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【ゆっくり解説】改めて研究!頼朝はなぜ義経を殺したのか!?
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にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
Күн бұрын
Пікірлер: 185
@TY-pf8bd
Жыл бұрын
検非違使の位を勝手に貰ったことが原因と学校の教科書では触れられているけどもっといろんな理由、そして源行家の討伐を拒否したことが最終的な理由だったというのはなるほどと思いました。 義経にもう少し目端が利く才があったなら北条氏が専横する歴史にならないで変わっていたのかもしれませんね。
@mochichi3456
4 ай бұрын
でも義経がいようがいまいが頼家が叔父を信頼するとはとても思えないよねやから源氏は滅ぶべくして滅んだんだと思う頼朝が長生きするしか無かった
@ムライテンノ
Жыл бұрын
昔は「頑張った弟を粛清した頼朝酷いな…」って感じだったけど 義経の行動を知った後だと「粛清されても仕方ないわ」って感じになる
@ジョンスミス-d9z
9 ай бұрын
義経だけならそう考えることも出来るけど、範頼まで殺してるから結局ただ邪魔だから消しただけって改めて思った。
@田村公司
8 ай бұрын
粛清されてる所も足利直義に似てる。
@うそねこ-e4f
Жыл бұрын
別に義経に限らず頼朝は源氏のトップの座を脅かす存在は手当たり次第に粛正してますからね 頼朝の敵は平氏じゃなくて源氏だったってことですね
@もけもけ-s1u
Жыл бұрын
平家一門は仲がいいのになw
@namomihagi
Жыл бұрын
頼朝は今の認識だと源氏の貴種と言う扱いになるけど、当時は頭一つ抜けていたわけですらなく、「神輿」としての価値を高めるために腐心していたので、同じ源氏と言うだけでその地位を簡単に脅かされてしまうため、武田氏は弱体化させられ、木曽義仲は没落。そうなると、義経の立ち振る舞いはかなりアウトな上、源氏の看板を使って奥州藤原氏と連携しようとしたので、頼朝がキレるのも当然なのです。
@engawanoneko2435
11 ай бұрын
@@もけもけ-s1u 平家は一門の仲がいいから一門ばかり優遇する事になって武士貴族皇族全方位から総スカン喰らって滅んだ
@獅子原鱗
8 ай бұрын
雇われ社長ですから代わりはききますしね……気に入らないことがあれば御家人は自分以外の誰かをすげ替えると思っていたのでしょう、義時も泰時のライバル候補になる妹の息子を粛正していますからここは頼朝を見て学んだのでしょう
@Andy-fi9wt
Жыл бұрын
頼朝すら関東武士団の神輿でしかなかった 要らなくなったらアッサリ消されてる
@名無しの権兵衛坂46
9 ай бұрын
要はお互いの成長過程の相違って言うのが後の行動や対立に繋がったんでしょうね。
@Dリマ
Жыл бұрын
義経は能天気過ぎたんだよ 武将の能力はスゴイけど、政治能力がゼロ 頼朝が朝廷と政治的綱引きをしてる最中に邪魔しかしてない
@73moto
Жыл бұрын
義経は頼朝とは兄弟だから特権が有ると思い、頼朝は東国武士を纏めるには身内とも言えど頼朝に使える武士は御家人として全て同じに扱う事にしないと纏まらなかったからルールを厳しくした。
@獅子原鱗
Жыл бұрын
公正無私の経営者になるしか頼朝に生きられる道はありませんでしたからね
@泉此方-v7k
Жыл бұрын
義経の実像は 「そもそも同格の嫡男」という事実を見直すと分からなくもないんよな で、武装貴族に近しい理想のコンセプトを持っていてブレインは もっと「位の高い」とみなせる 後白河や奥州藤原さんに任せてた 時代が違けりゃ 頼朝は満州に理想郷を作るぞ! 国家のトップは陸軍だぜ! とか言ってるイカレポンチで 義経は海軍大将で 「君たち!軍官僚の本文分を守りたまえ!」 とか言ってる感じw
@yurara105
Жыл бұрын
動画で使用してるBGMの詳細教えてください🙏
@zyukatimes4982
Жыл бұрын
琵琶湖で湖族やってた山本義経と源義経の功績がゴッチャになったって聞いたことはあったな 山育ちの源義経が壇之浦の海戦に勝てたのは本来は湖族山本義経の戦いだったとか…… まあ、非戦闘員の舟の船頭に弓を射掛けるなんて正に湖族の戦いかただし……
@野球太郎-q9t
Жыл бұрын
産まれてからそんなにあってない 異母弟が いきなり現れて 弟です。と言われても信じるのも中々難しいと思うんだよね
@福岡-q8t
Жыл бұрын
義経は父・義朝と頼朝たちが敗戦した平治の乱と同じ年の生まれだから、おそらく黄瀬川で合流するまで、まったく会ったことなかったでしょうね 当時は母親の実家が養育するので、母親が違ったら肉親としての愛情は持ちにくいでしょう 頼朝が肉親の情を持っていたのは、同母弟で合流できなかった希義だけかと思います ただ、「玉葉」によれば、まだ頼家が生まれていなかった頼朝は「父子の義」つまり養子にしたとされています この時点では後継者の目があったわけで、自称・弟を不審に思っていたのであれば、これはしないと思います 自分の名代として京に派遣したりもしています おそらく劇的な場面にするために突然現れたような演出をしただけで、元々ある程度弟たちの所在はわかっていて、身元の保証はできていたんではないかと思います
@ヒロヒロ-g7v
Жыл бұрын
当時の頼朝には譜代と言える様な家臣はおらず、異母弟とは言え肉親の存在は非常に大きい(この辺の状況はずっとのちの秀吉と似ていて、秀吉も実際に頼朝と自身の類似性は意識していたと言われる)。頼朝方に義経が参加したことは素直に喜んだものと思われ、言われている通り父子の義まで結んだ。 義経は優秀ではあるが坂東武者の調停者に過ぎない頼朝と飾りに過ぎない源氏の嫡流と言う名声を、むしろ過大評価していたのではないか。
