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【ゆっくり解説】織田信長に関する一考察(姉川の戦い前編)
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【ゆっくり解説】織田信長に関する一考察(足利幕府再興後編)
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浸透襲撃
Күн бұрын
Пікірлер: 200
@edoponu2173
Ай бұрын
参加すると解りますが、町内会が一番近いです。草刈りの時なんか、町内所有の草刈り機のほか各自が所有する草刈り機や鎌なんかをもって集まったり。役員に選ばれると、今度は市の会合に各町内の役員だけが集まり、議長(役員の長)を決め会議をし市のイベントを仕切ったりします。オジサンたちの風貌や集まって会議してる時の空気感は戦国時代と変わらないでしょう。それぞれが本業を持っていて片手間で集まって仕事しますが、その取り纏めに市の職員がいて資料を作ってくれたりサポートしてくれますが、その遠慮がちにご苦労様と接してくる様は、集まってくれた農民たちに接するときの足軽頭の実情でしょう。メチャメチャ面白いので一度お試しあれ
@hiron114
Ай бұрын
超分かる。 4年前町内会の会計してたけど、まあそんな感じ。
@muramasa9582
Ай бұрын
地方役場の仕事ってそんな感じですよねぇ。 だからそれを理解していないエリート官僚崩れとかが盛大にやらかすわけで(例:今の兵庫県とか)
@kirin4126
Ай бұрын
@@muramasa9582 信者さんが多いが広島市のお隣もそうだと思いますよ
@秋彦-o6n
Ай бұрын
(戦に)参加するとわかりますが
@あタシか
Ай бұрын
@@秋彦-o6n 成仏してクレメンス
@もとあき-u3c
Ай бұрын
鉄砲は手柄の証明が難しく、火薬の入手が困難で高いから訓練にも金がかかるし、特殊技術の機械で修理も困難。 刀や槍に比べてコストの高い武器なので、パートタイム兵の個人持ち武器にはリターンが少なすぎるかと。 信長が購入したものを信長の旗本下級武士部隊(母衣衆など)に与えたのでは? 長篠の頃で千丁(千人)程度であれば、無茶な数字でないかと思います。
@クリス-t9w
Ай бұрын
鉄砲隊に関してうぷ主の説明にはある程度説得力あるなとは思うけどひとつ疑問点がある。 それは弾薬の供給についてのこと。 ボトムアップ方式での自発的な鉄砲隊の成立があったとして、個人が鉄砲を買って持っていくことまでは可能だったとしても継続的に十分な量の弾薬を個人または少数の村などの単位で用意できたのかは疑問が残る気がする 組織として鉄砲隊の運用を目指す、あるいはたまたま鉄砲を多く持っているという特性がある部隊を上手く用いるためにはトップがある程度組織立って兵站を管理する必要がある気がする そういう意味では多少なりともトップダウン型の軍の管理を行っていたんではないかなぁという個人の感想です
@にあみんと
Ай бұрын
今みたいな大規模な本格的なものは無かったけど、信長の軍には多分そういう風潮があってその小さなシステムの差が他の大名との大きな戦力差になったと私も動画を見て思いました
@galsilt2726
Ай бұрын
兵站の支給に関しては運用の範囲として考えられるというか、少なくとも戦時においては信長側から弾薬出しててもおかしくはなさそうだなあって感じる。各家臣の軍団における武器種の編成がどうなってるのかをある程度事前に調査しておくとかはできるだろうし(してたら記録が残るからわかりそうだが)、そうでなくても「なんか最近鉄砲持って来る奴多いな」って感じたら勝つための準備としてそれくらいやってもいいよな
@ぱくまん-z1x
Ай бұрын
前の動画でもやってたけど、武田勝頼が弾の備蓄を強化とか銅弾とかを各領主に指示してなかったっけ。 なら、弾や火薬も各領主(村)持ちなんじゃないかな。
@2wsc1qaz72
Ай бұрын
当時の弾は規格化されて無いため鉄砲ごとに弾が違いますので火薬はともかくたまは各自で持って行く必要があります
@トウフメンタル-q8v
Ай бұрын
まず鉄砲だったり弾だったり流通しないと誰も買えないからそういう面で一枚噛んでそう
@たっちー-j4e
Ай бұрын
数万人の専業兵士抱えるのは無理って言うけれど、戦局を変えるなら鉄砲兵500~1000人でも十分なんじゃない? 長篠の戦いでも鉄砲1000丁動員しただけで記録に残るレベルだし わざわざ何万人も用意しなくてもいい、半農半兵に少数の精鋭を混ぜるだけで効果は出る
@TanehikoOsuga
Ай бұрын
鉄砲は鉄砲足軽に会社(大名家)の備品として貸し与えられるものだったのでは。番筒といって、支給品の鉄砲には管理番号が振られていたし。
@希望匿名-s2t
Ай бұрын
戦国時代は貫高に応じて軍役が定められ、その軍役は騎馬~騎 旗持~人 鑓~人 弓~張 鉄砲~丁と指定されている書状が残っています。
@小高周一郎
Ай бұрын
長篠の戦の鳶ヶ巣山砦の奇襲に向かった酒井忠次に鉄砲500丁山砦の奇襲に向かった酒井忠次に鉄砲500丁を貸与していること、また脅威度の低い城から鉄砲のみを抽出して戦場に動員する例もみられるので、単一兵科の分離運用も不可能ではないことが分かる。 東国では軍役帳が残っていて、鑓〇人 弓△人 鉄砲◇人と指定された武装の者を動員していることから、いかに西国といえどボトムアップの軍制改革は現実味がない
@shijisuzuki8377
Ай бұрын
一般兵が鉄砲持ち込みはコスト的にちょっと考えにくい気がする。鉄砲本体以上に火薬の調達コストが厳しい。最低ラインの所領持ち(数十~百石クラス)が自分の部下に銃と弾薬を配布するのが限度じゃなかろうか。
@あなゆき-b4n
Ай бұрын
織田家は分からないけど、武田家は家臣団が合戦に動員する人数と武装を定めた軍役定書ってのがあってその中に「○十人動員、その内弓○張、鉄砲○挺、etc」とか決まってたので、織田家も大きくは変わらないかと思います
@kt-ql6lq
Ай бұрын
北九州出身者です👍 地元を取り上げて下さりありがとうございます😅 何はともあれこのチャンネルめっちゃ好きなんで応援しております❤
