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忠臣蔵の真実〜赤穂事件はいかにして国民的ドラマ化したか〜

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ほーりーとお江戸、いいね!

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Күн бұрын

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Пікірлер: 319
@michinobuiimori1894
@michinobuiimori1894 8 ай бұрын
まだまアメリカに居た数年前ですが、地元の大学の日本文学の教授がドナルド・キーン教授の弟子で、非日本人では数少ない歌舞伎の専門家でして、大学で英語歌舞を演ってしまいました。定年前に是非忠臣蔵を演りたい、と言うのを実現して仕舞い、僕は義太夫の三味線を担当しました。日本から参加して下さった清元の方々に、英語の義太夫の意味をキチンと理解してそれに伴奏が付けられるのは世界で貴方だけだ、と言われました(笑)。
@user-sealseal
@user-sealseal 8 ай бұрын
ほえー、すんげえな アメリカ的価値観だとやられっぱなしではすまされねえという考え方もあるのでしょうか
@monoris2008
@monoris2008 6 ай бұрын
英語の義太夫!
@user-oz3ue3uu4d
@user-oz3ue3uu4d 8 ай бұрын
仮名手本の意味はそう言う事だったのですね。 とかなくてしす・・・。 本当に江戸時代の人々の知恵は奥が深い。
@user-no1sk4jl2w
@user-no1sk4jl2w 8 ай бұрын
赤穂事件から仮名手本忠臣蔵について、詳しく解説されていて興味深く見させていただきました実際の事件と物語の対比が面白かったです 数年前、愛知県西尾市の吉良氏ゆかりの寺院等を巡る経験をしましたが、地元では名君として崇められており、忠臣蔵のイメージとは違うなぁと感じました。 今回も見どころたっぷりの素晴らしい動画でした
@bigshot088
@bigshot088 8 ай бұрын
名君としてはプロパガンダしているのは反動です。 そりゃあんだけ悪者にされたら名君にしたい気持ちはわかる。 当時の吉良を名君として見ている資料は0です。 資料が出てこないのはもう当時の旗本は領地を統治ほぼしないで、専ら代官が政治やってたというのもあるのかも。 吉良は名君だったと思いたいばかりに、伝承のみが残っているだけ。 そういう資料が出てくるな私の意見を変えます。
@NAO-wq6xe
@NAO-wq6xe 6 ай бұрын
そりゃ名君だよ。 立派な人だよ。 当時の日本人は全員そうだよ
@k.j8306
@k.j8306 8 ай бұрын
ほーりーさんの着物姿まぶしいです😆忠臣蔵とても大好きです。一説には山鹿素行の影響が大きいという話も聞きました。いつもおもしろい動画ありがとうございます😊
@bllydncrpbdrummer
@bllydncrpbdrummer 8 ай бұрын
先祖が浅野家に仕えていました。 我が家に伝わる話では、殿様が馬鹿なことをしでかして処分を受け、「敵討ち? はぁっ!? 付き合ってらんねえよ」と刀を捨てて百姓になったらしいです。 巻き添えを食うのを避けたかったのでしょうかね。身分も軽かったのかもしれません。 忠臣蔵を見るたびに、吉良家に対してはいつも「うちの先祖の主君とその家臣がご迷惑をおかけしてすみません」という気持ちになります。
@douga9996
@douga9996 2 ай бұрын
生活と見栄とどちらかを選択せねばならぬ・・・いつの時代も同じですね。ただそこを深く見た大石は「去る者は去れ」と慈悲の心を。そして本懐も仕損じたときのことを考え二番手を。深き人物だったんでしょうね、大石良雄さんは。
@TY-vt2yo
@TY-vt2yo 8 ай бұрын
子どもの頃から12月になると どこかの映画会社の忠臣蔵がTVで放映されていましたね 大映の忠臣蔵が好きでいつも見ていました 史実というよりファンタジーとして楽しんでいました そういえばもう長い事見てないなぁ・・
@user-ix8es2ky5d
@user-ix8es2ky5d 6 ай бұрын
咎無くて死んだのはむしろ吉良上野介なんだよなぁ
@GeorgeWalker-jt3pq
@GeorgeWalker-jt3pq 2 ай бұрын
吉良上野介は高家で大名と同等。地元では名君として崇められていて、神社まであるそうです😅 小説「無念吉良上野介」を執筆中です。現代でも逆恨みされて自殺に追い込まれるなんてことありそうですよね。
@ドクター日本
@ドクター日本 8 ай бұрын
「傷害事件の加害者(=浅野内匠頭)が(幕府に)切腹を命じられた腹いせに、加害者の家臣が傷害事件の被害者(=吉良上野介)を惨殺した」って話なんですね。 こりゃ、たまげた😆😆
@silversurfer512
@silversurfer512 8 ай бұрын
それはちょっと違います。 当時は、喧嘩両成敗という慣例や制度がありました。 浅野だけが切腹で吉良はお咎めなしという裁きは、やはり片手落ちであるという世論がありました。
@user-kn1fx6bg6i
@user-kn1fx6bg6i 8 ай бұрын
これはかなりメンドクサイ話であるのだが そもそも、室町時代の価値観が相当にヤバいのだ。 「道すがら、狭い場所ですれ違う際に立ち止まって会釈した」この会釈で、「お前誰や?」で斬り合いになり 斬り合った当事者そっちのけで双方の勢力が衝突、小競り合い(戦)になったりしていた。 この様な価値観から、状況を見て過失割合を考えて裁定すると片方が揉めるので、「もう裁定するのめどくせぇわ、取り敢えず双方腹切っておけよ」ってのが室町時代から江戸時代にかけて生まれた 「連帯責任」とかもその一環だ。「もうめどくせぇからお前ら全員処罰な」という傾向が生じた しかし、まぁ実際は喧嘩両成敗とか言っても、実際は異なる。当然一方的に切りかかってきた方が悪いってのは、江戸時代人にも広く理解できる道理である。 だから、他の刃傷沙汰ては喧嘩両成敗とはなっていない事の方が普通だ。 同時に、江戸時代を迎え、徳川幕府は家臣に家臣たるものの心得を説くようになる。 簡単な話「主従関係」の意識が変わる。 事を面倒にしてるのは、主従関係のこの価値観の変更だ。 室町時代なら、播州赤穂藩に浅野内匠頭を切腹させて、赤穂藩は本家浅野家の管理下に置くで揉める事は無い。 当時者の所属するグループに当事者本人を処分させることで、グループ全体の体面を保ち納得させる。吉良上野介の処罰などは関係無かった。 しかし、主君の主君(徳川家)の裁定に処分に従うのが道理だろうと、徳川幕府が勝手にさっさと浅野内匠頭を切腹させてしまった事により、「主君に対する仇討し、赤穂藩士の体面維持しなければならない」という当時の武士道にも沿った大義が生まれてしまった。 江戸時代初期だと、加藤嘉明や最上義明など息子の代で潰れているが、家臣らが「主君、そんなの関係ねぇ」で揉めた結果のお取り潰しだが、彼らがお家の存続より家臣団の面目優先した結果とも言える。この面目、意地の張り合いは、井伊家二代目の相続にも非常に色濃く影響している。 江戸時代に生じた主君への忠義や、室町時代からの武士の面目を果たす方向性がどこへ向くのか? 赤穂浪士の場合は、「主君の仇討」という形になっていった。
@user-yl9ek9le7m
@user-yl9ek9le7m 8 ай бұрын
​@@silversurfer512さま そもそも喧嘩ではありません。 切れやすい人間だった浅野内匠が、吉良の指導に切れて一方的に斬りつけたのです。 現在なら信号無視の車に跳ねられた老人を、「事故が起きたからにはお前にも責任がある」と責めるようなものです。 吉良は「全く身に覚えがない」と言っており、浅野は弁解すら出来ませんでした。 浅野が「好色、悋嗇、士を愛さない」大名であることは、既に綱吉に報告がいっており、その札付きの男が、この直前京に上って、生母桂昌院の未曾有の昇位を成し遂げた功労者の吉良に、こともあろうに勅使を迎えての式典の場で、饗応役の身で斬りつけたのですから、即日切腹は免れません。 浅野は17歳の時に勅使饗応役を経験しており、「吉良が意地悪をして必要な知識を伝えなかった」は成り立ちません。 むしろその経験に慢心した浅野が、持ち前のケチぶりを発揮し、その後荻原重秀の貨幣改鋳に物価が騰貴したことを理解せず、費用を惜しんで吉良を苦しめ、再三の吉良の指導に切れたというのが真相でしょう。 「忠臣蔵」の一夜の畳替えのエピソードなどこの辺を突いているのかもしれません。
