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忠臣蔵の真実〜赤穂事件はいかにして国民的ドラマ化したか〜
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間違って伝わった忠臣蔵⁉+主君を変えて成功した藤堂高虎+織田信長の軍師とは(【YouTube限定】「偉人・こぼれ噺 第7回」BS11偉人・素顔の履歴書 加来先生のアフタートーク)
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忠臣蔵の刃傷事件の謎~吉良上野介は本当に悪いやつだったのか?
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Жазылу 17 М.
江戸時代天国
Күн бұрын
Пікірлер: 81
@武闘派のび太
10 ай бұрын
真相はどうあれ、一つ言えるのは、浅野内匠頭が早まった真似さえしなければ赤穂藩は取り潰されず、吉良邸討入りも行われなかった。つまり、誰一人死なずにすんだ。浅野の罪はあまりに重い。
@たぬきさん-o4l
10 ай бұрын
だいたい、饗応役の大名に不手際があれば、指南役も処罰もらうんだから、 饗応役の浅野内匠頭に対して指南役の吉良上野介が意地悪なんてしたら 自分の首絞めるようなもんでしょう
@西村俊彦-o8e
10 ай бұрын
4代将軍家綱の葬儀の時に内匠頭の叔父にあたる内藤忠勝が格上の永井と言い合いになり永井を刺殺したことがある、すぐ切れる血筋の一族でありむしろ吉良が被害者であるのではないかと思われる。
@hiroshihamamoto6573
9 ай бұрын
ろくでもない一族ですね。そして家臣もぶち切れテロリストに見えなくもありません。
@金-k童夢
10 ай бұрын
100%浅野が悪い
@konsi7594
10 ай бұрын
浅野に何かいいところがあったかもと考える人がいるのが理解できない。幕府の判断は正しいよ。
@pappar3
10 ай бұрын
いつも分かりやすい解説をありがとうございます。
@momota-1953
6 ай бұрын
過去に吉良上野介の墓所に参ってきましたが「忠臣蔵」の宣伝がきいて閑散として ましたね。彼は地元では名君として評判は良かったらしいが江戸ではプライドが 高く鼻持ちならない側面があったとか。一方浅野内匠頭は国元ではまことに評判 が悪く切腹の噂が赤穂に伝わると密かに赤飯を焚いて喜んだとか(^-^; そんな二人が片や指導役、片や指導を受ける役となったのだから何かあっても 不思議ではない。
@御神誉黎
10 ай бұрын
江戸城内では序列は官位で決まる事になっていた。 もっと言えば政治的な事情と石高を一致させることは難しい。石高で序列を決めたら、外様の加賀前田家が将軍に次ぐトップになるが 幕府としてはこれは都合が悪いわけだ。 そこで幕府の望む序列を定める事にするために官位を利用したわけだ。 そして官位では浅野内匠頭は大夫であり、従五位下となるが 高家である吉良上野介は石高では旗本といっても官位は従四位上左近衛権少将だったかな。まあ、大名である浅野より上だから、それを尊重しないとならなかったわけだ 浅野は江戸城内で上位の武士に切りかかったわけだから、幕府も厳罰に処する事にしたわけだろう
@mnkmdst720
Ай бұрын
松の廊下事件現場はドラマ等だと浅野・吉良 そして偶々居合わせた梶川与惣兵衛の3人だけですが、 実際はその3名の他に高家衆や雑務の茶坊主に中間等の小物らで 20人以上は居ました そんな状況でいきなり奇声上げて斬りかかるとかもはや尋常ではありません どう考えても浅野内匠頭長矩という人物が異常です
@73moto
10 ай бұрын
松の廊下事件で将軍徳川綱吉は母親の官位に関する勅使だったので、マザコンの綱吉はメンツを潰されたので激怒して、老中と相談もせずに浅野内匠頭を即日切腹にして赤穂藩改易、吉良上野介はお咎め無しにしたが、武家の処罰に対しては喧嘩両成敗が基本だったのに浅野が切腹で改易、吉良はお咎め無しで赤穂藩士は幕府に不満を持ち大石内蔵助は赤穂藩再興を願い出たが再興は認められず吉良邸討ち入りに成ったが、吉良邸討ち入りを防ぐには幕府は浅野内匠頭は切腹は当然だが吉良上野介に対しては喧嘩両成敗として蟄居等の処罰をして赤穂藩は改易にするが、浅野内匠頭の弟の浅野大学を石高を減らして赤穂藩主に取り立て居れば、吉良邸討ち入りは起きなかったと思う。
