり、漆塗りがあったりと芸術的な物から、ブリキ張りで写真のような木製のものまで様々だったとのこと。 まぁ見た目が立派でも、性能はあまり変わらず、冷やすものと言えばおかずをと言うより、ほんのちょっとしたもの、カルピス原液やビールサイダー等の飲み物や、料理前の肉魚。 常備菜の保存は、はいちょうと呼ばれる、網戸式の風通しの良い棚。 水道がない頃は井戸頼みだったけど、冷やすことを捨てて蓋をつけてポンプで組み上げたりする家庭も多かったと聞く。 戦前の都会では、水道も普及していて、ガスコンロもあったそうだけど、練炭や炭の方が安かったから、主にこれらの着火に使い、煮物焼き物は七輪などを利用したと言うこと。又はお湯を急いで沸かしたいときに使うとか、兎に角ガス料金節約のために主婦は頭を使ったと。 ただ、これは都会の話で、戦後農村の台所改善が叫ばれ、モダンで明るいキッチンに多くの主婦は憧れたらしい。いろりやかまどでは、火の微妙な加減は難しい、でも実際に使ったらご飯の味が落ちてがっかりしたと祖母は笑っていた。
@machikomurphy4905
2 ай бұрын
Wa ka ri ma su. I ma no hi to ni wa, zettai wa ka ra nai ha na shi. A ma ri, ben ri ni na ri su gi te ne. I ma, ano ko ro no sei ka tsu, mou I chi do ya tte mi tai. "Survival Skill Test" no yo u ni shi te.......
@こなみ-j1j
2 ай бұрын
当時の人からしたらものすごーく便利な生活してるけど、便利になった分、仕事や社会のシステムも高度化・複雑化してるから、便利なのが良いことなのか悪いことなのか分からなくなった
@pine-village
2 ай бұрын
まな板は木のやつをずっと使ってます。 最初はプラスチックのを使ってましたが、木のほうが包丁の刃が長持ちするよと聞いてためしに買ってみたら、ぜんぜん切れ味が落ちなくなって感動してそれ以来ずーっと木です。
@masam91
2 ай бұрын
水道が無かった時代は、食器はめったに洗いません。 箱膳といって個人の食器を入れてあるお膳を使ってました。 食事の最後にお茶とお新香で食器をぬぐって綺麗にして食べてそのまま次の食事まで箱膳の中に入れて、次の食事まで納戸に仕舞ってまっていました。 今でもお寺などの修行体験に行くとこの食事方法を教えてくれます。 ご参考まで
@ogikubo15
2 ай бұрын
ご飯も麦が入ってるから、今の白米のようにベトベトしませんからね。味噌汁も油分はほとんどないから飲み干してしまえばお椀はきれいなものです。 自分は健康上の理由で麦10割の麦飯にしてますが、炊いてもパラパラしてるし、茶碗は汚れませんね。
@あぴよん-i5h
2 ай бұрын
お寺さんだと最後に茶碗に残った米粒をタクワンと少しのお茶で綺麗に掃除して締めくくりますね
@まは-t5b
2 ай бұрын
海のすぐそばに住んでたけど、昔の人は食後にヒョイッと海に来て海水で食器軽く洗うだけだったってばあちゃんが言ってたなあ
@remy777slot
2 ай бұрын
一人暮らしの今の自分もです ご飯やインスタントラーメンなら 良く観察して、 良しまだいける! って。
@e-3685
2 ай бұрын
井戸があるじゃん。洗剤の代わりに小麦粉できれいになるぞ。 水を使わないのなら小麦粉に吸着させたとか?おばあさんが 小麦粉は洗剤の代わりじゃったって言ってたぞ。
@灰原凛
2 ай бұрын
アルマイト製弁当箱は母が使っていたものを貰って高校生の時使ってた笑 懐かしいな また使ってみたいな
@chiiko2013
2 ай бұрын
子供の時、冷蔵庫がありませんでした。氷屋さんで氷を買ってました。魚や肉は買ってすぐ調理してました。西瓜は川で冷やしてました。
@abbey_aikawa4310
2 ай бұрын
昭和何年ごろのお話しですか?
@chiiko2013
2 ай бұрын
@@abbey_aikawa4310 30年代初めの頃です。中頃にはもう冷蔵庫がありました。
@abbey_aikawa4310
2 ай бұрын
@@chiiko2013 とすると昭和20年代生まれですか?貴重なお話がリアルタイムで聞けました!
