志ん朝・圓楽・談志・柳朝・円蔵 四天王と呼ばれた五人の噺家【落語】

  Рет қаралды 962

緩落語ch:荒獅子男乃助

緩落語ch:荒獅子男乃助

Күн бұрын

01:19 強情灸 16:30 お血脈 34:49 半分垢 46:40 大工調べ 1:10:34 たぬき
「強情灸」
十人十色、人それぞれ顔形が違うように気性も違う。気の短い人、長い人、無精な人、強情な人など様々だ。長屋の源さんは陽気の代り目で腰が痛く温めた方がいいというので近くのフロ屋の薬湯に入ったが長く入り過ぎてのぼせて倒れて水をかけられ逆に冷やされてしまった。伊勢六の隠居が腰痛には灸が効くと言うので据えてもらったがその熱いこと。後は自分で据えろ上へ上へと据えるんだと言われ・・・
「お血脈」
善光寺はお血脈の御印というのを一分で売り出した。額にこの御印を押してもらえば大罪を犯した者も極楽往生できるけっこうな代物。罪深き者、罪もない老若男女もこの御印を押してもらいに続々と善光寺に押し寄せた。御印の効果は抜群で御印を受けた者は極楽浄土へと行ってしまい地獄は開店休業。三途の川の正塚の婆さん、懸衣の爺さんの収入はなく鬼の金棒は供出させられて売っ払っらわれ赤鬼は高価な虎の皮のパンツははけずよれよれの越中ふんどしで我慢、やせ細った青鬼はさらに青くなった。
「半分垢」
朝早く上方へ修業に行っていた関取が3年ぶりに帰って来た。これを聞いた金さんが関取の顔が見たいとやって来た、おかみさんに、上方での修業でさぞかし立派に大きくなっただろうと言うと、おかみさんはおっちょこちょいの金さんをからかってやろうと思い大げさに話してしまうが奥で聞いていた関取は・・・
「大工調べ」
大工の腕はたいしたものだが、頭の回転がちょっと遅い与太郎がしばらく仕事に出て来ない。心配した棟梁の政五郎が長屋に行ってみる。家賃を1両と800文ため込み、家主の源六に家賃の抵当(かた)に道具箱を押さえられ、持って行かれたという。政五郎は家主の所から道具箱を返してもらって来いと持っていた1両を与太郎に渡す。まだ800足りないと言う与太郎に政五郎は・・・
「たぬき」
狸が恩返しのためにやってくる噺は色々あってどの噺も助けた子狸がやって来て化けて恩返しする噺、博打のサイコロになる「狸賽」やハガキをお金に換えて食事の用意をしたり、やって来た借金取りを札に化けて退散させる「狸の札」狸が鯉に化けて兄貴分の出産祝いに祝儀として持ち込まれる「たぬき」等が有ります。
五代目 古今亭 志ん生
1890年6月5日東京生まれ
本人曰く4代目橘家圓喬の弟子
6代目圓生は志ん生について「芸の幅が五十をすぎて、パーッと開けちゃった」「人間はズボラだったが、芸にウソはなかった」「志ん生の芸は傷だらけ(中略)その芸も完璧なものじゃなかったわけで、人間描写もいい加減なところがあった」「小さく固まらなかったから、いつかその芸がなんともいえない独特の芸風にふくらんでしまった」口演の出来不出来が激しかったが、「そこがいかにも志ん生らしいところで」「志ん生さんにはフラがありましたが、あれも型があっての上での自在な間なんです。型のないものは芸じゃありません。」と評している。「完成した5代目志ん生」を見ると「天衣無縫」と思えるが、実際は売れない時代が長く、芸について苦労して非常に考えた上であの芸風を苦心して作り上げたことが窺える。
五代目 三遊亭 圓楽
1933年1月3日東京生まれ
六代目三遊亭圓生に入門
上野鈴本演芸場で落語を見て「戦争ですべてを奪われ暗い顔をした人々にこうやって笑いを起こさせることができる落語はすごい」と落語家になることを決意した。落語家になって数年経っても「噺は上手いが圓生の真似だ」と言われ圓楽自身も悩みストレスで一時は体重が48kgになったり自殺未遂をしかけるほどだった。しかし母親から「お前は名人だよ」と言葉をかけられ自分にはこんなに気遣ってくれる人がいるのだという思いで、なんとかスランプを脱出。後にそれをネタにして若き日の自己のキャッチフレーズを「名人圓楽」とするが師匠などから「若手の分際で名人とは生意気だ」と怒られキャッチフレーズを「星の王子さま」に変更した。一時期は事実上テレビ専業の「落語家タレント」であった一方でレギュラーは多くバラエティ、ドラマと何でもこなした。「落語界・寄席でタブーとされることを全部やってやる」「寄席の価値観の逆をやる」という戦略をとり瞬く間にスターとなった。例えば「キザ」という価値観は寄席では排除されるものだが圓楽はあえてキザであり続けた
7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝休業後は8代目橘家圓蔵)とともに「東京落語四天王」と呼ばれた
七代目 立川 談志
古典落語に広く通じ現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けた。古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的努力が高く評価されたが、その荒唐無稽・破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもあった。落語のみならず、講談、漫談をも得意とするなど、芸域の広さで知られた。五代目三遊亭圓楽、三代目古今亭志ん朝、五代目春風亭柳朝と共に「江戸落語若手四天王」と呼ばれた。自ら落語立川流を主宰し「家元」を名乗る
五代目春風亭柳朝
林家彦六一門の総領弟子。
七代目立川談志の前座時代、談志に最も辛く当たった先輩であり、談志曰く「よく苛められた」らしい。しかし、当の柳朝は「そんなに苛めたかな」と記憶になかった様子である。
三遊亭金翁(2代目・当時三遊亭金馬(4代目))が師匠の三遊亭金馬(3代目)死去後に落語協会に所属する際、香盤をどこにするかもめたが、柳朝が「俺は金馬さんの後ろでいい」と言って収まった。このことを金翁は「生涯柳朝さんに恩義を感じる」と語り、柳朝が倒れてからも中元歳暮は欠かさず、少なからぬ額の現金を柳朝に贈っていたという
八代目 橘家 圓蔵
1960年代から1980年代にかけて「ヨイショの圓鏡」の異名で落語家としてもラジオスターとしても一時代を築いた。頭の回転の速さからなぞかけを得意としテレビやラジオなどの放送番組で人気を博す。得意のなぞかけから自宅の表札の裏に「そのココロは?」と書いてあるとも噂された。また頭の回転を活かした頓知も発揮し大喜利やクイズでも逸早く回答して「早いが取り柄の出前と圓鏡」「早いと言えば、圓鏡か新幹線か」と自称した。強度の近視のため黒縁眼鏡を掛けたまま高座に上がっていたがこれは従来の寄席演芸のタブーを破るものでトレードマークになった。
トークなしで純粋に落語だけを楽しみたい方はこちらでどうぞ
落語の蔵: / @repli455
#志ん朝 #圓楽 #談志 #柳朝 #円蔵 #強情灸 #お血脈 #半分垢 #大工調べ #たぬき

