碓氷峠専用機として登場したのに廃線となってしまいお役御免となってしまった悲劇の機関車’’峠のシェルパ’’こと「EF63」【ゆっくり解説】

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ゆっくり鉄道博物館

ゆっくり鉄道博物館

Жыл бұрын

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BGM
 OP 『Dramatic train』 TAM Music Factory
 劇中 曲名『Train』 作曲 Ryu Ito            ryu110.com/train/#google_vign...
鉄道唱歌-First Train Arrange-【DL】
    高宮いぬかみ 旧 高宮魔女
ED 「LAMP BGM」様
#鉄道 #ゆっくり解説

Пікірлер: 314
@thankyoue4max85
@thankyoue4max85 Жыл бұрын
長野の親戚の家に帰る時にいつも乗ってました。特急は協調運転時、空気バネの空気を抜くので振動が強くなり、ズズン、ズズンと力強く登っていく音と雰囲気が好きでした。カーブ時、車窓から前方や後方を見るとEF63が見えカッコ良かったです。横川でEF63を連結する時間で峠の釜飯を買ったり、連結シーンを見るのも好きでした。無くなる時はとても残念で悲しかったです。緑色で窓を大きくし、座席もグレードアップした189系あさまが大好きでした。489系白山も良かったです。
@user-rb8ev5gh3d
@user-rb8ev5gh3d Жыл бұрын
以前、碓氷鉄道文化村に行って現地で元機関士の方にEF63の説明をして貰いました。 本当に苦労する話から機関車の構造まで、上野方の機関車に重しを付けているのは驚いた登ってる時に編成が真っ直ぐ保つ様にしてるとは意外だった。
@user-ug5sf5nx2q
@user-ug5sf5nx2q Жыл бұрын
鉄道ファンではないけれど、この話を聞くと 勇敢な車両に魅了されました お二人の詳しくわかりやすい解説大好きです
@wowiketch7708
@wowiketch7708 Жыл бұрын
「峠のシェルパ」感動しました。急な勾配、困難を乗り越えていく姿。その姿が私たちの心に残り続けるんでしょうね。
@user-zz2dr6vv6k
@user-zz2dr6vv6k Жыл бұрын
シェルパーは今尚偉業を称え残ったがアスリートは脳裏にも残らず消え去った。可哀想EF200よ。
@wowiketch7708
@wowiketch7708 Жыл бұрын
@@user-zz2dr6vv6k 返信ありがとうございます。不遇の列車もあるのですね。そんな多くの列車たちが日本の高度成長を支えてきたのだと思うと最前線で戦った戦士たちのようですね。いつまでも覚えて置いてあげたいです。
@1candk
@1candk Жыл бұрын
66.7‰の坂道はほんと凄い! 二年前、根性のない私は熊ノ平から横川までを散策しました。 上から見たあの坂は本当に急で 自分の身体を加速させないように歩くだけでも大変だった。 下りも大変だか登りも大変だったんだろうと実感している中 遥か向こうからズンズン進んでくる人が上がってくる…… 白髪の老夫婦がにこやかに挨拶をしながら急な坂をものともぜず 往年の63重連を思い起こすかの様な足取りで上がっていく。 その数は一組だけではない(驚) 今では63の勇姿は見られないが 微笑ましい老夫婦の重連を見る事は出来ますよ😊
@waizumanandori5363
@waizumanandori5363 Жыл бұрын
ロマンの塊だから大好き
@user-iy6dh3vd9i
@user-iy6dh3vd9i Жыл бұрын
強く同感です‼️🤗
@RK-yc9ys
@RK-yc9ys 10 ай бұрын
お疲れ様です。 ギア比の低速よりな〝EF62、EF63〟は、〝碓氷峠仕様〟だった為引退してしまいましたが、兄弟機種で中速よりギア比の〝EF64、EF65〟は、今でも活躍している車両がありますね。SL〝ぐんまよこかわ〟のバックアップとしてはEF64が走っています。 ちなみに、 〝鉄道文化むら〟から、今でも旧信越本線の下り線、軽井沢方面への登り勾配を〝峠の湯〟まで体験乗車できますね。 〝トロッコ列車シェルパくん〟に乗り、途中の〝旧丸山変電所〟を過ぎて左にカーブして少し行ったあたりに、今でも〝65.0‰〟の勾配表示があります。
@masuyamada
@masuyamada Жыл бұрын
50代半ばの上越地方生まれ。 昼行の特急「あさま」で帰省のときは。横川での63連結時間に買い、台車ずれ防止のためバネ空気を抜いたカタゴト車内で食べた「峠の釜めし」。 夜行の客車急行「妙高」で戻る際は、軽井沢で63重連+62の三重連。 力強いブロワ音が懐かしいです。
@user-iz9wp2gm2l
@user-iz9wp2gm2l Жыл бұрын
EF63の相方であったEF62は横軽経由の貨物列車廃止後は一部を残し東海道・山陽本線の荷物列車に転用されていた。国鉄末期の86年11月まで活躍していた。
@user-fl6js5sv3x
@user-fl6js5sv3x Жыл бұрын
横軽は何度も乗ってるので印象強いですね。 489、189、169、80、115、旧客に14系客車。 横川の「峠の釜めし」は有名だけど、軽井沢の「ゴルフ弁当」「テニス弁当」のユニークな容器も好きだった🍱 北陸新幹線が開通してめっちゃ便利になったけど、同時に味気無さを感じずにはいられない。
