【ゆっくり解説】織田信長に関する一考察(桶狭間奇襲説編)

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浸透襲撃

浸透襲撃

Күн бұрын

織田信長に関する一考察。
今回は番外編です。
やっぱりボクシングにラッキーパンチはないんやなって。
■次回(清須同盟編)
• 【ゆっくり解説】織田信長に関する一考察(清須...
■前回(桶狭間の戦い編)
• 【ゆっくり解説】織田信長に関する一考察(尾張...
■参考文献
信長公記
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戦況図解 信長戦記 サンエイ新書 Kindle版
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Пікірлер: 233
@user-ni8zv4mx9f
@user-ni8zv4mx9f 5 ай бұрын
運はコントロールできないので、いかにコントロールできる部分で勝つ確率をあげるかは大事ですよね。
@user-nz9nv4pz8h-大福モチモチ
@user-nz9nv4pz8h-大福モチモチ 5 ай бұрын
まさに「人事を尽くして天命を待つ」ですね
@study.yoshi.
@study.yoshi. 5 ай бұрын
「成功するための必然性を作る」って天皇陛下の執刀医も言ってた。その通りだと思う。
@kazuyafujimoto1686
@kazuyafujimoto1686 5 ай бұрын
桶狭間の合戦について、個人的に一番納得できる説を唱えてた、かぎや散人氏の説を元にした説。 義元軍は大高城の後詰めと、信長が出張ってきた時の後詰決戦が目的だった。 付城群に対する信長の後詰めがなかったので、後詰決戦のため大高城近辺にいた義元は桶狭間辺りの丘陵に陣をしきながら撤退していった(そもそも信長公記には、その記載がある)というもの。 この説を採ると、義元軍の行動がほぼ読める。 深夜から行軍し、早朝から大高城に兵糧を入れ、織田方の付城群を排除し、日暮れに向けて撤退していく。 なので桶狭間辺りの地理に詳しければ、どの辺りに陣を敷くかも読める。 もう一つポイントが有って、付城群の部隊を最初から見捨てたこと。 戦国大名と国人領主の関係性からすれば、これは有り得ない。 戦国時代の通常の軍隊の常識では、後詰めをせずに味方を見捨てた段階で戦いは終了。 しかし信長には、それでも自身の命令に従ってくれる精鋭の馬廻衆がいた。 今川軍は、自軍の常識では戦いは終了し戦意のある敵はいないと思っていたところに、戦意旺盛で極めて練度の高い敵の攻撃を受け崩壊した。 信長の筋書き。 大高城の後詰めが目的である今川軍の行動は、地理情報のある大高城から桶狭間辺りでは、かなりの確率で読める。 だから付城軍には後詰めをせず、セオリー通りに今川軍を行動させる。 通常は味方を見捨てた後に戦ってくれる兵はいないが、尾張のうつけ時代から行動をともにし尾張統一戦も寡兵ながら戦い抜いた馬廻衆は一緒に戦ってくれる。 戦前から目星のついてる丘陵なら、そこから死角になり迂回できる道もあった(のかも)。 最悪でも戦意のない敵に精鋭部隊で正面突撃し、相応の打撃は与えられる。 以上の説なら、桶狭間の合戦は幸運ではなく周到にはられた罠ですね。 相手が有能なら有能なほど嵌りやすい。 恐らく謙信でも信玄でも元就でも、戦いの目的が大高城の後詰めなら同じ行動をする。
@user-kr4rg1vp2l
@user-kr4rg1vp2l 5 ай бұрын
それなら佐々隼人が今川軍正面に攻撃した理由もわかりますね。敢えて前面に攻撃を仕掛けて今川軍主力の目をこちらに向ける必要があったと。
@user-ht9mv3ag5f
@user-ht9mv3ag5f 5 ай бұрын
通説関連で頻出 「また甫庵先生か」
@r91RwKeQ
@r91RwKeQ 5 ай бұрын
伝説の甫庵先生の脚色説明からの チャンとした浸透襲撃としての論理立てスコ。
@ut7444
@ut7444 5 ай бұрын
浸透襲撃さんが桶狭間してきたw
@nekozame_history_fan
@nekozame_history_fan 5 ай бұрын
日本三大奇襲動画投稿ですね。
@MrYasken
@MrYasken 5 ай бұрын
これが今川義元の気持ちか…(驚愕)
@user-iz4ux2xb2i
@user-iz4ux2xb2i 5 ай бұрын
尾張統一戦で戦に明け暮れてた織田軍の練度も高かったと思います 今川方で戦慣れしてたのは三河忩劇で戦に明け暮れてた三河衆くらいだったのではないかと 戦をせずに国力を高めれば兵数、輜重は充実しますが人間豊かになると自分の身が惜しくなるところもありますから
@MUSASI40
@MUSASI40 5 ай бұрын
最大の要因は 信長のカリスマの高さもありますが兵士や領民に上杉 武田 毛利に飲まれるかもしれない と言う危機感があった事も 強さの一員でしょうね
@user-ot6hy7sq1k
@user-ot6hy7sq1k 5 ай бұрын
前回ので織田信長はいったん休憩って。、 ありがとうございます!