@小山義一-x5e
10 ай бұрын
浅野大学長頼は、旗本に成っていて今も血筋が続いているのだけど。
@LazyPastor
10 ай бұрын
文章をいくつかに分けないと、長すぎて何を言いたいのかが分からなくなってしまいます。
@るるむ-r6d
10 ай бұрын
同意。吉良邸討ち入りは起きなかったまでしか読めなかった。
@古舘友通
10 ай бұрын
現代でも役所の課長補佐が大企業の社長に威張っているからな
@L山猫
10 ай бұрын
面白かったです、 ありがとうございました。
@hmshood302
10 ай бұрын
能楽など古典芸能を稽古すると判るのですが、師匠は同じ演目でも細かい箇所は幾度か異なる事を教えてきます。毎回同じでは(板に付くのを避けるため)、吉良上野介も作法伝授では前回とは異なる作法や道具立てを求めたと推察。また、吉良上野介は今川氏真や松平清康を先脈に持ち、おそらく名家の矜持は強く、暮らし向きのためにも要求する伝授代も高額であったはず。 ともかくも吉良上野介は殺害されましたが、現在でも子孫である上杉家当主は討ち入り当夜は人々の冥福を祈るため静かな一日を過ごしになると、米澤市内の上杉廟関係者からお聞きしました。
@もんもんぼうず
10 ай бұрын
赤穂事件が如何に異常であったのか……。﨑門三傑の佐藤直方が、その本質を鋭く突いている(以下、本人の主張と学術的分析) 一、(斉の桓王に仕えた)管仲は仁に欠けた者だが、諸侯に覇を説き、天下を平定した。夏の禹王は父である前王を禅譲させたが、治水を成功させた。このように徳ある者は私的な柵を乗り越え、大局的な思考をもって世を捉えねばならぬのに、一藩の責任を負う人物が私怨に駆られて人情沙汰を起こしたとあっては同情の余地なく、藩主失格である 。この点は仇を個人に向け、一方的に吉良邸を襲った大石も同罪である。 一、「浅野は切腹、吉良は放免」という公儀の沙汰が下ったにもかかわらず、事前の陳情もなく個人的に城下で騒乱を起こしたとなれば、「沙汰は承服できぬ」という公儀への挑戦であり、明確な反逆行為となる。さらし首になっても弁明の余地がない。 古文辞学派の太宰春台は、「切腹は重すぎる。大石らはこの沙汰自体に異議を唱え、陳情すべき」と述べたらしいが、沙汰への異論はともかく、「吉良公の侮辱に対して、まずは公儀にもの申す」という手順を踏むのが身分制社会の秩序と道理である。 にもかかわらず、浅野は一方的に斬りつけており、討ち入りでは武士の倫理規範を地に落とす一方的な虐殺行為を行った。 むろん、当時の武士には、「動機がどうあろうとも、主君の汚名には血をもって返上するのが忠臣」という暗黙の規範はあった。同じく、「臣の臣は臣たり得ず」で、藩の臣下は将軍ではなく、藩主に忠誠を誓うのが封建制の基礎ではある。しかし、事が朝廷関係者の来訪中に殿中で生じたとなれば、状況は異なる。統治機構の牙城で地方藩主と高家が人情沙汰となれば、自藩の家臣や民を路頭に迷わせるだけでなく、「徳川は城内で暴力事件を起こすような不安定な政権」と見做され、それこそ権威を貶められたことになるからだ。また、「臣の臣は臣たり得ず」を貫徹するならば、まずは陳情を提出 。聞き入れられなければ赤穂藩総出で、一同討ち死の覚悟をもって公儀と決する。この手順でなければ、封建体制下における藩主への忠とはならない。 浅野公及び家臣はそれらの理を無視し、幕府の権威を貶めたのだ。本来、極刑に処されねば筋が通らない。 ところがどっこい、なぜか日本では世俗的人情論の方が上位にくるため、権力統治の正統論を破壊するような行為が美談となってしまう。欧米人には理解できんはずだ……。
@平家-k6z
10 ай бұрын
主君が辱めを受けたので臣下が仇を討った。
@ViViEgKK2121
10 ай бұрын
東映ヤクザ映画のようなストーリーが大衆受けするんでしょう。 そもそも武家の仇討ちは、息子と嫁さんがするんですよね。
@もんもんぼうず
10 ай бұрын
