自己意識の

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茂木健一郎の脳の教養チャンネル

茂木健一郎の脳の教養チャンネル

Күн бұрын

「私」の #自己意識 は、宇宙の歴史でたった一回生まれ、死んだらその後は「無」であるという考え方は正しいのでしょうか? 私のコピー人間は私と同じ自己意識? 私と他人の意識の関係は? 生まれ変わりや前世は?
#もぎけんの脳の言葉 #意識 #コピー人間 #生まれ変わり #前世 #茂木健一郎

Пікірлер: 46
@Naoshi-wb3ty
@Naoshi-wb3ty Ай бұрын
1:01 そうだね~
@テトラニャンコ-n8h
@テトラニャンコ-n8h 13 күн бұрын
茂木さまのアイコン、かわいい絵ですね。 自分で描かれたのですか?
@nekoneko5505
@nekoneko5505 2 жыл бұрын
動画を途中まで見たところでのコメント。やはり、「私であること」は肉体に結びついている気がします。コピーされた同一の2つの脳が1つの肉体に結びつけられていた場合、その2つの脳は、同じ脳であり続ける気がします。足をぶつければ、2つの脳が痛みの信号を処理する。もう1つの私の存在を知らないまま。ただ、その脳がそれぞれ顔を持った時、同じ顔であっても、目、耳、口を持ち、話始めた時、「私」は分化する気がします。
@のり-k5e
@のり-k5e 2 жыл бұрын
デカルトのコギト、考えているところのものがある、から次に進めない。 私の意識以外のものは存在するのか、私の身体は存在するのか。 クオリアがヒントだろうか。自己意識とは何だろうか。
@kazmarjp7980
@kazmarjp7980 Жыл бұрын
2年前の動画にコメントするのも気が引けるが、例えば唯識でいうところの末那識までは私という肉体を持った物質的存在に属しており、これには自己意識のセントラルドグマは存在するのではないだろうか。そして阿頼耶識というものが自己意識の本質であると考え、それが肉体に依存していない=物質世界でなく精神世界の存在で、そこは、何らかの素粒子が相互作用している世界と考えるならば、意識というものは一つしか存在していなくて(大意識)、私個人の自己意識というものは大意識というものが物質世界で経験し、大意識を深化?進化?させるための肉体に反映された意識(小意識)と考えられないだろうか。スピリチャルでいうところのワンネスとかホールネスという概念に近いが、哲学的及び物理学的に今後もっと研究される価値がある分野ではないだろうか。意識というものは身近な存在であるにもかかわらず、その存在やメカニズムが全く解明できていないということは、意識こそこの世界の本質なのかもしれない。
@changeleaderplatform
@changeleaderplatform 2 жыл бұрын
意識はすべてのヒトで同じ。そういう意味では意識は一つ。これも意識の定義次第になります。
@clmentksh
@clmentksh 3 жыл бұрын
今日もMogi先生の脳から生まれるアイデアをエサに 今日も生きていく……♬❤︎♬❤︎♪❤︎
@中古プレイヤーのテストチャンネル
@中古プレイヤーのテストチャンネル 6 ай бұрын
茂木先生の懐疑には納得ですね。スワンプマンのパラドクスなどの下らない設問などには、そもそも時間と連続性が条件としてるのに答えにはそれを含む事を許さない下らなさがあると、個人的には鼻で笑っています。 生まれ変わりに関しては物理的な再現性はあり得ない事もないし、それであれば人間の親から産まれた方が確率が高いよね、自己意識に関しては連続性が極めて難しいと。 セントラルドグマに関しては物質全てが同じ時間軸二次元的に動いているとする前提がナンセンスだと、三次元以上のレイヤー構造でようやくあるかないか判別出来るんじゃ?とぐらいしか。難しいので
@iy0331
@iy0331 9 ай бұрын
陽電子が時間的に逆行しているから、四次元空間の中で電子ではたった一個だけが存在していると見做せるということでしょうか。初めて聞く概念でとてもわくわくしました。 本動画でおっしゃられていた事は、意識とはこの世界を個々の視点(座標)から観測している何か大いなるものの一部であるというような話に聞こえました。 知識がなく恐らく全然内容が理解できていないので、先生のご著者を読んでみたくなりました!
