【ゆっくり解説】金持ちすぎた藩5選!!

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にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】

Күн бұрын

Пікірлер: 95
@芳博林
@芳博林 11 ай бұрын
長州藩と表示している所は長州藩の一部です。長州藩と表示されている所は長門国で長州藩は長門国と周防国を合わせた範囲を言います。
@snack-gon
@snack-gon Жыл бұрын
1両は現在価値で8万円~10万円ぐらいじゃないですかね。まあ、物価に合わせるか人件費に合わせるかで金額が結構変わってくるので難しいところですが。
@モリユスト
@モリユスト 11 ай бұрын
江戸初期は20万円、元禄時代は10万円、幕末は8万円くらいらしい。
@keiochunagon3235
@keiochunagon3235 3 ай бұрын
1両=3千円じゃ、仕事人もやってられないよねw
@toyo-rex4899
@toyo-rex4899 11 ай бұрын
松前藩が裕福だった理由はアイヌとの交易で利益を得ていたのもありますが、遠隔地のため参勤交代が5年に1度という少ない頻度で済んだのもあると思います。 頻度が少なければ、全体の旅費・物価が高い江戸での滞在費も少なく済むし、江戸詰めの藩士も必要最低限の人数で済むからです。
@さいきよさ
@さいきよさ 9 ай бұрын
今の松前は消滅する都市に数えられているのう。
@鳥頭-s6p
@鳥頭-s6p 11 ай бұрын
徳島の蜂須賀家は藍の独占と海産物で25万石といいつつ実質は40万石以上の財力だったそうだ。 大奥に特産品の献上もしっかりやってる。
@teruakimatsuda9735
@teruakimatsuda9735 11 ай бұрын
しかも当時の特産だった『阿波和三盆』を諸国に売りまくった。 隣国なのに『讃岐和三盆』がまったく知られなかったのとは大違い。
@花咲薊
@花咲薊 Жыл бұрын
江戸時代終盤の庄内藩もえげつないぞ。現地の豪商だった本間家と手を組んで 日本中の米や海外の武器を買い集められるだけの財力やコネクションを得て 幕府や明治新政府連合軍と互角以上の力を持ったとんでも雄藩になった。
@fivepointedstar196
@fivepointedstar196 11 ай бұрын
江戸中期には参勤交代、普請、交際費などが藩財政を圧迫した庄内藩。 5代藩主・忠寄が寛延2(1749)年に老中に起用されると、普請や交際費などに藩費が湯水のごとく使われていった。そこに参勤交代が追い打ちをかけた。 7代藩主、忠徳の時代 江戸で生まれ育った忠徳が、数え18歳で初めて入部することになった(国から江戸へ向かうことを参府、江戸から国へ帰ることを入部という)。だが、江戸藩邸では大名行列を率いて旅をする費用を調達する見込みが立たない。にもかかわらず、藩の重臣たちは見切り発車して江戸を出てしまう。不足分は国が工面して、旅の途中に届ける手はずだった。 ところが、福島まで来て旅費が尽き、しかも国から金も届かない。万事休すとなった重臣が忠徳に窮状を打ち明けると、忠徳は14万石の藩がなんたる不如意と涙を流したという。 それを、よく立て直したと思う。
@teruakimatsuda9735
@teruakimatsuda9735 3 ай бұрын
その本間家が「最強の投機家」本間宗久を輩出することは周知の通り。
@MrRilyoukenn
@MrRilyoukenn 3 ай бұрын
東北地方の港を定期船運航した北前船で大阪まで米を運んでは米相場で年間30万石の利益を上げてた本間家を領内の酒田港に本拠地構えさせて。 老中就任時にはスポンサーとして幕閣への付け届けの資金提供で幕府普請を誘導して大儲けしてたんで 本間家抜きで庄内藩運営が不可能になったとか 明治維新で幕閣人脈での 利益誘導が破綻し 大阪商人に新政府の窓口取られ一介の地方地主に零落れたとか 庄内藩14万石に本間家30万石が合わさり東北屈指の経済力を誇ったのも 夢の彼方でした。
@いっつん-n2p
@いっつん-n2p 13 күн бұрын
でも本間ゴルフで世界中の紳士に名を馳せたのは…
@林健司-n6k
@林健司-n6k Жыл бұрын
換算は難解ですが、1両3000円は安すぎだと思います。おそらくは7万か8万円位ではないでしょうか。諸説ありですが。
@風魔忍者ぶきみ丸
@風魔忍者ぶきみ丸 11 ай бұрын
忠臣蔵の時代では、1両は10万円計算になっています。
@モリユスト
@モリユスト 11 ай бұрын
米一俵が一両だった。江戸時代初期に比べて中期には米価は半額になったらしい。幕末時には一両8万円だった。江戸時代初期なら一両20万円くらいだろうな。
@アルミニウス-r4z
@アルミニウス-r4z 11 ай бұрын
小判の改鋳とかあったし、中期以降は米の量産もあってその辺は曖昧なんだよな
@kazutchi1910
@kazutchi1910 11 ай бұрын
吉原の遊郭で 1泊すると 女性の格にもよるが 二分位と聞いたことある 風俗で遊ぶことを考えると二分は一両の半分だから やっぱり一両は10万くらいないとおかしくないかい?
