【廃村探訪】日南川集落 - 棄てられた集落と息を呑む風景、最奥部で驚愕の発見も

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historica

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Күн бұрын

Пікірлер: 111
@japanesedojo33
@japanesedojo33 Жыл бұрын
新しい物が便利で好まれる時代ですが、こういった遺構に触れる時間も忘れてはならないですね。 ここで暮らしていた人たちは、どんなことを毎日考え、日々生活していたのかと考えると、自分が今生活している環境はなんて恵まれているのだろうと思います。 先人達が汗水垂らし、開拓していった姿、たくましいですね。 これらの石垣も重機を使わず、人の手によって作られた物。圧巻です。 日本各地にはこういった集落跡がたくさんあるんでしょうね。 いつも楽しみに視聴させていただいております。 お二人ともお怪我のないように活動のほどお願いします。応援しています。
@MN-py4iw
@MN-py4iw Жыл бұрын
見事な石組み、石垣が神秘的ですらありました。 この広さで3世帯とは驚きですが、今でも現存している炭焼き窯にも驚愕です。 舟でこの川を上り下りしていたことを思うと感慨深いです。 今回も貴重な動画、ありがとうございました。
@hirosouth4557
@hirosouth4557 Жыл бұрын
今年に入って偶然に動画を拝見して以来、興味深く拝見しています。 これはもう文化財だと思います。素晴らしい。😊
@co-sa.
@co-sa. Жыл бұрын
石仏や石垣だけでも凄いのにこれだけ完璧に電気もない時代のモノが遺っているとは…!今回は特に感動的でした。
@あいうえお-n2p5x
@あいうえお-n2p5x Жыл бұрын
木漏れ日がきれいに差してくる場所に重厚感ある石垣が遺跡みたいに存在する空間があって、最後に立派な炭焼き窯も見れて、きれいな映像ありがとうございました😊
@jynsawai1631
@jynsawai1631 Жыл бұрын
嫁いでた ところに 炭焼がまがありました。 ここまで立派では有りませんでしたが❗一度火をつけると 消すまで 一週間位でしたかね、ずーっと目は 離せませんでしたね。最後は 煙の色を見ながらいつ蓋するか決めてましたね❗私はあまり詳しくはないですけど、うろ覚えですけど(笑)(笑)これだけ大きいと 結構長いことかかったんではないでしようかね❗久しぶりに 懐かしいもの見ました。今日も楽しかったです😄次がまた楽しみです😄
@neu_historica
@neu_historica Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 炭焼きはやはり大変な仕事だったんですね。
@橋本克子-k9m
@橋本克子-k9m Жыл бұрын
こんばんは。石垣を昔の人はあんなに高く積み上げて生活基盤を作っていくのが凄いです。炭焼き釜が立派に残っていてびっくりしました。本当に人々の営みがあったのですね。神秘的でした。ありがとうございました。
@madrimex11
@madrimex11 Жыл бұрын
いつも眠る前にお二人の動画を見て、聞いて、癒されています。自分ではなかなか行かれないような山奥まで探索してくださり、子供の頃持っていた冒険への憧れを思い出したりしています。お二人のやりとりは信頼関係の深さが感じられ、とても好感が持てます。これからも沢山の場所へ私たちを連れて行ってください。応援しています。それにしても石垣って昔はこんなに作られていたのですね。労力を思うと、先人たちに頭が下がります。
@田村秋生
@田村秋生 Жыл бұрын
それにしても石垣の川から守る築造と往時の面影(木漏れ陽で)の美しさ……何とも言えない”思い”に俺にはなります。 江戸期のお墓やお地蔵様は先祖の存在証明ですね、それだけで敬意持ちます。
@アルファ-y4o
@アルファ-y4o Жыл бұрын
いつもですが・・・ 今回も美しい日本の景色共に・・・ 祖先が作り上げた 素晴らしい遺跡・・石垣跡・・窯跡・・ 愛おしさを感じます。 墓石の文字 地蔵様をもう少しアップで 表情などを見たかったです。 でも ありがとう御座いました。
@淳子土屋-z9j
@淳子土屋-z9j Ай бұрын
こんにちは。素晴らしい神秘的な動画をありがとうございます。石垣にも感動しました。おつかれさまでした。
@user-ji9go4ih7m
@user-ji9go4ih7m Жыл бұрын
今日も素晴らしい景色をありがとうございました☆
@nabematic5943