@user-wi7he9sp5q
@user-wi7he9sp5q 8 ай бұрын
吉良がお咎め無しのは、生類憐みの令も間接的に影響してると思います。あれは、もう戦国ではないという事で殺生を禁じようとした法令で、なにも犬だけ保護しようとする法令では無いのです。実際は、松の廊下事件では、吉良は防御のための刀を抜いてなく。それが綱吉に伝わり、浅野の一方的な攻撃と判断したのではないですかね。😊
@user-kx9mi1up5t
@user-kx9mi1up5t 7 ай бұрын
​@@silversurfer512😢
@user-fy5jm9xp8f
@user-fy5jm9xp8f 8 ай бұрын
史実がー!とか新説ではー!とか聞く度に、従来から語り継がれてる歴史って、お話として面白く出来てるんだなぁと思いますね。
@onihei333
@onihei333 8 ай бұрын
忠臣蔵って現代人の感覚からすると何故人気があるのか不思議だったけど 言われてみれば、江戸時代の人々は時代も違う脚色されたフィクションのほうを楽しんでいたんだよね 高師直なら吉良どころではない政権中枢の権力者だし、遺臣の恨みの矛先が向く展開も無理がない これを史実に寄せてしまうのは、かえって本来の楽しみ方ではないのかもしれないなあ
@bigshot088
@bigshot088 8 ай бұрын
庶民が反幕府、反政府演劇として利用したから。 実際に物理で反政府運動した大塩平八郎、高杉晋作らは忠臣蔵のファン。
@user-hb4sf3zd1m
@user-hb4sf3zd1m 8 ай бұрын
自分も忠臣蔵の話は懐疑的、否定的で美談とは思いません。喧嘩両成敗が適用されなかったのは浅野が一方的にしかも背後から抜刀して無抵抗の吉良に襲い掛かっているので喧嘩とはみなさなかったというもっともな理由がある。そもそも十分な詮議をせずに感情任せに即日切腹の沙汰を下した綱吉がそもそのの原因だろうに吉良が悪役とされているのは理不尽としか思えない。
@user-ff1dg1nf7q
@user-ff1dg1nf7q 8 ай бұрын
戦国時代、背後からから切り掛かった者は卑怯者とみなされ味方から切腹を申し渡されたそうです。江戸時代でもそういう風習が残っていたのでしょう。
@user-ff1dg1nf7q
@user-ff1dg1nf7q 7 ай бұрын
@@user-zq2em8re7l 一緒に勉強しましょう。浅野がよくなければ四七士は起ったただろうかという事も。
@user-ff1dg1nf7q
@user-ff1dg1nf7q 7 ай бұрын
@@user-zq2em8re7l 浅野さんもさあ、遠い故郷から江戸詰にされたんだろ?心を病んでもしょうがねえかもしれんね。 これでも誠意を持って対応しています。
@user-nw9nb3jw3p
@user-nw9nb3jw3p 6 ай бұрын
ハラスメント体質"挑戦愚等"現代劇版カルト公庵👮‍♂️やって漫画な🇯🇵
@erikuwahara5930
@erikuwahara5930 8 ай бұрын
そもそも 浅野内匠頭が何を血迷ったか 松の廊下で血を流させた事が 綱吉にとって許しがたい事でしたからね なので人情問題としてではなく 江戸城で血を流した事が切腹の理由ですからね そう言う意味で 吉良上野介は全くとばっちりでしか有りませんね その上 殺されたんですからね 尚、松の廊下は昼間でも真っ暗でしたからね 雨戸が閉まったままですから
@user-qe4ew7ho7x
@user-qe4ew7ho7x 8 ай бұрын
徳川家は今の西尾市の吉良の領地に流れていた矢作川を、洪水対策と称して自分の領地に流れるように河川改修工事をして、わざと干拓工事で領地が増えないようにしてるから、家臣なのに権威は有るから1度目は仕方なく吉良家に味方したけど、世論が許さなかったから、それなら良い取り潰しにするチャンスと極秘の仇討許可が有ったのかも知れないですね。
@user-di9ce3xv4f
@user-di9ce3xv4f 8 ай бұрын
私の出身校は元をたどれば上杉藩の藩校ではありましたが成人以前は赤穂事件について特になにも思うところはありませんでした。しかしながら生きていれば91歳になる母親の子供の頃、米沢周辺では忠臣蔵の上演は禁じられていたそうです。 今は吉良方には非がなく、元赤穂藩士によるテロ行為のすべての責任は、平成6年に398年ぶりに和解するまで儀礼的な挨拶すらしない不通を保ち絶交状態だった伊達家と浅野家に勅使饗応役を命じた幕府にあると思っています。
@user-bd5vd7et6w
@user-bd5vd7et6w 8 ай бұрын
そりゃ米沢藩は吉良上野介の子孫ですからね。ぶっちゃけ言えば今川氏真の子孫。
@jurian-
@jurian- 8 ай бұрын
「仮名手本忠臣蔵」の内容は知らなかったです それに浅野内匠頭の実像はショックでした でも、そんな人物だったから刃傷事件を起こしてしまったのですね 今年の、義士祭に行って来ました 大石内蔵助は中村雅俊さんで、背が高くて威厳がありました。 パレードの最後にカチドキを「エイエイオー」って みんなで大合唱して大いに盛り上がっておりました。
@user-ww3lc7bi6b
@user-ww3lc7bi6b 8 ай бұрын
大河ドラマ、1999年の元禄繚乱を見る限りでは吉良が真の仇ではないと思う。 どうしても徳川綱吉がラスボスに思えてならない。
@user-kz5zq2us3v
@user-kz5zq2us3v 8 ай бұрын
ホーリーさん こうした事実と向き合った歴史検証、さすがですね。事実と向かい合っての動画、嬉しいです。 当地、米沢では吉良家と上杉家の間で3重の縁があり、愛知の旧吉良町とともに山形県米沢市でも忠臣蔵が上映されない街です。 歴史の裏に迫ると、事実と歯異なる歴史か多すぎますね。 幕末の歴史も事実に基づき描き出してほしい会津人の一人です ラジオも毎週聞いてますよ~
@misooden1955
@misooden1955 3 ай бұрын
ほーりーさんの動画分かりやすくて、楽しく拝聴しています♪ 歴史好きの視聴者さんの、マニアックなコメント見てるのも面白いものです😊コメントでさえも勉強になる動画なんて、中々見かけません。
@MF-wi3xs
@MF-wi3xs 8 ай бұрын
赤穂藩は山鹿流を取り入れていて、天皇の使者の上座と下座の事でその事に意義を申し立てるためとも言われてますね。🙄
@ayhht1768
@ayhht1768 8 ай бұрын
前期水戸学にも関わっていた山鹿素行が幕府推奨の朱子学を認めないから水戸藩を追放されて赤穂藩に匿われ、赤穂藩に尊王思想が根付いた、という話はどこかで見たような 実際には山鹿素行は赤穂藩に半年くらいしか居らず、しかも浅野の対応に不満で自ら出て行っており、後にボロクソ不満書き残してます。動画内の浅野家悪評に近い内容です。 浅野長矩に対しては、しきたりや慣習にこだわらず誹りを受けた、とあるので、吉良が言う「浅野が言うこと聞かない」に共通するものを感じます 面白いのは、山鹿素行はその後朱子学批判で蟄居させられて、赦免後に一番良くしてくれたのが吉良だったことですね。お互いの秘伝書を書き写すくらい仲良かったようです
@user-lb7tn1wg9w
@user-lb7tn1wg9w 8 ай бұрын
群馬県藤岡市白石は吉良さまが産湯をつかった井戸があり吉良さまの領地。吉良さまは名君だったらしく領民に慕われ、今でも白石の人は忠臣蔵を視ない。
@user-xqe3tap7rx
@user-xqe3tap7rx 8 ай бұрын
私が子供の頃は毎年この時期になると決まってどこかのテレビ局が忠臣蔵をやってましたね。最近は流石に飽きられたのか、内容が時代にそぐわなくなったのか、やらなくなりましたね。尤もテレビ自体が飽きられたのもあるかも知れません。かく言う私の家にもテレビは無くなってしまいました。
@inari-yebisu
@inari-yebisu 2 ай бұрын
時代劇は映画の時代から人気コンテンツで、テレビに移行してブームに。個人的には「影の軍団」が好きでした。 時代劇を好む層が高齢化して、スポンサーの望む視聴者層から外れたことと、時代劇を演じることが出来る若い俳優さんが減っている、という事情もあるようです。(時代考証に合った所作はそう簡単に身につかない) 今のテレビ局が金を掛けて作っても、イケメンタレントが怪しげな所作をする和装ドラマがオチなのでは。
