【小田城】戦国最弱の武将「小田氏治」の常陸フェニックス伝説!9回も落城した城の様子を紹介します

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かいのすけ 歴史

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Күн бұрын

皆さんこの方を知っていますか?常陸の国の戦国大名、小田氏治公です。教科書にはきっと出てこないでしょうが、実は城好き歴史好きな方の間ではとても有名な人物なのです。
氏治公は何故有名なのか。それは「戦に大変弱かった」ということ。数々の戦で負け続け「戦国最弱の武将」と言われています。特筆すべきは、本拠地である小田城を9回も落とされていること。一つの勢力の中心となる城が、こんなに何度も敵に奪われるなんて話はあまり聞いたことがありません。9回もゲームオーバーになっているということなので、もう戦国大名なんてやめちまおうか・なんて考えてもおかしくないわけです。しかし氏治公のすごいところはそこでめげず、その度に小田城を取り戻して城主に返り咲いていること。そのため「常陸のフェニックス」とも呼ばれています。
小田城が何度も落城した理由の一つ目は「氏治公の戦略ミス」。ある戦いのとき少数の敵が山の上に待ち構えているのを見た家臣が「これは罠ですぞ」と氏治公に進言しました。すると氏治公は「なるほど、そうだな」と納得したような返事をするのですが、その後何も聞かなかったかのように突撃をかけてしまったという話があります。もちろん小田軍は撃破され大敗。そんな氏治公なので、しなくてもいい戦いを何度も仕掛けて城に敵を呼び込んでしまったことがあったのかもしれません。それでも付き従ってきた小田家家臣団ってスゴイですよね。
二つ目は、「取られても取り返す作戦だった」というもの。城を必死に守り抜けばそれだけ味方の被害も大きくなります。だったら早めに逃げて被害を小さくし、チャンスを待って城を取り戻した方がいい!と考えていたのかもしれません。何度も落城しているのに氏治公が捕まらなかったのは早めの避難が行われていたから。「あそこまで敵が迫ってきたから今回も駄目だな」なんて判断は素晴らしく早く正確に行われたのでしょう。そして小田城はここから攻めればいい!なんてことも氏治公以下小田家家臣団は熟知していたのかもしれませんね。
そして最後三つめは、これまで見てきた小田城は佐竹氏が改修したもので、氏治公の時代はもっと小さな城だったというもの。小田城は1569年に落城した後氏治公の手から離れ、その後廃城となるまで佐竹氏の城となります。佐竹氏は小田城に手を加えたと考えられており、氏治公が楽しんでいた池の一つはこのとき埋められてしまったようです。小田城がいつ頃大きな城になったのかはわかっておらず、周りのたくさんの曲輪が佐竹氏の手によるものであれば、氏治公の小田城はすぐに落城してしまうようなほんと小さな規模だったのかもしれません。そうであったら氏治公と小田城は戦国最弱だった・・ということになりますね。

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