@nabematic5943 Жыл бұрын
いつもは会社帰りの電車の中で拝見していますが家族がコロナ観戦のため在宅勤務、スマホではなくテレビの画面で見ました。 石垣、木漏れ日、川のせせらぎ、クマよけの鈴の音、お二人の掛け合い、すべてがよかったです。 最後の窯は後世に残すべき遺産だなと感じました。 次回の動画も楽しみにしています。
@ハンダース軍曹
@ハンダース軍曹 Жыл бұрын
何時も拝見してます 炭焼き窯ですが 入口が人が入れる程度で焼くときは半分閉めて後ろは煙突の 穴ですね 入口・煙突穴を埋めるタイミングで炭の良しあしが決まります しかし 綺麗に残ってる炭焼き窯です 手入れすればまだ焼けそうな感じすらします
@小俣浩-m1v
@小俣浩-m1v Жыл бұрын
いつも興味深い動画をありがとうございます。 私が育った地域では、岩盤が固く井戸が掘れませんでした。 水道が通るまで生活用水は全て川の水を利用していたのを思い出しました。 川の水を利用して水車を回し、米搗きもしていました。 1965年頃までそんな生活をしていました。
@あかね田中-f7m
@あかね田中-f7m Жыл бұрын
こんにちは*:+:・゜🌞石垣と川と木漏れ日が神秘的で素敵な所ですね。お二人の信頼関係・安藤さんに何言われても笑顔のオカヤスさん・オカヤスさんが先頭で困難な所を通っても安藤さんを待っているオカヤスさん本当に優しいですね。いつもお二人のやり取りにクスッとしてしまい癒されています。私の行けない所に行ってくださり本当にありがとうございます。(*- -)(*_ _)ペコリ
@musasi1143
@musasi1143 Жыл бұрын
川と共に、、、、ね、、時は去りぬ、、 お二人の価値観共有が素晴らしいです、羨ましいほど、楽しく拝見させていただきました。 これからも配信楽しみにしております。
@チエchie
@チエchie Жыл бұрын
おかやすさん、本当にキレッキレの予測でしたね〜✨✨ 素晴らしい釜を見せてくださってありがとうございます❣️
@山信-h9b
@山信-h9b 6 ай бұрын
こちらは日向備長炭の地域ですが、炭焼き窯、昔は一現場ごとに釜を作って、近くで樫の木を伐採してはそこで焼いてましたね!私が子供の頃は使い終わった釜があちらこちらにあって、雑木もまだ小さく 秘密基地にしたり、コウモリ探ししたり いい遊び場でした!
@ある-m1m
@ある-m1m Жыл бұрын
こんばんは♪ 配信お疲れ様です。 今回、完全な形の炭焼き釜が見つかりましたね。それも最奥部に。オカヤスさんの仮説、大当たりでしたね。 アンドウさんの「あ、なんかある!」から何回も再生してました。 私も思わず拍手してました。 見事な石垣といい、釜といい、お二人の興奮度合いがすごい。 何気に酒瓶発見ミッション、コンプリートも出来たし。 大字名が統合されて無くなった1956年より以前に無住になったようですが、彼らは何処に行ったのか。 これからもご安全に。
@neu_historica
@neu_historica Жыл бұрын
いつもありがとうございます! 個人的に今回の炭焼き窯は2022年一番の発見でした。
@YM-kq1nbm
@YM-kq1nbm Жыл бұрын
アンドウさんオカヤスさん取材お疲れ様です 今年もよろしくお願いします 今年も色々な景色を見せて下さい変わらず応援してます たまにはアンドウさんメインでカメラに出て下さい次回も楽しみにしてます
@ケンケンケン-w9h
@ケンケンケン-w9h Жыл бұрын
いつも楽しんで見てます。 どなたかもコメントされてましたが、ナレーションの声もさることながら 内容に無駄が無く時にドキュメンタリーであり時に小説のようで素晴らしいと思います。 目にも耳にも大変心地よいです。 これからも楽しみにしております。
@chachamaru1010
@chachamaru1010 Жыл бұрын
いつもながらの素晴らしい動画ありがとうございました。 廃村やそこに暮らしていただろう先人に対する敬意や歴史的考察が随所に感じられて、毎回感動しています。また、ゆっくり系の気持ち悪いナレーションと違い、このチャンネルのナレーターの方の語りにも癒されます。次の動画も楽しみにしております。
@Yubayasun
@Yubayasun Жыл бұрын
ああ美しいなあ サンデードライバーが林道を愛するのは、日本人のDNAにあるこの原風景に惹かれるからなんでしょうかね。
@るか-s6x
@るか-s6x Жыл бұрын
お二人の考察、聞いていて楽しいです! 会話の中に普段あまり使わない単語が チラチラ出てきて知識が凄いなーと 関心しておりますw テロップでの説明文も綺麗な文章で とっても見やすいです!!