@林健司-n6k
@林健司-n6k 11 ай бұрын
@@kazutchi1910 そうですね。私も10万円節も別のコメントに書いております。諸物価が現在の感覚とはかなり違うので何を基準に考えるかで違ってくるでしょう。この動画では相当に安い価値を挙げているから、私も敢えて低い目に書きました。また、20年程前ですが太秦映画村では1両は8万円位と紹介してました。
@あぱらちあ義男
@あぱらちあ義男 11 ай бұрын
昔は日本海側の貿易が盛んだった 港持ってる藩は裕福 そしてある程度江戸に近かったところ 津軽藩、庄内藩、秋田藩、加賀藩
@silversurfer512
@silversurfer512 11 ай бұрын
津軽は江戸に近くないですよね?😅
@さいきよさ
@さいきよさ 9 ай бұрын
秋田に津軽・・・北海道とそんな変わらんぞw
@suoHnokami
@suoHnokami 5 ай бұрын
江戸絡みは参勤交代の費用ですね。 貿易絡みは当時風に書けば(大坂)に向けての海路と街道が整備されていたからね
@おてらけい
@おてらけい 5 ай бұрын
私の地元の殿様は5万石ちょいですが、江戸時代末期には7万石程度の収入があったとされています。収入源は木材(飫肥杉)です。南九州の気候で育った杉材、油分が多く しなやか で 船を作るのに最高だとされていました。それでは裕福だったかというとそうではありません。実は元々は実質は4万石も無かった藩。見栄をはった石高が5万石以上、江戸時代初期は青息吐息状態。そこで、始めたのが植林事業。領民に木材を売った代金の半分を支給する政策を実行。その結果が身を結んだのです。 なお、現代でも、宮崎県の杉素材(丸太)生産量は33年間日本一です。
@sayaandmasa
@sayaandmasa Жыл бұрын
赤穂城に行ったんだが、小藩には似つかわしくない立派な城だった。 製塩って儲かるんだな。
@rukema-bv9gu
@rukema-bv9gu 11 ай бұрын
現代でもよく名の知れたブランド塩   備長炭の新宮藩も、マーケティングも上手かったのかもね
@nikku565
@nikku565 7 ай бұрын
@@rukema-bv9gu でも伯方の塩ってメキシコ産とかの塩を使ってなかったけ?
@浩紀小柳
@浩紀小柳 11 ай бұрын
数年前のテレビの番組で1両は現在の貨幣価値にすると約95000円って言われてたけどどうなんやろ?
@betcch1246
@betcch1246 24 күн бұрын
まあ、どの道極貧藩と比べたらガッポリだったから…
@平山一夫
@平山一夫 11 ай бұрын
凄いですね!