@abbtk14
Ай бұрын
高価な鉄砲と大量の弾薬を個人装備するなんて食うや食わずの貧農にできるはずもなく、それだけ織田領が豊かだったという事なんでしょうね。秀吉なんか米の買い占めや土嚢を作らせたりでその都度数十億円単位で散財しているし、鉄砲をまとめて買い与えるくらいわけもなさそうです…。
@Seaza_Sr1
Ай бұрын
秀吉がやったと言われてる事は信長が下地を作って実験してたんだと思う。家康がやったと言われてる事は秀吉が…
@たけさん-k3g
Ай бұрын
センゴクが一番参考になるかな お前らの規模だったら◯丁持っとけ的な感じで保有してて長篠のときだけ特殊な例外で一時的に集中させたと
@user-mongoru300
Ай бұрын
個人だけで鉄砲の運用が十分できていたとは思えなくて、鉄砲の本体だけでなく鉛や硝石の調達も必要で、それらを個人でやり続けるのは非常に効率が悪い。少なくともある程度集中調達をしていてそれを貸与というか下賜というか与えていたようなことはあったのでは?しっかり人数分とかの調達ではなく、大名としてとにかくたくさん持っていて、特に側近を中心に鉄砲等の兵器を働きに応じて与えたりとか。別にすべて足軽とか万単位で運用ではなく、百~千単位で足軽や鉄砲の運用くらいなら俸禄でやっていけないことはないと思うんだけどな。それくらいなら戦争の際は大名本体かその補給部隊や後方部隊がそれらの弾薬管理はしていておかしくない。付城戦略で大規模工事し続けながら支配地域を増やしていく信長軍なのでそれくらいのことはやっていておかしくないし、それぐらいであれば別にいちいち文書に残ってなくてもよいし、日々のものだからチラシの裏的にメモしてきて使い終わったら処分してたらまず残らない。弾薬まで全て調達を個人に丸投げはさすがにあり得ない。少なくともある程度上層部でそれなりに集中管理しないと運用は厳しい。主の②だと、そうやって戦場に参加して弾薬補給していけばおこぼれとか余りで多少の弾薬は持ち帰れそうで、そういうの使って獣害駆除や狩りに使えるから農兵的にもウエルカムとか。想像だけど。
@bearqquartetto
Ай бұрын
うーん、それこそ鎌倉時代とかならわかるけど、戦国で「闇鍋編成」は無いんでは。 火縄銃は輸入品でコピーモデルでも入手困難な状況、って考えれば、今、我々が銃火器を個人で入手しろってのと同じくらい困難じゃないのかと。 むしろ領主が用意した鉄砲を「ほら、これだと怪我しにくいよ☆」て半農の農民に配ったって方が説得力は感じる 村の中の器用な者が整備や運用を学んだり教えたりしながら仕切ってた「おらが村の小隊」を領主がまとめて扱った部隊とかはありそう それこそ兵站を考えたら「銃弾、火薬、整備道具、補修部品」これらを常に補給し続けるってのを農民がやるのは無理じゃないかな。 当時の火縄銃がどれくらいの相場で、当時の農民がどれほど現金を手に出来ていたのか、も疑問。
@Tantatatantan
Ай бұрын
農民レベルが銃買えるわけないだろってのは同意だけど、火縄銃は輸入品じゃなくて刀鍛冶が普通に作ってる 根来とか堺とかが産地って中学受験レベルの歴史で習うじゃろ
@bearqquartetto
Ай бұрын
@@Tantatatantan いやだから元は輸入品、そのコピーモデルを国内で生産してる、って言いたかった 言葉足らずじゃった…申し訳ござらぬ 「普通に作ってる」はちょっとどうかね? あたかも「日本全国津々浦々どこでも鉄砲生産出来た(特産地は関西)」という誤解を招きかねない言い方をしてしまうのはいかがなものか 鉄砲を生産出来たのは、海外に開いた港湾都市圏(鉄砲現物、備品、知識の獲得)で、手に入れた鉄砲を分解して構造を理解できた者だけよね。 硝石やらなんやら、輸入に頼る備品も多いからなかなか広まりにくかったろうしね。
@bearqquartetto
Ай бұрын
@@Tantatatantan いやだからさ、元は輸入品、そのコピーモデルを国内で生産してる、って言いたかった 言葉足らずじゃった…申し訳ござらぬ 「普通に作ってる」はちょっとどうかね? あたかも「日本全国津々浦々どこでも鉄砲生産出来た(特産地は関西)」という誤解を招きかねない言い方をしてしまうのはいかがなものか 鉄砲を生産出来たのは、海外に開いた港湾都市圏(鉄砲現物、備品、知識の獲得)で、手に入れた鉄砲を分解して構造を理解できた者だけよね。 硝石やらなんやら、輸入に頼る備品も多いから生産技術も内陸部まではなかなか広まりにくかったろうしね。
@bearqquartetto
Ай бұрын
@@Tantatatantan いやだからさ、元は輸入品、そのコピーモデルを国内で生産してる、って言いたかった 言葉足らずじゃった…申し訳ござらぬ 「普通に作ってる」はちょっとどうかね? あたかも「日本全国津々浦々どこでも鉄砲生産出来た(特産地は関西)」という誤解を招きかねない言い方をしてしまうのはいかがなものか 鉄砲を生産出来たのは、海外に開いた港湾都市圏(鉄砲現物、備品、知識の獲得)で、手に入れた鉄砲を分解して構造を理解できた者だけよね。 硝石やらなんやら、輸入に頼る備品も多いから生産技術も内陸部まではなかなか広まりにくかったろうし。
@user-fgmc
Ай бұрын
軽くググったら鉄砲現在価値で60万するらしい。こんな高価なものを農民が買ってたか疑問に思う。
@ほえほえ-w3x
Ай бұрын
後の刀狩でも、江戸期の鉄砲改めでも普通に農村に鉄砲があるので持っていても不思議ではないと思う。
@ぶれぶれ-y2r
Ай бұрын
その60万円が自分の命を守るために必要不可欠なものだった、と考えてみるべきかな、と そう考えると何よりも優先して手に入れるべきアイテムだったのでは? 戦国時代の農民の三種の神器だった、と言えるじゃないですか。60万円を優先的に投資すべき対象だったとうぷ主は考えているのでしょう
@user-fgmc
Ай бұрын
@@ぶれぶれ-y2rほんとに命欲しいなら戦に行かなければいいし、護身用なら鉄砲はあまりにも弱いと思う。(人数揃わんと当たらないから) とまあこれ書いてて思ったんだけど鉄砲って強いより遠距離から攻撃できるから死傷率が低くなりそう。弓と違って訓練いらないしね。だから農民でも流行ったんかね?