@@平家-k6z そのこと自体は道理が通りますが、内容を鑑みれば赤穂藩の行為は明らかに手順がおかしく、公儀からすれば明らかな反逆行為(実際、綱吉公は激怒し、改易も辞さなかったらしい)です。しかし、お抱えの林家が諫めもあって(大衆も朝敵側もそんなことは考えない、と踏んだのかも?)あとはドラマの通りの美談になってしまいました。 結果として公儀の権威に傷は付かなかったのですが、本来ならば権力構造に対する違背なので、美談となってしまうこと自体がおかしいんですよね。 佐藤直方という人物は朱子学の原則に忠実なひとだったので、最後までこの結末には納得いかなかったようですが、もし彼が現代の法曹関係者であったとしたら憲法制定権力の意義を理解し、罪刑法定主義を墨守したことでしょう。言い換えれば、「理で通すからには、理での反論には答えるのが責務」という自負があったとも言えます。 しかし、公儀も世間も直方の主張を一笑に付しました。おそらく今の我々も定番となった「忠臣蔵史観」に共感を覚え、直方の主張には眉根を顰めるでしょう。なんとなれば、日本人にとって忠君を含む政体概念は理論で理解し、理論によってその正統性を確立、証明するものではない。あくまで道徳感情論で采配することを是とし、また美徳としているからです。我々に「権利」といった概念が今でも浸透しないのは、こういった背景からも読み取れます。
@787boeing
10 ай бұрын
上野介も名家なのを鼻にかけてたという話も有るし、何より実子を送り込んだ上杉家を骨の髄迄しゃぶり尽くしたからね。
@mokugyo129jp
10 ай бұрын
動画どうもありがとうございます。 どちらが悪者かは、当事者を見たわけでもないから分かりませんね。 検証するのは重要だとは思います。
@ごんまま-o7l
10 ай бұрын
そろそろ吉良上野介が主役の時代劇できないかなー 吉良様は名君だった‼️…みたいな😅
@galleryTOKU
10 ай бұрын
浪曲であるんですけど「赤馬の殿様」といいます。どうも長年の摺りこみで人気がないのです。おいたわしや。
@konsi7594
10 ай бұрын
時代劇作家の故、柴田練三郎先生が、実は吉良さん良い人で、内匠頭の方が度し難い奴、世間の忠臣蔵は適当に庶民受けを狙った半分が作り話な代物って感じの考察をしてたかなと。20年以上前に読んだのでうろ覚えですが
@aamm11111
10 ай бұрын
山鹿素行を招いたりと文武両道こそ本懐と考える浅野と、長年公家の礼式に勤しんできた吉良ではそもそも目指す所が違っていたと言う説が私は好きです。(もしかしたら、江戸爛熟期の評価の高さも、官僚政治に飽いた人々の暗黙の了解があったかもなどと) 2回目だったはずですし俺のやり方で行く、これkらの侍はこうでなくてはならない、そう言う若者だった可能性はあるかと思います。 ひたすら変えないことを続ける時代に政治的にはアウトだったわけですが、幕末だったら案外別の評価だったかもなどと。 関係者的には大勢を不幸にした行為だったわけですが、幕末に各派の若い志士たちが赤穂浪士の評価を刻み込まれていなかったかと言うとどうなのかなと。 文化を育てようとした吉良と武士のあり方を示した浅野、どちらも歴史的役割を果たしたように思います。
@赤松円心-g8v
10 ай бұрын
どう贔屓目にみても寝込みを襲うのはどうかな? 年寄を
@ひろたかし-w8m
8 ай бұрын
百歩譲って昼間に堂々と討ち入るべきでした。戦国から百年経ったこの時代には夜討ちは卑怯な攻め方といわれてましたから。
@笹井慎吾
10 ай бұрын
仕方ない高家には、逆らえない、まぁ、小笠原なんかもあるけで
@松本隆憲-z3r
4 ай бұрын
どのくらい前かは忘れましたが、NHKの正月番組だったと思います。吉良を菅原謙二、大石を宇津井健が演じた作品がありました。史実に近づけようとした作品で、討ち入りの際は、火事装束ではなく普段着であり、討ち入られた吉良が、「何故こうなったのか全く分からぬ。」と呟いていました。 私はその番組を視てから、一切『忠臣蔵』は視なくなりました。
@算段屋五平太
10 ай бұрын
接待役は二回目とも何かでききましたが! 私もやはりわがままな性格で大名では不適格だと思います。 しかしかな手本忠臣蔵があたったので吉良は悪者だと決めつけが多いのでしょう。
@konsi7594
10 ай бұрын
江戸時代は、荒唐無稽で考証も乏しい嘘八百な小説が出回った時代との事ですからね。その講談話をさも本当のことかと勘違いしてきた人が多いのでしょう
