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【ゆっくり解説】北条家滅亡編最終回ー北条の家名は絶えず!氏直・氏規のその後の運命
19:16
【ゆっくり戦国武将解説】 「北条氏政」#1 ~誕生・結婚・北条氏相続~
18:07
SHAPALAQ / 8 серия / 4 часть #aminkavitaminka #aminokka #расулшоу #аминкавитаминка
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【ゆっくり解説】北条家滅亡編その11ー小田原合戦(下)三か月の籠城戦の末の開城…北条五代の夢潰える!
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Жазылу 9 М.
ゆっくり真実の戦国史
Күн бұрын
Пікірлер: 78
@nekozame_history_fan
Жыл бұрын
信長の野望を初めてクリアした時に北条氏政でプレイしていたから、後北条氏への思い入れが強いです。 良い動画をありがとうございました。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!そう言っていただけると大変励みになります。氏政で初全国統一は渋いですね!
@nekozame_history_fan
Жыл бұрын
ちなみにその次が今川義元、次が武田勝頼です。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
@@nekozame_history_fan 東国三大滅亡大名全制覇ですね😆
@user-yt2dw6l
9 ай бұрын
何故最初が北条? 元々好きな人ならともかく言い方的におそらくそれまでは特に好きなわけでもなかったようだし 北条って北条オタクの俺が言うのも何だけど氏康ですら少し地味なのに氏政選んでるし 別に悪いとかじゃないけど普通なら信長選びそうだから純粋に疑問に思った
@nekozame_history_fan
9 ай бұрын
@@user-yt2dw6l 静岡県の沼津市に住んでいまして、幼少期より興国寺城関連のイベントとかで北条早雲の話を聞く機会が多かったのです。なので北条家に親近感がありました。歴史の話題で信長の野望の話が出ることが多かったので、去年に試しに遊んでみたのです。どうせやるなら北条家の滅亡を回避したいと思い、北条家でプレイしていましたが、氏直が病死してしまったので当主を氏政に戻してゲームを進め、三木城に豊臣を追い詰め兵糧攻めで攻略し、東北南部、関東、中部、近畿を平定してクリアしました。そして遊び終わってみたら前よりも北条が好きになっていました。以前はなんとなく好印象だったのですが、ゲームの影響ですね。
@10413new
Жыл бұрын
凄く勉強なりました。 通説だと北条も武田もダメなトップのせいで滅亡したことになってますけど、悪手もあったけどやるべきことはちゃんとやっていて運を引き寄せずに滅亡ですね。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!氏政も勝頼も決して愚将ではなくむしろ水準以上の能力の持ち主だったと思います。お家を滅亡させたという一点だけで(リーダーとして結果責任を負わされるのは当然ですが)全否定されるのはかわいそうですね。
@木場俊介-b9j
25 күн бұрын
@@ゆっくり真実の戦国史さん 氏政が良く言われないのは、そして、関東に北条の偉業が残されなかったのは、 せっかくの理想国家が関東にあったのに、終わらせた事もあるのかも知れませんね。 一枚岩でなく、戦乱が絶えなかった、 関東管領の上杉がまとめきれなかった鎌倉周辺を、北条が上手いこと、まとめて、しかも善政を敷いていました。 残すべき北条の遺産はたくさんありました。
@Katakata-Peramori
Жыл бұрын
武田滅亡の時もそうですが、一つのことではなく色々なと事が噛み合わなさが伝わりました。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
コメントありがとうございます!おっしゃるように一旦歯車がかみ合わなくなるとあっという間に負のループにハマっていくパターンですよね。
@鬼伏見
Жыл бұрын
楽しい動画ありがとう。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
こちらこそご視聴ありがとうございます!そう言っていただけると投稿した甲斐があります!
@ユーザーちびエリミ
5 ай бұрын
松田の長男息子の裏切った笠原って勝頼滅亡直前に北条から突如武田に寝返った本人ですね。皆川広照も後の家康側近のどっちかといえば元は反北条の闘士なので、裏切ったと言うよりは、半監視下の危険人物が逃げ出した(逃げれる程度に士気が低下した)感もあり、触れて頂いてアレって調べられたので、意外と通説ってバイアスかかってるんだなと痛感しました!
