園田高広|核心へ〜ピアニスト 園田高広〜

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Күн бұрын

Пікірлер: 44
@animarapio
@animarapio 4 күн бұрын
本日この動画に偶然出会えて本当に良かったです。改めて、園田先生の偉大さを感じました。大昔、京都にて入学試験で私の演奏を聴いていただきお褒めのお言葉をいただいた事、思い出します。 今自分も微力なりとももっともっと頑張らねばと痛感した次第です。 永遠に学ぶのみです。 貴重な番組をありがとうございました。感激です。
@gpun8598
@gpun8598 Жыл бұрын
私が初めてクラシックコンサートを聞きに行った時のピアニストが園田さんでした。ベートーヴェン皇帝の演奏会でした。 あの時の感動は今でも忘れませんがこうして聞くと、改めて素晴らしい演奏家だったことがわかります。 アップありがとうございました。
@kumachan.358
@kumachan.358 Жыл бұрын
ピアニストとしても、教育者としても超一流。国民栄誉賞レベルの偉人だね。
@desumos
@desumos 11 ай бұрын
初めてコンサートを聴いたのが園田さんのピアノでした。北海道の田舎町のリサイタル後にスズランの花束を受け取って嬉しそうな笑みを思い出します。 近年私の住まいのそばに園田さんの終の住処があることを娘が教えてくれ不思議な縁を感じました。
@flhrcl4120
@flhrcl4120 Жыл бұрын
園田先生。本当に懐かしくそして忘れられないピアニスト
@sk-fk7om
@sk-fk7om Жыл бұрын
貴重な映像、ありがとうございます🙏拝見できて光栄です。 彼や内田光子さん辺りの頃まで、日本にも本物がいたんですよね。 日本の音楽界は最近、少し方向性が変わって来て、真のピアニストが なかなか生まれづらい傾向にあり、残念です。 その人の腕、が公正に評価される世界であってほしい。
@Archiv_Aufnahmen
@Archiv_Aufnahmen Жыл бұрын
録画のUPで申し訳ない気持ちもあるのですが、本家がこういう貴重な番組を自由に検索・視聴できるようにしてくれないので、UPしてみた次第です。 たくさんの方に喜んでいただけで、よかったです。
@山﨑やまさきことみことみ
@山﨑やまさきことみことみ 9 ай бұрын
嬉しい限りですよね。 大分県ご出身の一流と評されるピアニストのおひとりが、園田さんでいらっしゃいます。 昭和の時代にお名前を識りまして、何かの機会には拝聴させて頂きましたように存じ上げます。まだまだ当時の私には単に拝聴したと言う事柄でしかないほどの未熟な未発達な耳でしたしスキルでしたし感性でもありました。 さて、それにいたしましても私が師事いたしましたピアノの恩師のお言葉に 『高齢であっても老齢ではない』と、その恩師がどこかでお耳になさったのか恩師のご自身のご経験によるものなのかは記憶には無いのですが、そのお言葉を、ご年齢を念頭におきましたときに、失礼かとは存じ上げますが、ふと、思い、改めて、芸術に完了形完成形は存在しないのだと、思う次第で御座います。 実に私自身は今でも未熟なママに御座いますが、実に優れた奥深い多くの恩師に巡り逢えて師事出来ました事を思いますと感謝の言葉が私には足りなくなるように存じますと、このように、動画を時代を過ぎても拝聴出来ましたことも、さらに有難いことに御座います。 私などは単なる趣味レベルでしかレッスンも何もかもが足りない者です。
@hisakohiseki4821
@hisakohiseki4821 Жыл бұрын
尊敬してやまない園田先生を拝見出来て感激です。先生に師事出来たことは、私にとって宝物です。
@ワンワン-e8o
@ワンワン-e8o 11 ай бұрын
6:21 このリストの曲、好きになりました❤
@kyvcbs
@kyvcbs Жыл бұрын
