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57:18
粟野村 東京シネマ1954年制作
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NPO法人科学映像館
Күн бұрын
Пікірлер: 201
@acyarapapa
3 жыл бұрын
私が生まれて3歳の頃のPR映画ですね。齢70になるまで父親がこの映画の製作(照明)に携わっていたとは知りませんでした。貴重な映像をアップロードして下さり感謝申し上げます。父は戦後レッドパージで東宝を追われ、その後はフリーランスとしてPR映画の仕事や教育映画の撮影に従事して私を養ってくれていたと思うと今更ながら、感謝です。父が亡くなってから、13年経ちますが偶然にも名前がクレジットされていて驚きました。ありがとうございました。
@magicalcoin
2 жыл бұрын
貴重な映像が視聴できて嬉しいです✨
@MrDastardly
Жыл бұрын
Your fathers name will never be forgotten.
@こつきやえ
9 күн бұрын
なんということでしょう。お父様の名前があるなんて❗ なんだかわたくしも嬉しくて仕方がありません😄 天国のお父様とお仲間の皆様、そしてあなた様にありがとうございます。❤
@HBSG018
Жыл бұрын
戦前から1960年代あたりまでの、こういう教育・ニュース映画の読み上げについて、 現代と違ってゴテゴテとした修飾表現やヘンテコな謙り表現をせず、時には失礼とも思えるくらい率直な表現をするのがすごく好きです。 貧しいものを貧しいと言い、必死に生きることを衒いもなく表現する。 日本語がきれいだなぁと思います。
@嶋田敬幸
8 ай бұрын
誠にお説の通りです。 両手を挙げて賛同します。 それに引き替え現在の表現に違和感を感じます。
@清矢野-k1b
18 күн бұрын
貴重な映像、ありがとうございました。くり返し観たいと思っています。 ぼくはこの作品が製作された年に生まれました。
@わたくし生まれも育ちも
5 жыл бұрын
この様な貴重な映像が手軽に観られてしまう。 アップ主とKZbinに感謝。
@田中太郎-d2b
4 жыл бұрын
アップ主さんとyoutubeもそうですが、この映像を取ってくれた先人にも感謝の誠をささげたいと思います!
@三品博美-v3z
8 ай бұрын
この映画を見ては親父と会ってます、ヒヨコの仕事をしてるのが親父で近所で撮影したものです、粟野の人は懐かしく見てます。
@西園寺東子
3 ай бұрын
お父様は青い作業ズボンの方ですか? 映像に残るって素晴らしいですね🤗 いつでも逢えて羨ましいです。
@magicalcoin
2 жыл бұрын
7:46 電動脱穀機を笑顔で見守る百姓の様子が、当時の日本国民の心情をよく現しているように感じました🤗
@MrEjidorie
10 жыл бұрын
1954年(昭和29年)当時の日本の農村の様子がカラーで記録された貴重な記録です。何よりも驚いたのは当時の農村ではまだ電化が十分になされていなかった事。この映画で描かれている粟野村は当時のモデル農村だったのでしょうが、現在と比べて随分と生活環境が厳しかった事が伺えます。しかしこの映像にも描かれているように、当時の農家の人達の地道な努力が今日の私達の便利で豊かな生活の礎になったと思うと先人達の努力に頭が下がる思いです。
@寸聞朶羅
5 жыл бұрын
12:54のコッペパンの店…出来たてパンがとても美味しそう。懐かしい匂いがしてきそうです。65年前の村の電化で農家さんたちの生活も楽になった時、過疎化への道は皮肉にも開かれてしまった…という事になるのだね。。ともかくこうした先人達の苦労・格闘が今の私達の生活の礎になったことに思いをはせたいものです。
@日記日誌
2 жыл бұрын
電化して農家からサラリーマンにみんななっちゃったのかな?