@うそねこ-e4f
Ай бұрын
長篠で細川藤孝あたりが鉄砲を提供してくれたことに信長が礼状を出していたような
@井上やす
Ай бұрын
鉄砲は高価だし、殆んど輸入品であった硝石を一般の市民が手にいれることが出来たのか?
@samsamwo36360
Ай бұрын
現代の民兵が、強いからと言って戦闘機や戦車を持参して戦場に行くのが非現実的なように、 非常に高価な鉄砲を民間人が確保するのは非現実的では?と思います。 特に海外からの輸入に頼る弾薬を民間人が確保するのは難しいし、 戦争後、必要経費として弾薬代がもらえるわけでもないのに、経費自腹で民間人から自発的に火縄銃を使い始めるとは思えないのですが・・・。
@nao2591
Ай бұрын
略奪
@mayshin643
Ай бұрын
貸付
@Noya360Key
Ай бұрын
現代だって車や家みたいな年収に近いあるいは超えるような高いもん持ってる人はそこその居るから 高い鉄砲持つのは非現実的かと言われたら微妙かと 弾薬は知らん
@helixlord9014
Ай бұрын
親会社織田ホールディングスは子会社の羽柴家、柴田家、佐久間家やらたくさんの実力ある子会社を有して支配下に置いてる。 でも羽柴家の中にいる人たちはあくまで羽柴家と雇用契約的なものを結んでるわけで、羽柴家の就業規則に則って禄をもらい出陣もするという立場にあるということ。 だから羽柴家の経営方針に則って織田家のためにたたかうし、万が一羽柴家の叛くとあってもそれに従い動くだけ。 そんな感じかね
@あなゆき-b4n
Ай бұрын
基本的には合ってるんだけど、与力大名って言って小さい子会社(織田家臣)が大きい子会社(織田家臣)の配下的な立場に付けられることもあった。 有名な例が柴田勝家に対する前田利家や佐々成政、あと明智光秀に対する池田恒興みたいな感じ。 こいつらは上位の家臣の統制下にあるけど、陪臣(家臣の家臣)では無いので池田恒興は山崎で、前田利家は賤ヶ岳など、重要な局面では裏切ったり(正確には裏切りでは無いけど)と独自に行動したりしてる。
@Noya360Key
Ай бұрын
@@あなゆき-b4nまぁそれは本社からの出向者と考えれば現在でもそこまで不思議ではない
@reiayanami9637
Ай бұрын
領主が補助するとしても、農民がめちゃくちゃ高価な鉄砲、射撃練習のための弾薬や火薬を自前で準備できるのか? 商人の次男、三男とかならあり得るかもしれないけど。
@ひめじさん
Ай бұрын
どこで読んだか忘れたけど、小田原の役の時に北条方が支配地域の村に出してた兵隊動員に関する指示書が残ってるみたいですね 武装に関するところだと槍の長さについてまで細かく指示されてたそうです
@nekozame_history_fan
Ай бұрын
黒田基樹先生の本に詳しそうですね。
@橋本遊
Ай бұрын
兵農分離はそれなりにすすんでたというか、村の中に戦うことをメインにする人がいたみたいですね、詳しくは太田牛一の動画にて
@nekozame_history_fan
Ай бұрын
『太田うしいち』(日本中世史メイン)さんの動画も興味深いですね。『しかかく』(西国戦国史メイン)さん、『右京大夫政元【歴史解説】』(室町幕府メイン)さんも情報が深くて好きです。この3人は研究を追っていて、通説(世間に流布したシンプルな説)よりも複雑な中世社会の武士たちの様子を感じ取れて好きです。 『ゆっくり真実の戦国史』(戦国大名の手紙が多い)さんと『ゆっくり歴史ばんびぃ』(尊氏以前の足利氏)も面白いけれど、私の情報力不足のため動画の正確性を評価できません。無念。
@muramasa9582
Ай бұрын
というより、兵農分離って「武家の成立の仕方」そのものですからね。 あとはそれぞれの国(地域)で程度差があったくらいに思っておいた方がいいでしょう。
@from4284
Ай бұрын
武田の話になるが、中国でいう兵戸的なものがあって、戦の際に従軍する代わりに租税の減免を受けた農民が身分として存在してた 武士だって城下住まいでもなければ、規模はともかく菜園くらいは作ってただろうし、兵農分離の定義から詰めないと結論は出なさそう
@てんのすけところ-q8c
Ай бұрын
百年戦争の時のイングランドのロングボウ部隊が農民兵だったのは有名な話だと思います。当時のイングランドも君主の権限があまり強くない封建制度でしたし、国家の常備軍などはありませんでした。普段は王や貴族が少数の私兵を抱えているだけであり、戦争が起こると農民を徴兵して軍を組織する訳です。つまり統一の規格化された武器を持ち、一斉射撃などのある程度の集団行動ができる訓練された部隊を農民で組織することは可能です。ロングボウは扱いが難しく習得に時間がかかりますが、自由農民に特別な給金を払って訓練させていたらしいです。日本の戦国時代の鉄砲隊も似たような感じで農民を組織して訓練させていたのではないかと思います。常備兵と一般の農民兵の中間みたいな存在ではないでしょうか。
@あさくらばねじん-y3d
Ай бұрын
ロング ボウ の 謎が 少し とけました。ありがとう ございます。
@st-ng4ih
Ай бұрын
長篠の鉄砲隊>長篠に出陣していない留守居領主の軍勢から鉄砲衆を差し出させて集めているから、それじゃないかと推察 武器装備>北条氏なんかは配下武将に槍衆◯人・弓衆◯人・鉄砲衆◯人なんて指示してる書状がのこってますね(おそらく配下武将負担)
@KT-sg3vx
Ай бұрын
up主的には雑賀衆とかはまさにこのボトムアップ式になるんですかね。 あと、母衣衆等とは別に信長直属の特殊な訓練を受けた私兵(鉄砲隊)を持っていたって線はないかなあ。
@kikurin8556
Ай бұрын
キマシタワ━━━━(゚∀゚)━━━━!! お身体に気をつけて毎秒投稿してください☺️
@tetela_tela
Ай бұрын
ある程度の強制的な官僚や兵力の移動ができないと秀吉やら滝川やら明智やら殆ど背景勢力がない新参者が使えないので領地の変更とか誰を誰の下につけるとか家ごとのレベルでは他の戦国大名よりかなり強権が振るえたんじゃないかなぁと思っている織田家
@はむてぃー
Ай бұрын
兵士側が工夫して鉄砲所持者多数→鉄砲隊完成!の発想は確かに1番妥当だと思うんですけど果たして当時の農民に鉄砲用意できるほど余裕あったんですかね…いくら織田家の政策で金銭や鉄砲が他家より多かったとしても鉄砲は高価で需要も高いはずなので一兵卒達が集められる物なのかが疑問です。
@matukawatositane
Ай бұрын
農村から召集されるのが村内でも上位である軍役衆であるのがヒントになるんかね?