@chiiko2013
2 ай бұрын
@@abbey_aikawa4310 いえ、昭和32年生まれで、幼稚園に入る前の記憶があるんです。
@nbrkgc
2 ай бұрын
自分は平成生まれですが、祖父母宅は釜戸で薪を焚く五右衛門風呂でした。 途中から釜戸にガスバーナーというハイブリッド?式になってましたが… 足が下につかないよう板を沈めるのですが、子供の頃はアトラクションのように感じてましたね。
@yukirosello8467
2 ай бұрын
私は五右衛門風呂に入ったことがないのですが、周りも熱いんですか?イメージは釜ごと煮えたぎっている感じ。
@nbrkgc
2 ай бұрын
@@yukirosello8467 ヒノキだったので周りも多少は熱いですが触れないほどでもないです! 一番風呂はお爺ちゃんだったのでその頃はもっと熱いのかもしれませんが… 底に沈める板は踏んでいないと浮いてくるので縁に手を掛けないと入れないですしね。
@yukirosello8467
2 ай бұрын
@@nbrkgc なるほどー!入ってみたいです。ありがとうございました。
@山童茶花-l1g
2 ай бұрын
私は令和に入ってからガスなし薪風呂生活になりました。 ボタン1つでお湯が出るのって凄いんだなと改めて思います。
@yukirosello8467
2 ай бұрын
@@山童茶花-l1g 薪で炊いたお風呂は湯冷めしないと言いますよ。あなたのお風呂が羨ましいです。
@nemikana4684
16 күн бұрын
大正生まれの祖母がかまどで煮炊きをしていました 餅つきも手動でついていたし、味噌や梅干しもよくもらってました 食事に限らずほぼ何でも手作り 昔の人には尊敬しかない
@gonchan007
2 ай бұрын
電化製品の普及と言えば、松下電器(現パナソニック)の松下幸之助が当時唯一家庭にあった電源(裸電球)のソケットを二股にして他の物で電気を使える様にしたと言うのが松下電器の始まりでしたね
@georg4719
2 ай бұрын
氷冷蔵庫は喫茶店で使ってたような気がする。 廃棄された現物は覚えがあるかな。 竈門も母方の実家にあったな。 臼があって正月には餅つきしてたわ。 覚えているのは電化やガス化へ移行しつつあった時代の姿。 あれだけ忙しけりゃ家の外と中の役割分担は当たり前の世界だね。
@りか-d4h
2 ай бұрын
昭和40年代、都内の住宅街に「金物雑貨屋さん」のトラックが巡回販売してたのを覚えています。 洗面器とか鍋、ホウキやチリトリ、買い物籠、プラ製ゴミ箱なんかも販売してました。
@nackeyt3068
2 ай бұрын
母方の実家は昭和の終わり頃まで薪で風呂焚きしてたよ。と言っても山間部の僻地ではなく大阪の街中。すぐ近くの商店街からミカンやリンゴの木箱を貰ってきてそれを燃料にしてた。炬燵も豆炭使ってたなあ。豆炭炬燵の上でワープロ使うという時代感覚がバグる環境だった。
@yukikonoguchi
2 ай бұрын
かつてはそんなになんでもしゃがんでやっていたのか。日本人女性の足が短く太く曲がってしまうのもわかる気がする。でもその分足腰は強かったろうね。
@蒔絵師
Ай бұрын
保育園の頃はアルマイトのお弁当箱だったので、ストーブで先生が温めてくれた。
@こたつむり-f7k
2 ай бұрын
平成生まれですが、祖父母の家でも見た事ない物ばかりで驚きです…
@ろで-z3o
3 күн бұрын
二十歳ですが、幼稚園の頃冬になるとみんなアルマイト弁当箱になり、お昼までストーブの周りに置いて温かいご飯を食べていたのを思い出しました
@メイ-z1y
2 ай бұрын
子供の頃、田舎のじいちゃんの家が五右衛門風呂。灯りもなく、薄暗いくて不気味。浮いた板をうまく踏んで浸かるのが難しく、中に浸かっても縁に触れると熱いから身動き出来ず全くいい思い出がないです。
@kandamatube
2 ай бұрын
子供の頃に祖父祖母の家で五右衛門風呂の風呂焚きが面白いからかまどに薪をくべまくったら熱湯になってしまったことがある
@お魚くわえたトラ猫
2 ай бұрын
私の祖母の家も五右衛門風呂でした。懐かしいです。私も同じく板を沈められず難儀しました。全然リラックスなんてできないんですよね。でも、五右衛門のお湯は体の芯から温まり湯冷めしにくかったです。
@メイ-z1y
2 ай бұрын
@@お魚くわえたトラ猫 おっしゃる通りですね。 薪でわかすお風呂のお湯は身体の芯から温まって湯冷めしにくいと聞きますね。この年齢になってその良さに気付かされています。ご返信頂きありがとうございます。
@tanabatatume2720
2 ай бұрын
同じくです。祖父母の家が薪で焚く五右衛門風呂でした。風呂釜の鉄の内側は火が走ってるんだから絶対触っちゃダメだよ、と言い聞かせられて入りましたが、今にして思えば良くあのお風呂に子どもたちだけで入らせてたなと思います😂
@メイ-z1y
2 ай бұрын
@@tanabatatume2720 そう思いますよね。 五右衛門風呂に入るのは子供にとって危険が一杯www 私のじいちゃんの家の五右衛門風呂は灯りがなかったので真っ暗。確かローソクの炎だけだったような気がします。オバケも出そうで怖かった記憶があります。今では懐かしい思い出です。ご返信ありがとうございました。
@cryptmind
2 ай бұрын
氷冷蔵庫は、大量の仕出し料理を時間まで保管する必要があるホテルなどでは、今でも健在です。
@dnfpy0700
2 ай бұрын
保冷剤+クーラーボックスや保冷蓋付き保冷ばんじゅうもある意味氷冷蔵庫ですかね。
@ぷこにゃん
2 ай бұрын
冷え過ぎないし乾燥もしないので好んで使う人もいるみたいですね
@YN-eo3ox
2 ай бұрын
昔に比べたら便利になっているはずなのに、家事がいまだに負担になっているのは何故なのだろう。
@ALTEFORD
Ай бұрын
生活水準もあがっているから。負担に感じないレベルまで下げたらいいけど満足度も下がる
@楠早苗-i9h
Ай бұрын
今は共働きできますが昔は専業主婦が必要だったのが分かりますね
@Shaltina.
