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【ゆっくり解説】織田信長に関する一考察(清須同盟編)
38:20
『桶狭間の戦い』の真実!?奇襲説・正面突破説・追撃説を検証!!
25:23
Enceinte et en Bazard: Les Chroniques du Nettoyage ! 🚽✨
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【ゆっくり解説】織田信長に関する一考察(桶狭間奇襲説編)
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浸透襲撃
Күн бұрын
Пікірлер: 234
@シャチとリスの旅音さんぽ
10 ай бұрын
信長シリーズ楽しく興味深く店て頂いております。 なるほど言われ見れば、信長は桶狭間の成功体験があるにも関わらず、その後は戦術だよりの変化的強襲は極力せず、物量だよりの横綱相撲に完全シフトチェンジしているってすごいことですね。 浸透襲撃様の動画はいつもこういった当たり前だけど言われてはじめてなるほどと思うことが多くて感心させられます。 信長シリーズの今後を楽しみにしておりますね。
@高町提督
10 ай бұрын
運はコントロールできないので、いかにコントロールできる部分で勝つ確率をあげるかは大事ですよね。
@user-nz9nv4pz8h-大福モチモチ
10 ай бұрын
まさに「人事を尽くして天命を待つ」ですね
@study.yoshi.
10 ай бұрын
「成功するための必然性を作る」って天皇陛下の執刀医も言ってた。その通りだと思う。
@takuhash1925
10 ай бұрын
投稿頻度高くて死ぬほど嬉しい
@r91RwKeQ
10 ай бұрын
伝説の甫庵先生の脚色説明からの チャンとした浸透襲撃としての論理立てスコ。
@みみっく-e8b
10 ай бұрын
尾張統一戦で戦に明け暮れてた織田軍の練度も高かったと思います 今川方で戦慣れしてたのは三河忩劇で戦に明け暮れてた三河衆くらいだったのではないかと 戦をせずに国力を高めれば兵数、輜重は充実しますが人間豊かになると自分の身が惜しくなるところもありますから
@MUSASI40
10 ай бұрын
最大の要因は 信長のカリスマの高さもありますが兵士や領民に上杉 武田 毛利に飲まれるかもしれない と言う危機感があった事も 強さの一員でしょうね
@ut7444
10 ай бұрын
浸透襲撃さんが桶狭間してきたw
@グリーンプレゼンス
10 ай бұрын
これが今川義元の気持ちか…(驚愕)
@foo-3-g9i
10 ай бұрын
通説関連で頻出 「また甫庵先生か」
@hy9518
10 ай бұрын
「あれは運のおかげ」 人事を尽くした者が謙遜で言う言葉とそうでない者が負け惜しみと責任回避のために吐く言葉の2種類があるから厄介だよね。
@kazuyafujimoto1686
10 ай бұрын
桶狭間の合戦について、個人的に一番納得できる説を唱えてた、かぎや散人氏の説を元にした説。 義元軍は大高城の後詰めと、信長が出張ってきた時の後詰決戦が目的だった。 付城群に対する信長の後詰めがなかったので、後詰決戦のため大高城近辺にいた義元は桶狭間辺りの丘陵に陣をしきながら撤退していった(そもそも信長公記には、その記載がある)というもの。 この説を採ると、義元軍の行動がほぼ読める。 深夜から行軍し、早朝から大高城に兵糧を入れ、織田方の付城群を排除し、日暮れに向けて撤退していく。 なので桶狭間辺りの地理に詳しければ、どの辺りに陣を敷くかも読める。 もう一つポイントが有って、付城群の部隊を最初から見捨てたこと。 戦国大名と国人領主の関係性からすれば、これは有り得ない。 戦国時代の通常の軍隊の常識では、後詰めをせずに味方を見捨てた段階で戦いは終了。 しかし信長には、それでも自身の命令に従ってくれる精鋭の馬廻衆がいた。 今川軍は、自軍の常識では戦いは終了し戦意のある敵はいないと思っていたところに、戦意旺盛で極めて練度の高い敵の攻撃を受け崩壊した。 信長の筋書き。 大高城の後詰めが目的である今川軍の行動は、地理情報のある大高城から桶狭間辺りでは、かなりの確率で読める。 だから付城軍には後詰めをせず、セオリー通りに今川軍を行動させる。 通常は味方を見捨てた後に戦ってくれる兵はいないが、尾張のうつけ時代から行動をともにし尾張統一戦も寡兵ながら戦い抜いた馬廻衆は一緒に戦ってくれる。 戦前から目星のついてる丘陵なら、そこから死角になり迂回できる道もあった(のかも)。 最悪でも戦意のない敵に精鋭部隊で正面突撃し、相応の打撃は与えられる。 以上の説なら、桶狭間の合戦は幸運ではなく周到にはられた罠ですね。 相手が有能なら有能なほど嵌りやすい。 恐らく謙信でも信玄でも元就でも、戦いの目的が大高城の後詰めなら同じ行動をする。
@マスター刑事
10 ай бұрын
それなら佐々隼人が今川軍正面に攻撃した理由もわかりますね。敢えて前面に攻撃を仕掛けて今川軍主力の目をこちらに向ける必要があったと。
@カモマイル-h8r
10 ай бұрын
前回ので織田信長はいったん休憩って。、 ありがとうございます!