@steinlei3513
Ай бұрын
何時も楽しく感心しながら見させて貰ってます ただ今回の「必ず記録は残る」はちょっと疑問が。 「関係者が多い程記録が残りやすい」が実際の所ではないかな、と。 後半でおっしゃってた通り「当たり前の事は記録に残らない」と言うのもありますし。 そもそも「必ず記録が残る」のなら歴史学者の方も議論もしないでしょうし、考察する必要もないのではと思った次第。
@清忠真田
Ай бұрын
間違った情報を記録してしまう、自分達の都合の良いように記録を残す可能性があるので、記録自体が正しくない可能性もありますね!
@ドリム-o5t
Ай бұрын
寸土拾い言われても、武田の位置からすると、寸土以外は大勢力と全面戦争になるからなぁ。
@matukawatositane
Ай бұрын
そも堺屋太一の贔屓があるでしょそれ
@ex52alfa
Ай бұрын
当時の雑兵の供給源ですが、当時は気候が冷涼かつ不安定で地震も多く、かつ戦乱による食糧難で村々からの逃亡者が後を絶たなかったそうです。なので、戦の都度募集をかければ簡単にまとまった人数が集まったそうです。ちなみに武田家には敵前逃亡を図る雑兵を薙刀で斬る「一手役人」がいました。 あと、どの大名も少数ながら常備兵は抱えていたようで、それらは「一騎駆けの武者」と呼ばれる人達で、膠着した戦線の突破や追撃戦での働きが期待されていたようです。
@ごちゃまぜ同志
Ай бұрын
一般人の定義が広い(「鉄砲を買う財力は無いが自分が耕す田畑が一生ある人」と「鉄砲を買う財力はあるが自分が耕す田畑が一生無い人」の両方を含む) こんな一般人が国民国家の概念なく大勢いる当時の混沌
@藤晶-w3e
18 күн бұрын
現代でも テロリストと呼ばれる方々が 自在に旅客機やヘリや戦車などを自在に扱えるという違和感 テロ養成キャンプでどうこうできる内容でもなく… 航空学校に通うなんてのもなんだか…
@veryvery525
Ай бұрын
鉄砲隊はサバイバルツールを準備した個人の集合体とか、謀反は取引先変更とか、現代の類例を挙げて解説してくれるのは助かる。
@---nt5tf
Ай бұрын
ラストのドリフターズの信長の名言は、ずっと心に残ってますわw
@Hiraide10
Ай бұрын
兵士といっても農民。そんな簡単に鉄砲購入することができるの?という疑問。鉄砲って高価なのでは。 領主が鉄砲は用意して集めた兵士に支給(貸し与え)。貸した兵士が生きて帰ってくれば回収が自然。 鉄砲の扱い自体は農閑期に教練するとかしておいたのでは。そんなに難しいものでもなし、常時訓練も必要はないかと。 戦国時代も後期になれば、戦場の死体から回収したようなのが出回って自前の持ってる兵士もいたかもだけど。
@anzaisensei3611
Ай бұрын
そもそも、当時高級品の鉄砲を農家や町人が持てるのかが疑問 鉄砲は家臣お抱えの兵隊で、そこに集まった連中を割り振りしたんじゃないかね?
@しぐまる-l7n
Ай бұрын
ああ…当時の行動は村単位だし、それなら複数の鉄砲も準備できそう。 で、軍役を「お前らの村から鉄砲持ってるやつ3人か、槍持ってるやつ5人だせ。」って感じに課したら鉄砲隊的なものも出来そう 常備軍ついても、各村に10人とかは戦う係みたいのがあったんじゃないかな。そのうち3人貸してって感じで集めたから常備軍を持ってるように見えた(てか事実上常備軍を持ってるような状況だった)って事では
@てすと-y9e
Ай бұрын
戦国時代の鉄砲は、現在のゴルフクラブみたいな感じですかね。 上司が部下を感化してゴルファーを増やして、数か月に一度の会社行事のゴルフコンペ(合戦?)に部下を引き連れて参加みたいな。(会社行事の人数集めって大変なので、幹事の人に感謝されるんですよね) あと、ゴルフ用品揃えるのも、練習するのも自費ってところも似てますね。
@島野補順
21 күн бұрын
信玄は駿河侵攻に先立って、北条への根回しが不十分だったと考える。 1567年の時点で、先に氏真が「塩止め」を行っているのだから、これが先に三国同盟に背いていると北条に水面下ででも図るべきであった。 これに北条が理解を示せば、駿河侵攻に際しても二国間の同盟維持を模索できたのではないかと想像する。
@かのかのか
9 күн бұрын
今川と北条は姉弟国なんやから今川潰しに北条が乗るわけないやろ。 そもそも先に同盟にヒビいれたのは武田が先。三国同盟の証の一つである武田義信を廃嫡からや。 塩止めは北条も参加してんだから絶対無理。1568から織田徳川武田VS今川北条上杉や。ま、すぐに上杉はフラフラするが。
@pikoyan
Ай бұрын
一般市民(農民)を徴用して兵士とするというのも現在ではほぼ否定されてる考えな様な 一般市民と武士の間に農業に従事しつつ農作物による税の代わりに武士に奉公する専門の階級があって、そこが兵士となっていたとするのが今の主流の考えなはず
@リッチまつり
Ай бұрын
そもそも農民にとって大規模な遠征よりは、野盗や落ち武者等の数人〜数十人単位の小規模戦闘の方が村の存続的な意味で重要なわけだし、そうなると数揃える必要のある鉄砲よりは近接武器の方が重要なはず。
@heinyamu6992
Ай бұрын
常備兵というか、近習を集めて猛訓練を施して戦力にした尾張統一戦時代の話が、そのまま美濃制圧後も続いたみたいな形になっていったのかなと思う けど、時代的な背景とか考えると母衣衆として引き立てられた時代には既に終わっていたとは思うんだよなあ あくまで尾張統一戦において、農業生産より津島の金の方が多い織田弾正忠家で豊かな尾張ゆえの士気の低さを補うための窮余の策だったんだろうと ただし、織田家臣団がそれを真似て、少数ずつの常備兵備えていてもおかしくはないかなとも思う、本圀寺の時はそういった兵力だけで強行したんじゃないかなと 鉄砲に関しては武将格の人物と各地の城にある程度信長が回していたのは普通にあるんじゃないかなと、それにプラスして武将が各自で揃えた分とで 弾薬が工学で農民では早々訓練もできないだろうし、鉄砲を扱う人材は平時は城で雑務をしながら訓練戦闘時は鉄砲扱う予備役みたいな形だったらあり得るかと 兵と城館の管理する人って分けて考えがちですが、この時代のカオスさ考えたら普通にそういう人材を平時は館の使用人にしてたんじゃないかなと だからこそ、秀吉の父(あるいは義父)が織田家の鉄砲足軽という、信長に取り立てられておかしくない立ち位置だったんですよという理由付けに使われたんだと思う まあ、これは完全に眉唾な説ではありますが
@タマナカとキュー
Ай бұрын
裏を返せば、鉄砲と弾と火薬を持ってる農民が織田領そこかしこに居たってこと・・・!?