@nekoneko5505
@nekoneko5505 2 жыл бұрын
コピーされた脳…。一卵性双生児の脳はどのくらい同じなのかな、と思いました。 →途中から、一卵性双生児の話が出てきました…。このパターンは実験済ということですね…。
@LIFE-vy6km
@LIFE-vy6km 3 жыл бұрын
確かに
@sa-kw1pq
@sa-kw1pq 2 жыл бұрын
珊瑚やらなんやらはともかく個体動物は当然に自己認識を持つ、免疫と一緒の身体性、ということでいいんでしょ。
@yoshikawa5807
@yoshikawa5807 2 жыл бұрын
また今日みさせていただきました。よく理解できてましたが、極論のところで今回も飽和状態になってしまいました。意識は一つという考えでどうしても飽和状態になります。もしかしたら、物質をハードウエアとし、機能をソフトウエアとして、意識がハードウエアーを通じて表れるのがソフトウエア、同一された意識が私の脳を通じて表たのが私の意識?というとらえ方でもあってますか?少し進歩しました。
@vajrasttva金剛薩埵チャンネル
@vajrasttva金剛薩埵チャンネル 2 жыл бұрын
初めてお目に掛かります。アナタは現在生きている此の世に於いてのみ、存在していると解釈しました。しかしてそんな魔法の様な突然発生方式が成り立つのでしょうか。我々は人間になる前、野菜だったり、肉食獣であったり、昆虫であったり様々な前世から、因果の法則により父母の体内に入りそれは性欲の因果を経て受精し、認識としては最終的に人として妊娠出産された。それが私達です。確かにそこに本人の情報のカケラは無くとも、素材としての因果として人は生まれてくる事が出来る。それに至る迄には、或いはウンチから、或いは火葬の煙から雲に上り雨となってやがて沢山の生物の水分補給となり養分となり、或いは土葬により大量の虫の養分から、又それを食したより強い生物、更にそれを食らうより強い生物から、人に捕獲され人の口へ届き、その人の栄養素から性欲を得て、又人へ生まれ変わる。 私達は親のキ○玉に行き着く迄に、これだけの長い六道輪廻を得て、ようやくキ○玉へ辿り着くのですよ。この様に考えれば、生まれてきたときには真っ白な脳としてスタートする訳ですよ。 アナタは単に現在の自我を失う事を恐れている訳です。だから最新の量子力学やらアバターを持ち出し、自我を失わず存在することに拘る訳です。突然発生し、死ねば全て終わると言う論理は、物質的にもあり得ません。子孫を残し、自分は雲の様に時には見えなかったり厚く覆って雨を降らしたり、循環の中で形を変え存在し、やがては何かしらの生物に宿る。なのでお釈迦様は六道輪廻を喩えとして出し、そこから解脱し永遠の安楽を得る。これがお釈迦様の教えです。そこに最早自我は在りません。宇宙の真理と同化したからです。(飽くまでも私の解釈で言いたい放題失礼しました。)
@小高正行-p4d
@小高正行-p4d 4 жыл бұрын
もし未来を見るタイムマシンみたいなのがあるとしてそれですぐ先の自分を観察してるとする。あるいは過去の自分を観察してるとする。もうここでややこしくこんがらかってるが、そういうようなかたちでしか客観的に存在するとした自己意識みたいなもの頭に入ってこない。もしずっと先の未来の自分が観察出来てもそれが自分かなってなかなか思えないんじゃないかと思う。さらにもしちょっと先の未来の自分に近づいていってぴったり重なったとするとその時私は何を思っているのだろう。重なった瞬間にフラクタルに意識が発散して連続性がどっかへ飛んじゃうような気がする。ひとりの人の一生の意識はDVDみたいなもので見ることはできないような気がします。デカルトの劇場みたいなことでそう万能じゃないというかコウモリであることがわかっちゃうのはまずいなってことですかね。
@福谷裕子-h2t
@福谷裕子-h2t 4 жыл бұрын
ものすごく興味深いお話で 何回も何回も聞きました 茂木先生の 文庫本 すぐ読みたいです
@禰刀一人
@禰刀一人 2 жыл бұрын
遠い抽象的な話なので、あまり興味を持てなかった。 同一性のパラドックスを持ち出すのですが、変化の内容を面白く出してるのではないので、「あり得る話でしょ」と言われても、「どんな空論でも、仮定することは可能ですよ」と考えてしまう。 「意識の仮想空間構築仮説」とか「前野仮説」とかに並ぶ茂木仮説をぜひとも語ってほしいです。