@lydianian
@lydianian 9 ай бұрын
歴史の重み。アプト式がああなってたこと、アプト式がなぜ廃止になったか、は教科書には出てこなかったナゾで解明された。すばらしい動画。
@kamokamo42
@kamokamo42 Жыл бұрын
電気機関車に興味を持ち鉄道に興味を持った。 それは仕事になり現在は貨物で機関車のマスコンを握っている。ありがとうロクサン。
@user-iy6dh3vd9i
@user-iy6dh3vd9i Жыл бұрын
おおっ‼️🤩
@user-bf5ke7qy3m
@user-bf5ke7qy3m Жыл бұрын
うすい鉄道文化むらで EF63運転してます こうして動画にしてくれて ありがとうございます
@user-be3px9uu3s
@user-be3px9uu3s Жыл бұрын
碓氷峠の大変さが分かる話ですね!😊😊
@user-bf6lc9hb6o
@user-bf6lc9hb6o Жыл бұрын
急勾配の極。
@user-qz6ub6tv6y
@user-qz6ub6tv6y Жыл бұрын
横軽間が廃止になる前に上野駅から直江津行きの特急あさまに乗りましたが横川駅でEF63を連結するときの振動や横川を発車してゆっくりと登っていく光景は良い思い出でした。 EF63形機関車は車重が重すぎて他線区で走行するとレールへのダメージが大きすぎるので転用できなかったとも聞きます。
@syamu_game.aiueo700
@syamu_game.aiueo700 Жыл бұрын
EF63の車両重量を重くすればレールとの粘着もあがるのでわざと車重を重く作ったとも聞いたことがあります。
@user-fn3112ux4t
@user-fn3112ux4t 9 ай бұрын
重量って重要 しかしいらんとこはいらんもまた事実・・・
@Fairy-tail4161
@Fairy-tail4161 Жыл бұрын
この区間は若かりし頃EF621に牽引された寝台急行能登号で通った記憶が有る。この動画で横川駅にまた行きたくなった。ありがとうございます。 屋外展示車両の劣化が激しく鉄道文化むらの状態自体があまり芳しくない気がしますね。 歴史的にみてもただの廃線区間ではないので確実に存続する事を願います。
@user-nr1wq1xb2j
@user-nr1wq1xb2j Жыл бұрын
多分、その急行「能登」は、上越新幹線開業で、元々信越本線経由の急行「越前」福井行きを、金沢止まりにして改称された列車です。元来の「能登」号は上越線経由の金沢行きでした。
@Fairy-tail4161
@Fairy-tail4161 Жыл бұрын
@@user-nr1wq1xb2j さん、有難うございます。先述のとおり横川駅停車の記憶がないのですが、乗車したのは1989年春ですので信越本線経由ですね。 夜中直江津駅で時間調整していた記憶だけあります。早朝富山駅に着いてますのすし弁当を買って駅で食べました。
@user-nr1wq1xb2j
@user-nr1wq1xb2j Жыл бұрын
@@Fairy-tail4161 信越本線経由になった「能登」は金沢到着が早い時間なので、到着してからしばらくはホームにて停留措置のサービスが取られていた様な話を聞いています。記憶が定かではありませんが。
@junichif17
@junichif17 Жыл бұрын
帰省する時に信越本線を利用していたので、とても懐かしく感じました。機関車連結のための横川駅停車時間に、釜飯を買いに走ったのもよい思い出です。
@user-iy6dh3vd9i
@user-iy6dh3vd9i Жыл бұрын
横川の釜飯は現在でも上信越自動車道のSAで売られてますね。近年、仕事で通ったついでに買って帰ったものの、決して旨いとは思えなかったです😞 やはり当時の現地で食べるのが1番と思う祭りの出店みたいな😁 ちなみにソレの例の空容器は現在も保存しておりますです❗🤗
@junichif17
@junichif17 Жыл бұрын
@@user-iy6dh3vd9i さま 私も空容器、保存してます。何故か捨てられないんですよねー。^_^
@user-iy6dh3vd9i
@user-iy6dh3vd9i Жыл бұрын
@@junichif17さん コレって鉄道ロマンの極みですかね?あの横軽の碓氷峠越えは蒸気機関車では不可能で古い時代の山岳鉄道をそのまま採用したアプト式ですね。しかしその工事は多数の犠牲者伴った「黒部ダム」に通じるカタチでシベリア鉄道も戦争に於ける捕虜達が過酷な労働環境での…😰 ちなみに、ただでさえ狭く限られた日本列島に、更に自然環境破壊してまでリニア新幹線は必要なのかと岸田総理に聞きたいモンですね❗🤔
@MAX-xy7hf
@MAX-xy7hf Жыл бұрын
このような貴重なお話が、スマホさえ持っていればどこに居ても気軽に視聴できるようになって素晴らしい!!以前は考えられなかった事です😭 EF63形がこんなにも人々の思いや苦労が詰まった車輌だとは知りもしませんでした。ためになりました! 昔の人は本当に苦労して、時には犠牲も払って、多くの困難を乗り越えてきたのだと思います。 この碓氷峠の鉄道敷設も、そこを走破する事も、凄く大変だったと思います。 今の時代は極楽です!
