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【密通の真相】豊臣秀頼 誕生の謎|本当の父親は誰なのか?【どうする家康】

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日本史サロン

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@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 10 ай бұрын
【今日の補足】 今日もご視聴ありがとうございます!補足解説をさせてください! 正妻寧々の認知について 当時の正妻の権限を考えれば、十分に可能性はあるということで紹介させていただきました。 当時は男性当主と正妻が認知しなければ、子供は存在しないのと同じになります。築山殿が結城秀康兄弟を認知せず、秀康に双子の弟がいたことが最近まで知られていなかったのもそれが理由です。正妻の権限なども含めて、詳しく説明していますので、こちらの動画(kzbin.info/www/bejne/moS8e5uPdpmBfK8)もお時間のある方はご覧いただければ嬉しいです。 今回紹介した新説には異論もあるかと思います。こうした視点・ユニークな説もあるということを知っていただければと思い紹介させていただきました! この時代は本当に研究が進んでいるので、今回紹介した説も議論が深まってより真相が解明されることに期待したいと思っています。 茶々の呼称について 5:07 で「御上様」を「おうえさま」と読んでいますが、黒田基樹氏の『羽柴家崩壊』に、「『駒井日記』に記述から「おうえさま」と呼んだことがわかる」とのことだったので、「おうえさま」と読みました。ただし、「御上様」は「おかみさま」という読み方もあります。「かみさん」の語源ですね。
@user-gq1lq1hp7n
@user-gq1lq1hp7n 10 ай бұрын
いろいろな説があり現状真実を限定することは出来ませんが、単純に淀以外に一説には何百人もいたともいわれる妾等に妊娠が確認されておらず、淀のみ都合よく何回も妊娠した、と言われている事実にこそ、最も焦点を当てるべきではないでしょうか?
@user-sl1md1gp3d
@user-sl1md1gp3d 10 ай бұрын
いつも解りやすい動画ありがとうございます。先週の朝鮮出兵も今週の茶々も知らないことだらけで本当に面白いです。近現代史しかやってこなかったのですが、中世や近世も改めて勉強したくなりました。
@cavalynjp
@cavalynjp 10 ай бұрын
他の女に産ませた子を寧々が認知しないという話ですが、生まれたのが男子なら後継者争いで問題になるとしても女子なら他大名とかとの婚姻関係の駒として使えるので、寧々の立場として女子も全て認知しないというのは不自然に感じます。 『結城秀康の双子の弟の発見』も永見貞愛が男子だったのが認知されなかった理由で、男子女子の双子なら認知に何の問題もないと思います。秀吉が普通に子作り出来ていたなら娘が全くいなかったとは考え辛いのではないでしょうか?
@munetika2
@munetika2 10 ай бұрын
この動画の考察は凄く面白く、ためになります
@HAJIME7382
@HAJIME7382 10 ай бұрын
「豊臣秀頼」に関する大河ドラマで僕が印象に残っているのは、「独眼竜政宗」で良く 母親の「淀君」に「私は本当に太閤・秀吉様の子供なのですね」と聞き、それに対して 淀君がその都度、頷くシーンですね。この時は、なんで秀頼はこんなにしつこくこんな 事を聞くのか理解出来なかったのですが、この密通説を知り「ああ秀頼は自分の出自に 疑問を抱いていたからなのか・・・」と理解した次第です。
@hiro-kichi517
@hiro-kichi517 10 ай бұрын
大野治長の父は信長に仕えており、治長と茶々は幼なじみで深い関係だったとか。朝鮮出兵時も親密だったらしい。
@ktad2263
@ktad2263 10 ай бұрын
すごく面白いです。歴史の話を聞いている気がせず、当時を生きた人の気持ちに思いを馳せることができます!
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 10 ай бұрын
ありがとうございます!同時代の制度・感覚で考察することが今回の狙いの1つでもあるので、非常に嬉しいです…!
@eventguide1306
@eventguide1306 10 ай бұрын
秀吉の正妻の北政所が全く別格あつかいで大事にされていたのはフロイスの本にも書かれています。しかしそれ以外の多数の側室はどうでしょうか。側室の中には信長の娘もいましたが何故浅井長政の娘が織田信長の娘よりも格上に見なされたのか? 浅井茶々が大事にされたのは只一点「子供を生んだ」という事に尽きるのではないでしょうか。その子供の父が誰であるかは別にして。秀吉にとっては子供というのは天恵と言っていいほど珍しいものだったので、まるで宝くじで一等が当たったかのように「捨」「拾」の二人の子は大事にされまくったのでしょう。信長や家康には子供が多数いたので子供には冷淡だったそうですが。
@user-ve5oj7le6c
@user-ve5oj7le6c 10 ай бұрын
某少女漫画では茶々の子の父親は秀次という設定でした。 これは秀吉の策で用済みになった秀次が殺されるというのは中々斬新で面白かったですね。
@AotoSusumu
@AotoSusumu 10 ай бұрын
密通説の理由の一つとして「秀吉は小男だったのに、秀頼は当時としてはとてつもない大男だった」というものがあるが、茶々の母の市や父の浅井長政が長身だったと言われていることから不自然ではない。
@user-fg3pj6xy9f
@user-fg3pj6xy9f 5 ай бұрын
秀吉の弟の秀長さんも確か背は大きい方だったとか
@user-vj4dr9ue9q
@user-vj4dr9ue9q 10 ай бұрын
秀吉は低い身分から成り上ったからこそ血を分けた肉親は多い方がいいわけで 寧々が認めなかっただけでというのは説得力が薄い気がする 密通というより私は積極的に名目上の秀吉の子を茶々に産ませようとしてたんだと思います
@user-rz4zk2ub7l
@user-rz4zk2ub7l 10 ай бұрын
「家康の御落胤」がいるのに「秀吉の御落胤」かいないのは、羽柴家が滅んでしまったことで、御落胤であることを主張するメリットがなくなるだけでなく、むしろ江戸幕府から目をつけられる原因になってしまう、という点が大きいと思います。
@m.i.9104
@m.i.9104 10 ай бұрын