@慈悲-t9x
Жыл бұрын
まあ大泉洋の弟が菅田将暉でもタッキーでも誰も信じないからなあ
@もけもけ-s1u
Жыл бұрын
とりあえず使ってみて、ダメっぽかったら捨て駒にして終わりだったと思う。
@paulhausser4553
11 ай бұрын
現在では神護寺の伝源頼朝像は足利直義説が濃厚なんで使わない方がよろしいのでは…
@パンツ削除済
Жыл бұрын
戦だけできて政治力0なんてここで殺されていなくてもいずれどこかで殺される運命だったんでしょうね…
@獅子原鱗
8 ай бұрын
頼朝はあくまで神輿、頼朝以上に実力者として幕府を動かしたい北条あたりにとっては頼朝の右腕、左腕になり得る存在は邪魔でしかないですよ
@usr1726bxhshshxhdhshs
5 ай бұрын
うまいこと兄弟で連携できてたら歴史は違ったかも
@soleil-rk2bi
Жыл бұрын
簡単に言うと義経は朝廷(後白河法皇)による離間工作にハマってしまう愚か者だったから頼朝は排除せざるを得なかった。検非違使と言うのもまずかった。
@nh-hs6yq
Жыл бұрын
まさにそれかなと思います。
@番ネコ
Жыл бұрын
頼朝は義経と同じく平家討伐で活躍した範頼も無惨に殺してるし、自分に匹敵するもしくは自分より優れた能力を持つ弟が許せなかっただけでしょう 源氏の嫡流が途絶えたのも因果応報としか言えない
@うっちゃん-t1w
Жыл бұрын
確かに、三種の神器も取り返すことにも失敗した上に勝手に官位を得て、源氏そのものが御家人から不審な目で見られたからね!!😅 いい武士なのに政治センスがいまいちなのが残念ですね!!
@usr1726bxhshshxhdhshs
5 ай бұрын
@@うっちゃん-t1wまあ義経いなかったら平家をあの短期間で倒すことはできなかった
@あずき8192
5 ай бұрын
軍事に全振りしたスペックだったのが平家追討に役立ったけども政治センスが皆無だったのが悔やまれるとこですよね、、、武家政治あるあるですけども戦がなくなったら義経みたいな武にだけに長けた武将は用済みになってしまうんですよね
@たぬき二等兵
Жыл бұрын
阿野全成の血筋だけは後世にまで残る。
@787boeing
Жыл бұрын
一族を矯め過ぎて滅んだ平家 一族で争い過ぎて滅んだ源氏
@namomihagi
Жыл бұрын
滅んだと言っても、平氏の中の伊勢平氏の清盛の流れ、源氏の中の河内源氏の嫡流が滅んだにすぎないし
@獅子原鱗
8 ай бұрын
どのみち両者とも後白河院には負けたと思います
@恙恙
Жыл бұрын
常に暗殺の脅威に晒されて育った境界性人格兄弟ですから仕方の無い結果だったのでしょう😌
@星季徳
Жыл бұрын
発端は、「源氏」の「棟梁」である頼朝と、父親が同じだからと勘違いした義経の温度差、でしょうね。 その上で、幼少期から大人の顔色をうかがって生きてきたお陰で政治とバランス感覚の塊となっていた頼朝にとって、政治的センスの欠片も無いくせに源氏始まって以来の戦上手であった義経は、放置すれば大きな禍根となるのは容易に想像できただろうし。
@御神誉黎
Жыл бұрын
義経が軽薄だったのは事実だ。 平家討伐で功績があり。貴族勢力が頼朝に対抗させようと接近してきたのを、義経は無警戒に受け入れた 武家政権である幕府を建てようとしている頼朝にとっては、義経が朝廷の後ろ盾で力を持つのは一番に嫌な展開だったでしょう
@御神誉黎
Жыл бұрын
義経が軽薄だったのは事実だ。 平家討伐で功績があり。貴族勢力が頼朝に対抗させようと接近してきたのを、義経は無警戒に受け入れた 武家政権である幕府を建てようとしている頼朝にとっては、義経が朝廷の後ろ盾で力を持つのは一番に嫌な展開だったでしょう
@パワーボム-z9e
Жыл бұрын
義経の天才的な戦術家(戦略家ではない)としての才能と政治的センス0の危うさが正に武家政治成立のための捨石のような存在になってしまいましたね。義経がいなければ平氏のあまりにも急激な滅亡は無かった可能性があり、奥州藤原氏も存続していた可能性が高いですね。日本版の三国志時代になっていた可能性があるわけで、統一した武家政権の成立もずっと遅くなる可能性が高いですね。
@TanTakaTan0214
Жыл бұрын
可能性の累乗w
@ncBBdbyhw
10 ай бұрын
義経は「屋島の戦い」でも勝手なふるまいをして、一度頼朝から「戦に出るな」と首を宣言されている。 が、しかし範頼だけでは平家に勝てず、再び義経が壇之浦戦の大将?として平家に勝った。
@peterraccoon2160
10 ай бұрын
範頼でさえ頼朝は殺したというのに、義経なんかどう振る舞おうと殺されていた。
@影森治-e1h
Жыл бұрын
11:23 正しくは「秀衡の義父(正室の父)・基成が」ですね。 基成の父・忠隆と一条長成は母系の従兄弟関係で、父系でも同じ藤原北家・中関白家の一族ですが少し血筋が遠い。
@_te.Lue_
Жыл бұрын
毎日の動画の作成、お疲れ様です&有難うございます 毎回興味深く拝見させてもらっています ところで、今回の動画で少し気になる所がありました 11:22 「藤原秀衡の父・基成が~」 と魔理沙が言ってますが、画面に映された家系図は、「藤原秀衡の『正室の』父・基成が~」のように見えます ネットで調べた結果、家系図が正しいように思います 恐らく「正室の」という言葉の単なる入れ忘れだと思うのですが、気になってしまって・・・ これからも動画のアップを楽しみにしています
@ryoco-hu6ux
Жыл бұрын
基成は秀衡の義父です。公家で都との繋がりがあったので参謀的な役割をしていました。
@TanTakaTan0214
Жыл бұрын
もらってますじゃなくて頂いてますな。
@_te.Lue_
Жыл бұрын
@@TanTakaTan0214 おおう確かに ご指摘ありがとうございます 「拝見させて頂いてます」 覚えました!