作品に込められた、作曲者の「意思」を汲み取ろうとし、それを極限まで追求しようとする姿勢。 僕は演奏者としてはド素人だけど、それは死ぬまで大切にしたいと思いました。
@ディヤングルタ
@ディヤングルタ Жыл бұрын
17:02 フルトヴェングラー 18:50 ギーぜキング 20:36バックハウス
@neo5982
@neo5982 9 ай бұрын
なんと純粋で明るく前向きな姿勢なんだ。
@淀川謙次
@淀川謙次 7 ай бұрын
インベンションとシンフォニアの解説書でお世話になりました。
@Ashun1970
@Ashun1970 Жыл бұрын
👍
@Archiv_Aufnahmen
@Archiv_Aufnahmen Жыл бұрын
いつのまにかたくさんの再生をしていただき、コメントもたくさんしていただいていたにもかかわらず、そのことに気づいておらず、反応できず失礼しました。すべてにはお答えできませんが、今後、こちらでお答えできそうなものについてはお返事してゆきます。
@tatsuyamiki6356
@tatsuyamiki6356 Жыл бұрын
この番組はいつのものでしょう。
@Archiv_Aufnahmen
@Archiv_Aufnahmen Жыл бұрын
申し訳ありません、録画データを書き記しておらず、またVHSテープ廃棄のためにデータ化したもののため、正確な放送日は確認できませんでした。園田氏の70歳記念演奏会のことが収録されていること、それからそう何年も経ていないであろうこと、元の録画テープに貼ってあったラベルの模様の記憶などからして、1998〜2000年頃のもののはずです。
@tatsuyamiki6356
@tatsuyamiki6356 Жыл бұрын
@@Archiv_Aufnahmen 様 了解致しました。 わざわざ恐縮です。
@メガネ-x1h
@メガネ-x1h Жыл бұрын
他と音が違う。素人の私でもわかります。自家薬籠中の物とはこの事か。
@おうでんきさぶろ
@おうでんきさぶろ Жыл бұрын
絶対音感とピアニストの演奏能力って、関係ありますかねぇ?
@akari0217
@akari0217 Жыл бұрын
調性によって表現を変えるのに役立ったり現代音楽をやる時なんかに「役立つ」程度です。 むしろ後天的な相対音感の方がフレーズや和音を作ったりする時に重要になります。 ピアニストの人の中には、絶対音感に囚われると異名同音(ドとシの#)の機能の違いが分からなくなるからむしろ害だと言う人もいますよ。 多少は関係あるかもしれませんが、相対音感やその他の技術や音楽性を伸ばす方がよっぽど大事です。
@erikasono565
@erikasono565 Жыл бұрын
@@akari0217 絶対音感は先天的なものだと言われているので、園田氏が父君からトレーニングを受けて能力が伸びたというのであれば、それは単なる音感教育、ソルフェージュ教育ですよね。 音感教育は、音に対する感覚を鋭くし、音高やリズムを正確にとらえるために必須で、現代音楽でなくても有利になると思います。 ***** 私は作曲の先生に師事する際、絶対音感のテストだけされて入門しました。 先生ご自身は、芸大卒業後、バリ高等音楽院に留学し、帰国して私立音大教授、芸大講師を務めていたのに、絶対音感がないのがコンプレックスだとかで、「きみは絶対音感があるから、音が喋っているように聞こえるんだろう? なら、聴音書き取りなんて、無調だろうが何だろうが簡単だよね。そのまま書きとればいいんだから。」と散々羨ましがられました。 - 確かにそういう面はあります。少なくとも聴音書き取りや新曲視唱には有利。 そのためかどうかわかりませんが、私には、初めて聴く曲でも、その曲のスタイルが掴めている曲なら、一緒に歌えてしまうという変な特技がある。 私の声域の関係もあって、ベッリーニやドニゼッティ、ロッシーニなどのコロラチューラアリアなど、大好きです。 正確には完全に同時に歌うのではなく、8分の1拍遅れくらいでシャドーイングするのですが、ほぼ一緒に歌っているように聞こえるようには歌える。 これは、調性音楽の場合、曲のスタイルによって音の動きがある程度予測できてしまうから。