@w_blue
Ай бұрын
お、兵農分離やるんですね 最近の説を学ぶと「歴史は個人の活躍で劇的に変化するなんてことはまずない」って覚えたな
@Hong-Long
Ай бұрын
タレーランはだいぶ変えた気がする
@user-nz9nv4pz8h-大福モチモチ
Ай бұрын
それで劇的に変えた人は歴史に名を残しますからね…
@KH-ui8hl
Ай бұрын
第一次世界大戦と日中戦争の開戦のきっかけは個人の活躍(?)
@山瀬速報
Ай бұрын
部隊編成の話は、猟師を専門の部隊としてまとめると強かった理由ですよね。 専門部隊自体は編成できると思いますが、それは近衛兵とかの限られた貴族階級出身少数の部隊だけでしょうね。
@rasihigu
Ай бұрын
中世ヨーロッパ貴族の割合は人口の2%、自衛隊(一親等)の割合は人口の1%、武士の割合は人口の7%。日本はすでに常備軍(武士)がかなりいる国。この状態で常備軍を新たに作るのは、負担が重すぎる。あとヨーロッパの鉄砲隊はどうしてたのか気になる
@あさくらばねじん-y3d
Ай бұрын
数字で 考えるのは とても 大切ですね。
@matukawatositane
Ай бұрын
本圀寺の変は三好勢力が依然として畿内で大きな影響力あるのが分かる 兵農分離とかいう虚構に切り込んでいくのは良いと思うなぁ
@あぼぼです
Ай бұрын
兵糧の解説動画はよく作られてますが、装備解説で補給とかまでは詳しいのは少ないですね。今回はそのあたりに踏み込んだと思います 江戸時代の軍制の場合侍身分だと本人が騎馬、槍が2~3人、弓と鉄砲が1人ずつなど江戸時代くらいで決められた 軍制があるように、徐々に自分の俸禄に応じて常備するようになる、戦国時代は過渡期で各村に戦時優先的に戦に出る人がいたりするので こういう類の人が「所得もあるので鉄砲を購入、または戦場で拾うその後使い方を覚える」などして徐々に鉄砲所持が増える 織田の場合は経済力があるのでその割合が多い可能性はある。堺なども抑えてるので火薬・鉛玉は大量に買える 出陣の際に戦闘数回分の矢玉は準備する決まりで、それ以降は大名が補給するという流れだったのだと思います
@ぱくまん-z1x
Ай бұрын
織田領国の直轄率ってどれくらいだったんだろう。 織田家の直轄率って無茶苦茶高い印象があるんだけど勘違いなんだろうか。直轄地が多ければ結構無茶出来ると思うんだが。 基本大体は部下が管理してるけどあくまで貸し与えてるだけで所有は織田家。と思ってたんだけど昔の通説から印象から来た間違いなんだろうか。
@みなとみらい-g6k
Ай бұрын
信長自身にも直轄自領があるのでそこから徴兵した部隊に長めに訓練させておくことも鉄砲渡しておくこともできるんではないかと思います。 他の方も言ってますが全軍全部隊を鉄砲隊にするのではなく、自分の直轄軍のうち数百から1~2千人を鉄砲隊にするのであれば部将に断りを入れる必要すらないわけで。 事実、長篠の鉄砲隊を任された面々も衣衆(信長の直属親衛部隊の精鋭部隊)出身なので信長の直轄部隊では? ちなみに方面軍化が始まった1575年(長篠以後)に信長軍って状況一変するので以前と以後で分けて考える必要があると思います。 その後西方面軍を任されて毛利に対峙する秀吉も羽柴姓を名乗る前まではどこかを所領として与えられたような感じ(横山城代とかはあるけど公権力の分与なので自領って感じではない)がなく、信長の直轄軍の一部将だったのではないでしょうか?