27 күн бұрын
やりたいこと・やれること・やることが増えたから?
@貴族-s5k
3 күн бұрын
給料が下がって物価が上がってるから
@user-me8vc3um7q
3 күн бұрын
@@貴族-s5k何を言ってんの?
@林清英-d6k
Ай бұрын
昔はご飯炊いたらおはちに入れた、冷蔵庫は上の棚に氷を入れた、氷屋さんが毎日氷を届けてくれる ほんの少し前、昭和30年代半ばくらいのこと 昨日の事のように覚えている😅😅😅
@rumikoodreitz7564
2 ай бұрын
50年位前の親戚の農家では、井戸が外にあって、食器を外で洗っていたのを記憶してます。お風呂も外、トイレも外、冬は寒かったでしょうね。
@alfchaN68
12 күн бұрын
トトロでも見ましたが、お風呂、大きいのはわかるけれど、左隣の小さいのは何だろ?
@濱田陽子-l9n
2 ай бұрын
私の母の実家では中学生の頃までご飯はかまどで炊いていました😀底のおこげでお茶漬けして食べていました🎉懐かしい味です❤
@amtanwwww
2 ай бұрын
たった百年前まで電気もガスもなかったって考えるとすごいよな
@vist317lip
Ай бұрын
ばあちゃんがよくお茶漬けを食べていたのも、ぬか漬けを作っていたのも、基本キッチンにいたのもこういう歴史を知ってると腑に落ちる 長年の習慣で落ち着いたのかもな
@yosikuri2076
Ай бұрын
氷冷蔵庫は、昭和37年ころにあった ただし、水道、電気、ガスは完備していて、井戸は集合住宅にはない 弁当は、保育園は円が作り、小中までは学校内で調理する形態だった 冒頭に出ていた洗濯機の水抜きは散々手伝わされた(ローラーの中に洗濯物入れて、くるくる回す
@oc0413
Ай бұрын
すごく興味深い内容でした🐥✨
@のばら木村
2 ай бұрын
昭和50年あたりまでは、高校の弁当の時間にはお茶当番があり(給湯室からデカいやかんを運ぶ係?)、みんなアルマイトの弁当箱のフタに入れて飲んでいたらしい…😮
@ソルト-x1t
2 ай бұрын
ドカベン懐かしい。 本当に小さい頃にはまだ父が使っていました。
@shurapan555
2 ай бұрын
便利な世の中になっても幸福度は変わらない
@山童茶花-l1g
2 ай бұрын
寧ろ情報社会になったおかげで比較対象が安易に出来る様になったから、今の生活に満足してないと思う人が多い気がします。
@ExcellaNescafe
2 ай бұрын
50年前になりますが近所の魚屋は氷を敷いた棚に魚を並べて販売していたいましたね。 ハエが寄ってくるのではたきのようなもので払っていたのを覚えています。
@昼子-x2z
2 ай бұрын
アフリカのとある国で住んでますが首都でも電気も水道無い家が多いので、今でもこれに近い環境をよく見かけます うちは電気あるので冷蔵庫あるものの洗濯はタライで手洗いです 氷屋の類も無いので肉屋でも店先で捌いて常温で売ってます
@coconuz
2 ай бұрын
50年くらい前は給食の食器もアルマイトだったしな
@Alamaise
2 ай бұрын
30年くらい前の鳥取ではまだアルマイト食器だったし米はアルマイト極大メスティンで戦艦の如く蒸気炊飯、おかずはアルミバケツでしたよ。 まあ、給食ってだけでクソまずかったんで今でも嫌いな食品は「給食」なのです。
@yusato13
2 ай бұрын
20年くらい前も使ってるよ ちょっとやそっとじゃ壊れないし消毒しやすいし合理的な食器よ
@FangTheNot
2 ай бұрын
15年くらい前も使ってたやで
@galdoo5760
2 ай бұрын
40年前でもアルマイトだったよ
@pp-vg5ci
2 ай бұрын
今でも現役です...
