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ショパン ノクターン8番 Chopin Nocturne No. 8 Op. 27-2 Vladimir Ashkenazy
音楽の美しさの要素は,つきつめると,フーガ・トッカータ・カノンなどのような形の美しさと,オペラのアリアで代表される旋律の美しさに分類できると思います.視覚的にいえば,街並みの美しさと公園の美しさの違いに喩えられます.さらに抽象化して,知性が創作した音楽と感性が導いた音楽に区分することができるかもしれません.しかしショパンの音楽では,形の美しさと旋律の美しさが深く融合していて,知性の領域と感性の領域が入り組んでいます.壮麗な建物が立ち並ぶ街並みに美しい庭園がちりばめられているような世界が開けているのです.
ショパンが紡いだ旋律は,喜び・悲しみなどの"原色"ではなく,もの悲しさ・愁い・寂しさ・憧れなどの"中間色"の色彩を帯びています.その秘密は,音階の踊り場を利用して調を自由に乗り換え,長調のパッセージと短調のパッセージを交互に編み込んでいるところにあります.旋律の流れも規則的ではなく,微妙に変化します.ときには経過音(不協和音)にアクセントを置き,ときには左手と右手の和声進行のタイミングをずらして,ファジーな音の空間を作っています.
ショパン12歳の時(1822年),一家はショパンが生まれたゼラゾヴァ・ヴォラで夏の休暇を過ごしました.星空の下,ピアノがくるみの木の下に運び出されて,ショパンが奏でるピアノの音色が庭いっぱいに響きわたり,近くの村の人びとは駆け集まって柵にもたれて美しい音色に耳を傾けました.そのときの体験がショパンのノクターン(夜想曲)の原点になっていると思います.ショパンのノクターンには,あるときはセレナーデのように甘くせつない響きが,あるときは瞑想曲のように深く静かな響きがあります.
ショパン25歳の1835年は,パリに出てから4年が経ち,音楽的な成功を収めてショパンは精神的も経済的にも安定していました.9月にはドレスデンでショパンは乙女に成長したマリア(ヴォジンスカ公爵の娘)に再会し、恋をして,ドレスデンを去ってすぐに別れのワルツ(No.69-1)を捧げています.その前後に,このノクターン変ニ長調(No.27-2)が書かれています.次々に流れてくる伸びやかで美しい旋律のなかで,ときどき顔を出す愁いのフレーズは,ワルシャワ時代の憧れの人コンスタンチアの思い出や,恋人マリアへのせつない恋心を表しているようです.まるでピアノの妖精が音の糸を紡いでいるような,蝶が半音階の階段を舞い踊っているような,夜空に輝く星座から光の帯・音の粒が降り注いで来るような美しい旋律は,晩年に作曲された子守歌(Op.57)を連想させてくれます.
背景画
1)ショパンを演奏するアシュケナージ
2)若き日のショパン像(ミロチェフスキー画)
3)ゼラゾヴァ・ヴォラにあるショパンの生家.ショパン誕生の半年後に一家はワルシャワに移り住みましたが,夏の休暇をときどきここで過ごしています.
4)ラジヴィル公爵のサロンで演奏する18歳のショパン.ショパンは8歳のとき初めてのコンサートを開き,人びとに大きな衝撃を与えました.以来,ショパンはサロンの花形となりました.
5)ピアノに向かうショパン(エリザ・ラジヴィル筆)
6)ラジヴィル公爵のサロンでショパンの演奏に耳を傾ける人びと.
7)コンスタンチア・グワドコフスカ.ワルシャワ音楽院のソプラノ学生でショパンの憧れの人.ショパンは彼女を想ってワルツ変ニ長調(Op.70-3)やピアノ協奏曲(Op.21のアダージョ)を書きました.
9)ヴォジンスキー伯爵の娘,マリア・ヴォジンスカ.ショパンは1936年にマリアに求婚して承諾を得ましたが,両親の同意が得られないまま沙汰やみとなり,結婚には至りませんでした.別れのワルツ(No.69-1)はショパンがマリアに贈った曲です.
10)マリア・ヴォジンスカが描いたショパン(26歳).
涙が出てきます.