@tarojikken4014
@tarojikken4014 5 ай бұрын
いまだに奇襲って意味で桶狭間という単語を使うくらい「桶狭間=奇襲」ってイメージは強いよね。
@ih314
@ih314 5 ай бұрын
無能旧日本軍の指揮官が突撃させるための方便だよ 旧日本軍はそういう研究が詐欺的
@user-su8hr5zn9n
@user-su8hr5zn9n 5 ай бұрын
また、日本三大奇襲なんて言葉があるから、その影響もあるのではないかと思われる
@user-er8tc3bd2d
@user-er8tc3bd2d 5 ай бұрын
信長シリーズ楽しく興味深く店て頂いております。 なるほど言われ見れば、信長は桶狭間の成功体験があるにも関わらず、その後は戦術だよりの変化的強襲は極力せず、物量だよりの横綱相撲に完全シフトチェンジしているってすごいことですね。 浸透襲撃様の動画はいつもこういった当たり前だけど言われてはじめてなるほどと思うことが多くて感心させられます。 信長シリーズの今後を楽しみにしておりますね。
@takuhash1925
@takuhash1925 5 ай бұрын
投稿頻度高くて死ぬほど嬉しい
@user-ll7dj2dw2s
@user-ll7dj2dw2s 5 ай бұрын
信長公記の記述によると、信長は少なくとも出陣後まで桶狭間にいるのは義元の本隊と気付かず、丸根鷲津の両砦を攻略した後の敵前衛だと認識していたとあり、相手が敵本体と気付いたのは早くとも開戦直前です。 一方奇襲説では信長が最初から義元本隊を奇襲する事を目的に開戦していますし、梁田が信長の指示で索敵を担当していたかはともかく信長は敵の本陣の位置を報告するように触れていたと読めますから、比較するなら(おそらく史実である)強襲説の方が運要素が強いと言えるのではないでしょうか? むしろ奇襲説の方が「信長は全て見通していて桶狭間は運ではなく綿密な計算ずくの戦いだった」という方向の脚色がされているように見えます。 信長記は信長演義って事ですよね
@user-ll7dj2dw2s
@user-ll7dj2dw2s 5 ай бұрын
@@user-ow1ww6cf7p ご意見ありがとうございます。信長公記によると信長は「敵は丸根鷲津を攻略して一晩中動いていた部隊であるから疲弊していてたやすく打ち破れる」と言っているので、出陣時点では敵の疲労した前衛をまず撃破して局面を変えようとしたのでしょうが、その後の計画は記録は無いですがおっしゃるような敵後続を襲撃というのもあるいはあり得る話かも知れません。 とにかく前方にいるのが敵の前衛ではなく城から出て来たばかりの新手しかも義元本隊とどの段階で気付いたのか、ですね。非常に遅い段階だったのは確かの筈です。
@cold-happousai
@cold-happousai 5 ай бұрын
運の要素を本人の能力とするか否かが現代と違うんじゃじゃいのかな 当時は「人知を超えた物凄い能力、天に選ばれた人」を示すものだったと思う 現代は「ただ運が良いだけ、能力じゃない」とされてしまうけれど 強襲説でも奇襲説でも、書かれた時代のことを考えれば 「信長スゲー! 信長半端ないって!」が正しい反応だと思う
@user-zm8rb6fc1j
@user-zm8rb6fc1j 4 ай бұрын
朝倉の追撃戦も2000位ですし、畿内の救出戦も2000程度なんで、本当に重要な時は寡兵でも 動くのが信長の強みだと思います。
@kiha7176
@kiha7176 5 ай бұрын
浸透襲撃さんの天王寺砦の戦いの考察が楽しみになってきました
@yhaachoi1837
@yhaachoi1837 5 ай бұрын
「神風による勝利は必然であり、それは神の加護によってもたらされた幸運である」という宗教みたいなものかと。
@user-hc8pl4is7v
@user-hc8pl4is7v 2 ай бұрын
情報を集めてて、居場所を把握してたらしいし、数については、分散や、昼飯休暇がてらの報告を、受けてたし、警戒はしてたようだけど、戦闘要員については、本陣だと、数的に、似たり寄ったりですね。梁田君が、情報を取り纏めて報告してたってのが、正解かも?、やるべき事をやった上ですな
@muramasa9582
@muramasa9582 5 ай бұрын
今回は短い(迫真の23分)
@zerofatman
@zerofatman 5 ай бұрын
「出る前に負けること考える馬鹿いるかよ!」なんてふうに、負けん気で臨む姿勢もいるとは思うけど、やはり勝つためには勝つための事前準備は必須でしょう。 「算多きは勝利」 相手を上回る戦力、自分に有利な場所、自分に味方することの利、などなど、勝利要因を多く揃えて勝つべくして勝つ。これが出来れば最上ですね。
