【ゆっくり解説】東アジア世界から見た「刀伊の入寇」 女真は何故、海を越えて平安日本を襲撃したのか【日本 遼 女真 高麗】

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鳥人間 中国史三昧

鳥人間 中国史三昧

6 ай бұрын

元寇に先立つこと約250年、平安時代中期の日本で起きた外敵の侵入事件を当時の東アジアの情勢から語ります。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。よりマニアックな中国史動画はコチラから。
/ @c-history
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Пікірлер: 239
@needDAI
@needDAI 5 ай бұрын
刀伊の入寇では、攫われた妻子を奪還するために独力で船で海賊船を追いかけて、追いついて潜入できたけど妻子両方売り物にならないから海に棄てられた後だと知って、無事帰って報告すると今度は無断渡海の罪に問われて捕まるっていう役人の話が悲しかったなぁ。
@Ezziokia1112
@Ezziokia1112 5 ай бұрын
えぇ…そんな話があるのですか…。つらすぎ…
@needDAI
@needDAI 5 ай бұрын
@@Ezziokia1112 長岑諸近という人の話ですね。記憶違いをしていましたが、流石に潜入したんじゃなくて高麗に独力で辿り着いて事件の顛末を知ったって感じみたいです。帰国して証人を連れて大宰府に出頭したそうで、この時の報告が「高麗犯人説」が信じられていた朝廷の認識を変える一助になったとか。 対馬で一族や従者が囚われて、自身は逃げることには成功したけど、身内救出のため追跡。でも、結局伯母以外の身内は母親や妹も含めて皆奴隷として価値が低いからと海に棄てられてしまっていたようです。しかも最終的に禁固刑をくらってその後の記録がないそうなのでかなり悲惨ですね…。
@ytanaka257
@ytanaka257 5 ай бұрын
ハリウッド映画みたいな結末にはならなかったのか… 可哀想
@user-dr8sy8sk7q
@user-dr8sy8sk7q 5 ай бұрын
「歴史は須らく世界史でなければならぬ」という言葉の意味がよく理解できる内容でした う~んダイナミック
@user-kf9hy5fr9s
@user-kf9hy5fr9s 5 ай бұрын
刀伊の入寇については、世界史の教科書ですら、名前だけ乗ってる程度。それを詳しく知ることができるとは、すばらしい動画😊
@pontarou01
@pontarou01 5 ай бұрын
日本史の教科書にも申し訳程度にちょこっと載ってるだけ。
@user-sc4ps2uf7g
@user-sc4ps2uf7g 5 ай бұрын
どちらの教科書にも一応書いてある程度で、元寇に比べて存在感なさすぎじゃない?と若かりし頃疑問に思ったものです。
@hakogawa7144
@hakogawa7144 5 ай бұрын
辺境の歴史におもいをはせる、ぞくぞくしまよね。
@LandMark291
@LandMark291 5 ай бұрын
これで最初の元寇の時に不十分とは言え太宰府周辺に土塁が築かれてた理由がよく分かった。 元寇(文永の役)で本格的な土塁が築かれた事で弘安の役に備えることができた。
@ba-ir6oi
@ba-ir6oi 5 ай бұрын
日本史的には知らなきゃ恥ずかしい基本事項だけど、世界史の教科書には載ってたか?載ってたとしても「世界の中の日本」みたいなコラムかと。
@yudetaman111
@yudetaman111 20 күн бұрын
つかめちゃくちゃ重要なことなのに一行程度で終わらせる教科書良くない
@user-em6wd4mt3f
@user-em6wd4mt3f 5 ай бұрын
でも、当時蛮族扱いだった女真が後に中華の覇権握ると言うのが凄い。
@user-tx5ge2nw7t
@user-tx5ge2nw7t 5 ай бұрын
刀伊の入寇はスピンオフドラマとして映像化してほしい
@vt-priest
@vt-priest 5 ай бұрын
刀伊ストーリーたすかる
@user-mo3wy7in6g
@user-mo3wy7in6g 5 ай бұрын
いけねぇ『ロバート秋山日記』が完全に脳にインプットされちまった
@bonyaribiyori
@bonyaribiyori 5 ай бұрын
刀伊の入寇正体について捕虜が帰ってくるまで新羅だ思っていて、捕虜が帰ってきた時に刀伊が女真族だったことや新羅が滅んで高麗になっていたことを知ったと聞いたことがあります。
@user-vc6ps5tg1d
@user-vc6ps5tg1d 5 ай бұрын