@carlyk5151
2 ай бұрын
炭治郎のお母さん、残ったごはんでお煎餅作ってあげるって子どもたちに言ってた🍘 昔の人はすごい
@yt土佐カツオ
2 ай бұрын
薪で炊く竈のご飯は最高に美味しいですよねぇ~ 昨今の若い人達は竈で炊くなんて知らないですね
@あどさぶ
2 ай бұрын
今なら木製の方がスタイリッシュかもなぁ
@Madder528
22 күн бұрын
私の祖母が子供の頃、私から見てひいひいおじいさんが船大工で、石綿を使って冷蔵庫を作ってくれた話を思い出しました😂 たぶん、祖母が言ってた冷蔵庫も氷冷蔵庫のことだったんだろうなとこの動画でわかって嬉しいです、ありがとうございました
@user-aoi2960
2 ай бұрын
氷冷蔵庫は前後も有ったらしいですよ、今の80歳前後の身内が、小学生の頃まで使っていたそうです。😅電気は月曜日に計画停電するからだそうで、電気冷蔵庫の存在は、その当時から知っていたらしいです。🙂
@tarovlog847
Ай бұрын
還暦ちょっと超えの私ですが、小さいころ親戚の叔父が氷を販売していました。その氷で夏になるとかき氷を食べさせてもらいました。 アルマイト弁当箱は懐かしいです。
@とぉちゃん-d3q
2 ай бұрын
子どもの頃の氷冷蔵庫でした。氷屋さんがリヤカーにむしろで包んだ氷を積んで売りに来てくれてました。
@平安至上主義者
Ай бұрын
氷冷式冷藏庫は今でも作つています
@ゆき-z2t2o
2 ай бұрын
アルマイトのお弁当箱😂
@judy-iu2kt
2 ай бұрын
まな板を使う国は意外と多いよ?
@user-さわ
2 ай бұрын
中国とかは、持ち運びはもちろん、洗うのも力が必要そうな分厚いまな板ですね
@角島一正
2 ай бұрын
田舎に親戚が要れば機会を見て訪れて見ると良い。僕も子供の頃親戚のお宅で当時珍しい「五右衛門風呂」に入れて貰った経験が有った。貴重な社会勉強でした。
@吉由貴
2 ай бұрын
祖母が氷屋さんでした! こんな感じだったんですね!
@lavie_tie_link
Ай бұрын
祖父母の家の納戸部屋に、製氷機、氷冷蔵庫、蓄音機、などが保管されていたのを見たことがあります。 家の建て直しの際に処分されたようですが、今となれば貴重品になっていたかもですね。 量産されていたのだったら違うかもしれませんが。 現在67歳のおばあちゃんですが、小学生2、3年の頃には既に祖父母の家には電気冷蔵庫があった記憶があります。 当時の台所は、土間でしたが懐かしいです。 (かまどはあったかなぁ🤔) その直後、土間の台所と風呂場をリフォームし、近代的なキッチンへ。 お風呂のリフォームは当時は1週間かかってのおおごと。 夏の暑い時期だったので、毎日ドラム缶風呂でお風呂に入った記憶があります。 祖母が付きっきりで薪をくべて、妹と二人で入ったお風呂タイムは楽しかったなぁ♪♪ 今では考えられませんよね〜😂
@takaajki1159
2 ай бұрын
私の母親の実家が海産物のお店だったので木製の大きな冷蔵庫に氷屋さんがノコギリで小分けして入れてたの覚えています。冷蔵庫無い時代、卵は箱に籾殻入れて保存してました。お店で買う品物の包装は新聞紙が使われてました。刺身や肉の細切れ等を入れるのに木を薄く切ったった物が使われてました。初期の電気冷蔵庫には鍵も付いてました。釜戸等は農家や大きな家じゃないと在りませんよ、一般家庭は七輪が主流です。昭和30年前後の話しです。昭和26年生まれです。
@jmy6767
24 күн бұрын
ミシュランに載ってる寿司屋さんが氷冷蔵庫を使ってました。 保管したネタの状態が全然違うらしいですよ。
@モコタウタコ
2 ай бұрын
「日本の民家」という戦後すぐの日本のいろんな地域の民家を紹介する当時の映像があるけど、今では発展している地域でも割と電気すら通ってない場所が多い。
@もももも-b7n
2 ай бұрын
ずっと気になってるんですけど、氷を入れる冷蔵庫の氷が解けた際に出る水はどうやって処理するんですか? 桶に氷を入れているのも見たことありますが、大体氷の塊をそのまま上段の棚に入れてますが、あれは排水溝みたいなものがあるんでしょうか?