@solmanism9538
4 жыл бұрын
貴重な映像を残して頂いて感謝です 本当に昔は大変な作業でしたね 楽を知ってしまうとどうしても戻れなくなる それも自然な流れでしょうか しかし人間の底力は凄い どんな時代も頑張って明るく生きて行こう❣️
@エジンバラ公爵
3 жыл бұрын
電力会社の人が電信柱を駆け登るシーン。 レスキュー隊も真っ青、昔の人はスゴイ。
@高橋美春-r3v
4 жыл бұрын
農作業は大変だけど、収穫の喜び、家族の絆があって人生の一つの幸せを見た気がした
@aqua20000
5 жыл бұрын
うちの父が当時14歳。最後らへんでモーターの講習を受けてた中学生たちと同じくらい。 そんな父も今年で79歳になりました。映画に出てた中学生も今頃80歳前後なのかと思うと、時の流れのはかなさを感じるとともに、なんだかうかうかしてちゃいけないなと考えさせられます。
@0010-e2i
8 ай бұрын
俺の親父は明治35年生まれや。どや。
@ya9732
4 жыл бұрын
昭和29年なら、山間部のへき地は、10年以上遅れていたことの証明にもなりますね。その頃の日本の田舎の基準になりそう。 田舎の電気屋さんや電気工事店は、このころから起業、さらに、農地を使ったハーネス工場や電気部品製造などアルプスやソニー、アイワなどが進出してきたのがこの後になる。東京オリンピックが昭和39年だから、相当急速に田舎が変わったともいえますね。 貴重な映像ありがとうございます。
@mm.4190
3 жыл бұрын
見事な軽業で電柱上ってく姿が素晴らしい
@murasondayo
4 жыл бұрын
当時のカラー映像は相当お金が掛かったのだろう。次世代に映像を残す思いがひしひしと伝わる。
@林友則-x2k
11 ай бұрын
いい映画ですね、感動しました
@トリデ-x9c
5 жыл бұрын
モーター1台でこんなに沢山の人達の笑顔、今の世の中、食べ物でも何でもムダにしすぎ、物を大切にしたいです。
@井原辰晃
4 жыл бұрын
作品のモーター 一つでと言いたいのは 電気とモーターで色々省力でき生産性向上 労力の提言 利便性向上 と言う意味でしょうけど。 モーター 一つの工業的意味合いがもう一つ。 昔の町工場や農家は一台のモートルから平ベルトで梁の上に通した主軸を回して各種機械を動かしてました 動画の製麺所の送風扇も平プーリーが2段に成ってこれも一つのモートルで何台もの送風扇を回す知恵ですね。
@助毛
3 жыл бұрын
必要なものが上位互換されてるだけでしょ? 昔は食い物、生活といった最低限の物が精神的にも必要だった時代。 今なら手軽に食える物やスマホに上位互換されただけだと思うけど。 この頃だって無駄はあったと思うよ、人間の労力とか。
@殿っだて正夢のスナックでござる
4 жыл бұрын
登場する農協は今の伊達みらい農協粟野支所かなぁ、今の姿からは想像つかないほど賑わってるなぁ、前半に出てくる大きな農家の御屋敷はいまも当時のまま残っています。遠くに見える霊山の山並みは今と変わらないなぁ。
@TheKappa3
3 жыл бұрын
当時の農業と今の農業ではその技術は雲泥の差で単純比較できないが、農民、学者双方が知らないことが多すぎてお互いにうまくいかない選択を行っていたこと。それからの60年で、飛躍的に農業技術が発達したことがよく理解できる動画です。思えらくは、両者、農民と学者が互いを退けることなくお互いの知識を補完しあうことを切に願います。
@持田三広-u7o
Ай бұрын
私が産まれる前の映像です昭和33年生まれです、私の生まれ時代も貧しい村でしたよ街路灯も無く買い物を仕手帰る時は、月明かりが頼りになる位に明るくて居間とは違う月のひかりでした、何でも在る時代出は無く総てが自給自足の生活魚も、川魚が殆ど沢山取れたら物々交換汚染避れては居ない川魚、魚屋で買うものはカジキマグロの味噌漬にマグロのぶつ、野菜も米も自給自足味噌も手造り肉何手高くて買えない責めて、肉屋さんのコロッケかハムカツ昔はご馳走でしたあの時代が1番幸せでしたね。❤😂
@プラモデル走る機関車
4 жыл бұрын
貴重な映像をありがとうございます。
@takutubepalms
4 жыл бұрын
綺麗な映像で記録されていて羨ましい。
@shenzhiruoju5928
4 жыл бұрын
このころの空気も食事も格別だったんだろうなあ。
@明日を夢見て-j6u
4 жыл бұрын
私の生まれた年ですね。暫くしてもの心がつき、思い出される日本は貧しかったものです。しかし、高度成長時代でしたから、あっという間にテレビが家庭に鎮座し、冷蔵庫も備わり激変したのです。 それにしても、世界を相手に戦争した我々日本人でなければ出来なかった復興です。感謝します。
@nukottie1117
5 жыл бұрын
製作:東京シネマ 企画:東北電力 1954年 イーストマンカラー 21分 福島県伊達郡にある粟野村は、全村ほとんど畑ばかりの小さな村です。人々は戦争の疲弊から立ちあがるため、村を共同で電化しつつ、目ざましい発展を遂げていきます。この作品はその実際を記録したものです。
@いずみ-k3l
5 жыл бұрын
村人達の嬉しそうな笑顔がいいね
@hildebrandomiguel8145
5 жыл бұрын
💕😗😘🌅🌄 👏👏👏👏🇯🇵
@lamia2779
5 жыл бұрын
今ではありえない
@わたくし生まれも育ちも
5 жыл бұрын
@なぜ長女より次女が可愛くなるのか? 夢と希望に溢れていたんでしょうね。
@jimjimgl3
2 жыл бұрын
Great window onto the past. And the cinematography and editing so good.