@佐理-c2f
@佐理-c2f Жыл бұрын
興味尽きない廃村探訪 歴史的な所が好き✨
@airboos
@airboos Жыл бұрын
炭焼き釜の天井部があるの初めてみました、当地でも窯跡は沢山あります山の上の方にもあります。
@四面楚歌-y1d
@四面楚歌-y1d Жыл бұрын
今回のヒストリー廃村の調査の中で過去一番と言っても良いのではないでしょうか!私的には世界遺産レベルです。木々がそびえ立つ隙間から日が差し込んでいる景色が圧巻でした。炭焼き窯も完全な状態で発見できたのも大発見ですね!ここに住んでみたいです。夜は怖いけど😅
@野津晶子-z6f
@野津晶子-z6f Жыл бұрын
今回も素晴らしい石垣群を見せていただいて、ありがとうございます。遺跡レベルの石垣、とアンドウさんが言われた通り、本当に遺跡ですね。 今の人たちが大勢でおしかける場所ではなく、集落に暮らしていた人々の生活の営みに尊敬の念を抱いているおふたりが訪れること、それを記録として見せてくださることで十分なのではないかと思いました。石の遺跡は火事にも強く、地震にも強いようですね。ほぼ原形をとどめているいる石垣の遺跡には感嘆しかありません。炭焼きがまが完璧な形で残っていて、感動ですね。オカヤスさんの、きれっきれの発想、素晴らしいですね。
@Guardian016
@Guardian016 Жыл бұрын
明けましておめでとうございます。 小さな集落だから恐らく少人数の人々が川に沿って石垣を延ばしていったと想像すると、壮大な開拓ですね。瓶も瓶でそれなりの歴史がありそうです。窯が半世紀以上も前に最後に使われたときの宴だったとか。
@紅葉ba--bay6t
@紅葉ba--bay6t Жыл бұрын
historicaのオカヤスさん・アンドウさんこんばんは~ いいですね~お二人の笑顔が見れて( ◠‿◠ ) 一枚岩雨によって浸食されてるところありますね~ 木々間からの木漏れ日やっぱり素敵ですね~天使の梯子のようです。 楽しいですね~オカヤスさんとアンドウさんのトーク おぉぉ~炭焼窯完璧な姿で残ってましたね~ 川の両端の石垣がまた素晴らしかったです。
@neu_historica
@neu_historica Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 本当に美しい風景ですよね。
@かとよう
@かとよう 9 ай бұрын
精密に積まれた石垣を見て、かくも私たちの祖先は偉大なのだと知りました。ありがとうございます。
@hojo12joker
@hojo12joker Жыл бұрын
転びましたねアンドウ😂秋から冬の季節はいいですね、山ヒルもマダニもいなさそうで、安心して見ていられます😊以前の動画見ていてもよ〜くご無事でした。私の知人は竹林でマダニに噛まれ死に至ってしまいました。これから暖かくなるから完全防備に殺虫剤も用意してお出かけくださいよ。今後もアンドウさん、オカヤスさんのコメントを聞きながら、楽しみにしています。
@hogohogehage
@hogohogehage Жыл бұрын
いつにも増して素晴らしい。 ありがとうございます。
@ray.tachi.
