Рет қаралды 49
1.俗にいう頭のカタイ人は、二つのタイプに大別できる。学校で習ったことが自分の思考の枠になっている人と、世間での経験が思考の枠になっている人だ。 どちらも、考え方に枠がはめられているという意味で同じく頭がカタイわけである。学校で習う知識は、常識的な一般教養として意味があるが、数学は別にしてその知識のどれもが正しいとか真理だというわけではない。 教養知識の多くは今のところ妥当だと思われる仮説にすぎないだけである。 だから、もっと妥当性の割合いの多い知識があるのではないかと探索していくために学問研究というものがある。
2.つまり、学問はこれまでの知識を否定したり乗り越えたりするものなのだ。しかも、新しい答えが見出されたとしても、それもまた仮説にすぎない。そのことを知らずに既成の知識がいつも絶対的に正しいのだと思い込んだとき、頭がカタイ人になってしまう。 世間での経験で得たことを自分の考え方の基準にしてしまう人はすこぶる多い。 これこれの事柄はこういうものだ、と定式化して考えるわけだ。 これは一種のムラ的偏向思考であって、広く通用する考えではない。
3.しかし、ムラの中にいる限りにおいてはそういう偏向思考をしていれば安全だというわけだ。 実際には、そのムラが近所一帯であったり、会社組織や業種であったりする。 この顕著なニタイプの頭のカタさを克服するための最も手っ取り早い方法は、できるだけ多くの本を読むことである。 書物は世界である。 読書はもう一つの重要な人生体験である。 その体験は時空間を超えて古今東西におよぶ。 そういう読書をせずして、考えが広がることもないし、自分が成長して変わっていくこともない。 これは昔からはっきりとわかっていることなのだが、本当に実行する人は少なかった。 そして本当に実行する人だけが、世の中や自分を新しく変えていくことができるのである。 あなたはそういう人になりたくないのだろうか。
◆戸田智弘氏は「読書」についてこう語っている。 ●人類が蓄積した知的遺産を、最も効率的に学ぶことができるのが「読書」だ。 文学者の江藤淳氏は、「読書とは、人類が享受している “現段階で考えられるベストな到達点としての知性” を獲得しようとする行為」である、と。 ドイツの初代宰相のビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」と言った。 頭の悪い人は、自分の経験からしか学ばない。 頭の良い人は自分の経験だけでなく、他人の経験からも学ぶ。 他人の経験の蓄積が歴史(=社会的教訓)であり、それは本で最も効率的に学べる。(学び続ける理由 99の金言と考えるベンガク論。/ディスカヴァー)より
◆頭のカタイ人、頑固な人、柔軟性のない人は、人間的な幅の広さに欠けている人だ。 人間的な幅の広さを広げる最も有効な手段が、読書だ。 読書をすれば・・・ ●多様な視点に触れることができる。 ●自分を客観視できる ●好奇心の幅が広がる ●選択肢の幅が広がる ●視野が広がる ●人間性が深まる 頭のカタさを克服するため・・・ 読書によって自分を磨き、心を高め、人間の幅を広げたい。