@康天野
@康天野 3 күн бұрын
毛利藩は藍玉や倉庫貸し業で儲けて借金を減らしたと聞いた事があるけど、薩摩藩は砂糖などで儲けつつも調所広郷による借金踏み倒しをしてるのが違うよな。
@necoturbo7828
@necoturbo7828 15 күн бұрын
幕府最後の貨幣改鋳だった慶応元年における一両の現在価格は、16万円。 二分金、二分銀は、各四枚で 一両。 一分金、一分銀は、各八枚で 一両。 二朱金、二朱銀は、各拾六枚で一両。 一朱金、一朱銀は、各三十二枚で一両。 豆板銀は、拾六匁で一両 (豆板銀は、計量貨幣) 味噌1匁豆板銀1匁、酒一升三匁、米一合五匁とした。 東日本では金が使われ、大阪では商人の町だけに銀が使われた。
@necoturbo7828
@necoturbo7828 15 күн бұрын
金持ち藩?全国で使われる明礬の七割産み出してた豊後森藩久留島家は、一万四千石だが、三男に千石、四男に五百石分与(各徳川旗本となる) 一万二千五百石。後に旗本久留島家千石から三千石になった。 江戸上屋敷は、品川にあり、下屋敷も泉岳寺の裏手にあった。 上屋敷は、二千坪、下屋敷は 五千坪。上屋敷の目の前は海であった。小籐次が殿様追って海の側で泣いてる殿様を見たシーンはまさしく的を得ている。
@866083
@866083 11 ай бұрын
1:28戦国時代の最盛期は・・・10か国プラス九州北部で180万石規模だったと思います(動画の画像も元就ですし)、「藩」ではないんでしょうけど あと「金持ちすぎた」というよりは「(努力と工夫で)金持ちになった」というべきかなと思いました。
@keiochunagon3235
@keiochunagon3235 3 ай бұрын
毛利家は減封時、家格に拘って無理やり表高53万石で申請したらしいよね。元々防長2か国29万石をだよwこの辺り、輝元の見栄っ張り具合がよくわかる。まぁ、豊臣、徳川に次ぐ大身が30万石以下の家格扱いじゃ耐えられなかったんだろう。それくらい、大名同士の石高での格差社会が大きかったとも言える。
@藤光-v5u
@藤光-v5u Жыл бұрын
リッチなハン…あやかりたいモノですな😊
@将史新木
@将史新木 11 ай бұрын
一両は今の価値で10万円 江戸幕府最初は一両は高いが江戸幕府中ぐらいか幕末は一両はもっと安い 一両は3000円は幕末かもっと一両は高いと思います
@安田悦男-g1l
@安田悦男-g1l 18 күн бұрын
備中松山藩板倉勝静の所は山田方谷の元、貧乏藩から結構裕福な藩になったって聞いたけどどうなんですか?
@douwaku
@douwaku 10 ай бұрын
佐賀藩、鴻池に貸付けできるほど裕福になったのに、かつて踏み倒した借金は知らん顔のままだったのだろうか、それとも少しは返済したのだろうか…?
@i4account
@i4account 10 ай бұрын
確か徳川家お抱えの筆子という奥さん(妾かパトロンかうろ覚えだけど)が借金を返済してくれました。
@douwaku
@douwaku 10 ай бұрын
@@i4account 情報ありがとうございました! 本人(藩)からではないにせよ、貸主たちは返済してもらえたのですね。よかった…。
@信和高橋
@信和高橋 11 ай бұрын
太閤検地をするあいだに戦闘をしないようにしました。
@とっくん-r6s
@とっくん-r6s 11 ай бұрын
〇〇石といっても当時は物価の地域格差がとてつもなく大きかった。 江戸や大阪と、地方の藩の城下町では随分差があったらしい。 江戸の200~300石程度の小身旗本は町人にもバカにされるほど極貧生活だったが、地方の藩の藩士は100石取り程度でも豊かに暮らせたと言われている。
@藤本こいそ
@藤本こいそ 5 ай бұрын
身分制度は、明治時代以降の学者がつけた公称。江戸時代は、それぞれの住み分けはあるが、百姓から武士、武士から商人職人、下級武士はたくさん百姓になっている。とにかく学者は、自分の権威のため、デタラメを学会に発表していた。
@ワイルドメーン
@ワイルドメーン Жыл бұрын
水野家時代の福山藩
@津田博行-e9f
@津田博行-e9f 11 ай бұрын
阿部大老の福山藩は木綿橋関税無料で良民は義倉あり
@sleepingrabbit53
@sleepingrabbit53 11 ай бұрын
今の日本に必要な人たち
@siroutodaiku
@siroutodaiku 5 ай бұрын
借金を踏み倒してた「藩」が「金持ちすぎた藩」と言えるのか? 「あくどい資産作りをした藩」の間違いではないのかな。
@S.O-f1k
@S.O-f1k Жыл бұрын
酷評される島津重豪だけど彼から斉彬、西郷とつながるし、調所は斉彬、西郷らとは対立関係だったけど彼が財力をつけたから倒幕の中心になれた。長州も村田、周布の後長井雅楽が出てきて彼は高杉や桂とは対立し悲惨な最期になるが後に影響を与えた。雄藩は思想政策が変換するが、そのどちらも最終的には藩を強くすることが主だったから成功した。
@佐池デリック
@佐池デリック 5 ай бұрын
調所広郷は密貿易の責が藩主斉興に及ぶのを防ぐため服毒して自害。遺族は家禄と屋敷を斉彬に召し上げられ、家格も下げられたとある。汚れ仕事を下の人間にさせ(命じたのは先代の斉興だが)それによって得られた潤沢な資金を使って名君?いくら政敵とは言え主君に対する調所の忠義は本物。斉彬は全く好きになれない。
@TAIRA_TAKAMORI
@TAIRA_TAKAMORI 11 ай бұрын
米価や1両の現代換算がコメ内に多く上がっていますが、一番安かったのは「10両盗めば首が飛ぶ」といわれた人命じゃないでしょうか。 木曽の森林を管理していた尾張藩では「杉一本で首一つ」(杉を1本でも無断で切り倒せば死罪)といわれていたそうです。
@林健司-n6k
@林健司-n6k 11 ай бұрын
江戸時代は米を基本にした経済でしたが、現在の感覚からすると米価は随分安かったようですね。1両が現在の価値でいくらなのかは、難解だと思います。私が先日8万位と書きましたが、10万円する人も多いでしょう。おそらくは7、8万から10万円が妥当な額だと思います。但し前述した通りに米価が安かったとすれば30万円位とする説もあるようです。
@hebereke000
@hebereke000 13 күн бұрын
借金を踏み倒すと金持ち藩になるんですか?