@_te.Lue_
Жыл бұрын
@@ryoco-hu6ux ??? 「正室の父=義父」ですよね??? ごめんなさい、どういう指摘をされたのかよく分からないです・・・ 最初のコメントで私が指摘したのは、なんの説明もなく「父」と書かれていたら一般的に「実父(遺伝子上の父)」を指すと思うので、視聴者に誤解を与えてしまうのではないか、ということです だから、正しくは「正室の父」ではないか、とコメントしました (「岳父」でも「舅」でも「義父」でもいいですが) とくに、同じ文の中で義経の実父でない一条長成はきちんと「養父」と説明されていますので、単に「父」と言われたら「実父」を指すと解釈されると思います 「藤原秀衡の父・基成が~」は、「織田信長の父・斉藤道山が~」と言われたときと同じ違和感を与える、ということです
@ryoco-hu6ux
Жыл бұрын
@@_te.Lue_ さん 誤解させてすみません。teLueさんの仰ることのままです。「基成は義父ですよね?」の意味でコメントしました。言葉足らずで申し訳ありません。
@黒川千鶴-u1v
Жыл бұрын
頼朝は嫡男でなくて三男、あと義経の子供が中村(後の伊達家)の養子になって中村義宗となっていたらしい。
@坂本敦-y2g
Жыл бұрын
武蔵坊弁慶は熊野水軍トップの熊野別当の湛増(たんぞう)の長男であり湛増の正室が源義朝(源頼朝の実父)の姉(か妹)であった。湛増は平氏方の古参の精鋭水軍であり、壇之浦の戦いでは平氏に加勢するところが長男武蔵坊弁慶の頼みで源氏方につくよう依頼された。しかし熊野水軍の中には平氏方に加勢するべき意見をもつ者も多かった。その為一計を謀り、闘鶏神社で闘鶏により決めることにした。赤の鶏が勝てば平氏方に加勢、白い鶏が勝てば源氏方に加勢することとし、神に決めてもらおうということにし熊野水軍が一丸になるよう計略、あらかじめ白い鶏は強く赤い鶏は弱いものを選んでたという。壇之浦の戦で熊野水軍が到着したときは平氏方はとても喜んだと思われるが熊野水軍が白旗を挙げた際は平氏の落胆は想像につく。
@modoricyan6076
Жыл бұрын
判官贔屓くらいのアゲ容認してやらんと 平家物語に「チビで色白で出っ歯だからすぐわかる」と書かれたくらいのブサイコ認定が浮かばれん 木曽義仲でさえ「田舎者だけど男前」って描写なのに
@junjun5127
Жыл бұрын
山本義経との混同したって説もあるけどね
@crownclown205
3 ай бұрын
義経ってイケメンかと勝手に思ってた
@maro3280
Жыл бұрын
源氏は基本身内に冷たい 源氏同士で常にやり合ってきた歴史
@獅子原鱗
8 ай бұрын
その身内殺しは北条に引き継がれます
@欣求浄土-r7e
5 ай бұрын
おっしゃっるとおり🎉 平家は身内同志で助け合うのに対して源氏は内輪で血で血を洗う抗争が目につきますね😰
@恵口百山
Жыл бұрын
鎌倉、北条の時代なければ、元寇は防げなかったでしょう。藤原氏のままなら、日本はモンゴルマンを受け入れてましたね。
@慶彦江川
Жыл бұрын
平家が幅を利かして居ましたね
@nh-hs6yq
Жыл бұрын
ゲリラ戦でしぶとく戦っていく気がします。 土着の執着がすごいのは気質なので。。。 でも、IFでしかありませんが、そういうのもいろいろ考えると面白そうっすね。
@mnkmdst720
Жыл бұрын
藤原氏の時代に刀伊の入寇を退けてますよ?
