【ゆっくり日本史解説】『足利義詮の最後』疑心暗鬼と権力闘争の果てに

  Рет қаралды 40,885

れーしch【歴史】

れーしch【歴史】

Күн бұрын

足利義詮の最後を題材にしたゆっくり解説動画です。
足利義詮は足利尊氏の後継者となり、足利幕府の二代征夷大将軍となります。
しかし、カリスマ尊氏の後継者として苦労した部分の多々あったのでしょう。
さらに、足利義詮の時代は守護に強大な力を持たせたりしますが、
利権に走ってしまう部分もあり、上手く行かない事が多々ありました。
そうした中で、義詮は弟の基氏を疑います。
しかし、基氏は無実の証明を行いますが、亡くなってしまい。
数カ月後には義詮も亡くなる事になります。
因みに、足利義詮が亡くなると足利義満が征夷大将軍となり細川頼之が補佐する事になります。
Twitter
/ rvbepg0c4afgpr0
ブログ
imazinnsei.com/
rekishi-shizit...
■■関連動画■■
室町幕府シリーズの再生リスト
• 【ゆっくり歴史解説】室町幕府の成立『激動の時...
鎌倉幕府の滅亡
• 【ゆっくり歴史解説】鎌倉幕府の滅亡
室町幕府の成立『激動の時代の始り』
• 【ゆっくり歴史解説】室町幕府の成立『激動の時...
南北朝時代の始り『後醍醐天皇の崩御まで』
• 【ゆっくり歴史解説】南北朝時代の始り『後醍醐...
奥州の南北朝『地方でも戦いは続く』
• 【ゆっくり歴史解説】奥州の南北朝『地方でも戦...
観応の擾乱『高師直の最後まで』
• 【ゆっくり歴史解説】観応の擾乱『高師直の最後まで』
『足利尊氏の最後』戦乱は終わらず
• 【ゆっくり歴史解説】『足利尊氏の最後』戦乱は...
『足利義詮の南征』~細川清氏の失脚まで~
• 【ゆっくり日本史解説】『足利義詮の南征』~細...
南朝・最後の京都奪還『細川頼之の登場』
• 【ゆっくり日本史解説】南朝・最後の京都奪還『...
『足利義詮の最後』疑心暗鬼と権力闘争の果てに
• 【ゆっくり日本史解説】『足利義詮の最後』疑心...
平一揆『関東管領上杉氏の地盤が固まる』
• 【ゆっくり日本史解説】平一揆『関東管領上杉氏...
北条時行『足利尊氏を敵視した人物』
• 【ゆっくり歴史解説】北条時行『足利尊氏を敵視...
九州の南北朝
• 【ゆっくり日本史解説】九州の南北朝『九州南朝...
背景:Tree Simulator 2021
音楽・にこにこコモンズ様
commons.nicovi...
素材 きつねゆっくり様
www.nicotalk.co....
動画作成ツール:ゆっくりムービーメーカー3
manjubox.net/y...
AquesTalkライセンス購入済み

Пікірлер: 44
@user-zh7kf2tb8c
@user-zh7kf2tb8c 3 жыл бұрын
待ってました!れーし太平記! れーしさんの太平記ですっかり佐々木道誉のファンになりました(笑) ちなみに私の中で佐々木道誉は陣内孝則で脳内再生されます
@user-pz3yr8pc1w
@user-pz3yr8pc1w 3 жыл бұрын
陣内孝則の佐々木道誉は得体が知れませんでしたなwww.