@中村隆久-g8m
@中村隆久-g8m 5 ай бұрын
8:13~天草地域を薩摩藩にするのも止めていただきたいですね。 長州藩の領域もおかしいし、22万両×3000円なら6億6千万円にしかならないので1両の換算も変だし、 今では(概念としては緩く存在したかもしれないけれど)士農工商って否定されてるでしょう?なんだかな動画ですね。
@hiropon9
@hiropon9 Жыл бұрын
仙台藩も、新田開発と特産品(あわび、ふかひれなど)の販売で、実高+貨幣収入は200万石くらいあったらしい
@fivepointedstar196
@fivepointedstar196 11 ай бұрын
東北大学附属図書館の資料からの引用だが 江戸時代、仙台藩において庶民といえば、その大部分は農民であった。 藩政時代、経済政策の一つとして「買米制」を布き、農民が年貢を納めたあとの余剰米を全て買い上げた。 寛文8年(1668)藩は「百姓条目」で農民が米を食べるのを禁じた。 農民も米のほかに換金作物があまりなかったので、年貢以外の貢租を納めるため米を換金せざるをえなかった。このような訳で、村には食料にするための米がわずかしか残らなかった。   藩によって買い上げられた米は、江戸へ運ばれた後、転売され藩財政の大きな支えとなった。 江戸の庶民が普段仙台米を食べているときに、仙台藩の農民の主食は、麦・粟・稗・大根・大根の葉などをいれた「カテ飯」だった。 とあるね。
@風魔忍者ぶきみ丸
@風魔忍者ぶきみ丸 11 ай бұрын
抜け荷で裏金がこじゃんとあった土佐藩。今でも、高知県は貧乏ワースト上位だが、表には出ない非合法な稼ぎがある。
@モリユスト
@モリユスト 11 ай бұрын
表高は20万石だったけど、幕末は40万石あった。特産品としては木材、砂糖、塩、鰹節、鯨があった。
@masao750
@masao750 7 ай бұрын
尾張は木曽の山林地帯が付属していたので実質百万石。 しかし御三家の体面などがあり出費が多かった。
@旅立ちの日-x7f
@旅立ちの日-x7f 11 күн бұрын
わずかって言うけど、それでも30万石越えは江戸時代トップ10には入ってるんじゃないかな
@ささやんしろ
@ささやんしろ 5 ай бұрын
酷い領主と有能な領主。有能だったの博学だけでなく奄美の黒砂糖農家やアイヌへの容赦なしの面も。これも日本史だけでなく世界共通なのかも。
@全動画にコメントするch
@全動画にコメントするch 11 ай бұрын
ナリナオが長生きしたらどうなったか気になる所
@胡散臭いとうふや
@胡散臭いとうふや 5 ай бұрын
加賀藩の実高が最低200万石だったと言う研究が………………( ̄▽ ̄;)
@ザッキー-p9k
@ザッキー-p9k 5 ай бұрын
毛利藩でリストラされた元武士です! 武士の格式で高い位の武士だったので準武士の立場で庄屋となり その筆頭格でその知行地の御家老様の家宰 (執事)としてお仕えした一族の末裔です! ウチには、桂小五郎、桂太郎、寺内正毅などの幕末期〜明治、大正の元勲達の集いの場でした!
