世界が恐れた日本のゼロ戦(零式艦上戦闘機)とは|小名木善行

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@patriciakensitte5249
@patriciakensitte5249 2 жыл бұрын
零戦の設計は、堀越二郎さんが、徹底的、心底、精神を注ぎ込だ、世界屈指の最強戦闘機ですね‼️ とは言え、日本は、物資、燃料など不足していたことが終戦、間際に、アメリカ戦闘機に、 撃墜されてしまった、不運の戦闘機になってしまったのですね‼️しかし、その技術、精神は、 現在の日本人に引き継がれていると思います、日本が、現在のような、技術的に世界に誇れる国に、 進化したことが、零戦を設計した堀越さんの精神が生きている証拠だと思います。小名木さんの 解説によって、改めて、零戦の素晴らしさを教えて頂いたことに感謝します❣️
@kawasakihien2744
@kawasakihien2744 3 жыл бұрын
小名木先生、今回も貴重なお話をありがとうございます。 しかしながら今回は気になる点も多々ありました。自分の知識不足を補う為、是非下記の質問にお答え願います。 ①陸軍も零戦を使用していた。 私の認識では「陸軍が海軍機である零戦を使用する事は無い」と思っておりました。どこの部隊がいつ頃使用していたのでしょうか? ②上坊大尉が零戦パイロット? 上坊大尉は陸軍パイロットだったと記憶しております。上記の理由から零戦に搭乗することは無かったと思われますが、いかがでしょう? ③アメリカはグラマンという飛行機を開発した。 グラマンというのは航空機メーカーの社名で、F4Fワイルドキャット、F6Fヘルキャット等の海軍機を製造していた会社だったとの認識ですが、これは間違いでしょうか? ④B-29を鹵獲した。 日本軍が、撃墜したB-29の残骸調査をしていたのは知っていますが、B-29を鹵獲したという話は初めて伺いました。いつ何処で鹵獲したのでしょうか? また、海上に不時着したB-29を、水没までの僅かな時間にどうやって鹵獲したのかも知りたいです。 ⑤B-29の燃料とオイルを入れた零戦は1万メートルも楽々、そして無敵! この話しも聞いたことがありませんでした。残骸から抜き取って試験的に飛行した事はあったかもしれませんが、実戦で使用する程の量が確保できたかは疑問ですし、元々のエンジン出力が零戦52型の栄21型で1130馬力。対してB-29のR-3350排気タービン過給機付きで2200馬力×4発です。いくら燃料とオイルが良くても、スーパーチャージャーだけの栄エンジンで1万メートルでも楽々とは物理的に難しいのではないでしょうか。 また、戦闘機のF6Fでも2100馬力のR-2800を積んでいます。これらの米軍機に対して無敵とは、信じろと言われてもにわかに信じられないのですが、いかがでしょう。 他にも零戦パイロットの戦い方とか、艦上戦闘機は翼が折りたためる(私が知っている限り21型と22型のみ)等、聞きたい事がたくさんあるのですが、先ずはこの5点を教えて頂ければとても有難く存じます。
@長田耕一-y2e
@長田耕一-y2e 8 ай бұрын
なかなか、詳しいですね。 情報を鵜呑みせずに自分の頭で考える。 以上の事を学ばさせていただきました。 ありがとうございます!
@masai5337
@masai5337 Жыл бұрын
勉強になりました。ありがとうございます。
@kent298
@kent298 2 жыл бұрын
ゼロ戦の両翼は、飛んでいる時に最高の形状(たわみ)になるように設計・製造していると聞いたことがあります。 素晴らしい技術力があり、それを実現したことに、先人に敬意を持ちました。
@h.nishio9922
@h.nishio9922 3 жыл бұрын
とにかく、現代の日本の工業化発展は、全対戦にて製作技術の向上に向かって技術者が努力した賜物だと思います。戦時中、エンジニアが苦労したのは、エンジンの出力と小型化、それの大量生産出来る基礎。特にJIS規格の制定、これは鉄鋼、機械、電気、電子、化学製品の向上を目的とし制定された。自分も電気のエンジニアとして機械製品、化学製品を調べそれに対応するシステムを作り上げるのに役に立った。言える事は、日本人は一つの目的に対し、向上する心があると思います。適当にすれば、その答えは、後で自分に降り掛かって来ます。そうならない様にする努力は、日本人の宝です。
@aa35544
@aa35544 3 жыл бұрын
ゼロ戦を生んだのはベンチャー精神とパクり精神だからJIS規格は全然関係ないと思いますよ。 エンジンはほぼドイツだし…
@色々保存サブ
@色々保存サブ 3 жыл бұрын
@@aa35544 ドイツ製のエンジンの機体ほぼ居なくないですか?
@爆睡-e7s
@爆睡-e7s 3 жыл бұрын
部品の標準化は戦後でしょう。ソビエトと対峙したアメリカが、標準化の最先端教授連を送ってきた。 デミング賞なんてもう忘れたかな? 大戦中は一つ一つ最高品質を求めて、機銃弾や航空爆弾も手作りでした。 航空爆弾は日本の場合、棒鋼を旋盤で削りだして、直径や曲率を雲形定規を当てて検査していたそうですね。 一方アメリカはカナダで取れるニッケルで鋼を作り、溶接で仕上げた。 航空爆弾は、強度要求かあります。目標にあたってぶち抜いて、それから信管が働く。その時に、弾体が割れていたら、花火になるだけで炸裂しない。だから、棒状の鋼を削り出したのは日本で、アメリカはニッケル鋼。 ニッケル鋼は変形に耐えるので、割れにくい。 あ、標準化の話のつもりが・・・・。
@色々保存サブ
@色々保存サブ 3 жыл бұрын
@@爆睡-e7s 機銃弾、機銃は工作機で生産、小銃などは最終調整で熟練工を通したみたいですあと最高品質を求めたと言う話ですがそれは海軍の零戦、銀河や誉エンジンくらいで陸軍は大量生産前提の設計で粗製乱造もありますよ
@aidahopoteto5723
@aidahopoteto5723 3 жыл бұрын
総体的な主旨はわかりますが「全対戦にて製作技術の向上に向かって」の言葉の意味がわかりません。
@kaeru-kerokrin
@kaeru-kerokrin 3 жыл бұрын
ゼロ戦が敵機を一撃(数撃)で狙っていたのは、20mm機関砲が翼についており、その反動が大きくて、連続して射撃すると弾がばらけて命中できなかったからだと聞いています。 アメリカ軍はそれを嫌って、12.7mm機関銃をずーーと採用していました。後に、エンジン馬力が大きく、機体も大きくなるとその分反動を吸収できるので、大型機関砲でも 十分に使えるようになるのですけど。 ゼロ戦には少なくない弱点があり(後にアメリカ軍にあばかれますが)のですが、その欠点を、優れた搭乗員が技量で補って戦う戦闘機だったと聞きます。 それでも、ゼロ戦が世界に誇れる戦闘機であったことは紛れもない事実だと私も思います。 ただね、私も日本人で日本に誇りを持っていますが、どこかの国みたいに、嘘まで出してお国自慢する気はありません。
@井上龍雄-q6c
@井上龍雄-q6c 3 жыл бұрын
10年程前に日本ピストンリング㈱という会社の顧問をされている方から伺った話ですが、ゼロ戦が航続距離3000Kmを実現できたのはエンジンのピストンリングにあったとのこと。それまでの戦闘機のエンジンは九六艦戦にせよグラマンF4Fにせよ、1000Km程飛ぶとピストンリングが消耗するので、一旦地上に降りて、これを交換する必要があった。しかしゼロ戦で採用されたエンジンでは新素材のピストンリングにしたことで、3000Km交換無しで飛べるようになったとのこと。これは単に航続距離が長くなったと言うだけではなく、1000Kmで着陸しなければならないという運用法では、地上に降りて整備しているその間に上から叩かれるという弱点もできる。反対に、ゼロ戦の場合は単に航続距離の面だけではなく、このように運用面でも強さを発揮していたとの話でした。
@346チャンネル
@346チャンネル 3 ай бұрын
1000kmでエンジンオーバーホールは眉唾レベル以下ですよ。
@肇-g4n
@肇-g4n 3 жыл бұрын
日本をかっこよく❗ 本当に先生の話はスカッとします。 有り難うございます🙌 勉強させていただき、受け売りですが伝播させるようにしてます。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
わかりやすい=詐欺師だ。このコメ欄に寄せられた、コメに学びな。小名木はホーンとウソが多い。
@ゼリーー-i4q
@ゼリーー-i4q 3 жыл бұрын
初めて見ました❗️ わかりやすく、声が聞きやすいです。 ありがとうございます。
@okunobuyuki8796
@okunobuyuki8796 3 жыл бұрын
戦争中に理系の学生を保護したことが戦後の日本の発展に大きく貢献したと聞いたことがあります。今こそその時と同じようなことをする必要があると思います。
@NV124KX660
@NV124KX660 3 жыл бұрын
まったくそのとおりで、はっきり言って少子化の日本に、東大であろうが何であろうが、文系はもういらない。(理系者に文学的素養が無くてよいということではない。)
@有隣
@有隣 3 жыл бұрын
零式戦が陸軍で使用されることはありません。上坊良太郎は陸軍です。ノモンハンで97戦で18機、その後一式戦隼と二式戦鍾馗で撃墜重ねて総計76機程度。 海軍では、撃墜数で言うなら、西澤廣義の150機(公認87機程度)、岩本徹三の202機(公認80機程度)でしょう。この二人は零式戦ですね。
@トヨトヨトトンガ
@トヨトヨトトンガ 3 жыл бұрын