@gronfighter
10 ай бұрын
私見だけど吉良上野介は暗愚な浅野の犠牲になったと思っています。
@G13-Empty
10 ай бұрын
どう考えても浅野匠守の血統に問題があると思いますけどね、強迫性障害、適応障害とかのADHDの二次症状を持っていたのかも、血縁者もけっこうなやらかしをしてるし
@Dです-w7x
10 ай бұрын
地元では吉良様は名君である
@marietadano3813
10 ай бұрын
違いますw 地元では名家でしょうw
@松本悠佐
2 ай бұрын
たった1日を辛抱出来なかったのですからその後…何も起こさなかったとは思えません。 賄賂も長矩が拒めは家臣が黙って吉良に贈れば良いこと。部下がまぬけ過ぎです。君足らずとも臣足らざるべからずです。
@nrtyamanouchi8259
10 ай бұрын
忠臣蔵はテロ礼賛物語
@konsi7594
10 ай бұрын
ほんとそれです、その上相当に悪質なデマ作品と言ってもいいです
@多摩朗
8 ай бұрын
浅野に接待役をやらせた公儀の任命責任はどうなんでしょう?浅野に詰め腹切らせて幕引きしようとしたら庶民は怒って忠臣蔵を支持するのもしょうがないと思います。
@kakkazan2008
10 ай бұрын
浅野内匠頭が尊王派、吉良上野介が佐幕派だった事も、事件の重要なポイントではないかと思われます。
@mecom3450
10 ай бұрын
全くその通りです。以下補足です。 南出喜久治「皇道忠臣蔵」によれば、忠臣蔵は尊皇討幕運動の先駆とされる。 吉良の高家は禁裏御所御定目(=禁中並公家諸法度の上書き)を定めるなど皇室の行動を規制した。一方赤穂浅野家は山鹿素行の薫陶を受け、皇室に多額の出費をするなど尊皇思想を貫いていた。朝廷勅使の扱いをめぐる確執があったとされ、この問題は終始皇室をどうか扱うかの問題だった。大石内蔵助の出自も中臣家の親戚、儀式を司る家系とされ、尊皇的だった。秦氏の影響下で赤穂藩はそもそも山鹿素行以前から尊皇志向だったと思われる。そうでなければ山鹿素行を招くはずがない。山鹿素行は『中朝事実』を記し、皇室と日本の独自性と重要性を示す論理を展開していた。山鹿素行流陣太鼓は虚構としてもその精神的影響は無視できない。この問題は明治維新まで続く。
@ヒロヒロ-g7v
10 ай бұрын
う~ん…ただ、山鹿は結局赤穂では冷遇されており、逆に吉良は赦免された山鹿を厚遇してるんですよね…。そして、大石と吉良は公家社会を通じて実は遠縁ではあるが縁戚と言う…。
@瑞慶覧凹陳
10 ай бұрын
佐幕派対尊皇派の対立説とか。 赤穂の塩を幕府が奪いたかったとか。 色々ありますな。 浅野は仕留めきれなかったことが最大のミス。伊達の殿様もそこに言及してますしな。 歌舞伎の仮名手本忠臣蔵のだんだら模様の揃いの法被が江戸で大いに受けて羽織が禁じられていた町人達が着用したのが現在のお祭り法被に繋がります。
@SuperFour-ng6im
10 ай бұрын
江戸時代の公家社会の頂点である摂関家ですら2500石程度でしたが、名目上徳川将軍家よりも格上でした。 家格が羽林家の公家は二位か三位の大納言に昇進する可能性がありましたが、150石程度の禄高で幕臣では下層旗本か御家人層、大名家の中級家臣程度の経済力に過ぎません。
@滝沢優-y6l
10 ай бұрын
斬りつけられた理由はわからないのですね('ω')。吉良さんカワイソス(´ω`) 「上野介」何気に縁起が悪いようで、 本多上野介正純は失脚・改易 堀田上野介正信は「狂気の作法」で改易(佐倉惣五郎の怨霊がそうさせたとも) 小栗上野介忠順は何の取り調べもなく斬首(切腹が許されなかった) とかなり悪い結末を迎えた人が多いですよね('ω')
@小西道隆
10 ай бұрын
吉良なだけにキラレタ…あ、いえすいません
@四国の寝不足たぬき
10 ай бұрын
綱吉も母親の桂昌院も、側近の柳沢吉保や吉良も、さらには京都の公家朝廷も江戸っ子や大名諸侯から嫌われまくっていた。みんな嫌われていると知っていながらどうすることもできなかった。 だれがみんなのヘイトを受け持って悪者になるか、それはもう吉良しかいない…。
@緒方湊
10 ай бұрын
正四位クラスって他だと他の簡易だと~卿とかか?