江戸時代に入って豊臣の血筋を名乗ったのではと言う説で有名な人物に天草四郎が居ますね、徳川への反乱として名乗る以外には使い道は無さそうです。
@user-ll1ol5un4h
@user-ll1ol5un4h 10 ай бұрын
豊臣秀頼は大野治長が父親だと考えます。理由としては大野治長は茶々と若い時から付き合いが長い事と豊臣秀吉の死後なぜか急に出世して豊臣家の重臣になっています。目立った活躍もないのに片桐且元が追放されてからは豊臣家の完全な中心人物になっています。茶々との間はそれなりの関係があったと思います。
@coro5655
@coro5655 10 ай бұрын
ドラマでは名護屋に茶々が居ましたが、懐妊時大坂に居たのではないかという説もあるのですよね。となると… 来週の展開が楽しみです😊 先生、喉の具合はいかがでしょうか?ライブ配信、ご無理なさいませんように😄
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 10 ай бұрын
ありがとうございます!来週が楽しみですね!予告が不穏過ぎです…苦笑 ちなみに今回紹介した福田千鶴『豊臣秀頼』で紹介されている史料から茶々の懐妊時の場所は名護屋で確定みたいですね!(ただ、大野治長も名護屋にいるので、密通説の否定にはなりませんが…) ご心配ありがとうございます!なんだか一進一退ですが、先週よりはだいぶ良くなっています!だいぶ冷えてきていますので、@coro5655さんもお体にお気をつけてお過ごしくださいませ。
@HansSchmidt2006
@HansSchmidt2006 10 ай бұрын
いつも理解に役立つ解説を有難うございます。ドラマでは、秀吉も、家康も恨んで死んだ市の方の亡霊のように振るまう茶々。しかもあれほどの美女に迫られたら男ならだれでもフラリと道を踏み外しそう。家康はこらえたけど秀吉はまだまだ夢の中だと思う。次回が本当に不吉だし淀殿の最期がどのように描かれてゆくのか毎回目が離せなくなってきました。
@Hiroko_0409
@Hiroko_0409 10 ай бұрын
お疲れ様です。 来週の予告から、秀頼の父親は秀吉なのか??路線で行きそうなのかしらと思っていたので、この動画はグッドタイミングでした。茶々が側室ではなく、妻であるなら、秀頼は秀吉の子だろうと思いますが、ドラマとしては密通の子とした方が面白いですね。 北川景子さんの女狐ぶりが良かったです。今後も女狐ぶりに拍車がかかってきそうですね。元将軍の義昭、久々に出てきて、一番上に立つものの寂しさを語る場面、秀逸だと思いました。
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 10 ай бұрын
僕もドラマとしては密通の子としたほうが面白そうだと思います!(とんでもない復讐になりそうですね) 北川さんの茶々、本当のお市の方と同じ人が演じているのか?と思ってしまうほど別人で見入ってしまいます…!久々登場の義昭も良かったです!!
@yass313
@yass313 10 ай бұрын
寧々が承認しなかった説っていうのは、側室が子供を産んでいる記録が確認されてるんでしょうかね? 秀吉に実は子供がいたとしても、一切記録が残ってないとするとそれは不自然な気がしてしまうのですが…
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 10 ай бұрын
ご質問ありがとうございます。記録が存在しないことからの逆算です。戦国時代の一夫多妻制では、当主と正妻が認知しない子は存在しないものと扱われるため、記録が残りません。動画内で紹介した結城秀康の双子の弟が存在していたことが近年発覚したのもそれが理由で、①秀康が後に家康から認知されたこと ②秀康が双子だったこと という奇跡的な偶然のために記録が残りました。つまり、戦国大名は記録にない子供がいた可能性が十分にあるのです。
@yass313
@yass313 10 ай бұрын
返信ありがとうございます。 寧々が認知しなかった説って、生まれた子供が娘だった場合も認知しなかったということになるんでしょうか。 男児は跡取りになるので子供であることを認めない理由はわかりますけど、娘まで認知しない理由はないと思うのですが。
@m.i.9104
@m.i.9104 10 ай бұрын
長浜時代に石松丸と一女(名前不詳)が居たとされてますね(両人共に夭逝したと言われてます)ただ秀吉の淫蕩癖が無くなったわけではないのでその後にクラミジア感染で不妊になった可能性もあり得なくともないです(ねねが信長に秀吉の浮気癖の事を相談したのもこの時期辺りとされてます) あと秀吉が天下人になってから秀吉の身内を名乗る者が後を経たなかったとも言われてますので色んな所で秀吉が子種をばら撒いていた可能性も否定できないですね。
@azusa7512
@azusa7512 10 ай бұрын
茶々は豊臣家へ、江は徳川家へ じゃなんで初は京極家なのかと聞かれたことがあります 浅井三姉妹の実家である江北浅井氏が京極家の家臣の家臣筋なので実家の面目を保った型にしたのかなぁと思いました 京極家自体が室町幕府の四職、5カ国守護で佐々木源氏本流(多分自称)と言われており、かの尼子氏や黒田氏も京極家の家臣筋だし家禄や家柄からいっても結構な玉の輿だったと思いました
@m.i.9104
@m.i.9104 10 ай бұрын
淀殿懐妊に関しては祈祷師とか陰陽師の類が父親だと言う説もありますね(因みにこの祈祷師などは秀頼懐妊後に粛正されたと言われてます不妊の祈祷と称して子種をいただくと言うのは江戸時代にもあった話らしいです)この説に関しては秀吉が父無し子だった説もある事から何やら運命的なものを感じます。
@vjj8104
@vjj8104 10 ай бұрын
私もこの陰陽師説が有力だと思います。
@user-wk5pq8fn3h
@user-wk5pq8fn3h 7 ай бұрын
センゴクという漫画でもその説を採用してましたね。 個人的にはその方法なら竜や寧々も懐妊出来たのではないかとも思いますが、バレた時のリスクもありますし、あり得ない話でもないかなとも思います。 血の繋がらない息子のために、血の繋がった甥を根絶やしにしたかと思うと、秀吉は業が深いですね。
@user-px1gm7iv2e
@user-px1gm7iv2e 10 ай бұрын
秀吉の長男は「鶴松」ではなくて、織田配下の長浜城主時代に、側室との間に誕生した「石松丸秀勝」という人物が、秀吉の長男だと思うんですが
@s9156
@s9156 10 ай бұрын
すごく勉強になります。最近はドラマよりもこの解説動画の方が楽しみです。
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 10 ай бұрын
ありがとうございます!お褒めの言葉すごく嬉しいです!!