零戦はれいせん。ゼロセンじゃ無いでしょ。あまりにも零戦についての基本的な知識が無い。艦上戦闘機を陸軍が使う訳無いでしょ。何だか白けますね。
@XJii8823
@XJii8823 3 жыл бұрын
ここは私も引っかかりますね。陸軍は隼を大戦初期に主力戦闘機にしていて、性能もゼロ戦(正式にはレイセンと呼ぶのだそうですがゼロと呼ぶパイロットいたり、米軍からもゼロと呼ばれたから良いとしても)に似ているから、隼もゼロにしたのだと思いますが、少しいい加減です。 今までは、小名木節を無条件で信じてましたが、初めて疑惑を持ちました。これからは、参考にしつつも割り引いてかん考える事にします。
@torotorotonarino9652
@torotorotonarino9652 3 жыл бұрын
零戦は職人芸で作られた。非力な割には高性能だったが工業製品ではない。戦艦ならともかく、何万機も作る機械がそれで勝てるわけ無いだろう。工学オンチの小名木にゃその性能の白黒をいうだけの知識なんかない。
@井上龍雄-q6c
@井上龍雄-q6c 3 жыл бұрын
@@トヨトヨトトンガ さん、私の父は海軍中尉でしたが戦時中から普通にゼロ戦と呼んでいたと話していました。陸軍と違い海軍では英語を敵性語などと考えてはいなかったようです。洋上では英語が共通語でしたから。 確かに正式名称は零式艦上戦闘機ですが、当時から「ゼロ戦乗りになりたい」というのが合言葉だったようです。
@色々保存サブ
@色々保存サブ 3 жыл бұрын
@@井上龍雄-q6c ゼロ戦は戦時には呼ばれてない!って言う話は嘘ですね、新聞ででもゼロ戦だしパイロット達もそう呼んでる、でも国民は零戦ですね国民が勝手に英語を禁止にしてただけでその話から戦時は英語が禁止にされていたって話になってゼロ戦も戦時は零戦だったんだって話になってしまった、あと零戦自体は極秘の戦闘機で末期に国民に公表された
@北きつね-s3f
@北きつね-s3f 3 жыл бұрын
日本の技術がすごいのではなく良いものは良いと認め受け入れそれをさらに良くする努力を積み重ねた結果だと思います。自国の技術にこしつするのではなく良い部分は取り入れ更に洗練融合することが大切だと思います。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
君の日本語文章、おかしいわな。「句点なし」て、あんた、日本人?LOL
@リエコリエコ-t3p
@リエコリエコ-t3p 2 жыл бұрын
先生のお話にすいこまれました。🙇‍♀️🙇‍♀️ かっこいい日本です。🙇‍♀️☺️
@NaganoMasao2
@NaganoMasao2 3 жыл бұрын
ゼロ戦は1000馬力級のエンジンを搭載した単座戦闘機としては最強でしたが、2年くらいで米英は2000馬力級のエンジンを搭載した新鋭機を運用してきました(F6Fとかコルセアとか)ゼロ戦はこれとよく戦ったのですが、ボクシングでいえばフライ級に選手がミドル級に挑むようなもんで、所詮かなうものではありません。武器としての次元が違います。日本は2000馬力級エンジンとターボチャージャーの開発運用が間に合わなかったことが決定的ですね。アメリカは日本より10年くらいはやくこれらの研究を始めていました。
@NV124KX660
@NV124KX660 3 жыл бұрын
あの戦争は、航空技術に関して言えば欧米を相手にしては到底勝てる戦いではなかったですね。零戦が中国大陸で初陣を敵機全機撃墜、我が方の被撃墜なしで飾ったとき、すでに、欧州戦線ではスピットファイアとハリケーンがレーダーに誘導されて3倍以上の数のメッサーシュミットとハインケルのドイツ空軍を打ち負かしたバトル・オブ・ブリテンは終わっており、ドイツではジェットもロケットも試作されていたんだし、大戦末期、紫電改や五式戦が出来て、五式戦については、戦闘機だけは奇跡的に良いのが出来たと陸軍航空審査部が喜んでいたとき、アメリカではすでにロッキードP80シューティングスター(昭和のおわりごろまで航空自衛隊が使っていたT-33の原型機)の量産期がロールアウト寸前だったのですから、 しかし、サムライから僅か数十年で、たばさむ太刀を、風切る翼の日本刀の零式戦闘機に取り替えて、一時的にせよ、太平洋の大空を席巻し得たという先人の決死敢闘の超人的努力、そこにこそ、わが民族の他日再起の拠りどころとなる零戦の日本歴史における存在意義があるのです。
@Navy_umiwasi21
@Navy_umiwasi21 3 жыл бұрын
この方の大東亜戦争に関する記事は他のものを含め事実誤認、曲解が多過ぎます。 「日本をカッコよく」と言いたいのは分かりますが、あまり知識の無い若い方が読んで感激したと言う記事を読むと恐ろしくなります。正しい知識でなければ本当の感動は呼びません。また、アンチの方と話すときに突っ込まれると反論できません。 気になった点 ハルトマンが何度も撃墜されたから300機以上撃墜しても日本の撃墜王は一度も撃墜されていないから上だ・・・と言われますが、ハルトマンは東部戦線でソ連と主に戦っています。日本で言えばノモンハンで活躍し戦死した篠原准尉の撃墜ペースと比べるべきではないでしょうか?結局篠原准尉はノモンハン事変中に戦死しますから、何度も生還して300機上の撃墜を果たしたハルトマンの方が個人技量も戦闘機の性能もまた組織も上だったと言えます。また、西部戦線を主にして100機撃墜を初期に達成したマルセイユ中尉(映画「アフリカの星」の主人公)は脱出時のパラシュート事故で戦死しますが生きていれば西部戦線で200機位撃墜したと評価出来ますから彼の方がハルトマンより上かも知れません。 零戦の呼称は「れいしき」と呼ぶとされていますが、同時期の零式観測機は「ゼロカン」零式水上偵察機は「ゼロスイ」と呼んでいたようです。 パイロットが手足や体感で感じていたのは感覚の話で整備員が尾翼の所を少し触ったから其れを感じたという話とは少し二アンスが違います。現在の飛行機でも機外でラダーやエルロンを触れば舵が動いて誰でも感じます。坂井三郎さんが言いたいのは飛んでいる時の三舵の感覚が飛行機の動きと完全に一致することを言っています。要するに自分が体操でバク転しようとするのと同じ様に宙返りができると言った感覚です。この話の出所は何処ですかね? また、撃墜したB-29のオイルを使用したら良く飛んだと言うのも初耳です。鹵獲した零戦をテストした米軍の記録ではその様な記録はなかったと記憶します。 また、戦術面では日本の名人技「捻り込」を話題にしますが、米海軍が採用したサッチ戦法と機上無線機更には迎撃に用いた対空レーダーと戦闘指揮システムの組合わせは飛行時間の少ない米軍パイロットに多くの戦果をもたらしています。記録映画で米軍の元カメラの前に向ってくる零戦が火を吹く場面が多くありますが、サッチ戦法での結果と思われます。要するにゼロ戦格好いいだけの話ではゼロ戦やそれに纏わる人達の評価は針の先程の内容と言えます。 書き出すと切りがありませんが、「日本をカッコよく」と言う気持ちは十分理解できますが良く調べて正しい評価でお願いします。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
素晴らしいコメ、ありがとうございます。
@flightdeck5165
@flightdeck5165 3 жыл бұрын
流石は小名木先生。零戦の設計や戦場での優位性を解りやすく解説されていて、しかもその後のエンジニア達が今の日本の自動車産業を発展させたことまで教えていただきました。  一点、零戦は空母艦載機として設計されていましたが、いわば「軽戦闘機」に分類されます。従って、空母のエレベーターに乗せるのは意外に問題が無く、翼の折りたたみ構造は最後まで取り込まれませんでした。22型のみ、翼端が上に折れる構造を採用して、格納庫に一機でも多く収納できるように考慮されましたが、米国の重戦闘機の様に、根元から折り曲げる構造は持っていませんでした。軽量高強度構造は、日本独自の超々ジュラルミンというアルミニウム合金の開発成果によるもので、他国ではこの技術が無く、代わりにエンジンを大馬力にして速度を上げていたという設計思想の違いから、最後まで零戦との格闘戦は避けています。また、長距離の航続性能こそが零戦の強みで有り、敵が予想しない遠方まで進出し、制空権の確保が可能だったと坂井三郎氏は著書で記されています。その他にも多数の新技術があり、零戦は活躍しましたが、20mm機関砲(これはドイツ製)は弾道が直線的で無くお辞儀をしてしまうため、パイロットは落ちる銃弾の先を予想して射撃していたそうです。一般的には7.7mmの機銃の方が、多数の弾丸を積めたことから、エースパイロットは23型と称する、片翼3丁の同機銃を装備して戦ったようです。最後は生産能力の落ちた日本は改良型の零戦63型、64型を量産できず、後継機の開発も遅れ、負けます。  ライバルとして登場したF6Fグラマン戦闘機は、速度性能こそ零戦を上回っていましたが、その他の性能ではまだ低位で有り、零戦を圧倒できたのは数の力だったと言われています。また、終戦間際に登場したF8Fこそが対零戦として本気で米国が開発した戦闘機でしたが、戦争の帰趨には関与できませんでした。唯一、P51DマスタングFから後の陸軍機が零戦を上回る戦闘機だったようです。 長文、済みません(一点じゃ無いですね)。
@笹原聖司-j6e
@笹原聖司-j6e 3 жыл бұрын
零式戦闘機の最初の形式は11型、それを空母に搭載して艦載機とし、主翼の翼端を50㎝づつ折り曲げて、航空母艦のエレベーターに寸法内に収まるようにしたのが21型、速度向上を狙って主翼の翼端の折り曲げ構造の部分を切り詰めたのが32型、それだと、航続距離が持たないのでもとに戻したのが22型ですよ。 ウイキペディアとかに書かれています。 21型と22型を取り違えていませんか?