@how5649
2 ай бұрын
冷蔵庫の下に水受けが有ったと思いますよ。 親の仕事で気にしたことなかったけれど。 期の枠の中はおがくずだ詰まっていた記憶。スイカなんかはバケツの水で冷やすだけで、あんな大きいものは冷蔵庫には入れないよ。 氷にかじりついたりしたような気が(子供には大きい氷。実際にはかじれないけどね) 「氷カキ」と言う、先のとんがったドライバーみたいなのが有ったな。ガシガシガシって氷を崩す。
@dnfpy0700
2 ай бұрын
実家の辺りの氷屋さんが廃業したのは平成に入った直後だったけど、漁港の町だったからギリギリ残ってたんだな。
@ああ-q1u5b
2 ай бұрын
いつも思うけどオープニングかっこいい
@ei2784
2 ай бұрын
平成初期もアルミのお弁当箱使ってました。ストーブで温めてた。
@竹りえ-b3g
2 ай бұрын
アルミではない、アルマイト
@2236qawsedr
2 ай бұрын
便利な生活はプラスチック様々ですね
@探偵倶楽部-k5e
2 ай бұрын
懐かしいな~婆ちゃん爺ちゃんちは、一々トイレに行くにも土間に降りて行ってたな、居間から1メートル位先に階段が有って踏み外しで鼻血ぶーしたなw 井戸に落ちて死にかけた事も有ったわ🤣
@sirayukisayori
2 ай бұрын
なんか絶対にあり得ないレベルではなく1部は寿司屋とか精進料理や和食にありそうとか思ってしまった。 ただ、食べ物が油物が増えたので、洋食を食べた後に洗剤や石鹸、ハイター等の使用を今さらやめる訳にはいかないし、北海道だとか避暑地の良い季節でもない限り縁側に置いておけば涼しいから大丈夫な訳は無いし、 バーベキューですら余りしない人間からしたらかまどで飯炊きをするとなるととても難易度が高く時間もかかると思う。ガスや炊飯器などの家電製品が普及するあるいは一般的になる前に生まれた、後に生まれたは個人的に大きいかと思う。 昔の人は身体能力が高かったという話があるが毎日水をくみにいき、川に洗濯をしにいき、畑を耕し、かまどから飯を炊きなんてやってたらそうもなるだろうなと思う 今あるものは昔にあるものを昔から必要なものを改良していったものなんだとわかりやすい。 今、大正にもあったであろう米不足。 炊飯器だろうが竈門だろうが米が無ければ炊けない。 昔なら米屋に押しかけて暴動等あるレベルだろうが、今はそんなことが無い。 意思表示の退化なんだか、文化レベルの向上なんだか不思議でもある。 何故か飯屋にだけはあるから危機感足らない部分もありそう
@shimazuzz
2 ай бұрын
21:00の弁当箱、数年前も使ってたので今も現役ですw
@神造哨兵
2 ай бұрын
厳密にいえば、国産の電化炊飯器や冷蔵庫、洗濯機は戦前からありましたけどね(テレビ以外)。掃除機や扇風機も
@神造哨兵
2 ай бұрын
システムキッチンの普及は昭和30年代ですが。「暮らしの手帳」の実験記事が詳しいです
@prc148mbitr
2 ай бұрын
1940年の「幻の東京オリンピック」の時、テレビは実用化寸前だった。
@sallysallysarah
2 ай бұрын
前回東京オリンピックの直前に大阪で新婚生活を始めたうちんちにはガス炊飯器とガス冷蔵庫がありました。 大阪ガスの本社ビルのレストラン行きたい。。。
@yuogugu
2 ай бұрын
素敵な動画を観せて頂きありがとうございます✨ 戦前から京都市内には大阪ガス旧京都工場があったみたいで、昭和3年(1928年)に旧京都瓦斯の工場として建設されて京都市民に都市ガスを送り続けてきたようです😊その巨大タンクは「五条七本松のガスタンク」と親しみを込めて呼ばれていたようです😮戦前にはガスが通っていたのですが、戦時中はガス供給がなくなり、市内は森も山も無くて、燃やすものも無いので、嵐山とかに、行って桂川に流れてきた枝を拾ったり新京阪(今の阪急電車)を使ってコークスを大阪までもらいに行き、使ったり、、燃やすものが手に入らないと大変困ったみたいですよ!😊
@48のレオーン
2 ай бұрын
まだ時々ガス炊飯器使ってますが 電気炊飯器に比べてガス炊飯器で炊いた飯は美味いですよね
@風谷月夜
2 ай бұрын
子供の頃ですがガスの炊飯器を使ってご飯炊いてました 美味しいですよね
@48のレオーン
2 ай бұрын
@@風谷月夜 電気ジャーより確実に美味いですよね 因みにうちのガス炊飯器は40年選手です笑
@山童茶花-l1g
2 ай бұрын
私は家にガスを通してないのでキャンプ道具と無水鍋でご飯を… ガス炊飯器懐かしいです。 三菱の昭和30年製の扇風機のみで今年の夏を乗り越えました。 最近の家電と違い、故障知らずなのは心強いですね。
@taroukuma7125
2 ай бұрын
氷冷蔵庫以外みんな使っていた、手押しの井戸ポンプが懐かしい。 電気製品は60Wの裸電球が一つだけ、何にも無かった。 戦争未亡人の母、その我が家は貧しかった、雨漏りで寝る場所を探した。 貧乏暮らしが身についた人生だった。 人間は 生まれも育ちも必要だった、何にもナシで貧しい人生だった、もう終わるが、、。 80歳 もう疲れた。
@user-touhou
2 ай бұрын
よくアカウント作れたな
@ともちん-f4e
2 ай бұрын
こんな話を沢山して下さい、とても興味深く読ませていただきました😊
@べル-k1m
2 ай бұрын
いつに戻りたい?そこからどう頑張る?
