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【ゆっくり解説】小牧・長久手の戦いに関する一考察(長久手の戦い篇)
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浸透襲撃
Күн бұрын
Пікірлер: 219
@モンハン-p9o
11 ай бұрын
秀吉が信雄を利用して戦局を動かした「個人の性質を戦争に利用する」やり方、家康が関ケ原で小早川を寝返らせたやり方に似ている気がした。敗北した相手から学んで強くなる・・・、少年漫画のようだ。
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
これ、家康が冬の陣でやり返すんだよな。 真田後藤等浪人が手強いなら淀の心理を攻撃して和睦に持ち込む。
@doryuji
11 ай бұрын
@@rekishiaoi341 家康って本当に学習能力が高いよな。
@ウマシカモネギ
11 ай бұрын
この一戦の徳川方の健闘あってこそ豊臣政権下での重要ポジに繋がった訳でほんと日本史において重要な戦いですね
@あぼぼです
11 ай бұрын
家康との直接対決では勝てなくても「家康のいないところで全部勝てばいい」を実行した秀吉 ローマがハンニバル戦以外で全部勝って最終的に追い詰めて行ったのと同じだね
@グレゴール
11 ай бұрын
小牧長久手の家康って信長時代の軍団長クラス、将官クラスをたくさん破っているし、討ち取っているから織田信長勢力だと信長の次くらいに強かったんだなぁって思う。 豊臣政権での家康のポジションの重要性と高さがこの戦争の答えみたいなもんだし。
@mrtaoren2
11 ай бұрын
このお二人は本当にすごい方々だ 1番味わい深い戦ですね
@TK-yx1po
11 ай бұрын
秀吉家臣団と家康家臣団の総力戦って感じで、派手な関が原みたいな一大決戦とは違った総合力が試された戦いで一番好きです
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
実際頼山陽は「家康が天下を取れたのは関ヶ原じゃなく小牧長久手のおかげや」と書いてる
@三方ヶ原家康
11 ай бұрын
古文書研究の達人で有名な磯部さんが前に話しているのを聞きましたが、武田氏を吸収した後徳川家のシノビ(忍)の死亡率が格段に低くなっているとか。武田を吸収することで軍団だけでなく諜報部隊も劇的に強化されたのでしょうね。
@あぼぼです
11 ай бұрын
家康としてはここで自分の実力を見せたことで 後々豊臣政権での発言力を示すことが出来たともいえる。 やはり、対話するにしても「実力を示さないと」相手にいいようにされるだけという証明だと思う
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
ただ頭下げられるだけじゃ舐められるしね 実際この戦があったからこそ信雄は豊臣政権で内大臣まで登り詰めたし
@ひろ-d3g
11 ай бұрын
家康くらいの実力と状況分析能力があってこそだよね。 北条は徳川の時みたいに母親人質に出せやなんて脳天気なこと言って結局滅ぼされてるし。 実際に戦った家康だから秀吉の力をわかった上で自分を高く売りつける ぎりぎりの駆け引きができた。 家康が並の武将だったら滅ぼされてるだろう。
@CT--or1sl
8 ай бұрын
銀河英雄伝説で圧倒的な兵力を誇る帝国軍に対し、数で劣る同盟軍が基本方針とした「有利な講和条件を引き出すために戦う」の成功例と言えるかもしれない。家康の場合は地震という幸運もあったけど、局地戦で勝ったのは紛れもない本人の才幹によるものだし
@うそねこ-e4f
4 ай бұрын
家康は生涯通して武士はまず武威を示さないと誰もついてこないっていうのを実践し続けてますね 戦えない大将に武士はついてこないのです。大坂の陣で豊臣を滅ぼしたのも関ヶ原で武威を示し損なった秀忠の武威を示すためという要素もあったと思います 義元の復讐戦を出来なかった氏真、高天神の後詰めを出来なかった勝頼、戦場に一度も出て来なかった秀頼は皆滅びました
@久遠経人
11 ай бұрын
長久手の戦い後の対陣の長さは意外な印象を受けるところ。 長久手の敗北で不利を悟った秀吉が、さっさと講和したというように語られることが多いから。
@dragonboy345
11 ай бұрын
やはり高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処できる能力が何より重要やね
@布団が吹っ飛んだ-q3w
11 ай бұрын
ビュコック「要するに、行き当たりばったりということではないのかな?」
@kappanouen
11 ай бұрын
「兵に常勢なく、水に常形なし。 能く敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う(孫子第六『虚実篇』)」 さすが士官学校首席様、自由惑星同盟の天才軍師やで
@Marinyan-oshi255
11 ай бұрын
@@布団が吹っ飛んだ-q3w銀英伝だ!