@NV124KX660
@NV124KX660 3 жыл бұрын
超々ジュラルミンというのは、零戦の主翼の主桁のウェブ材というごく一部に使われているだけで、確かに、零戦の重量軽減に多少貢献していますが、この部分以外の材料は全て、当時普通にあったジュラルミン製です。
@自称普通の日本人
@自称普通の日本人 Жыл бұрын
エンジン出力とジュラルミンの因果関係が逆。 大出力エンジンが出来なかったから軽量化のために超超ジュラルミンを開発した。
@346チャンネル
@346チャンネル 3 ай бұрын
零戦の20mmはドイツ製ではありません。スイスエリコンFFのライセンス生産品です。 ドイツ製20mmは少数輸入されていますが、飛燕に搭載されています。 23型という改造機は聞いたことがありません。
@出牛上惠
@出牛上惠 3 жыл бұрын
零戦の設計者は群馬県藤岡出身の堀越さんです!とても誇りに思います!現スバルの前身の群馬県太田市の中島飛行場も群馬県の誇りです。
@ロープよし
@ロープよし 3 жыл бұрын
小名木先生が日本の歴史教科書を作ったらどんな物ができるんだろう もちろん政府のつまらない周辺国への配慮なしにですが きっと、ワクワクする歴史教科書ができると思いますね 同時に日本人で日本に生まれてきて良かったと 細かい突っ込みどころはいくつかありましたが 先生の話は面白いし未来に希望が持てる
@Wataru6597
@Wataru6597 3 жыл бұрын
その通りですよね……(泣)
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
無理だわ。日本の教科者は検定制度がある。零式一つとっても、こんなに誤謬にみちた小名木に、どの検定官ががOK出すのかね。 バカも休み休み言ってもらいたい。
@前田明-j3c
@前田明-j3c 2 жыл бұрын
何度伺っても色褪せることのない御話。 ありがとうございました。
@東京ビットコインニュース
@東京ビットコインニュース 3 жыл бұрын
確か以前飛行できるゼロ戦をある方が維持できないので、クラウドファンディングやってたような気がします。ぜひ日本にも飛行できる機体を保存しておき、イベントでお披露目できるようにしたいですね。
@NV124KX660
@NV124KX660 3 жыл бұрын
結局、アメリカに売られてUターンしてしまいましたな。
@hikigatarishokuninyasuharu
@hikigatarishokuninyasuharu 3 жыл бұрын
感動する逸話ですね✨🍀🍀🍀🍀✨
@hiropin2629
@hiropin2629 3 жыл бұрын
小名木先生の動画は、今年になってから、たまたま見ることになり、縄文文化や歴史等で、薄々感じていたことが、確信に変わりました。 まだまだ、うわっ面の知識ですが、間違いや既知の知識も、理論づけが私なりに出来、嬉しく思っております。 今後ともよろしくお願いいたします。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
盲信だわ。コメをちゃんと読みなさい。小名木の100倍勉強になるから。自分の都合のよい言葉だけ頭に取り込むと、「バカの壁」ができるよLOL
@keimegumi3098
@keimegumi3098 3 жыл бұрын
上坊さんの乗機は一式戦や二式戦だったみたいですわね。
@monkeyhawaiian
@monkeyhawaiian 3 жыл бұрын
工業製品の技術もさることながら 戦争にも武士道を貫いていたとは・・・。
@suga-mitsu
@suga-mitsu 3 жыл бұрын
中島飛行機の工場ですが、ちゃんと形がある場所知ってます。今年中に動画を撮影してアップします。
@たなかよしお-x8i
@たなかよしお-x8i 3 жыл бұрын
ゼロ戦という、厳しい仕様の機体で戦ったのは大変ですよ。現物見たことありますが、缶詰みたいにペコペコ。あれで飛んでいくんだから怖い。裸で切り合うような物。
@岐阜次郎
@岐阜次郎 3 жыл бұрын
非力なエンジンのためにパイロットの生存性を捨て極限まで軽量化した機体だからね 「当たらなければどうとでもない」を体現した戦闘機 中盤以降はアメリカの開発・工業力にやられちゃったけどね
@suzukarefu2491
@suzukarefu2491 3 жыл бұрын
零戦が連合軍の戦闘機のように頑丈な機体で防弾も装備していたら、性能も全く平凡な何の取り柄もない飛行機で終わっていたはず。極限まで軽量化したことによって、戦争に投入された初期にはほとんど損害を出していない。零戦の被害が大きくなったのは、本来ならば新型機と変わるべき時期となっても代わりの戦闘機が出てこなくて旧式になってからも使用しなければならなかったことにある。これは日本の工業力の問題であって零戦の方の問題ではない。旧式となってからも戦わなければならなかった時期の損害をもって零戦を批判するのはちょっと違うと思う。
@ppop2010
@ppop2010 3 жыл бұрын
上坊良太郎さんは陸軍機 一式戦闘機 二式単座戦闘機 四式戦闘機ですよ
@伊藤博康-e6o
@伊藤博康-e6o 3 жыл бұрын
自分はダイハツのエッセという国産軽自動車が好きです。見た感じは「ひよこ」ですが、走る、止まる、曲がるが高次元で信じられない程に速い!! 特に峠道の下りは化け物のようです。たった600cc程のエンジンですよ!すごい技術力ですよね?私はこの車をゼロ戦と命名しています(笑)
@NV124KX660
@NV124KX660 3 жыл бұрын
ダイハツ軽自動車には、独特の味があって、自分もダイハツ車の大ファンです。私のムーブ・ターボももう古いが、好きなものは仕方がない。今まで乗ったどの乗用車よりも愛しています。陸軍航空隊では四式戦闘機「疾風」が登場した後も、一部熟練者は、その前の二式単座戦闘機「鍾馗」の捨てがたい特色を愛し懐かしんだとのことですが、「鍾馗」の試作ゼロ号機の強度試験から担当し、この機が世界のどこかに残っていないかと生前、私に始終語っていた飛行第47戦隊の整備の神様刈谷正意中尉の、戦後の民間航空における最後の部下である私は、小さいくせにパワフルな自分のダイハツ・ムーブを「鍾馗」だと思って毎日乗っています。
@Tベケット
@Tベケット 3 жыл бұрын
残念ながらダイハツは、川西飛行機なんですよ。
@伊藤博康-e6o
@伊藤博康-e6o 3 жыл бұрын
@@Tベケット さん、 そうなんですか、関係無いですが、空母への特攻で活躍された筑波の谷田部飛行場跡地の直近に住まわせて頂いてます。
@NV124KX660
@NV124KX660 3 жыл бұрын
@@Tベケット 川西航空機と、ダイハツの前身の大阪発動機は関係ありませんね。 川西航空機は、新明和工業となって、現在もUS-2飛行艇や特装車を製造しています。 新明和は戦後の一時期、ポインターというオートバイも作りましたが、大阪発動機とは無関係でした。 その関連企業に現在でも、川西航空機器という会社ばありますが、ダイハツはこれとも無関係です。
@あいとよ
@あいとよ 3 жыл бұрын
帝国陸軍は一式では?