隆家は病気療養が目的で大宰権帥(長官代理だが実質的には長官)になっていたから刀伊の入寇へ対抗できたわけで、彼が在京のままだったらどうなっていたのだろうか……
@user-uz3nk8ib7c
@user-uz3nk8ib7c 5 ай бұрын
この時代の何がヤベェって朝廷は政治闘争と仏教祈祷にハマり過ぎて外交と国防に無関心過ぎて、太宰府を放ったらかしにして刀伊の入寇を最初新羅の海賊(100年前に襲撃されたから今回もそうだと思っていた)と思い込んでて後に高麗の海賊と思い込み、新羅が滅亡して高麗に変わってたことをしっかり把握してなかった可能性があるってのには衝撃だった。 ただし高麗が日本人捕虜を日本に返還しに来た時に国交を結ぼうとしてきたのを高麗は他国の圧迫を受けてることを察知して大陸の情勢に踏み込まないように距離をとって外交するようになったのには関心した。
@yukiyuki5152
@yukiyuki5152 4 ай бұрын
それって997年の「長徳の入寇」のことじゃないかな?(前半) 刀伊の入寇でも攻めてきたのは高麗人が多かったとか。歴史はなかなか難しいね。
@user-lk7ie4qk5h
@user-lk7ie4qk5h Ай бұрын
無能だった朝廷ですが、大陸情勢に深入りしなかったのは正しかったですね。
@Mtrong-Sgang-Mra
@Mtrong-Sgang-Mra 5 ай бұрын
刀伊の入寇、日本の対応は知れるけど、当時の大陸情勢までは扱ってることが少ないですよね。ありがとうございました。一度では頭に入りきらないので何度か観ます。
@user-qw4xc7gt8m
@user-qw4xc7gt8m 5 ай бұрын
刀伊の入寇ってそんな歴史全く知らなかったのでとても為になりました!
@user-et6vx6gz4b
@user-et6vx6gz4b 5 ай бұрын
大河ドラマ関連のNHKの宣伝が影響してか平安中期への関心が高まり必然的に刀伊の入寇の知名度が向上している様に感じる。 ただ、刀伊の入寇を扱う多くの解説動画が藤原隆家の活躍や太宰府での戦闘経過を中心にしたものであり、大陸の動向に着目した このチャンネルの解説は本当に興味深い。 女真がその後に勢力を拡大して遼や北宋を滅ぼすまでになるとは・・・ さらにはその後裔が清朝を建国して中国全土を支配。日清戦争で再び我が国と干戈を交えてその後に満洲国が建国されるとは。 歴史の奔流の何と凄絶な事であろう。
@user-tu8vz7vl9x
@user-tu8vz7vl9x 5 ай бұрын
6:49 『ロバート秋山日記』と書いて 『小右記』と読むの草
@user-rb2xn4rp9l
@user-rb2xn4rp9l 5 ай бұрын
藤原隆家さん眼病療養で赴任しただけの中央官人で、刀伊の入寇が初陣なのに陣頭指揮で活躍して追い返してるのスゴすぎ
@user-uc6hw3mz2d
@user-uc6hw3mz2d 5 ай бұрын
お兄ちゃんと一緒になって上皇に矢を射かけるDQNだからまあ、多少はね?
@user-qd4bt3qt1s
@user-qd4bt3qt1s 4 ай бұрын
なお、小競り合いとかはよく先頭にたって刀ぶん回してて道長に「こいつこわい」(⇽こいつも先頭にすぐ立つのに)言われてて草なんよな
@user-hirotaka0123
@user-hirotaka0123 5 ай бұрын
隆家は兄伊周と一緒に道長と権力争いしたけど、敗れてしまい、元々の目の病の治療のために、目の治療に秀でた医者がいり太宰府に赴任を希望したんだけど、まさか侵略者がくるとはね😂
@user-cj8kl6dd4q
@user-cj8kl6dd4q 5 ай бұрын
藤原氏の一族の中では珍しい武闘派だよね。平安貴族なんて都で陰湿な権力闘争ばっかりやってると思ってた。
@hakogawa7144
@hakogawa7144 5 ай бұрын
珍しいというか、やけっぱちというか。中央では疎まれたけれど、国防に貢献した、平時ではあれですが乱世で名を挙げた英雄ですよね。気骨があったのでしょう。
@user-jc6pm4db3s
@user-jc6pm4db3s 5 ай бұрын
​ @user-cj8kl6dd4q 平安貴族って運動ができないイメージが強いと思うけど実は、弓とか鍛えてて伊周より道長のほうが弓とかの腕前良かったらしいよ 『大鏡』にのってるエピソード あんがい貴族も鍛えてるよ。
@Mjanja
@Mjanja 5 ай бұрын
@@user-cj8kl6dd4q 藤原氏は武闘派揃いっすよ 手下に暴力を担わせられるのは公卿層に連なる上澄みの連中だけで皇別氏族に比べて数が多いから庶流の連中は自分たちで武力抗争の矢面に立つしかないんです
@user-lf4zu9lv5v
@user-lf4zu9lv5v 5 ай бұрын
個人的武芸と部隊指揮は才能が違いますからね