@tarojikken4014
10 ай бұрын
いまだに奇襲って意味で桶狭間という単語を使うくらい「桶狭間=奇襲」ってイメージは強いよね。
@syogekinofuryokawasaki
10 ай бұрын
無能旧日本軍の指揮官が突撃させるための方便だよ 旧日本軍はそういう研究が詐欺的
@モチトピ
10 ай бұрын
また、日本三大奇襲なんて言葉があるから、その影響もあるのではないかと思われる
@zerofatman
10 ай бұрын
「出る前に負けること考える馬鹿いるかよ!」なんてふうに、負けん気で臨む姿勢もいるとは思うけど、やはり勝つためには勝つための事前準備は必須でしょう。 「算多きは勝利」 相手を上回る戦力、自分に有利な場所、自分に味方することの利、などなど、勝利要因を多く揃えて勝つべくして勝つ。これが出来れば最上ですね。
@yhaachoi1837
10 ай бұрын
「神風による勝利は必然であり、それは神の加護によってもたらされた幸運である」という宗教みたいなものかと。
@japanquest7781
10 ай бұрын
なぜ「桶狭間奇襲説」が主流になったのか? なぜ日本軍は『作戦・奇襲至上主義』になったのか? この二つの問題が、こんなカタチでリンクしているとは……素晴らしい考察です。
@こづち歴史古銭解説チャンネル
9 ай бұрын
朝倉の追撃戦も2000位ですし、畿内の救出戦も2000程度なんで、本当に重要な時は寡兵でも 動くのが信長の強みだと思います。
@cold-happousai
10 ай бұрын
運の要素を本人の能力とするか否かが現代と違うんじゃじゃいのかな 当時は「人知を超えた物凄い能力、天に選ばれた人」を示すものだったと思う 現代は「ただ運が良いだけ、能力じゃない」とされてしまうけれど 強襲説でも奇襲説でも、書かれた時代のことを考えれば 「信長スゲー! 信長半端ないって!」が正しい反応だと思う
@baibaruth
10 ай бұрын
投稿頻度が高くて助かる
@kiha7176
10 ай бұрын
浸透襲撃さんの天王寺砦の戦いの考察が楽しみになってきました
@尾黒勝影
10 ай бұрын
前回の解説の内容見たうえで、運が良かったコメントがでるとは…そこに一番驚いた
@user-nz9nv4pz8h-大福モチモチ
10 ай бұрын
せめて、運“も”良かった、ですよね…
@omurago4673
10 ай бұрын
雷雨が降ったのが「運が良かった」って書いてたな、だから念入りに論破してきたんだろう 事前に出来る事をやった上で義元の本陣迄切り進めたのは実力、討てたのは戦術的僥倖かな もちろん混乱状況を作り出せば可能性はあるし 少なくとも本陣強襲に成功した時点で義元を撤退させる(今回の戦役は勝利)目的は達成できるからね
@せるじい
10 ай бұрын
どこまで行っても信長は絶対的な不利に追い込まれてることに違いはなく どんなに努力したところで崖っぷちであったことに変わらず 努力すれば運を実力にできると思うという思想はあるかもしれないが そうではなく結局のところ運だから仕方ないよねっていう任天堂みたいな思想もあるので その思想の違いってだけですよ
@白狐姫
10 ай бұрын
戦国時代と現在ではかなり違い、実地調査された方によると現在では使用されていない間道もあったみたいですね。あと今川本陣はおけはざま山という、小さな山というか、丘の上にありました。
@ako8431
10 ай бұрын