@christopherperezkuwahara1891
Жыл бұрын
バルトークの管弦楽のための協奏曲が挿入されてるけど、これが作られた当時はまだつい最近書かれた新しい音楽だったと思うと感慨深い。
@海軍343
4 жыл бұрын
自分が生まれていない時代、新鮮です❗
@momota-1953
3 жыл бұрын
懐かしいですね。私の幼児時代の映像です。
@0010-e2i
2 жыл бұрын
俺は既に成人していたけどな。
@TomoyukiHironaga
11 жыл бұрын
冒頭部分が福島交通飯坂東(梁川)線の軌道風景と路面電車。それだけでもかなり貴重ですが、電化で明るい戦後の農村が具現されている。いい作品です。
@ccp_fact_checker
3 жыл бұрын
great video on electrification with modernization of farming and food production practices. Thank you for sharing
@samsquatchnw9660
3 жыл бұрын
thank god some one said something about what i was watching
@macsy1955
4 жыл бұрын
当時、都市部ではほとんどが既に電化し終わっていましたが地方の町村はまだまばらに電化ができていないところがありました。映像は現在の福島県伊達市ですね。東北電力が各地に電気を通そうと取り組んでいました。
@kou5048ify
3 жыл бұрын
電柱を、立てるにも、大変な事だったんですね。
@GONDAINAGONDAINAGOYAN
5 жыл бұрын
粟野村(あわのむら)は福島県伊達郡にあった村。現在の伊達市梁川町各町の西部にあたる。
@6op6hi5k
5 жыл бұрын
65年前⁉️映像キレイすぎて驚き‼️
@torakurou
5 жыл бұрын
たぶんデジタル化されてると思います
@sukisukiww
4 жыл бұрын
昭和29年のカラー作品とか貴重ですな
@星一-h4t
4 жыл бұрын
日本初のカラー映画は日本製フィルム、フジカラーで撮られたカルメン故郷に帰る(高峰秀子主演)昭和26年でした。それから3年が過ぎて急激に撮影フィルムのカラー化が進んだんですね。
@なっつん-r1u
5 жыл бұрын
こういう時代って皆んなで協力しあってるよね。 今は自分が良ければそれでいいって感じで、自分の事しか考えてないもんね。 便利になってくると、人の心って貧しくなるのかな...。
@darie539
4 жыл бұрын
協力しないと 食べていけない。
@ほほほたか
Жыл бұрын
17:48 当時の小中学生を風貌や雰囲気を感じ取れて興味深い
@user-sf9rh9xp4k
4 жыл бұрын
昭和40年代小学校前に、 ひよこ🐣売りがいたのを思い出した。「家に帰ってお金もらってから来なさい」と言われたような記憶。 絶対買ってもらえなかったけど🤓
@yukaharada215
5 жыл бұрын
戦争から9年でこれ…
@丸くん-y5s
9 ай бұрын
チャイコフスキー交響曲6番 第二楽章とスゲーマッチしているなぁ(笑)❤ 編集者の趣味が良いなぁ(笑)♥
@ogikubo15
5 жыл бұрын
2週間分の作業が1日で終わるようになり、結果的には余剰労働力が都市部への人口流出となって過疎化につながるのだから、皮肉なものですね。
@星一-h4t
4 жыл бұрын
出稼ぎですね。高度成長期の重要な働き手だった。
@Botsubon
4 жыл бұрын
でも、電化もままならないような奥地・離島だと結局無人になってしまったから、仕方のないことだと思う。
@TERANG1965
4 жыл бұрын
> 余剰労働力 一理あるかも知れませんね。小作人はそうでしょう。 一方で自営農家は、空いた手で兼業化と、収入増に繋がったと思われます。
@ポメラニアン2号
4 жыл бұрын
jugo ogikubo おしゃられるとうりです。
@EMtest-s2h
3 жыл бұрын
戦後日本でこれだけセンセーショナルなんだから、産業革命時のイギリスなんて天変地異くらいな出来事だったんだろうなぁ
@ドンクマ-f8h
6 жыл бұрын
木で出来たリンゴ箱が懐かしい。 もみ殻は後から入れるのかな?
