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「巴御前」は1953年3月21日の録音。
父 觀翁がプロデューサー(電通)として
東京放送のスタジオで亡くなる4日前に
収録に立ち会い。
放送を録音したものです。
前後には、
談志と觀翁と司会者の川戸氏が語る、
明治から昭和への演芸史がございます。
父のコレクションとして
ここでご披露します。
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五代目 柳亭左楽
本名は中山 千太郎(なかやま せんたろう)
明治5年3月5日(1872年4月12日) - 昭和28年(1953年)3月25日)
東京日本橋の生まれ、元は箱屋職人。天狗連出身で1888年11月春風亭柳勢に入門して勢太郎。1895年7月に初代柳亭春楽に改名、1896年2月に講談の伊藤痴遊のもとで春風舎痴楽、1897年6月ころに4代目の元で2代目柳家枝太郎を襲名、1899年10月に初代柳亭芝楽を襲名、日露戦争の輜重兵の従軍体験を高座で語り人気を博す、1906年2月に騎江亭芝楽に改名、1911年1月初席に5代目を襲名。1927年「睦会」会長。芸よりも政治力と人望の篤さをもって、落語界に重きをなした。引退披露直前に没したが、その葬儀の盛会ぶりは今に語り草となっている。墓所は東上野明順寺、戒名は「柳条讃誉五代目左楽居士」。
門下には4代目歌六、右楽(のちの8代目土橋亭里う馬)、芝鶴(のちの桃月亭雛太郎)、7代目春風亭柳枝、8代目三笑亭可楽、8代目桂文楽、さくら(のちの3代目柳家つばめ)、初代浮世亭信楽、9代目朝寝坊むらく(のちの柳亭芝楽(伊藤豊))、左鶴(のちの2代目文の家かしく)、3代目柳亭痴楽、柳亭左升(のちの三升家勝太郎)、芝楽(のちの5代目三遊亭圓橘)、芝楽(伊藤栄三郎)、2代目柳亭春楽、橘家圓晃(異父兄は6代目三遊亭圓生)、8代目三笑亭可楽、7代目雷門助六、柳亭雛太郎、4代目柳亭痴楽、曲独楽のやなぎ女楽らがいる。6代目左楽は孫弟子。
(ウィキペディア)