ホンダ出資でF1に参戦した弱小チームの悲惨な最期がヤバい【解説】【スピリット】

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モーター天国

モーター天国

Күн бұрын

Пікірлер: 99
@butchan45
@butchan45 17 сағат бұрын
スピリットはホンダF1復帰の踏み台にされて終了した不憫な歴史を持つチームでしたね。 ホンダF1復帰に貢献した裏での闇の部分を見た気がします。
@bailout68000
@bailout68000 28 күн бұрын
4:09 この頃すでにヨハンソンはB級ドライバーの風格を持っていたのかw
@quakerstatemotoroils
@quakerstatemotoroils 2 жыл бұрын
「引っこ抜いたりちょん切ったり、派手にやっていたから、相当恨まれただろうね」とは、川本氏、当時を振り返っての弁。 後年もスピリットにHONDAロゴがありスポンサードしてると思っていたら、ハートエンジンの提供だったのね。 勉強になりました。
@user-jb23v
@user-jb23v 3 ай бұрын
二輪でもヨシムラが同じ憂き目に遭い、幸にしてスズキとタッグを組めたから復讐を遂げることができた。
@しゅんしゅん-f1h
@しゅんしゅん-f1h 2 жыл бұрын
82年、F2鈴鹿のレコード、1分50秒台を47秒台にしたマシンがスピリット。最終戦の予選、ヨハンソンは異次元の走りだった。
@たかすきじんさく
@たかすきじんさく Жыл бұрын
話はF1から逸れてしまいますが 今のホンダを支える売れ筋車種がN-BOXというところに時代の流れを感じます。。。。。
@dai5919
@dai5919 3 ай бұрын
しかも、NBOXシリーズの生みの親で仕掛け人が元F1責任者の浅木泰明氏
@shiwohira-ct6gu7fs6w
@shiwohira-ct6gu7fs6w Жыл бұрын
栄光の裏に陰あり。 興味深く拝見致しました。
@ショーン羊-b5u
@ショーン羊-b5u 2 жыл бұрын
僕はスピリット/ホンダ 201CがAS誌で取り上げられた頃からモータースポーツに興味持つようになりました。ステファン・ヨハンソンさんの走りは1984年のJAF GP F2で見ました。この時ビックリしたのはヨーロッパF2遠征組のロベルト・モレノが鈴鹿を初めてはしるというのになんと予選ポール。「おいおい、日本人ドライバーは何やってんの?ってちょっと腹立たしく思ったのを覚えてます」。すいません、話が逸れました。
@3宮崎
@3宮崎 Жыл бұрын
あの頃、日本と海外の差は本当に大きいと感じていました。経験の差が大きかったのだと思います。 バブル経済は批判的に語られますが、日本人が外国で経験を積む機会ともなりました。企業や選手たちが海外で経験を積み、そこから得た情報が国内に伝えられ自信ともなり、海外との差も縮まったのかもしれません。 そして近年、様々な分野で日本人や企業が世界で活躍しています。 モータースポーツは、日本の成長を可視化して見せてくれた舞台なのでしょう。
@犬勘太
@犬勘太 2 жыл бұрын
11:41のF3000は1987年終わりに「スピリットトムスチーム」というチーム名でヤマハのox77エンジンの使用を検討していたのが、急に88年以降5バルブ以上のエンジンの使用禁止というレギュレーションが決まってヤマハエンジンが使えなくなったとか言う話があった様な…。それで88年の鈴木亜久里はヨーロッパF3000ではDFVエンジンのマシンで走ったはず(日本のF3000では猶予措置で88年に限り5バルブ可になり、亜久里はムーンクラフトMC-030/マーチ87B/レイナード88Dのヤマハエンジン搭載マシンで出場)
@flyers8924
@flyers8924 2 жыл бұрын
80年に創刊されたAUTO SPORTS optionの見開きグラビアが ホンダV6エンジンのアップだったの思い出しました