@user-ce3wm8nh7q
@user-ce3wm8nh7q 6 ай бұрын
浅野内匠頭は前回も勅使接待役を経験している為吉良に相談しなくてもやり方は知っていたはず
@naohkanda
@naohkanda 8 ай бұрын
私の知っている忠臣蔵は、「上座に座るべきか下座にすべきか」を問うたのに「そんなことも知らんのか?と」頭を勺で何度もパンパン叩き、「おのれ!おなじ場所を何度も何度も!」と斬りつけた話し。😂ナツカシ
@rosan6179
@rosan6179 8 ай бұрын
吉良上野介というと強欲で陰険というイメージを持つ人が多いのではないか。 忠臣蔵で事実以上に悪役にされてしまったのは不本意でしょう。
@user-el2wm1gp1z
@user-el2wm1gp1z 8 ай бұрын
ちなみに吉良上野介は地元では名君なんだよね。
@user-wi6kd6sm1u
@user-wi6kd6sm1u 8 ай бұрын
@@user-el2wm1gp1z 様へ 領民の言葉が真実でしょ。(地元人ですけど)
@user-ff1dg1nf7q
@user-ff1dg1nf7q 8 ай бұрын
@@user-wi6kd6sm1uあんないい殿様をのお…。というので赤い馬に乗った吉良様というおもちゃが残っている。
@user-wi6kd6sm1u
@user-wi6kd6sm1u 8 ай бұрын
​@@user-ff1dg1nf7q 様へ 討ち入りの日は吉良様の命日なので、供養があるそうですね。市町村合併でも吉良の名前を守る子孫たちが真実でしょうね。
@user-ff1dg1nf7q
@user-ff1dg1nf7q 8 ай бұрын
@@user-wi6kd6sm1u あなたは立派ですが
@user-le4hf5gm3c
@user-le4hf5gm3c 8 ай бұрын
確か寝坊して参戦出来ず生き残った人が居ましたよね。 駆け付けた時には、塀によじ登って観戦してる町民とかが屋敷を囲んではやし立ててて、恥ずかしくて中に入れなかったんでしたね。
@user-mg8js3np6k
@user-mg8js3np6k 8 ай бұрын
松の廊下は刃傷沙汰御法度だったのでは? 単なる廊下では無く、江戸幕府の威厳を示すような意味合いを持った廊下で、そんな場所で刀を振りかざし血で汚した事が、切腹の理由ですよね。 それと、浅野内匠頭も江戸に来た当初は良い藩主だったのが、江戸での生活が続く中で上手く取り入って美味しい思いをしようとする人間に囲まれて堕落して行ってしまったのかな。 吉良上野介の寸評も聞きたかったですね。
@takaokuramochi7567
@takaokuramochi7567 3 ай бұрын
私の先祖は関宿藩本所下屋敷にいたそうです。代々言われていることには、父から聞いた事では、吉良様にはなんの引け目はないとの事、それなりの良い殿様だと聞かされてきました。忠臣蔵はあくまでも劇だよ、毎年年末が迫るときかされてきました。上野戦争までは住んでいたそうです。
@user-dr3ud6er2j
@user-dr3ud6er2j 8 ай бұрын
ブラボー江戸紫のほうりー様 源氏物語の少女巻で紫の上に 取り留めのない虚構話が事実よりも生き生きと日常を描ける、と。 悪役を悪く、悲劇的に描くことこで盛り上がる、と。 小説の真髄を語っておりました🥰   江戸紫ほうり様は令和の紫の上に成長してくださいませ👌
@RYUUOUJINTEI
@RYUUOUJINTEI 8 ай бұрын
赤穂浅野長矩が切腹のとき領民が喜んだらしい←苛烈な政治してたのかな? 二度目の仕事で、さらに金銭払うだけの立場なのに、吉良義央から直には指示がなかったんだろうて、思われるからますます刃傷に及んだのかわからない事件
@bigshot088
@bigshot088 8 ай бұрын
それと戦後になって反動で、吉良が善政をやっていたという根拠に基づかないプロパガンダもやめたほうがいいと思う。 またねじ曲がったしまった。
@poe70s
@poe70s 8 ай бұрын
忠臣蔵のキーワードは現実には存在しない「山鹿流の陣太鼓」かも知れんと思ってる。 山鹿素行は尊王思想の人。
@user-dn4sf9du2c
@user-dn4sf9du2c 8 ай бұрын
まかり間違えばお上への反逆、腹いせによる暴挙、と取られかねない討ち入りを 「義挙」にまで認知バイアスをプレゼンした大石内蔵助の手腕に驚愕しています。 五代将軍自ら「あっぱれ」と評価してしまう(苦笑)
@yoda_dayo
@yoda_dayo 8 ай бұрын
亡くなった方の血縁である身内が仇討ちを行うのは「合法」でした。大石内蔵助はじめ藩士達は浅野内匠頭の身内では無いので、合法とはなりません。ここでお触れを無視して仇討ちすべしという急進派15名と、弟の浅野大学(浅野長広)を立てて御家再興を目指す大石ら主流派93名に割れます。 浅野大学は浅野内匠頭の罪に連座して閉門(自宅軟禁)されましたが、規定では3年後には連座により閉門が解かれます。その後に浅野大学を立てて御家再興を成して、浅野大学の命で仇討ちをすれば合法となるので、それまで待て、という形で大石は急進派を説得し、かの有名な「血判」を作成します。この時には120名が血判捺印しています。 ところが浅野大学を閉門処分のまま本家の広島に返し、吉良上野介も引退して米沢に帰る、ということが決定してしまったため、大石プラン「合法的仇討ち」は実現不可能であることが確定してしまいました。 行き詰った大石は血縁では無い浅野内匠頭を「君父」と呼ぶことを決め、正当な仇討ちであると主張し、仇討ち後の幕府の取り調べでもそう答えています。当然ながらこの理屈は通らず全員死刑となった史実はご存知の通りです。 将軍綱吉の施政に窮屈さに庶民が苦しんでいた時代、最初に急進派が仇討ちをするという噂が立った頃から庶民からは絶大な支持を得ており、これが大石の判断を後押しした、と私は考えております。 動画にもあった通り、仮名手本忠臣蔵が完成して大人気の演目となったのは討入の45年後です。実に45年間も人気というか庶民の支持が衰えなかったということでもあり、もはやドラえもんやガンダムやジブリ並みのコンテンツだったと言えると思います。
@ueoai-yz4cq
@ueoai-yz4cq 5 ай бұрын
そもそも殿中で 刀を抜くなどとすればお家断絶と決められていました。 朝廷への接待役が 接待中に上司?を 斬り付ける事件などを 起こせば 当然の責任を問われます。将軍様の顔に泥を 塗った事と同じです。 それを「喧嘩両成敗」にする大石氏には 随分と無理があると思います。 庶民が 「忠臣」ともてはやした事で 幕府もそれに乗ったのでしょうけれども  討ち入り後、なぜか上杉家が 更に減俸された事から 刃傷事件からの1年間で 幕府も赤穂浪士を 利用した事で 全て丸く片付けられたのではないかと思います。
@suzudx6399
@suzudx6399 8 ай бұрын
新年の忠臣蔵また見たいけど 今度は吉良上野介視点で見てみたいわ。
@user-lb3kv6ws8b
@user-lb3kv6ws8b 8 ай бұрын
吉良上野介も気の毒だが、モデルになった高師直も、相当お気の毒!😢 太平記からね
@user-wd3bj5im9f
@user-wd3bj5im9f 8 ай бұрын
小学生の頃にテレビで良く年末に忠臣蔵のドラマを毎年観ていたけど、最近は忠臣蔵を全く放送していないけど、この動画を観たら忠臣蔵がどんな出来事か良く分かりやすかったです。
@user-qb1cf9id9v
@user-qb1cf9id9v 8 ай бұрын
ならば一度、吉良上野介義央(よしひさ)側からの目線で描かれたドラマ「忠臣蔵」も見てみたいモノだ…(* ̄∇ ̄*)😁👍❗️ かなりの名君だったらしいから✨️
@taji-country-music423
@taji-country-music423 8 ай бұрын
北野武監督のものはそれに近いかもしれません。
@user-ff1dg1nf7q
@user-ff1dg1nf7q 8 ай бұрын
絶対吉良側から見たドラマや映画が放映されるべきです。あさの 内匠頭は統合失調症だったらしいとのことも。
@user-zp4ii4db6i
@user-zp4ii4db6i 8 ай бұрын
あ~、そうですよね。なぜ他でこのような発想をする意見が出てこないのかと今思いました。
@NAO-wq6xe
@NAO-wq6xe 6 ай бұрын
​@user-ff1dg1nf7q パヨってるの? 大丈夫?病院いく?