@hy9518
@hy9518 5 ай бұрын
「あれは運のおかげ」 人事を尽くした者が謙遜で言う言葉とそうでない者が負け惜しみと責任回避のために吐く言葉の2種類があるから厄介だよね。
@user-tq9jv1jf7i
@user-tq9jv1jf7i 5 ай бұрын
戦国時代と現在ではかなり違い、実地調査された方によると現在では使用されていない間道もあったみたいですね。あと今川本陣はおけはざま山という、小さな山というか、丘の上にありました。
@user-rs6cx8jf3v
@user-rs6cx8jf3v 5 ай бұрын
動画再生時間が23:02、短い動画ですね(錯乱)
@yamakawa-chu-sho
@yamakawa-chu-sho 5 ай бұрын
北伐の動画の頃は「10分超えたのでまた次回に」が当たり前だった気がする
@KT-xo7hx
@KT-xo7hx 5 ай бұрын
このチャンネルの視聴者はもう調教済みだから、 もっと長くてもええんやで。
@adoado5788
@adoado5788 2 ай бұрын
ふ、深い😮😮😮
@nanko_tan
@nanko_tan 5 ай бұрын
奇襲説の方が運の要素が弱く、強襲説の方が運の要素が強いのでは、と書き込もうと思ったらすでに何人かの方が指摘されてましたね。浸透氏の動画は着眼点と話の運び方が面白いです。今後も期待しています。
@user-xw5jt5dg9p
@user-xw5jt5dg9p 5 ай бұрын
孫子曰はく「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求むる」
@user-ns2ng8vm6q
@user-ns2ng8vm6q 5 ай бұрын
短い(20分越え)
@matukawatositane
@matukawatositane 5 ай бұрын
首巻を記述を読むだけならば信長が前線に出て劣勢を取り返そうして突撃したらそこにいたのは今川本陣だったとなるのよね まぁ首巻なんでと言われたらそうなんだけども
@ako8431
@ako8431 5 ай бұрын
パチンカスの話が出た後で、 "勝利を得るためには冷静に状況を分析・判断し 必要な情報を集めて正しい判断をすれば勝利を近づけられる" とギャンブラーを後押ししてしまう襲撃さん鬼畜w
@user-ch6rg1bt3v
@user-ch6rg1bt3v 5 ай бұрын
胃がキリキリするくらい何度も熟考を繰り返した。信長も我々が何気なくやってる議論を一人で考え尽くしたのだとしたら、胃袋の負担や如何に。だから下戸なんだろう。酒飲んでる場合じゃねえ
@oomorisoumen
@oomorisoumen 5 ай бұрын
素晴らしい🎉
@user-ev2bh8xd2l
@user-ev2bh8xd2l 5 ай бұрын
3月は単価が高いとおっしゃっておりましたね……油断
@baibaruth
@baibaruth 5 ай бұрын
投稿頻度が高くて助かる
@user-xs7oo9zh6l
@user-xs7oo9zh6l 5 ай бұрын
俺は歴史小説を書いてる時は、2つの説の折衷案で書いたな 中島砦に移動している最中に、今川義元の本陣の位置を知らせに来る それを知って正面突破で今川義元を打ち取る感じで
@nop01347
@nop01347 5 ай бұрын
どちらの説にせよ桶狭間古戦場にある七ッ塚は、義元本陣跡推定地はの正面にあるので、何らかの戦力が正面から攻撃したのはあるんでしょうね。
@Akihiko.HIROSE.1954
@Akihiko.HIROSE.1954 5 ай бұрын
強襲説なのはこのチャンネルぐらいですものね。
@タマナカとキュー
@タマナカとキュー 5 ай бұрын
「こんな成功はもう2度と起こらないだろう、〇〇のカードをデッキに入れておこう」って考えはものすごく大事
@user-fs3jf7il5i
@user-fs3jf7il5i 5 ай бұрын
チョムチョムってなん十年ぶりに聞いたよハングリー最高😂
@user-xn7rw9xm3m
@user-xn7rw9xm3m 5 ай бұрын
満腹ボクサーっ
@qweras121
@qweras121 5 ай бұрын
読みやすくて、説明し易いと”広まる” 三国志演義は完全にこんなパターンw
@user-nm2ft1ej9z
@user-nm2ft1ej9z 5 ай бұрын
梁田は信長の命で桶狭間近くの寺に潜伏してたんじゃないっけ?