@sorakara7795
@sorakara7795 8 ай бұрын
秀頼の父親が誰?という前に 秀頼が大男だったという事は、茶々が大男だった長政の子供であったことは確定なんですかね。 次女なのに『お初』という名前を疑問視し、茶々は実は信長の子?説があると聞いたのですが。
@kvrg8582
@kvrg8582 10 ай бұрын
高台院公認の子が茶々のみだった説って鶴松絡みのエピソードから見てもちょっと無理あるよなぁ。 「豊臣家滅亡に際し、秀吉と秀頼には何一つ落ち度は無かった」という結論ありきでひねり出された牽強付会じゃね?と思ってしまう。
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 10 ай бұрын
コメントありがとうございます。 戦国時代の一夫多妻制の実態が解明されたのが最近なので、今後研究が進み他家の実態なども分かると寧々が茶々のみ認知したのが当時の常識的にもありえるのかなどもわかってくるのかなと思います。
@kaburimet
@kaburimet 10 ай бұрын
ないかもだけど、あったらという凄いという感じで。秀頼の父親が『家康』なら色んなロマンスがあるかなと思いますね。ある意味秀吉にとっても隠した真実として、かつての『朝日姫』『大政所』→『その説なら家康家臣の井伊直政を気に入っていたから大政所が口添えしてきそうな気がしますね。』達の様に家康という自分に従う足枷としての理由にできるし、家康の子供達がかなり優秀だったので、『おぎい達』の時の様にいざとなれば養子として継がせる事もできると思ったら譲歩したのかもという事を考えますし、そして茶々にとっても母お市が『柴田勝家』を夫とし『羽柴秀吉』の対抗策として欲した様にというのであれば思惑の一致があったのではないかという空論を立てて考えてみました。『大坂冬・夏の陣』でもなんだかんだ茶々(淀殿)や秀頼に譲歩案を提供するなどある程度生かす算段も立てていた事を論拠にしておきます。まぁドラマ『どうする家康』ならではのifストーリーとも言えますね。
@osakakawachi
@osakakawachi 10 ай бұрын
なんとかDNA鑑定とか出来ないものですかね~? 秀頼の娘である天秀尼の墓から遺骨を掘り起こして、秀吉の母大政所などの遺骨と遺伝子的な繋がりがあるかを調べてみれば・・・
@ApplemintGuitar
@ApplemintGuitar 10 ай бұрын
淀殿が好色で男漁りをしていたというのは、豊臣家を滅ぼした徳川方もしくは配下についた側が創作した話だと思う。 淀殿の周囲には秀吉からの指示による見張り役は隠密も含めていくらでもいたはず。
@user-wk5pq8fn3h
@user-wk5pq8fn3h 7 ай бұрын
天下人の嫁なら間違いなく24時間警護されてるでしょうね。 でないと簡単に人質にされますし。
@shin8305
@shin8305 10 ай бұрын
父親は大野治長だったという説もありますね。
@user-gi2ip2fn9e
@user-gi2ip2fn9e 10 ай бұрын
怨念の塊 茶々やからうまいことやってそう
@user-ed8pr7ox4i
@user-ed8pr7ox4i 10 ай бұрын
他の妻、前田の姫、京極竜子に子がいなかったことをどう説明しましょうか。二人とも他家で子を産んでいます。
@user-yl5wx5kb8j
@user-yl5wx5kb8j 10 ай бұрын
長浜時代の側室との間には2人程子供が居たとも言われてますね。 後の身分の高い側室達は、人質としての意味合いが強く、実はあまり関係を持っていなかったという見方もあります。
@user-oz1mb4pb5t
@user-oz1mb4pb5t 10 ай бұрын
子供が出来たと藤吉郎に告げて側室扱いになった女中と茶々のみが妊娠は不自然ですね。
@say5699
@say5699 9 ай бұрын
性に関する事は歴史では伝わらないので分かりませんが、現代の知識としては子供が出来ない原因は様々であり、必ずしも単一の原因であるとは言い切れません。
@user-oi5dt9tt8d
@user-oi5dt9tt8d 10 ай бұрын
中国の秦の始皇帝もそうですが、母と愛人の間の子というスキャンダラスなゴシップは昔からあり、もし事実なら面白いという下衆な感情に過ぎないでしょう。結局、人は「人の不幸(この場合、秀頼にとって)は蜜の味」なのです。
@user-vb4sb5cn5k
@user-vb4sb5cn5k 10 ай бұрын
鶴松と秀頼が秀吉の子ではなく、石田三成又は大野治長の子だという説が有力。中国の歴史始皇帝の実父説と類似している気がする。中国のドラマで始皇帝の母を主人公にした物語があったが悪女のイメージが感じなかった。
@user-qt3kf9pq7x
@user-qt3kf9pq7x 10 ай бұрын
日本史サロンさんは、秀吉側室(一応この名称で)×三百人説にはどうお考えですか?😅(出典はルイス・フロイスの【日本史】だったか・・・)もし、余裕がございましたら、『秀吉の妻妾・全部紹介』なんてモノも出して頂けると嬉しいです。😃
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 10 ай бұрын