@久留米のまーさん
@久留米のまーさん 3 жыл бұрын
ゼロ戦は、日本の誇りです。日本の技術です。栄エンジンがとてもいいと聞いていました。
@funkya1840
@funkya1840 2 жыл бұрын
零戦の見た目がカッコいいので一番好きな戦闘機。あとエンジン音がハーレーみたいでたまらん。
@ヤッサンチェス
@ヤッサンチェス 3 жыл бұрын
無駄な部分を限界まで削って軽量化した分耐久性は零 少ない予算で限界まで追求したプレミア
@菅野操-z5s
@菅野操-z5s Жыл бұрын
零戦の耐久飛行時間は250時間、F4Uは400時間従って毎日ガ島まで出撃は厳しいと思います
@00hiropi
@00hiropi 3 жыл бұрын
零戦は7.7mm機銃と20mm機銃を持っていて 対戦闘機戦闘は、ほとんど7.7mmで戦ったそうです。 20mmは対大型機戦闘で使われたそうです。 坂井三郎中尉の著書によれば7.7mm機銃のほうが携行弾数も多く 使い易かったとのことです。
@jun-q4g4y
@jun-q4g4y 3 жыл бұрын
私も坂井氏のを読みました。小名木善行さんの言っていることは空想ですね。20mmは小便玉でまともに当たらないと
@mamepi5028
@mamepi5028 3 жыл бұрын
この7.7mm機銃に用いられた、翼の後にある機銃なのに羽に当たらない「カム」の技術が、戦後重機工業によって工業用ミシンの「自動糸切装置」に採用されたそうですね。
@色々保存サブ
@色々保存サブ 3 жыл бұрын
そりゃ対爆撃機用の機関砲を小柄で俊敏な戦闘機に発射したら当たらないよ
@キルヒアイスのパパ
@キルヒアイスのパパ 3 жыл бұрын
@@jun-q4g4y   小便玉というのは、坂井氏レベルのパイロットだから言うだけのこと。 ほとんどのパイロットは機関銃を撃つ機会すらない。 狙いを定め、弾を打ち込むのは至難の業。 ようやく巡ってきた清射のチャンスには、当たれば堕ちる炸裂弾の20ミリ機銃でなければ撃墜できなかった。 零戦の戦績は20ミリなくして語れない。
@ransei4466
@ransei4466 3 жыл бұрын
そうです。非力な7.7㎜機銃x2で頑丈なF4Fを落としていたのですから、いかに開戦時の零戦搭乗員の神業的狙撃技術が凄かったかがわかります。 残念ながら一般的な腕前のパイロットでは、零戦でF4FやF6Fを撃墜する事は困難だと思います。
@momo-so5hm
@momo-so5hm 3 жыл бұрын
カタカムナを教えてくださり、ありがとうございます。保久良神社に行ってみようと思います。
@tatsumifuruya7285
@tatsumifuruya7285 3 жыл бұрын
言いたいことはわかりますが、自衛隊OBとか大戦機マニアとか得意分野の人を傍においてやらないとまずいですよね。神は細部に宿ると言います。初歩的知識不足はせっかくのファンを萎えさせるかもしれません。
@ミミズクの鳴く夜
@ミミズクの鳴く夜 2 жыл бұрын
5:54 ゼロ戦・ゼロファイターなだけあって敗北数”ゼロ”!敗北=死! カッコ良すぎます!
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
エッケ・ホモ・バカ!
@自称普通の日本人
@自称普通の日本人 Жыл бұрын
だから戦争に負けたんや、大事なパイロットを消耗品にしたから。
@ナオミ100ワッツ
@ナオミ100ワッツ 3 жыл бұрын
装甲その他を排除し軽量化により運動能力を高めた。(ゆえに格闘戦においてはズバ抜けた優位性を持つ) 航続距離もズバ抜けているが、連日8時間の飛行と戦闘を要求された飛行士たちは帰路疲労で墜落していった(ガ島戦)。 そんな人命軽視な設計の戦闘機がなぜ今も伝説的に語り継がれるのか。 撃たれる前に倒せ。撃たれたら自決しろ。 この究極な戦闘設計思想に戦士としてのロマンがある。 まさに「戦士のための究極の戦闘機」である。 しかし零戦は「格闘戦に特化した戦闘機」だと見抜かれ、すぐさま一撃離脱の戦法(格闘戦回避)で対応されてしまった。 零戦とは格闘戦してはいけない、それが零戦に勝つ秘訣だと。 唐突だが私にはドイツのUボートの栄光と没落のストーリーと零戦が重なって見える。 ちなみに私はUボートも零戦も好きだ。
@TAKAHASHI550
@TAKAHASHI550 3 жыл бұрын
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)は、米英の戦闘機に比べ重さは、2/3 1/2 で軽く、航続距離が長く、小回りができ、空戦に優れていました。欠点としては、エンジン・燃料タンク・操縦士の防弾装備がほとんどなく、被弾に弱い 面がありました。 オーストラリアのダーウィンの攻撃では、日本機の損害、零戦3機、1式陸上攻撃機2機、英・豪機の損害 スピットファイア38機でした。大戦の中期以降、アメリカは新型機種を次々と作り、航空機の数が圧倒的に多く、日本は敗戦しています。
@栄二一型
@栄二一型 3 жыл бұрын
まあ、狭い海峡で撃墜されてもパラシュートと救命胴衣、さらに救命する船舶が待機してるバトルオブブリテンと広い南太平洋の空戦を比較する事が無意味ですね。 ただ、零戦は、機体が軽いため、急降下速度制限があったのも事実です。 三菱製の機体に中島製の発動機「栄ーニ型」の組み合わせも初期の二一型の性能の向上に貢献しました。坂井さんは装弾数が少なく、直進性が劣る20ミリ機関砲は、あまり評価していませんでした。 笹井中尉は、将校ですが下士官の坂井さんと本当によい関係でした。
@kenichiroiida508
@kenichiroiida508 3 жыл бұрын
そう言う機体の良い、悪いを、受け入れる。腹を据えて臨む心意気じゃ無いのか???? 新車に乗って、ハァ良いですねw みたいな乗りて目線の飛行機じゃないぞ。妻子がかかってるw 『のれ』 『ハイ』 で一瞬でコツを掴む英霊が今の日本を支えてる。靖国の御朱印持て!!ー
@栄二一型
@栄二一型 3 жыл бұрын
心意気だけで戦争はできません。 そもそも艦上戦闘機は、空母に艦載され運用する事が前提です。そのため、短距離での離着陸を可能にするため、さらに海洋という作戦空域に対応する長い航続距離を確保するために限界まで機体を軽くしました。 これは、機体の防弾、(搭乗員の安全性の確保)を犠牲して成し得た結果です。 歴史上 零戦が世界のトップにいたのは開戦1年ぐらいです。 ミッドウェー海戦で日本は多くの空母とベテラン搭乗員を失い、さらに米国の海軍機だけではなく、頑丈で重装備の陸軍機も相手にしなければならなかったのもその要因です。 空母を失った零戦は、局地戦闘機にならざるを得ず、日本海軍の局地戦闘機の開発が遅れたのも事実です。零戦の悲劇は、最初の二一型で完成しており、その後の戦局の変化に対応するためには、それまでの長所を犠牲するしかありませんでした。 二一型⇒三ニ形⇒ニニ型⇒五ニ型⇒同型甲⇒同型乙⇒六ニ型 と新機種になる度、航続距離が短くなったり、機体重量が増加しました。 本当に零戦は、海軍の局地戦闘機 紫電改 が登場するまでよく頑張ってくれました。 私は心から零戦を愛してます。
@takamasayoshimoto7868
@takamasayoshimoto7868 2 жыл бұрын
いつもたいへん意義深く聞いているのですが、少し違和感を感じたのは米戦闘機はグラマンだけじゃないということです。グラマンだけでも4Fと6Fがありますし、他にも優れた機体がたくさんあります。機銃数の数は大体12.7㎜6丁が多いですけど20mmを積んだP-38なんかもあります。ゼロの20mmは必然的に弾頭が重く直進性が落ちます。国のその時の運用状況、設計思想、補給の都合によって口径と数は変わっていきます。近代戦ではたしかに騎士道的上にワンヒット・ワンキル的部分もありましたが、大半は数の勝負(搭乗員、作戦機の総合力)で決まります。 日本の武士道的精神を強調されるのはいいですが、事実誤認で述べられると、逆効果にもなると思います。 独空軍にエースが多いのはソ連空軍が数の割に技量が低いパイロットが多く、休暇も与えられず作戦行動していたからだと思います。米軍などはある程度スコアが出ると、後方に回して戦意高揚に使われたと聞いております。 それから、陸軍のパイロットがゼロに乗ることは非常に少なかったと思います。
@PONTOM-505
@PONTOM-505 3 жыл бұрын
今、三菱重工業の民間航空機製造が頓挫しています。 何処かの国が邪魔している様な気がするんですが。
@長田耕一-y2e
@長田耕一-y2e 8 ай бұрын
世界に誇れる、ゼロ戦 日本の技術力に自信を持ち世界をリードしていくべきだと思いました。 アメリカにたいする、劣等感を克服するべきだと思います。 日本人として、誇り高く生きていきたい!