@nori3081
@nori3081 Жыл бұрын
一番好きな機関車です。 私にとって、横軽は「鉄道の聖地」です🚋💨
@user-qz4ew1yn9n
@user-qz4ew1yn9n Жыл бұрын
ゆっくり鉄道博物館さん最近本人が好きなんだろうなって思える動画作ってる感じして高感度高い
@Central313
@Central313 Жыл бұрын
63、64、65は大人しめな見た目で重厚感あってかなり好き。
@user-fl7vz6lx6p
@user-fl7vz6lx6p Жыл бұрын
最後まで見通しました なぜあの地域で過去の鉄道の歴史について盛んに振り返られているのか理解できました
@co-z8547
@co-z8547 Жыл бұрын
空気ばねの空気を抜いて走る振動が大好きでした。振動を感じつつ食べるおぎのやの釜めしで旅情は最高潮!
@inouemutsuki5622
@inouemutsuki5622 Жыл бұрын
小さい頃に本でしか見てないけど、パンタグラフ全出しで、碓氷峠を通るEF63は圧巻でしたね。
@ma-ww9hr
@ma-ww9hr Жыл бұрын
ケツが痺れる独特の乗り心地になる横軽区間。 当時は何も考えてなかったが、理由が分かって改めて凄いと思った。 路線的にも電車的にも。
@hiro-jj9cc
@hiro-jj9cc Жыл бұрын
4:12貴重な歌声
@Itomako.1991nao.
@Itomako.1991nao. Жыл бұрын
一回だけでも、特急あさまで軽井沢までいけばよかったと思うアラフィフでした。
@user-bl6vk8gs1x
@user-bl6vk8gs1x Жыл бұрын
同じです。
@user-km1jv4ug1n
@user-km1jv4ug1n Жыл бұрын
16:45 転属できない理由はEF63がいろいろ積みすぎて車重がめっちゃくちゃ重くなり他路線で走ると線路を削りながら走ることになるから転属の話は無くなった。
@user-bk6rs2js4d
@user-bk6rs2js4d Жыл бұрын
平坦路線走行なら、最高時速100Kmで運転可能なパワーを有していただけに、実に残念ですね
@user-zz2dr6vv6k
@user-zz2dr6vv6k Жыл бұрын
その百キロも滅茶苦茶トルク重視な為電気使用料莫大。
@fnfal1690
@fnfal1690 4 ай бұрын
⁠@@user-zz2dr6vv6k モーターはEF60、62と変わらないから消費電力はたいして変わらないと思いますよ 軸重が大きいのが問題
@user-wz7vp9cs2v
@user-wz7vp9cs2v 2 ай бұрын
車重が重いのは勾配を登ってるときに空転して走行不能にならないように重りを載せて車輪を線路に押し付けているから。 定期検査のために大宮工場に運ぶときは重りを全部外して自力回送していた。
@fnfal1690
@fnfal1690 2 ай бұрын
ソースは知らんが、電磁吸着ブレーキと死重を外せば軸重は16トン これが本当ならEF60とか65と軸重では同等な訳か でも結局弱め界磁の設定とかで高速性能に難があるだろうし、そのままだと転属はむりだったんだろうなあ
@user-vv4hs3qh3n
@user-vv4hs3qh3n Жыл бұрын
EF63形電気機関車は横軽対策として特殊な装備が多かったので横川~軽井沢間が廃止となると他に用途がなく年数も経っていることから碓氷峠鉄道文化むらなどに保存する以外廃車も致し方ないですね。
@user-bf6lc9hb6o
@user-bf6lc9hb6o Жыл бұрын
総重量が108㌧と最重量電気機関車であったEF63形電気機関車。
@user-cu3zu6nl6u
@user-cu3zu6nl6u Жыл бұрын
ちょうど30年前の2月24日に、特急「白山」を上野−金沢間を乗り通した。大学受験のため。普段遠出しない家庭だったので、ワクワクしたよ。けど、えらい時間がかかった。いい思い出となりました。その後も帰省などで何度か乗ったよ。
@magusashi
@magusashi Жыл бұрын
最近全部のものが効率を求めるだけだからこういうロマンは本当によい
@jjjj6075
@jjjj6075 4 ай бұрын
現役当時は経済的合理性があったから存在していた。別にロマンのために存在したわけではない。
@user-lb9qi1ov9m
@user-lb9qi1ov9m Жыл бұрын
わかりやすく、勉強になりました。ありがとうございました。
@MrFfmoon1221
@MrFfmoon1221 Жыл бұрын
EF63型、懐かしいなぁ… バンドの追っかけやってた頃、長野から東京方面行くのに特急・夜行・普通車とずいぶんお世話になりました。 横川では連結時間にダッシュで峠の釜めし買ってました。 あの駅弁売りの従業員さん達が列車が出ていく時にずっとお辞儀をして見送ってくれた光景が忘れられません。 碓氷峠鉄道文化むらとアプトの道は一度行ってみたいですね。 懐かしい動画、ありがとうございました。
@user-rt2nk2nl4k
@user-rt2nk2nl4k Жыл бұрын
特急と連結しているのが好きです。
@user-sc5kk5qm9y
@user-sc5kk5qm9y Жыл бұрын
多分横軽専用ではないと思うけどコンビで活躍していたと思われるEF62もとりあげてほしい
@user-mc1vx8wu3g
@user-mc1vx8wu3g Жыл бұрын
EF62は中央東線や篠ノ井線とかでも運用されていましたからね~ あと偶に御殿場線で貨物(太平洋セメントの)運用とか霜取り列車として早朝見かけましたよ。