フロイスは秀吉にかなり厳しい評価をしているため、数を盛っている可能性はありますが、それなりの数の妾はいたと思います!「秀吉の妻・妾全員紹介」面白そうですね!(あまり記録がないのが何点ですが…)
@jj-ic9ti
@jj-ic9ti 9 ай бұрын
淀殿以前に娘や石松丸という実子がいて早逝してるのだが それに秀吉だって莫迦じゃないんだからほかの男と密通などしないように室には信頼おける目付位ちゃんとつけてただろ ばれたら惨殺されるの分かっていてあえて密通するような物好きなんてそうそういないから 何とかして秀吉に実子がいなかったことにしたいみたいだけどちゃんと調べたほうがいいよ
@user-fc9ib9vd1f
@user-fc9ib9vd1f 10 ай бұрын
なるほど……そう言われてみれば、それは有り得る。 太閤さんは何人かの妾との間に子を何人か授かっていたが、その子達を公にすることを正室が拒否したので嫡男が存在しないことになっていたということか。 ということは、太閤さんの子孫が現代に存続している可能性もあるってことになる。
@mouse_eaters_channel
@mouse_eaters_channel 10 ай бұрын
私は茶々密通説は信憑性があると思いますね。 いくら浅井長政やお市や茶々が身長高めといっても、 140~150センチしかなかった秀吉から、195もある息子は生まれないと思う。
@user-jq7wz9cs4b
@user-jq7wz9cs4b 10 ай бұрын
茶々自体信長との近親相関でできた子という話もあって当時の観念で妹との間で子供をつくったからうつけものと呼ばれていたという事ですが
@user-fg3pj6xy9f
@user-fg3pj6xy9f 10 ай бұрын
でも信長様やお市の方特有のほっそり体質ですが、淀殿は浅井長政似のふっくらした体型だったそうです
@user-bi9yo8yj9g
@user-bi9yo8yj9g 10 ай бұрын
と言うことは秀吉の子孫はどこかにいるかも知れませんね。
@kN-bx1so
@kN-bx1so 10 ай бұрын
身長150センチ台と言われた秀吉から身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約161kg)の並外れた巨漢と伝わっている秀頼がさすがに産まれますでしょうか?
@husachiaki
@husachiaki 10 ай бұрын
体格については祖父長政の隔世遺伝説がありますね。 逆に大柄な親から小柄な子が生まれる事もあります。
@urasimatarou
@urasimatarou 10 ай бұрын
@@husachiaki お市も淀も大柄だったようですからね。
@say5699
@say5699 9 ай бұрын
戦後に日本人の平均身長が急激に伸びたのは有名な話です。貧しい下民の家に生まれ10で家を飛び出し長い下積みで野山を駆け回った秀吉公と、生まれながらの天下人の子として育てられた秀頼公とでは栄養状態が全然違いますな。
@Sugiura_Kenji
@Sugiura_Kenji 10 ай бұрын
「茶々の父親は信長」という説もありますね。茶々の妹の名前が「初」、浅井家の記録に茶々の誕生がない、等。「秀頼の父は秀吉ではない」説には、江戸時代の茶々を貶める空気に合いますが、「茶々の父は信長」説には、そういうデマを創作する動機が見当たらない、とか…
@user-tj9nd4lb6r
@user-tj9nd4lb6r 10 ай бұрын
茶々の父君は、徳川家康公です✨桶狭間の戦いの後、一時的に家康公とお市御寮人は婚姻してました。築山殿が二人の子とともに帰った時に、信長はお市御寮人を離縁させましたが、その時にはお市御寮人のお腹の中には子どもがいて、信長のもとで生まれたその姫を信長は茶々と名付けましたが、茶々の存在は秘密にして、初婚ということで、浅井長政に嫁がせました。浅井家が滅んでお市の方が信長の元に帰ってきて初めて娘がいたことを家康公は知りました。
@user-tj9nd4lb6r
@user-tj9nd4lb6r 10 ай бұрын
二人は気の合うとても仲の良い父娘になり、家康公は最も愛していた松平忠吉と武田信吉と同じくらい茶々を大事に思っていました。茶々は加賀殿と同じく秀吉とは肉体的な関係はありません。初めから織田家と徳川家の血をひく息子が欲しくて、茶々を忠実な家来の誰かと子供を作らせるために形式的に側室にしました。秀吉と関係があったのは、お市の方に最も似ていて絶世の美女であった茶々の妹浅井初子です。豊臣秀次が母と娘と両方関係を持ったことを畜生道と非難した手紙が残っておりますが、秀吉は姉と妹両方に手をつけるなんて事は嫌ってました。初子は側室にして他の男と子作りさせるなんて絶対に嫌だったし、初子は形式的に京極高次に嫁がせ、京極高次は初子には指一本さわれませんでしたから、この二人には勿論子はおりません。茶々とは肉体的な関係がなかったものの、やはり他の男とむつみ恋愛関係になられても困るし、醜い男では生まれた子が不細工では困るし、そこで目をつけたのが茶々の乳兄弟である大野治長でした。大野治長は背が高く、美男でしたが美童が好きすぎて妻帯していないガチホモでした。茶々も一緒に育った大野治長と子作りするなんて嫌でしたが、生まれた子が息子なら、天下人になれるし、豊臣家に跡継ぎができれば戦乱の世に戻る事はないと考え、承諾して加賀殿と同じく名目上だけの側室になりましたが、正しく言えば京極殿、三の丸殿と同じく第二夫人のような感じでした。