@user-zh7kf2tb8c
@user-zh7kf2tb8c 3 жыл бұрын
@@user-pz3yr8pc1w 「毛利元就」の陶晴賢、「軍師官兵衛」の宇喜多直家といい、陣内さんは大河では得体の知れない切れ者役が多いですよねwww
@user-pz3yr8pc1w
@user-pz3yr8pc1w 3 жыл бұрын
(´‐ω‐)σ
@宴は終わったが
@宴は終わったが 3 жыл бұрын
私も、佐々木道誉=陣内孝則というイメージです。
@00237046
@00237046 2 жыл бұрын
@@user-pz3yr8pc1w 陣内さんの佐々木道誉は良かったですね あと、陶隆房も好きです。
@user-tl3yo3nw7w
@user-tl3yo3nw7w 3 жыл бұрын
基氏ええ弟やなぁ…。でもこの後の関東がなぁ…。どうしてああなった。
@user-mh5xp7xn6z
@user-mh5xp7xn6z 3 жыл бұрын
いつも楽しく観ています 南朝派ですがこうして観ていると 足利もいいですね、勉強になりました。
@my-eg8ge
@my-eg8ge 3 жыл бұрын
人を信じる事も疑う事も毒にも薬にもなるし、その良し悪しは時と場合によると思う。その使い分けはまさに神業だしその才能があって周囲が従う初代はまだしも、初代を継いだ2代目以降の心労は相当でしょうね。
@user-lo9ro2uv5b
@user-lo9ro2uv5b 3 жыл бұрын
投稿お疲れ様です 最期の様子は描かれなかったけれど、 私はこのシリーズの中では後村上天皇が一番好きでした
@harigane4773
@harigane4773 3 жыл бұрын
兄と弟のときは関係良好に保てても、代を重ねるごとに疎遠になってしまうものだろうし、義詮は組織の長として非情に徹して幼少の自分自身のように義満を下向させるほうがよかったんじゃないのか。 という感想をこの動画を見て思いました。 あとは代々プリンスオブウェールズみたいな形にするということで。
@EXACON-wf6ek
@EXACON-wf6ek 3 жыл бұрын
管領の上杉憲顕の影響も大きかった 基氏の配下に桃井直常みたいな武闘派がいたら 人の良い基氏は第二の直義になっていたかも
@tfujisaki72jp
@tfujisaki72jp 3 жыл бұрын
足利義詮 戦いに明け暮れた一生でしたね。
@user-uc2jt1fi1r
@user-uc2jt1fi1r 3 жыл бұрын
今のサムネも大好きです!
@user-bo2ci1bf3f
@user-bo2ci1bf3f 3 жыл бұрын
なんだろう、高師直の時を見てるような既視感。 斯波高経、高師直の末路からなにも学ばなかったんだろうか。自分だけは大丈夫と思うのが人間らしいが、流石にこれは……
@user-sl8fs5fp1k
@user-sl8fs5fp1k 3 жыл бұрын
思えばここから始まったんだよなぁ…………京の将軍と鎌倉公方の因縁
@user-rc8wj9zx4q
@user-rc8wj9zx4q 10 ай бұрын
細川家の進展は頼之から始まるのですね。
@user-ux4tg1mr8g
@user-ux4tg1mr8g 3 жыл бұрын
昔あった(今でもある)まんが日本史では、確か「十コマ出てるか出てないか」な存在の義詮がここまで熱いとは……。
@sugisinfkk
@sugisinfkk 3 жыл бұрын
あんなの読んでたら間違った知識がつきそう
@user-ux4tg1mr8g
@user-ux4tg1mr8g 3 жыл бұрын
@@sugisinfkk 殿>ま、とっかかりのエンタメだしw(ま、漫画もアニメも…中にはマズい表記も多々あってツッコミどころ満載…だけど…そう楽しむものだから)
@sugisinfkk
@sugisinfkk 3 жыл бұрын
@@user-ux4tg1mr8g おっしゃるとおり最初だけにしといたほうがいいですね。 なかには武田信玄や上杉謙信の幼少のころから出家名にしているありえない歴史マンガもありましたから。
@user-ux4tg1mr8g
@user-ux4tg1mr8g 3 жыл бұрын
@@sugisinfkk 殿>今でも楽しんでますよ。(漫画版は…北条早雲wの巻までは買ってその先行けず、アニメも…住んでた所では戦国まで行かなかったんじゃないかな)とっかかりにして高等専門教育で専門的方面に行くもよし、これまたアヤシイですがw教科書を基礎に時代劇等のエンタメ路線に行くもよし←私は専門的なのも見たり読んだりして取り入れつつエンタメとして楽しむ派ですが。
@user-wn1oq8nz5x
@user-wn1oq8nz5x 3 жыл бұрын
この義詮が死んだ時てどんな南朝側の武将がいたんでしょうか?楠木正儀と北畠顕能位なもんでしょうか?