パチンカスの話が出た後で、 "勝利を得るためには冷静に状況を分析・判断し 必要な情報を集めて正しい判断をすれば勝利を近づけられる" とギャンブラーを後押ししてしまう襲撃さん鬼畜w
@月宮Y
10 ай бұрын
信長公記の記述によると、信長は少なくとも出陣後まで桶狭間にいるのは義元の本隊と気付かず、丸根鷲津の両砦を攻略した後の敵前衛だと認識していたとあり、相手が敵本体と気付いたのは早くとも開戦直前です。 一方奇襲説では信長が最初から義元本隊を奇襲する事を目的に開戦していますし、梁田が信長の指示で索敵を担当していたかはともかく信長は敵の本陣の位置を報告するように触れていたと読めますから、比較するなら(おそらく史実である)強襲説の方が運要素が強いと言えるのではないでしょうか? むしろ奇襲説の方が「信長は全て見通していて桶狭間は運ではなく綿密な計算ずくの戦いだった」という方向の脚色がされているように見えます。 信長記は信長演義って事ですよね
@月宮Y
10 ай бұрын
@@shangtian-i3c ご意見ありがとうございます。信長公記によると信長は「敵は丸根鷲津を攻略して一晩中動いていた部隊であるから疲弊していてたやすく打ち破れる」と言っているので、出陣時点では敵の疲労した前衛をまず撃破して局面を変えようとしたのでしょうが、その後の計画は記録は無いですがおっしゃるような敵後続を襲撃というのもあるいはあり得る話かも知れません。 とにかく前方にいるのが敵の前衛ではなく城から出て来たばかりの新手しかも義元本隊とどの段階で気付いたのか、ですね。非常に遅い段階だったのは確かの筈です。
@nanko_tan
10 ай бұрын
奇襲説の方が運の要素が弱く、強襲説の方が運の要素が強いのでは、と書き込もうと思ったらすでに何人かの方が指摘されてましたね。浸透氏の動画は着眼点と話の運び方が面白いです。今後も期待しています。
@matukawatositane
10 ай бұрын
首巻を記述を読むだけならば信長が前線に出て劣勢を取り返そうして突撃したらそこにいたのは今川本陣だったとなるのよね まぁ首巻なんでと言われたらそうなんだけども
@nop01347
10 ай бұрын
どちらの説にせよ桶狭間古戦場にある七ッ塚は、義元本陣跡推定地はの正面にあるので、何らかの戦力が正面から攻撃したのはあるんでしょうね。
@沙流汰彦
10 ай бұрын
胃がキリキリするくらい何度も熟考を繰り返した。信長も我々が何気なくやってる議論を一人で考え尽くしたのだとしたら、胃袋の負担や如何に。だから下戸なんだろう。酒飲んでる場合じゃねえ
@たこやき-q5c
10 ай бұрын
動画再生時間が23:02、短い動画ですね(錯乱)
@yamakawa-chu-sho
10 ай бұрын
北伐の動画の頃は「10分超えたのでまた次回に」が当たり前だった気がする
@YMT_w15
10 ай бұрын
このチャンネルの視聴者はもう調教済みだから、 もっと長くてもええんやで。
@muramasa9582
10 ай бұрын
今回は短い(迫真の23分)
@マスター刑事
10 ай бұрын
陸軍が奇襲説を採用したのは、そうした方が士官の教育に役立つからという側面もあると思います。 今川方を敗因を奇襲説だと「兵が相手より多いからと油断した」以外に「戦闘を行う際には戦場予定地域を事前に偵察して敵軍が抜けられるような道やルートを頭に入れていなかった」「雨が降っていたことで視界が悪くなる他、雨音や雷の音にかき消され敵の動きがわからなかった」になり、逆説的に事前偵察の重要性と悪天候時に索敵を行う際の注意点を同時に士官が学ぶことができるという利点が生まれるので。