@user-sl8fs5fp1k
@user-sl8fs5fp1k 5 ай бұрын
地方に対して無関心だったとよく言われるこの時代
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 5 ай бұрын
鎮西(半ば左遷地)の出来事ですからね。
@user-dk4nh6yr6y
@user-dk4nh6yr6y 5 ай бұрын
以前、刀伊の入寇について調べてみたのですが、調べても詳しい事が書いてあるものが見つからなかったので、今回の動画はありがたかったです。 海とあまり縁がなさそうな半農半猟を生業としていた女真族がなぜ海賊として高麗を経て日本にまで襲来したのかよくわからなかったのですが、女真族の先祖のルーツの一つに海賊行為を働いていた民族がいたのは初めて知りました。また、女真族と言っても全部の部族が海賊行為を働いていたわけではなく、高麗と協調していた部族があった事や、女真族の海賊が出てきた背景には中華地域との交易路を断たれた事があった事など、これまで抱いていたいくつかの疑問が解決できたのでよかったです。これらは日本史的観点からではなかなかわからないですよね…。(日本史以外の歴史的観点から刀伊の入寇を解説している動画や記事があまり見当たらない気がする。) ちなみに、当時の日本は武士という私兵集団が出現して活躍するようになった時代で、朝廷は国家主体の軍隊を持っていなかった。また、周辺諸国とも国家間としての関係はあまり持とうとしなかったらしい。(日本人の海外渡海は原則禁止で、刀伊の入寇で女真族に連行された家族を探しに高麗へ密航した長嶺諸近は高麗で得られた賊の情報を大宰府に持ち帰ったのにもかかわらず、密航した罪で処罰された。ちなみに、家族は何とか生き残れた伯母以外は全員殺されていた。悲惨すぎる…。)
@pontarou01
@pontarou01 5 ай бұрын
この事件が何故殆ど、学校で教えないかっていうと、当時の朝廷がろくに対応しなかったから都合が悪いので隠したいから。日本得意の事なかれ主義
@user-ve3ty1vn9d
@user-ve3ty1vn9d 5 ай бұрын
刀夷の入寇時代を初めて知りました。奄美人襲来のくだりで出てくる徳之島の焼き物「カムィ焼」は超のつく蛮地なのに妙にレベルが高いのが不思議だったんですが、高麗の技術が入っていたと聞いて納得です。
@user-oz5si9zc4n
@user-oz5si9zc4n 4 күн бұрын
きたかたみ〜ぞくはろくなのがいにないばいきんぐしかり
@shou-sho
@shou-sho 5 ай бұрын
後金(清)も貂の毛皮が売れなくなったことで明を滅ぼしてるので、貂って東アジアにおける最重要品目の一つなんだよね
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
@user-Gifu_no_Zoukinya_san 5 ай бұрын
Three Kingdomsの中で、魯粛が周瑜をもてなす酒代を調達するために着ていた貂の毛皮コートを質に入れるシーンがありましたね。 あれも女真族が取ったものだったのかな。
@user-kr7nm3gh2l
@user-kr7nm3gh2l 5 ай бұрын
Thanks!
@c-history
@c-history 5 ай бұрын
いつもご支援いただき、まこと感謝感激雨霰にございます! とっても嬉Cです!!!
@sasaki_ichiro
@sasaki_ichiro 5 ай бұрын
遊牧民族が周辺他民族を圧迫して玉突き事故的に秩序と文明の崩壊が起きるという分かりやすい出来事
@user-lq7yz1mt2i
@user-lq7yz1mt2i 5 ай бұрын
まあ大暴れする遊牧民族の最たる例はヨーロッパまで攻め込んだモンゴル帝国だけどね
@user-rb1eg8qj6s
@user-rb1eg8qj6s 5 ай бұрын
とても興味深い内容でした。いつも面白い動画ありがとうございます。
@dekamega999
@dekamega999 5 ай бұрын
刀伊と東夷の音が一緒なのは偶然なのか
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 5 ай бұрын
刀伊は当て字?かもしれませんね。
@hinagiku_6842
@hinagiku_6842 4 ай бұрын
「刀伊」はもちろん「東夷」のことです。
@user-sh8we3rz2v
@user-sh8we3rz2v 5 ай бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history 5 ай бұрын
いつもご支援いただき、まこと感謝感激でございます……! 大変励みになっています!!!