@まっちゃん-e7x
@まっちゃん-e7x 3 жыл бұрын
この講義は美しくも格好良くもありませんでした。汚名返上の為、他のコメ欄を目を通していただき訂正版を出されることをお勧めします。零戦の栄光も悲劇も「海軍の要求仕様」に由来します。開発当時の艦上戦闘機の常識を越えた航続距離、運動性能、打撃力の要求仕様を実現する為に堀越技師が犠牲にしたものは防御装備でした。デビュー後2年位は要求仕様とパイロットの練度が上回りドッグファイトに勝ち続けました。零戦の弱点はエンジン出力の低さでしたがマイナーチェンジ後も出力は向上せず、戦時中の驚異的な技術革新によりライバル機の性能が零戦を越えてからは一方的に撃墜される悲劇が続きます。日本占領時に接収された陸軍五式戦疾風を米軍がテスト飛行した際にカタログ性能を越える最高速度を残したと伝えられています。艦上戦闘機に高高度爆撃機を迎撃できる高度を飛行させる無茶はパイロットの命を危険に曝すだけで、米軍は絶対にやらなかったでしょう。
@鐵瓶弐拾ハ號
@鐵瓶弐拾ハ號 3 жыл бұрын
細かい事で申し訳無いのですが、バックミラー(ルームミラー)は付いてます。 今日もありがとうございます。
@kinomotiyo
@kinomotiyo 3 жыл бұрын
この技術を今の日本に 活かして平和の日本を作って欲しい
@NV124KX660
@NV124KX660 3 жыл бұрын
0系新幹線を実現できたのは、海軍空技廠において零戦の振動解析で培った技術だと、零戦のフラッターを解明し、戦後、運輸省鉄研を指揮した松平博士が述べています。
@11tymc89
@11tymc89 3 жыл бұрын
航続距離、旋回性能の良さは機体の軽さです。パワーウエイトレシオがよかった。 堀越技士は海軍の厳しい要求に苦労したそうです。 当時の空中戦では相手より先に見つけ優位な体勢につくのが大事なようで坂井三郎氏はとても視力が良く昼でも星が見えたそうだ。 因みにスバル前身の中島飛行機は陸軍の隼ではありませんか?
@souhonkenshi
@souhonkenshi 2 жыл бұрын
零戦の発動機→三菱の誉(ほまれ)と中島の栄(さかえ)の2系統有りき。其れに応じ中島も機体製造担当せり。
@user-sy9qd1ms6f
@user-sy9qd1ms6f 3 жыл бұрын
大空のサムライ👍️ 武士道精神は日本人の誇りですね👌 素晴らしい👍️
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
武士道精神で、大東亜戦争に勝てたのか。エッケ・ホモ・バカ!
@NaganoMasao2
@NaganoMasao2 3 жыл бұрын
B29のオイルとガソリンを回収して飛んだという話は聞いたことがありません。出典は? B29はターボチャージャーを装備していたので1万m以上悠々と飛べたのですが、ゼロ戦はスーパーチャージャーしか装備してないで、高高度は不得手です。日本は大戦中は最後まで実用的なターボチャージャーの運用ができませんでした。
@kawasakihien2744
@kawasakihien2744 3 жыл бұрын
オイルとガソリンの件、私も初めて聞きました。当時、撃墜されたB-29の残骸調査はしてましたが、日本軍がB-29を鹵獲した記録はありません。 海上に不時着したB-29を、水没するまでの僅かな時間にどうやって鹵獲したのでしょうか?
@tsumutsumu7
@tsumutsumu7 3 жыл бұрын
ちょっと酷過ぎる内容ですね 零戦の性能が他国とどう違うか…ですって? 何も解説できてないんじゃないですか どこからか聞き齧った情報を、零戦に固有な事を言っているのか、当時の日本の軍用機全般の事を言ってるのか、陸軍機なのか海軍機なのかの区別もつけずにただ零戦をよく言うために使いましたって感じです ひょっとして日本軍のプロペラ機は全部が零戦って認識ですか? 子供の頃は私だって、セスナ機を零戦だと思ったものです 20mm機関砲のくだりも調べた情報を思いっきり誤解して歪曲した解釈してるって感じます(7.7mm機銃だって一緒に搭載してますが、そっちはどこに行ったんでしょう) わかってない人に適当におだてられてしまって… はっきり言って零戦が可哀想
@kazu9214
@kazu9214 3 жыл бұрын
知らない方々に教えておられるのです。 戦後教育の一環として、教育だけでなくマスコミが垂れ流してきた無謀な戦い、軍上層部の暴走、竹槍で戦車に向かい、、、など嘘ばかり、日本人の誇りや自信喪失を76年も続けてきたのです。 その方々に機種は区別はつきません、辛うじてゼロ戦は分かるでしょう。 日本が誇る三菱など航空機の性能、戦闘熟練度、空母機動部隊の打撃陣による世界初の作戦など、また、軍備、装備に於いても、開戦時の日本軍のレベルは米国他、世界でも群を抜いていました。 その中の、花形でもある航空隊による艦上戦闘機にフォーカスして概要を概略を説明されているのです。 そもそも、この番組は日本人に自信をつけさせて本来の日本人を取り戻すことを目的としています、なので貴兄の指摘はあまり意味を持ちませんし、ヤボではないでしょうか?
@克年赤木-e8l
@克年赤木-e8l 3 жыл бұрын
アホな解説を正しているのに、ヤボはないやろ!
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
@@克年赤木-e8l ヤボな解説をするアホもいると言うことだ。
@keni4kawa407
@keni4kawa407 3 жыл бұрын
坂井三郎氏、曰く20mmより小径弾の高伸道弾を大量に撃つ方が効果が大きいとの弁あり、20mmは低伸道で余程近付かないと当たらないとの事。(20mmは1丁に付き100発程度で当たれば効果が大きい) 米軍機は小径の12.7mmの高伸道で、しかも両翼に機銃6丁又は8丁を持ち、見越し照準器を使って弾幕を敵機に注ぐ攻撃を行い、多くの日本軍機を撃墜しました。
@macha6675
@macha6675 3 жыл бұрын
技術力が高いっていうのは、やっぱり日本人の性格とかが現れてるんだろうな~ どこまでも真面目というか… それだからかずる賢い考えをすることが苦手なのかわからないけど日本の技術力をうまく世界に発信できてない気がする。 新しい動きに世界がなっている中、日本がいかに競争をうまく行っていくかが大事だと思う。
@中井三義
@中井三義 3 жыл бұрын
世界でも最高の名機です❤️
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
最初だけね。
@中井三義
@中井三義 2 жыл бұрын
@@信爺-s7u さんへアメリカ🗽もゼロ戦を研究した様ですよ☀️
@yasuhirokoyama3637
@yasuhirokoyama3637 3 жыл бұрын
日本の開戦時の制裁され追い詰められた危機的状況下において物量戦は出来るはずもなく低予算で如何に効率を上げるかという大義の元これだけの機体を完成させ苦戦を凌いだ事は胸を張っていい功績(戦争の功績の意ではない)
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
言語明瞭・意味不明瞭。読点を打つなど、日本語の勉強からやり直ししなさい。
@Btonrorychannel
@Btonrorychannel 3 жыл бұрын
日本の半導体産業も守っていくべきですね。
@丁酉
@丁酉 3 жыл бұрын
守っていくべきだった、でしょ。 遅くとも十五年前には
@___ky_k_4298
@___ky_k_4298 3 жыл бұрын
旧海軍でパイロットしてたおじいちゃんが、「機関銃はクロス(X)で撃ちまくると教官に教わった」って何度も聞かされたから1発撃つなんてことは軍では教えてないはず。この人はどこにそんな記述があったのかソースも提示してない。
@藪こぎ大好きオジサン
@藪こぎ大好きオジサン 3 жыл бұрын
ゼロ戦の強さはパイロットの覚悟と腕ですよね。特に後半グラマンに性能が追い付かれても勝つのはパイロットのおかげ。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
勝ててないよ。大和魂で勝てるなら、帝國は大東亜戦争に負けてはいない。
@NV124KX660
@NV124KX660 3 жыл бұрын
忠臣蔵の浅野の殿様の辞世が間違っているのには驚いたが、今回、これだけ内容に間違いが多かったら、小名木先生のほかの歴史解説も全て先生の希望的観測以外の何物でもないと思ってしまってもやむを得ません。
@nasidoori
@nasidoori 2 жыл бұрын
学術だと思うとがっかりしますが、お調子者の漫談だと思えば 腹も立ちません。話は全てまゆつばでも。たまに、まぐれがあるかも、、。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
先生と呼ぶに値しない。
@XJii8823
@XJii8823 3 жыл бұрын
大筋では合っていると思いますが、隼とゼロ戦(レイ戦)を一緒くたにするのはチョット。でも、今の人に細かな説明をしても、論点がボケるから止むを得ないかな。ただ、日本が体験した戦線に広さに言及がない。メルカトル図法で見ていると錯覚しがちだが、欧州は意外と狭く、太平洋は広い。ここに注目しなければ、なぜゼロ戦や隼が、必要だったか分からない。海軍が防弾を犠牲にして、航続距離を優先させたのも、ここに理由がある。
@00kumakuma
@00kumakuma 3 жыл бұрын
ゼロ戦の最大の能力は航続距離、必要な場所にいなければ無いも同然。