@佐倉ハル
10 ай бұрын
信長さんは小勢力の時でも大勢力になってからも人事を尽くすことを辞めなかったんやなって その上で苦戦することも少なからずあったんだから単に運の良い人間とは言えないですね
@タマナカとキュー
10 ай бұрын
「こんな成功はもう2度と起こらないだろう、〇〇のカードをデッキに入れておこう」って考えはものすごく大事
@KOBAYASHIMARU3
10 ай бұрын
動画投稿ありがとうございます。 このシリーズ最初から「信長さんの事績を創作本ではなく、史実で追いかける!」(ドドドド・・・ とか大上段にやっても良かったですね
@フロムフロム
10 ай бұрын
いやはや小瀬甫庵が史実認定可能性とは想像もしませんでした。 本動画を拝見して思ったのですが「運が良かった」は牽強付会に過ぎると感じました。 また今川本陣の位置が報告されたのは出来る限りの事前準備と思います。 強襲奇襲何れにせよ今川川が「こんな方法で来るとは思わなかった」と思えば奇襲になりますし。 また信長本隊の人数が今川各隊を上回っていたとすれば銀河英雄伝説でラインハルトが自由惑星同盟艦隊を各個撃破したのと同じかな(例えがおかし過ぎるけど)
@青井ブルー
10 ай бұрын
鳴海ー桶狭間を歩くと中島砦が凹んで桶狭間に登っていく感じか?川が途中にあったとか?田楽で桶涌間とも言われるぐらいの湿地で池もあったとか。大軍で戦闘するには不利な地形の様ですね。沓掛城ー大高城もしくは鳴海城へ行く街道の途中にあるとも。 この一戦に勝利した信長は壁を熱田神社に寄贈した、相当嬉しかったんだろうな。
@せるじい
10 ай бұрын
熱田神宮の御曹司を桶狭間の前の奇襲で死なせてるからなぁ
@嗣弘
10 ай бұрын
桶狭間戦記だとそれ想定外で。 その連絡受けて熱海取れるかも?で、前進して桶狭間に向かった流れだったか。
@るキーにルいじ
10 ай бұрын
確かに型破りな方法が連続で上手くいくとそっちの方に流れちゃいますよね。信長さんは型破りだと分かってたからこそ型通り出来る時はそれを怠らない…すごいや 格ゲーやってるので運でどうこう言ってる自分に今回の話はぶっ刺さりました😂
@健一飯岡
10 ай бұрын
儒教的要素だと、天に選ばれた人=運が良い、天運があるという考えになるのでしょうね。これで割をくらっているのが劉邦だと思いますが(運が良くて皇帝になったみたいな。当然、実力がある人ですが、恵まれた人というイメージありません?)それはさておき、信長って勝つときは大勝、負ける時は最小限の被害なので、全体的に運の要素はやはり少ない気がしますね
@Akihiko.HIROSE.1954
10 ай бұрын
強襲説なのはこのチャンネルぐらいですものね。
@shamrock6378
10 ай бұрын
劣勢な側が優勢な敵を撃破した戦例において敵の精神的要素に打撃を加えることによる勝利がしばしばみられるが、この場合奇襲や強襲 敵の弱点への集中攻撃により敵の指揮官や指導部を精神的混乱に陥れ勝利を得ていたと考えられ、その鍵となるのが『OODAループ』の回転速度の迅速性 [観察(Observe)- 情勢への適応(Orient)- 意思決定(Decide)- 行動(Act)- 以下ループ] OODAループ、織田だけにってか!?