@countdooku4065
11 ай бұрын
???「攻勢ではありません大攻勢です」
@scipio99
11 ай бұрын
アンドリュー・フォーク。 ↓ 「僕が考えた最強の作戦」で、アムリッツァ会戦において2000万人将兵の犠牲を出した史上最悪の無能。
@コウちゃん-t7j
11 ай бұрын
長久手の戦闘での家康は、不利な状況下での戦闘に強い本多忠勝に小牧城をまかせることで防衛兵力を最小限度に抑えたり、知略に優れ戦闘の駆け引きが出来る榊原康政を先鋒にしたり、猪武者ぽい井伊直政に旧武田の精鋭を預けて攻撃力の中心にしたり部下の使い方も秀吉の上行ってたと思う。
@どらやき-z1w
11 ай бұрын
ちょっと前にいつかやるさんのサラディンvsボードゥアン4世の戦いを見てたから分かるけど 秀吉側が家康軍の動きを全く把握できなかったのは、家康側に圧倒的地の利があったからだと思います 家康のホームグラウンド内だと索敵能力に圧倒的な差が出るでしょう
@赤目-c7p
11 ай бұрын
池田恒興って清須会議メンバー、つまり織田家の宿老。それがこの大舞台で寝返らずに秀吉に全力で味方した その功績をみると生き残ってたら前田利家と並ぶ五大老になっていた可能性が高い つまり秀吉亡き後の家康に「もう一人の前田利家」として立ちはだかる未来もありえた 家康は期せずしてその生涯で最大の戦術的勝利で後の天下への大きな土台を築いていた 本人が意識ないままそんな分岐点が存在しているのが歴史の面白さだね
@大坂智義
4 ай бұрын
徳川によって長久手でズタボロにされた池田・森の両家は後関ケ原で揃って徳川派になる。
@yamakawa-chu-sho
11 ай бұрын
信雄「絶望した!半年経っても全然大名達が集まって来てくれない自分の求心力の無さに絶望した!」
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
秀頼「ワイも手紙出したら大名が誰も味方にならんかったやで」
@前原勇介
11 ай бұрын
長久手の奇襲、この時の三河武士団の索敵能力と機動力は謎レベルの高さです。この家康率いる三河武士団を三方ヶ原で鎧袖一触にして蹴散らした武田信玄の恐ろしさが際立ちます。
@サザビーB2
11 ай бұрын
家康って小牧長久手か天正壬午あたりから異様に情報戦に強くなってるんだよね 個人的には伊賀越えの時に忍者を大量に召し抱えたんじゃないかと思ってる
@どらやき-z1w
11 ай бұрын
そうか、忍者がいたか 家康と戦う相手は真田以外、みんなアホ化するの不思議に思ってたんだけど 情報戦が強いと考えれば納得だわ 三方ヶ原の戦いですら徳川に勝った武田信玄だけど 動きが疑心暗鬼で武田らしくないからおかしいと思ったんだよな
@matukawatositane
11 ай бұрын
忍びの活躍がちゃんとした史料に残っている関東の諸将たちはどうして…
@エグゼオックマン
11 ай бұрын
@@matukawatositane 活躍がバレてる忍者雇ってたからやろ
@Seito.Sakuraba
11 ай бұрын
秀吉恐ろしい子。でも、ここで戦略の大事さを学んだのが、家康を天下人にしたんだね。
@水煮-j6u
11 ай бұрын
32:04 慌てての攻撃とはいえ、残された少数の兵で阻止するあたりさすがの本田平八 ボロクソ言われてる信雄さんですが、後年大阪の陣前に豊臣方の総大将に担ぎ上げられそうになった時にさっさと逃亡したり無事生き延びる事に関しては嗅覚の効く人なんですよねぇw
@Tantatatantan
11 ай бұрын
野戦のときの家康ってドン引きするくらいアグレッシブだよね 止まったら死ぬマグロか何かですかってくらい走り回りやがる
@波平-y7r
11 ай бұрын
戦力的には秀吉 名目上の正義は家康に分があるという背景から諸将の心理は不安定で秀吉側は長期戦になれば不利ってとこまで考察するからここの歴史解説は自分的に一番面白い
@せるじい
11 ай бұрын
天皇家抑えて親戚になりつつある秀吉相手に大義名分勝負はまあ無理なんよな
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
@@せるじい ちょっと時系列が違うかも この時点だとまだ官位は信雄>秀吉 だから秀吉は武力でしか信雄の上に立てなかった この戦役後半から秀吉が信雄と家康を官位で追い抜いて錦の御旗を掲げられるようになった