@user-tj9nd4lb6r
@user-tj9nd4lb6r 10 ай бұрын
大体、密通などしたらあらゆる所に情報網をめぐらせている太閤の耳に入らないわけがありません。そして、大阪城にいた女中や茶坊主、大勢太閤が粛清した事件がありましたが、お拾いが太閤が大野治長との間に作らせた秘密を知るものを大蔵卿局などの身近な者を除き、全員殺して口封じしたのです。
@user-tj9nd4lb6r
@user-tj9nd4lb6r 10 ай бұрын
豊臣家の重臣の暴走や秀頼出生の秘密が漏れ、徳川家と合戦するように脅された淀殿は、仕方なく徳川家と合戦をする羽目になりました。そうしないと秀頼を不義の子と言うことで親子の命が危なかったのです。夏の陣のときに、家康公は服部半蔵などの影のものに命じて、愛娘茶々と秀頼を脱出させ、二人は江戸で密かに暮しました。しかし、茶々が70歳で亡くなった時に、庇護者を無くした秀頼も二日後に自害したそうです。豊臣秀頼だという事がバレたら、幕府の徳川家の家臣に殺されるからです。これは、物凄く霊能力を持っているある方から聞きました。ちなみに太閤秀吉の現世の生まれ変わりは柳沢しんごさんで人たらしの木下藤吉郎って感じがしますよね。そして浅井初子の生まれ変わりは京本政樹さん、大野治長が恋い焦がれていて、茶々に頼んで豊臣秀次からもらいうけてくれと言っていた稀代の美童不破万作の生まれ変わりは京本大我さん、大野治長の生まれ変わりは俳優の故辻萬長さんだそうです。その他淀殿や崇源院、家康公は一般人の方だそうです。
@user-mn2hj2qe7n
@user-mn2hj2qe7n 10 ай бұрын
@@user-tj9nd4lb6r 徳川家康が茶々の父親だった?あり得ると思います。
@user-xm6kb4pz2p
@user-xm6kb4pz2p 10 ай бұрын
こんばんは
@user-wk5pq8fn3h
@user-wk5pq8fn3h 7 ай бұрын
秀長さんも実子2人で長男は幼くして死んでるし、こういうのって兄弟遺伝するものなの? 跡取り居ないから子作りは励んでたと思うけど、、、
@user-mv7yw5go2y
@user-mv7yw5go2y 10 ай бұрын
医学の観点から、秀吉の遺伝子が秀頼に受け継がれているとすると、全く突然変異的に、小柄で華奢な秀吉から、大柄で丸々とした秀頼が生まれてくるとは考えにくく、ここが大いに秀吉・秀頼父子の遺伝的つながりに疑問を抱かせる点ですね。また、当時の正妻寧々の権限が非常に強く、別腹の子の存在を認めなかったとしても、それらの子どもについて、全く記述がないとか、妊娠した様子も堕胎させた様子も出産を思わせる記録・資料も見当たらないというのはやはり奇妙です。 別腹の子の存在を秀吉が知らず、寧々の言うままに始末したというのも、全く記録に残らないというのが不思議であり、不自然な気がします。 時代は遡りますが、鎌倉時代には、ある位の高い武士が自分の家に泊まりに来た時、ホスト役の武士は、妙齢の女性をその賓客にあてがい、共に一夜を過ごさせたといいます。実は、それはホスト役を務めた武士の新婚の妻だったことが後で分かった、という話があります。武家の時代には、妻を別の男性に種付けさせることが行われていたと書物にも記述がありますが、果たしてどうだったのでしょう。 秀吉・秀頼父子の細胞などが残っていたら、DNA検査等で調べて関係性を把握することができたでしょうが、今となってはそれも困難ですから、真相は藪の中ということになりそうです。
@user-mm4gq6nt4g
@user-mm4gq6nt4g 10 ай бұрын
茶々の体格はかなりデカかったし、秀吉は貧しい出なので栄養状態も゙当時はかなり悪かったし、秀頼とは育った環境が違うと思います。 秀頼は秀吉の子だと思います。 最も溺愛した茶々に手を出したら一族皆殺しにされると思います。
@say5699
@say5699 9 ай бұрын
秀吉にバレたら皆殺しですが、バレずに子が出来れば豊臣家のためになる・・と考えても不思議ではないかも。別の大河では、片桐且元が密かごとを知っていたけど黙認していた事になっておりました汗
@user-wk5pq8fn3h
@user-wk5pq8fn3h 7 ай бұрын
40年くらい前に秀頼の首出土してなかったっけ? 秀吉と孫娘の墓も残ってるはず 秀吉公の名誉のためにもぜひDNA鑑定してほしいですね。
@user-xv6bq5lq8s
@user-xv6bq5lq8s 2 ай бұрын
別の歴史チャンネルを運営している人が医学的な見地からすると秀頼の父親が秀吉でないのはまず間違いないって言ってましたがどうなんでしょうね?
@user-nu4el1pe2d
@user-nu4el1pe2d 10 ай бұрын
諸説有る様ですが、石田三成の子とか?大野治長の子とか?有る様です。
@user-gp9nv1fl8l
@user-gp9nv1fl8l 10 ай бұрын
儀式として生まれたんじゃないですか?