@リッチまつり
10 ай бұрын
9:15 一番手柄って首級や殿などの合戦中のはたらきだけでなく、指揮官としての作戦成功の功労も入っているっぽい……?ような
@リッチまつり
10 ай бұрын
横山光輝時代の創作内の桶狭間だと、梁田が前々から信長の命で今川の動きを探る任務を受けていたみたいな描写もあるけれど、あくまで創作上の描写なのかな
@oomorisoumen
10 ай бұрын
素晴らしい🎉
@あタシか
10 ай бұрын
信長記と信長公記と混同してましたね。 名前がややこしいんだよぅー
@qweras121
10 ай бұрын
読みやすくて、説明し易いと”広まる” 三国志演義は完全にこんなパターンw
@ちっちゃいちゃん-g6s
10 ай бұрын
参謀本部が取り上げてしまったせいで、在野の研究者たちが、疑問を呈することができなくなってしまったのも痛いよね。 18:00 これで徐州会戦もやっちまったし、第二次アキャブ作戦もやらかしてしまったし… 敵も見てなければ、自分も見ていない。インパール作戦だってそう。
@ソーキル大将
10 ай бұрын
「備え」の大切さを改めて感じることができたなぁ
@藤澤亮-b6e
10 ай бұрын
3月は単価が高いとおっしゃっておりましたね……油断
@山田カイチ
10 ай бұрын
浸透は流石だなっという納得の一本追加。前半は見事、後半は愛嬌。桶狭間だけでなく虚構が史実とすり替わって定着してる事は多い。歴史における事実はどれだけ知識があるかで全然違うんで個人だけでなく時代によっても変わる。日本の近代戦史につては今も書き換わってる。信長が桶狭間以降は少数での攻撃はしないという一般にも流布してる誤解もウイキペディアレベルの情報で修正できる。
@sabak7390
10 ай бұрын
いきなり投稿されてて再投稿かと思った。これが奇襲か。
@ごちゃまぜ同志
10 ай бұрын
出典確認の大切さ
@poporonx
10 ай бұрын
そう考えると、後の“○○の桶狭間”って呼ばれる戦いも、 結構な割合で“地味な戦役自体の装飾の要素”に利用されただけ、なのね。 (考えてみたら鵯越だって攻め込んだ地形が険難なだけで、 結局撃退した陣形と人数を見るとただの正面突破だった、という解釈がある)
@kaji1493
10 ай бұрын
「戦術の極意とは突き詰めれば奇襲」、とか何とか誰か言ってた気がする 相手の意表を突くって意味では、アルプス超えからアルデンヌ進撃まで、兵法永遠の課題なんでしょうね
@織田敦-t2t
10 ай бұрын
俺は歴史小説を書いてる時は、2つの説の折衷案で書いたな 中島砦に移動している最中に、今川義元の本陣の位置を知らせに来る それを知って正面突破で今川義元を打ち取る感じで
@きつねのよめいり-i1j
10 ай бұрын
チョムチョムってなん十年ぶりに聞いたよハングリー最高😂
@ポチモン
10 ай бұрын
満腹ボクサーっ
@是久英司
10 ай бұрын
今回の話で「人事を尽くして天命を待つ」とはどう言うことかがよく分かったと思います。
@mw-mn5fp
10 ай бұрын
布都ちゃん今シリーズ最後の輝き✨
@St_b-sc2uo
10 ай бұрын
すげぇ解り易ぃ… 昔の我々の幸運と今の我々の幸運は 昔 自軍の何倍もの敵を倒すのなんてそんな多く無いでしょからの奇襲ロマンを語れた 今 軍等の色々の話や、島津を知っている
@ケナッシー-v1m
10 ай бұрын
あかん、予想外の投稿の奇襲で前衛貫徹されてもた、しかも短い。 信長さん、ヤン・ウェンリーとラインハルトのいいとこ取りなんですよね。
@であるか-512
10 ай бұрын
実際にあの辺りを移動してみたら、あそこに数千の兵を持ち込んで停止したところに、襲撃されたら奇襲を受けたようになる事が理解できる。義元公も、まさかこれほどに狭隘な丘陵地だとは思わなかっただろうと思っていたかもしれない。襲撃する進路を見つけ進軍する事を何度も実戦で行っていた信長軍が相手だった事が義元公の不幸。この動画を見て鳴海城救援と尾張と西三河の国衆への示威行動の同時プレイが無理ゲーだと分かる。浸透さんも信長公に首を撃たれる事でしょう。実際の地形を知っているか否かが、如何に戦の趨勢を決めるのか勉強になりました。
@junhori1961
10 ай бұрын
当時の人も、信長が今川に勝てたのは運が良かったからと思って、侮ってた人もいたんでしょうね。
@わらび餅の岡
10 ай бұрын
こんなに見応えあるのに投稿頻度早すぎ、流石や👏。
@take4591
10 ай бұрын
単価の高い3月最終日に補足動画、お疲れ様です! 桶狭間奇襲説で高校時代教わった世代です。 「信長は運の人」というイメージだったのですが、一連の動画を見て、いろいろなプランを考えつつ、実際の状況を踏まえて作戦行動を立てている人というイメージに代わりました。
@ウェーイウェーイ-c5k
10 ай бұрын
梁田は信長の命で桶狭間近くの寺に潜伏してたんじゃないっけ?