@user-zo5ly9wu8n
@user-zo5ly9wu8n 3 ай бұрын
チェス盤をひっくり返す様で申し訳ないけど、今川軍が桶狭間という大軍の運用に不向きな地形で陣を張って、兵力を分散させた事が織田軍にとって最大のラッキーだったと思うんですよ。 義元だって孫氏などの軍学はやっていた訳で夷陵の戦い何かの敗因も根本的には同じ。 これを知らない訳もないのになぜ?というのが、解けません。
@shamrock6378
@shamrock6378 5 ай бұрын
劣勢な側が優勢な敵を撃破した戦例において敵の精神的要素に打撃を加えることによる勝利がしばしばみられるが、この場合奇襲や強襲 敵の弱点への集中攻撃により敵の指揮官や指導部を精神的混乱に陥れ勝利を得ていたと考えられ、その鍵となるのが『OODAループ』の回転速度の迅速性 [観察(Observe)- 情勢への適応(Orient)- 意思決定(Decide)- 行動(Act)- 以下ループ] OODAループ、織田だけにってか!?
@yw1208
@yw1208 5 ай бұрын
敵軍よりも数が少なくても、優れた作戦を立案出来れば戦争に勝てる 作戦という不確かなモノに頼った結果 ミッドウェー海戦演習のサイコロみたいなご都合主義を基に大コケしちゃったんだろうね 自衛隊もこの精神が受け継がれてないことを祈るしかない
@user-jt3tr2iz5x
@user-jt3tr2iz5x 5 ай бұрын
「備え」の大切さを改めて感じることができたなぁ
@user-ef8vn5je9w
@user-ef8vn5je9w 5 ай бұрын
9:15 一番手柄って首級や殿などの合戦中のはたらきだけでなく、指揮官としての作戦成功の功労も入っているっぽい……?ような
@user-ef8vn5je9w
@user-ef8vn5je9w 5 ай бұрын
横山光輝時代の創作内の桶狭間だと、梁田が前々から信長の命で今川の動きを探る任務を受けていたみたいな描写もあるけれど、あくまで創作上の描写なのかな
@user-gr1hk6ex1n
@user-gr1hk6ex1n 5 ай бұрын
鳴海ー桶狭間を歩くと中島砦が凹んで桶狭間に登っていく感じか?川が途中にあったとか?田楽で桶涌間とも言われるぐらいの湿地で池もあったとか。大軍で戦闘するには不利な地形の様ですね。沓掛城ー大高城もしくは鳴海城へ行く街道の途中にあるとも。 この一戦に勝利した信長は壁を熱田神社に寄贈した、相当嬉しかったんだろうな。
@user-kf1eo5wg7c
@user-kf1eo5wg7c 5 ай бұрын
熱田神宮の御曹司を桶狭間の前の奇襲で死なせてるからなぁ
@user-hy7xw6ro7j
@user-hy7xw6ro7j 5 ай бұрын
桶狭間戦記だとそれ想定外で。 その連絡受けて熱海取れるかも?で、前進して桶狭間に向かった流れだったか。
@peppertaro2224
@peppertaro2224 5 ай бұрын
FXにのめり込む投機家とインデックスでコツコツの投資家の対比の様。 同じ額を稼いだとしても再現性という点では大違い。
@user-se4cq2oc9y
@user-se4cq2oc9y 5 ай бұрын
近世でも司馬史観とか有るし多少はね
@user-ct2bs3mw7t
@user-ct2bs3mw7t 5 ай бұрын
信長さんは小勢力の時でも大勢力になってからも人事を尽くすことを辞めなかったんやなって その上で苦戦することも少なからずあったんだから単に運の良い人間とは言えないですね
@user-ni5tv4yj1m
@user-ni5tv4yj1m 5 ай бұрын
儒教的要素だと、天に選ばれた人=運が良い、天運があるという考えになるのでしょうね。これで割をくらっているのが劉邦だと思いますが(運が良くて皇帝になったみたいな。当然、実力がある人ですが、恵まれた人というイメージありません?)それはさておき、信長って勝つときは大勝、負ける時は最小限の被害なので、全体的に運の要素はやはり少ない気がしますね
@user-lw7jm2wj1k
@user-lw7jm2wj1k 5 ай бұрын
いやはや小瀬甫庵が史実認定可能性とは想像もしませんでした。 本動画を拝見して思ったのですが「運が良かった」は牽強付会に過ぎると感じました。 また今川本陣の位置が報告されたのは出来る限りの事前準備と思います。 強襲奇襲何れにせよ今川川が「こんな方法で来るとは思わなかった」と思えば奇襲になりますし。 また信長本隊の人数が今川各隊を上回っていたとすれば銀河英雄伝説でラインハルトが自由惑星同盟艦隊を各個撃破したのと同じかな(例えがおかし過ぎるけど)