@yoshikawa5807
@yoshikawa5807 4 жыл бұрын
全く同感です。私のコピーは作れないとおもいます。情報の内容ではないとおもいます。情報の内容を同じにしても私のコピーは不可能ではないかと私は今のところ考えています。
@TheMomography
@TheMomography 4 жыл бұрын
面白くなってきました!私の意識は、見知らぬ彼や、あなたや、今は世にいない人や、まだ生まれてない赤児と一つだということですかね。これなら、なぜ、人を殺してはいけないのか?という疑問に答えられると思いました。なぜならそれは私自身もしくは一部であるから。 先生が仰ったことが五次元の話に通ずるのも面白い。選択しなかった世界が存在する宇宙。たのしいです。ありがとうございます。
@kazunorisugama
@kazunorisugama 4 жыл бұрын
「同じ」をどう定義するか?って話だけに感じた。
@hiroto.paradise
@hiroto.paradise 4 жыл бұрын
非常に濃密な内容でした
@yoshikawa5807
@yoshikawa5807 3 жыл бұрын
あれから8ヶ月がたって、また見させていただきました。自分自身あまり理解できてなくて、部分だけを同感していたようです。何か同一なものがあってそれが脳を通じて違う表れ方(私の意識)をしている、それが私だという考えでしょうか。この考え方をしたことがありません。メモっておきます。
@yoshikawa5807
@yoshikawa5807 4 жыл бұрын
もう一度後半を見させていただきました。おっしゃっている趣旨を理解する為です。自己意識は基本的に他と関係では壁がありると今のところ感じて言います。別物で、それで関係が面白くて関係で成り立っていて、それが同じにしてしまっているように感じるんです。
@中根桂子
@中根桂子 4 жыл бұрын
大変興味深く、茂木さんの扱う知の領域を垣間見させていただくことが出来た心境です。感謝いたします。 新参のカトリックとして。。。と言ったらよろしいのかどうか定かではありませんが。。。 目下の私の立ち位置から申し上げるとするならば。。。 ズバリ! 命は一回生だと思います。 輪廻転生については。。。経験不足から、確たる意見を持たないので、コメントを差し控えます。 ただ、イエスは蘇ったとキリスト者は考えますし、そう信じる人が殆どです。 しかしこの「蘇り」は、普段私たちが言及するところの「生まれ変わり」のことではないと思います。 そして私は、俗にいうところの「守護」の存在は、それぞれが、気づいた/気づく、信じる/信じない。。。の別に拘わらず、またその数も不定で、無限の可能性の内に、存する、と信じます。 先日の茂木さんの「神」についてのお話にも関連すると思いますが。。。 勿論私も、神に面会したことはございませんこと、当然至極でございますが。。。 この問題を茂木さんが語られるに際し、発想素として適したお働きは、おそらくは、養老先生のなされてきたお仕事だと推量いたしますので、まだそのご本も読んでいない身で、まことに僭越ながら。。。少し、一つの仮説を、私の言葉でも、表させていただきたく存じます。。。 つまり。。。 養老先生は、幼少期にお父様が亡くなるという経験。。。からなのでしょうか?。。。命や死に対して。。。特に柔らかな目を養ってこられた方と拝察しますが。。。 つまりは。。。養老先生は。。。 それぞれの命が、いろいろありつつも、結果、この世の生を「満喫」してのち、薄くも硬いでありましょう「死」という名の壁を通って、そのもう一つの世界へゆく。。。多くのときに。。。すべてを集中し。。。誠心誠意見守り。。。つぶさに見てこられたでありましょうが。。。 要は。。。先生ご自身がよく話しておられるように。。。 ひとつの命がその「死」というものを迎えた時。。。いわゆる死んだとされるにはほど遠い。。。まだまだ諸処の細胞は息吹を止めない生きた状態であり。。。少しずつ。。。或いは徐々に。。。そのすべての?細胞の呼吸が見られなくなってゆくのだ。。。ということですよね。。。 つまり。。。 一つの個体は。。。ひとたび死を迎えて。。。火葬や土葬etc。。。を通過してなお。。。細胞やそれ未満の小さな形で。。。息吹き続けるでしょうし。。。 また一方で。。。 いわゆる「死」を迎え入れた個々の身体をあとに残した。。。