@みかんたんかんかんたん
28 күн бұрын
母が子供の頃、土間の台所だった頃、外の井戸に水を汲みに行かなくても、家の中で水を引き上げるシステムがあり、😂洗い物はそんなに大変ではなかったと言っていました。どんな仕組みだったんだろう。。
@bernigunther5804
2 ай бұрын
子供の頃の冷蔵庫ちっちゃかったな。焼魚は商店街で売ってたと思うけど、うちで網で焼いてた。糠漬けや梅干し、梅酒は自家製。庭の木は何らかの実がなる物。在ったのは飛出るトースター。乾物使用が多かった。個人スーパーが乱立していて畜肉のスタミナ漬けや、オーストラリアで退治したヌートリアのブンタッタソーセージには鉛の散弾が良く入っていました、猛毒です。かつお節し削り箱が楽しかった。祖父が暮らした官舎の一つでは近くの小川から細い水路を伸ばし、台所の土間に流し込んで、そこで取水や皿洗いをしたそうです、風流。
@ruiaisaki2445
2 ай бұрын
幼稚園時代、冬はアルマイトのお弁当箱持ってけばストーブでお昼の時間まで温めてくれたんよね😊
@ぷこにゃん
2 ай бұрын
おかずにたくあん入ってるとなかなか匂ってたなあ
@yuni_toraco
2 ай бұрын
かまどを見て「はじめちょろちょろ中パッパッ 赤子泣いてもフタ取るな」を思い出しました
@山童茶花-l1g
2 ай бұрын
今となっては懐かしい水晶米の袋にも、確か同じ事書いていた様な?
@YulSicable
2 ай бұрын
専業主婦が必要な時代ですね
@KN-qb7wi
2 ай бұрын
昭和30年代前半に家では氷冷蔵庫を使っていた。今では政令指定都市になってる地方の大都会だけどね。昭和35年頃に電気冷蔵庫を買ったように思う。
@sallysallysarah
2 ай бұрын
母がオーナー兼職人だった寿司屋では昭和45年くらいまで、ガラスショーケースの中に氷を入れて冷やして、出してないものは氷冷蔵庫で冷やしてました。政令指定都市で高度成長期にずいぶん接待で使ってもらった店です。裏には業務用冷蔵庫があって、氷冷蔵庫の方が美味しく保存できる食材もあると言っていました。
@atsukorichards1675
Ай бұрын
中•高学校時代まで使っていたアルマイト弁当箱は、結婚数十年後の今でも"巌鶏(と家では呼んどりますが要するに"のし鶏"かも)"の型として現役で頑張ってくれています。
@user-mamerican
2 ай бұрын
学生の時、西友のフードコートでバイトしてて夏にカキ氷やってんだけど初めて氷屋さんのでっかい氷見たときの驚きはよく覚えてる。
@砂姫婆酒樽
2 ай бұрын
祖父母の家には 冷蔵庫洗濯機炊飯器ガスコンロ(着火装置はなし)はあった ジャーはなかったから焚いたご飯はお櫃、昼夜にあたたかいご飯はなかった 台所は土間土足 テーブルも室内から土間にのびた物で 爺さんとかは床のテーブル 婆さんとか子供は土間のテーブルで土足で食事 炊きたてご飯で食べる卵かけご飯は朝しか食べれないから 起きたら庭のニワトリの足元から拾ったタマゴを祖母に預け 通園服に着替えてる間に卵かけご飯作って貰ってた
@saquita51
2 ай бұрын
西東京市にレトロ生活をしている夫婦がいらっしゃいます。建物から氷冷蔵庫まで全てです。因みに"天日干し"は"てんぴぼし"と読みます。
@abbey_aikawa4310
2 ай бұрын
氷はどこで買ってるのかな…
@ミクネコダイアリー
2 ай бұрын
アルミニウム弁当箱なつかぢい😂
@竹りえ-b3g
2 ай бұрын
アルマイト
@田中利治-w4e
2 ай бұрын
【水道・電気・ガス】 水道高熱のインフラ整備は市部と郡部に大きな差がありました。 これらは電線や導管で供給元と消費者を結ぶ必要があり、市部の中心部から需要の在る郡部へとアメーバーのように伸びていったのです。 以下では、一昨年に古希を迎えた幼少期(1960年ころ)の水道電気ガスについて説明します。 私は五歳の頃に郡部から大阪市に隣接する造成地に引っ越しました。今では市部と言って良いでしょうが、当時は周囲に田畑が広がる郡部でした。 ・水道 造成地には水道が供給されていましたが、未だ高価で安定していなかったのか数戸毎に井戸が掘られていて、日常的に使用されていました。 