@KiTSon11281025
Жыл бұрын
歴史にもしもはありませんが、氏康なら案外あっさりと「秀吉?まぁ時勢の流れ的に従うか」って判断しそう…というか前3代なら真田に好き勝手させてなさそうなのが…
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
コメントありがとうございます!氏康ならどう対応していたかというのはやはり想像してしまいますよね。
@54歳の青い鳥日本人
Жыл бұрын
氏政の辞世の句は、 「雨雲のおほへる月も胸の霧もはらたにけりな秋の夕風」 氏照の辞世の句は、 「天地の清き中より生まれ来てもとのすみかにかえるべらなり」 (太閤記より)
@直重秋野
Жыл бұрын
関東一の堅城と言われた八王子城を攻めたのが寝返った大導寺政繁で、普請奉行の平井無辺が上杉方の調略にあい八王子城の最も強固な山頂付近を道案内したことにより上杉勢に急襲され、八王子城の戦いは半日で終結しました。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
関東一の堅城でも内応にあってしかも数の暴力で攻め寄せられたらひとたまりもなかったですね。
@piyopiyoRei
Жыл бұрын
最初の動画から、ここまで追いついたー この辺りの北条家ネタといえば、以前にやる夫が真田信之に・・・を読んでました(未完で残念) 動画作成大変でしょうが、やれる範囲で頑張ってください!
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
コメントありがとうございます!ずっとご視聴いただいて本当に感謝です!このシリーズは次回で最後になりますが見ていただけたら幸いです。
@ai_love_fox
Жыл бұрын
うおおおおお! ついに見たいようで見たくなかった氏政最終回(北条最終回とは言ってない)を迎えてしまった。 戦だけでなく北条氏政の領国経営や臣民から慕われてたことにも触れられていて感激です。 大河ドラマ真田丸の家康が「まずは氏政自身に助かろうという気がなければどうにもならん」というセリフがありましたが、案外本当にあったことなのかもしれないですね。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!今回のシリーズでは氏政の領国統治にはほとんど触れられなかったのですが、いつか機会があれば取り上げてみたいですね。真田丸の家康のセリフは何気に核心を突いてるのかもです。
@rotriot367
Жыл бұрын
母校が東京外国語大学で、近くに是政という氏照旧臣の名前がついた地域があるぐらいなので、天正十八年の悲劇は現代でも地元民に語り継がれ、後北条氏五代だけではなく地域領主としての氏照も篤く尊敬され、公つけずに呼び捨てにすると怒られましたね
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!心霊スポット云々はネタですが笑 自分の地元も某有名武将(戦国ファンなら大体知っているというレベル)のお膝元ですけどやはり尊敬されていますね。
@ジャンピィ
Жыл бұрын
忍城攻めの時の北関東諸将は勝ってもなんの得にもならないしそりゃやる気無いだろうな 小田原開城の際は北条家は元々室町幕府から関東の情勢を収めるために派遣されたって認識があったかと思うので、その任を秀吉が継ぐと考えれば納得もしたのかなと思いたいです。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!イヤイヤ付き従ってたんでしょうね😅
@ジャンピィ
Жыл бұрын
@@ゆっくり真実の戦国史 自分たちで呼んだくせに従わないのほんと坂東武者w
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
@@ジャンピィ 分国法の「結城氏新法度」を見ると坂東武者の無法者ぶりがよくわかります😥😥
@megalith-shock
Жыл бұрын
素敵な動画をありがとうございます。 氏政は間違いなく名君であったと思います。 世間で言われているような間抜けな愚か者などという汚名を着せられてしまったのが残念でなりません。 確かに歴史は勝者の歴史であり、勝った者が正義として後の世に語られるのが常である為、氏政が悪として仕立て上げられてしまったのは必然だったのでしょう。 北条氏の最大版図を築き領民からの一揆や暴動など大きな反乱は一切起きず、身内同士の醜い家督争いや権力争いも皆無であった事を考えれば氏政の手腕が如何に優れていたかは明白です。 五代百年に渡り善政を布いてきた北条家にとって、臣従した後の秀吉の統治により重税などで苦しめられる領民が出るなど、それだけは絶対にあってはならない事だったはずです。 氏政の判断が遅かった部分があるのも、この悩みがあったからなのではないでしょうか。 一説では後に関東を治めることとなった家康が、領民が「北条の頃は良かった」といつまでも北条を慕っていて困っていたとも言われています。 もしかしたら、氏政が間抜けな人間で時勢の読めない愚か者だったという悪評を広めたのは、徳川の方が優れていると知らしめる為に家康が流したのかもしれませんね(妄想ですが)。 近年では氏政公が再評価され、今まで不当に下げられていた功績が認められていることを、小田原民として嬉しく思います。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