@cyberterro
10 ай бұрын
作戦術としては強襲、戦法としては奇襲。 個人的には混乱に乗じた暗殺に近いものだと考えてます。 今川勢は数年ぶりの大動員で敵味方の旗印・馬印も認識してなかった可能性も、田楽狭間の湿地で動けない今川勢を外線の機動により本陣を突いた織田勢。
@peppertaro2224
10 ай бұрын
FXにのめり込む投機家とインデックスでコツコツの投資家の対比の様。 同じ額を稼いだとしても再現性という点では大違い。
@たぬたぬ-r6b
10 ай бұрын
義元『どのみち討たれるじゃん。 くやしいのう… くやしいのう…おんどれ信長、 酬いを待てや羽柴筑前、 というか織田家、どこいった??』
@佐藤涼平-r1l
10 ай бұрын
織田信孝の名言がここで見られるとは。
@m71-z2c
10 ай бұрын
武家のボンボンなのに「それは良くない」と、兵に混ざっての戦いとか、供だけ連れて賊討伐とか、バ…死ぬような目にあうことをたくさんしていたのかな? 日頃の行い
@aamm11111
10 ай бұрын
逆に今川方が強襲を許した理由が気になります。攻勢と正面がずれてたってのは素人目にありそうかなと思います。状況を見れば旋回中で止まってしまったのを各陣営が理解できていなかったのか等と妄想すると、東海道が曲がるところでのこの砦配置ですら、そういう目で準備したのかとすら思えてきます。太原雪斎の抜けた穴を自覚できていなかったということなのか。 ちょっと前にこういった戦術的な視点で動画を出されている方が居たかと思いますが、いずれにせよ今の日本ってどちらかと言うと今川に近いと思います。
@マスター刑事
10 ай бұрын
おそらくですが佐々隼人達の突撃が失敗に終わったので同じような事をやるまいと今川方の兵が油断したのかもしれない。若しくは2方向から強襲を仕掛けたことで今川軍の対応が分散されたとか。
@Y_Cobalt
10 ай бұрын
宮田父のあの説教をここで聞くことになるとは思わなんだ…
@SMATTHAUS
10 ай бұрын
小瀬甫庵の信長記の方がメジャーになった理由ですが信長の功績を小さくしようとした秀吉の意向があったというのもあるのではないでしょうか
@たくま-g7t
10 ай бұрын
桶狭間から近代日本軍の方針まで飛ぶあたりはさすが。 ただ、日清日露は確かに大国相手ではあったが、勝てるかもしれないラインまで必死に持って行って、最後の作戦(運要素)頼みだったと私は思うので、結局運だけで勝つのは絶対に無理って事ですよね。
@まだ中学生-m4d
10 ай бұрын
これ、絶対昔の大河ドラマに合わせて今年中に終わらせようとしてますよねww
@dun5926
10 ай бұрын
運要素を極力排し、確実性を高めるって意味では努力全般にも当てはまる気がします。 努力や準備が足りてなくとも運が良ければ成功してしまうこともあるけど、その成功に溺れば必ず何処かであらゆる意味で崩れてしまう。 成功しやすい人というのは、例え成功してもそれに冷静に向き合える人なのかなと思います。 この桶狭間にしたって、信長本人は運が良かったと見ているみたいですし。
@yw1208
10 ай бұрын
敵軍よりも数が少なくても、優れた作戦を立案出来れば戦争に勝てる 作戦という不確かなモノに頼った結果 ミッドウェー海戦演習のサイコロみたいなご都合主義を基に大コケしちゃったんだろうね 自衛隊もこの精神が受け継がれてないことを祈るしかない
@abso_16qn_velvet
10 ай бұрын
運が味方しまくって信長さんが勝ったっていう印象を広めたのは、信長さんの能力を認めたくない人が広めたってとこもあるのかな🤔