@yamamouu
@yamamouu Жыл бұрын
「毎日の重労働を黙ってこなす男」って感じですごく渋くてかっこいい! 1度でいいから乗ってみたかったなぁ
@user-ie6gw7wm9n
@user-ie6gw7wm9n Жыл бұрын
すごく、わかりやすい説明、感謝します。 最終列車の長大な涙の汽笛を思い出し、感じ入りました。
@user-qf1pl8zb7k
@user-qf1pl8zb7k Жыл бұрын
懐かしいな 機関車わ連結するまでの待機時間、登り下りのガコガコいうノロノロ運転、切り離しの時間… 今では新幹線で超スムーズ…
@user-zz2dr6vv6k
@user-zz2dr6vv6k Жыл бұрын
まぁそんだけ人のみ流れる新幹線で対応出来る区間って事だね。物流なんぞトラックでOK。良いな。まぁシェルパー自体登山者の補助だからな。でも電磁強制粘着システムは素晴らしいよね。
@abt66.72
@abt66.72 Жыл бұрын
1:47用地の関係からスイッチバックやループ式が使えないことはありません。しっかり計画のひとつになってます。 2:36 犠牲者500人は出ていません。
@user-ii3xb1lc1l
@user-ii3xb1lc1l Жыл бұрын
旅客列車については動力分散化と出力アップで碓氷峠を除けば次第に克服された。 碓氷峠に限らず板谷峠に瀬野八と鉄道による貨物荷物郵便輸送が物流の中心だった時代は難所でもソコを越えるしか無かった。 碓氷峠を通常の粘着運転による改良が計画されたのが1950年代で実施されたのが1960年代初頭。 道路は舗装道路すら少なく雨が降れば水溜まりと川になり車両は泥まみれという有様。 まだまだ鉄道と船舶が物流の中心だった時代。 SL時代から補機には汎用性なんてものを捨てたスペシャルでないと務まらなかった。 貨物に限れば最近“梅田峠”が誕生した事で補機はまだまだ現役。
@user-ip8pm3ud8m
@user-ip8pm3ud8m Жыл бұрын
新幹線の開業は決定的でしたが、1984年2月に横軽経由の貨物列車が廃止された時点で運命は決まっていましたね。上越線、中央線に割り振れば信越線は必要なし。
@leadsolo6029
@leadsolo6029 Жыл бұрын
当時の再現がKZbinにありますね 機関士チルノの碓氷越え 個人的にはニコ動の方がオススメです(投稿者がコメントで解説してくれる)
@user-ck5vq5ke1p
@user-ck5vq5ke1p 11 ай бұрын
動画見ましたけど、余計なやりとり・無駄口を喋っていたのが残念でしたね。 実録動画を見ると、機関士さんは指差呼称以外は無言で運転に集中して鬼気迫るものがありました。 無駄口を言わせなくても真剣さを伝えられることはできると思うので、あの動画は作り直して欲しいですね。
@user-667sinnetu
@user-667sinnetu 6 ай бұрын
@@user-ck5vq5ke1p だが、「東方projectの二次創作」としてはあれで完璧なんだよなあ
@changnabe2606
@changnabe2606 Жыл бұрын
1:25 >日本の様々な場所に鉄道が敷設されるようになると >東京から新潟に至る路線を完成させるために これは正確ではない。 確かに碓氷峠を含む信越本線は長野回りで東京と新潟を結ぶルートとして最終的な地位を確立したが、 あくまでも建設当初は、京阪神と東京を連絡する鉄道(中山道鉄道)の一区間という位置づけだった。 すなわち、東京・大阪周辺でしか鉄道インフラが整備されておらず鉄道網の完成は全く見通せない黎明期に 東海道本線と同格の東西連絡のメインルートととして計画されたもので、 概ね現在の東北本線、高崎線、信越本線、中央本線、東海道本線を繋げたようなものだった。 ルート選定のための調査は、実に新橋・横浜間で日本初の鉄道が開業した1872年の2年後の1874年にまで遡る。
@hishii1716
@hishii1716 Жыл бұрын
客車で高崎~軽井沢間を何度も旅行しました。 客車は窓が手動で開くので、夏などはトンネル内も窓を開けて通過していました。 客車の窓から顔を出したりして、スリルを楽しんだ思い出があります。 (いまなら絶対ニュースレベルになる) やっぱり、峠の釜飯とプラスチック製のボトルに入った緑茶を思い出します。 当時は釜飯が500円でした。
@anago34
@anago34 Жыл бұрын
瀬野八で補機つかなくなったら日本の鉄道補機も終焉かなぁ、と思ってたのに 21世紀も令和になってまさかの新規補機が爆誕するとはまったく予想外だった。しかもうちは地元だし
@user-fn3112ux4t
@user-fn3112ux4t 9 ай бұрын
セノハチは永遠に不滅❓
@user-kv1rd8pj6h
@user-kv1rd8pj6h Жыл бұрын
EF63の電磁吸着ブレーキは止まるのが目的では無く停車を維持する為のものらしいですよ
@user-ih6ye7qw1u
@user-ih6ye7qw1u 6 ай бұрын
使用された事は、一度も無かったそうです。
@user-fk4sr5no9n
@user-fk4sr5no9n 8 ай бұрын
EF 63は自分にとっても特別な存在だなぁ近々碓氷峠鉄道文化むらに会いに行こうかな
@user-uj6te5bm4k
@user-uj6te5bm4k Жыл бұрын
あの独特な甲高い音が懐かしいですね。新幹線になってからバス使うようになりました。そこまで速達性必要な距離でもないのに高い!