郡部の実家では井戸と水瓶を使用していました。 ・電気 電気は供給されていましたが、配電盤には 15A のヒューズが取り付けられていて、炊飯器と電気炬燵などを同時に使用するとヒューズが切れ、交換してもらうまで電気を使用できませんでした。 我が家の場合は父が電気技師なので自分で交換していました。近所のヒューズ交換も引き受けていたようです。 ・ガス 都市ガスが供給されていましたが台所の一口焜炉だけだったので、七輪などを併用していました。 郡部の実家は未だ竈を使用していました。 ・氷冷蔵庫 小学生の中頃ですから 1960年代の前半まで我が家には氷冷蔵庫がありました。氷は定期的に毎夕リアカーで配達されていました。 ・電化成品 東京オリンピックは自宅のテレビで見た記憶があるので、電気冷蔵庫も同じころの導入だったと思います。 電気掃除機は珍しく、買ったという人から貸してもらって掃除をした記憶があります。湿した新聞紙を撒かなくても埃が立ちませんでした。
@johnny74058
Ай бұрын
子供のころ、残ったご飯は、冷や飯か、蒸かし釜で蒸かし食べてた。両方ともまずかったこと覚えてる。
@boudeku8733
2 ай бұрын
100年前電気は普及してたよ(僻地は除く)。家電が普及してなかっただけ。
@prc148mbitr
2 ай бұрын
山間地の多くは戦後に電化した。
@松本悠佐
2 ай бұрын
当時の人に言わせると作ったもの、買ったものは残さずその日に食べると言うものだったらしいです。ある意味、明日にとっとくという習慣はなかったようです。 野菜はざる すいかは水の中にドボン。ご飯は柳の入れ物に入れて井戸の中に吊るしておくという話は聞きました。
@まいすりぃ
2 ай бұрын
子供のころ元々父の実家だった古い一軒家に住んでたからずっと井戸水で、初めて水道水飲んだ時は変な味にびっくりしたな。
@梅ちゃん-f6r
2 ай бұрын
まだ地球に優しい時代だったんだろなあ
@giantszero6962
Ай бұрын
つくばい式って何?と思って動画みてたら 昭和末の祖母ちゃん宅の流しがそうだったと思い出した。
@Lomilwa250
2 ай бұрын
22:00 小学校1年生の運動会にばあちゃんが作ってくれた弁当の容器がまさにコレだった
@森田雄一-e6s
Ай бұрын
昔は水汲みと風呂焚きは子供の仕事だったらしいです。
@白猫櫻ちゃん
2 ай бұрын
絶対有り得ないってタイトルはどうかな 今でも使われてるものもありますし、わざわざ炊飯器使わず鍋炊飯してる人もいますし。おひつなんか旅館やホテルで使ってたり、丁寧な暮らし好きな方たち向けに売ってたり。地方の古民家なら毎日使わずともかまども井戸も現役だったり。アルマイトの弁当箱我が家現役です。
@ogikubo15
2 ай бұрын
自分は数年前から鍋炊飯に切り替えました。テフロンの片手鍋ひとつでさっと炊いて、残りは一食分ずつラップでくるんで冷凍してます。 炊飯器メーカーとしては不都合な真実なんだろうけど、炊くのは全く難しくありません。実は柔らか目になってしまっても後から追加で加熱すればいくらでも修正できます。
@山童茶花-l1g
2 ай бұрын
超辺鄙な田舎に移住して令和からガスなし薪風呂生活始めました。 ご近所では郷土料理作る際には竈使いますし、台所用水に山水を引いてるところもあります。 漸く最近、向かいに見える島(県外の島)から電波をキャッチして、ケータイがまともに使える様になりました。
@白猫櫻ちゃん
Ай бұрын
@@ogikubo15我が家も鍋炊飯でございます。実は早いし美味しく炊けるし、災害時や海外生活の時に役に立ちますしね。
@白猫櫻ちゃん
Ай бұрын
@@山童茶花-l1g 凄い! 育った古民家にはかまどがありました。味噌の仕込みと餅つき用位しか使われてませんでした😅お水も井戸でした😅
@山童茶花-l1g
Ай бұрын
@@白猫櫻ちゃん 実家は都会寄りでしたが井戸水でしたので、その味が当たり前と思ってました。 移住してからは人生初めての水道水で、未だにカルキ味に馴染めませんね。 水道代もばかになりませんし(笑) 文明の利器は確かに便利なものばかりですが、手間暇掛かる昔ながらのものも、それはそれで有り難みを得られる感覚という意味では、捨て難い魅力がありますよね。