@tevalleyluckman8746
@tevalleyluckman8746 3 жыл бұрын
いたずらに長い航続距離を発揮する場合、自動操縦装置と後方警戒装置は必須となります。 又、長時間飛行時に緊急性のある事態の遭遇に備えた無線電話もです。 そして当時の日本はそのいずれも開発できていませんでした。
@色々保存サブ
@色々保存サブ 3 жыл бұрын
@@tevalleyluckman8746 開発出来てないかと言うと出来てはいます自動操縦は戦闘機ではないですが流星艦攻や銀河陸爆に装備されています、後方警戒装置なんて物は当時どこにもありませんでしたが後部銃座がその役目を果たしました、無線に関してもこれまでより性能の良いものを装備しています
@tevalleyluckman8746
@tevalleyluckman8746 3 жыл бұрын
@@色々保存サブ 自動操縦装置を日本は一部生産出来たんですね。 やりましたね!! これは賞賛に値します。しかし、アメリカほど普及していなかったのですね。 普通こういう装置は大型の爆撃機や、ゼロ戦のように長距離渡洋飛行を行う小型機にこそ装備されていなければなりません。 出来ていたらラバウル航空隊の消耗もかなり軽減されたでしょう。 なお、後方警戒装置ですが、当時、アメリカでは大戦末P-51の尾部に単純で感知範囲の狭い物ながら装備されていたそうです。 後方に接近する機を感知するモノでした。
@色々保存サブ
@色々保存サブ 3 жыл бұрын
@@tevalleyluckman8746 後方警戒装置はP-51に付いていたのですね、初めてしりました、それと実際にあなたの言う通りだと思います
@Navy_umiwasi21
@Navy_umiwasi21 3 жыл бұрын
@@tevalleyluckman8746 自動操縦装置がなくとも「トリム」をしっかりとれば基本的には針路/高度は維持できますが、燃料の消費などから姿勢は微妙に変わりますから操縦は負担「0」にはなりません。零戦だけで南方に展開する際には誰か1機が針路/速度/高度を維持し(恐らく30分くらいずつ)交代で航法したようです。それが下手な搭乗員は目的地に着けず行方不明になっています。 実際には自動操縦装置も無線機も開発されていました。 単発機では零式水上偵察機に装備されていました。無線機’無線電話機)も開発されていましたが雑音が多くパイロットから嫌われていましたが、原因はアースの取り方が悪く、底を改良して後半は使えるようになっています。343空の「カンノイチバン」(管野 直大尉)のコールサインは米海軍機も知っており、戦後進駐してきた米海軍戦闘機乗りが一番最初に「カンノとは誰だ?」と聞いたそうです。因みに戦死したことを伝えたところ残念だとの感想だったそうです。戦闘はスポーツではありませんが米国人気質が良く分かるエピソードです。
@樋口文明-g8d
@樋口文明-g8d 3 жыл бұрын
正しくは、レイ式艦上戦闘機と言います。最も若い航空士官はゼロ戦と言っていたそうですね。陸軍にいた父親は、レイ戦と言っていました。因みに、坂井さんは64機撃墜のエースです。
@df-zd8vm
@df-zd8vm 3 жыл бұрын
小名木さんは陸軍機と海軍機を混同されており陸軍の撃墜王はゼロに搭乗しません。撃墜王とは「生き残りかつ出撃回数が多い(やむを得ず)」からで技量と防弾装備がモノを言います。つまり同時期の中島の設計者=小山悌氏(後にスバル)は自ら入営経験もある人格者であり(陸軍機=九七式、隼、鍾馗、疾風、五式戦)の方が防弾装備を持ち用兵においても装弾数が多い12.7mmを用いて設計思想と性能に優れます。しかも肝心なゼロのエンジン=「栄」は中島製です。コレは米国のP51マスタングが英国のロールスロイスマーリンに換装後、飛躍的性能向上事例と類似します。対照的にひ弱なエリート堀越氏は「言われた事をしただけ」に過ぎず「出来る範囲でやれる事を黙ってやれば美徳」と勘違いした如何にも三菱的な事なかれ主義が戦時においても蔓延っていた証拠です。しかも海軍要求書は「二律背反かつ生産技術を無視」した極めて非科学的で平和ボケのオタク的内容でそれに三菱が「技術的観点から対峙出来なかったひ弱さ」があるわけです。その為に後継機の烈風を完成出来ませんでした。ゼロの「急降下速度は大きく制限され」防弾装備すらない危険思想(→陸軍はノ事件の戦訓を活かし防弾装備付)が特攻へ繋がり、同時期のスピットファイアやBf109は大幅進化出来ましたが、ゼロは昭和15年の段階的で既に進化出来ない設計思想でした。プリウスは燃費重視するとゼロ同様に速度制限があります。日本の高速は概ね80‐100km/hなので80km/hで走っても問題は少ないですが、欧州は130km/hが普通で実勢速度150km/h位はザラにあり、それだとプリウスはただの重たいガソリン車です。燃費だけならマツダのデミオは楽々と1000km走ります。更に20年前のVWルポ(3Lで100kmつまり30Lで1000km走る)やVWポロ(燃料タンクが小さく単純比較出来ない)やBMW3や5ですら仕様によっては「ハイブリッドでなくても」1000km程度は走ります。別に珍しくありません。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
@df 素晴らしいコメありがとうございます。
@taronihon8940
@taronihon8940 3 жыл бұрын
小名木さんの解説には間違いもある。 例えば、米軍のガソリンではB-29の上空へは上昇できない。 でも飛行機製造技術が、戦後の日本の自動車産業躍進に寄与したことは間違いない。 立川飛行機の設計技師「長谷川龍雄氏」は、戦後トヨタに入社し、初代カローラやセリカなどを造った・・あの辺から日本の自動車産業の躍進が始まった。
@ひげトントンはげトントン
@ひげトントンはげトントン 3 жыл бұрын
いつ、どこでB29のガソリンを抜いて零戦に入れたのか?オクタン価の差の問題は、戦後アメリカの実験によって明らかになったもの。
@drtera3
@drtera3 3 жыл бұрын
陸軍大尉が零式戦闘機に乗る事は無かったと思いますよ。 零式戦闘機は軽量化の為、装甲が薄く打たれたら生還率が低かったので再出撃のパイロットも少なかったでしょう。 最初の頃は旋回性能の良さから撃墜される事も少なかったようですが。 整備士が触った(軽く叩いた)事が解るのは装甲の薄さ(頑丈さの無さ)の為ですね。 グラマンは装甲が厚くパイロットの生存率を上げていたが、零式戦闘機はパイロットの生存率は無視して軽量化をしていた、グラマンは20ミリでは落ちないんですよね。 ガソリンは粗悪品どころか松脂使ってましたよ。 どんなに凄いエンジン作っても高品質燃料作れなくては意味が無い。 自動車の性能は海外も高い、但し、品質は日本の方が高いと思う(数年乗った時の維持費が全然違う)
@346チャンネル
@346チャンネル 3 ай бұрын
松脂で零戦は飛びませんよ。
@nobunabeshima3235
@nobunabeshima3235 3 жыл бұрын
ゼロ戦は当時としてはかなり優秀な機体だったと思いますが、この動画はちょっと盛りすぎな気がします。 ゼロ戦の実戦配備がされた当時としては非常に高性能だったでしょうけど、格闘性能や航続距離にこだわりすぎた結果、設計に無理を生じ、防弾性能や機体強度が不足気味だったと聞いています。 実際に同じ時代に米海軍で配備されていたF4Fワイルドキャットとのキルレシオでもそれほどゼロ戦が圧倒していたわけでもありません。 大戦初期の頃は互角以上の戦いをしていましたが、太平洋戦争中盤以降は、ゼロ戦の弱点でもあった機体強度問題が米軍にも知られてしまい、急降下での一撃離脱とゼロ戦1機に対し複数で対応するという米軍側の戦術の工夫や、大戦初期の日本軍を支えていたベテランパイロットの多くがミッドウェーやソロモンで戦死してしまい、日本側の航空隊全体の練度低下も重なり、日米の航空戦のキルレシオは一気に日本側が悪化していっています。 ソロモン海戦時(第1次ソロモン海戦~南太平洋海戦)で米側の資料でワイルドキャット1の損失に対しゼロ戦5~6撃墜くらいのキルレシオだったというものがあります。 まぁ米側の資料なのでかなり盛ってるとも思われますが、その分を差し引いてもソロモン海戦時でワイルドキャット1:ゼロ戦2~3くらいだったのではないでしょうか? この時点でゼロ戦の優位性は完全に崩れていたと思われます。 その後、マリアナ海戦の頃になると米軍にF6Fヘルキャットなどの2000馬力エンジン搭載の新型機が登場し、もう日本のゼロ戦は全く歯が立たない状態になってしまい、ほぼ全滅に近い損害を受けています。 大戦初期の頃の大戦果の影響からかゼロ戦の後継機の開発が遅れ、さらにパイロットの命を軽視する日本軍の思想のため、戦争末期では実戦経験未熟なパイロットが、性能でゼロ戦を圧倒する米軍の新型機を相手にしなければならない状況になり、最終的にゼロ戦は特攻機として多くが投入されるという悲劇を招いてしまいました。 逆に米側はパイロットの生存を重視し、戦場となった海域に潜水艦などを派遣し、不時着したパイロットを積極的に救助しています。また、練度優秀なパイロットは教官として本国に戻し、新たな新任パイロットの育成に努めています。 航空機に対する日米の戦術や戦略の違いから運用方法が違ってくることはあるとは思いますが、戦場では何よりも自国の戦略的勝利を目指さなければなりません。 圧倒的に国力差のある米国と戦わざるを得なかった先人たちに対する敬意は持っているつもりですが、客観的に日米の戦略を比較すると、米側の戦略の方が合理的と感じざるを得ません。
@内野優成
@内野優成 2 жыл бұрын
マリアナ海戦のときってパイロットの半分以上新人じゃなかったっけ?