@ray.tachi. Жыл бұрын
動画の内容はもちろん面白いし、何よりこの女性のナレーターの声が心地よすぎる😌
@妹萩ゅ
@妹萩ゅ Жыл бұрын
時代が進む度忘れ去られていく、嘗てそこで人の営みがあった…例えば古びた家や石垣、確かにそこで生きた人々が残したであろう石碑などを歴史を液晶越しで垣間見ることが出来るのはどこか神秘的かつ貴重なものだと感じました。 文献だけでは分からないその土地の過去や、現在その廃村はどうなっているか等を記す貴重な記録であることに間違いありません。 これからも応援しています。ヒストリカさんありがとう。
@AiRobi
@AiRobi Жыл бұрын
有難うございました。やはり緑と水は人の心を癒やしてくれますね。 今日は銭湯行ってこよ。水と壁の絵で癒やされてきます😅
@annieandpatches
@annieandpatches Жыл бұрын
はじめて炭焼き窯を見ました。こういう風に作られているんですね。手前に壊れずに残されていた一升瓶やガラスの瓶がまたレトロな感じで、、、当時の様子が伝わってくるようで興味深かったです。😊
@大理石模様
@大理石模様 Жыл бұрын
炭焼き窯の痕は山中ならあちこちで見かけるんだけど、ここまで状態良好なのは珍しいですね
@magice3896
@magice3896 Жыл бұрын
お疲れ様です。炭焼き窯がほぼ原型を留めて残ってるの珍しいですね。 今回は醤油壺のミッションは無かったんですね。(笑)
@neu_historica
@neu_historica Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 最近は醤油壺が発見できず悲しいです・・・
@hemuhemuful
@hemuhemuful Жыл бұрын
立派な炭焼き窯、石垣も壮観でした。historicaさんによって日の目を見る事ができましたね。 杉林のない状態だったら全体像がわかるのに・・・。杉がいつも邪魔していますね。
@neu_historica
@neu_historica Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 廃村と杉林はいつもセットですね・・・
@よし-o4q
@よし-o4q Жыл бұрын
癒されたいとき、心がざわつく時に、historicaに会いにきてます。
@中野諒子
@中野諒子 Жыл бұрын
ちょっと遅くなりました。お2人のお顔が、はっきり映ったので 3回も見ちゃいました。転んでくれ、転べ!あんどうさん! ご自分が転んじゃったのね。こんな山奥に、4軒だけでこの石垣 機械もない時代に本当にびっくり‼️。おかやすさん、奥まで行けて 凄い釜を見つけられ良かったですね。ひっそりと現在まで残っている。 心ワクワクでした。あんどうさん、陽光、見事でしたね。石垣も。 お2人の掛け合い、本当に面白い。どう云う御関係ですか?
@ajadrew
@ajadrew Жыл бұрын
Beautiful old stone walls!
@ek0727
@ek0727 Жыл бұрын
炭焼き窯近くの場面、サントリーの角瓶らしき物も落ちてますね。 発売は1937年以降らしいので意外と最近まで使われていたのかもしれませんね。 と言っても40年以上昔だと思うんですが
@ココペリ118
@ココペリ118 Жыл бұрын
今回の炭焼き釜は完璧な形で残っているので、保存したいですね。 紀州は信長.秀吉が騎手征伐に行った土地なので、寺社衆や一揆衆、あるいは国人が出城を作って守ってたのかも知れません。江戸になり廃城になった土地を利用して誰か移り住んだのかも。でないとあれだけ広大な石垣を、4軒の住人で作ったとは思ません。村の記録以前の歴史に浪漫を感じます。
@doriita1522
@doriita1522 Жыл бұрын
いやあ素晴らしすぎる場所ですね 一枚岩は有名ですがその奥に潜む集落跡!こちらも行ってみたいですね 無住になってからも炭焼きはしにきていたのかなと予想します 参考ですが昭和10年の古地図を見ると洞尾とは別に日南川集落の記載があります
@あいしんかくらぬるはち
@あいしんかくらぬるはち Жыл бұрын
あけましておめでとうございます。 今年も楽しみにしてます。
@リテッシユ
@リテッシユ Жыл бұрын
山中の古い墓石付近を歩く時は「踏み抜き」に注意して下さいね。和歌山の自分の田舎の場合、だいたいは墓石が立ってる場所より一つ向こうの谷とか山頂付近とかにご遺体のみを埋める場所があるんですが、江戸時代とかの古いのになると墓石のすぐ横だったりとかあるんで歩いてると落とし穴のごとく知らずに踏み抜いて落ちてしまう事があります。 忘れもしない自分が子供の頃、ウチの母ちゃんがお盆の墓参り中に自分の目の前で踏み抜いてしまって2メートルくらい下の白骨の中へ落ちてしまって骨折したという事件がありました 笑
