Tokyo Christians Vox 昔のキリスト教では偶像崇拝が厳しく禁じられていて(母体となったユダヤ教が厳しく禁じていた)正統とされていたアタナシウス派(教皇はアタナシウス派のリーダー的な人)は聖像を作ってはいけない決まりだったのですがアリウス派の勢力であるゲルマン人(主にロンバルド王国)が教皇領のすぐそばにいて対立していました。そこで聖像を使ってアタナシウス派を布教して勢力を伸ばしたい教皇(グレゴリウス1世)がゲルマン人に聖像を使って布教し始めたことで伝統を重んじる東ローマ皇帝(レオ3世)が教皇に向けて聖像禁止令を発布しますが教皇はこれを拒否します。ここから教皇と東ローマ皇帝の関係が悪くなりキリスト教の分裂につながってしまいます。ちなみに当時の教皇側が現在のローマカトリック教会で当時の東ローマ皇帝側がギリシア正教会となります。自分的には教皇も東ローマ皇帝も悪くないし、それぞれの考え方が当時の情勢と合致しなかっただけだと思います。受験生の拙い知識で分かりづらいかと思いますが、参考になれば幸いです。