いわゆる「霊」ということば等で評されるところのそれら「意識」とでもいえるであろうそれら。。。謂わば「魂」は。。。上述の。。。死後も息吹をつなぐ細胞たち同様に。。。その世で生き続けるでしょうし。。。必要に応じて。。。この世の人々が呼びかければ。。。助けに来るでしょう。。。と感じます。 つまり、 彼ら、元・生者=死者は、この世に生きた懸命なときの中で、善きも悪しきもひっくるめて。。。多くを遺したからです。あとに残されあとの世を懸命に引き継いで生きる者たちは。。。自分らの有限性を痛く感じながらも互いに手を取り合い協力し合い融通し合いもがきつつも共に生きゆく中で。。。それら先人たちの遺した「智慧」にも依り、助けを求めるものです。。。 それは、まさに、学者の方々も大切に、繰り返し繰り返し、知恵を寄せ集め、読みかえし、紐解きを試みてきたところの基=賢者の残した遺産=古典文献etc。。。とでもいえるものではないでしょうか。。。 ちなみに、 古典を含め、科学的な論考を記録した学術論文など。。。いわゆる難解とされる特異な書物を読み解く「読解の才=タレント(=タラント)」を与えられた人というのは。。。 例えば、 私がどう頑張ってもうまく身につかない要約術や。。。はたまたレジ打ちの術などの才を与えられた人たちが全員でないのと同様。。。この地球に生を受け集ういのちの中で、偶然の事故?からその「知恵」という、謂わば、一つの才、を与えられたヒトなのでありましょうから。。。その才を持て余しながらも、曲りなりにここ2020までたどり着いたという事実にも鑑み。。。 その才で出来うる最大の努力を施して、花咲かせることは、勿論道楽ではありませんし、権利というより、むしろ課せられた「任」なのだとさえ思いますので。。。その才もまた、他の命が持つ才と同様に、存分に花開く権利は、1000%保証されている、とさえ言いたい心境を、今、殊この日本で、多くの人が、感じていることだと思います。 最後に、話を戻し、纏めを試みますと。。。 「死」を通過し、そこの住人となられた諸先輩方は、後輩の私たちの求めに応じて、遺した知恵への気づきへの励ましをくださる形で、いつでも援護できるよう、つねに 'そこ' から見守っていてくれると思います。 先人たちの生きてきたその道程を、感謝し、受け、受取り、彼らが後に残したこの世を受け継いだ私たちは、改めて感謝をし、すべてが協力し、出来うる最大の善き働きに化して、この世をつくり続ける決意をすべきときであるのだと思います。 その先人たちもがむしゃらに歩んできた道のりで、数々の悪も為されてきました。 歴史の内の悪は、後の世に、明らかです。 現行社会における悪も又、よく分かる形で突出します。 そこを、善きに変えることも、また、我々すべてが抱える課題です。 そこを、地道に、こつこつと、夢と希望と信念をこころの中心に据え、手を取り合って、信頼の心で歩んでゆくことが、とても大切であると信じています。 ~大空のもと すべての命は等しく尊く~ KY 2020.12.6 Therese Katsurako Nakane
@kouta6923
@kouta6923 4 жыл бұрын
人類は一個の集合体だって思ったことある、人類は大きな木で、一人一人分かれた枝や、根っこで幹の部分で繋がってるようなイメージ
@福聖-m9l
@福聖-m9l 4 жыл бұрын
人が完全な脳のコピーが出来た事を前提としているからおかしくなってしまう。 人が完全なコピーを出来た事はただの一度も無い。 なぜなら人は無限にゼロに近づく数字をゼロとして設計するから。 そんな設計で作った道具でも 道具として問題なく使えれば良かった 人は円周率が分からなくても、大体合ってれば、それでいいのだ。 そんな小さな違いは人にとって関係ないから。 でも、完全なコピーでは無い。
@akinono2034
@akinono2034 4 жыл бұрын
コピーもとをA、コピーさきをBとした時に、Bの記憶や過去の経験は別個体Aのものです。 AからみたB、BからみたAを違う自己とするなら、自己の正体は経験とその反応と言えそうです。 1.もしある時点以降に知識や思考をリアルタイムで共有できる個体AとBが存在したとして。 総体としては同じ、個体としては別と言えそうです。 2.いっぽう同じ個体Aでも場所、立ち位置、装い(例えば服装や化粧など)が変われば同じ問いをかけられても別の回答や反応をすることがあります。これは同じ個体でも、置かれる状況によって、反応がかわると考えられます。 1と2に違いがないのであれば、1の個体AとBは同じ自己になりえるのではないかと思いました。