@kantoulenlen
11 ай бұрын
今回の魔理沙の言葉遣い面白すぎ
@yummy822
Жыл бұрын
後白河法王も結構悪い影響与えたと思うんだよね、義経に吹き込んでる。 頼朝は後白河法王を日本一の大天狗って称してるから、見切っていたと思うけど
@獅子原鱗
Жыл бұрын
後白河には怒りも込めて大天狗発言してますよ、あんたのせいで俺の親父は死んだんだってくらい思っているし
@南田有摩
Жыл бұрын
兄弟・甥・叔父等の血縁者を、邪魔になりそうだからと言いがかりをつけて自分の直系の子ども以外粛清しまくった為に、自分の死後に自分の子が権力を奪われ殺され(本来なら、守ってくれたはずの身内はもういない)、一族全体が断絶させてしまう因果応報…… (;=´人`=)
@bigmarch8686
Жыл бұрын
三國志における魏王室がそれで司馬氏に簒奪されてますね。 その司馬氏は魏王室と同じ轍を踏むまいと同族を各地に諸侯として配置したが、その同族の争いで滅んだという、なんとも皮肉な。
@nanashinogon
Жыл бұрын
しかもそれを導いたのが頼朝の妻の北条政子。今、母親が平気で子供を殺すのがあるが、この時代にもあった
@獅子原鱗
Жыл бұрын
娘の魂の片割れも殺したし……これ、ツインレイを引き裂いたら因果応報となるといういい見本でもありますね
@yta5256
Жыл бұрын
コメディタッチではあるけど、『義経のスマホ』での頼朝と義経の温度差は上手く捉えてると思ったな。 戦争目的の達成と局地戦に於ける勝利、その優先順位が理解出来てない。 一門衆でありながら、勢力としての風評の重要性を鑑みれない、…その癖、戦は天才的に巧いとなれば、刃の上を綱渡りして勢力拡大に励んでいる頼朝の視点では、個人感情を排してでも潰さねばならないのは仕方ないわ。
@nh-hs6yq
Жыл бұрын
スマホシリーズは面白いですよね~♪
@matukawatositane
Жыл бұрын
色々理由があった上で義経がウザかったんじゃなんて
@御神誉黎
Жыл бұрын
感情的に気に入らなかったというのは確かでしょうね。 平家討伐で功績をあげた義経の名は鎌倉にいた頼朝よりも高まっていたでしょうし 幼いころに流刑にされて苦労した頼朝は猜疑心の強い性格とも聞いていますから 自分の地位を狙うのではと、義経を警戒したことは十分にありそうだ
@御神誉黎
Жыл бұрын
感情的に気に入らなかったというのは確かでしょうね。 平家討伐で功績をあげた義経の名は鎌倉にいた頼朝よりも高まっていたでしょうし 幼いころに流刑にされて苦労した頼朝は猜疑心の強い性格とも聞いていますから 自分の地位を狙うのではと、義経を警戒したことは十分にありそうだ
@獅子原鱗
Жыл бұрын
ただ範頼さんは頼朝に義経討伐を命じられていたものの俺に九郎は打てませんて言って戦うことを拒んだそうです
@nanashinogon
Жыл бұрын
それで後に頼朝に殺害されたとか? 話は変わるが最近の研究では、頼朝像と言われているのが実は室町時代の足利尊氏の弟の直義では?との説
@獅子原鱗
Жыл бұрын
@@nanashinogon 範頼さんが殺害されたのは後の曽我の夜討ち事件と一緒に起きた不完全クーデターとの関わりを疑われたからです、おそらくここでも梶原景時は粛清すべしと頼朝に進言したと思われます
@nanashinogon
Жыл бұрын
@@獅子原鱗 さん 返信ありがとうございます。なるほどですね。そして忠臣だったら梶原一族も?もしかしたら和田氏とごっちゃになっている?
@獅子原鱗
Жыл бұрын
@@nanashinogon 梶原はナンバーツーに近い立ち位置だったので幕府の主導権を握りたい北条や三浦などに滅ぼされてしまいました
@nanashinogon
Жыл бұрын
@@獅子原鱗 さん ありがとうございました。昔見た歴史漫画でそんなシーンがあったので。
@松桐
Жыл бұрын
歴史と一括りにしても、当時の人達にしてみれば立場と世間体で世渡りしてたんだなぁと
@ゼーフェルト博士
Жыл бұрын
去年の大河の「鎌倉殿の13人」を観て初めて納得いった。 あのストーリーでは頼朝はもともと鎌倉を出世の足がかり程度にしか思ってなかった。 平家を滅ぼした後に京に上って、そこで清盛のように出世し太政大臣を目指すというのが源義経の想定で、義経の出陣まではこれもそれほど的外れでは無かった。 ところが義経が鎌倉を離れて以降にクーデターが発生し、頼朝は上総広常を犠牲にする謀略でクーデターを未然に防いだ。 これによって源頼朝は上総広常の願いだった鎌倉を中心とする武家社会の成立を進めるようになる。 要するに、源義経は兄頼朝が京の貴族社会で位人臣を極めるのだと思っており、それをサポートするつもりだった。 ところが義経が鎌倉を離れた後に頼朝の方針は鎌倉幕府樹立に変更されており、義経はそれに生涯気が付けなかった。 ホントにこれが正しいのかどうかは分からないが、 この通りだとすると、義経の考え無しの愚行と頼朝の冷酷な厳しさが納得できる。 義経は戦術の天才で頼朝は政略の天才であり、分かり合えないものなのかもしれないとは考えていたが、 戦術も戦略も政略も、敵より味方を有利な状況に移行させる技術であって本質的には変わらないはず、なぜ義経は頼朝の構想に気付けなかったのか? これがあの大河ドラマの通りなら、 義経は頼朝から「源氏政権」の構想を既に与えられており、出陣した後に「武家政権」に変更されたことを知らなかったわけです。 これじゃ義経には分からない、なんで兄が「源氏政権」のための助成に怒って自分を責め立ててくるのか理解不能だったでしょう。
@ダイヤモンドハカイ
5 ай бұрын