@user-cj8kl6dd4q
@user-cj8kl6dd4q 5 ай бұрын
刀伊の入寇ってその事象しか説明されないから、背景まで知れるのは大変ありがたい。
@qngduojngpho4428
@qngduojngpho4428 Ай бұрын
バラバラの部族に別れてまとまりを欠いた状態だとあぶれ者が暴発する、安定させようとして組織化すると上に立つ人物が現れた時に大勢力になって襲いかかってくる…止まらない流れだなあ
@user-ud2gt9tt8k
@user-ud2gt9tt8k 5 ай бұрын
毎回質の高い動画をありがとうございます。 当時の東アジアの国際情勢から解説してもらって、この事件の背景がよく分かりました。 当時の国際情勢から迫るアプローチは納得がいくもので昔読んだ宮崎市定先生の本を思い出しました。
@pontarou01
@pontarou01 5 ай бұрын
当時、九州武士団は3000人の犠牲者出たらしい。
@user-tu5gn7wr9i
@user-tu5gn7wr9i 5 ай бұрын
結構大規模な侵略やったんかな
@pontarou01
@pontarou01 5 ай бұрын
@@user-tu5gn7wr9i 侵略って言うより略奪目的だったようで。 規模は相当でかかった。 それに、女真は世界最強の騎馬民族。
@__-wt1kh
@__-wt1kh 5 ай бұрын
主に日本史で習う刀伊の入寇 主に世界史(中国史)で習う完顔阿骨打 日本史/世界史と区切られてるけどどっちも密接に繋がってるんだなあと勉強になりました。
@user-se8ew3bg7m
@user-se8ew3bg7m 5 ай бұрын
東アジア史て感じだね
@takashi-aoki
@takashi-aoki 5 ай бұрын
大宰府は今も昔も太宰府天満宮のあたりで、刀伊が攻撃したのは警固公園の警固所よ
@user-qd4bt3qt1s
@user-qd4bt3qt1s 4 ай бұрын
意味がわからないのは、藤原隆家は若い頃ヤンキーすぎるという謎さ。
@user-lr3io3yq2x
@user-lr3io3yq2x 5 ай бұрын
鳥人間中国史チャンネルが日本史を解説してるのってなんか新鮮
@user-oi5dt9tt8d
@user-oi5dt9tt8d 5 ай бұрын
日本と中国は昔から関りがあったのだから、少なくとも不自然ではなかろう。
@seattleslew2332
@seattleslew2332 5 ай бұрын
刀伊の入寇の背景がよくわかりました ありがとうございます
@mukutinausagi
@mukutinausagi 5 ай бұрын
経済的に困窮して海賊になるとは、女真族は戦闘力高すぎですね
@user-fh4wh7gx7s
@user-fh4wh7gx7s 5 ай бұрын
毎回対馬が犠牲になってて可哀想😢
@user-vf9co6kv1c
@user-vf9co6kv1c 5 ай бұрын
戦う光源氏のアオリで思わず小説を読みました!😊
@user-hi8px1oy7v
@user-hi8px1oy7v 5 ай бұрын
刀伊の入寇って名前くらいしか覚えてなかったので、当時の情勢と共に教えてくれて感謝です。
@morikumiR
@morikumiR 5 ай бұрын
海渡って人さらいって元取れるのだろうか
@user-bb6we2cl3o
@user-bb6we2cl3o 5 ай бұрын
ここから始まる刀伊ストーリー
@amagoi0612
@amagoi0612 5 ай бұрын
今丁度気になってたから助かります
@cirowsnow9483
@cirowsnow9483 5 ай бұрын
契丹は渤海を滅ぼして東丹国としたあと、渤海遺民を駆使して航海に関連する諸事業を行わせてたらしいですね。 頻度の高い渤海使からも分かる通り、渤海はわりと航海を伴う通交(実質的には交易)に力を入れてました。 その時代の造船に携わった連中が全て東丹国に従ったわけでもないでしょうし、海賊業に協力する者もいたでしょう。 渤海という枠組を失った靺鞨改め女真の一部が、東夷と呼ばれる蛮族として海から現れ"刀伊の入寇"を起こしたと。
@user-ip1iy1xc8b
@user-ip1iy1xc8b 5 ай бұрын
刀伊の入寇の被害を悉に見ると、死者よりも拉致された者の方が多かったです。これは刀伊(海洋集団)が遊牧民の習性を濃厚に持った集団であった事を如実に示しています。倭寇の害に先立つ事、三世紀余既に東亜の国々は海を媒介として繋がっていた事が分かり、とても参考になりました。
@user-lw7ue3mv2b
@user-lw7ue3mv2b 5 ай бұрын
隆家にNから竜星涼とそれなりの役者になってるから、そこそこ詳しく書かれるかも。役者からしてヒール一辺倒じゃないし。
@user-tk7fy5ol6o
@user-tk7fy5ol6o 5 ай бұрын
刀伊の入寇は、小学生時代歴史の読み物で読んだときこんなことがあったのか?と思ったのと、何十年後かで撃退したのが藤原隆家で学研の漫画『藤原道長』で出ていた伊周の兄弟でびっくりした覚えがあります。
@user-zb7bd1np5r
@user-zb7bd1np5r 5 ай бұрын
面白かったです!