@井伊亜
11 ай бұрын
これ以外にも秀吉は小牧長久手で負けた後、ガチで陣容整えて力で家康ぶっ潰そうと準備まで整えたのにガチで大きな天正地震が発生(山内一豊の娘が亡くなる位でかい地震が発生)して近畿地方が壊滅したて秀吉は家康潰せなくなったって天下人になった家康の強運もデカイと思う。
@pt2607
11 ай бұрын
小牧長久手は包囲網で圧力を与える家康の戦略 包囲網拡大を防ぐため早期決着を狙う秀吉 家康の見事な戦術と粘り 織田徳川同盟の脆さを突いた秀吉の戦略眼とその後の包囲網勢力撃破の素早さ と双方実力者って感じがして好き。その後の歴史への影響も大きいし戦国時代有数の名勝負だと思う
@瀝青鶺鴒
11 ай бұрын
秀吉、大坂を狙ってくる雑賀衆や長宗我部の動きには半端でないストレスを抱えていただろうに、それでも大阪方面には中村一氏ら守将を信用し充てて兵力を少なくしか残さず、東海方面へ兵力を集中させたのは、地味な話ながらやはりここでも彼の総大将としての見識の高さを示して余りある。並の総大将なら雑賀衆にキレて、東海方面と並行して紀州方面にも攻撃できるだけの部隊を組んでしまいかねない。秀吉はこの戦役も「決戦」と認識して全身全霊で臨んでいたと見れる
@gsavanna3494
10 күн бұрын
個人的にはこの時の経験が関ヶ原前後の家康につながったのかなぁと
@XR-wx5js
11 ай бұрын
ありがとうございます!❤❤
@tease82
11 ай бұрын
10:40 標高86mの小牧山から見える地平線は35km程度とのことで春日井市の平野は十分範囲内ですが、落合公園のあたりの標高が小牧山と同程度なので、遮蔽物になって春日井市の平野のほとんどは見えないですね。徳川が中入り隊に気がついたのは別働隊の偵察が居たのだと思います。反面、秀吉は明治村の辺りの山(本宮山標高: 293m)に偵察を置けば徳川の部隊の動きが見えたかもしれませんが情報の差が出ましたね。
@moikeru1
22 күн бұрын
家康が一向宗と組めればバランス、包囲網的には良かったのかなぁ、と地図みながら思った。 三河一向一揆鎮圧してるから、そんなん無理な可能性の方が高いと思うけど。
@山田カイチ
11 ай бұрын
秀吉の凄みは山崎、賤ヶ岳、小牧長久手で一貫して織田家の家臣として自分の上に信長の遺児を置きながら家臣で首席の位置をとり続けてたところ。名目上の総大将は山崎は信孝、賤ヶ岳は信雄、小牧長久手は三法師。この間、家中で断トツの石高と兵力もち、京都を支配し、信長の遺児の信秀を養子としているが、あくまで織田家の臣下を演じている。
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
@@新党司馬遷 自分が征夷大将軍についたのも豊臣家に関白の可能性を残すため、秀忠に将軍職を譲った時も官位は内大臣にしておいて秀頼は右大臣に。 更に片桐且元の給料を徳川が負担し豊臣の内政を仕切らせる。 滅茶苦茶豊臣に配慮しながら徳川政権を固めていったことがよくわかる。
@田中義信-m9s
11 ай бұрын
他の解説動画だと秀吉が信雄の上の官職を得る事に危機感を感じた信雄が講和の道を選んだと考察されたりもしてますね やっぱ畿内抑えてると強いですわ…戦時に於ける朝廷工作ができるという事から朝敵となる可能性を恐れたとかもあるんですかね? 状況が状況なら朝敵認定もする事が可能になりますもんねえ…
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
@@新党司馬遷 なので個人的には秀吉が遺言で 「徳川内府は伏見にて政務を取れ」の時点で実質天下人の座を家康に譲る意思を示していたと考えています。 大坂城はあくまでも豊臣の権力の源泉であり、 天下人秀吉の権力の源泉は聚楽第であり伏見城、そこから朝廷と寺社、商人を抑えていたこと。
@japanquest7781
11 ай бұрын
『花の慶次』で描かれていた「末森城の戦い」は、 「小牧・長久手の戦い」の一部だったんですね。スケールの大きさが理解できました。 いつか「末森城の戦い」の解説も見てみたいです……史実だと地味な戦いかもしれませんが(笑)
@aer9899
11 ай бұрын
森長可は戦国DQN四天王暴力担当と言われるだけあって常に前線で敵をぶった斬る上に制御不能気味だったから戦死しても秀吉は喜んだって言われてるからなぁ。