@サウンドオフ
@サウンドオフ 3 жыл бұрын
騙し討ちで非業の死を遂げ怨霊扱いされ神社まで建立され その後江戸時代に大人気になった新田義興 報われた・・・と言っていいのかはわからんけども
@himatstosh6236
@himatstosh6236 3 жыл бұрын
歌舞伎の「神霊矢口渡」はこの新田義興暗殺事件が元ネタらしい
@hirosat5269
@hirosat5269 3 жыл бұрын
この時代のトップにいたら義詮も長生きできないよなあ・・・。
@user-kf1eo5wg7c
@user-kf1eo5wg7c 3 жыл бұрын
太平とはなんと長い道のりであることか
@user-nm7or9rf6z
@user-nm7or9rf6z 3 жыл бұрын
お久しぶりです 斯波氏って足利一族の中でも特別で、初代の家氏は当時の足利家当主泰氏の長男、かつ正室の子で、母は執権北条氏の名門一族名越氏出身(当主光時の姉妹)で、本当なら文句なしに足利家当主になるはずの人物でした。 ですが、名越氏は北条得宗家と仲が悪く(初代で光時の父朝時は祖父北条義時の正室の嫡男だったが、不始末で義絶され、嫡流は庶兄の北条泰時となった。このため祖父時政以来の屋敷を引き継き名越氏を名乗った朝時とその一族は、最大の家格を誇るが本家となった得宗系と仲が悪かった)、光時は1246年に宮騒動というクーデター未遂事件を起こして失脚、この時親族として罪に問われる事を恐れた足利家は、名越氏出身の正室を側室に降格、代わって得宗家の北条時氏(北条泰時の子で北条時頼らの父)の娘が泰氏の正室に入ります。 そして家氏も後継者の地位から追われてしまいます。 ですが、元々は正室の子で後継者扱いを受けていた事もあり、家氏は他の一族とは違う待遇を受けます まず謀反未遂を起こしたとはいえ、北条一族でも最大勢力であった名越氏を、得宗家もこの時点ではそれほど処罰する事はせず、実際光時も死刑にはならず流罪で済ませています(強硬派だった光時の弟時幸のみ自害) このため、名越の血を引く家氏も得宗家から冷遇された訳ではなく、それどころか家氏が尾張守を称していた事から「足利尾張家」として、足利家当主となった弟頼氏(時氏娘とのと同格の鎌倉御家人として遇します 以後、この家系は「足利尾張家」として足利家本家と同格扱いとなり、これは尊氏と高経の時代もそうでした なので名前に北条高時から一時拝領した「高」の字を、高経が名乗っているのも、高氏(尊氏)と同格の鎌倉御家人だったからです。 ※因みに尊氏と高経は同い年です 実は鎌倉幕府滅亡から足利幕府成立、そして高経が死ぬまでの間、彼らは「斯波」ではなく「足利」を称しています 高経自身も彼の存命中「斯波」を称する事は一度もなく、常に「足利」を名乗っています ※斯波の名字の初見は息子の義将からですが、戦国時代に至っても史料上では依然として斯波姓で記述される例は殆ど確認できないそうです。 尊氏と同い年、そして一族の中でも唯一、本家と同じ「足利」を名乗る名門、こうした状況だった高経が直義や尊氏の死、一続で有力者だった仁木氏や細川氏の権力低下などで、相対的に影響力が増すのは当然です ですが、高経自身は執権への就任以来があった時は否定的だったそうです 元々、義将管領就任については、最初は高経自身に依頼があったそうです ですが、上記の通り「足利」を名乗る高経としては、管領という役職は「家臣がするもの」という認識があり、それに就くことは足利本家の下になるという事になるのでプライドがそれを許さなかったようです ですが、この頃より管領(かつては執事と称していた)という役割が、足利本家のプライベートな役割から、幕府運営の実質的な指導者という役割も加わるようになって、旨味もあるものになっていました そこで子息を代わりに管領に付け、その後見をすることで、高経のプライドも、管領としての旨味も、双方が上手く済むようにします 高経には息子は幾人かいますが、長男の家長は北畠顕家との戦いで討死、次男の氏経は高経がかつて足利直冬を擁して反旗を翻した時にそれに従わず、以後幕府に復帰した高経と折り合いが悪く、九州探題に就任するも攻略に失敗するなどしていて不適格、三男氏頼は佐々木道誉の娘婿でその後ろ盾もありましたが、高経は道誉が介入するのを警戒して彼を冷遇していたので、結局四男の義将を管領に推したわけです (因みに氏頼はこういった父の仕打ちに世をはかなんで出家したそうです) 長文になりましたが、斯波氏って実は足利一門でも別格で、一門というよりは足利宗家と同じ、といってもいい一族だったんですよね だから室町期中も三管領家の筆頭として常に遇されていた訳です ただ、本当だったら将軍にもなれるだけの家格だったのを、管領という「家臣」の地位に甘んじてでも「管領になる旨味」を獲った、したたかな一面を持つ一族だったとも思います
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p 3 жыл бұрын
勉強になりました。乙
@宴は終わったが