@yoshikawa5807
@yoshikawa5807 4 жыл бұрын
最期まで聞かないと分かりませんでした。面白い考えです。始めて聞きました。嬉しいです。意識は一つしかなくて一つ一つの脳、一人一人の脳を通じて属性として表れたのが個性なんですね。私はこんな考えを持っていました。物質はハードウエアでそれを通じて時間の経過として表れるのが特性、性質ではないかと考えていました。一人一人の脳を通じて一つの意識の属性として表れるということですね。違ったら申し訳ありません。
@unibaasu
@unibaasu 4 жыл бұрын
難しいですね…ウィーラーの言うように同一質量、同一組成を持つ物質はこの世に一つしかないのだとしたら、数という概念に意味はなくなりそうですし… この宇宙に数が存在しないとしたら、数を認識している僕らの意識は何をしているのかという話になりますし… マクロなサイズで例えばキログラム原器の様な徹底的に同じ構造の物質を二つ作っても、それが二つであるという認識は揺るがないですし… ただ、物質は二つであると認識できても、どちらがどちらであるかを認識する事は僕らには出来ないですよね… 結局、僕らが認識できるものと認識できないもののルールにのっとって、自己意識をメタ認知しているに過ぎないという事なのでしょうか… 数…すなわち分割されたものは認識できる。ただし、分割されたものの一つ一つをそれぞれとして認識する事はできない…つまり、他人の存在は認識できるが、他人の心は認識できないという事に通じている…??
@youtubejojo
@youtubejojo 4 жыл бұрын
なるほどね。なんとなくわかる。でももぎけんも述べているように、自分のコピーを作ってもそれを自分と認識することは直感的に許容できないのであるから、仮にコピーが自分という意識と同一であれば赤の他人のそれとも同一であり、意識は時空を超えるのだと言われても、そもそも「私」が「私」しか「私」と認識できない以上、別の地域、別の時代を生きている「私」は別の「私」であり、つまり結局、私が私の人生を生きる有用な意味において、「私の人生は、この私の人生一度きり」と考えるしか価値がないと思うのである。・・・ただし、もっと壮大なマクロ的観点から考えた時、私たちの意識は、無意識の世界か何かわからないが、どこかでつながっていて、だから人類は時空を超えて同じ価値観を共有することができうる存在なんだと信じることは幸せに感じると思う。・・・いずれにせよ、その「事実」を観察、証明することは非常に困難なことだと思う。仮にそれが「事実」だとして、今ここを生きる「私」にとって、どのような意味があるのだろうか?ひょっとしたら「平和」な世界を形成する「意識」になりえるのだろうか?・・・夜も眠れなくなるね。(笑)
@rina-pq8rj
@rina-pq8rj 4 жыл бұрын
神回です。
@kdesignoffice30
@kdesignoffice30 4 жыл бұрын
いつも学びをありがとうございます。いつも楽しく拝見させて頂いております。 非常に面白い疑問ありがとうございます。茂木先生の問題意識が皆様に共有された時=(ニアリーイコール)複数意識の融合での1つ(1人)の意識。 意識もくっついたり、離れたりの運動があるとした途中回答ではいかがでしょうか 私は無知なので無茶苦茶なコメントでしたらすみません🙏🏻 追記 ​─────── 情報探す時で置き換えた場合 ・ネットでは過去情報の多数を提供してくれる ネットは1(単位不明)=複数データ 辞書なども意識のかたまりとみれる こちらも1冊(複数の経験)=1人 (もちろん本やデータなんだけど) 情報と触れている(得ている)時、獲得した情報が経験として残る この運動(勝手に運動とする) ・人の時間軸 時間軸がズレいるだけで現個体状態は無関係とした場合(勝手に解釈) 情報や経験もそうだとすると、情報や経験に触れてる、または得た時、今までに無かった情報が増えたことは融合した事とならないのか? ここで、めっちゃ都合良く(笑) 多数感覚神経で得た経験は遺伝子メモリーに記憶(一部)として残ることにする。 持っていなかった状態を(無)仮に人間の産まれたて赤ちゃんの状態として、共有情報が入ること(複数の有)を経験し大人(自己意識の安定)になる状態は複数→1(自分)と言えないのか? その状態は 増えたり、減ったりの運動の繰り返し(くっついたり、離れたり)とみれない? 自分の意識と考える割合や大きさや深さ(触れる時間?考える時間)はとりあえず置いておいてこの運動は意識の伝達、または融合にならないのか? 捉える角度で意識の継承(複数自分でない)とも言えるし、受け皿と継承意識の共生であらたな意識(自分)とも言えないくもない。 また、無から有が何かのアクション(運動)がないとうまれないとして… んー、ここでこんがらがってきたのでやめました。 恥をかくなら、おおいに思ったこと発言して恥ずかしくなろうと思いましたm(_ _)m