でも政治実務のセンスのある頼朝なら武家政権構想へのシフトを書状とか梶原景時を通して口酸っぱくレクチャーしそうなもんだけど、、 義経にはそれがどうしても理解できないというか心基なく映ったもしれないし(京都のほうがデカイし経済力がある、関東はまだまだ湿地だらけ)、先祖が居る生まれ育った西の地で武家構想を達成する方向に持っていきたかったのかもしれず 鎌倉にいても北条家がなんだか胡散臭い、天皇家のほうが御しやすいと考えるのも自然かと。 弁慶が僧兵出身だとすると意外と文官、交渉役タイプだったかもしれず、ブレインとして関西嗜好を推してしまったのかも
@力哉-l5t
Жыл бұрын
頼朝による義経の粛清は今で云う、 「コンプライアンス」 ですよ。 「実績があれば規律無視でも何でもあり」 は通らないのです。
@もけもけ-s1u
Жыл бұрын
要するに手に余ったということですな。腕が立つ分自分の言うことを聞かないとなると危なくって仕方ない。 義経の戦術をみても、結構な危険人物って感じがするし……。
@スズキ-k2h
Жыл бұрын
範頼さんも義経さんが言う事を聞かず苦労したっぽいですもんね 範頼さんは我こそは本流って思って好き勝手な源氏らをまとめ上げてたから、その中の一人くらいの認識だったんだろうか(しかも弟だし) 最後までよく働いた範頼さんが幽閉されたのは、この動画の説から行くと頼朝公の意思ではないって説になるのだろうか
@獅子原鱗
Жыл бұрын
梶原景時あたりは粛清すべしといったでしょうね
@hisashi626
Жыл бұрын
義経は、平時忠のハニートラップにもかかってて、東北へ落ち延びる際でさえも、平時忠の流刑地である能登半島に向かい、娘の蕨姫に会いに来たと言われています。 ちょっと女好きなところもスター性を感じますね。
@御神誉黎
Жыл бұрын
頼朝が義経を危険と感じて、討伐したのは義経にも問題があるのは確かだ。 鎌倉に朝廷とは異なる政権を作ろうとした頼朝の意向を無視し、義経は朝廷側につくような動きを見せていた。 義経は武将としては優れていたが政治家としての見識は乏しく、頼朝の考えを理解することなく、頼朝に対抗させようと貴族勢力が近づいてきたのを嬉々として迎えたのだ しかしそれでも頼朝が義経を殺したのは、私は失敗だったと思っている。 その理由は頼朝の死後、源氏が三代で滅んだ事実を考えればわかるでしょう。 武家社会は家による支配体制であり。いざとなれば、頼りになるのは己の一族ですからね。 それなのに頼朝は義経を殺したことで、彼の死後、源氏を支える人間がいなくなったからな 頼朝にとっては幼いころに別れ、顔も覚えているかどうかも定かな。挙兵してから集まった兄妹よりも、ずっと自分を支えてきた北条氏の方が信用出来たのでしょうけど これは頼朝の失敗であったとは思いますよ
@nanashinogon
Жыл бұрын
そう考えると北条政子は、悪魔だった。夫も子供も間接的に殺害した形になった。ただ、本当の意味で武家政治となったのは豊臣秀吉の時代だったかも?(まあ、秀吉も大将軍以上の肩書きの関白になったし、最近の研究では、足利義昭からの征夷大将軍の譲与を断ったらしい。そう考えると実際の武家政治は江戸時代か?)
@獅子原鱗
Жыл бұрын
範頼を殺したこともね
@深草忍
Жыл бұрын
頼朝は三郎義光の所業を知ってたはずなので「俺が生きてる間に弟は殺しておこう」と考えるのは残当
@レスター-d6t
Жыл бұрын
豊臣秀吉も源頼朝と同じ失敗をやらかし政権を短命で終わらせた
@今一-i4w
2 ай бұрын
義経・・・戦術戦闘力『98』 ・・・政治戦略力『5』
@たかゆき-u9w
Жыл бұрын
義経は戦上手だが政治的センスはカケラもない人物だったから仕方ない。放置しておくと何をしでかすか分かったもんじゃない。
@rops0881
Жыл бұрын
頼朝は激怒した 九郎には政治がわからぬ
@hakujoh117
2 ай бұрын
牛若のマッマは清盛の愛人になり、それで成人したら出家するという条件で命が助かった。その後清盛はマッマに飽きてなんとかさんに払い下げして、マッマはその人と再婚したというエピが完全スルーですが、これも伝説・フィクションということですかね。
@belushi3152
Жыл бұрын
結局源氏の棟梁と言っても、動かし易い御神輿に過ぎない訳で、北条氏を始めとする関東御家人にとっては、関東東国を自由に出来、さらに全国の武士の棟梁とも認められる征夷大将軍の座が欲しかった。 一方後白河院はそれは絶対に阻止すべく何度も頼朝に上洛を即し平清盛のように太政大臣にして朝廷を取り込もうとした。 そんなギリギリの拮抗の中で、弟がうっかり朝廷の位を貰っちゃったので、撃つしかなかったし、義経が上手い具合に東北に逃げたので、奥州藤原氏を討つ口実も出来た。 こうして征夷大将軍になった頼朝だが、関東御家人にとって源氏は扱い難い人材ばっかりなので、結局北条氏によって3代全員殺される。
@獅子原鱗
Жыл бұрын
いわば頼朝が『坂東武者の父』になれないのが痛かったと思います
@セブン7-y6k
Жыл бұрын
身内を遣ると やがて滅亡する 豊臣も
@PenguinMMD
Жыл бұрын
「なぜ殺さなかったのか?」じゃないかと一瞬思ったが殺したで合ってた
@take-take2511
Жыл бұрын
源氏の敵は源氏
@先走魔羅男
Жыл бұрын
自分が昔聞いたのは牛若丸と弁慶が戦った時、牛若丸は攻撃を交わしながら説得を続けた事で弁慶が感動して配下になる事を願ったとか 昔は頼朝が凄い嫌われてたんだよね義経追い込んで殺したということで 今はどう思われてるのかな?トップに立つってのは綺麗事だけじゃやっていけないのはわかるけど日本人はそういうの嫌いだからねぇ...