@user-kr4rg1vp2l
@user-kr4rg1vp2l 5 ай бұрын
陸軍が奇襲説を採用したのは、そうした方が士官の教育に役立つからという側面もあると思います。 今川方を敗因を奇襲説だと「兵が相手より多いからと油断した」以外に「戦闘を行う際には戦場予定地域を事前に偵察して敵軍が抜けられるような道やルートを頭に入れていなかった」「雨が降っていたことで視界が悪くなる他、雨音や雷の音にかき消され敵の動きがわからなかった」になり、逆説的に事前偵察の重要性と悪天候時に索敵を行う際の注意点を同時に士官が学ぶことができるという利点が生まれるので。
@Y_Cobalt
@Y_Cobalt 5 ай бұрын
宮田父のあの説教をここで聞くことになるとは思わなんだ…
@user-mt5pg3hx9z
@user-mt5pg3hx9z 5 ай бұрын
信長記と信長公記と混同してましたね。 名前がややこしいんだよぅー
@user-je1ci6pz5w
@user-je1ci6pz5w 5 ай бұрын
出典確認の大切さ
@user-nj4ru7yc2w
@user-nj4ru7yc2w 5 ай бұрын
前回の解説の内容見たうえで、運が良かったコメントがでるとは…そこに一番驚いた
@user-nz9nv4pz8h-大福モチモチ
@user-nz9nv4pz8h-大福モチモチ 5 ай бұрын
せめて、運“も”良かった、ですよね…
@omurago4673
@omurago4673 5 ай бұрын
雷雨が降ったのが「運が良かった」って書いてたな、だから念入りに論破してきたんだろう 事前に出来る事をやった上で義元の本陣迄切り進めたのは実力、討てたのは戦術的僥倖かな もちろん混乱状況を作り出せば可能性はあるし 少なくとも本陣強襲に成功した時点で義元を撤退させる(今回の戦役は勝利)目的は達成できるからね
@user-kf1eo5wg7c
@user-kf1eo5wg7c 5 ай бұрын
どこまで行っても信長は絶対的な不利に追い込まれてることに違いはなく どんなに努力したところで崖っぷちであったことに変わらず 努力すれば運を実力にできると思うという思想はあるかもしれないが そうではなく結局のところ運だから仕方ないよねっていう任天堂みたいな思想もあるので その思想の違いってだけですよ
@user-ey2zs6di1o
@user-ey2zs6di1o 5 ай бұрын
日清戦争・日露戦争ともに情報収集・有利な状況作りは(特に日露戦争では)一応行っていましたが、日清戦争は三国干渉で面子を潰され(賠償金も軍備に消えた)、日露戦争では正直一番欲しかった賠償金は貰えず僻地を押し付けられてお終いでした。その結果「あの戦争に意義があった」という理由付けのために講談じみた戦闘の華々しさだけが悪い意味で印象に残ってしまったと思う。(軍人が冷遇されていた明治後期~大正時代は特に) 最も清とロシア帝国は総合的に見たら「老」大国であって英仏のような「近代的な」大国とは言い難い(清は勿論、ロシアも列強にカウントしていいのか怪しいレベル)し、そもそも何気にどっちも本気を出して戦っていないことを踏まえると戦闘の華々しさも空しい事この上ないですが。
@japanquest7781
@japanquest7781 5 ай бұрын
なぜ「桶狭間奇襲説」が主流になったのか? なぜ日本軍は『作戦・奇襲至上主義』になったのか? この二つの問題が、こんなカタチでリンクしているとは……素晴らしい考察です。
@user-ex5bd3up7q
@user-ex5bd3up7q 5 ай бұрын
今回の話で「人事を尽くして天命を待つ」とはどう言うことかがよく分かったと思います。
@user-ui4mh7ct7w
@user-ui4mh7ct7w 5 ай бұрын
18:33 ロシアがウクライナに攻め込んだのもこんな感じだったのかもですね。
@MUSASI40
@MUSASI40 5 ай бұрын
ロシアにとっても 西側にとっても誤算だったのは ウクライナが 想定以上に粘ったことですね
@mw-mn5fp
@mw-mn5fp 5 ай бұрын
布都ちゃん今シリーズ最後の輝き✨
@rarecoil
@rarecoil 5 ай бұрын
兵力に差はあるけど、戦術で勝てるというなら、本来は正史の桶狭間を参照にした方が良いのにって思ってしまいますね。
@junhori1961
@junhori1961 5 ай бұрын
当時の人も、信長が今川に勝てたのは運が良かったからと思って、侮ってた人もいたんでしょうね。
@SMATTHAUS