@ueoai-yz4cq
@ueoai-yz4cq 3 ай бұрын
ドキュメントになっても?? 映画・ドラマには ならないでしょう。全然おもしろくな~い
@aki-oz5hs
@aki-oz5hs 8 ай бұрын
東京都立博物館の蔵書はすごいですね!
@coconuz
@coconuz 8 ай бұрын
吉良は地元では評判がいいって話だけど
@marcht5566
@marcht5566 8 ай бұрын
吉良上野介の名誉を幾許かでも回復してくださってありがとうございます。忠臣蔵は余りにも偏った内容でうんざりします。上野介は国もとでは領民に慕われた名君でした。
@kuru-qg1iu
@kuru-qg1iu 8 ай бұрын
領民から巻き上げる金などないから、大名達から金を巻き上げていただけです。 巻き添えを食らった吉良家家臣や、吉良町の人達が、肩身の狭い思いをしたのが気の毒なだけですね。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 3 ай бұрын
​@@kuru-qg1iu吉良だけでなく高家旗本はどこも官位や仕事の割りに少禄だったから、大名から指南料をもらわないとやっていけなかったし、幕府もそれを黙認していました。
@user-lo6bz5fr2k
@user-lo6bz5fr2k 8 ай бұрын
「仮名手本忠臣蔵」の話はよくわかりました。永代橋かぁ~(^-^)。今日のほーりーの着物の色が良かったです❗
@user-nz5ss8ud2f
@user-nz5ss8ud2f 8 ай бұрын
1:20 2:12 絵と名前が逆!
@user-mt4is6vh2x
@user-mt4is6vh2x 6 ай бұрын
面白かったです。 昔から、大石内蔵助は幕府に対してこそ、戦いを挑むべきだと思っていました。 吉良を殺害した後、切腹をせずに、その先を幕府に決めさせることが、幕府へのささやかな抵抗という話も聞きますが、死ぬ覚悟があるなら、やはり江戸城を襲撃するべきでしょう。
@user-jc3eg3md9t
@user-jc3eg3md9t 8 ай бұрын
ただいま2作目を視聴し終えました いやいや、とっても楽しいですね! 引き続き、視聴続けたいと思ってますよ✌️ さて、赤穂浪士 かなり以前に歴史を現代から読み解いてゆく手法の本で読んだ事なのですが 塩の販売権を巡るいざこざから始まったと書いてありました どちらかと言えば、後追いの赤穂藩が市場を奪ってしまったと捉えています また、江戸城では刀を抜くことが禁止されており、処罰はそれに対するものとも書いてあった記憶があります 劇中や浮世絵での四十七士の服装も、実際には見窄らしいものとも有りました なんだか否定的なものばかりですね笑 ただ、書では、古事記にまで遡るのですが、事実はまた別なものと捉えており、それらが様ざな形で受け継がれてきたことは確かなものであると作者は述べています 面白いですね
@momota1003
@momota1003 6 ай бұрын
過去に愛知県の吉良上野介の墓所に行ってきました。領地では上野介は名君で領民の評判も良かったらしい。ただ江戸では気位が高く評判は今一つ だったらしい。
@suihuyou2277
@suihuyou2277 2 ай бұрын
地元では誰でも名君の筈です。 高家の吉良はきっと自分より高禄な大名に意地悪だったと思います。
@user-ek1lf3yw7s
@user-ek1lf3yw7s 8 ай бұрын
現代では忘れられているのが浄瑠璃坂の仇討ち、宇都宮藩で亡き主君の法要での刃傷事件からの仇討ち事件 喧嘩両成敗ではなかったこと、浄瑠璃坂の鷹匠頭の屋敷に匿われていたところに火事装束を着て討ち入ったことなど大石内蔵助は、この仇討ちを参考にしていると思われます 大きく違うのは仇討ちに成功した後、生き延びて他の藩に請われて仕官していること 大石内蔵助は仇討ちに成功すれば、自分たちも他の藩に仕官できると思っての打算的な仇討ちだった可能性も 大石内蔵助の切腹の際も立ち会った人の目撃談では見苦しかったとか、 否定する人もいるけど仕官するための仇討ちだとしたら予想外の結末に動揺していたのかも
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 3 ай бұрын
吉良亭討ち入りは路頭に迷った赤穂浪人の再就職活動の一環だったと思います。浅野家そのものは分家の旗本2家が残ってますから討ち入りの直線的な原因と言われる「御家再興の望みが断たれた」というのも言いがかりに聞こえます。
@mecom3450
@mecom3450 8 ай бұрын
南出喜久治「皇道忠臣蔵」によれば、忠臣蔵は尊皇討幕運動の先駆とされる。 吉良の高家は禁裏御所御定目(=禁中並公家諸法度の上書き)を定めるなど皇室の行動を規制した。一方赤穂浅野家は山鹿素行の薫陶を受け、皇室に多額の出費をするなど尊皇思想を貫いていた。朝廷勅使の扱いをめぐる確執があったとされ、この問題は終始皇室をどうか扱うかの問題だった。大石内蔵助の出自も中臣家の親戚、儀式を司る家系とされ、尊皇的だった。秦氏の影響下で赤穂藩はそもそも山鹿素行以前から尊皇志向だったと思われる。そうでなければ山鹿素行を招くはずがない。山鹿素行は『中朝事実』を記し、皇室と日本の独自性と重要性を示す論理を展開していた。山鹿流陣太鼓は虚構としてもその精神的影響は無視できない。この問題は明治維新まで続く。
@user-yf4nu5kv8q
@user-yf4nu5kv8q 4 ай бұрын
勅使供応の場で刃傷事件を起こしておいて尊皇もナニも無いモンだ。 皇家に対する最大の侮辱行為でしょうに。
@ao-rq4zs
@ao-rq4zs 3 ай бұрын
こういう演目をぜひ現代演劇でもやってくれないかな 悪行して咎めなしの政治家、医者、有力者 皮肉混じりに演じてほしい
@user-oh3ov5jq8g
@user-oh3ov5jq8g 8 ай бұрын
今年もその季節ですか! 早いですね!