@shingoyoshikawa7594
@shingoyoshikawa7594 Жыл бұрын
ホンダ第1期最後のエースドライバー、サーティーズさんはレースから完全撤退したあと中村良夫と川本の縁で本田自動車のディーラーを経営し実業家としても成功したのです。 人の縁はレースの世界だけではないのです。
@鳥海誠-i4o
@鳥海誠-i4o 10 ай бұрын
1983年の鈴鹿で開催されたレーシングカーの催しで、スピリット201Cが日本初登場しました。 その時、ピットガレージに入れられていた201Cの写真を撮っていて、スタッフから怒られて慌てて逃げ出した記憶があります。
@kensiro8740
@kensiro8740 2 жыл бұрын
恩は仇でかえす  ヨシムラ対宗一郎 いっぱい出てきそうっすね
@亀より遅い
@亀より遅い Жыл бұрын
私もヨシムラを思い出しました。ホンダって、こういうところありますよね。
@sugarmoon21
@sugarmoon21 2 жыл бұрын
当時丁度ホンダで働いてましたから今回は川本さんを久しぶり見ました。スピリットのデモランは見た事ありますよ。一般社員にも極秘でF1復帰が動いたようです。F2でスピリットとジョイントした時に今度こそはいよいよ復帰するんだな、って同僚と話したものです。スピリットも一旦退いてF2に戻れば良かったんですけどね。古巣であるマーチカーズも歴史から消えちゃって寂しいと思ったりしました。
@孫悟空-q5i
@孫悟空-q5i 2 жыл бұрын
スピリットF1 やっぱり、HONDAと共にインパクト有るのは ステファン・ヨハンソン
@あおくろ-d5o
@あおくろ-d5o 2 жыл бұрын
スピリットはホンダに上手く利用されましたねー。
@湯婆婆パパ
@湯婆婆パパ 2 жыл бұрын
スピリットは84年のリオテストで(どこまで本気だったかわからないにせよ)復帰にらんでエマーソン・フィッティパルディが乗ったんですよね。 結局戦闘力の低さから実現しませんでしたが、テスト時にはミッキーグーフィーパナソニックのスポンサーが貼られたファニーなデザインでした。開幕にはすべて離れましたが。
@小関健一-c1k
@小関健一-c1k 2 жыл бұрын
知らなかった歴史ありがとうございます‼️
@honehone5471
@honehone5471 2 жыл бұрын
ヨハンソンは確か首位を走ってる時のゴール前にチームオーダーでチームメイトに譲ったら、それっきり優勝のチャンスは訪れなかったとのこと。 運命の分かれ道だったのかな?
@fjkden7951
@fjkden7951 2 жыл бұрын
スピリットホンダを知ったのは1990年に少年ジャンプの中にホンダの広告にF1の歴史が掲載されて知りました。スピリットホンダのカラーリングとpowered by HONDAのロゴがカッコ良く見えてましたが、エピソードを知り大変だったんだなあと動画を見て思いました。 スピリットホンダがあったから後にウィリアムズ、マクラーレン、ロータスの活躍があったと思いますがスピリットホンダは可哀想だなあと思いました。
@緋鯉心愛姫
@緋鯉心愛姫 11 ай бұрын
スピリットホンダって 聞いた事無いですね。
@t130co4
@t130co4 2 жыл бұрын
いつも濃密な歴史の1ページをありがとうございます。 今回も安定の高クオリティ、素晴らしい。
@komakoma2698
@komakoma2698 2 жыл бұрын
去年末にホンダウエルカムプラザに展示されていたものをマジマジとみてきましたが F2のシャーシにエンジン周り、サイドポッド周りをターボ仕様に強引に改造した感じでしたね でも剝き出しなターボチャージャー等が見れて楽しかったです
@KojiOmura0831
@KojiOmura0831 2 жыл бұрын
ホンダの蜥蜴の尻尾切り感がなぁ。甘い誘いをかけておいて直ぐに関係を断ち切る姿勢がね。約20年後のスーパーアグリとの関係にも通じるものがありそうな。