@fukuhanazo
5 жыл бұрын
クッション材としてもみ殻入ってましたね。懐かしい。
@siti-hon-asi
3 жыл бұрын
こういう動画のコメ欄に昔はみんな協力的な生活を送ってるのに現代はみんな自分勝手という内容のコメが毎度一つはついてるが集団生活のデメリットも当然あるわけで、皆が皆同じようなペースで働けて同じ思考で生活できていたら村八分なんて悪習も生まれなかった。 集団で生活するか、孤立して生活するかが選べるようになった現代に感謝すべきよ。
@日記日誌
9 жыл бұрын
測量のおっちゃんが着てるカーキ色の作業服かっこいい。欲しい・・・アメリカの西部開拓地みたい^^梅雨だと穂が乾かないから穂出芽しちゃうんだよねぇ日本でパンが普及しなかった原因だねぇ
@carlalazzari268
5 жыл бұрын
どうもありがとうございました!
@ともかずすがい-d9b
2 жыл бұрын
昭和20年代の村の風景はじめて見たよ
@saltwatertaffy843
4 жыл бұрын
12:56 2020年にこの映像をタブレットの仕組みも知らずにタブレットで見ているが、この装置を作れと言われても仕組みがわからないから自分は作ることはできない。そういう問題に直面した人間が本当に思考しないと生み出せない。
@useMaru
4 жыл бұрын
電気とモーターだけで変わるもんだな。 現代のインターネットは当時の電気とモーターか
@nyantako222
Жыл бұрын
教育映画と言うことは 各小中学校の体育館で 当時放映したのでは?昭和30年代生まれの自分は 小学生の時に一年に数回体育館で全児童が集まり 映画鑑賞した記憶があります。今でも強く記憶してるのが まだ若い千葉新一主演の 【半魚人】でした。(笑)
@chirokazama4558
5 жыл бұрын
夕日の美しさはいつの時代も変わらないぜ
@g-chan2607
5 жыл бұрын
オレとおなじこと感じるんだな!