@natsukiy.7195
@natsukiy.7195 5 ай бұрын
対馬と壱岐、いつも他国にボコされてかわいそう(小並感)
@user-fk5xq3ge5x
@user-fk5xq3ge5x 5 ай бұрын
知らなかったー東のバイキング恐ろしやー!各国の努力で終息して行ったのですね。繰り返し視聴して勉強します。ありがとうございます。
@tukiyozakura
@tukiyozakura 5 ай бұрын
中国史の中で女真、のちの満州族が日本ともかかわりが大きかったことも理解できてよかったです。刀伊の入寇の背景も勉強になりました。
@yossy418
@yossy418 5 ай бұрын
面白かったです。ありがとうございます!
@c-history
@c-history 5 ай бұрын
ご支援&励ましのお言葉……まこと感謝感激でございます……!!
@juchi0617
@juchi0617 5 ай бұрын
海賊行為=人さらい。さらった人の扱いは身代金をとるか、売って換金。 ということを説明しておいたほうがいいかもしれませんね。
@Kotchan66
@Kotchan66 5 ай бұрын
刀伊の入寇は母の実家から譲ってもらった中学生用の歴史の参考書で初めて知りました。現在の福岡市から伊万里市までの九州北部の広範囲に亘ったようですね。金が成立する以前の話ですね。
@ntatanohu1214
@ntatanohu1214 5 ай бұрын
日本の中の日本史しか学ばなかった自分が可哀想と思った。でも、学べ直せて感謝。
@koppepanx7979
@koppepanx7979 5 ай бұрын
島民だけど刀伊の入寇と元寇のことは父からよく聞かされたなぁ
@nekomataginu
@nekomataginu 5 ай бұрын
タイムリーな時流に乗るスタイルありがたいです 人物も大河キャストで紹介されるととてもわかり易い 知名度が低いので今回の大河でぜひ存在感を出してほしい
@user-oi5dt9tt8d
@user-oi5dt9tt8d 5 ай бұрын
一番乗り。壱岐や対馬は後の元寇でも悲劇に見舞われることになる。地理的条件も被害に遭った原因だろうが、海に隔てられてさえこの有様だったのだから、陸続きでなくて本当に良かった。
@user-tz7gv8hj2s
@user-tz7gv8hj2s 5 ай бұрын
刀伊の入寇、元寇、応永の外寇は、ドラマになりそう。 多分東夷の事かな?
@user-uz3nk8ib7c
@user-uz3nk8ib7c 5 ай бұрын
刀伊の入寇は今回の大河ドラマの見せどころだと思う。しっかり映像化してくれることを願うばかりである。
@user-se8ew3bg7m
@user-se8ew3bg7m 5 ай бұрын
メインは朝廷内の話しだから映像化は無いと思うよ。 ナレーションだけかな
@ひえーーーーー
@ひえーーーーー 5 ай бұрын
合戦シーンやらなくて済む時代だから予算少なくできそうなのにこれやっちゃったら意味ないだろ
@user-cg9yo2pt7v
@user-cg9yo2pt7v 5 ай бұрын
お疲れ様です!
@user-clarkfieldangeles
@user-clarkfieldangeles 5 ай бұрын
他のコメントにもある通りこれは同時代のヴァイキングとシンクロしてますよ! 島国イギリスがノルマン・コンクエストを許したことを考えると撃退出来た日本は当時のアジア情勢に大きく拠っていたということですね。むむ勉強になります!
@air5042
@air5042 5 ай бұрын
今の日本史世界史授業はわかりませんが、若いころ習った日本史では刀伊の入寇はほとんど触れられていませんでした。 しかし国外勢力の侵略という点で考えたら元寇に次ぐ大事件であったと思いますし、東アジア情勢を絡ませてもう少し丁寧に教えてしかるべき内容でしょうね。
@sasori_tktk
@sasori_tktk 5 ай бұрын
何年か前に中公新書で出てて先に読んでたので楽しめました
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん 5 ай бұрын
うぬぬ…こうしてみると、歴史として残っていない部分も含めて、もっともっと襲ったり襲われたり仲良くしたりと、人や物の行き来が絶えなかったのだろうなぁと思いました。 海を隔てても隣国同士、昔から一筋縄では行かなかったのね。
@user-np2qk4mu1p
@user-np2qk4mu1p 5 ай бұрын
女真族が当事者だったことすら知らなかった。 しかし、日本の遣隋使・遣唐使も大変だったのに、女真族の航海技術はどんなだったんだろう⁉️ ま、元寇ですら遣唐使船みたいのだし、船の技術の歴史も面白いかも⁉️
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 5 ай бұрын
同じように海の力が本来無いアケメネス朝ペルシャ(ペルシャ人は騎馬民族)は、フェニキア人らを支配、またはギリシャ傭兵(海軍力があるアテネ出身の傭兵もいた)らで海軍を構成していました。おそらく海に長けた民族や国?を支配して船や海軍を得たと思われます。
@pontarou01
@pontarou01 5 ай бұрын
​@@FREEDOM-vv3wu そです。
@skyray2002
@skyray2002 5 ай бұрын
刀伊の入寇について正直知らなかったのでめっちゃありがたい
@user-ux4jh7ic9z
@user-ux4jh7ic9z 5 ай бұрын
周辺領域情報助かる~
@user-eb6ln8kp9e
@user-eb6ln8kp9e 20 күн бұрын
弓オタク。平安時代日本の弓は丸木弓で折れ易く,信頼性が低い,実際作って見たが乾燥した日に強く早く引くとミシとヒビ入り終わる,折れ易いから寄り長く成る。絵巻物絵を見て,平治の乱では丸木弓も使われ,源平合戦では全て貼り合わせ合成弓が敵味方に普及して居た,此は強力だ。弓の引き力は注文次第で,折れ難い,引き力は50kg前後か,猪熊を倒すには?武士は猪熊から畑守る仕事も有る,食料にも成る。私が角材2本を組んで目の高さに滑車ワイヤー出し口に,其の上に押し手を付けバーベルプレート合計50kg付け引くと問題なく引ける,此が実用的重さと感じた。最大75kgで肩壊し止める。体の芯には倍の重さ掛かって居る!モンゴル帝国に居た朝鮮出身高官が日本攻めを進言も日本の弓は長年に渡り弱い丸木と知って居たからか大した事無いと進言か?日本人は昔から,やたら人に教えたがる,一気に日本中に合成弓普及したか?