@sabbathblack568
@sabbathblack568 Жыл бұрын
​@@aresama5942 その言葉遣いは、ホンダ信者ですね♪
@user-hl9pq7tokusoutai
@user-hl9pq7tokusoutai 3 ай бұрын
余りに酷いチーム運営に川本さんがキレただけ😅
@international-F3000
@international-F3000 3 ай бұрын
今のレッドブルも似たような感じ
@toshimitsuhishinuma7657
@toshimitsuhishinuma7657 2 жыл бұрын
もてぎのコレクションホールにあるね。
@realfordf1865
@realfordf1865 2 жыл бұрын
当時ガキだった自分は今ほどF1の情報が無い中雑誌とか立ち読みしてホンダがF1に復帰!って興奮してた記憶が。 数年前もてぎのホンダコレクションホールに他のホンダエンジン載せたF1達の横に展示されてたスピリットのF201C見つけた時はちょとウルっと来た。
@Flatout-asario
@Flatout-asario 2 жыл бұрын
懐かしい名前がたくさんあって楽しめました。
@475aqua4
@475aqua4 2 жыл бұрын
途中参戦した1983年のオランダで7位に入ったのは褒めても良い。 今のルールだったらポイント獲得。
@user-td2nr4ni3
@user-td2nr4ni3 2 жыл бұрын
あの時代で参戦初年度でいきなり一桁台ですもんね💦👍 以前の参戦が葉巻型からでスピリットもチャレンジというのも考えればすごい💦
@neokaazu
@neokaazu 2 жыл бұрын
これがホンダがF1を「走る実験室」と呼んでいた所以か・・・
@稲田弘行
@稲田弘行 2 жыл бұрын
1983年の新聞広告でスピリッツ・ホンダでホンダがF1復帰した事を知った。 そこから自動車レースを追いかける様に… まだメディアが自動車レースを全く取り上げていない時代で、 次の年、ダラスのアメリカグランプリでウィリアムズ・ホンダ優勝で いつの間にかスピリッツが消滅していたのが悲しかった思い出…
@chosenasagao
@chosenasagao 2 жыл бұрын
「汚れた英雄」の四輪版と言える話で、大薮春彦の「アスファルトの虎」では、「シャーシがパワーに負けてガタピシと走るスピリットホンダ」みたいな書き方をされてたと思う。 因みに、小説の内容も、途中からハンティングがメインになり、スピリット同様に途中打ち切りされたグダグダ。
@Major_Grace
@Major_Grace 2 жыл бұрын
ホンダに捨てられと書いてありますがF2でいいなら協力するよと言ってる辺り 最低限の情けはかけてあげてるのが日本人特有の義理人情を感じさせます
@CB750F-RC04
@CB750F-RC04 2 жыл бұрын
ホンダに利用された挙句に用済みになったら(ハートエンジンは買ったけど)サヨナラされてしまうとは、可哀想な気もするけどこれもモータースポーツのひとつなんですよね😢 F1初参戦のスピリットのカラーリングは往年のHRCカラーみたいでカッコいいですね(マシンは不細工ですが、、) 確か2016年のマノーレーシングもこんなカラーリングで懐かしさを覚えました(^^)
@osamu8133
@osamu8133 2 жыл бұрын
結構好きです ゴチャゴチャしたデザインもね
@jacksonhead.sl2
@jacksonhead.sl2 2 жыл бұрын
ラルトに不満?ヨーロッパF2で無双じゃなかった?全日本F2ではとあるマーチにマーダーチューンのBMWに追っかけ回されていたけど。 まぁジェフリースはF1では鳴かず飛ばずだったけどステファンヨハンソンはその後活躍して良かったかと。 とにかくあの車で7位完走も凄い事だと思いますよ。
@ミヤタツ-t1d
@ミヤタツ-t1d 2 жыл бұрын
5:00こうして見るとタイヤが無ければゲームのFzeroのようなマシンやねー