@kenkoiking179
5 жыл бұрын
だな…。
@大成清美
4 жыл бұрын
分かりました?何であれコロナが邪魔しますねどげしやもないですね
@ポメラニアン2号
4 жыл бұрын
だからコロナ、人口削減目標、コロナ以上のもの来るよ。
@itumogenkiyoku
6 жыл бұрын
電化促進の為の映画に間違いはないでしょうね。 でもこの頃の農村の電気といえば、裸電球とラジオくらいだった。出稼ぎ、豊作などで現金を手にした農家は電化製品を買い求め、この映画の15年後くらい万博の頃にはテレビ、冷蔵庫、洗濯機くらいは持つようになった。
@hima1848
4 жыл бұрын
今でも基本的な電気料金の契約の名称が従量電灯と低圧電力(動力)という由来ですね。
@ポメラニアン2号
4 жыл бұрын
おしゃられるとうりです。
@ダニエル滝之輔
3 жыл бұрын
ふと思ったのは「この村、電気が来ていない頃から電車が来ていたんだな」
@suwa-turibto7181
4 ай бұрын
電気が導入されてからの発展具合は、都市シミュレーションを見ているかのような気持ちになる
@fukuhanazo
5 жыл бұрын
粟野村に電気が引かれる前から、村内を走る軌道は電化されていたようですね。
@junmal4403
3 жыл бұрын
良い動画でした。ありがとうございます♪登録させていただきます。
@nyarome3
4 жыл бұрын
現在の経済状況から見ると、農林水産業はお国が管理するのが最適だった様な気がするね。自由経済では無くなるから、新しい農作物などは勝手には出来なくなるだろうし、市場でも安売りは無くなるかも知れないけど、最低限の穀物は安定した供給だろうし、輸入は日本の環境で無理やり作っている野菜果物を入れればいいしね。そういった物は昔から見ると贅沢品であるからね。それから、第一次産業が安定した収入であれば、後継ぎ問題や森林の保護、限界集落問題、野生動物の共生問題など、色々とクリア出来ているのかも知れないね。まあ、理想的な考えですが。
@SYUNDEI
9 жыл бұрын
昭和29年の農村が映像化された貴重な映画ですね。作中、子どもたちがバックに映り込んでいたり、タイミングよく走ってきたり、老人たちが耳打ちしたり、演出されたシーンが散見されます。現在のドキュメンタリー手法では、禁じ手となっています。老人たちは役者を起用した可能性も否定できないですね。
@higonokaze
8 жыл бұрын
これは電化普及促進の映画ですね。TVのドキュメント記録と混同しないように。
@samuraijapan67
7 жыл бұрын
どう見ても映画の作りですけど・・・?
@orientltdexp3966
5 жыл бұрын
決してドキュメンタリーではありませんからね
@ken150wood
3 жыл бұрын
近代史としての生きた資料。政治的な歴史より人々の暮らしの歴史の方が後世に伝えたい大切なモノ。
@orientltdexp3966
5 жыл бұрын
労力に余裕が生まれ、余裕を働きに当てることで、また財を生むのね。凄い。 電化の資金はちゃんと払えたかな。電化って凄いんだな……。
@伊-b7m
Жыл бұрын
電化の余力を他に回して更に富を蓄える。 目に見える形で蓄財がされていくのは満足度も高いだろう。 今やインフラは一通り揃い、新しく欲しい物もあまりなくなってしまった。 この頃から考えると贅沢極まりないよな。
@dxmdx154
5 жыл бұрын
戦後9年後なので、戦後って言葉が重く感じますね。
@hima1848
4 жыл бұрын
私はよく聞かれる戦後という言葉はあまり好きではありませんね。何かにつけて戦後戦後言われますが、長く続いてきた日本の歴史に強制的に区切りをつけて(区切りをつけて歴史を分断したい人達の意志を感じる)、新しい国になった。戦前は間違っていた。しかし今は違う。正しい。みたいな強制的な刷り込みに抵抗を感じます。
@Tora-Tora-Tora-
Жыл бұрын
@@hima1848 わかる
@abarayasoutatu
9 жыл бұрын
「そんな田舎に高速道路などいらん! 熊が通るだけだ!」 とか、「そんな田舎に新幹線を通せばストロー効果で田舎から人が出て行ってしまうぞ!」 とか、「原発を再稼働するな! クリーンなエネルギーを使え!」 とか、「電気を好きなだけ使うな! 節電だ! エコだ!」 などという声を聞くたびに眩暈がしそうになります。 たぶんこれらの主張をする人たちは、生まれた時から高度なインフラに囲まれて生きてきたせいか、インフラが整うことでどれほどの恩恵を享受できているのか、という事実に気付いていないのだろうと思います。 それに、都会が発展しているのは、都会の人間が優秀だからであり、田舎が寂れているのは田舎の人間の努力が足りないからだ、とでも思っているのでしょう。 でもそれは間違いです。 都会が発展しているのは、ほぼ100%インフラのおかげです。 