コメントありがとうございます!北条氏政は為政者としての手腕は間違いなく一流だったと思いますし、秀吉との開戦もお互いの思惑のすれ違いが調整されないまま突っ走ってしまった側面もあり、単純に氏政の判断ミスだけで片付けられる問題ではないと思います。
@cdfdrfhutydtdt
Жыл бұрын
素晴らしい動画を投稿していただきありがとうございます! 氏政は十分優秀な戦国大名だと思います。 しかし慎重な性格のため、巧遅に拘って最後に大失敗したと思います。 三増峠の戦いでの追撃の遅延、甲州征伐の出陣の遅さなど巧遅に拘ったために失敗することが散見される。 "稀代の名将"と北条五代記で評価されていますが1次資料による同時代の評価で氏政と氏康を比較すると 氏政:家康から"和睦を得意とする策略家"と評価をされているものの謙信からは"雑魚"扱い(多功原の戦いで佐竹義重に敗北したことを受けて) 氏康:謙信に"自分(謙信)"と"信玄と同格"であると評され、僧の東嶺智旺からは"当代無双の覇王"と評される 同時代の評価及び戦績等から考えると歴史学者の方々の言う通り氏政は氏康には劣ってしまうので"稀代の名将"は軍記物の言い過ぎなのかなと思います。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!そう言っていただけると大変嬉しいです!おっしゃるように巧遅というの評は当たっている部分が大きいと思います。それが内政や調略にはプラスに働いたのですが戦場での陣頭指揮にはあまり向かなかった感がありますね。
@54歳の青い鳥日本人
Жыл бұрын
戦も上手でしたよ。現存する着到状の内容から戦国時代では、極めて珍しい兵科ごとの備を作り、集中運用をしてることが解ってます。 佐竹義重との戦では、あえて勝たないと言う極めて難しい用兵を成功させました。表向きは敗北ですが、義重を戦場に惹き付け続けることが、橋頭堡たる城を作る時間を稼ぐ目的があったのです。 だから、現在の竜ヶ崎市の辺りから土浦市近辺まで北条の勢力地になったのですよ。 それから、武田の駿河侵攻の時、撤退戦ですが信玄と互角の戦いをしている。そして、駿河を一度は取り戻しているのだが 武田は島津の捨てかマリのような決死の捨て手駒部隊を置いていてた。ここでの氏政の城取りのペースが城取りの名手の秀吉を凌ぐ速さで、平均で3日と信じられない速さであり、信玄が武蔵方面から別動隊が侵攻してくるのを予想してたようで、早期撤収を図るために、相模水軍に大量の舟を用意させていた。 氏政は兵を最小限の消耗に抑えつつ駿河を取り戻したものの、玉縄城が落城寸前まで追い詰められてたことを受けて急ぎ戻ることとなり、三増峠での結果もあって駿河を放棄せざるを得なかった。 内政面では、特に謙信の広範囲における焼き討ちから尽く復興を果たした事実は、世界史的に珍しい出来事です。 普通は、一回でも広範囲の焼き討ちを食らえば立ち直れないものです。 人の評価よりも、資料から真実を読み取ってあげないと氏政のような意図的に評価を貶められた人が報われないですよ。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
@@54歳の青い鳥日本人 ご視聴ありとうございます!今に残っている氏政の書状を見ると指示がきめ細かいですし(ゆえに『甲陽軍鑑』の麦飯エピソードは虚構だと断言できますが)、緻密で手堅く勝ちを拾っていくのが氏政の真骨頂なのかなと思いました。
@ryous1694
Жыл бұрын
北条は大きくなりすぎていて、そのまま生き残ることは難しかっただろうな。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
コメントありがとうございます!滅亡はしなくても領地の削減はあったかもですね。
@user-yt2dw6l
9 ай бұрын
@@ゆっくり真実の戦国史伊豆、相模武蔵半分を安堵って感じがする
@まーちゃん-v6q
Жыл бұрын
秀吉は、小田原攻めで東北(伊達)にプレッシャー(戦わずして勝つ)あたえた! そして、圧倒的な物量(兵力)と、時間(兵糧攻め)をされたら?勝てないと認識させた(他の大名) 北条が勝てた唯一の方法は、秀吉を戦場にで倒す事(暗殺でも?) 桶狭間の様に秀吉を倒せば? 豊臣家は、崩壊? 戦国時代は、振り出し 徳川と北条は、同盟か? IF世界としては、面白い? 漫画、ドラマで描いたら面白い! 徳川は、天下取れない可能性も充分あります
@PLXMZ3
Жыл бұрын
織田の武田領侵攻以後、全てが後手後手になってこんな結果になってしまった感。 でも何だろう?今までのシリーズと比べると、滅びる”家”である北条家に肩入れしてしまってる 自分がいます。不思議で楽しいシリーズでした!