@user-zm3mj1gm5o
@user-zm3mj1gm5o 10 ай бұрын
今だったら すぐわかる話ですが、もし密通だから 茶々は、大胆な女性で、カッコいい。アン ブーリンは、男の子を流産したため、不義の濡れ衣で夫から処刑されました。が、伝説通り不義をやってたら、処刑を免れめでたしめでたしにならないのが、茶々の運命ですね。大阪夏の陣  スケールでかすぎる中で亡くなる茶々。なかなか天寿をまっとうするのは、難しい時代です。
@user-nm5sk9qz9p
@user-nm5sk9qz9p 10 ай бұрын
真相は、わからないですね😂
@user-kt5kv8oo4l
@user-kt5kv8oo4l 10 ай бұрын
十分納得性の高いものだった。
@kazukazujcc
@kazukazujcc 10 ай бұрын
寧々が北政所と習いましたが、違うのでしょうか。淀君の方が、寧々より権力があった というのが、豊臣家滅亡の遠い原因ではないでしょうか。他の大河ドラマでは、 淀君は、大野治長と密通している場面があります(乳母が治長の母というのは案外当たって いるかも。。
@m.i.9104
@m.i.9104 10 ай бұрын
最近言われてる説ではねねが序列一位で茶々が序列二位と言われてますね、秀吉死後ねねは秀吉の菩提を弔う為に高台院を名乗り仏事に専念して茶々は秀頼養育に専念していわば役割分担をしたと言われて連絡も密にしていたとされてます、大阪落城の際にねねが家康に◯されるとばかりに裸足で逃げたなんて話もあります。
@user-hy6ml1jh7v
@user-hy6ml1jh7v 10 ай бұрын
当時の名前は,茶とか ねとか,漢字や 平仮名1字が普通だったそうですね(⁠◡⁠ ⁠ω⁠ ⁠◡⁠) ただ 呼ぶ時に 不便だから,お寧様とか 寧々様とか呼んでたみたいですね ちなみに お寧さんと茶々さん,2人が正室扱いされてたみたいですよ(⁠◕⁠ᴗ⁠◕⁠✿⁠)
@m.i.9104
@m.i.9104 10 ай бұрын
一時期手紙等で書かれた女性の名を書く時一文字が多かったのが根拠だけど家系図等に残っている者に関しては一文字の名の者が居なかったので最近ではその説は否定されていて手紙では親しみを込めて略字で書いたと言う説が有力とされてます(有名な所では女性への手紙は信長→のふ の略称を自ら用いてますね)
@user-xy1eq1jo7h
@user-xy1eq1jo7h 10 ай бұрын
やっと理解できました。一夫多妻だったんですね。しかし、他の妻(前田、京極)は再婚して解任 したり既に、出産経験がありました。彼女たちはただの人質たったのでしょうか?
@onnetotaki
@onnetotaki 10 ай бұрын
重要なのは茶々の子、正統なる織田家の血筋を残すことであり、ことさら秀吉の種でなくともよかったのでしょう。 だから茶々の密通と言うより、サンデーサイレンスのような優秀な種馬が必要だったのですね。 父親は歴史上に現れない人物で、秀頼が成長して父親に似てきては困るので、石田三成や大野治長ではないと思います。
@gt2285
@gt2285 10 ай бұрын
密通ではなく、秀吉公認で大野治長に種付けさせたということは無いんですかね? 関係者3名以外には秘密で。
@say5699
@say5699 9 ай бұрын
性に関する記録は歴史に残らないので証拠は出ないでしょうけど、「種付け」は当時の知識や技術でも可能であったはずで、あったとしても何ら不思議ではないと思いますね。
@urasimatarou
@urasimatarou 10 ай бұрын
そもそも秀吉に密通がばれても平気だというような剛の者がいるはずがないし、秀吉は秀頼が可愛くて溺愛していた。秀吉の子の可能性が極めて高い。 秀吉は種なしと言われているが、長浜城主時代に南殿という側室に子が生まれている。
@user-cu2dh3tl1y
@user-cu2dh3tl1y 10 ай бұрын
それにしても次回タイトルの「秀吉くたばる」はなんて秀吉を蔑む命名なんだろうと思う 確かに秀吉は晩年やらかしばかりですがそんな貶め方はどこか変ですよね
@m.i.9104
@m.i.9104 10 ай бұрын
くたばるの語源調べたけど 今の意味合いになったのは江戸初期みたいですね、くたくたとへたばるの合体語とか朽ち敗るの略とか腐るにばるが付いたとか色々説があります。 平安時代には「やせおとろえる、ひどくつかれる」と言う意味合いで使われた様です、まあ来週を見ないと判断しかねますが今回の大河は一定の視聴者を食ったような事を結構している様にも見受けられますね。 (今回の件も史実云々言う人がこのタイトルをまさか江戸時代以降の意味で解釈しないよね的なやつ)
@osakakawachi
@osakakawachi 10 ай бұрын
確かに今作は秀吉蔑視が酷すぎますよね~。 唐入りも、歴代中華王朝が長年日本を下僕国扱いしてきたのを、明王朝に日本を対等な国として認めさせるために行ったと最近は言われてます。 秀吉はまさに日本の将来のために唐入りをしたと言えるんです。
@say5699
@say5699 9 ай бұрын
唐入りの動機については現代的なイデオロギーに汚染され過ぎていて、左に寄ったり右に寄ったりで諸説が割れているようです。推論ではなく具体的な根拠が必要ですね。
@say5699
@say5699 9 ай бұрын
はっきり言ってしまえば、一昔前の唐入り論は戦後教育の一環として日本軍の侵略行為として語られた。現在の唐入り論は、嫌韓・嫌中や民族主義と結びつけられて語られる場合が多い。
@user-wk5pq8fn3h
@user-wk5pq8fn3h 7 ай бұрын
​@@osakakawachi 3英雄は皆偉人に描いて欲しいものです。 近年に家康は老獪な狸親父のイメージが薄れていってるのに対して、秀吉の晩年は貶められてばかり……。
@user-pz2oe1jf2r
@user-pz2oe1jf2r Ай бұрын
秀頼は石田三成の子だと、言われていた時代もあったそうで。
@user-cw5rt3ye4k
@user-cw5rt3ye4k 10 ай бұрын
わからない
@say5699
@say5699 9 ай бұрын
一つ言えるのは、昔は夜這い・密通は割と普通にあったという事。。現代では法律で禁止されていま(すが、・・・汗) それに、性に関する秘め事は歴史としては伝わらない・・でも同じ人間なのだから、現代にある事は過去には確実にあったはず汗 淀殿も含め、20代30代の性の盛りの者たちがひしめき合う大坂城。何があっても別に全然不思議じゃないと思う。
@user-bl3gs4sk8u
@user-bl3gs4sk8u 10 ай бұрын
密通した証拠なんかないだろう それいったら家康の子供だって実の子じゃないのがいる可能性がある 大体側室等には信頼置ける監視役やらつけてただろうし密通なんかがばれたら即惨殺だろ 秀吉だけやたら実子じゃないことにしたいのか意味がわからん
@user-zw4oo2ez9j
@user-zw4oo2ez9j 9 ай бұрын
正妻が認めてない子も居るとの認識がある当時、秀吉の子で無い噂があった。。。何故でしょう?