@neu_historica
@neu_historica Жыл бұрын
コメントありがとうございます! そんな危険があるとは知りませんでした。 次回から気を付けます。
@荻野心太郎
@荻野心太郎 10 ай бұрын
公開が古い動画から順に見ていて、やっと2023年に突入しました。 炭焼窯完全体、凄いですね! いきなりこんなものに遭遇したら感動ものですね😊
@ぽこぽこ猫ぱんち
@ぽこぽこ猫ぱんち Жыл бұрын
林の中に射す光の画が凄くきれいですね。有難うございます。 7:59 人を呪わば穴二つ、ですね笑
@tomokoTBACHBWV971
@tomokoTBACHBWV971 Жыл бұрын
こんにちは ひなたがわと読むのですね こんな山奥で石垣を築き先祖や神仏をうやまい 生業にいそしんだ方々炭焼き釜 人として素晴らしい… 水の流れにそって生活とはあるものですが 川を大切にされていたんですねぇ なんだか心豊かになりました ありがとうございました🥰
@笠原葉子-x3j
@笠原葉子-x3j Жыл бұрын
今年もどうぞよろしくお願い致します😊💞
@voice-zg5rr
@voice-zg5rr Жыл бұрын
チョー面白かったです。
@sokensatow
@sokensatow Жыл бұрын
江戸の昔にガラスの一升瓶はないんだろうな。一升瓶入りの清酒が売られるようになったのは1901年かららしい。
@user-writer1918
@user-writer1918 Жыл бұрын
隠れ里の場合は勿論ですが、相当山奥に入ると、人の住む場所までの道が道ではなく、沢沿い、もしくは水の中をジャブジャブ歩いて行くことがあります。また、炭焼き窯は原材料の木がなくなると、ドンドン場所を変えていきます。一箇所で焼き続けることはありません。出荷は人が背負うか馬でしょう。
@チェスワン
@チェスワン Жыл бұрын
人々はいつの時代もどこでも生きていく能力を身につけているんだなあと、人間の能力と可能性に驚きます。 なんでもある様で、便利な様で、そのしがらみにがんじがらめになっている現代人、都市部の人々。 過酷かもしれないし長く生きられないかもしれないけれど、美しい森と水と太陽が感じて生きることの根源を教えてもらいました。
@salsaratina7179
@salsaratina7179 Жыл бұрын
初めましてこんにちは。和歌山は大阪からも名古屋からも遠回りしないといけない、昔ならかなり不便だったので孤立した集落だったんでしょう。人も増えずただ静かに消えた印象ですね。お金があれば一帯を買い取り保存したいくらいです。 ありがとうございます。
@yuyu-oj2jp
@yuyu-oj2jp Жыл бұрын
関東に住んでいます 以前は年に一度紀伊半島に旅行していましたが、大病をしてしまい…なかなか紀伊半島まで行けませんので… ヒストリカさんの動画が旅行をしているようで楽しみにしています ありがとうございます これからもたくさんの動画楽しみにしていますね
@阿部尚子-y4q
@阿部尚子-y4q Жыл бұрын
今エアーズロトグスと英語では言われてあるて世界最大級の一枚岩だそうです。 英語の教科書でうん10年まえに学びわたしが英語講師の時生徒さん達におしえたことがありました。 historicaさん達の動画をたのしくみています。 これからもよろしくお願い致します。Don't overdo it! 😊
@NagiSakura009
@NagiSakura009 Жыл бұрын
ここまで近代現代の匂い?がしない元集落も珍しい気がする 江戸時代以前の景色そのものって感じでホント遺跡レベル 大きな道路からも歩いて行ける距離みたいだし杉の木全部切って史跡として保存して欲しい 江戸時代の町家の保存再建はまあまああるけどこれ系の文化財保護ってほとんど聞かないですね
@pine-village
@pine-village Жыл бұрын
炭焼き釜の前に落ちている瓶、サントリー角瓶やスクリューキャップのドリンク剤?のようなものもありますね。 これだけ木の枝葉が堆積しているにも関わらず瓶は埋まらずにわりと普通に転がっているので、それほど大昔に捨てられたものでもないような気がします。
@koma7276
@koma7276 Жыл бұрын
いつも興味深く拝見させていただいております。ヒストリカとただの廃村散策の違いはその土地に対して背景を踏まえたリスペクトがあると思います。そのスタンス応援しています。”この国が棄てた”というサムネの意味がちょっとわからなかったですが・・・行政側に何か問題があったのでしょうか?😅この土地に住まわれた方もきっと断腸の思いで退居したと思います。でも今回も土地に対するリスペクトを感じました。この動画に出会わなければ知るよしもなかった廃村の記録を残して頂きありがとうございます!