@user-sv1bk4gf3t
@user-sv1bk4gf3t 8 ай бұрын
12月14日は討ち入りの日、蕎麦を食って一力で遊ぶ、京都生まれはいいもんだ
@haru4303
@haru4303 8 ай бұрын
最近は年末の忠臣蔵が放映されず寂しい限りです😢 忠臣蔵だけでなく年末の風景がドンドン失われていきます😢 古き良き文化は残したいものですね😊
@user-ey8uu5gv8p
@user-ey8uu5gv8p 8 ай бұрын
だって普通に考えたらただの逆恨みで47人で寄って集って人を殺して、それを日本中で喜ぶって異常事態ですから。 そもそも喧嘩両成敗どころか一方的にムカつくからってだけで斬りつけられてますから。
@user-ff1dg1nf7q
@user-ff1dg1nf7q 8 ай бұрын
@@user-ey8uu5gv8p 病気だったらしいよ。
@bokoboko446
@bokoboko446 8 ай бұрын
赤穂事件の後に赤穂藩の旧臣が吉良を討つという評判が立ったのに、幕府は吉良邸を中心地から郊外へと移しているんですよね? お隣(?)の上杉藩(?)縁戚も『何事か尋ねた』だけで何もしなかったのは 他藩の揉め事に関与したくないのはわかるんですが、触れられていないのが残念。 あまり興味がないので記憶があやふやですが。。。
@user-sr6dn8uq5p
@user-sr6dn8uq5p 19 күн бұрын
吉良家の高家の最上位の地位を徳川に親しい今川家に移したかった幕府が、刃傷沙汰を利用したという一説があります。 即日の切腹を命じる傍ら吉良にはお咎めなしにする事で、家臣らには主君の仇討ちを暗に促し 世間には仇討ち止むなしの気運を高めました。 幕府は吉良家の屋敷を城下町から奉行所の目が届きにくい辺鄙な地に転居させて仇討ちをし易くさせました 高家など位の高い屋敷を辺鄙な地に追いやる事は例がない事です。 浅野内匠頭は9歳で城主になった我儘育ちで、女好きで激しい癇癪持ちなのを大石も知っていた 大石は仇討ちをせずに主君の弟で存続を模索していたけど 日に日に強まる世間の仇討ち待望機運に負けて止むなく仇討ちを決行した。 浅野の人格が不出来で起きた刃傷沙汰と、幕府が今川家を高家の最上位にしたかった刻がちょうど重なったのが忠臣蔵という一説があります。 吉良は幕府の完全な犠牲者、浅野は幕府の準犠牲いう一説になりますが 記憶が曖昧なので、話半分以下だと思ってください。
@nessrpanda
@nessrpanda 8 ай бұрын
当時のお芝居では結構ダ・ヴィンチ・コードな感じでやってたんですね まあ現代もこういうのありますか😅浅野偶像ガラガラになりました
@user-ql3lf4jt6q
@user-ql3lf4jt6q Ай бұрын
仮名手本 いろは47字と47士をかけてるのがすごいな
@user-vy7rm1bp5s
@user-vy7rm1bp5s 8 ай бұрын
今晩は!ホーリーさん 今回は人気の忠臣蔵ですね 自分も子供の頃から相当な数の忠臣蔵を見てますね 確かに松の廊下刃傷事件だけ見ると、ホーリーさんの言う様に浅野が一方的に吉良に斬りつけて吉良は逃げただけ、なので浅野は切腹で吉良はお咎めなしは当然の処置ですね。 ただ何故に即日切腹だったのでしょう、両者や関係者からの詳しい取り調べをするべきだったと思いますよ、吉良を斬り付ける際「この間の遺恨覚えたるか」と浅野が言ったと言う周りの証言も有りますから、浅野と吉良の間に何かしらの確執が有った事は明らかです、事件の事の発端を探ろうとせずに浅野は即日切腹で吉良はお咎めなしでは赤穂藩士にすれば絶対に許せないし幕府側の落ち度と思ったんだと思いますよ。 浅野は短気(精神疾患?)で女ぐせが悪い事は当時の資料から解りましたが、一方の吉良はどうでしょうか?領民に好かれていたと言う資料が有ると伴に悪い評判の資料も有る様です、ホーリーさんには吉良側の資料も明らかにして欲しかったですね。 それにしても 水戸黄門、大岡越前、遠山の金さん、忠臣蔵が大人気なのはホーリーさんが言う様に勧善懲悪が大好きな日本人だからでしょうかね。
@user-md7zg8ye8f
@user-md7zg8ye8f 8 ай бұрын
ちょっと吉良さんがかわいそすぎだろう あきらかに被害者なのに仇討されちゃうなんて 浅野内匠頭の言い分もきかないで切腹させたことも問題があるよな
@vuytskk
@vuytskk 8 ай бұрын
吉良は普通に考えて被害者なんだろうけど、武士の価値観は極端な軍人みたいな感じなのでなんともいえません。 ちなみに反撃しなかった吉良も武士としては有罪らしいです。
@user-yl9ek9le7m
@user-yl9ek9le7m 8 ай бұрын
​@@vuytskkさま 「場所柄をわきまえ、身斬られながらも抵抗をしなかったのは、神妙である」てされています。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 3 ай бұрын
​@@vuytskkあそこで吉良が反撃してたら、それこそ弁解の余地無しで両家改易だったでしょうね。
@sinji1341scarlet
@sinji1341scarlet 2 ай бұрын
墓も諏訪大社本宮の横にある法華寺の裏山に寂しく立っている。逆恨みで殺され、無念だったはず。
@roberuto135
@roberuto135 8 ай бұрын
ホーリーさん、ぜひ飛脚について詳しく教えてください🙇🏻🙏🏻
@user-cr7hh5hg8y
@user-cr7hh5hg8y 8 ай бұрын
赤穂浪士の物語『仮名手本忠臣蔵』ほど事実と芝居(本来は浄瑠璃)とでは、まったく異なる“筋書き”もめずらしい。目白駅もほど近い雑司ヶ谷は四ッ家を舞台にした、「東海道四谷怪談(あづまかいどうよつやかいだん)」と同様に、およそ事実から乖離していると思われる芝居だ。大坂(阪)の浄瑠璃作者である竹田出雲たちが、事件からはるか46年後に、それを目撃した当時の人々(その多くはすでに鬼籍入りしていただろう)や、事件後の江戸市民たちの様子についてまったく調査することなく、ましてや当時の江戸の“現場”を一度も訪れて取材することもなく、すべて空想で描いた架空の物語となっている。  1702年(元禄15)12月14日の夜半、赤穂浪士たちに襲われた吉良邸は大橋をわたってすぐの本所松坂町にあったのだが、それ以前に1701年(元禄14)3月14日、千代田城内で吉良義央が斬りつけられた事件を知って激怒したのは、赤穂藩の江戸屋敷に詰めていた家臣たちでもなければ、呉服橋の吉良邸にいた家臣たちでもなく、そこいらに住んでいた江戸市民たちだった。特に吉良家の屋敷周辺(当時の吉良邸は本所ではなく呉服橋にあった)に住み、ふだんから吉良家による施薬や抱え医者の派遣による病人の治療で、世話になっていた街中の一般市民たちだ。  また、屋敷に招かれて歌会に参加していた町人や、屋敷内の稲荷へ自由な出入りを許されていた庶民たちも、ざっくばらんで話のわかる町人には優しい“吉良の殿様”が、わけのわからぬキレやすい若造の大名に傷つけられたことを聞いて、にわかにアタマにきたものだろうか。では、町奉行所文書(もんじょ)=旧幕府引継書(町方書上を含む)に記録された  大坂(阪)由来の赤穂事件=「忠臣蔵」が、芝居や講談、時代劇のストーリーのまま信じられていた時代だったのだろう。あろうことか、明治の薩長政府は中国や朝鮮半島の儒教思想を浸透させるため、同事件をことさら美化し「忠君愛国」の「道徳」教育へ利用しようとさえしている。     かの鮒といふ奴は、わづか三尺か四尺の井の中を、天にも地にもないと心得、ある日井戸替の折、釣瓶にかゝつて上るを、可愛さうぢやによつて大川へはなしてやると、サア鮒めが、小さなところから大きなところへ出たによつて、嬉しまぎれに途を失ひ、あつちへひよろひよろ、こつちへふらふらして、ついには橋杭へ鼻ツ柱をぶつけて、ピリピリピリと死にまする。お点前が丁度その鮒だ。あんな小さな屋敷からこのやうな広い所に来たによつて途を失ひ、判官が詰所は何でござる、手前が詰所はどれでござると、あつちへまごまご、こつちへうろうろ、とゞの仕舞は、お廊下の柱へ頭を打附けて、ピリピリピリと死にまする。イヤコリヤ、どうやら判官が鮒に似て参つた。(三段目/殿中松ノ廊下ノ場)   「仮名手本」の末尾を読ませて、「咎(とが)なくして死す」としゃれたのは買うけれども、千代田城内で殺人未遂事件を起こして「咎」がないとは、どう贔屓目にみても言えない。しかも、浅野の元家臣が本所の吉良邸へ討ち入るはるか以前の事件直後、「討ち入り」による打壊し(ぶちこわし)は築地川の軽子橋東詰め、舩松町にほど近い浅野の上屋敷で起きていた。  