@user-br8qb8un8t
@user-br8qb8un8t Жыл бұрын
懐かしいですね。アプト式は過密ダイヤには出来なかったから横川から高崎寄りと軽井沢から長野寄りは過密に出来ても横川 軽井沢間は単線の為出来なかった。63が登場してから途中にある熊ノ平を中継に一列車しか走れない規則がある。前の列車が熊ノ平を通過しないと横川を出発出来ない。逆もそうです。単線でもいいから復活して欲しいですね。
@user-ce4jl1sw7m
@user-ce4jl1sw7m Жыл бұрын
最急勾配66.7‰って、日本どころか、世界レベルの険しさでしょう。
@user-bk1sp2gc8q
@user-bk1sp2gc8q Жыл бұрын
ちなみに、世界的には480‰が最高で、日本で似たような体験をしたいなら東京の王子にある飛鳥山公園のアスカルゴがおすすめですな 勾配を計算すると450‰になるので、登山電車気分が味わえます また、近所を走る都電荒川線の王子駅前と飛鳥山の間にある急坂は、碓氷峠と同じ66・7‰です
@user-bk6rs2js4d
@user-bk6rs2js4d Жыл бұрын
箱根電気鉄道 京阪電鉄にも、66.7‰があったように思います
@user-zz2dr6vv6k
@user-zz2dr6vv6k Жыл бұрын
​@@user-bk6rs2js4d 箱根は良いけど、御京阪って関西では下衆いって認識だよ。何でも有りって云う意味で。因みに下衆いって酷い言われ方ですが反面尊敬とか偉業の妬みも有ります。唯一長編成の路面使用維持とか非常災害時にも普通に運行とか。南海の様に莫大な先行投資で維持継続運営はまぁ解るがソレせず魔改造やコツコツ維持で繋げ激戦区を未だ駆け抜ける凄さは全国区では解り難いだろうね。
@jn2eex
@jn2eex Жыл бұрын
​@@user-bk6rs2js4d 京阪の方は京都市営地下鉄東西線開通と引き換えに廃止に
@Vtec_spirit_hayate
@Vtec_spirit_hayate Жыл бұрын
1975年に横川運転区へ向かっていた、 EF62,EF63号は碓氷峠の途中で脱線し、 EF62,EF63-5と9号機の4両全車が廃車になるという事故だった。 連結の制限 181 あさま 8両 189 あさま 11両(9両もあり) 489 白山 能登 9両 169 妙高&とがくし 10両
@user-us6bp6fx7w
@user-us6bp6fx7w Жыл бұрын
今のJR、特に東日本を見てみると、仮に長野(北陸)新幹線の計画が無かったとして、この区間の為だけにJRがELを拵えるとは到底思えないので、いずれ補機不要な電車が開発されるか、若しくは第三の新線ができてどっちにしろ横軽のシェルパは63が最後になったと思う。
@sunami808
@sunami808 11 ай бұрын
昭和59年にこの区間の貨物列車が無くなったのも大きい。第三の新線が新幹線
@user-xt4nb7en4g
@user-xt4nb7en4g Жыл бұрын
一見大きそうに見えるEF66の重量が100tちょいのところ、EF63の方が108tで最も重い国鉄機関車なんですね。あの箱に安全装置をぎっちぎちに詰め込んでたから…。
@user-hq3fu6hu8q
@user-hq3fu6hu8q 2 ай бұрын
もっとも、EF58型電気機関車113t、マンモス貨物電気機関車EH10型電気機関車に至っては、118tとEF63型電気機関車よりも重量級だったが!