@トドの祭り-u5n
@トドの祭り-u5n Жыл бұрын
お疲れ様 ここは、かつて林業が盛んでした。 と言う話はよく聞きます。林を見て へ~で終わりですが あの石を積んでできた大きな窯が 「これでどうだ❗️」と言っているみたいですね。
@ykozfk1406
@ykozfk1406 Жыл бұрын
戸数のわりに大規模な土地造営からして中規模炭鉱廃墟のような印象を受けてしまいますね。 石炭石油が無い時代は木材等しか燃料が無いわけで、当時は広範囲の森を対象に営林、製材、製炭の事業が盛んだったんだろうと想像します。 出稼ぎの人夫も多く働いていたかもしれません。 経営者、責任者一族の家が戸数に数えられ、他に事業所が建てられたんではないでしょうか。 事業所の一部に出稼ぎ人夫の宿舎があったかもしれません。 ここで大勢の人々が入れ代わり立ち代わり働いていたと想像するともののけ姫の製鉄所タタラ場を思い出してワクワクしてしまいますね。
@素人目
@素人目 Жыл бұрын
当時は川の下流をせき止めて、水路にでもしていたんですかね? この水量では船は使えないし、川辺の石垣は妙に高いし。
@lovewaru
@lovewaru Жыл бұрын
転べ〜 転べ〜って言ってたら 言ってた本人が転んで受けました笑笑笑 いつも二人で小競り合いですけど一度褒め殺し合う動画もみたいです
@mooncamel
@mooncamel Жыл бұрын
www「切れっ切れの仮説」。切れてますwww
@にしこり-u6h
@にしこり-u6h Жыл бұрын
何か聞いたことがあるBGMだなぁと思ってたら幸楽苑でラーメン食ってる時に聞くやつだった
@奥田茂行
@奥田茂行 Жыл бұрын
紀州和歌山の山岳部では 姥梅樫(うばめがし)と言う木を植え育て それを使い炭を作っていたと言う歴史が有ります 紀州備長炭と呼ばれ 大窯を開けて良い物が出来れば1年は働かずとも生活が出来るほどの価値が有ったとか聞きます 羨まし時代が有った様です
@user-zo2xx8yw7y
@user-zo2xx8yw7y Жыл бұрын
あんどうさん、おかやすさん、こんばんは。元盛松集落、峯地集落と同じくらいの石垣の段量で、もう見ごたえありすぎで困っちゃいました!当時川の水量があったとして、山深くに石階段で舟着場のあの風景は当時を物語るのに言葉は入りませんね😊historicさんの動画に取り上げられる廃村集落を見させてもらっていると今の私達に確実に何かを伝えてますよね🤔historicの日本の美しい廃村集落百選を是非作ってほしいです😄素敵な動画をありがとうございます🙇‍♀️💕
@CANOSSA052
@CANOSSA052 Жыл бұрын
いい物が見られました。ありがとうございます。ただ、どんどろの森からそう遠くないので、 あの窯跡が心ない人の手で破壊されないか心配です。 民俗文化財として、古座川町が保存してくれてもいいような。
@富永美恵子
@富永美恵子 Жыл бұрын
こんな素晴らしい遺跡?を見せて頂けて、感激です。不思議なのは、集落の規模に対して、石垣の規模が広大過ぎることですね。築くための時間、労力、費用を思うと見合う価値があったのかと疑問になります。しかし、必要であったから築いたのでしょう。その技術、人の思いは尊いです。炭焼き釜には感動です‼️今にも、職人さんが出て来そうです。このまま朽ちてしまうのはもったいないですね。時代の変遷と共に、人の生業が変化し、貴重な技術が失われて行くのは残念です。技術を究める能力を持つのは、人類だけです。この能力を善用することが人類の務めです。 聖書の伝道の書12章13、14節 全てを聞いた今、結論はこうだ。 真の神を畏れ、その方の掟を守りなさい。 人の務めはそれに尽きる。 真の神は、人からは見えない事も含め、あらゆる行いについて、その善悪を裁くからだ。
@hn4806
@hn4806 Жыл бұрын
動画途中、家4戸、住人12人、舟1艘とありましたね。この部落沿いの川、狭い谷川で 相当落差のある所を流れ落ちるはずです。すると川下へはいいとしても、川上に舟で戻るのは 無理じゃないですかね。陸送するとしてもやはり落差のせいで難しい様に思えるし...では何の 為の舟だったんでしょう?