浅野邸に討ち入ったのは、吉良の家臣でもなければ、下谷練塀小路あたりの歌舞(かぶ)いてあまり評判のよろしくない幕臣たちでもなく、吉良の「殿さま」が傷つけられたことに激昂した大勢の江戸町人たちだった。つまり、吉良上野介義央という人物は、それほど江戸の街では慕われて人気があったのだ。  江戸市中における吉良の評判は、いまでもそこかしこの記録で目にすることができる。屋敷の周辺に病人が出ると藩医を差し向けて施薬したり(屋敷へ薬をもらいに来る町人も多くいたらしい。後世の浜町河岸・秋元但馬守の“テリアカ”施薬に近い感覚だろうか)、邸内の稲荷へ町人の自由な参詣を許し、歌会には武家町人を分け隔てなく招いては歓待していたという。つまり、当時とすればまことにざっくばらんで話のわかる、町人にとっては「ご近所」にしておくのがなんとも心強く、また気軽に言葉をかけてくれるたいへん珍しくもありがたい「殿さま」だったのだ。  このあたり、吉良の江戸町民に対する多くの事跡については、ようやく本所・吉良邸跡にも展示され始めた。(ただし、長子が養子に行った米沢藩上杉家の記録では、奢侈好きでいい格好をしたがる老人だったという記載が見える)  こと町人に対しては、“通”でもの分かりがよくて洒落てるその「殿さま」が、城内でわけのわからない短気でキレやすい青二才大名に傷つけられたとあっては、江戸の町人も黙っていられなかったのだろう。町人たちが仕事を終える暮れ六ツとともに、浅野邸の前には不穏な群集が集まりだし、やがて門を破って次々と邸内へ「討ち入」った。  打壊し(ぶちこわし)はひと晩中つづき、屋敷内に残っていた浅野家の人々は近くの寺や姻戚の屋敷へ逃げ散っている。(死人は出なかったようだ) 邸内にあった家具調度はことごとく壊され、明け六ツとともに奉行所から員数をそろえた役人たちが駆けつけたときには、すでに町人たちは姿を消していたという。  下落合にほど近い朱引き(大江戸境界線)のすぐ外側にある、中井駅近くの満昌院功運寺Click!(上高田4丁目)に、本所の吉良邸で赤穂浪人に殺された「討死忠臣(三十八士)」たちとともに、いま吉良上野介義央は眠っている。
@user-ke9oj4bi3o
@user-ke9oj4bi3o 8 ай бұрын
いつもおもうけど、いい加減に吉良側からの視点でのドラマがみたいな。打たれたあとの吉良の領地の民衆の反応とかね。意外と赤穂の民衆は浅野の殿様はうざかったりしてな。
@user-yl9ek9le7m
@user-yl9ek9le7m 8 ай бұрын
昔NHKの「天下御免」でやっていましたね。 主人公平賀源内(山口崇)が吉良側に立った話を作ったが、三河旧吉良領の農民が、来てくれた他は入りが悪く 「皆、嘘の話の方が好きなのかなぁ」。
@kozukenosuke
@kozukenosuke 8 ай бұрын
「仮名手本」なのはいろは47文字と赤穂浪士47人が同じ数だからだ、という説もありますね。 咎なくて○すなのは吉良の方だったりする…(^_^;)
@silversurfer512
@silversurfer512 8 ай бұрын
トバッチリではないですよね。 浅野内匠頭は吉良を討とうとして、それを果たせずに切腹した。 そして大石内蔵助と浪士たちは、その主君の無念を晴らすと共に、幕府の裁きは不公平だと天下に訴える為に吉良上野介を討った。 これが赤穂事件の主旨ですからね。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 3 ай бұрын
どのように不公平でしょうか?浅野の刃傷以外でも7回程殿中での刃傷がありましたが、斬り付けたほうは皆切腹や改易になっていて斬られたほうはおとがめなしになっているのですが。
@user-ld6gq9kw9w
@user-ld6gq9kw9w 8 ай бұрын
本質は、綱吉に対する反発ですよね。吉良ではない。朱子学に基づく体制の安定=階級の固定化ですから。江戸の町人から見れば、不満だったんだと思いますね。
@user-yl9ek9le7m
@user-yl9ek9le7m 8 ай бұрын
忠臣蔵は「将軍○し」なのかについては、丸谷才一さんらによる延々とした議論がありましたが、最後に井沢元彦さんが、「高師直は武蔵守であり、武蔵守は将軍である」の一言で締めてしまいましたね。
@aoyamahirosi
@aoyamahirosi 8 ай бұрын
赤穂事件の本質は、朝廷と幕府の地位をどちらを上位とするかということでしょう。山鹿素行の「中朝事情」を見ればその地位、つまり座席の位置をどちらを上位にするかということが大問題であったはず。一方、吉良家は足利将軍家ゆかりの家だから、義満が日宋貿易をやった時点で、宋からの外交使節を対等に迎えるため、自らの席を朝廷の使者より上位に置いたということがあって、それを慣例化した事がこの事件の本質的な問題となっていると、拙者は思います。
@aoyamahirosi
@aoyamahirosi 6 ай бұрын
日明貿易でした。訂正します。
@user-hi2rp3oo2v
@user-hi2rp3oo2v 8 ай бұрын
私が忠臣蔵が完全な作り話であって吉良上野介はただの殺され損の被害者である、という説に関心を持ったのが宮部みゆきさんの時代小説「震える岩」。 またそれ以前に杉浦日向子さんの漫画「吉良供養」で、吉良側からの見た「討ち入り」の実相が多人数で深夜に屋敷に押し入って殺戮をしたテロでしかないという事実を赤裸々に描写していて忠臣蔵の胡散臭さには気づいていましたが。 「震える岩」の読後にいろいろな歴史資料を、とくに忠臣蔵に影響されていない実在の資料のみから調査した著作から、やはり吉良上野介は「無罪」であるという心証を得ました。 浅野内匠頭はかなり問題のある人物であり、勅使接待役などの様々な細かな儀礼を司ることは出来ない人物。 それに神経質で堪え性がない。 おそらく吉良上野介の細かな指摘を勝手に意地悪だと曲解し、被害妄想を募らせてしまったのでしょう。 だから幕府は浅野内匠頭からきちんと事情聴取をし、彼が妄想から犯行に及んだことを明らかにして「乱心」と認定して藩主から下して浅野一族から誰かを藩主につけて少し石高を減らすくらいの処分にすべきでした。 それなら赤穂藩士も浪人にならないで「仇打ち」なんかを強いられることもなかった。 討ち入りに参加した赤穂藩士の人たちは浅野内匠頭の無念を晴らす為、なんて思ってなかったと思います。 バカな殿様がバカなことをやってくれた、が本音。 しかし仇討ちをしないと赤穂藩士は腰抜け揃い、と世間からバカにされて浪人した仲間たちの再就職のさわりになる、だから仕方がなく仇討ちをせざるを得なかった。 吉良上野介も赤穂浪士もどちらも気の毒。 浅野内匠頭のバカな行為と幕府の短慮のために被害者同士が殺し合った事件。
@user-yl9ek9le7m
@user-yl9ek9le7m 8 ай бұрын
内匠頭が可愛がった家来はほぼ討ち入りに参加せず、一方討ち入った中には「当代には何の恩義もないが」とわざわざ断っている人もいますからね。異常な嫌われ方です。
@kakinomi0628
@kakinomi0628 8 ай бұрын
遥かに想う鳰の海さんへ 幕府は内匠頭が乱心していたと認める訳にはいかなかったでしょう。勅使接待の場に気の触れた人間がいて相手構わず、もしかしたら勅使が切りつけられていたかも知れないと皇室に思われては困るので内匠頭の刃傷はあくまでも上野介への個人的恨みによるものとしたのでしょう。上野介さんお気の毒。合掌🙏
@user-hi2rp3oo2v
@user-hi2rp3oo2v 8 ай бұрын
@@user-yl9ek9le7m さん なるほど。浅野内匠頭の人間性が伺えますね。
@user-hi2rp3oo2v
@user-hi2rp3oo2v 8 ай бұрын
@@kakinomi0628 さん それは確かに有り得る推論です。ただもう少しきちんとした取り調べをして浅野内匠頭、吉良上野介双方から聴き取ったことを資料に残してもらいたかったものです。そうすれば少なくとも吉良上野介がこれ程までに後世に悪名を残すこともなかったでしょう。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 3 ай бұрын
殺し合いではなくて赤穂浪士の一方的な殺戮です。浪士の中で死者は1人もでなかった。
@inari-yebisu
@inari-yebisu 2 ай бұрын
吉良側の話として、星新一の小説「ああ吉良家の忠臣」という話が記憶に残っています。 そこでは吉良様は名君として描かれていましたが、あながち間違いでは無かったと思います。
@user-uj8wq8hj2x
@user-uj8wq8hj2x 8 ай бұрын
髪型可愛い!