@DB-eq4hd
@DB-eq4hd 9 ай бұрын
EF63最晩年の横川周辺は一部の心ない人によるネガティブな話も実に多かったですね。それはともかく、EF63の影に隠れた悲運の横川通過用専用機EF62をぜひ取り上げてください。63の2倍以上の54輌が製造され、地味ながら横軽だけでなく、山陽本線でも使用されました。63と比べ、日陰の存在だったかもしれませんが、日本形唯一のC-C軸配置で、63同様の特殊装備を持った62は、信越本線の急行 能登、越前、妙高などを牽いた知られざる名機と思います。
@user-ln3lr9js5f
@user-ln3lr9js5f Жыл бұрын
急行白山や能登の489系と協調運転しているイメージしかなかった。 一回でも横軽区間乗りたかったなあ。
@mogurofukuzo10
@mogurofukuzo10 Жыл бұрын
横軽間は、新幹線開業前に何度か乗ったことがあります。EF63の概要については鉄道雑誌で知っていましたが、改めて見ると勉強になります。 できれば、画像にあった、自分がよく知らない双頭連結器について解説をしていただけるとさらによかったです。
@user-uh3yn1jw9c
@user-uh3yn1jw9c Жыл бұрын
自分はいわゆる鉄ではないので、つい数年前までは、碓井峠で電車を引っ張ってる機関車と、ブルートレインとかを引っ張ってるEF65は同じ物だと思ってました。まぁ、今でも、パッと見では区別出来ないですが…数年前に鉄道文化村に行って初めて別モンだと知りましたよ。 関係ないけど、文化村は、廃線を利用したトロッコ列車、ミニSL、ミニミニSLなど、乗り物が結構あったので、鉄分少な目でも楽しめました。子どもを連れて行ったら、結構楽しんでくれました。 公園内には、お座敷客車の廃車を休憩スペースにしてたり、何故か、碓井峠と関係なさそうなEF58とか関門海峡用のかな?みたいな機関車も展示されてるので、鉄ではないけど小さい頃「でんしゃのずかん」を見てたくらいの大人も楽しめるように思います。
@a2s54ghu76
@a2s54ghu76 Жыл бұрын
EF63との協調運転用に造られた489系電車、189系電車、169系電車は横軽間が廃止になっても使えたのとは対照的ですね。
@user-ze4fk1gw3e
@user-ze4fk1gw3e Жыл бұрын
高校の頃、夏休みを利用してクラスの友達と3人で東京へ日帰りの卒業旅行 へ行きました。その時に乗った信州リレー号を軽井沢で停車中に降りてEF63と連結する所を撮影しました。このときに連結した信州リレー号は確か185系(特急踊り子で使用していた方ではない)でした。
@user-oo2mk5xs5o
@user-oo2mk5xs5o Жыл бұрын
EF63は最終手段のブレーキとして電機子短絡スイッチがありました モーターを意図的に破壊するため1度しか使えませんが……
@user-fn3112ux4t
@user-fn3112ux4t 9 ай бұрын
山はどこでも上るより下るのが重要なんすね しかしコレが169.189.489系が登場したんだよね
@user-gn3oo4wh6k
@user-gn3oo4wh6k Жыл бұрын
碓氷峠の電気機関車は凄く大好きです。 やはり峠を越える機関車はいつ見ても逞しくてカッコいいですね! 私のいる九州には肥薩線という路線があり、そこは矢岳越えと呼ばれる九州一の難所があります。そこでもEF63形のように、昔は専用機器類を装備したデゴイチ(D51形蒸気機関車)が活躍してました。その1台が今も矢岳駅という駅に大切に保存されています。 碓氷峠越え用EF63形と矢岳越え用D51形が力を合わせたら、凄く迫力ありそうな気がします😆
@TheKANEDA28
@TheKANEDA28 Жыл бұрын
EF63と同い年で生まれ、同じ66.7‰を走破し、同じ1997年に線路廃止で引退した京阪80系はすごい電車なんだなと改めて思った。
@user-zz2dr6vv6k
@user-zz2dr6vv6k Жыл бұрын
御京阪地道にパネ〜よ。台風でも洪水でも関西に無い積雪でも通常運行。御京阪が止まった時は関西激ピンチってバロメーターに成ってますね。
@h_hiro_1982
@h_hiro_1982 Жыл бұрын
北陸新幹線から見える軽井沢駅東側にはまだ架線柱等の遺構がそのままになっていますよね。 寂しい風景になったものの当時の横軽超えの要衝の雰囲気が色濃く残ってます。 あの風景見るのが大好きです。
@Sendai5rou
@Sendai5rou Жыл бұрын
2022年11月に碓井峠鉄道文化むらに行ってきたばかりです。 あさまを2台機関車で引っ張り上げる(実際は押上)姿がかっこよく見えたので、磯部温泉の時に行きました。(帰りは富岡製糸場) 昔の御殿場駅でも似たようなものだったのかなと空想します。 雨の一日だったので休日でしたが人手は少なかったです。 今まで思い込んでいたのと違うことが多く驚いてました。 鉄道模型のデモが結構なものだと思います。 おぎのやの前を通ってすぐにあるという話を帰ってからしたら「なぜおぎのやで食べてこなかったの?もったいない」 一般の人の興味は釜めしだったようです。近所のスーパーでも駅弁フェアで釜めしはすぐに売り切れます。
@user-ryu5831
@user-ryu5831 Жыл бұрын
鉄道文化村小学生の頃行って以来行けてない😢あさま最終日はニューステで見た 昔は横川駅側線にEF63、189系停まってたからな。乗った事ないけど昔の信越本線、北陸本線は特急街道ですごいと思う
@user-bo3wf6fh4p
@user-bo3wf6fh4p Жыл бұрын
三月中に碓氷峠にやっと行くことができるからめちゃ楽しみ
@user-iy7mx1lc4f
@user-iy7mx1lc4f Жыл бұрын
一度しか特急あさまに乗ったことありませんが記憶に残っております。横川駅の釜飯旨かったのとすごい急勾配を登って行くもんだなと当時小学生だった小生は覚えております。あと軽井沢駅でレンタサイクル家族で借りたのですがすごーーーく乗りにくかった(笑)のを覚えております。
@konkonchikichiki2411
@konkonchikichiki2411 Жыл бұрын
タモリさんがブラタモリでEF63を体験運転してましたね
@homarejumo2134
@homarejumo2134 Жыл бұрын
一度横川からめがね橋まで線路沿いに歩いて登った頃がありましたが、かなりきついです。
@t.c.8374
@t.c.8374 Жыл бұрын
鉄道を長い事苦しめ続けた事で有名ですからねぇ… >碓氷峠
@user-yi8go4ws1m
@user-yi8go4ws1m Жыл бұрын
1001は確か映画「風立ちぬ」に登場し! 映画の中でもラックレールを走っていました!