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!そう言っていただけると大変嬉しいです。武田の滅亡がドラマティックで起承転結(?)がはっきりしているのに比べて北条はずるずる破滅に向かっていった印象がありますね。
@daisuke5755
8 ай бұрын
北条側は小田原城にあえて少ない5万人しか動員しなかった。豊臣側は小田原城に対して力攻めもできず、大軍を動員したせいで兵糧が危うかった。豊臣側は小田原城に見せつけるための城まで作らないといけないほど、北条側の粘りに焦っていた。あと1ヶ月くらい北条側が籠城を続けていたら、豊臣側が瓦解した可能性が高い。兵糧を現地調達はできていない。北条氏は領民優遇政策を取っていたので、豊臣秀吉のような野蛮な西日本の人間には末端の領民も従わなかった。
@立木正久
Жыл бұрын
北条氏滅亡といってますが、史実は違います。 氏政の弟の氏規は幼少時代に徳川家康とともに今川義元のもとに人質にだされていたので、徳川家康と北条氏規は昔から親しい間柄でした。 このため、小田原北条家が滅び豊臣秀吉がなくなり、徳川家康の天下になったあと、北条氏規は徳川家康から河内狭山藩を領有する1万1千石の大名として復活しました。 氏規の子孫は改易されず、そのまま明治時代をむかえました。 滅亡したのは本家の小田原北条家であって、氏政の弟の氏規が藩主となった分家の河内狭山藩の北条氏は滅亡していません。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!正確に言えば大大名としての滅亡なのでしょうがここでは慣例に従っています。氏規が大名に取り立てられる過程は次回解説します。
@伝説の麻婆豆腐
Жыл бұрын
秀吉側は兵糧が厳しかったから、すんなり降伏をせず粘り強く交渉をしていたら、伊豆一国程度で存続できた説もある 氏直が想定外の早さで死ななければ、大名として復帰できてたんじゃないか説も有りますな
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!そのあたりの話も含めて氏直の処遇については次回解説です。
@engawanoneko2435
Жыл бұрын
付城に兵を残して一時撤退するだけで北条に取られた土地を取り返す余力も残ってないから無理ですよ 動画でも既に家康が入る事が決まってたと言ってますし支城をほぼ全部落とした秀吉側にも伊豆を安堵するメリット無いですしね
@YY-rj4up
Жыл бұрын
??「伊達が・・・伊達が来てくれれば・・・」 ・・・いや、これ伊達が来てくれてもどうにもならんし、そもそも伊達と北条はそんな絆があったんだろうか?
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!伊達すぐ近くまで領土広げてたんですけどね🤣🤣氏政(氏直)と政宗って相性的にはどうなんでしょうね🤔🤔
@YY-rj4up
Жыл бұрын
@@ゆっくり真実の戦国史 何か戦える理由が欲しかったというのが本音だったんですかね。かつて上杉に小田原城包囲されてしのいだ父君を思い出したりしていたのかも?
@オインク-t2l
Жыл бұрын
伊達は対佐竹で同盟組んでるけどネタの宝庫政宗さんだからなぁ~
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
@@YY-rj4up そのときの成功体験が結果的には仇になったんでしょうかね。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
@@オインク-t2l ご視聴ありがとうございます!政宗は筆まめだったので意外に氏政とは気が合ったかもです😆
@kobayashitommy6521
Жыл бұрын
後北条末裔しっかりやってくれる ハアハア期待
@ハタナカ-g2p
Жыл бұрын
主様は本質は思い遣りの有る方だと思います。 全てのシリーズで一貫して敗れた方々に光を向けて観るべき所を皆様に披露しているからです。 きっとこのシリーズの武将達も草葉の影で涙を流しているのかと。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
コメントありがとうございます!個人的に敗者を上から目線で論評するのはあまり好きではないんですよね。運不運という要素も大きいと思いますし。
@ひょうべえ
Жыл бұрын
様々な問題を抱えながらも一応豊臣への臣従の交渉は成功して、後は処理を間違えなければって所まで来ていたのですが・・。名胡桃城の事件をきっかけに、「できれば臣従したくない、中央と関わりたくない」という氏政の本音が出てしまったのではないか?この事件以降、切腹までの氏政の言動を見ているとそんな気がします。 次回で最終回ですか。なんかこのシリーズずっとコメントで北条の中央への関心の無さを指摘ばっかりしてて、ちょっと申し訳無く思っています(笑)。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
いえいえ、北条の中央情勢の無関心さが秀吉との交渉決裂に至った要素という部分は否定はできないと思いますので。他の遠方大名と比べても北条の中央に対する意識の低さは顕著な感がありますね。氏政は名胡桃城事件で戦国大名としての本能が刺激されたんでしょうか笑
@ひょうべえ