@ヴィオ-w3c
11 ай бұрын
この戦で戦術的に勝利出来なかったことで徳川家康に天下を簒奪される余地を残してしまった。 そう考えると結果的に見れば戦略的にも戦術的にもこの戦で勝利していたのは家康だったのかもしれないね。
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
逆もまた然りで、この30年後に羽柴(豊臣)と徳川はまた大坂で戦う訳やが 冬の陣で徳川は戦術的に豊臣を潰せなかった(降伏開城まで行けなかった)から 秀頼が我慢してこの後徳川に仕えればワンチャンあったのかもしれない まあ将軍が豊臣大名キラーの秀忠なんですけどね
@つるみかずこ-b2q
11 ай бұрын
面白かった!これだけ完璧な奇襲を成功させているとなると、これ秀吉側に内通者でもいたんですかねぇ…
@ニイガタソヴィエト共和国
11 ай бұрын
まってました
@user-5239
11 ай бұрын
今回も勉強になりました。 やる夫真田家という素晴らしいやる夫スレを思い出しました。
@卯月-k7y
11 ай бұрын
数年前、小牧山に抜け道らしきものを発見したというニュースを見た。 ここから家康たちは出撃したのではないか、という話だった。 工夫したからこそ敵にばれなかったんやね。😊
@aaaaaa-nl2vg
11 ай бұрын
動画では一進一退と言ってるけど、時間がすぎるに連れて織田信雄領は削られていたから継戦は無理でしょうね 三河でも飢饉が起きていたので、徳川にも継戦能力はなかったでしょう
@cyberterro
11 ай бұрын
過去に三河の一向一揆のゲリラ戦に悩まされ、心ならずも機動戦が得意になってた家康。 秀吉は小牧山総攻撃の最中に別働隊の存在が家康に伝わるタイミングを狙っていたのでは、例えば長篠の戦で鳶の巣山陥落の情報が武田軍に伝わり戦線崩壊を招く一因となった例。
@ごにょごにょ-c1c
11 ай бұрын
馬謖「地図にペットボトル(水)があるのは、 山登りしてやらかした私への 当てつけでしょうか?」
@指手-z9g
11 ай бұрын
チョイチョイ現場に出し貰えたら良かったのにね😅
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
今回のどうする家康とか大昔のその時歴史が動いたとかであったけど 長久手への空堀掘ってたから羽柴軍に気づかれず徳川軍が移動できた 羽柴軍は空堀を小牧山の防御を固めるものと誤認していたって説もあるんだよな
@muramasa9582
11 ай бұрын
なんだこの打開の道がまるで見えない神経戦は…。 信雄君、ストレス酷すぎて頭があぼーんしちゃった説でも普通に納得出来るくらい先の見えない日々だったのかもですね。
@あぼぼです
11 ай бұрын
父親のような強靭な忍耐力と決断力がなかったんでしょうな
@kiyamacchi
11 ай бұрын
@@あぼぼです あったらそもそもこんな状況になってないしね……
@sluggerhigh6744
11 ай бұрын
恐らくこの戦役の前まではお互い相手のことを自分より格下だと思っていたんじゃないかな。 それがひょっとして自分に比肩できる、もしくは格上なんじゃないかとお互いに感じたことで下手に手出しできなくなり、その後の歴史に繋がっていったのではないか。
@野生化したパンケーキ
11 ай бұрын
一時は織田の中でも間違いなく重臣だったのに 本能寺以降持ってないタッキーは可哀想になる
@doryuji
11 ай бұрын
記憶違いじゃなかったら、戦術マップの要塞線のところの空堀を通り道にすることで秀吉軍に見つからずに移動できたとこの前NHKで見たような。
@秋彦-o6n
11 ай бұрын
後知恵だけど、家康相手に欲をかいてどうせバレる奇襲なんて企図せずに、むしろ別動隊は「中入りするぞーしちゃうぞー」って大々的に宣言して警戒しながらゆっくり行軍して、同時に秀吉本軍が小牧山を力攻めしたほうがよかったのでは。
@takuhash1925
11 ай бұрын
おもしれー、最高、ありがとうございます
@しくじり大名を紹介チャンネルゆっ
11 ай бұрын
信雄単独講和は三家老の処刑が大きく影響しているそうです。つまり伊賀で反乱があったようで親族が参加したらしいです。これに秀長が迫ったら単独講和も致し方なしですかね?