@SMATTHAUS 5 ай бұрын
小瀬甫庵の信長記の方がメジャーになった理由ですが信長の功績を小さくしようとした秀吉の意向があったというのもあるのではないでしょうか
@usamirenko12
@usamirenko12 5 ай бұрын
成功するかどうかは運も多いに関係しそうですけど、それは確率を上げる為の取り組みを絶対に否定しえないって所何でしょうか。
@user-oi8lp2es8t
@user-oi8lp2es8t 5 ай бұрын
武家のボンボンなのに「それは良くない」と、兵に混ざっての戦いとか、供だけ連れて賊討伐とか、バ…死ぬような目にあうことをたくさんしていたのかな?  日頃の行い
@user-ee9tj5wp6n
@user-ee9tj5wp6n 5 ай бұрын
これ、絶対昔の大河ドラマに合わせて今年中に終わらせようとしてますよねww
@poporonx
@poporonx 5 ай бұрын
そう考えると、後の“○○の桶狭間”って呼ばれる戦いも、 結構な割合で“地味な戦役自体の装飾の要素”に利用されただけ、なのね。 (考えてみたら鵯越だって攻め込んだ地形が険難なだけで、 結局撃退した陣形と人数を見るとただの正面突破だった、という解釈がある)
@KOBAYASHIMARU3
@KOBAYASHIMARU3 5 ай бұрын
動画投稿ありがとうございます。 このシリーズ最初から「信長さんの事績を創作本ではなく、史実で追いかける!」(ドドドド・・・ とか大上段にやっても良かったですね
@user-qz8xb9tz4v
@user-qz8xb9tz4v 5 ай бұрын
義元『どのみち討たれるじゃん。    くやしいのう…    くやしいのう…おんどれ信長、    酬いを待てや羽柴筑前、    というか織田家、どこいった??』
@user-kz6my6qf1b
@user-kz6my6qf1b 5 ай бұрын
織田信孝の名言がここで見られるとは。
@user-im9hw5if5s
@user-im9hw5if5s 5 ай бұрын
確かに型破りな方法が連続で上手くいくとそっちの方に流れちゃいますよね。信長さんは型破りだと分かってたからこそ型通り出来る時はそれを怠らない…すごいや 格ゲーやってるので運でどうこう言ってる自分に今回の話はぶっ刺さりました😂
@SM-pk8gz
@SM-pk8gz 5 ай бұрын
相手より少ない兵力なのに自分から攻め込んで連戦連勝しとるアレクサンダー大王やスヴォーロフ元帥はどういう思考回路をしてたんだろうか? ナポレオンは対仏大同盟が問答無用でフランスへ攻め込んでくるから兵力で劣ってても否応なく戦わなければならんかったのは分るが・・・
@kaji1493
@kaji1493 5 ай бұрын
「戦術の極意とは突き詰めれば奇襲」、とか何とか誰か言ってた気がする 相手の意表を突くって意味では、アルプス超えからアルデンヌ進撃まで、兵法永遠の課題なんでしょうね
@perry81701
@perry81701 5 ай бұрын
調略で築田から情報を手に入れたなら運じゃなくなるじゃ...?
@aamm11111
@aamm11111 5 ай бұрын
逆に今川方が強襲を許した理由が気になります。攻勢と正面がずれてたってのは素人目にありそうかなと思います。状況を見れば旋回中で止まってしまったのを各陣営が理解できていなかったのか等と妄想すると、東海道が曲がるところでのこの砦配置ですら、そういう目で準備したのかとすら思えてきます。太原雪斎の抜けた穴を自覚できていなかったということなのか。 ちょっと前にこういった戦術的な視点で動画を出されている方が居たかと思いますが、いずれにせよ今の日本ってどちらかと言うと今川に近いと思います。
@user-kr4rg1vp2l
@user-kr4rg1vp2l 5 ай бұрын
おそらくですが佐々隼人達の突撃が失敗に終わったので同じような事をやるまいと今川方の兵が油断したのかもしれない。若しくは2方向から強襲を仕掛けたことで今川軍の対応が分散されたとか。
@user-lc6qh8ch6x
@user-lc6qh8ch6x 5 ай бұрын
jyu家の中には天命は変えられない、とする方もいらっしゃいます 彼らは【努力や工夫で運を手繰り寄せる】ことを否定するために【最初から天が味方していた】と言ったりします 大河ドラマの信長に出てきた随天が易をやっていたのは偶然だろうか(反語
@user-dd1yh5zb5j
@user-dd1yh5zb5j 5 ай бұрын
天候激変による強雨を予測した上で、今川前衛とは陽動作戦で今川本陣を雨中に奇襲すると言う強襲戦術採った可能性は?