@user-gt6sz1gf5d
@user-gt6sz1gf5d 5 ай бұрын
なるほどな… 交易ができなくて仕方なく略奪行為を働いていた可能性があるのか。 確かに日本も室町時代の戦乱期には農民が武装化してアルバイト兵士「足軽」になって略奪に走ってるやつがいるから、贅沢のためや人を傷つけたくてやってる訳やなくてそうしないと自分達が死んでしまうからやってるという極限状態に置かれてしまったんだな。
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 5 ай бұрын
昨日NHKの歴史番組の再放送が検非違使、武士の形成でしたが、結局武士にしても発端はアウトロー(ならず者や半ば犯罪者を朝廷が制御しきれず、むしろ逆に軍事力として利用した)なんですよね。
@user-un7rt7wy8k
@user-un7rt7wy8k 5 ай бұрын
ソマリアの海賊をすしざんまいの社長が撲滅した話を何かで見ましたが、生活に困窮しなければわざわざ危ない橋を渡る必要はないんですよね。
@user-gp4vw5vt1c
@user-gp4vw5vt1c 5 ай бұрын
平安時代の貴族は国防という意識がなさすぎ
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 5 ай бұрын
すでに遣唐使廃止から数百年経ってますからね。
@user-lr3ge4fs8o
@user-lr3ge4fs8o 5 ай бұрын
国民国家って意識はどこの国にも近世までないんじゃない?
@user-tu5gn7wr9i
@user-tu5gn7wr9i 5 ай бұрын
@@user-lr3ge4fs8o 平安時代はまだ、中央から官吏が派遣されてるから、領土としての認識はあったと思う ただ島国だから、大規模な侵略なんか無かったし国防意識はクソ低かったと思う
@hita5991
@hita5991 5 ай бұрын
平安京では大真面目に祈祷を行って国難退散を対策をしてたんだよな。
@minerva6328
@minerva6328 5 ай бұрын
聖宗文殊奴の特集回頼む
@user-wn1oq8nz5x
@user-wn1oq8nz5x 5 ай бұрын
この時代の軍備てどう言う軍装だったんだろ?やっぱり大鎧とか胴丸、腹巻に弓、太刀、薙刀とかだったのかな?まさか綿襖甲はあるまいし
@Kovayashi1971
@Kovayashi1971 5 ай бұрын
1:00 この図は見たことがあるはずだけど、今頃気づいた……「熟女直」の存在に!
@2001banekuro
@2001banekuro 5 ай бұрын
「気になったンだけど、平安期の地球って寒冷期だったんだよね」 「良いところに気付いたな。当時は寒冷化で穀物生産力が落ちて、世界的にも動きが乏しい時代ではあった。ただ海に囲まれた日本列島は比較的影響は少なかったとは見られているが、冬に荒れる日本海も、かなりおとなしくなってはいただろうな」 「それで穀物収入が不安定になってうえ、海賊行為に走りやすい条件が整ったと…」 「ただ『刀伊の入寇』の経路を見ると、沿岸航法。つまり陸地を見ながら航海していたようで、天文観測しながらの遠洋航法は出来なかったように見えるが。その点では奄美島を襲った勢力とは質がかなり違うと思う」 「天測航法が出来ないと奄美には行けないと…。でも当時の平安朝は将門の乱が起きた直後だよね」 「いや、将門の乱が起きてから半世紀以上過ぎているから、当時の中央政権に『直後』という感覚は無かったろう。ただ将門以降、平安貴族は出来るだけ武家士族の権力を抑え込もうとしていたが、その結界を崩してしまたのが『刀伊の入寇』だったかもしれない。最初に武家の権力拡大を成功させた平氏の地盤は西日本にあったからな」
@wp38lp08
@wp38lp08 5 ай бұрын
面白い!!