@gingerman-nq1vt
@gingerman-nq1vt Жыл бұрын
今回も見ごたえありました! 3世帯、4戸・・・であの石垣! それが江戸時代から(昭和まで?)ですか。鬼滅の刃の竈門炭治郎家みたいな仲の良い家族がひっそりと、しかし力強く家業の炭焼きを継承してきたのでしょうかね。ここに嫁いでくる人ってどんな経緯で来るのかとか、衣食住のスタイルや神事や祝い事のしきたりとか、興味は尽きません。これからも期待してます!
@passer7830
@passer7830 Жыл бұрын
これはまた凄い石垣および窯の発見でしたね。 集落跡を流れるあの川の両岸を石垣で工事をしていたという事は、舟で炭の搬出等をするため水量(というか水深ですかね)を確保するという目的もあったのではないでしょうか。すぐ下流の古座川に至れば流れは豊かそうですし、水運には案外便利な土地だったかもしれません。 「どんどろ」という名称がいつごろのものかは分かりませんが、水が流れ落ちる様子が「トドロキ」とか「ドドメキ」などという地名に残っているという説もあり、それにこじつけると、動画内で仰っていたようにかつてはあの川の水量は、今よりずっと多かったのかもしれませんね。
@泥舟-r6u
@泥舟-r6u Жыл бұрын
釜口の大きさからして、備長炭を焼いていたのでしょうね。普通の炭焼きの釜口は人が腰を屈めて入る大きさで焼けた後は完全に封鎖して酸欠状態にして消火します。備長炭とは炭の取り出し方がちがいます。 電気やガスが普及してエネルギー革命の結果このような山里は消滅の運命を受容れざるおえなくなったのでしょう。ちなみに昔は材木流しをしていたと言われる川で、川筋が細く流量が少なくなった川を何本も見ました。ダムの影響だけでなく日本の自然もおかしくなってきたのかな、独り言でした。
@寛人馬場
@寛人馬場 Жыл бұрын
無理もないと言いたいが、遊んでいたい気持ちは誰にもあるが、辛いね
@クマのプー太郎-f4z
@クマのプー太郎-f4z Жыл бұрын
和歌山かぁ、行きたいけど熊が出るからなぁ・・・
@奥田圭亮-k5h
@奥田圭亮-k5h Жыл бұрын
陶器は茶碗だと思いますが古来川の側には旅人が水を掬えるように近在民が置いていたと茨川の方に教えて貰いました。山では炭が産業でしたが廃れました。近世はキャンプやBBQや飲食店調理などで需要は復活してますが国内では手に入り難い為外国産が主流。もし需要が途絶え無ければ幾つかの集落は現存したかもしれませんね。
@ゼームス坂
@ゼームス坂 Жыл бұрын
天気ヨシ!ロケーションヨシ! 構図ヨシ! 天地人そろい踏みの動画でした。 ミッション回収もおめでとうございます ありがとう
@neu_historica
@neu_historica Жыл бұрын
スーパーサンクスありがとうございます! あとは醤油壺が発見できれば言うことなしだったんですが・・・
@Toranecoco
@Toranecoco Жыл бұрын
こんばんわ😊いつも楽しく拝見しています。 今日の動画を見てふと思ったのですが、、、捨ててある一升瓶からいつ頃まで地域で人の活動があったのか判断する手掛かりにならないですかね? さくっとネットで調べたら清酒入り一升瓶は1900年前後からで吹いていたらしいです。国内で機械式の一升瓶造りが始まったのは、1922年から、丸正マークが現れるのが1956年から。恐らく手吹きと機械式でもガラスの精度に違いが出るから、よく見たら廃村時期の推測の手助けになるかもです。知らんけど。
@ayrtonbaggio4293
@ayrtonbaggio4293 Жыл бұрын
エルトゥールル号遭難事件ですね、その恩返しで100年後のイラン・イラク戦争の時にトルコは日本人を救出してくれました
@ko-qk3br
@ko-qk3br Жыл бұрын
明らかに人の家があったであろう石垣のある場所に、家の残骸は一切残っておらず、背の高い杉の木が生えている。その時間の経過にめまいがします。
@ササカカオル子
@ササカカオル子 Жыл бұрын
絵のようなって、おかしいですよね!現風景を見て絵を描くのに。でもそれほど素晴らしく美しい廃集落。もしかしたらもっと人口がいたかもしれない。お墓の数々を見ても何百年かけたとしても果てしない石垣を造るのは至難の技。想像が膨らみます。お二人の感動が伝わりますね。真っ先に炭焼釜に走っていく姿やいつもは最後の食事シーン等ありませんし(笑)まるでCG映画のような過去にタイムスリップしたような、楽しかったです。
@unclekikujiro7976
@unclekikujiro7976 Жыл бұрын
一升瓶があるということは、明治以降にも人がいたのかな
@アルス-i1k
@アルス-i1k Жыл бұрын
とても素晴らしい内容ですね。 穏やかな進行も内容にマッチしていて素晴らしく これからも見てみたいと思いました。 ひとつ気になったのですが ワイヤレスなどを用いてお二人の音声収録を統一されたほうがよいですよ カメラの方のお話の声が強くなってしまうことが多いため 軽いツッコミなどの掛け合いで、カメラマンさんの発言のみが強くなり、普通の楽しい話をしているのに耳に触ることが度々あります。 つまりカメラマンさんの声だけが大きくて不快感があります(実際の声が大きいわけではない) モニタリングヘッドフォンなどで確認されるとよいでしょう。 またほかの場所に行かれるのも楽しみにしています!