@user-gu6cq1gx4g
@user-gu6cq1gx4g 5 ай бұрын
強襲の方がかっこいい! でも今回の場合はどっちでもいいかな? どちらにしても事前の準備ってのはしっかりやっていたみたいだし😊
@showtaxikun
@showtaxikun 5 ай бұрын
序盤:さす浸透さん、3月滑り込み案件w だが興味深いテーマだ。 初盤:要は運か戦略か?ノッブのこれまでの武功考えると後者だな。 中盤:小瀬甫庵 現代に例えると椎名高志・堺屋太一・ヒラコー各先生方ポジ! 「面白いってことは大事なんやで」ですね。 ここが難しいンやけどおもろいお話のほーが面白い、だがあまりに史実(らしき)を曲げるのもどうかな? (まMrジパングやドリフを史実だと思う奴はいない だろな 多分w) たかだか50年前の出来事 どころか最新の出来事でさえ真実と程遠い認識されているのに、真実100%は無理やろ! が主と儂の見解かも知れぬ。 歴史探求こそ沼 しかも足引っ張る糟もといヤツ多数www で、ジャンプ流エンタメを採用し沼るパチ&スロ&公営賭博カス それが当時のぐ・・おっと誰か来たようだ・・ 終盤:勝率の確率・・ううう儂にその話はしないでくれーー(嘆願ww ・・え?成功体験(含むluckyパンチ) 安心したw 儂は”それすら”無い底辺老人65歳なので逆に主後半の「説法」?には刺さらなかったよwwww audienceいろいろww 主渾身の3月最後のパンチ しかと受け賜りました。
@hy9518
@hy9518 5 ай бұрын
現在の自衛隊の幕僚たちは桶狭間や他の戦史をどう学んでいるのか気になる。 未だに「寡を以て衆を破る」心地よさに惑溺してたりしないよね。
@user-ux3ul7tq7p
@user-ux3ul7tq7p 5 ай бұрын
後半めちゃくちゃ大事なこと言ってますね 2021年のアブダビGPを思い出しました
@user-kt7og3wu7u
@user-kt7og3wu7u 4 ай бұрын
必殺技ギガストラッシですね❤
@cyberterro
@cyberterro 5 ай бұрын
作戦術としては強襲、戦法としては奇襲。 個人的には混乱に乗じた暗殺に近いものだと考えてます。 今川勢は数年ぶりの大動員で敵味方の旗印・馬印も認識してなかった可能性も、田楽狭間の湿地で動けない今川勢を外線の機動により本陣を突いた織田勢。
@user-nd5rj5hd8f
@user-nd5rj5hd8f 4 ай бұрын
誰に取って奇襲になったかかなぁ 信長:精鋭でもって強襲かけて何とか本隊敗走させて戦役勝利を得る! 義元:強襲有るかもしれないから前後左右に兵を備える。こっちが大軍だから強襲に一時耐えれば前後左右から後詰加えて撃退出来る。 今川兵:こんな大軍なのに来るわけ無いじゃんw親方様心配性wwってうわぁきたぁ!奇襲だぁ! その後恐慌状態で潰走した兵が本陣までなだれ込んだ所を精鋭につけ込まれて・・・ 今川勢は初戦勝利とか大軍とか本隊は久しぶりの戦とか色々戦意低そう。信長もまさか義元討ち取れるまでは思ってなかったんじゃなかろーか? 家臣:ここまで大勝利とは・・・親方様勝因は? 信長:まぐれだ
@shinasuka100
@shinasuka100 5 ай бұрын
まあ面白く歴史を学ぶ・・においてはそっちのがええよねぇ
@user-wb3qi2ew6l
@user-wb3qi2ew6l 5 ай бұрын
参謀本部が取り上げてしまったせいで、在野の研究者たちが、疑問を呈することができなくなってしまったのも痛いよね。 18:00 これで徐州会戦もやっちまったし、第二次アキャブ作戦もやらかしてしまったし… 敵も見てなければ、自分も見ていない。インパール作戦だってそう。
@kyonchannel6333
@kyonchannel6333 5 ай бұрын
最近の説だと奇襲ではなく、真正面から強襲したようですね
@apuro66661
@apuro66661 5 ай бұрын
確かに何も考えずに運だけで片づけようとする人はたまに見かける。その人の人生の成功や失敗だって運だけで片付かないだろうにって思うんだけど・・
@sabak7390
@sabak7390 5 ай бұрын
いきなり投稿されてて再投稿かと思った。これが奇襲か。
@user-ic8kq8xe7j
@user-ic8kq8xe7j 5 ай бұрын
浸透は流石だなっという納得の一本追加。前半は見事、後半は愛嬌。桶狭間だけでなく虚構が史実とすり替わって定着してる事は多い。歴史における事実はどれだけ知識があるかで全然違うんで個人だけでなく時代によっても変わる。日本の近代戦史につては今も書き換わってる。信長が桶狭間以降は少数での攻撃はしないという一般にも流布してる誤解もウイキペディアレベルの情報で修正できる。