@ゆうこ-u9g
Жыл бұрын
芹沢鴨は義経の生まれ変わりか?と思ってしまった😅
@渡邊秀一-d2c
Жыл бұрын
頼朝を匿っていた頼朝の妻の実家の北条氏はずっと傍観していたのか?実は長い目で見て隙あらば関東を北条氏と比企氏で掌握していこうとしていたかもしれない。
@rosan617
3 ай бұрын
秩序を重んじる頼朝と自由奔放な義経では対立は避けられなかった。 兄弟といっても義経は腹違いの弟なので、頼朝から見たら他の家臣と同列にしか見ていなかったと思う。
@hirohiro146
Жыл бұрын
頼朝の手勢の大半が「平氏」であったことがもう一つの考察点になるかなと。目的は「平氏」の討伐ではなく「平家」から権力の象徴三種の神器を奪うこと。平氏の戦略には詳しいわけだから神器をどこに携行するかもわかってた。だから時間をかけてじわじわと戦力を削り、身動きとれなくする戦術をとってたわけだが、義経は常に速攻でそれを邪魔してきた。義経の目的は「平氏」の滅亡だから味方の一族に対しても容赦ない。
@武下大湖
Жыл бұрын
権威と権力の分離を行おうとしていたのに、 天皇の権力を認めるような行動をしたため、 処分せざるおえなかった。
@sk-ed9mu
Жыл бұрын
アグネスデジタル 芝ダート万能のやべーやつ アグネスワールド 芝ダート海外万能のやべーやつ
@sxxowo-t2w
Жыл бұрын
敵に討たれる事が最大の不名誉…か…かの織田信長や源為朝や義経のライバル平知盛、資盛、経盛、教盛らも敵に討たれる前に自害しているし、やはり自分の名誉を守る為には敵に命を取られる前に自害するしかなかった…という事か…まぁその気持ちもわからんでもないが…
@engawanoneko2435
11 ай бұрын
義経が強いというより統率の取れた関東武士が強い定期 ほんの10年程度で日本中駆け回って義経含むあらゆる敵を討ち倒した 内輪揉めばかりしてた彼等を統率した頼朝の過小評価が酷い
@hakujoh117
2 ай бұрын
ざっくり言うと、義経は腕は立つが考え無しのアホの子だったから。 と言う説。
@男華紫宴
Жыл бұрын
判官贔屓≒HULKAMANIA
@vcwvpzq
10 ай бұрын
だって、超邪魔だもん
@南田有摩
Жыл бұрын
一般の民衆は、戦場で祖国を守る為に華々しく活躍した人物を見てかっこいいと思うし贔屓したくなるもの…… ( =Φ人Φ=)
@あぱらちあ義男
6 ай бұрын
将軍 雇われ社長 御家人 株主 株(直属の兵力)を持たない社長(将軍)の権威は低い
@einsfia
Жыл бұрын
まあ普通だよね 軍功を盾にして調子に乗りまくって言う事聴かないし 鎌倉に対する忠誠心無いし 政治も武家政権の意義も理解してないし 放っとけば御輿になって禍根を残さないとも限らないし そもそも兄弟と言ってもそれまで会ったことも無かったろうから肉親の情なんて無かったろうし 粛清されて当然だと思う
@中野まさる
Жыл бұрын
単純に兄頼朝は戦上手の義経が怖かったから、頼朝は戦ベタ。そりゃ恐れるは‼️
@NI-ip7gn
Жыл бұрын
複数の要因が絡み合っていますが、その中でも義経が頼朝にとってメリットよりもデメリットの方が大きかったということは重要なポイントです。以下のような理由が考えられます。 ・義経は平家討伐で華々しい戦功を挙げましたが、そのことで頼朝の威信を損ないました。頼朝は自分が源氏の棟梁であり、鎌倉政権の中心であることを示そうとしましたが、義経は自分の戦功や人気で頼朝に対抗しようとしました。例えば、義経は頼朝の許可なく官位や通称を受けたり、平家の捕虜を帰洛させたりしました。これらの行動は、頼朝の権威に服さないことを示すものであり、頼朝はこれを不快に思いました。 ・義経は奥州藤原氏との関係を維持しようとしましたが、頼朝は奥州藤原氏を敵視していました。奥州藤原氏は東北地方を支配しており、朝廷や平氏とも独自の外交関係を築いていました。頼朝はこれを快く思わず、奥州藤原氏に対して鎌倉政権の支配下に入ることを要求しましたが、奥州藤原氏はこれに従わなかったり、遅延させたりしました。頼朝は奥州藤原氏が自分に反旗を翻す可能性も疑っており、また奥州藤原氏も頼朝から圧力を受けていました。義経はこのような状況で奥州藤原氏との関係を断つことができず、頼朝から不信感を持たれました。 ・義経は自分の野心や理想を実現するために行動しましたが、頼朝は現実的な利益や安定を重視しました。義経は平家打倒後も戦闘的な姿勢を崩さず、北条時政や梶原景時などの有力御家人と対立しました。また、義経は後白河法皇や建礼門院などの公家勢力とも連携しようとしました。これらの行動は、義経が自分の地位や名声を高めることや、新たな政治体制を作ることを目指していたことを示しています。一方、頼朝は自分の権力や利益を保持することや、鎌倉政権の安定化や拡大化を目指していました。このように、義経と頼朝の考え方や目的は大きく異なっており、互いに理解しあえませんでした。 以上のことから、頼朝が義経を生かしておくメリットが無いから排除したとも言えます。義経は頼朝にとって、権威や利益を奪う競争相手であり、背後の敵であり、理想主義者でありました。頼朝は義経を排除することで、自分の地位や権力を確固たるものにしようとしました。
@通りすがりの赤い人
21 күн бұрын
親子兄弟は仲が良いのが当然だといつから思ってた?