@user-cp5id3ng9z
@user-cp5id3ng9z 4 ай бұрын
茶々と大野治長は幼馴染で一緒に育った仲なんだよねえ 一番近しい異性同士だったわけで
@user-hd5ug2ub5z
@user-hd5ug2ub5z 10 ай бұрын
托卵だと思ってます!
@user-iw4gi7og6d
@user-iw4gi7og6d 10 ай бұрын
鶴松は秀吉の命での托卵であるのが公家の記録にあり秀頼誕生の際、浮気による懐妊に秀吉は寧々には秀頼は実子ではない事を伝える手紙、茶々には激怒の手紙を送った上で彼女に仕えた侍女たちを監督不行き届きで処罰したそうです。 長浜城主時代、秀勝という嫡男が居ましたが秀勝も元々他の男の子供を身籠っていた側室から生まれた子で実子ではなかったんじゃないかと思います。
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 10 ай бұрын
コメントありがとうございます! >秀吉の命での托卵であるのが公家の記録にあり秀頼誕生の際、浮気による懐妊に秀吉は寧々には秀頼は実子ではない事を伝える手紙、茶々には激怒の手紙を送った上で彼女に仕えた侍女たちを監督不行き届きで処罰したそうです。 ちなみにこちらの根拠となる論文等ご教示いただけないでしょうか?僕の見落としの可能性があるので教えていただけると嬉しいです!
@say5699
@say5699 9 ай бұрын
そのような記録が実在すれば歴史的大発見ですが、そのような大発見のニュースは聞いたことがありません汗 まあどっかの創作物に書かれていたのか、想像の産物なのでしょうね。。
@user-iw4gi7og6d
@user-iw4gi7og6d 8 ай бұрын
@@nihonshi-salon ようやく思い出しましたがそれが書かれていた物の1つは服部英雄氏の「河原ノ者・非人・秀吉」です。
@user-iw4gi7og6d
@user-iw4gi7og6d 8 ай бұрын
@@say5699 服部英雄氏の「河原ノ者・非人・秀吉」他、うろ覚えですが他の動画でのコメントで公家の日記だったかに秀吉が儀式を行ったということいました。(肝心のどこの記録だったか書かれていたタイトルは忘れてしまったのですが) ただの妄想の産物だったり司馬遼太郎などの小説から引用したわけではありません。
@user-qi2rx2jb2f
@user-qi2rx2jb2f 10 ай бұрын
秀吉が織田・浅井両名家の血筋を自分の後継者にする=複数の男に茶々を輪姦させ、その男達を殺し父親が誰か判らないようにしたって、ちょっと信じ難い説もある。
@user-bk6ke7ct6b
@user-bk6ke7ct6b 10 ай бұрын
まぁ普通に考えれば 自分の親を◯ろした男の世継ぎなんかを産みたいなんて思わないよね。茶々としては 他人の子を秀吉の後継ぎとする事で 親の復讐を果たしたつもりだったのかもね。
@say5699
@say5699 9 ай бұрын
秀吉の子を産んで、その子が後を継いで天下人となれば、浅井家の再興も可能だったでしょう。どうする、では端折られましたが、別の大河ではそのような描写もありました。
@yasuosatou5240
@yasuosatou5240 10 ай бұрын
あくまで妄想的推測でしかありませんが、茶々の基本的願望としては、本気で秀吉の跡取りを生みたかったのでしょう。でも、ある時点から妊娠出来ないのでは?!を感じ出した茶々は、秀吉に内密に優秀な子供を妊娠させてくれそうな家来、武将に接近し、現代風に言うなら肉体的不倫をして妊娠していた可能性はあるやも?!と推察される。その中で最有力の一人が徳川家康の可能性が有った……しかし、ていよく避けられるように断られた為、新たなる男を見つけ、唯一、優秀だったと言われている息子を妊娠、出産したのでは?!と推察される。でも、基盤は本気で秀吉を愛していたかは別にしても、本気で秀吉の跡取りを産みたかったのは真実だと思われる。又は、秀吉の妻となる時点で初代正妻から事前に、秀吉が子供を作れない事を聞かされていて、跡取りを作る為に秘密裏の浮気計画を企んでいた可能性も有り得ると妄想される。実は茶々は世間の想像以上に策略家だったのかも知れない。それでも茶々は秀吉の跡取りを産みたかった想いは強かったのかも知れない。
@user-nm9fi7nk5y
@user-nm9fi7nk5y 10 ай бұрын
DAIGOが父親
@KY-yb5gr
@KY-yb5gr 10 ай бұрын
今だって、いくら他の横綱に似てるからと言って本人に言う馬鹿はいないし。ただ、周りは色々思うだろ。
@KK-of6hj
@KK-of6hj 4 ай бұрын
鶴松、秀頼とも密通?
@desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e
@desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e 4 ай бұрын
そこは?(´・ω・`)?前田家の摘男だった前田慶次が実は滝川氏の子ってくらい異様な事だからな(・ω・)v前田慶次の父親が滝川氏の奥方を気に入って貰ってしまう事から始まってしまうぬ( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン慶次の母は滝川氏の奥さんだったぬ( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン
@kanonyork4197
@kanonyork4197 8 ай бұрын
私は秀頼は石田三成の子だと思ってる。
@majojuke
@majojuke 10 ай бұрын
秀頼は背が高かったはず。父親は外人ではないのか?
@user-ko7lv3ip7u
@user-ko7lv3ip7u 10 ай бұрын
肖像画の衣類から推測する方法だと茶々が身長が高い女性だった(164~172cm)って言われてますから母親に似たのではないでしょうか?
@user-yf8jl1tt9l
@user-yf8jl1tt9l 10 ай бұрын
寧々以外の数いる側室に子ができていたのなら、 当時の秀吉の権力なら、後継者に認知させていた と思う。茶々の子は認知したのだから。生まれた子が 男子ではなかったのかもしれないが、実子をさしおいて 秀次を後継者に任命するのは、秀吉の性格からしてしな いかな?と思う 若いころから秀吉はあちらことらで精力を使い果たし、 晩年に茶々に子ができた…いうのもやはり疑わしい。 家康のように身体をケアしてこなかったと思う。 しかも秀吉が晩年の時だし。 また、秀頼は結構大柄な男子だったと聞いたことが あり、そのあたりも大野治長似なのではと思う。 秀次が先走って切腹してしまった…というのは 「真田丸」でもその説をとったシーンがあったので、 やはり最近の研究では「秀次先走り説」が有力視 されているのかなと思う。
@user-ip7gp2ji6h
@user-ip7gp2ji6h 10 ай бұрын
石田純一も60代で仕込んだよ。 でも、秀頼の親父は石田三成ですね。
@user-ry4lh4ru8v
@user-ry4lh4ru8v 8 ай бұрын
元々茶々は、浅井の子ではない、なぜなら、茶々 初  江与と名前は、つけません。茶々は、お市の方の連れ子とおもわれます。 この時代悲しいかな?女性は、政略結婚が多く再婚で、浅井に嫁いだと、、、 又茶々だけが、秀吉の子を産んだとされますが、大野治長の子と思われる。何故なら最後まで茶々と秀頼に付き添い大阪城で、自分の母と一緒に、命果てました。治長、治長の母、茶々、秀頼、ひと家族全員で、あの世に旅立ったのでしょう。因みに治長と茶々は、乳兄妹です。
@user-zr5jo3xf6c
@user-zr5jo3xf6c 10 ай бұрын
38話で茶々が家康に寄り添っているのを視ると、秀頼は家康の子どもではないかと思いますよ?
@say5699
@say5699 9 ай бұрын
別の大河では、関ヶ原から無事帰還した大野治長の胸に飛び込んでスリスリして泣いておりました。
@00237046
@00237046 10 ай бұрын
あれだけ側室がいて子が出来ないってことは、秀吉はいわゆる無精子症だったのだと思う 茶々は乱行パーティして、そのメンバーを闇に葬ったと言われてますし、托卵でしょうね
@say5699
@say5699 9 ай бұрын
性に関する事は歴史では伝わらないのでアレですが、例えば若い頃に戦場で性器に損傷を受けたとか、当時は割とあったかも知れませんね。
@user-qi5cv1of7v
@user-qi5cv1of7v 10 ай бұрын
本当の父親は大野治長! 肥前の陣にて密通! 翌年に秀頼(拾)が誕生!
@nagoyashimin569
@nagoyashimin569 10 ай бұрын
蓮如なんて83歳で子供作っているからね。 於次丸秀勝が生きていたら淀が側室に入る必要も無かったかな。
@hamham3601
@hamham3601 10 ай бұрын
秀頼誕生については 計算に合わず大坂城での密通が あったと思われますね。 と言うより茶々が産んだ秀頼は 成長すると体格が大きく秀吉の血を 引くとは思えないようだったと伝わってますね。 長男は病死なので身体が弱かった ようなので秀吉の血を引いていた 可能性がなくはないでしょうが 寧々や他の側室との間に子が 出来ていないので、秀吉に子種 が無かった可能性もありそうか。 遺品か墓の中の骨等からDNA鑑定 が出来たら親子関係が判明しそう ですが、、、、。
@55tomokun66
@55tomokun66 10 ай бұрын
これはゆるせん いかがなものかと脚本に激怒したよ 多分来週から見るの止めるよ(´・ω・`)  淀君に対する侮辱 なんかNHKっておかしくなった
@kmax210
@kmax210 10 ай бұрын
茶々168㎝、60歳秀吉140㎝から秀頼190㎝が生まれた伝説あるが、常識的には奇跡が起こらない限り無理でしょう。
@desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e
@desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e 4 ай бұрын
ちなみに歴史調べて同じ様な事が?徳川家も?あったな(・ω・)v徳川吉宗さん?あの人が?同じ事が起きてるぬ( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ンただ?あの人って!?もっと複雑だよ(・ω・)v其の時の紀州徳川家って?そんな力がある藩じゃないからな(・ω・)v結構!?其の辺りは徳川吉宗自体が?かなり引っ張って人気や?藩の力を上げたんじゃないか?思うな(・ω・)v
@user-rg9rg3qb8c
@user-rg9rg3qb8c 10 ай бұрын
秀吉 手の指が、六本とか、言われてます!(¯―¯٥) 異人か? 遺伝子的に、普通に人間の子供は、無理だったのでは? 秀吉の兄弟達も、本当に兄弟なのか?
@urasimatarou
@urasimatarou 10 ай бұрын
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