Жыл бұрын
@@ゆっくり真実の戦国史 氏政も本心を押し殺して従属交渉に臨んでいたのでしょうが、名胡桃城事件とその後のゴタゴタで気持ちが切れてしまったというのが個人的には一番しっくりきます。あと開戦に至った要因として、東国の独自性や戦国大名のプライドや独立性とかをあまり強調し過ぎると、それまで交渉していた事との整合性が取りづらくなると思います。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
@@ひょうべえ そうですね、おっしゃるように従属交渉自体は軌道に乗っていたのであくまで「結果的に」そう見えた部分はあるかと(意地やプライドの要素をまるごと否定するのもまた違うとは思いますが)。これに関しては毛利や上杉、伊達といった他の大身戦国大名のケースとの比較検討も必要でしょうね。
@my-eg8ge
Жыл бұрын
北条は秀吉と戦うには小さすぎて、戦わずに降伏するには大きすぎたんだよなあ。長曽我部、島津も一度は秀吉と戦ってから降伏している。両者は本国はほぼ無傷の段階で降伏したけど北条は忍城以外の全てを失ってから降伏したから滅亡したのでしょうね。それを考えれば戦わずに降伏した政宗は勇気があったなと思うし、そっちの方がいくさの強さよりも恐ろしい。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!確かに北条のサイズ感は「天下人」秀吉に対しては微妙な位置ですよね。北条は本拠地小田原が他国のすぐ近くにあったことが災いした感じです。政宗も色々葛藤はあったと思いますが賢明な判断でしたね。
@氏康-p3b
Жыл бұрын
せめてもの仇討ちの気持ちで、某ゲームでは秀吉捕らえたら即処断してます。😊
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!氏政公も草葉の陰で喜んでいるかと😄
@ルイナポレオン-f6c
Жыл бұрын
信長の首を跳ねるワイ共感
@截流-せつりゅう
Жыл бұрын
21:10 氏政公を北条家滅亡という結果だけ見てドヤ顔でディスる輩どもへ 稀代の名将、と呼ばれるとコレジャナイ感は半端じゃないけど氏政公は戦国大名として普通に優秀だったと思うんです。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!少なくとも内政家としての手腕は非凡だったと思いますし、お家の滅亡は一個人の能力だけに帰せられるような単純な理由ではないですしね。
@截流-せつりゅう
Жыл бұрын
@@ゆっくり真実の戦国史 むしろ長きにわたって丁寧に解説してくださってありがとうございました!!
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
@@截流-せつりゅう いえいえ、こちらこそずっとご視聴いただいて本当に感謝です!
@yoshinori1441
Жыл бұрын
動画投稿ありがとうございます! 最期の最期まで室町の名族伊勢氏の意地を見せつけた氏政公には感嘆しかないです....(涙😢 ) 個人的には、現代に氏政公が生きていたら、内政に熱心なので、最高の都道府県知事になってる気がします!
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!氏政は本当に内政家としての手腕は優秀ですよね。ぜひ現代に転生して地方を立て直してもらいたいです😄😄
@アフサラールジャラル
Жыл бұрын
氏政は奇しくも自分が滅亡に加わった武田勝頼と同様に外交力が0に等しい能力だったと思われます。内政と軍事のみでは戦国時代生き残れないという事ですね。
@ゆっくり真実の戦国史
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!信長のときも含めて中央政権との外交交渉は上手くいかなかった感がありますね。
@daisuke5755
8 ай бұрын
当時の東日本は西日本とは別の国という感覚なんですよ。関東地方は鎌倉時代、室町時代と畿内とは別格の存在でした。関東への出入り口はみんなかなりの峠道であるため、徳川家康が少しでも判断を変えたら、北条氏が勝利したかもしれない戦でしたね。
19:16
【ゆっくり解説】北条家滅亡編最終回ー北条の家名は絶えず!氏直・氏規のその後の運命
ゆっくり真実の戦国史
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【ゆっくり戦国武将解説】 「北条氏政」#1 ~誕生・結婚・北条氏相続~
戦国のかなかな
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НИКИТА ПОДСТАВИЛ ДЖОНИ 😡
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RE:戦国覇王【歴史解説】
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SHAPALAQ / 8 серия / 4 часть #aminkavitaminka #aminokka #расулшоу #аминкавитаминка
Аминка Витаминка
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