@souhonkenshi
@souhonkenshi 2 жыл бұрын
@@内野優成 半分所か、其の大部分が未熟者😓
@和気清麻呂-y5c
@和気清麻呂-y5c 3 жыл бұрын
ラバウル基地の台南航空隊・・・西澤、笹井、岩本、坂井・・・化け物級がゴロゴロいたんだよな〜
@土岐正樹-e2i
@土岐正樹-e2i 3 жыл бұрын
技術大国・日本の礎ですね、零戦に戦艦大和。~⤴️
@FTAP46
@FTAP46 2 жыл бұрын
釘を刺すようで悪いが当時の日本の航空技術は欧米の後追いに過ぎないよ言い方を変えるとそれ以下。総合より何か一つ(性能)優れたものを作るのが得意だった。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
昭和3バカ建設の一つが大和なんだよ。大和に戦果があれば、軍事史上の大発見だよLOL
@FTAP46
@FTAP46 2 жыл бұрын
@@信爺-s7u 建造してしまったのだからどうしようもない建造中は戦艦こそ最強(大艦巨砲主義)だったけど就役したら航空機の時代になってた(それを切り開いたのは日本だけど) 結果沈んだけど世界的に有名になれて良かったじゃない
@タバコモード
@タバコモード 3 жыл бұрын
これは酷すぎだろ!ファンタジーかよ!
@西方秀則
@西方秀則 3 жыл бұрын
ゼロ戦の本当の名は、 零式艦上戦闘機と言いました 開発者は、堀越二郎氏
@biancasol1060
@biancasol1060 2 жыл бұрын
グラマンはゼロ戦の逆の発送でとにかく丈夫に作り上げた! 重量も重くなるので強力なエンジンを開発してゼロ戦に立ち向かったが一対一での戦いは避けていた!
@岐阜次郎
@岐阜次郎 3 жыл бұрын
戦い方の違いは精神論の違いではなく、単純に物量・物理限界の違い こういう間違った日本賛美はあかん
@nasidoori
@nasidoori 2 жыл бұрын
どんな素晴らしい機体・エンジンでも、燃料の安定的補給がなければ 飛び続けることは出来ません。パイロットの育成が消耗に追いつけないのも。
@hitoshi-xy6610
@hitoshi-xy6610 3 жыл бұрын
こんにちは、余談です。何より私が零戦で凄いと思ったのは昔祖父から教わってびっくりしたのが、プロペラの後ろのボディに銃口があり発射された弾丸が先頭に装着され尚且つ高速回転で回るプロペラの羽根に当たらないように計算し設計されてた事にも大変驚いた事を思い出しました。今回もありがとうございました。
@Psy_Bow
@Psy_Bow 3 жыл бұрын
機銃同調装置は第一次世界大戦で既にドイツで開発実用化されてましたよ。 これは当時としては画期的な発明で、一時期にドイツ空軍が連合国空軍に対して圧倒的優位に立つ要因にすらなりました。 仕組みは簡単に言うと「プロペラの軸と連動して引き金と接続されたカムが動き、プロペラが機銃の前を通過する時だけ引き金を引いてても機銃を撃たないようにする」です。 それまではプロペラから離れた位置に機銃を搭載(当然空中戦では敵機に当てにくい)したり、酷いのになるとプロペラに鉄板を貼り付けて 「弾が当たっても弾き返す!問題ない!(問題大アリ)」ってシロモノもあったらしいですねw
@NV124KX660
@NV124KX660 3 жыл бұрын
@@Psy_Bow だいたい合ってますが、同調式機銃を第一次大戦で最初に実用化したのはフランスで、モラーヌソルニエ単葉を駆るローラン・ギャロスが、同調式機銃を搭載し、まだ作動の確実が期せなかったので、あなたのいう鉄板カフスをプロペラに嵌めて一応実用できる武器に仕上げ、これでドイツ機を撃墜して武勲を揚げたのですが、不時着してそのメカニズムをドイツ側に知られ、より優れた同調機構がドイツ軍に軍用機を提供していたフォッカー社の手で実用化されたのです。撃墜王ローラン・ギャロスの名は、今も、テニスのローラン・ギャロス杯に残されています。彼は、また、第一次大戦における日本人の撃墜王 滋野清武男爵の知人でもありました。
@Psy_Bow
@Psy_Bow 3 жыл бұрын
@@NV124KX660 さん なるほどそうだったんですか 連合国も、ちゃんその同調装置を改良して戦闘機に載せていれば、後のフォッカーの懲罰という悲劇は避けられたのかも知れませんね あとテニスのローラン・ギャロス杯の名前がそこから来てるのは知らなかったです 教えて頂いてありがとうございます
@keimegumi3098
@keimegumi3098 3 жыл бұрын
何時も先生のお話しを興味深く拝聴させて頂いておりますが、今回は少し贔屓の引き倒しに成っちゃって居ますわね。 確かに、千馬力クラスで零戦や隼に敵う機体は無かったと思われますが、日本でなかなか開発出来なかった二千馬力級のエンジンを欧米は開発して実戦に投入して来ました。 二千馬力級の戦闘機には流石の零戦も隼も歩が悪かった様です。
@mrrazyc
@mrrazyc 3 жыл бұрын
後から開発されたものが性能で上回るのは当然です。 しかも、当時の状況では特許での保護は当てにならず、敵に情報を公開することになる特許申請もしなかったでしょう。 ゼロ戦が世界で初採用した技術のうち、枕頭鋲、超々ジェラルミン、機械式アナログコンピューターを使用した今でいうフライバイワイヤの三つは 今でもほとんどの機体で採用されている重要な技術です。 これらは、開発は困難でも現物、組成、構造を知れば簡単に模倣可能です。 米軍はゼロ戦の性能に驚愕し、戦闘機パイロットに戦わず逃げろと命令し、1400馬力級の戦闘機を開発中止して2000馬力級の戦闘機開発に注力し、 ゼロ戦の機体入手に励み、実際に入手して徹底的な試験飛行と分析をしています。 また、ゼロ戦は極端に長い航続距離を持っています。 これは、国内で石油生産ができず、戦争継続には南方の油田地帯とそこから敵の爆撃機の届く範囲の制空権確保の為です。 戦闘半径が半分になれば同じエリアでも必要な基地数は4倍になるので、日本の国力で維持できる基地数と要求航続距離のギリギリの折り合いの結果だと思います。 日本でも(約)2000馬力級の戦闘機を開発成功していますが、このエンジンでゼロ戦のような運用は燃料に不安のある日本には不可能だという判断だったのでしょう。
@keimegumi3098
@keimegumi3098 3 жыл бұрын
@@mrrazyc さん 戦時中の特許について、三菱は戦後「可変ピッチプロペラ」の特許使用料を支払う故を米国の相手会社に申し出て驚かれてますの。
@色々保存サブ
@色々保存サブ 3 жыл бұрын
2000馬力級が登場した後日本も隼と鍾馗の設計を踏襲した疾風、新機軸を多く盛り込んだ紫電改などの2000馬力級戦闘機を配備してます
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
@@mrrazyc で、結果どうなった?
@mrrazyc
@mrrazyc 2 жыл бұрын
@@色々保存サブ さん、日本の2000馬力級戦闘機はゼロ戦のような航続距離はありません。 国土防衛には使えても、占領地確保の運用は無理です。 同じような離昇馬力でも誉をターボ装備の米製エンジンと同等に扱うのは間違っています。 ターボは高度が上がっても出力を維持可能ですが、2速過給機では2速全開(つまり上空でフル過給が可能な状況)でも30%くらい出力は落ちます。
@CHOCOBOLIA
@CHOCOBOLIA 3 жыл бұрын
軽自動車のエンジン同然でしょ、まさかの1000馬力未満 そんなので上昇力や速度を追求すんだもん、贅肉どころか骨まで削るから強度低下 初期の20mm機銃は凶器だけど放物線を描く弾道だし、よく戦えたわ。全部、搭乗員の技量だよね
@nteruhiko
@nteruhiko 3 жыл бұрын
笹井さんは坂井三郎さんの上官。両人親しくはあったが坂井さんは上官に対すときは敬語を使った。
@massyk7446
@massyk7446 3 жыл бұрын
一撃喰らうと火だるまになる零戦があまり好きではない。乗員保護の装甲や防漏タンクを当初から装備していた陸軍機の方が戦闘機としてまともだと思う。初戦でなまじ活躍したので航続距離と防御力トレードオフした零戦に夢見て頼り切った海軍は後継機の開発に失敗。首無し飛燕の五式戦までその時々で必要な制式機を前線に届け続けた陸軍の航空戦略は褒められるべきなのにシステマテックで素晴らしい海軍とクソな陸軍って世間では言われてる。これ陸軍の復活を恐れたもGHQの洗脳か?