@宴は終わったが 3 жыл бұрын
今日も動画ありがとうございます。 義詮と基氏との関係は、徳川政権時の家光と忠長との関係と似ているものがありますね。ただ、違いとしては基氏ははっきりと義詮支持を鮮明にしたということですね。 鎌倉公方が世襲だったことが後々の対立の原因というのは私個人は「たられば」的な要素があると考えます。任命制だったとしても足利幕府自体が不安定だと結局反乱を起こされる可能性もあったのではと考えます。
@himatstosh6236
@himatstosh6236 3 жыл бұрын
京と鎌倉が仲が悪いと言っても直接戦ったのは永享の乱ぐらいじゃなかったっけ
@user-cr3hr8sj1e
@user-cr3hr8sj1e 2 жыл бұрын
基氏…
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p 3 жыл бұрын
なんだか良い人間が あっさり死に過ぎでは? も、もとうじー! 28歳は若過ぎやろ、基氏が早く亡くなり 過ぎたせい(義詮の猜疑心のせい)もあって、京都と関東の安定した制度が作られ なかったように見えますね。 まるで明治10年のように次々に主役が 亡くなる時期だったようですね。
@2ytku723kp
@2ytku723kp 3 жыл бұрын
斯波高経の長男・家長が奥州に下向した時に、 今の岩手県紫波郡紫波町あたりに斯波館を構えた話があり紫波の地名の由来になったとか 義詮は晩年かなり猜疑心が強くなってたし逆に長生きしてたら南北朝合一が遠のいてたのかも…
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p 3 жыл бұрын
ようつべ界の片隅で 熱く燃え上がる室町愛の焔 ワイもいつの間にかズブズブと 底なし沼に呑み込まれてしまた
@takar9316
@takar9316 3 жыл бұрын
宇都宮氏綱って、足利直義軍にとどめを刺した人ですよね?
@user-sz4qi3tp2v
@user-sz4qi3tp2v 3 жыл бұрын
切ないです。 もっと兄弟で力を合わせられたらと思うと。 周りの人間が自分の利権保全に走る時代なのかなと思います。
@user-wj6pi8wr6q
@user-wj6pi8wr6q 3 жыл бұрын
ですね。関ケ原まで掌返し(裏切り)が一般的だったらしい時代。側近というのか廻りも権力争いが多そうだし。一部は忠義を尽くしても負ければ賊軍。
@v6w95fkucqpe1igfyzei
@v6w95fkucqpe1igfyzei 3 жыл бұрын
義詮には悪いけど… 次回真打ち登場な感が…
@user-un6zp8de7m
@user-un6zp8de7m 3 жыл бұрын
つぎはお待ちかねの足利義満。
@user-ru1gn6dz1r
@user-ru1gn6dz1r 3 жыл бұрын
この拗れが「幕府」vs「鎌倉公方」という構図、そして各国大名の動きにも影響出るんだよな…。
@user-cs8cy5wz1b
@user-cs8cy5wz1b 3 жыл бұрын
どどん♪
@user-fr6wo8gx3u
@user-fr6wo8gx3u 3 жыл бұрын
今まで空気とか言ってごめんなさい
The FASTEST way to PASS SNACKS! #shorts #mingweirocks
00:36
mingweirocks
Рет қаралды 13 МЛН
when you have plan B 😂
00:11
Andrey Grechka
Рет қаралды 24 МЛН
拉了好大一坨#斗罗大陆#唐三小舞#小丑
00:11
超凡蜘蛛
Рет қаралды 16 МЛН
【ゆっくり歴史解説】観応の擾乱『高師直の最後まで』
58:43
れーしch【歴史】
Рет қаралды 183 М.
『北条時行』鎌倉幕府再興を果たした中先代 #逃げ上手の若君
24:19
戦国BANASHI【ミスター武士道】
Рет қаралды 145 М.
【鎌倉幕府滅亡1/3】その原因は?悪党/僧兵/凶作//皇位継承問題……etc.
41:34
戦国BANASHI【ミスター武士道】
Рет қаралды 180 М.
【ゆっくり歴史解説】室町幕府の成立『激動の時代の始り』
1:02:08
【ゆっくり解説】江戸幕府の将軍家と御三家の確執!!!
27:15
にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
Рет қаралды 99 М.
北条時行の生涯  幕府再興を諦め南朝に属してまで打倒足利を目指す
18:53
RekiShock レキショック 日本史情報発信中!
Рет қаралды 175 М.
足利将軍家シリーズ 室町幕府第4代将軍「足利義持」
15:11
えんのおづぬ【歴史人物紹介】
Рет қаралды 53 М.