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん 5 ай бұрын
改めて、日本はアジアなのだなぁ。 今回は刀伊の入寇だけど、歴史に残っていないだけで倭寇以前から日本の海賊行為もあったりして、東アジアは不可分なのだろうなぁ。 倭の五王大乱の時代なんて、半島から中国沿岸まで荒らし回ったのかも…なんて妄想が膨らみました。
@madmotor
@madmotor 5 ай бұрын
アンゴルモア元寇合戦記の世界
@user-nu7js6um4v
@user-nu7js6um4v 5 ай бұрын
動画内でも語っているけど遊牧民的なイメージがある女真族が海を渡って他国を略奪するイメージがあんま無いからマジ驚き
@satosin2660
@satosin2660 5 ай бұрын
遼に従った方が『熟女(真)』で、従わなかった方が『生女(真)』。 ロバート秋山が好きなのは『熟女』。
@ravilsan1987
@ravilsan1987 5 ай бұрын
公任「勝手に戦っただけだから恩賞は出さんでええやろ!」 実資「そんなことしたら今後誰も戦わなくなりますよ。」 ~70年後~ 師実「は?私戦に金なんか出さんわ。あ、そういやお前職務怠慢やな。金払え」 源義家「うーん、みんなにはワイのポケットマネーから恩賞出すわ」 武士たち「はえー、ワイら源氏についていくで!」→清和源氏の軍閥化へ
@user-vu7nu3lr1r
@user-vu7nu3lr1r 5 ай бұрын
この件で隆家が余り出世出来なかったにも関わらず文句言わなかったのは 貴族が軍事の功績で出世してもなぁって思いがあったのかも
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 5 ай бұрын
帝政化する過渡期のローマそっくり(アントニウスがカエサルの遺産を返さなかったためオクタヴィアヌスは未払いの兵への給料を自腹、しかし結果的にかえってアントニウス以上に信頼された)ですね。
@KAWACHI102
@KAWACHI102 5 ай бұрын
2:11 大宰府が置かれていたのは博多ではありません、博多から山一つ挟んだ反対側の大宰府です。 当時の海岸線はいまより内陸側だったとは言え大宰府はそこそこ山手です。
@hakogawa7144
@hakogawa7144 5 ай бұрын
謎なんすよねえ、これほんまに。中国の沿海部になにがあったのか。渤海国とはあっちから無理くり国交はありましたが。それで日本までの航海術はあったんでしょうけど。史書もないからあのあたりマンチュリアは謎、ロマンですねえ。北海道とかぜったい交易あったろうし、興味深い民族です。
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p 5 ай бұрын
まじか!遂にギター🎸❤
@TheHIROJP
@TheHIROJP 5 ай бұрын
これを日本側から解説した"上から見た合戦史"さんの動画( kzbin.info/www/bejne/j57bmGBqjclqpZI )とセットで見るとさらに面白いですな!
@user-mg4fu5wq2o
@user-mg4fu5wq2o 5 ай бұрын
女真「無限の彼方へ、さぁ行くぞ!」 日本「やめてくれよ…」 これがD社の最新作、刀伊・ストーリーかぁ。ウィッシュ…?知らない子ですね。
@beowulf05201
@beowulf05201 5 ай бұрын
ここでは出てきてないけど、ユウロウやモツキツのおしっこ利用のインパクトと来たら!