@Mamenosuke467
@Mamenosuke467 2 ай бұрын
JR時代に「急行能登」(14系客車使用)が使われた時の話。横川駅でかなりの時間を要して連結作業・エアサス台車の空気抜き取りなどを行い。ようやく動き出した時の速度は人間がジョギングかマラソンする位の速度で、しかも深夜帯。振動がもろに伝わりまるで引きずられてる(客車列車だから電気機関車に引きずられるのは当たり前の事)ような感覚で軽井沢まで無事に到着。機関車の取り換え、エアサス台車の空気充填などの工程を経て、無事に軽井沢を出発。まぁこの間ズルズルと音を立てながら碓氷峠を越えてゆく正に峠のシェルパの活躍を体験しました。エアサスの空気を抜かないと14系客車の車輛が浮き上がる危険性がある(下手をすると崖下に堕ちて今の自分は存在しなかったでしょう)事もこの時知りました。その14系客車お世辞にも座席は簡易リクライニングチェアで、ストッパーが付いてないので仮眠するにもちょっとでも体重を掛けないと車内にバタン!と音がする曲者座席でした。12系客車ならそんなことは気にしませんが(ボックスシートなので)兎に角横軽には重要不可欠な電気機関車だと認識した体験をしました。まぁ関西圏には地下鉄運用から登山電車、そして路面電車の3刀流の京阪800系が横軽並み小関越えの急こう配を4両編成を右へ左へくねらせて走る電車や、高野線の橋本~極楽橋間をキーキー鳴らしながら(紀伊と冠の付いた駅とキーキーを掛け合わせた桂文珍の落語のマクラに使われた)走る電車も走っています。
@user-mo1ts3ev8g
@user-mo1ts3ev8g Жыл бұрын
碓氷峠を乗り越える為のシステムですよね。小2の頃に乗りました😊思い出がたくさんあったので廃止は、残念ですね😢
@user-zr8zm3oe6s
@user-zr8zm3oe6s Жыл бұрын
現役時代に横川であさまに連結中父が名物の釜飯を買って来てくれたのを思い出しました。
@user-wj6wc4xg2d
@user-wj6wc4xg2d 7 ай бұрын
EF63型は横川~軽井沢間を往き来した峠のシェルパと呼ばれ、軽井沢へ向かう場合は列車の後部に、一方の横川へ向かう場合は前部に2両連結されていました。by酒向正也
@user-mc1vx8wu3g
@user-mc1vx8wu3g Жыл бұрын
EF63と言えば、連結切り離し時に横川駅で買った峠の釜めしを思い出しますね~ あと懐かしのポリ茶瓶とか またEF63は運用区画も廃止ってことで脚光を浴びましたが 同じような運用なのに殆ど注目も浴びずにフェードアウトしたEF71(板谷峠用)も特集して欲しい
@na3_wrrrbdlb
@na3_wrrrbdlb Жыл бұрын
あのお茶不味かったなぁ…
@user-xc8zx9fo8e
@user-xc8zx9fo8e Жыл бұрын
ラックレール時のキハ57は空気ばねに空気を入れます。床下機器にラックレールが接触するのを防ぐためです。よいしょ!と車体を持ち上げていたのです。 粘着運転になってからは電車の空気ばねをパンクさせました。編成がノコギリの歯のような形になることで、車体と足回りが分離しないようにするためです。実際に乗るとツルツルの鉄板の上をパンクした自転車でゆっくり走っている感じです。微妙に骨に響く感じでした。40㎞/hくらいで走っていました。 横川・軽井沢両駅では4分くらいの停車時間で手際よく機関車の付け外しをします。横川ではこの間に乗客が「峠の釜めし」を買います。器は「益子焼き」でした。 上越線より先に開通した信越線はこの区間のみが廃止になりました。25パーミル別線案が採用されていたら今も存続していたかもしれません。 最近のJR東日本は短編成の4ドアオールロングシート車が多すぎやしまいかなんて思います。観光地でもこんなのが走っています。「効率化が行き過ぎてサービスがなおざりにされている」気がします。乗客数が少ないのなら、ラックレール式に戻せばいいなんて思いました。大井川鉄道よりは乗客数は多いはずです。箱根登山鉄道のようにもできます。 「峠の釜めし」を食べながら登った碓氷峠の記憶は、古き良き時代の話しです。
@user-is9gx8ij5k
@user-is9gx8ij5k 8 ай бұрын
碓氷峠を超えるトンネルを最初から作って、あとは複線化していれば廃線を回避できたかもしれないのになー
@user-rv7zz1cu2n
@user-rv7zz1cu2n Жыл бұрын
まさかEF63を引退に追いやったE2系(赤帯)が先に姿を完全に消すとは思わなかったですね😃
@suga44164
@suga44164 Жыл бұрын
碓氷峠に行って撮影したのが懐かしいね、97年9月の廃線寸前の土日にも行ったけどあの賑わいはもうないだろうね。
@user-df3fg3jj1u
@user-df3fg3jj1u Жыл бұрын
EC40は酷い時には、全12輌の内、4輌しか動か無い事も有ったそうです。
@user-zz2dr6vv6k
@user-zz2dr6vv6k Жыл бұрын
複雑過ぎて整備力が足り無かった!でもアノ時代から既に鉄道先進国だったんだね。
@user-iy6dh3vd9i
@user-iy6dh3vd9i Жыл бұрын
いわゆる横軽超えは鉄道ロマンとして様々な思いありますです‼️🥰
@daiki1119
@daiki1119 Жыл бұрын
長野新幹線で一番煽りをくらったのは横川駅周辺だと思う。