@高野亮悟
10 ай бұрын
福澤諭吉先生が「学問のすゝめ」で忠臣蔵を批判していました。 君主のために命を捨てる覚悟なら、集団で討ち入りなんかせず、切腹覚悟で幕府に陳情するべきだ!と、学問のすゝめに書かれていました。 諭吉先生も、浅野側が正しいとか思っていた感じがします…
@edojidai-paradise
10 ай бұрын
いかなる理由があるにせよ、将軍の住む江戸城内で、外様が幕臣に切りかかるのはまずいですねぇ。
@murt2286
10 ай бұрын
行儀作法の家元のようなもんだから、賄賂ではなく授業料なんだけどな、吉良は格式を保つためにも、朝廷との折衝に金が必要だから授業料は貰わないとね。 浅野はそれがわからなかった。接待役は2度目なんだから教わらなくても良い。なんで態度とかね。 経験者より伊達家は若くて初めての殿様だから懇切丁寧に指導しただけなのにそれを恨んだのかもね。
@hiroshihamamoto6573
9 ай бұрын
100年以上前の事を想像で物語にするなんてキケンな創作。吉良も浅野も、先祖代々、そしてその後は何世代にも渡っていがみ合いが続いたとか。日本社会の病巣を垣間見る感じがします。結局、打首ではなく、切腹まで名誉の死に昇格したのだから、日本史上のテロリストにならずに済んだのは不幸中の幸い。
@kibun-y5b
10 ай бұрын
幕府が喧嘩両成敗の原則を守っていれば大騒ぎにはならなかったのにね。
@murt2286
10 ай бұрын
喧嘩じゃないけどね。通り魔に近い。
@konsi7594
10 ай бұрын
喧嘩だと言いたいなら、浅野が吉良さんに果たし状を渡して吉良さんが応じてくれて校舎の裏に来てくれないとな。社内で仕事中、廊下で同僚と話し込んでいる所に後ろからいきなり刃物で切り付けるのはただの通り魔的な犯罪行為。てか、武器も手にしてない相手に後ろから武器持って切り掛かっておいて、これは武士の喧嘩ですとか「何言ってんだ?頭沸いてるのか?」って感じですね。てか、それで殺せない内匠頭君、すごいダサいです。
@ひろたかし-w8m
8 ай бұрын
後ろから斬りかかった浅野と全く手出しをしなかった吉良。喧嘩は成立しないと思うけど。
@てんじろう-z5f
10 ай бұрын
地元では名士と言われている政治家先生も清廉潔白とは限りませんから吉良さんが嫌がらせをするはずが無いとは言えないかな。何にせよ幕府がしっかりとした裁判をしていればここまでの大事にはならなかったと思いますね。本当に短気だったのは綱吉さんでしょう。
@個人メール-q3x
9 ай бұрын
吉良の贈収賄はあったのでしょうね。幕府も旗本の贈収賄を問題視していたので、報道戦略の一環として忠臣蔵を流行らせたのだと思いますし。 100年後の徳川実記で「吉良の贈収賄が原因」とされたのは、当時の経緯を知る旗本が少なくなったためだと考えています。 「贈収賄の撲滅」は、いつの時代も政府にとっての最優先事項ですから。
@ひろたかし-w8m
8 ай бұрын
今では違法とされる賄賂もこの当時は付け届けと言って幕府から黙認されてました。この収入がなければ低い石高の高家は家の維持ができませんでした。
@井伊亜
6 ай бұрын
賄賂と言っても当時の人の感覚だと現代の何か物事を教えてもらう時の月謝やお中元くらいな感覚だったから、むしろそれをケチる浅野の方が非常識な奴ってのが実情だったとか。
@marietadano3813
10 ай бұрын