ですから、和声やフレーズ感覚など、曲のスタイルを把握していることが大前提。 但し、やはり音に対する感覚が鋭くないと瞬発能力が働かない。時々これをやると、音に対する感覚が研ぎ澄まさないと対応できないから、音に対する感覚が鈍っていると自分ですぐにわかります。 そういう時には、絶対音感も有利に働いているような気はする。ということは、音楽家の活動にとって、やはり有利な面はあるのではないかとは思います。 - ですが、絶対音感のある人間が、音大受験から音大在学中にソルフェージュ教育を受けて音感が鋭くなると、周囲のすべての音がドレミで喋り出して煩くて仕方がない。 しかも、録音された音などは、時代によってかなりピッチが異なるので、半音分くらい違うことはよくある。 だから、ドレミで音が喋るということは、隣の音で喋っていることもよくあるわけです。 しかもご指摘の通り、絶対音感と音楽性には、直接の関係性はない。 それなのに日常生活では敏感すぎる耳に悩まされる。決していいものではありません。 ***** 幸い私の場合には、作曲の先生に入門後、芸大和声教本の1年分1巻を1か月でマスターするという条件をクリアした時点で、逆に自分自身の才能の限界が見えてしまって、研究者コースに転向。 大学院修了後、ドイツに留学した際には、音大ではなく一般総合大学でしたから、要求される能力が日本の音大時代とは全く違っていて。 音楽の実技から離れる生活が続くうちに、自然に周囲の音がドレミでは喋らなくなりました。 どこかほっとすると同時に、少し寂しいような。(笑) - 反面、欧州での生活が長引き、特にウィーンでの資料研究滞在が足掛け15年に及び、しかも図書館や資料館の閉館後は、その足で毎晩のようにウィーン国立歌劇場やウィーン楽友協会ホールなどに通うようになり、連日、超一流の演奏を聴いているうちに耳が肥えてきて。 音感教育とは別の次元で、本物の演奏が分かるようになったというか、スタイル感覚が身に付いたというか。 そちらの方がよほど音楽性には大切なのは言うまでもないことですが、同時に、音感教育以上に身に着けるのには時間がかかるもの事実。 日本にいては直感的にわからないような西洋音楽の真髄もありますし。 だから、日本の音大などの教育では、音感教育を重視するのは、音楽性を将来育てるための基盤としても、やむを得ないことだとは思います。 - 何より、音大時代、クラスメートの演奏家の卵たちの大半が、ソルフェージュのクラス分けで私より下のクラスだったのには私の方がびっくり。 私は作曲や演奏に直接かかわる立場の人間ではないので、逆になんだか申し訳ないような。 反面、実際にプロの演奏家として活躍している人は、親しい先輩後輩なども、皆、複雑な現代音楽でも音程、リズムなど初見でもピタリと取れるような人ばかり。 彼らの音感、ソルフェージュ能力がわたしより劣っているわけはない。 つまり、音大時代に私よりソルフェージュのクラス分けで下だった人は、音大を出ても、プロの音楽家になってはいないということかな? これにもし、絶対音感の有無が関係しているとしたら、由々しき事態。 ですのでやはり、幼少時から音感教育はできるだけ熱心にしておいた方がよいということなのかもしれませんね。
@おうでんきさぶろ
@おうでんきさぶろ Жыл бұрын
@@akari0217 様  @erikasono565様 天才ピアニストのアルゲリッチさんは、絶対音感の持ち主ではないそうですね。ウィキペディアにありました。但し、それを説明している一節が、分かり辛いもので「アルゲリッチさんが絶対音感の持ち主ではない」の根拠になりうるのか?疑わしい感じもありますが・・・。 また、「絶対音感=早期教育」という根拠もはっきりしません。「教育」という以上、それは何らかの訓練ですが、「幼少の子供相手に行っているその訓練を、大人が受けた場合に絶対音感が付かない」という実験データもないのでしょうからねぇ・・・。
@こじくん-r7f
@こじくん-r7f Жыл бұрын
絶対音感なんて子供の頃から音楽やってれば自然につくものだと思いますが、絶対音感のないピアニストってあり得るのですか?