@ライトアール
@ライトアール Жыл бұрын
おそらく川を堰き止めて 川の水が溜まったら堰を切って川を下る方法では無いかと 木材などもその様な方法で輸送しているのでは?
@ff9338
@ff9338 Жыл бұрын
川の流量は、集水域の広さで決まるので、今も昔も変わらないはずです。この枝沢が水運に使えることは確実に無いでしょう。
@夏山泰範
@夏山泰範 Жыл бұрын
これは白炭焼の釜あとですね
@TaRyuu1
@TaRyuu1 Жыл бұрын
とても2,30人規模の集落には見えない。 それと元々は炭焼きではなく材木供給が主産業だったのでは? もし小規模ダムを作り、そこに水と材木を貯め、定期的に水と共に材木を下流に流していたのであれば船があった事も川岸が石垣で強化されていることも説明できる。 水田みたいなのは鯉でも養殖してたのかな?
@寛人馬場
@寛人馬場 Жыл бұрын
やらなければ廃墟に、と言う事でよいのが
@user-ew9ev3oj1t
@user-ew9ev3oj1t Жыл бұрын
お疲れ様です♪
@hniji1246
@hniji1246 Жыл бұрын
どんどろ?
@寛人馬場
@寛人馬場 Жыл бұрын
行動が見えなければ言える言葉もない、と言うのは当然でしょう
@クマのプー太郎-f4z
@クマのプー太郎-f4z Жыл бұрын
道が川に為ってるの?今の道路も元々は川で自然に戻る時は真っ先に川に戻るって何かの番組で言ってたけどね。
@abarayasoutatu
@abarayasoutatu Жыл бұрын
川は水の浸食力によって大地を削ります。 つまり、川は長い時間をかけて下がっていくんです。 それと同時に日本列島は隆起しています。 ですので、現在川沿いにある道路は、昔は川が流れていた位置(高度)にあったと言えると思います。 ですが、上記したように川は大地を侵食して下がっていき、日本列島は隆起しているので放置していても道路が川に戻るということはないでしょう。 追記:大規模な土石流などがあれば道路が土砂に飲まれることはあるので、そういう意味なら道路も川に戻るということも言えると思います。 あと、川の下流域では、浸食力+隆起より堆積力の方が上回るので、一切治水事業をせず長年放置していれば川沿いにある道路が土砂に埋もれることはあると思います。
@クマのプー太郎-f4z
@クマのプー太郎-f4z Жыл бұрын
結局、川じゃんか。
@寛人馬場
@寛人馬場 Жыл бұрын
アナウンサーお声は、行動に出て来た、そういう事ですが、その時だけではだめ
@寛人馬場
@寛人馬場 Жыл бұрын
冗談に、遊びと共にサりぬ、そんなに心配するな、歩く速さで、チョコレートは食べろ
@bluesakura438
@bluesakura438 Жыл бұрын
こんなコメ残して拾われるのかわかりませんが、、、 紀伊半島の和歌山内陸部の山間部行く折はよく気をつけて下さい。 千葉県がほとんどを占める関東地区の千葉の半島? 部位と異なり和歌山という地域はほぼ海岸線沿いの地域にしか ひとが居住するエリアは無いに等しいです。 紀伊半島の内側へ行けば行くほど ホントか?と思われるほど遭難の危険おおきい地域です。 誰も住まないにはそれなりの理由が、、、 東京や千葉のようにすべてが都会のようにひとがいるわけではないので十分戻れるマージンを残してこういったところでのあそびは行って下さいね
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