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
織田信雄が三家老処刑→羽柴との外交担当を勝手に処刑されて秀吉激怒、戦争へ 豊臣秀頼が片桐追放→徳川との外交担当を勝手に追放されて家康激怒、戦争へ やはりいつの時代も外交の暴発はいけない
@フォード-i1w
11 ай бұрын
@@rekishiaoi341 豊臣政権は特に取次ガチャが凄い… 上杉や佐竹→石田(何事も上手くいく なお秀吉死後…) 宇都宮や伊達→浅野(前者は改易の憂き目に&後者は絶縁状叩きつけられるレベルに揉める) 里見や長曾我部→増田長盛(何かと踏んだり蹴ったり)北条→富田一白(上洛日時確定したのに、秀吉側にちゃんと日程伝わってないし秀吉本人から仕事してないといきなり更迭されて両家間で相互不信に→戦争へ) 最上→徳川(上杉の庄内割譲やら駒姫やらで悲惨だがそれでも生き残る)
@tas-o8n
11 ай бұрын
家康「親族処刑されて日和ってる奴いる? いねーよな!」
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
@@フォード-i1w 戦国から江戸初期にかけては大名たちは面子最優先なので、取次役がとても重要ですね
@so8661
11 ай бұрын
この時点での長期戦は、圧倒的と思われた秀吉に疑問符が付くので、秀吉に不利。 優位に長期戦をしているつもりが、第三者からは「この戦力差で手間取るのか?」「秀吉といえど、この程度か…徳川と組めばワンチャン、行ける?」などと成りかねない。秀吉といえど、薄氷の上に立っている天下。
@aaa-zh4wt
11 ай бұрын
徳川の強さより羽柴の戦略より信雄のやる気の無さより、滝川さんが一体何をしたのかが気になる… 開城時の約束破ってでも殺したかったって事なんですよね
@cleacreation
11 ай бұрын
秀吉と家康の兵力差をあまり知らなかったから、てっきり互角なのかと思ってました。秀吉視点から見ると、「負けるかもしれない」という確かに怖い戦役ですが、家康視点から見るとこれだけやってなお「勝てるかもしれない」という半ば絶望的な戦いだなと思いました。上杉、北条がここに呼応していたのを見ますと、織田信雄が講和に踏み切らず戦役が長期化していた場合、更に派閥が拡大して、応仁の乱や関ヶ原の戦いのような全国規模の戦争になっていたのでしょうね。
@matukawatositane
11 ай бұрын
@@新党司馬遷 朝倉を脱落したとみるのはちょっと違う気もするけどね
@s.t.160
11 ай бұрын
高蔵寺ニュータウンの開発や愛知万博を経た今でこそ、瀬戸・八草の山の中を抜けるのは犬山から長久手に下道で行く場合の早いルートだったりするけど、当時は抜けるの大変だっただろうな・・・
@tyms4903
11 ай бұрын
家康・信雄<負ける気せーへん地元やし。 秀吉&秀吉配下<いや、わしらも出身地なんだけどなあ。
@BEKU02
11 ай бұрын
多分家康と信雄の目的は秀吉が四国等に目を向けている隙に背後を突いてあわよくば秀吉の本拠を抑えようとしたのではないでしょうか。 でも秀吉は迅速な対応をした為に小牧長久手でぶつかることになった。この時点で家康と信雄の計画は頓挫したのかと思います。
@白狐姫
11 ай бұрын
この戦役、徳川でどのくらいの費用が掛かったのかわかりませんけど、相当な出費だったはずです。見返り無しじゃ、ほんとやってられませんね。
@ブリキカイザー
11 ай бұрын
一年近く数倍の敵と対峙して領内に餓死者を出すほどの費用がかかったのに家康に無断で和睦した信雄に内心ぶちぎれてそう それでもこの和睦を「天下にとってまことめでたき事」と秀吉に返事をした家康の凄みよ
@DAITYASO
11 ай бұрын
(*´ω`*)…今回も楽しかったッス!! 次もガンバってください〜!
@山田カイチ
11 ай бұрын
賤ヶ岳の戦いで秀吉は信孝への対抗として織田信雄を担いでるが小牧・長久手の戦いでは織田家の当主は信雄ではない。この時の織田家の主人は三法師。織田家からみれば信雄は逆臣で、家康は臣従を離脱した謀反人。一般に秀吉側は大義が無いと言われるが、それはなあなあで小牧・長久手の戦いが終わった後で信雄が秀吉への臣従の代わりに織田家当主と認められたのが後に混同されているから。家康も主家乗っ取り批判や信長の遺児を助けるとは言ってるが、織田家の家臣の大半は織田家の家臣の状態で秀吉の側で参戦してるのが全て。
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
結局秀吉は関白になるまで織田家の筆頭家老以上の地位を作れなかったから、 三法師が元服した後あの若さで岐阜中納言と滅茶苦茶秀吉が優遇したのかも
@hirofumihorio3471
11 ай бұрын
確かに、三法師が来てくれないと、大義名分は持てないですね。 もし仮に三法師が来ても、この時、長曾我部、雑賀衆にとっては、他家のお家騒動に近く、旧織田家以外は意味をなさなかったのかもしれません。
@わんだ-y9p
11 ай бұрын
なんで家康さんはいつもいつも貧乏くじを引いてしまうのか。要所の謎の運の悪さが無ければ秀吉が台頭することもなかったかもしれないのに
@戦場の絆アーサー-h4y