武士の厳しい身分社会の中で現代人が大名の心情を理解することが困難だと言うのがコメントを見てたら良くわかるw 浅野内匠頭は憤死を選ぶべきであったが、刀を抜いてはならぬ場所で刀を抜き更には切り掛かると言う暴挙に出たw 吉良家については、松平家の当時から地元の名家であり、家康は吉良家の首のすげ替えはしたが決して潰しはしなかったw 奥州の藤原家同様、別格のお家なのだw 家格で言えば、松平家より上で、将軍家である徳川家より下w いじめられっ子がいじめっ子を成敗した本来あるべき姿w 貴方はどっち側になりたいか?w この質問が本質を見極めるモノになるんではないかw
@ポリさん-e5u
10 ай бұрын
浅野は多動だったのかな??
@橋本ひろみひろみん
10 ай бұрын
吉良だけにってやめておきます。
@友之森田
10 ай бұрын
収めてた、領地では、名君として、通ってる、吉良上野介君、あの前政府を主催してた足利君や、今川君と同じ一族でしたし、浅野君は、隣国の、失礼な言い方をすれば、馬の骨でしたが、江戸家老が、若殿を諌めて、付届けをちゃんと送らなかった、浅野君です、まぁ多少の付届けってのは、大目に見られてたのよね。
@よっちん万歳
Ай бұрын
なんでも興行 興行になればいいじゃいの 武士なんて死んでなんぼ ボツボツでんなあ
@schnellbart
10 ай бұрын
浅野長矩の勅使饗応役といっても費用を担当するだけですから吉良による作法の嫌がらせというのは後世の作り話でしょうね。元禄バブルによる物価上昇を考慮した饗応費用の見積り修正増額を吉良から指南されたことで面目を失い、伊達家にも馬鹿にされたと思ってしまったのかもしれません。 大老・堀田備中少将を殿中で若年寄・稻葉石見守が刺殺した事件も、稻葉石見が担当した淀川治水の見積りを堀田備中から修正され面目を失ったことが動機ではといわれてますね。
@galleryTOKU
10 ай бұрын
両国の人間は吉良方です。
@弓原
10 ай бұрын
あの同時代の武将達から、非常に評判の悪い明智光秀でさえ地元では名君説がでるくらい地元では名君はあてにならないw
@西川二治男-s8m
10 ай бұрын
斬った浅野が愚かです。突かなきゃね。
@ひろたか-j9b
Ай бұрын
もし浅野が吉良を討ち取ったとしても吉良もお取り潰しだったのかな?(浅野は切腹と取り潰しは免れないとして)
@kyokutousega
10 ай бұрын
そもそも土芥寇讎記が織田信武とか眉唾…
@konsi7594
10 ай бұрын
吉良氏は三河国吉良庄に領地を持っており、室町幕府を立てた清和源氏足利氏の支流にして、のちの徳川家である松平氏にとっても代々関係が深く、格上の存在として江戸幕府の始祖たる家康ですら一目置いていた家柄。単に官位が高いとかの前に、まず武士の世界では清和源氏=神、足利氏=神の子的な扱いなんだから、その支流である吉良氏の家格が高いのも当たり前。そんなすんごい家柄の人に、難癖つけて挙げ句の果ては凶行に及ぶ田舎大名の小倅の方がどうかしている。こう見ると、内匠頭ってきっと甘やかされて育っって世間を知らない相当なアホでキレやすい人物だったんだろうなと想像してしまうね。
@コバトン-k3j
10 ай бұрын
吉良さんが切られたのは嫌われていたからでは?
@ひろたかし-w8m
8 ай бұрын
それはあくまでも憶測ですからね。浅野は吉良を斬りつけた理由は最期まで話さなかったから真相は闇の中です。
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