@OINOMIKADO_YASUKO
@OINOMIKADO_YASUKO 11 ай бұрын
長門、周防の二カ国を有していたので、歴史学的には居城のあった萩城をもって萩藩と論じる事もございますね。薩摩も大隈がございましたでしょう。ですから鹿児島藩など。たかだか藩名、されど藩名で、六ヵ敷い事でございますわね。
@友之森田
@友之森田 11 ай бұрын
そりゃ、取り敢えず、新田開発は、やれる藩では、やってたんだ、商品作物等の開発もやらかしても、間に合わない程に、膨らんだりして、商人にも多少のメリットを持たせて上げたらしいとは、思うんだな、長州藩は、関門海峡を通る船等に課税もしたらしいよ、木曽三川工事の他に、重豪君の贅沢が、破滅を招いたりして、これもまた、借金を踏み倒されたのとは別に、色んな意味で、絞り捲った黒糖や、密貿易での商品販売特権を与えたりしてて、地元の我が藩は、財政面では、残念な事に、ぱっとはしないんだよな、商社活動には勤しんでは居たものの、既にって感じでして、三菱財閥の歴史を見てくれればな、
@九万聖
@九万聖 11 ай бұрын
木曽三川工事の時の幕府のやらかしに腹を立てた尾張藩は、幕末ではいち早く薩長側につくことになったんどよなあ。 歴史は意外なところで繋がってる。
@九万聖
@九万聖 11 ай бұрын
木曽三川工事の時の幕府のやらかしに腹を立てた尾張藩は、幕末ではいち早く薩長側につくことになったんどよなあ。 歴史は意外なところで繋がってる。
@九万聖
@九万聖 11 ай бұрын
米の生産量が増えるということは、換金作物としての価値が下がることに。 実高としては増加していても、実際の収入としては目減りしていくという米本位制が生み出したデフレ不況。
@m4ruy4m4
@m4ruy4m4 6 ай бұрын
庄内藩
@村瀬祐介-j9z
@村瀬祐介-j9z 11 ай бұрын
大体の藩は幕末は借金ばかりだと思いますよ。薩摩や佐賀だって借金棒引きさせただけだし。
@nan8oha
@nan8oha 5 ай бұрын
長州藩も密貿易してなかった?
@いでたかゆき-r8i
@いでたかゆき-r8i Жыл бұрын
ーコメ、リッチな 藩ってどこだろう
@valkyrierider
@valkyrierider 7 ай бұрын
一両3000円が40万両なら12億円でしょ。12兆円て算数大丈夫か。 普通の感覚で言うと一両は10万弱だった記憶がある。ドラマの中での価値の表現でもそのくらいの感じだった。 1両10万円なら40万両で400億になる。現代の感覚的にはこのくらいだろうよ。12兆円て小さな国の国家予算や無いか。小さな藩がどれだけ回しても返せるものか。
@ファンタジスタ-d1p
@ファンタジスタ-d1p 28 күн бұрын
計算間違えていませんか?
@osakakawachi
@osakakawachi 5 ай бұрын
薩摩藩は年貢米の取り立ては凄く厳しかったけど、そのかわり栽培を奨励したサツマイモのおかげで 農民の餓死者はほとんど出なかったと言われてるんですよね~。
@みかず-g9n
@みかず-g9n 11 ай бұрын
松前の実収入は8万石もあったのか! そりゃ幕末期に転封となって、一時期出羽東根と陸奥梁川に合わせて3万石もらっただけじゃ、困窮するわけだ。松前復帰運動が盛んになったのもうなづける。
@よよよ-r4s
@よよよ-r4s 5 ай бұрын
徳島、薩摩、長州、土佐
@眞田充博
@眞田充博 11 ай бұрын
計算のできない子供か。
@maipenrai23
@maipenrai23 11 ай бұрын
算数が苦手なようだね。
@やませみ-x3q
@やませみ-x3q 11 ай бұрын
財政再建に質素倹約とは間抜けだね 岸田君なら税金を上げるだけなのにねw
@mi-tx5pv
@mi-tx5pv 11 ай бұрын
借金踏み倒すのもなかなか凄いと思うけどな
@芳博林
@芳博林 11 ай бұрын
藩の説明するのに藩の領域を把握していない。
@ドリアンランタロウ
@ドリアンランタロウ 5 ай бұрын
薩摩藩は、英蘭等との密貿易で儲けたと思う。
@kさとう-l9z
@kさとう-l9z 11 ай бұрын
中華民国の成立は1912年、日本の江戸時代に中国はありません😢
@芳博林
@芳博林 11 ай бұрын
中国イコール中華民国ではありません。中国とは現代の中華人民共和国、台湾等一帯を呼ぶ呼び方です。
@公束
@公束 11 ай бұрын
くだらねー屁理屈でマウント取ろうとして恥ずかしくないの?
@arahabaki6640
@arahabaki6640 11 ай бұрын
@@芳博林「江戸時代に中国はなかった』と言っているだけでしょう。江戸時代には、明、清があった。
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