@ビワイチー
10 ай бұрын
短い(20分越え)
@apuro66661
10 ай бұрын
確かに何も考えずに運だけで片づけようとする人はたまに見かける。その人の人生の成功や失敗だって運だけで片付かないだろうにって思うんだけど・・
@ふらっと-m7x
10 ай бұрын
信長自身突撃していますからね。今川義元討つ前に信長が討たれてもおかしくない状況。運の要素はありましたけど、運だけで準備万端な義元討てるとは思わないですね 信長も最大限の準備をしたうえで、この一戦に賭けていたと思います
@トラヒロキ
10 ай бұрын
天候激変による強雨を予測した上で、今川前衛とは陽動作戦で今川本陣を雨中に奇襲すると言う強襲戦術採った可能性は?
@おサル-c9y
10 ай бұрын
18:33 ロシアがウクライナに攻め込んだのもこんな感じだったのかもですね。
@MUSASI40
10 ай бұрын
ロシアにとっても 西側にとっても誤算だったのは ウクライナが 想定以上に粘ったことですね
@中西良-m3k
10 ай бұрын
運の要素が全く関与しない状況ってのは、客観的に見たら「ひどく不運だった」ってことになるでしょうね。そんな状況ではどんな英雄でも戦争に勝てませんて。
@ひこえもん-m6m
10 ай бұрын
jyu家の中には天命は変えられない、とする方もいらっしゃいます 彼らは【努力や工夫で運を手繰り寄せる】ことを否定するために【最初から天が味方していた】と言ったりします 大河ドラマの信長に出てきた随天が易をやっていたのは偶然だろうか(反語
@oukai-x1t
10 ай бұрын
まさかの番外編!うれしい!
@rarecoil
10 ай бұрын
兵力に差はあるけど、戦術で勝てるというなら、本来は正史の桶狭間を参照にした方が良いのにって思ってしまいますね。
@がっびあーの
10 ай бұрын
日清戦争・日露戦争ともに情報収集・有利な状況作りは(特に日露戦争では)一応行っていましたが、日清戦争は三国干渉で面子を潰され(賠償金も軍備に消えた)、日露戦争では正直一番欲しかった賠償金は貰えず僻地を押し付けられてお終いでした。その結果「あの戦争に意義があった」という理由付けのために講談じみた戦闘の華々しさだけが悪い意味で印象に残ってしまったと思う。(軍人が冷遇されていた明治後期~大正時代は特に) 最も清とロシア帝国は総合的に見たら「老」大国であって英仏のような「近代的な」大国とは言い難い(清は勿論、ロシアも列強にカウントしていいのか怪しいレベル)し、そもそも何気にどっちも本気を出して戦っていないことを踏まえると戦闘の華々しさも空しい事この上ないですが。
@usamirenko12
10 ай бұрын
成功するかどうかは運も多いに関係しそうですけど、それは確率を上げる為の取り組みを絶対に否定しえないって所何でしょうか。
@透明な豚
9 ай бұрын
強襲の方がかっこいい! でも今回の場合はどっちでもいいかな? どちらにしても事前の準備ってのはしっかりやっていたみたいだし😊
@dam5158
10 ай бұрын
受け入れがたい結果や 思いがけない敗戦に 言い訳を探していないか 運がなかったとか これは何かの間違いだとか 間違っていたのは君だ 相手を見くびっていたのだ 認めればいいじゃないか ただ単純な事実として アイツが強かったのだと なんかこの文章がめっちゃしっくりくるんだが… 【珍説】桶狭間の戦い、1997年の日本ダービー説
@jsetagaya1482
Ай бұрын
兵法が発達する前、戦争は運が全てと思われていた。人間が兵法を知る事で綿密な計算がある事に気がついた