インフラが整った場所に人は集まります。 インフラの整った場所は色々と便利で快適だからです。 そして人が集まれば更にインフラは整い、更に人も増えるという具合に発展していきます。 それにもなにより都会の人間(特に東京の人間)は大事なことを忘れています。 明治期の東京にインフラを整えた時、その費用は日本全国から集められた税によって賄われたということを。 そして関東大震災の復興や戦後復興の費用もまた、東京だけで賄ったのではないのです。 なので田舎に対して酷いことを言わず、インフラ(高速道路、新幹線といった基礎的なもの)を整えてやらなければ可哀そ過ぎます。 基礎的なインフラすら整わないということは競争のスタートラインにすら立てないということですから。 それから田舎の高速道路網や整備新幹線という基礎的なインフラ整備だけではなく、効果が目に見えにくく、多くの人からの理解を得られ難いような都市部の事業(スーパー堤防など)も進めていくべきだとも思います。 そうすることが現在を生きる日本人の為だけではなく、末永く日本人の為になるのですから。
@Koyo0623
5 жыл бұрын
abarayasoutatu そういうことは考えてないと思う…。 反対派とかは元ヒッピーとか共産主義者とかが中心だから。
@ddfization
2 жыл бұрын
斜陽国家と化した現在と高度経済成長期以前を混同してて話にならないね。
@エジンバラ公爵
3 жыл бұрын
ある意味、弱小電力会社同士の過当競争を廃し、9電力会社体制とした松永安左エ門の功績とも言える。 おかげで、計画的に設備投資が行うことができ、結果生まれた余剰電力にて新たな需要を掘り起こし、わが国の経済復興および、その成長に貢献することとなる。 この映画制作もそれらの一環と思われます。
@半田屋-d3i
10 ай бұрын
1950年代、農業の動力化といえば石油発動機がまだまだ主力の時代、粟野村は農業電化のモデルケースだったんでしょうね。
@ソースせんべいラムネ味
5 жыл бұрын
明治34年に5つ子が生まれた村でもあります。 (赤ちゃんたちは数日で残念ながら…)
@ポメラニアン2号
4 жыл бұрын
空気は美味しいか知らないですが、食事は美味しくは無かったと、カレーって粉から作る漁村だったら、美味しいかったかも
@もこ-m4r
5 жыл бұрын
谷間の学校の二年後だけど、山間のへき地は開発が遅れていたんだな
@カーリー-n9k
2 жыл бұрын
1954年なら曾祖母や曽祖父が生きていたので 私ところか母や父さえ生まれていません 古の資料を動画に取り込む程 ネット技術は日々進化を続けているんですね
@上田達也-f3z
4 жыл бұрын
こういう時代のほうが人の心は豊かだった。思いやりがあった。生きている喜びがあった。 現代は人を蹴落す能力とずる賢さが評価され、貪欲な競争と金儲けが社会を支配している。
@d-zenu2505
4 жыл бұрын
一緒だよ。ただ、ルールと責任が、増えただけです。昔は、誰でも起業したけど、今は法律的な責任 が、強いから。 今も昔も、変わらないよ。道徳心が有ればね。感じ方だよ。因に、宗教は糞だから、無宗教だよ。でも、絶対この映画の人達、綺麗な、服着てるね。素人が、気を使った結果だね。
@GONDAINAGONDAINAGOYAN
4 жыл бұрын
この頃の日本は今より犯罪がものすごい多いけどね。人心も荒廃していた。昔に帰りたいならお前だけで帰れよ。
@ポメラニアン2号
4 жыл бұрын
上田達也 まさにおしゃられるとうりです。日本人が日本人だった頃。三世代生活が当たり前の時代良い知恵を貰えていた頃。今の時代は上下左右がおかしい。伝統が無くなってしまった。
@ddfization
2 жыл бұрын
19:45 終のフォントが斬新すぎた
@tadataka4
4 жыл бұрын
恵まれすぎてありがたみが欠如してる自分は心が廃れてるんだな。 この時代に生きたらどうなっただろうと考えた。
@norio0927
4 жыл бұрын
その時代なりに懸命に生きていると思うよ。
@bdpq69pq
Жыл бұрын
5:21 プロコフィエフ「古典交響曲」?
@jyothiprasadb2133
3 жыл бұрын
インドから日本への愛
@嶋田敬幸
8 ай бұрын
子供の頃、足踏み式脱穀機が有りました。
@west3455
Жыл бұрын
電気が無くても脱穀機は発動機があったと思うけど、60年代でも発動機はよく見た。
@hildebrandomiguel8145
5 жыл бұрын
Japan país do Sol nascente 😘😗😍❤ 🌄 🌅 🇯🇵 País dos meus sonhos 🇯🇵
@honda5926
4 жыл бұрын
2020年現代の実家の田舎よりハイテクに見えます。
@s-kumakura4233
4 жыл бұрын
Maravilhoso acervo de um povo.