Пікірлер: 1
談志たっぷり 落語ファンじゃねぇ談志のファンだ【落語】
1:33:23
緩落語ch:荒獅子男乃助
Рет қаралды 1,5 М.
小丑家的感情危机!#小丑#天使#家庭
00:15
家庭搞笑日记
Рет қаралды 31 МЛН
How to whistle ?? 😱😱
00:31
Tibo InShape
Рет қаралды 13 МЛН
柳昇・三平・円丈 古典?新作?個性が物凄い噺家
1:33:15
緩落語ch:荒獅子男乃助
Рет қаралды 5 М.
文七元結 古今亭志ん朝
1:03:43
うらくch
Рет қаралды 32 М.
三遊亭円楽と伊集院光のマクラ(完全版)
1:08:28
いやいやえんのケサランパサランチャンネル
Рет қаралды 374 М.
馬生たっぷり 早世の天才噺家【落語】
1:38:24
緩落語ch:荒獅子男乃助
Рет қаралды 2,5 М.
Master Ophase 2024 Misc - Thursday
3:43:25
D120 TuDa
Рет қаралды 1,4 М.
昭和の東京落語若手四天王【落語】
1:32:06
緩落語ch:荒獅子男乃助
Рет қаралды 6 М.
【作業用・睡眠用落語】桂歌丸・詰め合わせスペシャル1
2:16:06
小三治たっぷり 其の一【落語】
1:20:57
緩落語ch:荒獅子男乃助
Рет қаралды 8 М.
「芝浜」三代目古今亭志ん朝 大須演芸場【落語】
50:00
緩落語ch:荒獅子男乃助
Рет қаралды 2,1 М.
小丑家的感情危机!#小丑#天使#家庭
00:15
家庭搞笑日记
Рет қаралды 31 МЛН