11 ай бұрын
いくら敵地とはいえ、やはり小牧城からの徳川主力の離脱を見落とすというのが、秀吉にしてはあり得ないミスですよね。 (敵地といっても、元地元ですからね) 特に敵情視察においては定評のある秀吉がなぜそれを見落としたのか、ホントに謎です。 まさかコントロールが効かなくなりつつあった、森・池田を敵の手で取り除く算段だったりして😅
@Selerdia_AC
11 ай бұрын
安土桃山時代と言われるこの時代ですが、依然として足利将軍家が征夷大将軍在位中の中で羽柴秀吉公が戦時中に官位叙任がなされ、爆速で従三位権大納言に就任することになったのか?をここで議論するのは違うのかもしれないですが、「統治の正当性は朝廷の権威持って行う」という「信長公の後追い」を完遂しきるという盤外戦術でもって単独講和が成功したのかな?と思う次第ですね ※調べると従五位下から従三位権大納言任官の速度が室町時代の慣例から見て異例中の異例の(似たような事例は足利義政後の弟、足利義視ぐらいかとという)速度なので云々・・・
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
その解釈通りだと思います 小牧長久手までの秀吉は官位が上の相手たちとひたすら殴り合ってきましたがその間も朝廷に官位を求め続け、それが漸く実現したのがこの時
@フォード-i1w
11 ай бұрын
家康的には三河無視できないけど無理に行ったら三方ヶ原の二の舞になるところを信雄が尾張の領地を空にする危険性を顧みず三河を狙う別働隊撃滅に全軍を差し向けたのが功を奏した 信雄も秀吉と面して相対してるのに、秀吉に感づかれる前に家康と一緒になって池田恒興と森長可の別動隊潰しに行ってるし、九鬼と滝川の裏切りとかあったのにそれもなんとか一度は切り抜けてるし腐っても信長の息子だったんだなとは思う 信雄も家康も減封無しで自分を高く売る点では絶妙のタイミングだったからそういう意味では二人ともある意味の勝利ではあるかな(長宗我部らの末路を見ながら)
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
この後を考えると 1. 長男を養子(人質)に出せ 2. 重臣の息子も人質に寄越せ 3. 故郷を捨てて関東に引っ越せ 4. 家康は伏見に参勤しろ 5. 豊臣の天下普請に出費しろ 6. 唐入りするから名護屋に詰めろ よく家康は乗り切ったなと思う
@hiron114
11 ай бұрын
@@rekishiaoi341 これ、まんま江戸時代の制度やん。
@yshivu3
11 ай бұрын
@@hiron114 自分がやらされて余程嫌だったんだろなw 能く能く敵味方から学ぶ人だなと。
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
@@hiron114 武家諸法度はほぼ秀吉が出した命令のパクリだったりしますwww
@大坂智義
4 ай бұрын
徳川家康は戦術的にではあるが秀吉に勝ったという強力なネームバリューを得る事ができた。
@Milanista224
11 ай бұрын
輝政は生き残ってよかった
@drtyfvgublk5786
4 ай бұрын
後の時代の人なら結果を知ってるかつ俯瞰視点で見られるから色々情報をまとめる事が出来るけど 当時の人はこれらを文書や手書きの絵で、タイムラグの発生する状況でしか伝えられない情報で把握し、 そんな中で即断即決しなきゃいけなかったってんだから本当に恐れ入る…
@m42sonnar84
11 ай бұрын
現代の米軍の教範でも重要な戦術機動とされる「迂回」ですな。
@fishsky6136
11 ай бұрын
ここだけ切り取って見ると当時だと徳川家の方が美談みたいなものを作りやすそうな状況ではある 戦の正当性もあり圧倒的な大勢力相手にひるまず戦い一部では大戦果も上げて一生懸命織田家のために戦ったのに最後は秀吉が寝技を使い信雄の勝手な単独講和で見捨てられてしまったという状況だし
@dam5158
11 ай бұрын
【悲報】石田三成さん、文官の身で秀吉と互角に戦った徳川家康さんにとても勝ち目のなさそうな決戦を挑んでしまう どうしてそんな無謀なことを…
@realfordf1865
11 ай бұрын
この小牧長久手の戦いの立場と戦略をタヌキ爺が特殊能力で入れ替えたから。まぁ家康自身もその代償として「東海一の弓取り」って二つ名を使えなくなる訳だが。
@どらやき-z1w
11 ай бұрын
真田昌幸「勝ったッ!徳川幕府完ッ!」
@tyms4903
11 ай бұрын
@@hayakawamikan 関ケ原の家康は、石田隊宇喜多隊の奮戦で、小早川の傍観で数で勝ってるのに押され始めた所に、逆に、本陣を一歩前に進めてる(ちょうど敵に囲まれる場所へ)んですよね。この踏み込みがすべてだと思う。
@Mimimi-kz5qu
11 ай бұрын
このままいけば家康が豊臣政権を乗っ取るのは必至。そんな時に確率が低くてもチャンスが生まれたからそこに全てを賭けたのでしょう。
@matukawatositane
11 ай бұрын
輝元にうまく乗せられてクーデターしちゃったからね 岐阜失陥後にしっぽ切りされた感じ
@SiR-sz9lv
11 ай бұрын
佐々成政の山越えも解説して欲しいです!!!