@may23k68
11 ай бұрын
北条との関係かな?
@Countach-yo2bt
Жыл бұрын
鞍馬山で天狗に鍛えられたと言うのは嘘なの?
@力哉-l5t
Жыл бұрын
ウソです。
@御神誉黎
Жыл бұрын
鞍馬山は古くからの山岳信仰のある山だ。 鞍馬山の天狗というのは、おそらく修験道の山伏の事でしょう。 山伏たちは少人数で山中を修行で歩き回りますし。自分たちの身を守るために武芸を学んでいる者も多い そういう山伏たちの誰かが、源氏の血筋を引く義経に興味をもって武芸を教えたとしても不思議はない
@御神誉黎
Жыл бұрын
鞍馬山は古くからの山岳信仰のある山だ。 鞍馬山の天狗というのは、おそらく修験道の山伏の事でしょう。 山伏たちは少人数で山中を修行で歩き回りますし。自分たちの身を守るために武芸を学んでいる者も多い そういう山伏たちの誰かが、源氏の血筋を引く義経に興味をもって武芸を教えたとしても不思議はない
@福岡-q8t
Жыл бұрын
嘘…というか、おとぎ話ですね
@慈悲-t9x
Жыл бұрын
玉木宏は阿部サダヲに恨みが、あったから討ち取ってそれをよく思わなかった松山ケンイチが逆襲したと
@snow_nankou
16 сағат бұрын
頼朝が処分しなければ、北条氏が処分したのでは?
@amg5708
7 ай бұрын
平家を地獄の先まで追い詰めたのは、周りの人の恨みとか?
@88番大窪寺
Жыл бұрын
奥州に行かなかったら殺されることはなかったかな。
@harutora1500
Жыл бұрын
わかりやすい解説でした。 でも頼朝は景時と義経が仲悪いのなら別の家臣を置くべきだったと思うな。 仲の悪いやつをお目付けに置かれても言うことなんか聞かないでしょ。 そんな頼朝も最後は落馬という怪しい最後を迎えるんだからなんとも。
@kirinotoshi1926
11 ай бұрын
義経が平氏打倒が目標としていたなら、頼朝の本当の狙いは先祖の頼義の代からの悲願である奥州平定(前九年の役後三年の役で藤原清衡に肩入れしたことで奥州藤原氏誕生)を秀衡は読んでいたから本音は義経を頼朝のところにやりたくなかったのかもね 秀衡が平氏を叩きのめした頼朝が次に狙うのは奥州だから義経を上手く洗脳というか誘導(頼朝の真の狙いは平氏の追討ではなく、西国や九州は難しくとも日本全国を統一することで、そうなればお前の兄頼朝はすべてを手に入れるためなら身内を手に掛ける)して、義経を奥州の用心棒も兼ねて世継ぎにしたほうが結果的には良かったかもという説秀衡の子供で義経に好意的な忠衡はまだしも、正室の嫡男泰衡は秀衡からも嫡男としては物足りない、異母兄で武勇に優れながらも他腹の子国衡も継承権がないことから関与できずと、秀衡自身も理解していながら自分の死後の奥州は長くは続かないと予期してたという
@森伯
Жыл бұрын
頼朝は弟を殺し功臣を粛清して挙句の果てに自身も息子も暗殺された先の見えてない源氏の大将に過ぎないと思ってる (吾妻鏡に武家の棟梁としては不名誉極まる落馬の怪我が原因の死亡なんて書かれる段階で彼の置かれていた立場が分かる)
@HatenaZ
2 күн бұрын
義経の政治センスのなさを言う声が多いが、頼朝は自分の子以外の河内源氏を殺しまくってるので、どうあれ殺されてたでしょ 範頼も殺されてるし 結果自分の子も北条に殺され源氏将軍自体が消えた まあ頼朝以前から河内源氏は親子兄弟でも争ってばかりだったから、そういう一族という事でしょ まあ平氏は平氏で一門衆の権勢を強くし過ぎて反発買って滅びたし バランス良く上手くやれたのは徳川家康ぐらい
@きつねのよめいり-i1j
Жыл бұрын
べつに新しいことないね
@TS-lr6ht
Жыл бұрын
奥州藤原氏(藤原氏)に匿われた源義経(源氏)を討伐する為に源頼朝(源氏)は千葉氏(平氏→源氏)らを率いて奥州へ……となかなかカオスな事になっている訳ですが、本当に勝者側の関係者はこれでも良かったのだろうかと思った結果、後に平家物語が誕生したのでしょうか
@菅原のしゅん
8 ай бұрын
奥州藤原氏、泰衡は酷いなぁ
@catmanserishadow
Жыл бұрын
司馬遼太郎もにたようなこといってるけど、当時の官位下賜って、官打ちと言う呪詛だったそうだし。
@スターリン-b8k
Жыл бұрын
義経愚将論
@クボちゃん-e1l
Жыл бұрын
弟も全員殺してますよね。
@うそねこ-e4f
Жыл бұрын
受領のトップクラスである伊予守を授かったのに検非違使を辞めなかったのがトドメかな 頼朝は義経が朝廷の武士の指揮官になることを恐れていたので
@mitsuru2176
7 ай бұрын
藤原氏はこの時代も悪の巣窟だった訳だ!