@おうでんきさぶろ
@おうでんきさぶろ Жыл бұрын
@@こじくん-r7f さま ウィキペディアで天才ピアニストのアルゲリッチさんを検索されてみてください。絶対音階がないみたいなことが書いてあります。 あと、「ピアニスト」と言ってもいろいろありますよね。プロ、アマの違いなど。また「絶対音感」といっても、いろいろありますよね。「例えば、ピアノの音なら当てられるけど、他の楽器だとわからない」。逆に「楽器以外の音でも、聞こえてくる音はすべて階名(音名)に聞こえてしまう」などという話しもありますよね。更に「子供の頃から」とのことですが、これば一番、根拠のはっきりしない条件ではないですか?まぁ、深く議論する意味のあることか否か?難しいところでもありますが・・・。
@erikasono565
@erikasono565 Жыл бұрын
ベートーヴェンが《皇帝》第二楽章の自筆譜に「夜明けのように」という書き込みをしている? それは私も知りませんでした。 - ただ、現在流布している出版譜にその書き込みが記載されていないとしたら、ベートーヴェンの生前に出版されたオリジナル版の出版譜にはその記載がないということはありませんか? 楽譜出版の版下には、自筆譜そのものが使われることは少なく、大抵の場合には写譜業者が筆写した筆写譜が使用される。 作曲家の生前に出版されるオリジナル版の場合、作曲家自身がその版下の出版譜に校正の手を入れたりしていることも多い。 ですから、シューベルトの《冬の旅》のように自筆譜に何度も推敲の手が加えられて筆写業者が判読できないと、自筆譜そのものを清書し直して差し替えることもあるし、シューマンのように版下にも手を入れる作曲家もいる。 結果として、オリジナル版の出版譜がある場合には、後世の楽譜校訂の際にも、そのオリジナル版の出版譜が主要な原典、底本として採用されるのです。 - だから、曲の解釈にとって重要な書き込みであっても、オリジナル版に記載されていない場合には、削除されてしまうことも起こりうる。 ここで校訂者の判断で自筆譜にあった書き込みを採用すると、ハース版のブルックナーの交響曲のように、異種稿混合折衷になってしまう。 現代の歴史的音楽文献学では、作曲家の創作過程を正確に辿れるように、異種稿は分けて校訂するのが基本です。 異種稿に重要な異同がある場合には、批判校訂全集では異種稿を分けてその双方を出版することもあります。でも異同が些細な場合には、最終稿だけを出版し、異同は校訂報告内に記載するだけのこともあるのです。 後者の場合、最も主要な版として採用されるのは最終稿、決定稿で、それ以前の異種稿における作曲家自身の書き込みや、最終稿とは異なるアーティキュレーションなどが曲の解釈に重要なヒントとなる場合であっても、それは最終稿の出版譜には反映されないことになります。 - とはいえ、歴史的音楽文献学的な校訂を経た大作曲家の批判校訂全集の場合には、詳細な校訂報告が付随し、最終稿の原典として採用された資料以外の資料に記載されていた重要事項や、推敲過程、異同比較などが詳細に報告されています。 ベートーヴェン全集がどういう方針で校訂されているのかの実際は、校訂指針 Editionsrichtlinien を読んだだけではわからないかもしれません。でも、自筆譜に記載されている書き込みなら、どこかに報告されているはずですね。 ***** いずれにしても、こういうことがあるから、大作曲家の自筆譜は、高価なファクシミリやマイクロフィルムを購入せずとも誰でも観られるような形で公開されることが本来は望ましい。 シューベルトに関しては、一部のリートなどを除く多くの曲に自筆譜が現存し、しかもその約3分の2がウィーンの国公立図書館、約半数がウィーン図書館音楽部門に所蔵されている関係から、1999年7月にウィーン図書館音楽部門、オーストリア国立図書館音楽部門所蔵のシューベルトの自筆譜がネット公開されています。 schubert-online.at/activpage/index.php - 無料で誰でも自宅ないしはゼミ室で閲覧できるので、今まで著作権、資料所蔵権の関係から、市販されたファクシミリ版や図書館から購入したマイクロフィルムをゼミで使用することすら難しかったのが、今では音大のゼミ室からネット接続し、ビーマーで映写して、学生たちを交えて自筆譜の読み方を研究することが可能になりました。 ウィーン図書館音楽部門、オーストリア国立図書館音楽部門所蔵のシューベルトの自筆譜のネット公開から既に四半世紀近くが経つのに、未だに音大でそうした自筆譜を読み込む授業がなされていないとしたら、それは音大側の怠慢です。 尤も前述のような資料研究、校訂作業の経緯を実技専攻の教授方がご存じない可能性はあると思うので、我々研究者の責任なのかもしれませんが。 - 日本の音楽家の卵たちに自筆譜の読み方を教えるのも急務なのかもしれませんが、まず、シューベルトのように自筆譜がネット公開されていない大作曲家の方が多いことの方が問題なような気が私はしていて。 私が長年従事してきたシューベルトの自筆譜の年代判定研究、ほぼ同じ五線紙を使用している中後期のベートーヴェンの作品にはそのまま応用できるし、方法論はハイドンの鹿のモチーフの透かしの五線紙 Hirschpapier にも応用できる。 国際音楽学会での私の研究発表にハイドン研究所所長がとても興味を示して下さったので、ケルンのハイドン研究所とボンのベートーヴェン研究所を往復しながらそうした分野の研究に貢献した上で、それらの研究所が所蔵する自筆譜のネット公開事業を促進できたら、最も社会貢献できるかな、と思うのですが、それがなかなか(笑) 近くのデュッセルドルフには日本企業の進出も多いし、国際シューマン協会会長は前田昭雄氏とのことで、何とかならないものでしょうか?