@しなな-p8b
2 ай бұрын
凄〜い! いつ見ても良く調べてあるね! いつも感心しながら見ていますよ! ご飯の所に一つだけ追加なんだけど、1960年に炊き上がったご飯を保温する保温釜が発売されましたよ😊 まぁ、どうでもいいですけど ちなみに私の生まれた家の隣には、空き家でしたが台所には土の竈門があり、お風呂は五右衛門風呂があって、庭には2羽のニワトリじゃなくて井戸があり、ちょい不気味な空き家がありました。
@楠早苗-i9h
Ай бұрын
父方の実家も母方の実家も家の真ん中に土間が有って奥の庭にトイレが有りました。玄関から部屋に入って別の部屋に居る時にトイレに行きたくなったら一度玄関迄戻って靴を履いて用を足しに行ってました。家に長居して居ると自分の靴はどこだったっけ?と捜す事が有りました😂
@諏訪四郎-g1x
2 ай бұрын
動画内の家事をして主婦は忙しいのは分かるけど、現代の家事は楽だろう!フェミさん❤
@玲奈-x3c
2 ай бұрын
お風呂の写真で2つの釜?があるのはなんですか? 温度調整用の水を入れていたのでしょうか?
@旧極真
Ай бұрын
初コメ失礼します。五右衛門ぶろやカマド、木の桶現代でも「寿司」職人が殺菌作用や保存として活用しています。 説明が不十分で動画で話すと誤った捉え方をするので、言ってる本人も具体的には言ってはいますが、説明しますと まず、日本文化の違いとゆう事と、北米では日本が土倉だったころには、レンガを作っており、ヨーロッパでもレンガ作りとゆう文化が発達しており、中国でも先に酢をツボに入れて電気として使われたりしておりました。 日本では発展がかなり他の国より遅れており、刀を作っていたころから海外では銃器や大砲を作っていました。 東京、長崎、大阪各地にペルー船「黒船」到来といった始めて輸出を始めたころに「坂本竜馬」が日本を変えようと他の国と手を結び「キリスト」を持ち込んだのが天草史郎、坂本竜馬も関係がありました。当時宗教は禁止法があり、政府に見つかれば刑罰があり「つるがね落とし」で隠れキリシタンのアジトとして歴史に刻まれております。 氷が持っている造氷機があるなら改良して何で早く冷蔵庫を家庭製品として開発をしなかったのか、わざわざ、木製の木箱を出したのか。 水を氷にする技術はあるのにと疑問に思いますが、縄文時代から火が普及した「皆、火の起こし方を知って使っていた」 そうなると火を先に見つけ世に広める前は縄文時代の前から少なからず火を作る人がいました、身を守るために木で囲い「縄張り」を作って バリケードを作っていました。日本では火を入れて作る技術の次は調理。余った食料や腐らなくするための技術を使い長期保存するために、肉の保存は各国により特に「肉」の香辛料や材料や保存期間が違います。[ぬかずけ]ができるようになった時代が米が盛んにあった江戸時代で 主に塩で野菜を付けたのが一番先に開発をして、石器時代「刃物」とゆうものができ「魚や人、動物の骨を削り狩りをしていました」 一部では岩塩を見つけ叩き、すりつぶす「岩と石を使ってインディーアンの先住民がやっていた時代は縄文時代にもあったもで塩を作って 肉を干す保存方法をはじめに使っていた可能性があります
@寺田真弓-m6b
2 ай бұрын
ポンプ式井戸を幼い時に見た記憶 海外で今もポンプ式もある場所も
@sallysallysarah
2 ай бұрын
福岡市の旧市街にはおポンプ様と言うことで何ヶ所か災害時用を兼ねて幾つか手押しポンプが残っています。福岡市の江戸時代も人が住んでた所は手押しポンプを敷地内に残してる家が時々ありますね。
@buffalo7163
2 ай бұрын
9:04 実家では昭和60年になる辺りまでは、ガス炊飯器を使ってご飯を炊いていた。 とは言っても、画像のような炊飯器ではなかった。 いつも早起きしていた私が、前の晩に米を研いでおいて起きたら点火する当番になってた。
@真由小谷
Ай бұрын
19:10頃忍たま乱太郎の食堂のシーン(多分アニオリ)でこれ使ってた話あった… 時代考証がしっかりしてると実感
@風谷月夜
2 ай бұрын
祖母のうちはかまどでご飯炊いて炊飯器で保存してた そしてかまどでコメ炊いて正月には餅つきもしてました
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