@harigane4773
11 ай бұрын
この前テレビで千田先生がめっちゃ持ち上げてた岩崎城!防衛ネットワークの一部だったみたいだけど堅かったんだなあ。 しかし失策とされてた長久手中入り策の見事な再評価! ひょっとして牟田口インパールの再評価もできちゃうんですかね?数年前歴史群像でそんな記事読んだような気もするけど…。
@片倉九時
11 ай бұрын
織田信雄が戦犯っぽいんだけれど、家康が秀吉と事を構えるためには家康が信雄を神輿に据える必要があって成立したわけで図としては秀吉VS信雄になっちゃったんだよなぁ。信雄にもっとカリスマや外交の才能があれば違った絵が描けたかもしれないけれど、そうはならなかった。秀吉VS家康にならなかった時点でもう決着は見えていたのかもしれませんね。
@フォード-i1w
11 ай бұрын
外交の才能自体は凄いあると思うよ 家康と秀吉の和睦を取りなした(家康の要求通り人質は秀康だけに留まった+家康の減封は無し)のも信雄だし そもそも信雄は「北畠に一度相続した出戻り」という「武田勝頼みたいな立場」なのでカリスマとか要求するのも無茶ぶりなので…
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
@@フォード-i1w 家康の上洛にも信雄が大きく噛んでいたしね。 信雄が仲介してなかったら天正地震の後でも徳川征伐が行われていたかもしれない
@フォード-i1w
11 ай бұрын
@@rekishiaoi341 まぁ秀吉側もこれ以上ぐだったら徳川と同盟してた北条軍まで参戦してぐっだぐだになる可能性嫌がったのもあるだろうね→沼尻の戦いで北条勝利で宇都宮は青色吐息、佐竹は真壁等から反感買う、常陸国衆内の内紛収拾で動けなくなる 思った通りの勝利じゃないからか太閤能では小牧長久手の戦いは演目から除外されてる(三木の干殺しから小田原征伐まで完勝!神の如き寛大さで敵将〇〇を許してやった!という喧伝内容が多い)
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
小牧長久手の戦→全体で見ると秀吉の勝ち、長久手だけ見ると家康の勝ち 大坂冬の陣→全体で見ると家康の勝ち、真田丸だけ見ると秀頼の勝ち 家康は真田丸の戦いでボコボコにされた時長久手で森と池田を壊滅させられた秀吉の気持ちが身に沁みたやろなあ
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
まあそこから 秀吉「アカン狸は簡単に潰せへん...せや信雄から切り崩すか」 家康「アカン秀頼簡単に潰せへん...せや淀殿から切り崩すか」 ホンマ戦略>超えられない壁>戦術なんやなって
@ai_love_fox
11 ай бұрын
石川数正の裏切りと天正大地震も見たかったけどここまでか…。まあこの時点で大局は確定して早かれ遅かれ秀吉が天下人になっただろうしな。
@山田カイチ
11 ай бұрын
秀吉の戦略は1に大義名分を持ち自身が社会的正義になる、2に敵より大兵力を集める、3に長期戦、連戦に対応できる後方の策源地の確保と整備の三つ。山崎から小田原征伐から奥州仕置きまでは負けなし、秀吉最後の大戦の唐入りも個人的には日本の勝利で終始してるとおもう。
@yshivu3
11 ай бұрын
戦術的な面だけで見るとつくづく判然としない戦いですよね。 側面攻撃と挟撃の意図が有ったとして、回り込む部隊が隠密にも機動力にも欠ける軍でそれが成立するのかというのも有りますし。 中入り隊の編成を見ても挟撃を必ず通すというより、駄目なら適度に引き揚げろという意思を感じなくもない。 もしかしたら徳川方に強固な陣を敷かれた時点で秀吉も半ばこの戦場での戦術的な勝利を諦めていたのかも知れませんね。 だからこそ秀吉方は徳川方の動きを「誰も」察知出来なかった。
@mssgkjmr2719
11 ай бұрын
これ、家康が担ぎ上げたのが信雄じゃなくてせめて信孝だったら・・・ ていうか、「頭おかしなるで」ってこっちの台詞じゃ!!って感じですねw
@kazumasuishikawa2733
11 ай бұрын
この戦役後、秀吉は家康を総攻撃しようとしてたんだよね。デカい地震の為、被害甚大で講和に舵切ったんだけど。 戦略と人たらしの面でまだ勝てなかったと思うよ家康は。かと言って、これ以上刺激すると秀吉も益が無いと思ったんだろうね。 けど、それ以外には冷酷だったわ。佐々成政は酷い目にあったし。成政は余程嫌いだったんだな、秀吉の事。
@WearstFaker
11 ай бұрын
ストーンウォール(石の壁)の徳川家康。
@桜木秋水
11 ай бұрын
いや,内容を考えると更新頻度高い方だと思うよ
@iwajo
11 ай бұрын
家康は忍びの使い方がスゲー上手かったんだと思う。小牧・長久手の戦いでも羽柴方の奇襲部隊の動きを察知したりしてるし。
@ゆうきさん-g6t
11 ай бұрын