@zmaster432
@zmaster432 2 жыл бұрын
哀しい話ではあるけど、これがF1の厳しさであり現実であるということ。 力なきもの、銭なきもの、そして運なきものは追われるのみ。
@shigeo8334
@shigeo8334 2 жыл бұрын
さすがにF1になると車体の方まで面倒見るのは無理だし、ホンダとウィリアムズの利害が一致したからスピリットは切られただけ。 ただ、ホンダは手切れ金みたいな『飛ぶ鳥跡を濁さず』をする会社だけあって、88年にウィリアムズにジャッドエンジン支払いやブラウンGPに活動費を充てたりするのは日本人らしいのかな。
@ロードスター乗り
@ロードスター乗り 2 жыл бұрын
充分な資金を渡したにも関わらず、ちゃんと使ってない事が発覚したので打ち切ったと、当時の責任者(で後の社長)がインタビューで語ってましたよ。
@crankyfranky9801
@crankyfranky9801 2 жыл бұрын
せっかくラルトから乗り替えたのにできたF2マシン見た目からして空力悪いもんな さらに転用したF1マシンも排熱問題があるにせよモノコックからうしろエンジン全部剥き出しで サイドポンツーンも文化祭の工作みたいな四角いのを付けただけとかw それでいて6:34なんとディフューザーも付いてるとかゴードン・コパックはポンコツ過ぎる 🤔
@kinokoantonio2516
@kinokoantonio2516 2 жыл бұрын
調べてないのですが、昔はよく「ノンタイトル戦」「ノンチャンピオンシップ戦」とかありましたね。何の意味があったんでしょうか。
@三毛猫-d9i
@三毛猫-d9i Жыл бұрын
凄くざっくり言うと賞金稼ぎですね。昔はドライバーもチームも1回のレースでもらえる賞金は知れていましたから、非選手権戦にも出場して賞金やスポンサー料を稼いで足しにしていたわけです。また新しい部品のテストに使ってるチームも多かったですね。タイトル戦でいきなり使ってリタイアしたらノーポイントですが、ノンタイトル戦なら元々ノーポイントですから思い切って新シャーシやら新エンジンを投入できます。それで調子が良かったら本投入してみるとか。
@IMO_Gorilla
@IMO_Gorilla 2 жыл бұрын
この時はホンダ側から切ったけど、最近のF1では逆パターンでホンダ側が切られたからね 10年契約とも言われてたけど3年で切られた F1ってそういう世界だよね
@nanahan-y1z
@nanahan-y1z 2 жыл бұрын
ラルト、スピリット、ウィリアムズという流れは知っていたけど、すごくわかりやすい動画でした。 川本さんに二度会ったことがあります。 呆れるほど打算的で冷徹な人という印象を強く持ちました。 ちなみに第一期ホンダF1の監督だった中村良夫さんは、第二期の冷たいやりとりを嘆いていらっしゃいましたよ。
@kinokoantonio2516
@kinokoantonio2516 2 жыл бұрын
ただ、そうでなければF1の世界を渡っていけないのも事実なのではないでしょうか。第一期の中村さんも、ロータスのチャップマンに騙されましたし。結果、オールホンダ体制で参戦した事実があります。
@nanahan-y1z
@nanahan-y1z 2 жыл бұрын
@@kinokoantonio2516 たしかに始まりはそうでしたね。ただ、それで憎み合っていたわけじゃない。むしろ、後にはお互いをリスペクトし、親密な関係となっています。 日本初開催の1976年富士のチケットをどうしても入手できなかった中村さんは、チャップマンにチケットを依頼しました。チャップマンはすぐにチケットを手配するとともに、「中村氏は日本のF1の最大の功労者なのに、君らは何を考えているのか」とJAFに抗議しています。 中村さんが国際自動車技術学会の会長だったとき、学者や大メーカーばかりでなく、レースに革新的技術をもたらした人間も表彰の対象にすべきであり、それはコーリン・チャップマンだ、と提案しています(これは英国の学者会員の猛反対で否決されたそうですが)。 中村さんは「F1は巨額の金が必要だけど、本質はスポーツ。ビジネスじゃない」とおっしゃっていました。