@ks.634
Жыл бұрын
義経はシュミレーションゲームの数値化をしたとすると、 政治 14 武力 72 統率 98 魅力 95 空気を読む 2 てな感じかな。
@nh-hs6yq
Жыл бұрын
判官びいきって、判官が官職なのよねぇ・・・ 義経の行いを長として許してしまえば、世紀末jひゃっはーな混乱になってしまうかもですし、 頼朝さんは苦渋の決断だったのかもしれませんね。
@パジャマプレス
4 ай бұрын
狡兎死して走狗烹らる
@サダおじさん闘病中
Жыл бұрын
○害サれたのは確かみたいだね。 理由は色んな説あるから どれが正解なのかわかりませぬ(笑)😊
@COSF101
Жыл бұрын
安徳帝の生母で平家入水の際捕獲された建礼門院と義経との醜聞に付いての朝廷・鎌倉両勢力の嫌悪感も問題になったのでは😢
@福岡-q8t
Жыл бұрын
同時代の史料には見えず、壇之浦合戦からだいぶ経ってから成立した軍記物語(フィクション)である『平家物語』にも見えず、これにサブエピソードを面白おかしく盛った『源平盛衰記』が元ネタの話なので、問題にはならなかったと思います
@G13-Empty
10 ай бұрын
義朝も長男生まれるまで側室を取らない方が良かったと思うんだよね、大抵拗れるし。コネクション的にとらざるを得なかったのかもしれないけど
@クロコダイルパンティー
Жыл бұрын
関東武士の残虐さは異常。 残酷な殺し方、関係ない通り人を殺して庭に常に首を飾ったり、僕は平氏の方が人情があって好きだなあ。
@森里蛍二
Жыл бұрын
例え自分の弟たちだろうが自分達の法を侵したなら部下の手間自分の弟だから許すでは示しが付かないから謀反人として撃つ事決めただよね
@ぽち-g5j
Жыл бұрын
義経=チンギス・ハン説って言うとんでも説がいつ誰が言い出してどのように広まって言ったのかに少し興味があります。
@鈴蘭-s7q
Жыл бұрын
義経=チンギス・ハン説って言うとんでも説、それを言い出したのはシーボルトで江戸時代後半だというのが定説らしい。
@itsuka1650
Жыл бұрын
要は頼朝にはない天賦の才で功績と名を上げつつある義経が恨めしい。 まさに武家の姿の見本のような存在が目障りだった。 また、義経に政治的手腕がないとされているが数々の戦果をみるに それなりにはあったはずである、今の伝聞では貶める方向に偏っているが 実はその手腕をも恐れて討伐された。 おそらく頼朝は戦の中で討ち死にを期待し常に最前線に置いていたが、 うらはらに戦果を上げていくのが目障りだったとするほうが自然に感じる。 義経を京に留めたのも最前線で平氏の逆襲の壁になると考えてのこと。 また、官位云々で鎌倉入りを認めていたのは単に同じ源氏で奇しくも 戦果のある者を避けることが政治的にも立場的にも難しかったために 止む終えなかったのだと。
@Fontaine-Erica
Жыл бұрын
義経は後方から指示を与えるべき大将であるにも関わらず勝手に前線で戦って武功を与えるべき友軍の活躍を妨げたのがダメだったんじゃないの?
@ayayama2312
Жыл бұрын
0:16: 📚 この動画では、源頼朝と源義経に関する言葉の意味や、なぜよつが殺されたのかについて説明されています。 4:08: 👥 頼朝は清盛に裏切られて命を守るために除名単願してくれた 8:16: 🗡 鎌倉に到着し、石橋山の戦いで敵を味方につける交渉を行い、鎌倉を拠点として発展させることを決めた。 12:34: 🐮 牛丸は山で大天狗と出会い、自身が元リーダーの息子であることを知る。 25:26: 🤔 頼朝が義経を殺した3つ目の説は、義経の勝手なふるまいが、頼朝が思い描く源氏の未来にとって良くなかったからだと言われている。 16:36: 📜 京の食料事情が悪化し、荒くれ者の軍勢が存在したため、義仲との関係が悪化していった。 20:51: 💔 秀衡の遺言によつの差しを仰げとあったが、藤原の安平に裏切られて最後を迎えることになる。 Tammy AIで要約できました!ご参考になれば幸いです。
@太郎土方
Жыл бұрын
推敲してから貼れよ
@猫のしてこび
Жыл бұрын
義経偽者説あるよな(笑)。奥州藤原氏がでっち上げた別人。
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