@user-fq4vf7qg3c
@user-fq4vf7qg3c 8 ай бұрын
喧嘩両成敗なんて幻想。上層部のお気に入りが勝つ。だから忠臣蔵が市民に受ける。
@user-ip9wn6lk6t
@user-ip9wn6lk6t 8 ай бұрын
殿中沙汰の日が綱吉の実母である桂昌院の誕生祝いの日でそれをぶち壊すマネをした内匠頭に切腹を命じるのも納得。
@user-ww3lc7bi6b
@user-ww3lc7bi6b 8 ай бұрын
桂昌院の従一位の座がかかっていたからな。
@user-yl9ek9le7m
@user-yl9ek9le7m 8 ай бұрын
この直前桂昌院の従一位昇位の話を京に上ってまとめてきた功労者が吉良上野介義央ですし。
@nagareboshi_v3
@nagareboshi_v3 8 ай бұрын
忠臣蔵関係の映像、書籍などから なぜ浅野と吉良が対立するか比較していただければ面白いと思います ドラマ、映画3,4本見ただけですがいろんな見方ができて面白かったです
@user-gd9fh5oy5r
@user-gd9fh5oy5r 8 ай бұрын
史実と違うと言えば、堀部安兵衛は下戸で酒に弱かったこと。 また赤垣源蔵も下戸で、兄はなく、訪ねたのは妹夫婦の家だった。
@y.burnthefioor
@y.burnthefioor 8 ай бұрын
赤穂には、仕事で何十回と行きました🙂お城にも何度か行きましたが、小さいお城とお堀で「へぇ😮」って感じですネ😔とても、大事件を惹き起こすとは思えない感じです😔但し、赤穂全体で四十七士を盛り上げる感じで、旗織物が多く立ってます🙂
@user-ff1dg1nf7q
@user-ff1dg1nf7q 8 ай бұрын
そういえば最近年末になっても忠臣蔵が放映される事がない…。年末の風物詩だった。 北斗の拳が地上波で放送できないのと同じかもしれない。
@user-od8qw2nb1j
@user-od8qw2nb1j 8 ай бұрын
赤穂浪士は卑怯だ。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 3 ай бұрын
夜討ちなどせず、せめて白昼堂々やればまだ良かったのに、後ろから斬りかかった主君共々卑怯です。
@user-lb6up8wh2q
@user-lb6up8wh2q 8 ай бұрын
忠臣蔵は赤穂浪士討ち入りを元に創作された物で史実とはかなり違います。赤穂浪士や浅野を正義、吉良を悪として描かれています。赤穂浪士討ち入りは日本人なら知らない人はいないぐらい有名ですが謎だらけです。
@user-vx1he8zy4u
@user-vx1he8zy4u 8 ай бұрын
どうのこうのと言っても。 主君の仇は討つ。 尽くす武 士の忠誠をしただけ、吉良 も名君と聞くが浅野のがその時どの様な気持ちだったか本人に聞かな分からない。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 3 ай бұрын
仇討ちは本来肉親に対して行うもので、主君の仇討ちは前代未聞だったんです。
@MinaFuruya-ow9kw
@MinaFuruya-ow9kw 8 ай бұрын
そうそう!今度コメディの忠臣蔵の映画が上映されますよね!ほーりーさんは見に行きますか?
@user-tx9ci9or5b
@user-tx9ci9or5b 3 ай бұрын
片方が善、片方が悪という図式は今の時代にそぐわないのでは。
@user-ky6gq2mv5v
@user-ky6gq2mv5v 8 ай бұрын
浅野が悪いんだけどね
@user-dg4hw5cr5k
@user-dg4hw5cr5k 8 ай бұрын
遺恨があって吉良に刃傷に及んだのに、その首尾虚しく其身は切腹お家は断絶となれば長矩には無念。旧家臣が討ち入って吉良の首級をあげたのはその「無念を晴らすため」で、敵討ちだの仇討ちっていうのは後世の概念だろ。院本戯作者達が、日本人得意の判官贔屓を利用して長矩を善玉、吉良を悪玉に仕立て芝居にしたのが仮名手本忠臣蔵なんだから、いまさら史実がどうのこうのったってあまり意味はないな。
@yoshihironishida2540
@yoshihironishida2540 8 ай бұрын
仮名手本忠臣蔵、創作ではあるんだけど、それだけ人気が出た背景には、いろんな問題があったのだろうと思います。 少なくとも、討ち入りから45年後の作品て事は、討ち入り自体がどの様に庶民に伝わっていたかですね。 歌舞伎に取り上げるのだから脚本が入り、事実どうりでは無いでしょうが、庶民から否定される様な事件だったら間違えても美談には出来ないでしょうから。
@user-kp4pc8kn5g
@user-kp4pc8kn5g 8 ай бұрын
詳しく話されて楽しかったです、新歴だと1月30日だから雪景色の中の討ち入りになってるけど真相はどうなんですか?
@rikom7871
@rikom7871 8 ай бұрын
こらゃ
@rikom7871
@rikom7871 8 ай бұрын
くだもの おお。😊😊😊😊😊
@yoda_dayo
@yoda_dayo 8 ай бұрын
討入は元禄15年12月14日寅の上刻で、西暦1703年1月31日午前4時頃で、快晴で月齢13.6と満月に近いとても月が明るい状況だったようです。 幕府の記録では道端に溶け残った泥まみれの雪がチラホラ残っていた程度、だそうです。 「しんしんと雪が降りしきる中」というのは後世の脚色です。
@asaichban9842
@asaichban9842 8 ай бұрын
浪士たちの就職活動ですよ 堀部なんて 仇討ちで名を上げて仕官できたんだし この時代には浪人が仕官なんてほとんどムリでした たまに 将軍に気に入られ大名になった家に募集はあったでしょうが・・・ 柳沢・間部・加納・田沼とか でも多くは 次男三男とかでしょうが それでも婿入り(堀部もそう)でもできれば
@nene0625
@nene0625 8 ай бұрын
ほーりーさん初めまして、ねねです。そーだったんですね。私「浅野」と言うんです。なんか微妙!? 👍ボタン、チャンネル登録しましたよ。これからも面白いお話聞かせてくださいね😊 もうすぐ10万人頑張って❤
@user-mb8lr5gi5w
@user-mb8lr5gi5w 4 ай бұрын
忠臣蔵は大好きですが吉良様はおっしゃる通りかなりとばっちりだと思います。賄賂大好きとか言われてるけど今だって茶道・華道など道のつくお稽古は先生に贈り物を持ってご挨拶に行くのは当たり前だし、公家衆によしみをつないでもらうのに謝礼無しな訳ないじゃん!と思います。大体勅使饗応役は初めてじゃなかったし前回の記録もあるからもう聞かなくていいじゃん!って思ってたら上手くいかなくて改めて吉良様に泣きついたら「ほうらごらん!私、なんて言いましたっけね?」とか説教されてキレ散らかし・・な気がします。内匠頭のお爺さんは大名火消しの制度を作るのに功績があったそうで有能な人だったから「アレの孫なら」という幕府の期待がプレッシャーだったのかもしれないですね。うちでは年末忠臣蔵の映画を見ながらお蕎麦を食べてると妹が甥や姪に「ほーらごらん、人の上に立つ人に辛抱がないとみーんな迷惑!」とか言うし(幼稚園児にそんなこと言われたって)松の廊下で「この間の遺恨覚えたかーーー」ってやってると「老人なんだから覚えてるわけないじゃ〜ん」って突っ込むし、討ち入りの場面ではみんなでえいえいおーして盛り上がります。でも吉良様はいい人です。
@user-qo4dn1zz6f
@user-qo4dn1zz6f 8 ай бұрын
松の廊下の刃傷、これには綱吉の正室信子と姑桂昌院の争いがあるとか。信子は皇室から嫁にきており“従三位”も位をもっている。桂昌院は“八百屋の娘”なのに“正一位”という高い位を授かろうとしていた。皇室の娘より八百屋の娘の方が高い?普段から仲が悪く、この高い位に怒った信子が刃傷事件を仕組んだとする話もあります。浅野内匠頭の叔父さんだったか増上寺で同じような刃傷事件を起こしており“短期”“乱心”は遺伝なのかもしれません。そこを信子に利用されたのかも?