@dearkoroberry
@dearkoroberry 2 жыл бұрын
当時、「吉田チーフ率いるブリヂストンがスピリットホンダのF1でタイヤテストを実施」という見出しで、赤/青のスピリットのマシンとともに表紙を飾った時に、特集記事が書かれたのを読んだのを思い出しまた。吉田正司さんはその数年後に社内で干されて4輪部隊から別の部署に異動させられてしまいましたが、当時からブリヂストンはF1へのタイヤ供給を目指していたのですね。実現したのはそれから十数年後でしたが。
@KP-td9gh
@KP-td9gh 2 жыл бұрын
ありがとうございます。
@一弘松井
@一弘松井 2 жыл бұрын
スピリットホンダカッコ良かったね。当時BMWは4気筒、ホンダは、 v6エンジン速いにきまってるよね。星野が10400回転までBMWエンジンをぶんまわしても勝てなかったもん。でもスピリットホンダでは上手くいかなかったね。リースもF1にのるために日本に来たのにね。エンジンサプライヤーとしては、世界1でしたね
@fortune_Star
@fortune_Star 2 жыл бұрын
ホンダって「金を出してやっただろ!」と滅茶苦茶なことをしてきたからなー。
@桜ノ宮京橋
@桜ノ宮京橋 2 жыл бұрын
ホンダF1第2期の実験車
@old8249
@old8249 2 жыл бұрын
ヨハンソン、好きなドライバーだった。 確かF1でフェラーリにいた時に、オステルライヒリンクでレース中に鹿と激突したんじゃなかったかな。
@toriysunny3066
@toriysunny3066 2 жыл бұрын
87年マクラーレン所属の時です
@典ガード
@典ガード 2 жыл бұрын
鹿身事故www
@チョコ-v9x
@チョコ-v9x 2 жыл бұрын
ホンダF1復帰の足掛かりとなったチームで記憶に残っています😊。 F2時代のマルボロカラーでタンデム走行しているシーンは後のマクラーレンを思わせます。 何と言うか時間を掛ければこのコンビでも良かったがホンダ側がより早く結果を求めたことと策士フランク・ウィリアムズが独占契約を求めたことが大きかった。川本氏のけっこうドライな面が伺える。ホンダが買い上げたハートエンジンを供給し続けたのはせめてもの情けだったのか😅。
@beherenow777
@beherenow777 Жыл бұрын
結局ウィリアムズも独占供給を反故にされロータスとの2チーム体制からの翌年契約打ち切りでジャッドエンジン代金をホンダに肩代わりしてもらってスピリット同様の扱いでハイサヨナラ。3期復帰直前もダラーラに色目使ってハーベイ氏や父タッペン等多くのスタッフをその気にさせておいてBARに鞍替え。本当ドライな会社です。
@百合丸錬
@百合丸錬 2 жыл бұрын
下位カテゴリーに強いからと言って、上位カテゴリーに強いわけではない。
@Railton-bb
@Railton-bb 2 жыл бұрын
ゴードン・コパックってテディ・メイヤー時代のマクラーレンの人でしょう?末期のM29あたりは失敗作続きだったし、101も旧来のアルミモノコック。なんというか、時代に取り残された感が....
@toriysunny3066
@toriysunny3066 2 жыл бұрын
79年のM28も酷かったですね。サイドポンツーンの幅を取るためにワイドトレッドにしましたが、度が過ぎました。
@crankyfranky9801
@crankyfranky9801 2 жыл бұрын
他の人にもコメしましたが あれだけ上面の空力を整えないままに6:34リアディフューザーが付いてるところに ジョン・バーナードとの力量の差を感じます 😎
@h.kasagon2737
@h.kasagon2737 2 жыл бұрын
ラルト&ホンダのF1にはナイジも乗っていなかったかな?