信雄の配下が耐えられなかった可能性もある?戦役前に家老を粛正してるし 領地は各所で攻められてるし、なにより三介殿のなされることだしw 不信不安が募って和平交渉も不調で信雄が身の危険を感じたとか・・・無いかw
@リムルテンペスト-i5d
11 ай бұрын
秀吉方は同輩だった池田恒興などの信長遺臣が数多く居るから、秀吉も強く上として指揮出来る立場じゃなかったのかもね🤔 中入りの別働隊と同時に本隊も出発して小牧山に釘付け出来ていれば・・・ 同輩の恒興などを自分の手を汚さずに排除・・・なんて邪推ですかね❔😅
@rekishiaoi341
11 ай бұрын
池田はともかく森は戦死の情報が入り「天下を取る吉兆」と秀吉は喜んだとか
@kazuyukiwakasugi7160
11 ай бұрын
めちゃくちゃ面白かったです!家康の対応の速さは、初めからそのルートでの奇襲を受けて決戦することを計画に入れていたのかなと思いました。織田信雄の講話は、信雄は戦略度外視なので自分の本拠地の伊勢を守るような進軍することを家康にずっと求めていたが、家康がそれに応じてくれないのですれ違ったのかなと思いました。
@たけさん-k3g
11 ай бұрын
中入り隊を捨て駒部隊にするなら虎の子の秀次を危険に晒す理由が分からないんだよなあ。本当に上手くいくと思ってたのか。 池田、森は織田家重臣で秀吉としても厄介な存在、で、秀次との間に名人久太郎を入れておく。妥協の産物なのか狙いがあったのか。
@bg6201
11 ай бұрын
定説では信雄が馬鹿だから単独講和した、というが本当なんだろうか?動画の中でも言っているが家康も秀吉に勝ちきれないことは理解していたはず。であるなら信雄の講和は渡りに船だったと思う。ただ馬鹿な信雄が勝手に講和したから勝てなかった、と後世に言い触らしただけだと思うのだが、どうだろうか。
@モタリケ-j3w
11 ай бұрын
まぁぶっちゃけこの後大地震がなかったら、家康さんもお仕置きで消滅してた可能性大だったんだよね
@diskokd5581
11 ай бұрын
おお、ベストタイミング🎉
@山田カイチ
11 ай бұрын
中入りもだが滝川に攻城させておいて放置とかこの時期の秀吉は謎だらけ。
@matukawatositane
11 ай бұрын
敗北した側とされる家康も秀吉との決戦で軍事的に屈服しなかったことが後の彼の人生に利することになったから戦略、軍事も重要だなぁと
@TFERA21
11 ай бұрын
わぁい続きだあ
@ユーザーちびエリミ
4 ай бұрын
長久手って桶狭間と似ているんですよね。(スタンさせて孤立隊を潰しまくる)家康の強さは野戦の場数と戦役研究ですが、後に総て家康有能に書き換えられてますが信雄の当時の幕僚にも信長の有能遺臣がついていたのかなと思っています
@I_love_tama_chan
11 ай бұрын
36:08 織田信長の上洛って三好長慶 死後だった気が…
@松尾直-q2j
11 ай бұрын
信雄が信勝に一部変わってる(笑)
@蒲生氏郷-u6l
11 ай бұрын
仕事から帰ったら動画上がってたあああああああああああああああああああああ
@hirosat5269
11 ай бұрын
まともに戦えてるのが夜目がきく犬(影狼)と猫(橙)だから夜襲だな。
@透明な豚
11 ай бұрын
歴史は勝者が作る。
@しまぽん-e6e
11 ай бұрын
これで秀吉、一区切りですか、残念す こちらのチャンネルには、ぜひ、兵站の観点から見た小田原城包囲戦を評価していただきたく思っております! 私、小田原評定を積極的に評価するものです。 小田原評定は三成を始めとした秀吉家臣団のありえない兵站能力が成し遂げた、奇跡の作戦だと思っております。楽しみにお待ちしておりますので、何卒よろしくお願いいたします!!!
@勇拗侃
11 ай бұрын
うまく行けば最の高。 もしだめでも名人久太郎ならあまり損害を受けずに秀次を助けてくれるやろ 最近増長してる池田と森が討ち取られればそれはそれで美味しい。 って考えてたって思ってたわ
@KAWACHI102
11 ай бұрын
秀吉が織田信雄と対立したから逆賊扱いされてるってのはどうなんでしょう? 信雄が織田家の家督代行であったとは言え清洲会議で三法師が織田家の後継者であると定まり、小牧長久手の時点で秀吉占領下の京都に居たので秀吉に大義名分が全く無いわけではないと感じるのですが。
@matukawatositane
11 ай бұрын
一応このころは信雄君が織田家当主やしどうなんでしょう?
@KT-ce7js
5 күн бұрын
この戦いの秀吉にとっての最大の意義は信雄を下したことだろうねえ
@shimizoo5495
4 ай бұрын
やっぱり秀長の存在が一番のチートだと思う
@masahiru8726
10 ай бұрын
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