@user-gw8ok4oh4v
@user-gw8ok4oh4v 8 ай бұрын
浅野内匠頭だったかなぁ。大体江戸城で人情沙汰を起こせば身を切腹、家は断絶。 家にはたくさんの家臣がいる。みんな困る。だから辛抱するのが普通。 それをしなかったのがやはり気が短いだけですまんと思うがなぁ。 家臣がどうなるかということをなあ。だから仕方なく仇討ちということになあ。 仇討ちした人も切腹だなぁ。まぁそれも仕方ない。 確かにその後に良かった人もいたが、多くの家臣は苦労したなぁ。
@user-ug8wq4vw2e
@user-ug8wq4vw2e 3 күн бұрын
人情沙汰…? 刃傷沙汰!
@ビビアン
@ビビアン 8 ай бұрын
子供の頃、忠臣蔵を見るとただの強盗殺人にしか思えなくて違和感あった事を思い出してしまった。
@user-ff1dg1nf7q
@user-ff1dg1nf7q 8 ай бұрын
え、金かものを盗んだの?
@nasubichannel
@nasubichannel 7 ай бұрын
主従揃って、今で言うところのTe-.Ro.リスト。 赤穂、大石、忠臣蔵と耳にするだけで胸KUSOがわるくなってくる。
@user-dl4vx8wv5i
@user-dl4vx8wv5i 8 ай бұрын
藤原隆家の刀伊の入寇もスカッとするぜ!
@user-vb7jv4xw6j
@user-vb7jv4xw6j 2 ай бұрын
喧嘩両成敗と言うけど、吉良は一方的に斬りつけられただけで、自分の刀には手をかけてない。喧嘩ではない。
@ZERO-nr1fo
@ZERO-nr1fo 3 ай бұрын
15:05 主君が主君なら家臣も...
@user-kb8ei1no7b
@user-kb8ei1no7b 8 ай бұрын
堀口さん、 いつも楽しい配信ありがとうございます😊 浅野さんが女好きである事は分かりましたが、 吉良さんの評判ってどうだったんでしょう?
@user-do1uv2wd9g
@user-do1uv2wd9g 8 ай бұрын
数年前迄正月と成ると 必ずと言って😮 忠臣蔵を゙テレビで放映していたがこの頃 観なく成りましたね🤔 映画で忠臣蔵上映して居たのが最後かな😲❓
@user-dl4vx8wv5i
@user-dl4vx8wv5i 8 ай бұрын
いいや、クリスロックの事件もあったし、また...!?
@user-tt3fz1ms7j
@user-tt3fz1ms7j 8 ай бұрын
やるからにはショボイ出演者という訳にはいかないので出演料が馬鹿にならない。ドラマに掛ける費用が縮小傾向なのにセットの費用も飛び抜けて掛かるからと聞いた事があります
@xoxo-dg2dq
@xoxo-dg2dq 8 ай бұрын
昭和の頃は、年末の風物詩、今の江戸の若い子は、興味無いらしいけどね。 赤穂、山科だと義士祭は、一大イベント
@aquaaqua7810
@aquaaqua7810 2 ай бұрын
解説が分かりやすいから、赤穂事件は今で言えばパワハラにブチギレた人がやった傷害事件なんだってことが分かった
@user-ok3ov7pm7g
@user-ok3ov7pm7g Ай бұрын
吉良が勅使饗応役を指導するのは親切心とかではなくれっきとしたお役目で、どちらにせよ浅野が失態やらかせば吉良もお咎めを受ける。 勅使を巻き込むなんてハイリスクな真似してまで嫌がらせなんてするかね?と言う話もありますね。
@333redredred
@333redredred 8 ай бұрын
今では忠臣蔵の映画やドラマもめっきり少なくなりましたが、毎年12月14日の播州赤穂義士祭では、中村雅俊さんや高橋英樹さんら大物俳優が義士パレードの大石内蔵助を演じられるようになりましたね。生で名優の義士姿を見られるとか、ファンにはめっちゃ嬉しいイベントですよね。
@user-tk4ho7fs7v
@user-tk4ho7fs7v Ай бұрын
歌舞伎などのドラマはフィクションも含まれていますが現実にあった事実で彼らの意思を架空のこととしてはいけません。現実に現在も子孫の方々が両国界隈で暮らしていらっしゃいます。皆さん苗字は変わっていますが、吉良邸のそばで現在も汚名を晴らすべく静かに暮らしております。失礼のないようにお気を付けください。
@user-ft5cq9kg9q
@user-ft5cq9kg9q 28 күн бұрын
おばあちゃんが忠臣蔵のファンで泉岳寺まで一緒に行ったわ🙂🙂🙂
@user-bd6ms9jc6x
@user-bd6ms9jc6x 8 ай бұрын
浅い知識での感想で失礼します。浅野内匠頭は接待は二度目ということで、不適格者なら二度まで任命されたのだろうかとは思いました。 それに、問題のある女好きだったそうですが、とにかく「切腹」という事をやってのける程の精神力を持つ人物であったことは確かだろうと思います。 また、大石内蔵助ら四十七士が自らの切腹も覚悟の上で、非常に綿密な計画をたてて吉良上野介を討ったということは、 それなりの動機があったはずではないでしょうか。女好きの君主はザラにいますが、臣下が自主的に命を賭けて復讐をするというのはそれだけの忠誠心を持たれているという事だと思われます。 「討ち入り」にはいろいろな説や伝承があり、それぞれ成る程と思いますが、結局、大石内蔵助が松の廊下で刃傷に及んだ理由経緯が不明とされている事が一番不審に思われ、 また、そこが明らかにならない限り真相も永遠に藪の中という気がします。 ただ真相は兎も角、映画か何かで観た時に大石内蔵助の策謀術には感嘆したものでした。
@user-yl9ek9le7m
@user-yl9ek9le7m 8 ай бұрын
戦国から既に100年を経た元禄頃には、腹に刀を当てた瞬間介錯人が首を落とす「 扇子腹(扇子を当てるだけでも良い)」に移っています。内匠頭もこれです。 赤穂浪士も小刀で腹を切ったのは大石以下数名です。 三田村鳶魚は「元禄快挙別祿」に「大石の切腹は非常に見苦しかった」と書いています。 苦痛を伴う切腹が再び盛んになるのは、人心が滾った幕末になってからです。 「堺事件」の土佐藩士など、腸(はらわた)を掴み出し検視役のフランス公使に投げつけているし。
@user-yl9ek9le7m
@user-yl9ek9le7m 8 ай бұрын
ついでに。 武家の忠義は殿様個人にではなく、家へのものです。 加えて長矩の祖父で赤穂藩初代藩主の長友が名君で(領民から見るとちょっと違いますが)、多くの家来に慕われていました。 長矩の取り立てた家来はほぼ討ち入りに参加せず、瑶泉院が「何故か」と問うているほどです。 一方討ち入り側には「当代には何の恩顧も蒙っていない」とわざわざ書き残している人もいて、ちょっと異様な嫌われぶりです。
@user-bd6ms9jc6x
@user-bd6ms9jc6x 8 ай бұрын
@@user-yl9ek9le7m ありがとうございます。家への忠義心、扇腹、等々勉強になりました!
@user-iw6im2dl8z
@user-iw6im2dl8z 4 ай бұрын
老後五万で1人で生きる おじいちゃんの姿ですよね 本当は孫娘と御飯も食いたいよね忙しいし相手にもされず こんなにほんになってまた😢
@user-kd4vu8qd7u
@user-kd4vu8qd7u 8 ай бұрын
吉良を悪者に描かないと、スカッとしないからね。
@oomiyaken1952
@oomiyaken1952 8 ай бұрын
浮世絵解説の矢印(悪玉、善玉玉)逆じゃないか?
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진영민yeongmin
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