@hiroyukik8383
@hiroyukik8383 3 жыл бұрын
欧米ではゼロ戦の評価はそれほど高くない。彼らは全体を見て評価する。攻撃力、防御力、生産性、技術力、稼働率など。それらを総合的に考慮して評価するとゼロ戦が第2次世界大戦中の戦闘機のトップ5には入らない。まぁ、ランク外で刮目する戦闘機くらいの評価。アメリカがゼロに対しては2対1で戦えと言ったが、それは彼らが2対1で確実にゼロを仕留める戦術を編み出したから。まず1機が1対1でドッグファイトをして、残りの1機がゼロを確実に仕留める別角度から仕留めるという戦術。向こうは数に分があるのだから、当然の戦術。その方がアメリカ側の損害も少なくなる。
@takasuna8103
@takasuna8103 3 жыл бұрын
いつもありがとうございます😊 日本製品の技術力の高さ恐れ入ります。 半導体の話も聞きたいです。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
聞いてはいけない。多くのコメを読まれると善い。このおっさんのデタラメがよく分かるから。
@takasuna8103
@takasuna8103 2 жыл бұрын
​@@信爺-s7u  コメントありがとうございます。 別に間違っていてもいいんです。 私達日本のため、自分の命をはって飛び立った飛行士、そしてその飛行機を寝る間も惜しんで開発した技術者。 我がためにならず、人のため、国のために魂を燃やす日本人、今の日本人が忘れ去ってしまった気持ちですね。 大和魂を取り戻したい
@117khro7
@117khro7 3 жыл бұрын
装甲ペラペラなら特攻以前に既に特攻精神が必要やったんやな
@にゃあちゃん-u6e
@にゃあちゃん-u6e 3 жыл бұрын
大空のサムライ、読まれなかったのかな? 「自分は、(小便玉より)7・7ミリでトドメを指した」とあったと思うんですが…
@gyopicyan999
@gyopicyan999 3 жыл бұрын
僕も車は自分の体のように感じます。タイヤの位置感覚、サイドミラーの幅感覚バッチリです。 見えている限りの障害物に当てたことはありません。 後ろからチラッっとパトーカーなり、覆面パトが来ると瞬時にわかります。 同じですね。 🤣アアアアーッw
@nasidoori
@nasidoori 2 жыл бұрын
覆面パトの技術力アップに、ご注意して下さい。彼らの運転技術向上への魂は 普通じゃありません。
@joespecialgtedt
@joespecialgtedt 3 жыл бұрын
ウーンちょいと零式を持ち上げ過ぎ? 機銃の件も20MMは確かに強力でしょうが、弾速も遅く、背後に付いて敵機を1発で仕留めるはかなり難しいと。 7.7MMでしたか?操縦席の前に付いている機銃。あれの方が弾速も速く、扱いやすいといわれてなかったでしたか? 開戦当初は有利でしたが、米軍に徹底的に構造や戦法を研究されてからは、搭乗員にかなりの練度の差がなければ敵機に勝てなかったでしょう。 米軍はサシの空戦は禁止にしたくらいで。あと、零式でB29スーパーエアフォートレスを撃墜はそれこそかなり困難だったでしょう。いくら燃料とオイルが良くても1万Mの上空を飛行して性能を維持できるようには設計されていなかったでしょう。その為に紫電改とかが存在してくるのでしょうしね。
@吉田寅次郎-t4q
@吉田寅次郎-t4q 3 жыл бұрын
陸軍でもゼロ戦を使用していたのですか?それは知りませんでした。ゼロ戦は海軍の飛行機だとばかり思っていました。いずれにしても、当時のゼロ戦は最強の戦闘機でした。 それと、どんなに性能の良い飛行機を作っても、それを動かすパイロットの技量がなければ 絵に描いた餅です。日本には優秀なパイロットがいたことも事実です。 ただ最終的には、アメリカの国力には負けました。大人と子供が喧嘩したようなものです。 でも、アジアの中でこれだけの技術力を持った国は日本以外には存在しませんでした。 戦後は、それらの技術が生かされ、自動車や新幹線が世界からも称賛の声があるのも事実です。これからの日本はこれらの技術を軍事に利用するのではなく、医療に使うことを望みます。人を殺す兵器開発より、人の命を救う技術に力を入れてもらいたいです。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
ゼロ戦は海軍だよ。このおっさんの話を信じる方が阿呆だと思う。
@seedapple8098
@seedapple8098 3 жыл бұрын
零戦が陸軍で使われた事を生まれて初めて知りました。 貴重な情報ありがとうございました。
@NaganoMasao2
@NaganoMasao2 3 жыл бұрын
陸軍が海軍機を使うということはありえないと思います。操縦装置の配置が違うのでちょっと考えにくい。原典は何なんでしょうか?
@NV124KX660
@NV124KX660 3 жыл бұрын
はっきり言って、小名木さんの明らかな誤りですね。
@美毛猫ニコ
@美毛猫ニコ 2 жыл бұрын
陸軍御用達の中島飛行機も零戦を同時期に造っていたらしいのですが 三菱よりも生産数は多かったそれと混同されたのかも。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
本当にウソ垂れ流しチャンネル。
@幸男橘
@幸男橘 Жыл бұрын
小名木氏の知識は間違いだらけです。
@ふぇいりすにゃんにゃん
@ふぇいりすにゃんにゃん 3 жыл бұрын
日本の零戦のDNAが今の日本車に受け継がれているならば レース用のスポーツカーでも日本の技術は力を発揮しているのでしよう。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
される必要は無いな。
@thas3815
@thas3815 2 жыл бұрын
ゼロは特殊な戦闘機 2年なり3年なりの期間だけ、米軍機より明確に性能的に上回る機体とする為に 色んな部分を犠牲にした その分突出した そう云う戦闘機だよなと ある意味特攻精神
@djtel-z3s
@djtel-z3s 3 жыл бұрын
紫電改でないと終戦末期の戦いは零式艦上戦闘機では棺桶と化すだけだとか言うが手練が操る零式艦上戦闘機はMustangすらかなわない🇯🇵
@象牙色旧橙色
@象牙色旧橙色 3 жыл бұрын
良い話ですね。
@マーボ-t9b
@マーボ-t9b 3 жыл бұрын
ミッドウェー海戦で帰るべき空母が無く、数多のベテランパイロットが戦わずして海の藻屑と消えました。 山本、南雲、許すまじ。
@robroxnavy6712
@robroxnavy6712 3 жыл бұрын
その時はまだ熟練のパイロットはまだいました、なのでその後の南太平洋海戦などで戦えたのですが南太平洋海戦で完全に失ってます、ミッドウェーではパイロットはそこまで失ってない気がいや、110名失ってるか
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
@@robroxnavy6712 いや、400名だよ
@アプリ-z9x
@アプリ-z9x 3 жыл бұрын
私の同級生のお父さん はゼロ戦のパイロットでしたが、乗るゼロ戦がなく出撃出来なかったそうですよ。
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
よかった。命拾いをされた。
@永遠の15才
@永遠の15才 3 жыл бұрын
日本軍のパイロットの撃墜記録だと岩本徹三氏が200機以上撃墜したって記述見た事あるけど一位じゃないのか?
@野間剛-p7q
@野間剛-p7q 3 жыл бұрын
陸軍大尉はゼロ戦に搭乗していません。大戦初期は、恐らく「隼」に搭乗していたはず。
@須藤直哉
@須藤直哉 3 жыл бұрын
疾風がもっと早く量産されていれば。富嶽が三年早く出来ていれば。ゼロ戦の装甲がもっと厚く、運動性能が同じ位だったら。コスモファイターがもし当時あれば…
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
歴史にIFはない!
@Konnbu-Annzu.2024
@Konnbu-Annzu.2024 Жыл бұрын
他の方も書いてるように零戦は海軍航空隊でしか運用されてません 陸軍には一式戦闘機 隼を代表して他に二式単座戦闘機 鍾馗・三式戦闘機 飛燕・四式戦闘機 疾風・五式戦闘機があります しかも戦時中は海軍が零戦の情報を出さなかった事もあり、その存在を知ってるのは関係者のみでした なので零戦の存在が知られたのは戦後だったりします。 ちなみに陸軍の一式戦闘機 隼は『加藤隼戦闘隊』が戦時中に映画化されたこともあり広く知られており、当時「♪エンジンの音 轟々と 隼は往く 雲の果て~」と始まる 『加藤部隊歌』が流行ったそうです
@theblytonian3906
@theblytonian3906 Жыл бұрын
Zero afficionado here. Couldn't understand a word. Did translate the title though "What is Japan's Zero fighter (Zero fighter) that the world feared | Yoshiyuki Onagi" If ever a vid deserved English subtitles it's this one.
@日本人-v6w
@日本人-v6w 2 жыл бұрын
坂井さんがわざと負けたのなら、本当は言うべきでは無いと思いますし、負け惜しみに聞こえます。謙虚な対応をした笹井さんの方が大人ですね。
@niichi6029
@niichi6029 3 жыл бұрын
精神性と技術力絡めての話 あらためて感心した
@信爺-s7u
@信爺-s7u 2 жыл бұрын
精神力で、大東亜戦争、勝てたのか。
@渡邊稔-q7e
@渡邊稔-q7e Жыл бұрын
次回 隼解説 聞きたいです 叔父さん撃墜王 でしたが 語ませんでさた
@武神会本部
@武神会本部 3 жыл бұрын
坂井三郎中尉が笹井醇一少佐に模擬戦で「自信をつけさせる為にわざと負けてやったんだ」は格好よくないです。なぜならば自信を付けさせる為ならばネタばれしてしまったら自信つけさした意味がない、つまり負け惜しみでしかないから格好よくないです。
@saitrophy943
@saitrophy943 3 жыл бұрын
まあ零戦が活躍したのは対戦闘機戦闘の戦術が未熟な時だけなんだけどね、戦闘機は速度と上昇力
@FTAP46
@FTAP46 2 жыл бұрын
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