① 阪神国道線は、電停に安全地帯が殆ど無く、舗装面に白線で四角く書かれているだけのものが殆どで、乗降とも非常に危ない印象がありました。また、国道線及び北大阪線区間の阪神バスもダイヤ改正のたびに減便し、阪神野田ー阪神杭瀬駅北及び天神橋筋六丁目行きのバスは、土休日夕方の一往復しかない免許維持路線となっています。 ② その昔、御影駅と石屋川駅を統合し、御影駅留置線付近に直線ホームの新・御影駅を建設しては、という提言を見た記憶がありますが、実現しませんでした。 ③ 赤胴車の座席は、現在の阪急の優先席のようなスカーレット色で阪急よりもフカフカでした。9300系のクロスシートが登場したときは嬉しかったのですが、当時のカチカチのクロスシートに座ったときは当時のCMになぞらえて「私はコレで阪神ファンをやめました」と真剣に思ったものです。 ④ 高架化に積極的な阪神。TOKIOが並走した区間も高架化されました。地上線の廃線敷が多数あります。杭瀬駅付近は、本線国道線連絡線廃線敷もあります。殆ど建物ですが。 ⑤ 深夜に梅田からきたジェットカーが、4両→営業2両回送2両に分割されたのを見たことがあります。しかし昨今は、曜日や時間帯に合わせて両数を増減とするより、終日固定編成にするやりかたが主流のようです。 ⑥ 5月に急加速した某球団が、ジェットカーのように9月で急減速してほしくない。一説には「優勝を匂わせて、惜しくも2位。これが観客動員数を獲得し選手年俸を低く抑えられる」のが某球団の経営哲学らしいのですが、関西人としてそうならないように祈りたいものです。
@@toriri-service さま。調べてみたのですが、仮に本家のPCCとまったく同じ性能であった場合ですが、平均加速度6.4km/h・常用ブレーキ減速度7.6km/hですね。 それと余談ですがINTERURBAN PRESS社のPCC - THE CAR THAT FOUGHT BACK - (1980年出版)の巻末資料によると、当時PCCを開発したTRCからパテントを買って導入した鉄道会社(PCCの特許で造られたと記録のある)は、阪神1・神戸市1・名古屋市29・大阪市51(含む鹿児島市4)・東京都1となってました。 この阪神1はTRCの記録では1953年から1959年までPCC特許を利用した車両を1台保有したことになっていて、おそらく1130号車にジェットカー用機器が艤装されたのが1956年となっていますので、東芝ではそれより前に試験用台車一式と電気機器が製造されたと思われますね。
バンドン型連結器は、アメリカVan Done社の製品。日本ではJIS E 4203で1964年8月1日から登録されていましたが、2001年6月27日に廃止されていますね。 ただこの連結器、日本で誰かが勝手に特許申請してしまったという話を、聞いたことがありますね。 Van Done社の他の種類の連結器は、アメリカでは古いインターバーンに取り付けられていることが多かったですが、日本では箱根登山鉄道に昔在籍した無蓋貨物電車ム1型に取り付けられていたものが趣味誌によく写真が掲載されていて馴染みがありそうですが、竣工図にはなにかの拍子に訛ってしまって「バンドルレ型」と記載されているそうですよ。 (鉄道史料第75号「広告にみる鉄道(1)なつかしのアメリカ部品メーカー:吉川文夫より)