@mania2045
@mania2045 4 жыл бұрын
たまたま、同じこと、最近、考えてました。 べつの言い方だと、自分と自分以外が、それぞれ、自意識を持っていると感じているとすると、結局、自分が死ぬことは、自分以外が死ぬことと同じなのではないのか、みたいなことを何となくいつも考えていたので、茂木先生でも完全には解決しない問題なのか、と少し安心しました。
@arigatothankyou5997
@arigatothankyou5997 4 жыл бұрын
同等の脳のコピーができたとしましょうという恣意的な物語
@imim3249
@imim3249 4 жыл бұрын
私は、自己意識のセントラルドグマは正しいと思います。残念ですが。 だからこそ、伝承の技術が昔から存在し、今も発達しているのだと思います。
@shunsukenatsusawa6987
@shunsukenatsusawa6987 4 жыл бұрын
おはようございます😊 いつもお元気そうで何よりです。常に完璧な文章で話されるので、そのまま本になりますね。 最近TedXのトーク拝見しました。明快な英語でユーモアを交えてのトークはさすがです。 お話を拝聴してて思い出したのは、Paul Daviesの最近のインタビューです。マルチバース理論の1つ、この宇宙が無限だったら、どこかに私たちのコピーがいる、それも無数にいることは理論的に可能だという話でした。 それとは別に多重人格のことも思い出しました。そこにも自己認識の不思議さが表れていると思いました。 電子が1つという話は、数学的には問題なく正しいのですが、ほかの物理学者はジョークとしか受け取らないようですね。 これまでの歴史に現れた人類が70憶人とすると、現在の人類はその生まれ変わりで、これから最後の審判を受けるのでしょうか。もちろんジョークです。
@ハミルトン黄昏の光の中へ
@ハミルトン黄昏の光の中へ 4 жыл бұрын
釈迦の話に「人が死んだらどうなるのか、考えてはならない」とあります。 人は一生死ぬことができない。輪廻転生をするんですね。 一方で生物において、無意識の中にセントラルドグマが存在するのであれば 全て茂木先生の、おっしゃる通りではないでしょうか。
@paseri4905
@paseri4905 4 жыл бұрын
面白いお話、ありがとうございます。 アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」における人類補完計画が、今回の内容を巧みに映像表現しているなと感じました。
@あおねこ1号
@あおねこ1号 4 жыл бұрын
2020/12/6公開私という自己意識の茂木健一郎先生の追求が美術館鑑賞プログラムで証明できるプログラム作成に入れる絶対的な立替解釈の分岐点!碧猫舎盛優呼2020/12/8
@あらきひろこ-f4d
@あらきひろこ-f4d 4 жыл бұрын
クオリアと人口意識 を150ページまで読めました。 脳と脳が惹かれ合う。 生きる上で大切な幸福は? 壮大で壮麗なロマン…わたしが私であることの意味^^ 茂木先生ありがとうございます(^。^)y-~
@marosaku3365
@marosaku3365 4 жыл бұрын
話の出発点が変わってるなぁと思う。コピー人間は物理的に別の存在なのだから、意識も別、と考えるのがふつうというか自然とたいていの人は思うのではないかしら。
@gitararuku
@gitararuku 4 жыл бұрын
よくわからんけど、 脳をコピーした別の個体ではなく、ただ入力を同期した別の個体は、自分と同じ意識を持っている。と思うのかなぁって
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