@nagoyashimin569
@nagoyashimin569 5 ай бұрын
折衷案を言っている人もいるから迂回部隊自体が全くないとは言えないんだよね。 但し信長公記の首巻は聞いたことをまとめたものだから必ずしも正しいものではないとも言われている。 信長公記の記述道理なら義元の居場所は全く分からずにとにかく目の前の部隊を叩いてどうにかしたかっただけという事になっちゃう。
@hskmshr5523
@hskmshr5523 5 ай бұрын
義元やその側近の首を取れるとまでは思っていなかった説が有るよ。 家督を継いで最初の戦いと同じで、援軍を出して戦う事が第一目標で、継いで局所勝利を得る事ではなかったかと。 つまり、援軍を出したと言う事実と、一方的には負けてはいない。 この二つの戦略目標を達成する為に強襲したと考えると一番すんなり来る。
@dam5158
@dam5158 5 ай бұрын
受け入れがたい結果や 思いがけない敗戦に 言い訳を探していないか 運がなかったとか これは何かの間違いだとか 間違っていたのは君だ 相手を見くびっていたのだ 認めればいいじゃないか ただ単純な事実として アイツが強かったのだと なんかこの文章がめっちゃしっくりくるんだが… 【珍説】桶狭間の戦い、1997年の日本ダービー説
@abso_16qn_velvet
@abso_16qn_velvet 5 ай бұрын
運が味方しまくって信長さんが勝ったっていう印象を広めたのは、信長さんの能力を認めたくない人が広めたってとこもあるのかな🤔
@吽阿
@吽阿 5 ай бұрын
逆に本当にどうしようも無い時には相手に運ゲーを仕掛けるのも1つに作戦ということか。
@GORUZEBRA
@GORUZEBRA 5 ай бұрын
桶狭間奇襲否定説が主流になってきて奇襲は講談師が作った妄想で無かった・・って論調あるけどさ 太平洋戦争だったかな? 日本軍が米軍に何度も何度も桶狭間流奇襲を仕掛けて全部失敗し、指揮官が信長に習って似たような条件、タイミングで奇襲してるのになぜか失敗する・・ ってのがあって信長は凄いな〜って感じの逸話があるんだが 奇襲がありもしない妄想物語だとしたらその妄想物語を真にうけて死んでしまった兵士たちが可哀想になるね・・ そりゃありもしない机上の空論奇襲の成功例を真似してたら失敗するやん・・
@w_blue
@w_blue 5 ай бұрын
甫庵信長記、小瀬甫庵がだろう作家だのファンタジスタだの言われてるだけある
@dun5926
@dun5926 5 ай бұрын
運要素を極力排し、確実性を高めるって意味では努力全般にも当てはまる気がします。 努力や準備が足りてなくとも運が良ければ成功してしまうこともあるけど、その成功に溺れば必ず何処かであらゆる意味で崩れてしまう。 成功しやすい人というのは、例え成功してもそれに冷静に向き合える人なのかなと思います。 この桶狭間にしたって、信長本人は運が良かったと見ているみたいですし。
@user-jm4gs9jw7i
@user-jm4gs9jw7i 5 ай бұрын
ギリギリ3月(‘д‘ )
@user-ii8pc1es5m
@user-ii8pc1es5m 5 ай бұрын
桶狭間から近代日本軍の方針まで飛ぶあたりはさすが。 ただ、日清日露は確かに大国相手ではあったが、勝てるかもしれないラインまで必死に持って行って、最後の作戦(運要素)頼みだったと私は思うので、結局運だけで勝つのは絶対に無理って事ですよね。
@St_b-sc2uo
@St_b-sc2uo 5 ай бұрын
すげぇ解り易ぃ… 昔の我々の幸運と今の我々の幸運は 昔 自軍の何倍もの敵を倒すのなんてそんな多く無いでしょからの奇襲ロマンを語れた 今 軍等の色々の話や、島津を知っている
@user-rr7eo1cr9k
@user-rr7eo1cr9k 5 ай бұрын
実際にあの辺りを移動してみたら、あそこに数千の兵を持ち込んで停止したところに、襲撃されたら奇襲を受けたようになる事が理解できる。義元公も、まさかこれほどに狭隘な丘陵地だとは思わなかっただろうと思っていたかもしれない。襲撃する進路を見つけ進軍する事を何度も実戦で行っていた信長軍が相手だった事が義元公の不幸。この動画を見て鳴海城救援と尾張と西三河の国衆への示威行動の同時プレイが無理ゲーだと分かる。浸透さんも信長公に首を撃たれる事でしょう。実際の地形を知っているか否かが、如何に戦の趨勢を決めるのか勉強になりました。
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