@user-ik3ec5xg3b
@user-ik3ec5xg3b Жыл бұрын
新潟県も伸びなければ、北陸延伸は無かったから偉く迷惑
@user-tk5tv8hs9l
@user-tk5tv8hs9l Жыл бұрын
小諸駅周辺の凋落ぶりも激しいです。
@s.hr-vermouth656
@s.hr-vermouth656 Жыл бұрын
​@@user-tk5tv8hs9l小諸は小諸市民が望んだ結果だから知らん。
@jn2eex
@jn2eex Жыл бұрын
峠の釜めしが…
@naotowatanabe7319
@naotowatanabe7319 Жыл бұрын
似たようなパターンは奥羽本線に投入されたEF71も同じように山形新幹線開業でお役御免になってしまった。
@kuha111
@kuha111 Жыл бұрын
碓氷峠鉄道文化むらにたくさんあっていいですよね~
@MAX-xy7hf
@MAX-xy7hf Жыл бұрын
自分も行ってみたくなりました!あと、個人で保存所有している人が気になります、どんだけお金かかったのか😳
@user-em8nd2jo5k
@user-em8nd2jo5k 6 ай бұрын
63の、あのやかましすぎるブロアーの轟音と、峠を登り降りしている姿が懐かしいですね。
@mic-bm6ky
@mic-bm6ky 9 ай бұрын
1997年9月中旬、横川駅で開催されたさよならイベントに参加しました。 EF63車両の部品や関連グッズのオークションは大盛況でした。 使用済みのベアリング15,000円はお得だったのか当時は理解出来ませんでしたが、今思えば買っておけば良かったかな?
@takn3008
@takn3008 Жыл бұрын
すごいっす‼️ 楽しい😂
@touhou-nitori
@touhou-nitori Жыл бұрын
一度は碓氷峠越えてみたかったな横軽
@user-fl7vz6lx6p
@user-fl7vz6lx6p Жыл бұрын
動かす方法が違うけどスリリングな比叡山のケーブルカーは角度18度らしい。ぶっとい捻れた金属のケーブルで釣り上げられていく。 66パーミルって4度くらいですかね?それぐらい簡単そうと思うが重たい車両を登らすのは大変なんだねえ。 昨年バスの事故もあったし登りより11キロの連続下りのほうが緊張感あるね。多重ブレーキも納得。
@einsfia
@einsfia Жыл бұрын
計算したら3.8度くらいでした でも一般的な斜度表示にすると6.67%の坂道ということになるから 自転車や原付で峠登ったことある人ならけっこうキツイのが理解ると思う 摩擦の少ないレールじゃ登るのも減速するのも大変だろう ・・・ちなみに角度18度を斜度にすると33%になるからこれは完全に激坂レベルw
@user-sj9kh3vx6u
@user-sj9kh3vx6u Жыл бұрын
お召し列車の話がありましたが、横川駅で搬入されたお弁当が「峠の釜飯」だったとか?それから有名になったらしいが、高崎駅の「だるま弁当」と中身はさほど変わらなかったような気がします。「峠の釜飯」の器は昔、益子焼きの行商人があそこまで販売にいったらしい?
@ぴぴ星
@ぴぴ星 Жыл бұрын
JR貨物の現役機関士の友人と鉄道文化むら行ったときに本線を運転する免許あるって言ったけどやっぱり同じように訓練受けないとダメって言われた。 まあ係員の元機関士の人とはいろいろ話が盛り上がったけども。
@user-ru2hw7sv5p
@user-ru2hw7sv5p Жыл бұрын
1996年8月から現北陸新幹線工事が始まってから碓氷峠を走ってきた団体 臨時電車と185系の普通列車が運転をおえた それからは北陸新幹線の工事がすすんできたことにはらがたってきた それはさておき97年9月30日35年の歴史に幕を閉じた 泣いたよ
@user-rl5ss5dw7x
@user-rl5ss5dw7x 3 ай бұрын
80歳を迎えた父が乗っていたと聞き興味がありました。修学旅行などの特別車でと。 碓氷峠鉄道文化村行きたいです。車では碓氷峠行くのですが…
@user-tk3sz6im1m
@user-tk3sz6im1m 8 ай бұрын
EF63を知らない人は鉄道ファンではないぜ
@kojikoji-gm5qj
@kojikoji-gm5qj 3 ай бұрын
EF63は 40年以上前におばあちゃんに買ってもらった雑誌 鉄道ファンに特集があって知った機関車です。 実物を見たことは,北長野駅周辺の車庫にとまってるの見かけたぐらいしか記憶にないです。
@sakukobayasi
@sakukobayasi Жыл бұрын
この路線で上京・里帰りしていた身としては、信越本線が無くなるなんて想像すらなかったなぁ・・・
@chappie_76
@chappie_76 Жыл бұрын
廃線になる半年ほど前、乗車したときに横川のホームで峠の釜めしを買っている際に先頭車両に何か連結しているなぁと、何となく見ていたのがEF63だったのですね。 今は新幹線や高速道路もあるからコストがかかるから廃線になったのですね(T_T)ちょっと残念
@rse071891
@rse071891 Жыл бұрын
横川駅から軽井沢駅までまだレールは繋がって居る。
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