@正昭岩下
Ай бұрын
石山本願寺を数年間包囲する事が出来たのはどういう事。
@ねおぞえ
Ай бұрын
大量に付城築いて包囲してたみたいですよ。軍勢で包囲していたと言うより軍勢が駐屯している砦で封鎖線を築いていたものかと。 あと石山本願寺を海上から封鎖するには絶好の位置である淡路島を拠点とする旧三好の水軍が織田の配下でしたから。
@藤澤亮-b6e
Ай бұрын
知行地に代官入れて収入だけもらって専業で軍役してた人もいるし、古代ローマみたく一定期間で交代してたり、色々工夫はあるのでは。文献資料は作成者が書きたいと思ったことしか書かれないからそれ以外のことは妄想がひろがりんく
@toruwatanabe590
Ай бұрын
粗雑な代物なら田舎でも製造可能で、かつ自分の体力と筋力だけで使える槍・弓・刀あたりと違って、火縄銃は製造難易度に加えて火薬や弾の調達も手間がかかるので、大人数が自弁できたかはちょっと怪しいですな むしろ当時は火薬(硝石)が輸入頼みという点を考慮すると、家臣や百姓が本体を持っていても火薬の販路と在庫さえ抑えれば謀反を防ぎやすい火縄銃は、配布するにはもってこいという見方も出来てしまうという
@みねらるむぎ茶
Ай бұрын
そのための"備"なのではと思ってました。 お前は鉄砲いくつ、槍いくつ、弓いくつもってこい って軍役を課しているもんだと。
@Cogitoergosum-h5g
Ай бұрын
確かに次男坊三男坊を集めたとしても、彼らの分の食い扶持はどうする? という問題もありましょうが、織田家は有数の金持ちでしたからね。 少し遡りますが、イングランド軍のロングボウ部隊は農民出身者の部隊だったと言いますしね(常時から訓練していた様です)。 あれも訓練が必要です。 世界的気候の変化があったのでしょうね。 主様が仰有る様に大部分は " か き 集 め て き た " 戦力であり、恐らく私たちが思ったより " 日 和 見 " であったのかもしれませんね。 56し合っているのは武士。 農民は日和見。 意外と平和な世界かもしれませんね。 追記。 私は"逃げ若"の大ファンなんですが… 奥州から北畠顕家卿とともに京都や石津川まで付き添ってきた人々はどういう立場の人たちだったんでしょうね? ただの農民が約600kmを約半月という驚異的な強行軍に何故着いていったんでしょうね? 彼らは決して " 日 和 見 " の農民ではなかった筈です。
@JH-sq1tz
Ай бұрын
鉄砲を備えるように指示はあってもおかしくないし、鉄砲を各家が備えられるように流通網は大名家として整備した、信長さんは直属の人らに鉄砲を多めに買って各自揃えとけやと指示をだすってところでしょ。
@雀-r4f
Ай бұрын
今の「信長の野望」は、鉄砲用の施設を作りはするけれど プレイヤーが購入や生産はしないですね。 土地を任せた武将が自分で軍備を整えて命令に従って出兵する。
@rikavic3228
Ай бұрын
鉄砲隊の成立過程に関する考察、面白かったです。 ただ、うp主の考えを聞いて、農民が鉄砲を所有する理由の部分にちょっとだけ違和感を覚えました(個人の感想です笑)。 確かに、戦闘に参加する者の死傷率を下げて、功績を上げるためには最新兵器の入手は重要ですが、「積極的な動機」過ぎて、日本人的では無いように感じました。 要するに、鉄砲所有のための「日常的な必然性」があった方がしっくりくるかなと思った訳です。 ということで、農民が日常的に鉄砲を使う必要性を考えたところ、ずばり、「害獣・害鳥対策」で所持していたのではないでしょうか?もしくは猟銃としての運用を行っていたのではないでしょうか? これなら領主が訓練せずとも農民は自主的に鉄砲を扱えるようになりますし、「チームプレー」のようなもの(リロード中のカバーとか)も勝手に身に付けてくれているはずです。 また、村ぐるみで害獣対策や狩猟で使用するならば、村の組合が鉄砲や弾薬の調達ルートを確保出来そうです。 …いかがでしょうか?
@bhagavad679
Ай бұрын
後年において豊臣政権の刀狩令や、江戸幕府が細々とした武装規制令を敷きましたが、やはりうp主さんの仰る事が大元にあったからでしょうね 民間市場に大量の武器が流通しており、庶民階層も重武装をする事が容易だったから、日本を平和にするために、強い規制を敷く必要性があったという訳ですね そもそも大名のみが統括的に武装管理をしていれば、そういう風にする必要はない訳です 民間市場に大量の武器が何の規制もなく流通しているからこそ、法的に統括管理をする事が必要になり、秀吉は刀狩令によって、江戸幕府は身分階層において持てる武器の種類や量を細々と規定し、民間市場に大量の武器が流通しないようにした訳ですね 実際、千利休が1591年に処罰されたのも、武器商人として1588年に布告された秀吉の刀狩令に抵触する行為をしたからという説もありますから、豊臣政権と江戸幕府は、極めて武装管理に神経質な政権だった その結果として武装管理は大名の専権事項になり、そのせいで今日のように「戦国大名は武器を管理し、兵士に配っていた」という誤解が広まったのでしょうね 面白いですね
@tease82
Ай бұрын
常備軍が居ないとなると、山賊対策や災害時の土木作業対策はどうしていたのでしょう? ゲームで言えば軍は、本来なら内政していたいけど緊急事態対策用の"force"として保険で準備しておくものだと思います。 氾濫原ナガシマを抱える信長さんかその部下は、災害対策で常備軍を他大名より多めに抱えていたんじゃないかなぁと。素人の感想です。
@あんこ-p1m
Ай бұрын
そういった平時の「雑務」は基本的に末端の領主が担当していたと思います。信長の土地への執着の無さが異常なだけで、基本的には武士は収入源を守る為に「一所懸命」であり、大規模な人員動員が必要な場合は上位の領主に頼るものの日常業務は土地を実際に支配(管理)する者の務めかと。
@yhaachoi1837
Ай бұрын
34:08 たとえ「歴史シミュレーションゲーム」でも面倒なところですね
@ろっかくしょうてい
Ай бұрын
カカチャンネルシステムはなんて偉大なんだ
@KOBAYASHIMARU3
Ай бұрын
天下統一(システムソフト社のシミュレーションゲーム)で毎年投資しながら兵農分離をちまちま進めてたのが懐かしい
@Taka-fn8pg
Ай бұрын
直臣や村長クラスが騎馬や鉄砲やってたとかじゃないですかね。 国の豊かさが忠誠心や装備に影響ある気もしますね
@ちょこみんとあいす-s8q