@user-ch6rg1bt3v
@user-ch6rg1bt3v 5 ай бұрын
寇という字は略奪の意味だから今の教科書では元寇とは教えないらしい元の襲撃
@ytanaka257
@ytanaka257 5 ай бұрын
教科書で名前しか知らなかったが元寇みたいなコースで攻めて来たんだな。
@宴は終わったが
@宴は終わったが 5 ай бұрын
動画ありがとうございます。 「光る君へ」は刀伊の入寇をどういう形で描写するのでしょうね。
@2i215
@2i215 5 ай бұрын
これほど頻繁に渡海できるとするなら、桓武帝が制圧する以前の蝦夷にも渡来者がいて騎馬戦闘技術を伝えた、とかないんですかね・・・?🤔
@user-kx6oh8le4o
@user-kx6oh8le4o 5 ай бұрын
やはり刀伊族は強いな。 民族意識は違えど、ルーツはモンゴル。海戦は苦手意識あったけど、それを差し引いても日本を荒らし回ったんだから、これは日本人は認めざる負えないだろうな。 まあ、高麗が討伐出来る辺り、高麗も強かったのも確かだな。
@user-op4pc6bh5l
@user-op4pc6bh5l 5 ай бұрын
李氏朝鮮期以前はそこそこ強かったですからね
@pontarou01
@pontarou01 5 ай бұрын
女真は1万集まれば無敵って言われてたので周りの国は集まらないように画策。
@user-cs5si7yh1s
@user-cs5si7yh1s 5 ай бұрын
李氏朝鮮は文官優遇と腐敗でどんどん弱くなっちゃうの悲しい
@fhdebosdl1812
@fhdebosdl1812 5 ай бұрын
⁠​⁠​⁠@@user-cs5si7yh1sでもハングル創作の李世宗の時期には現在朝鮮東北部咸镜道地域の女真族を追払い1/4相当の領土を獲得した
@user-oo9vg2vk3q
@user-oo9vg2vk3q 5 ай бұрын
元寇の前哨戦みたいなもんですね
@renngekisouhei8303
@renngekisouhei8303 5 ай бұрын
まってた
@ayane1017
@ayane1017 5 ай бұрын
海賊を部族の事業としてやるのはよほどの混乱かあったのでしょうね。状況の安定が進むと減ったというのは割に合わないということかな。
@rocketpunch-ij7db
@rocketpunch-ij7db 5 ай бұрын
長崎県民なので内容は心情的にちと複雑だけど、今日は朝から松浦市までアジフライツーリングついでに通りがかりの気まぐれで、 かつての松浦党宗家の本拠地・梶谷城址も訪れたりしながら、つい2時間ほど前に帰宅した自分にはなかなかタイムリーな話題でした。
@user-tn3mz9ek3q
@user-tn3mz9ek3q 5 ай бұрын
いつか皇帝の墓シリーズもやって欲しい 最近見つかった曹操の墓とか 蕭皇后とか 刀伊の入寇面白かったです
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 5 ай бұрын
それこそ、ジンギスカンの墓を…
@user-tn3mz9ek3q
@user-tn3mz9ek3q 5 ай бұрын
@@FREEDOM-vv3wu それナショジオで観ました 彼の墓はモンゴルのどこか神聖な山にあるって言ってる考古学者がいましたよ 考古学者の名前はアルバート リンです たしか
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 5 ай бұрын
やはり、クレオパトラ、アレキサンダー大王、ジンギスカン。日本なら言わずもがな卑弥呼。墓の真偽は世界問わず謎ですからね。
@user-tn3mz9ek3q
@user-tn3mz9ek3q 5 ай бұрын
@@FREEDOM-vv3wu アレクサンダー大王のお墓は分骨されて各地に建てられたようですよ エジプトのアレクサンドリアもそのひとつ クレオパトラの墓はタップオシリスマグナという神殿遺跡にあるとする説が卑弥呼については名前すら正確なことが分からない謎の女王でロマンたっぷりですね
@tanakaokkyuu
@tanakaokkyuu 5 ай бұрын
2:29 竜星涼の太宰権帥がクソ強そうで草 これを楽しみに大河を見るわ
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 5 ай бұрын
まあ10年前はレッドでしたし。
@shou-sho
@shou-sho 5 ай бұрын
なお中国側からすれば「刀伊入寇」とそのまま呼ぶくらい関心がないんですね。 (中国にとっては"刀伊"でも"寇"でもない) この程度の紛争は有史以来何百回と繰り返されてるので、取りあげてたらきりがないと思ってるでしょう。 ぶっちゃけ日本側も『小右記』なかったら、実態はほとんどわからないですしね。
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 5 ай бұрын
中国王朝にしてみれば、(匈奴、突厥など)夷狄は夷狄に過ぎませんからね。
@user-pz3yr8pc1w
@user-pz3yr8pc1w 5 ай бұрын
それならば安心して大河ドラマに取り上げれますな?後はロシアだが
@shou-sho
@shou-sho 5 ай бұрын
ところが現代の中国では、匈奴は漢と並列の「自国史」なんですよ(突厥と唐の関係も同じ) 日本史が北海道と琉球をほぼ無視してるのとは明確に違います 歴史=国家であるということをあちらさんはちゃんと理解しています
@user-tu5gn7wr9i
@user-tu5gn7wr9i 5 ай бұрын
中国史に記録されてるの?辺境すぎない?
@shou-sho
@shou-sho 5 ай бұрын
@@user-tu5gn7wr9iさん 簡単に言うと、日本の研究者は文献史料の有無を重視して、 【秦・漢→隋・唐から清へ】と「中国は拡大した」と認識するわけですが 中国では「現代の国境線の内側が古代から中国である」と認識しているからですね。 高句麗論争がわかりやすいでしょうか。
@user-un7rt7wy8k
@user-un7rt7wy8k 5 ай бұрын
そういえば何かの番組で現在の沖縄の方言は日本語とルーツの同じ言葉だけど奄美の方言は言語学的には朝鮮系というのを見て何で? と思ってたけどなんか腑に落ちた。
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