@茶羽顔八
@茶羽顔八 2 жыл бұрын
スピリット?それラルトホンダと思ってた、プラモで見た
@11wildboys
@11wildboys 2 жыл бұрын
ラルトはヨーロッパF2では強かったが、F3000になるとホンダエンジンが使えなくなり保守的で堅実なシャシーのせいで優位性を失った。
@crankyfranky9801
@crankyfranky9801 2 жыл бұрын
F3もアルミモノコックとわずかばかりのカーボントップのマシンでずっと優位性を保ってきたけど カーボンモノコックのレイナードに追い付かれやがてトムスに越されダラーラには一気に潰された感じですね
@陣風-f8h
@陣風-f8h 2 жыл бұрын
実益重視なのは理解できるけどホンダの塩対応は日本人として理解に苦しむ ビジネスと特化して見れば最適解なのは間違いないんだけど日本人特有の情ってのが感じられない
@unoxp2725
@unoxp2725 2 жыл бұрын
ホンダが匙を投げるほど保守的で冒険しないチームだった
@大内毅-x8j
@大内毅-x8j 2 жыл бұрын
ヨハンソン男前w
@fukujitakahashi2196
@fukujitakahashi2196 2 жыл бұрын
マクラーレンとウィリアムズに焦点当てていますけど、ロータスは亡きチームですか⁉️😮
@無敵五十
@無敵五十 2 жыл бұрын
パッケージを丸ごと買っちゃうまでいかないにしろ第二期初期のホンダはどん欲だったんだね
@宮村茂樹
@宮村茂樹 2 жыл бұрын
F1ターボエンジンとは何だったのか?をこのチャンネルで解説してほしいです。 (^人^)
@宮村茂樹
@宮村茂樹 2 жыл бұрын
@@aresama5942 さんへ そのターボエンジンとF1の関係を知りたいんです~
@88番大窪寺
@88番大窪寺 2 жыл бұрын
スピリットを冷遇した30数年後、マクラーレンからボッコボコに貶されたホンダエンジン。
@crankyfranky9801
@crankyfranky9801 2 жыл бұрын
最新のブラウンGP本でもホンダRA108の時点でメルセデスエンジンよりもパワーが大きく劣っていたとの証言が出ていたな 🤔 よってBGP001が仮にRA109だとしてチャンピオンが取れたかは疑問に感じた
@佐藤琢磨-v3k
@佐藤琢磨-v3k 2 жыл бұрын
諸行無常の響きあり。
@マサナリヨシダ
@マサナリヨシダ Жыл бұрын
ホンダはF1を甘く見ていただけではなくヨーロッパF2も甘く見ていたとしか思えませんでしたね。正直複数年よく参戦し続けられたと思います。F1ではバブル期にピタリと入りセナという大スターも擁するようになりF1第2期はバブル崩壊と共に活動を終えますが実はセナの大活躍の頃にはいつ完全撤退してもおかしくない状況だったと水産しました。
@岡本康孝-j9z
@岡本康孝-j9z 2 жыл бұрын
F3000のシャーシに無理やりF1エンジン乗せたのが亜久里の鈴鹿マシンだよ。熟成していたF3000ローラに乗せたのよ。だから、「日本人初、表彰台に乗った男!」と表現されるが、「入賞」とは表現されないのさ。確か、後で取り消しになったはずたよ。
@湯婆婆パパ
@湯婆婆パパ 2 жыл бұрын
かなりメチャクチャなこと書いてますね。 確かにデビューマシンのLC88はF3000ベースですが、このレース(88日本GP)は16位完走です。 亜久里が表彰台に乗ったのは2年後のドゥカルージュ作によるオリジナルシャシーのLC90、取り消しになってたのはコンストラクターズポイントで(そのためラルースは翌年のFOCA便を使えなくなった)ドライバーズポイントは有効です。亜久里6Pt、ベルナール5Ptは現在でも公式記録に残っています。
@湯婆婆パパ
@湯婆婆パパ 2 жыл бұрын
ランキングを剝奪された理由もF3000マシンだからではなく、エントリー名に不備があったから(ラルースで登録したものの、シャシーを作ったローラも入れなければならなかった)です。
@哲也-c3d
@哲也-c3d 2 жыл бұрын
?、元々この年のチームラルースのシャシーはローラシャシーよ?後でポイント剥奪されたのはラルースが届け出していたチーム名にローラの表記が無かったからだよ。 それにF3000のシャシーをそのまま使っては居ないですしね。
@crankyfranky9801
@crankyfranky9801 2 жыл бұрын
@@湯婆婆パパ LC90の前モデルLC89の基本デザインはドゥカルージュが来る前に出来ていたからクリス・マーフィー作品でいいのでは?
@湯婆婆パパ
@湯婆婆パパ 2 жыл бұрын
​@@crankyfranky9801 コメント直後にGP car Storyを見直しマーフィーとドゥカルージュとテツのインタビューを見直しました。89は確かにマーフィー作なんですが、リファインの90は相当ドカおじさんの思想が入っていまして。 最終的に監修ドゥカルージュ・線引きマーフィーと解釈しました。
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