Ай бұрын
我々は戦争したことがないのでどうしても信長の野望脳で見てしまいがちだけど 稲葉山城の門に秀吉の率いる1500人が攻撃をかけて残り800人になりながら門破壊みたいな事は無いんですよね 攻めにくいように細い道にしてやるし攻め上る味方と撤退する味方がすれ違う必要があるから 実際の攻撃は30人程度で登っていって攻撃、 数人負傷したら撤退、これを繰り返していく感じじゃないんですかね 弾丸が飛んできて人間が倒れていく状況を目の前にすると数人殺されただけで耐えきれるものじゃなくて。 そう考えるとそもそも大量の鉄砲を集めて一斉に射撃する必要性ってあったのかなと 現代のウクライナ戦線でも数千人の舞台のうち150人が負傷したから撤退とか書かれているのを見かけるし 戦国時代当時だってせいぜい鉄砲30兆程度集めて発砲してたんじゃないですかね 確かにこれくらいなら支配地の村落からかき集められる数だとま
@user-pv5ju9yl3e
Ай бұрын
江戸時代には農村で鉄砲が鳥獣対策に使われていた訳だし戦国時代にもそうした傾向はあったわな
@高杉謙介
Ай бұрын
当時の社会体制の例外中の例外は藤堂高虎なのかな まぁ有能だし、その評判は業界内では知れ渡ってたから引くて数多…ってのも現代と似てるね
@n-w3f
Ай бұрын
……てっきり史料があるから専門部隊の編成もあったのかと思っていましたが、そもそもそれを前提とするだけの史料がないまま、おそらくは講談咄ソースで語られていた可能性があるわけでございますか。 ……怖いな、歴史学。
@sawarabi_tarumi_moeiduru
Ай бұрын
小田原城落とせなかったから城攻め苦手って言われてる景虎くんw
@dam5158
Ай бұрын
鉄砲は農業における害獣退治にも便利だからね 熊や猪もパァン!されて仲間の頭が吹っ飛んだらそらビビッて近寄らなくなるし
@yukifutta8189
Ай бұрын
刀や槍みたいにそれだけで武器として成立するならともかく、火縄銃は弾や火薬やら諸々必要になる事も考えると武器の管理だけは武将がやっていたのかな。 合戦時に集まってきた有能そうな人達か、鉄砲を使い慣れた農民の一団がいて、それらにに鉄砲を貸し与えて鉄砲隊にしたのかな。
@junhori1961
Ай бұрын
いつも楽しく、勉強になる動画をありがとうございます。 疑問点は、2つ 記録が残らない…軍事機密だからでは? 鉄砲が農民の自前…いないことはないだろうけど買えたのか? 鉄砲つえぇー…が口コミで広がるのはそうだと思うのですが、上の疑問点は自分でもちょっと調べてみたい。
@nomonomo5539
Ай бұрын
信玄は今川支援を旗印に徳川狙うのが一番ましに見えるのはその後の歴史を知っているからでしょうか。 長篠の戦いの前に、細川藤孝達から鉄砲だけ供出させたけどそれを管理してしっかり返却できてたのかな。 戦争時は鉄砲は持参でも、鉛玉や火薬は支給ですよね。その場合やはり堺を支配し、海外からのルートを持っている信長軍が圧倒的に有利ですね。
@muramasa9582
Ай бұрын
三好三人衆と斎藤龍興の動きが意味不明過ぎる…。 テロなんてそんなものと言えばそこまでですが、何がしたかったんだこいつら。成功しても「将軍殺しの罪」で周囲全てが敵になるだけなのに。 成功したら一発逆転に持っていける繋がりでもあったのですかね?
@matukawatositane
Ай бұрын
義昭降伏目的なら割と現実的だったのでは?
@user-kt6lh9nm1j
Ай бұрын
三人衆は永禄の変で既に将軍殺ししてるからあんまり気にしてなさそう この頃の信長って立ち位置的には義昭のケツモチでしかないから義昭がいなくなったらゲリラ戦してくる六角と在地勢力と仲良い三好とグダグダやって終わりそうだし意味はあるよ
@muramasa9582
Ай бұрын
@@matukawatositane さん 義昭を降伏させたところで、やったことはただの武力テロ。大義名分すらなく、その後に続かないんですよ。 成功しても幕府と信長の面子を潰すことしか出来ないと言えばいいでしょうか。
@国分大輔
Ай бұрын
戦国時代には 兵は将の上に将あるを知らずって言われてたくらいだからね
@前座の人
Ай бұрын
すまねぇ 明日 身体を休めたら視聴しまっす😂
@mu1me2mo1
17 күн бұрын
本能寺の変直前、斎藤利三に信長は切腹を命じてますね。 浸透襲撃さんのご教示により、あれってもしや越権行為?ってことに気づきました、感謝です。
@giil28
Ай бұрын
ふつうに近衛に持たせて使用法 運用法を社外秘? にして使ってたのかなと
@takashis.6023
Ай бұрын
でも槍の長さ整った軍隊調えてたし、そこまで行き当たりばったりではないかと
@どらやき-z1w
Ай бұрын
本圀寺の変って紛らわしすぎでしょ 三好三人衆はともかく、なんで斎藤龍興が足利義昭を襲撃してるんだよw おかげで一瞬だけど美濃三人衆が足利義昭を襲撃しているのかと勘違いしちゃったじゃねぇか
@あぼぼです
Ай бұрын
こういう考察の場合一時期よくあったのが「全然先進的ではない織田信長、所詮日本の英雄なんて世界から見たら平均以下の雑魚、日本はもうだめだー」 と下げようとネガティブ記事を書かれることがあった。※コロナ禍の時 軍勢から軍隊へ欧州でもある日突然天才が作り上げたわけではない、徐々に必要に応じて整備されて行った。それだけの事
@マヒロの鉄道PVチャンネル
Ай бұрын
信長さん、命令はできなくても煽るのはどうでしょう? 例えば、赤母衣衆が戦争の度に鉄砲を500丁とか持ってきて功を立てる→信長さんが褒めて恩賞ガッポリ、みたいな事を意図的にやる。 「誰それみたいに鉄砲を持ってきて活躍すれば、主君にウケるんじゃね?」ってなればしめたものですし。
@ミミケイ
Ай бұрын
確かに、考えてみると兵農分離って無理がありすぎる。
@acq351700
Ай бұрын
専門軍=お金で雇われた、荒くれ者、農家の次男、親が専門兵、土方、あぶれ者が、基本なったのだと思います。前線で命知らずに戦うイメージです。目指せ一番槍。武器の支給と訓練は戦国時代後半頃はあったと思います。 農兵=農家の長男、後方から石を投げて攻撃又は兵站、戦場での土木工事、収穫時期になると帰宅したがる。嫁子供爺婆が田畑を管理。嫁を抱いて兵士を生産😅
@郎太-d1w
Ай бұрын
俺は『広告を飛ばした』、『1秒の狂い』無くッ!『一瞬』でッ!!!