@showtaxikun
10 ай бұрын
序盤:さす浸透さん、3月滑り込み案件w だが興味深いテーマだ。 初盤:要は運か戦略か?ノッブのこれまでの武功考えると後者だな。 中盤:小瀬甫庵 現代に例えると椎名高志・堺屋太一・ヒラコー各先生方ポジ! 「面白いってことは大事なんやで」ですね。 ここが難しいンやけどおもろいお話のほーが面白い、だがあまりに史実(らしき)を曲げるのもどうかな? (まMrジパングやドリフを史実だと思う奴はいない だろな 多分w) たかだか50年前の出来事 どころか最新の出来事でさえ真実と程遠い認識されているのに、真実100%は無理やろ! が主と儂の見解かも知れぬ。 歴史探求こそ沼 しかも足引っ張る糟もといヤツ多数www で、ジャンプ流エンタメを採用し沼るパチ&スロ&公営賭博カス それが当時のぐ・・おっと誰か来たようだ・・ 終盤:勝率の確率・・ううう儂にその話はしないでくれーー(嘆願ww ・・え?成功体験(含むluckyパンチ) 安心したw 儂は”それすら”無い底辺老人65歳なので逆に主後半の「説法」?には刺さらなかったよwwww audienceいろいろww 主渾身の3月最後のパンチ しかと受け賜りました。
@吽阿
10 ай бұрын
逆に本当にどうしようも無い時には相手に運ゲーを仕掛けるのも1つに作戦ということか。
@SM-pk8gz
10 ай бұрын
相手より少ない兵力なのに自分から攻め込んで連戦連勝しとるアレクサンダー大王やスヴォーロフ元帥はどういう思考回路をしてたんだろうか? ナポレオンは対仏大同盟が問答無用でフランスへ攻め込んでくるから兵力で劣ってても否応なく戦わなければならんかったのは分るが・・・
@夕斗-b5c
10 ай бұрын
後半めちゃくちゃ大事なこと言ってますね 2021年のアブダビGPを思い出しました
@kyonchannel6333
10 ай бұрын
最近の説だと奇襲ではなく、真正面から強襲したようですね
@k6g6tm96d6
9 ай бұрын
個人の感想ですが、この時今川軍に太原雪斎が亡くなっていたのは信長には多少ラッキーだったかと
@harigane4773
10 ай бұрын
ふむ、奇襲攻撃はガゼルパンチで三段打ちはギャラクティカファントムだったのか! 当時パンチにしてもシュートにしても魔法の詠唱のごとく必殺技の名前を叫べばとんでもない威力が出るって展開だったなあ。 いや、お膳立てがよかったから読んでてアツい!と思ったんだけどw
@nomoney8296
10 ай бұрын
結果として運であっても信長のこれまでで分かる様に少数でも いやむしろ少数の方が圧倒的な強さを誇る指揮力と鍛えられた精鋭部隊によるものだからねえ 義元公の死因として(相手が信長だった事も含めて)運がなかったなら確かに
@小松崎壮一郎
9 ай бұрын
必殺技ギガストラッシですね❤
@jtaka451
3 ай бұрын
英語でもassaultとambushと別の単語になってるね。
@p-rock5936
10 ай бұрын
他人の成功や自分の失敗は運のせいにして、自分の成功や他人の失敗は実力のせいだとする、そんな尊大な自我の持ち主は履いて捨てるほどいるが 自分の成功は「今回は運が良かった」と謙虚に受け止め、失敗は「実力が及ばなかった」と素直に反省し、 他人の成功は「それだけの力があった」と称えて、失敗は「今回はついてなかった、また頑張れ」と励ます、そんな人は稀有
@コビス-b3i
10 ай бұрын
近世でも司馬史観とか有るし多少はね
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