@山内信彦-p2x
4 жыл бұрын
55秒辺り、菜の花畑は菜種油(なたねあぶら)を採る為なのだろうか? 調理法がなんであれ、食材としても価値あるのも確かだが。
@ffrrrfdrrr7679
2 жыл бұрын
これBGMのクラシックなんて曲だっけ?マーラーの曲??
@kiritoon
4 жыл бұрын
でんかのちからってすげー
@stevengallanter665
6 жыл бұрын
3:44 shows work so physically demanding that it pits what we do here today in the U.s. to shame.
@孝志井上-u7b
Жыл бұрын
でも、電車が走ってるよ農道の真中にびっくり😲
@satokei1257
5 ай бұрын
70年前か・・・
@rsnsgm46
3 жыл бұрын
80年代生まれ以降の「アノ頃はよかった」厨が湧く余地もないな
@0010-e2i
3 жыл бұрын
いまの栗野村の人たちにみてもらいたいなぁwww
@日記日誌
2 жыл бұрын
みんな笑顔になれるかもね😆
@tociaon6
10 жыл бұрын
16:47 BGMも興奮した
@prc148mbitr
3 жыл бұрын
北海道の場合、僻地の為か山田式といわれる風力発電が普及したらしい。山田式に関して詳しい資料が見つからない。
@信二-f9q
Ай бұрын
懐かしいね
@dsato1266
2 жыл бұрын
粟野村ってどこだと思ったら福島太陽誘電の近くのところか
@38chikuwabu
2 жыл бұрын
昭和29年か。地方にも電気が普及したのはこの時代なんだね。まだ、今と違って明るい未来を夢見ることができる時代だね。決して経済的に裕福ではなかったが今日より明日はいい時代と思い頑張れた時代だね。おかしくなったのいつからかな。皆が言うようにバブルの頃かな。どうしてこうなってしまったのかな。外国との関係でこうなったのかな。少なくても昭和の頃は日本の国が亡びることを願うような人間は一握りしかいなかったはずなんだけどな。嫌な時代になったもんだ。明日を未来を明るくなるような時代がもう一度来るべきだよな。若者が明日を見ない時代、自国が滅びることを願う国は違うと思うんだけどな。
@user-qf5om7bs5r
3 жыл бұрын
新美南吉、おじいさんのランプ、読み返した様な情緒 戦争が済んでも、今なら、コロナ禍が済んでも、かな
@姓名-t6b
4 жыл бұрын
戦後九年。東日本大震災からも九年経った。 しかし亡くなったのは300万人。どの村にも息子や大黒柱を失い、この映像が撮られたとき正に塗炭の苦しみを味わって人が居ただろう。 彼らの笑顔の裏にどれだけの悲しみがあって、それと同時に不屈の信念があったことか。 一方俺たちはどうだろうか。先進国でもう伸びしろがないとか、硬直化した社会構造はどうにもならないと言い訳をするのは止めようよ。 俺たちも私達も彼らに恥ずかしくない日本人になろう。もちろん社会の成熟とともに階級化が進むのは仕方ない。ただそれを壊してよりダイナミックな日本の復興をしようよ。 大和民族はそれができる優秀な民族なんだから。
@ストリングフェローホーク
8 ай бұрын
今の風景はどうなんだろう
@karinmiyo76
5 жыл бұрын
まあ単純な感想なのは百も承知なんだが、10年足らずで軍事国家から180度変遷した国家になり、それに対応できるんだから人間ってすごいな思う。良くも悪くも
@竈門禰豆子-n6w
Жыл бұрын
戦後9年間の間に復興がここまで進んでいる日本は改めてすごい国なのかなと良いでしょうか
@kosukemizutani666
4 жыл бұрын
効率化の最果ては自らの時間を持て余して結果身を滅ぼすかも。と、思った。人の手ではじめたものは最後まで人の手で....
@katudakorya2000
4 жыл бұрын
戦時中の国営ニュースとまだ全然変わってないな
@user-kyo-goro
Жыл бұрын
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