@I1I1I-yuyuko-konpaku
Ай бұрын
ノブ「フフフ、残念だったな敵将め。お前が追いまわしてバカは、実はただの我々の総大将だ。ワハハハ」 オカマ「ちょっと何言ってるかわかんないわ、アンタ」
@tktk5656
Ай бұрын
後顧の憂いを断つための三国同盟だったと思うんだけど。。北条を怒らせたのは読み違いだったのか、関係ない・もうやるしかないと思ったのか。。海がどうしても欲しかったのか。。
@アクアクロス
Ай бұрын
カカチャンネルリスペクト演出は笑った
@midoren
Ай бұрын
鉄砲を持ってる人はどうやって”個人で”鉛弾や火薬を手に入れてたんだ?官給でなければ全て自弁となるわけだが ちょっと理解に苦しむな、そりゃ頑張れば手に入るかもしれんけど同じ遠隔武器なら低コストの弓でええやんアホらし、ってならない?
@ダックスフントボンタ
Ай бұрын
鉄砲を打つと大きな音がするのでそれで相手方をビビらせて戦意の喪失と自身が戦に参加していたことを簡単に証明できるからですかね?
@もふもふワンコ
Ай бұрын
当時の弾丸は球形でまた銃身にライフリングがなかったから真っ直ぐ飛ばず命中率は極めて低かったかと。 つまり相当至近距離じゃなきゃあたらないので使い物にならなかった。 どちらかと言えば発砲音で騎馬を驚かせゴルシ化した暴れ馬から落馬した武将を刀でムキュムキュした感が強い。
@清忠真田
Ай бұрын
日本の火縄銃は改良を加えられていて、本場の火縄銃よりも高性能だったと言われているようです。 明軍は日本の火縄銃を、飛ぶ鳥を落とせるとして鳥銃と呼んで恐れ、趙士禎は『神器譜』という銃器解説書を執筆。これは日本の火縄銃に対応する為に知識支援を目的としたとも言われているようです。 現在の実験で、戦国時代に使われていた火縄銃と同じものを使い、当時の当世具足に50mの距離から射撃したところ、直撃した胴を撃ち抜いたという結果がでたようです。 鉛玉は飛散しやすいため相手に致命傷を与えやすく、鉛の毒によってシぬ場合もあったようです。 50mで命中は可能・貫通力は申し分なし。 名手となれば射程距離は増し、鉛玉の飛散によるダメージ・毒によるシボウもあり得る。 当時の日本火縄銃は高性能と思われます!
@riiii5597
Ай бұрын
鉄砲調達の件、草野球で新しいグローブやバットを見せびらかすオジサンの図を想像すると、なんとなくわかりやすいwww
@ライムなライム-n8c
Ай бұрын
KZbinでにゅう工房の名を聞く日が来るとは思わなかった
@鷹山深士
Ай бұрын
武田はこの時、金山が枯渇して経済的にも海が欲しくて今川領に侵攻したって説もありますね。
@ふらっと-m7x
Ай бұрын
結局、善政をすれば強力な軍隊をもてるですよね。最大多数の最大幸福こそが政治。内政下手で強力な軍隊なんて実現しない。そこが信長さんの強さ 鉄砲に関してはやはり大名の介入はあったと思います。今のEV普及のための補助金のように、大名や領主の補助があったのではないですかね 訓練も意図的な支援がないと普及はきびしそうですね
@akanosoufu
Ай бұрын
信長って富国強兵だったり必ず勝てる体制を整えてから戦ったりと孫氏の教えを忠実に実行してますが傾倒してたんですかね
@tesseract3280
Ай бұрын
4:18 雪斎・義元亡き後もにらみを利かせていた寿桂尼が亡くなったから説
@神田川-o3f
Ай бұрын
家臣に提供(鉄炮隊編成命令) ↓ 家臣がその家臣に提供(拒否権あるけど拒否する理由もないし拒否したら信長に歯向かうことになる)
@nasutake001
Ай бұрын
枝葉かつ個人の感想ですけども、小田原城籠城であの上杉謙信を何度も退けてしまった後北条氏の『成功体験』が、秀吉による小田原征伐と滅亡を招いてしまったのかなあとふと思いました あの時の秀吉に後北条氏が歯向かう意味が分からなかったけど、この成功体験に引きずられて「昔みたく城に籠ればどうにかなるやろ!」と思い込んでたのなら合点はいきます
@清忠真田
Ай бұрын
人によっては、北条は勝算があると考えて反抗したと考えられているようです。 1・秀吉と対立し、秀吉に勝利した徳川家康とは縁戚関係にあった。 2・伊達家とは先代からの同盟関係であり、政宗は惣無事令を無視して暴れた前科がある。 徳川・伊達・北条が決起すれば戦局は悪くなく、そうなれば豊臣家に討伐された島津・清水宗治を切腹させられた毛利・最愛の息子を豊臣家に殺されたも同然の長宗我部など西国の不穏分子の決起の可能性が高くなり、天下は荒れる可能性があるとみていたのでは?との事です!
@kazumasuishikawa2733
Ай бұрын
鉄砲を一般ピーポーが買うのはいいけど、幾らしたんだろうね? 一丁どのくらいしたんだろうか。 そのお金を融資した人もいたと思うんだけど、堺の商人? また保証人も必要だと思うんだけど、どうなんだろ。 あんな武器、個人で買えるとは思えないんだよなぁ。刀すら持ってない人多かっただろうから。 なので、精鋭部隊のほんの数人だけって感じじゃないのかな。 武田は義信事件で変わっちゃった感じするなぁ。
@mendels8780
Ай бұрын
ボトムアップの鉄砲隊というのは面白い。しかしそれを応用するなら、ボトムアップでの兵農分離もあると思う。当時の日本は農業生産力が上がって豊かだった。だから農村でも人が余りだしていて、大名が動員をかけて兵隊になる人と、残って農作業を続ける人が(農村レベルで)別れたのでは。これなら農繁期でも戦争ができる。
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