動画とてもおもしろく拝見しました。 本題にあまり関係ない点ですが、フェルマーの最終定理について言及してる箇所の間違いが気になったのでコメントさせてください。フェルマーの最終定理、正しくは「 x, y, z が連続した自然数のとき」という条件はついておらず、「3以上の自然数nについて、x, y, z をどんな自然数にとっても x^n + y^n =z^n が成り立たない」という主張です。 ところで、数学では「定理」というのは基本的には証明がされた命題のことを指し、正しいと思われるが正しいことが証明できていない命題は「予想」と呼ばれます。フェルマーの最終定理はフェルマー自身が証明を見つけたと主張していて、今となってはそれが事実かどうか確認する術もないので、歴史的にそう呼ばれていますが、ワイルズが証明を与えるまでは誰も証明を持っていなかったので、「フェルマーの予想」と呼ばれることもあります。 少し込み入った歴史的経緯を書くと、フェルマー自身も実質的に n = 4 の場合の証明は持っていたようです(これは記録が残っています)。n = 4の場合を除けば、n が 2 以外の素数の場合に帰着されるのですが、n = 3 の場合もn = 4の場合と近い議論で比較的簡単に証明されます(それでも中々大変ですが)。n = 5, 7 については個別の証明が発見されましたが、それ以降しばらく目立った進展がありませんでした。19世紀になって、クンマーが登場すると大発展がありました。クンマーは円分体の整数論の深い考察を行い、多くの n の場合を一気に証明しました。クンマーの証明は、n がある仮定を満たすときに フェルマーの定理が正しいことを証明したもので、具体的に n が与えられればその n がクンマーの仮定を満たすかどうかは計算でチェックできます。ただ素数は無限にあり、そのうちどれだけが仮定を満たすかはまだ分かっていません。ある数学者はおよそ 60%くらいの素数がその仮定を満たすという予想を立てています。ただ、革新的だったクンマーの新理論をもってしても、全ての n の場合の証明はできず、そこからワイルズの完全な解決に至るまでにさらに100年以上の年月と、整数論の圧倒的な発展が必要でした。 ワイルズによって証明された現在、結果的に証明に必要だった数学の深さを考えると、ほとんどの専門家は、(仮に別の証明方法があったとしても)一人でそこまで理論を発展させることは到底出来ないだろうからフェルマー自身は証明を持っていなかったに違いない(例えば、証明に論理的なギャップがあったが、出来たと勘違いしていた)と考えています。一方、見た目のシンプルさからは想像がつかないほどフェルマーの定理が本質的に難しかったため、多くの数学者が証明に挑戦する課程で、現代数学を支える重要な発見が色々生まれました。フェルマーの最終定理の主張自体もさることながら、個人的には研究の過程で得られた実りはそれ以上のものだったと思います。
@cho-un3 жыл бұрын
@@decoponism 『フェルマーの最終定理、正しくは「 x, y, z が連続した自然数のとき」という条件はついておらず』 これは私も見た瞬間に気付きました。まあ本筋じゃないのでツッコミませんでしたけどね。 連続した自然数という条件だと厳し過ぎて成り立たないのは自明です。 もしこのような予想だったら証明は簡単だったでしょうね。
英語でも He is broad of shoulder,narrow of hip. (彼は肩が広く、腰がしまっている) It is very kind of you to help me!(手伝ってくれるなんて、あなた、とても親切ね) のように "of" で「主格補語」みたいなのをとる文章があります。 日本語は決して特殊ではないけど英語とは違う方向に突き詰めた言語ととらえることができますね。
「古池“や” 蛙とびこむ 水の音…」 主語の抹殺とは全主体化とも言えますね。短歌(恋歌)から俳句への進化命題(自意識の超克)でしょうか。 英語にもこんなイディオムが― “all in all is all we all are……“ ニルヴァーナ/all apologiesですね。 ケン・ローチの“I,Daniel Blake”もイイ感じです。
40年近く前に「象は鼻が長い」読みました。そのとき「は」と「が」の役割が違うことを知り大変感動したことを覚えています。「こそ」と「けれ」との関係でみると「は」は「である(だ)」と係ると認識しました。 現在日英技術翻訳の仕事をしていますが、元の日本語が「象は鼻が長い」的な文章にしばしば出会います。「は」で提示した枠は「である」でとじられるとして、その枠の中に「が」で導かれる要素を、関係節的に入れることにより解決しています。An elephant is (an animal) whose nose is long. と解釈するようにしています。その意味では、「象は鼻が長い」はそのあとに「動物である」が省略されている構造とも考えられます。 久しぶりに三上さんの話を聞けて良かったです。