@りーグールド
@りーグールド Жыл бұрын
長げーよwもっと簡潔に述べよ!
@AlkanLove
@AlkanLove Жыл бұрын
長いのは論文を書く能力によるものでしょう。大変有能な方なのでしょう
@erikasono565
@erikasono565 Жыл бұрын
@@りーグールド 一言で言うなら、「ベートーヴェンの書き込みが印刷譜に反映されていないのは、それが印刷譜の底本となる最も主要な資料にはなかったから」なのでしょうが、それでは資料研究に慣れていない人には何のことだかわかりません。 ***** 園田氏のような年配者でなくとも、大抵の演奏家は、日本人ならずとも、楽譜校訂の基礎となる資料研究の基本的な考え方を知りません。 私は、オーストリア国立図書館音楽部門で、内田光子さんが私の目の前でシューベルトのピアノソナタの自筆譜のファクシミリと旧全集を比較照合しているのに歯がゆい思いをしたことがあります。 99年当時、その曲の新全集は発刊されていたし、自筆譜のファクシミリはネット公開されていた。 多忙な内田さんがウィーン演奏旅行の最中にオーストリア国立図書館で旧全集とファクシミリを照合することには何の意味もありません。 自宅で、新全集とネット公開された自筆譜を照合すればよいだけのことです。 しかも、シューベルト特有の書き癖を知らずに資料研究の素人が照合しても、肝心のことを見落とす可能性が高い。 - 動画の園田氏の発言に私は同様のことを痛感したから、注意を促そうとしたまでのこと。 この問題は、最も基礎的な問題だけでも、ドイツの大学でも1学期かけて「楽譜校訂法基礎」として講じられるもので、日本では通年の2学期講じなければ説明することはほぼ不可能。 講師の関係で2週間程度の集中講義で扱えるものなのかどうか。 それをこれ以上短縮して、ある程度分かるように説明することは不可能です。 ***** そもそも昨今の日本の若い人は、ネットの書き込みは電報並みの3行でないと「長い」と文句を言う。 2万字の卒論すら、早稲田大学のようなところでも1字10円で代筆させるというので呆れました。 44判のワープロ原稿で1枚が約1200字ですから、2万字だと十数枚にしかなりません。 ドイツでは、ゼミのレポートでもA4判数十ページくらいは書かされます。十数枚では卒論ではなくゼミのレポートでも、「短すぎる」としてそれだけで落第になりかねません。 日本語学科の学生は、日本に関する本を数十冊は読まされますし、音楽学でも、ゼミのたびに、関連書籍20冊ほどが図書室にそのゼミ専用の棚に並べられます。 - 日本でも、我々の世代は、小学生の頃から、原稿用紙数枚程度の作文を頻繁に書かされましたし、日本語だけではなく、英語でも速読や自由作文の訓練をされたものです。 ちなみにKZbinの規約上は、コメントは短いのをよしとするなどということは全くありません。 それどころか、私がKZbinのアカウントを開設した2012年当時は、1本のコメントの文字数制限が今より遥かに短く、確か500ストローク程度だったものが、その後、何倍にも拡大された経緯があります。 これは私も経験があるのですが、動画内の音声や字幕が理解できず、翻訳を求める要望に応えようとすると、どうかすると40本以上ものコメントを連投する羽目になるため。 時として長くて詳細なコメントへの要望がある以上、文字数制限は実質上設けない、便宜上の文字数もできるだけ緩和するということです。 それにも拘らず、しばしば「コメントが長すぎる」などと苦情を申し立てているのは、ゆとり教育の煽りなのか、母国語の読解力すら著しく落ちている日本の若い世代だけです。 嘆かわしい限り。 そのたびに私は、母国語の読解力や文章力すらない自分たちの学力を反省せよ、と言っているのですが、馬耳東風。こんなことでは日本の将来が思いやられます。 ***** そもそも私のコメント内容は、ドイツの歴史音楽文献学の資料研究の方法論に言及したもの。 母国語である日本語の基礎的な読解力すらないようなレヴェルの低い方には、語学的な理由のみならず、内容的にも到底理解はできないでしょうし、そういう方に読んでいただくためのものではありません。 - 世の中、あなたレヴェルの人の理解が及ばないことはや山ほどあります。 KZbin動画に書き込まれるコメントのすべてが、自分にも理解できるレヴェルのものだと決めてかかっている方が不遜で傲慢な態度でしょう? 日本人はそもそも、戦後の高度成長期に一億総中流だなどと煽てられて、人の知性や能力にはそもそも雲泥の差があるのだという認識がない。 だから、欧米では大学の範疇にも入らないような名ばかりの大卒ばかり増えて、名目上大卒なら、自分もまともな知性の持ち主だと錯覚している。 ドイツ・オーストリア、フランスなど、多くの先進国では10歳くらいで進学コースと職業コースに分かれて、国民の大半は大学には進学せず、手に職を付けて就職する。 日本の名目上大卒者ながら、日本語の読解力もおぼつかないような人たちは、そのレヴェルだということです。 - 理解できないのなら、無理して読まなくてよろしい。あなたがしゃしゃり出て来るべき問題ではありません。 アカウント情報から判断する限りでは、あなたはグールドファンの一介の音楽愛好家の方のようですね。 私のコメント内容は、所詮はあなたのような方とは無縁の世界です。理解できないのは、あなたがその程度のレヴェルだというだけのこと。 日本では音大生はバカの典型、一般の音楽愛好家はそれ以下の知性レヴェルと思われているようですが、ドイツ・オーストリアの音楽文献学を担う研究者の世界は、そういうものとは隔絶された世界です。 文字数から言えば、小学生の作文程度にもならない私のコメントを「長すぎる」と感じるご自分の読解力のなさを、まずは反省なさったらいかがですか?
@koryananja
@koryananja Жыл бұрын
「たかだかKZbinのコメント欄」に対してアホみたいにスクロールを要する長さのコメントを書くのは場違いではないか?という意味の「長い」でしょう。まして他人のチャンネルで。 恐らく文を理解できないからの指摘ではありません。 長い文章が嫌いという昨今の風潮は私も感じます。しかし、あなたがどんな名文をお書きになろうと、その場所が悪ければ鬱陶しいの一言で片付けられるのです。KZbinの規約が云々以前に社会性を身につけられてはいかがでしょう。
@時瀬沙耶
@時瀬沙耶 Жыл бұрын
罵り合いのゴミのような喧嘩から 知見の深い一流人の重厚な文章、深い議論まで幅広くあるからネットは面白いのではなかろうか。 KZbinのコメント欄だからと言って、学術論文クラスの重たいコメントが場違いとは私は思わないし、もっと増えてくれとすら思うよ。
@林信長
@林信長 Жыл бұрын
地味に弾き方がホロヴィッツに似てる。実は好きだったんだろうな。。
@Archiv_Aufnahmen
@Archiv_Aufnahmen Жыл бұрын
この世代の日本人ピアニストには珍しいですよね、この指を伸ばしたような奏法は。やはりレオ・シロタに学んだことの影響(ロシア奏法)なのでしょうかね?
@りーグールド
@りーグールド Жыл бұрын
おじいちゃんミスタッチ多すぎですやん😅 それに全く感情が入ってないから魅力全く感じない😅
@besamemucho6370
@besamemucho6370 Жыл бұрын
その魅力あと50年経てばわかるんじゃね?
@みかん-l3i
@みかん-l3i Жыл бұрын
年齢を考えて、 多少ののミスは仕方がないやろ  ホロヴィッツも晩年は結構ミスしてるし。 年老いるともに 技巧は衰えるが、詩情はこの世を超越するのだよ
@himari8869
@himari8869 Жыл бұрын
ミスを指摘するとかヤバいですね そんな低低低レベルな人に魅力なんかわかるわけねーだろ
@uvadagmdajpt
@uvadagmdajpt Жыл бұрын
感情が入る、入らないとかの言い方がそもそもド素人そのもの😂
@ワンワン-e8o
@ワンワン-e8o 11 ай бұрын
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