そうですね~お気持ち、共感いたします...とはいえ、都会を抜け出れば@Run a way そんなしばりもない自然な風景は、あちこち@この日本にまだあるということ、忘れたくないですよね できなくったのは、都会、でも、少し離れれば、できる場所があるということ... 時代を生きる中で、できることが多くなったとは思う反面、できなくったこと、それも、なんでしょう。。大切な風景。。が消えてゆくときの悲しさ、わかります..そんなこととを思いつつ...「いま」をともに、翔け抜けてゆきましょう PS このNHKの放送は、若い頃は、友人からコピーしてもらったカセットで、それも、ほんと宝物で、たき火ということは、いま、映像を見て初めて実感したのですが、自分は、お子らの遊んでいる声がとても印象的でした。。
tsukuimoonstruck 小田さんが清水仁さんをメンバーに推薦した理由が、清水には、自分たちにはないものを彼が持っている、と判断したからだそうです。清水さんはオフコースに加入する前は、ビートルズのコピーバンドである「バッドボーイズ」で数年間活動していましたが、あまり売れずに解散し、飲み屋のお姉ちゃんのところに転がり込むくらい落ちぶれ、当時のオフコースのプロデューサーの武藤敏史が彼の地元の大阪梅田のディスコで見つけて、スカウトしたようです。清水さんにはオフコースにはなかったある種社会の荒波に揉まれてきた泥臭さと、つばきが飛ぶほどの直球勝負のロックンロールのカラーがあり、そこを小田さんが自分たちにはないものと判断したと思います。ちなみに、その崩壊しかけたバンドを、もう一度やろうやと言って小田さんを説得したのも清水仁です。その時の励まし方がすごく「ドュービーブラザーズはオリジナルメンバーがほとんど残っておらへんで、イーグルスかてそうや」と言ったそうです。それがきっかけで、1年間のブランクを経て、1984年に4人体制でオフコースを再開しました。(ただ、オフコースの最後のアルバムである、「Still a long way to go」を制作していた際、清水は小田さんに相談もせず、勝手に吉田拓郎とコラボして曲作りを行い、その曲は「逢いたい」になりました。その一件で、小田さんと清水さんとの間にヒビが入ったことはいうまでもありません。)