【蒸気機関車より遅いディーゼル機関車】あまりにパワーが低すぎて坂を登れないディーゼル機関車が存在した

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鉄道研究所 / RailWay Laboratory

鉄道研究所 / RailWay Laboratory

Жыл бұрын

近年、自動車業界のみならず、非電化路線で使用される鉄道車両においても電動化が進んでいます。
例えば、仙台と石巻を結ぶ仙石東北ラインのHBE210系気動車においては、エンジンの動力を発電機を回転させる電力用として使用し、発電機からの電力と搭載された蓄電池の電力と合わせて電動機を駆動する、いわゆるシリーズハイブリッド方式を採用しています。
このほか、パラレルハイブリッド方式を採用していたJR北海道のキハ285系、2022年7月1日から営業運転を開始したJR東海のHC85系。
また、ハイブリッド方式ではないものの、シリーズハイブリッド方式から大型バッテリーを除外し、ディーゼルエレクトリック方式を採用したJR東日本のGVE400系、JR北海道のH100形気動車、JR貨物のDF200形機関車。
さらに、エンジンを搭載せず大型蓄電池に蓄えられた電気エネルギーのみで走行する、JR九州のBEC819系、JR東日本のEVE801系。
このように、近年では自動車のみならず、非電化路線で使用される鉄道車両においても、エンジンを最終的な動力源として使用せず、発電用として使用したり、大型蓄電池を使用して最終的には交流モーターで動かす、いわゆる電動化が進んでいるのです。
皆さんは非電化路線用の鉄道車両と言えば、燃料の匂いが漂う、液体式気動車を思い浮かべると思います。
しかしながら、長い鉄道車両の歴史を紐解くと、非電化用車両における電動化は戦後間もない時期から研究されてきたのです。
そんな中、非電化幹線の無煙化の為、1957年に開発されたのが国鉄DF50形ディーゼル機関車です。
国鉄における客車列車・貨物列車の運用が可能な最初の量産形ディーゼル機関車であり、北海道を除く日本各地の非電化幹線において、特急列車から貨物列車まで幅広く活躍していました。
しかし、幹線の主力機関車として運用するには機関車のパワーが低すぎるという根本的な弱点を抱えており、一部の蒸気機関車よりも最高速度・最大パワー・均衡速度が劣っていたのです。
今回は、日本のディーゼル機関車の歴史と、日本初の非電化幹線用機関車であり、蒸気機関車よりも遅いと呼ばれたディーゼル機関車、国鉄DF50形ディーゼル機関車をご紹介いたします。
【映像を頂いた方々】
・SRDさん: / @srd-railway
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一部画像引用:ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%...

Пікірлер: 113
@gogogosubaru
@gogogosubaru 6 ай бұрын
大型蒸気より出力や牽引力が低いのは当然分かっていて開発しているわけであって。 トンネルの多い区間での無煙化や、総括制御による重連運転の容易化、両運転台による転車台の不要化などのメリットを優先したのです。
@ksrse30
@ksrse30 Жыл бұрын
福知山線や紀勢線の旧客はこれでした。60年以上前にこんな技術があったこと自体、誇りに思って良いと思いますね。
@user-sd7mt8ky5f
@user-sd7mt8ky5f Жыл бұрын
大変懐かしい動画の内容でした。 小さいころ、線路の近くでキーーンという音が近づいてくると、姿を見なくてもDF50だなとすぐに分かりました。 夜走っていると、機関車の中は薄暗い電気で灯されていただけなので、今思い出しても郷愁を誘う感じです。 下関だったので、ありとあらゆる機関車が走っていましたが、DF50は個性が強かったですね。
@21raptor1
@21raptor1 Жыл бұрын
「無煙化」に貢献したDLですね。 直列8気筒のエンジン音、生で聴いてみたくなってきました。
@user-op8he5xq3e
@user-op8he5xq3e 9 ай бұрын
DF50型は、昭和50年ごろ 山陰本線京都口でみたことがあります。
@seijirofto.de2a838
@seijirofto.de2a838 Жыл бұрын
DF50は、紀勢本線を走る『紀伊』を牽引する姿を図鑑で見たのが唯一です。 DD51のコンセプトは「最高速度はC61、牽引力はD51」と単純明快。 機械的にも、電気的にも、アイデアが生まれてから技術が成熟していくのには、 時間がかかりますね。
@TokyoNullpo
@TokyoNullpo Жыл бұрын
かつてのブルートレイン富士号が宮崎ー西鹿児島(現:鹿児島中央)間で使われておりましたね。
@osakakawachi
@osakakawachi Жыл бұрын
DF50が牽引するブルトレって、いずれも短編成ばかりでしたからね。 ごくまれに「出雲」でDD54の代走として長編成ブルトレを牽引する事があったみたいですが。
@tif9590
@tif9590 Жыл бұрын
実際の最高速度だと8620かC50並み 牽引力が9600並みかな
@user-ym1pv1zy6i
@user-ym1pv1zy6i Жыл бұрын
私は関西人なので、DF50といえば「紀伊」を牽引していたのが印象に残ってます。 弁天町にあった交通科学博物館にDF50を見る為によく行ってましたね。
@user-bk1sp2gc8q
@user-bk1sp2gc8q Жыл бұрын
電気式を採用する最大のメリットは、エンジンの回転と車輪の回転を完全に遮断することができる点にある 内燃機関というのはアイドリング状態でも常に回転し続けているため、停止する際にはエンジンと車輪の接続を遮断する必要がある そのため、機械式のクラッチやトルクコンバータが必要になるが、エンジンの高出力化が進むとその負荷に耐えられなくなる そういう意味でエンジンの出力を発電にのみ使用する電気式は、理想的なパワーユニットとなり、諸外国ではこの方式が主流となった しかし、それらは軸重17トン以上を許容できる路線を有する国と地域に限られており、日本のような軟弱地盤に脆弱軌道の日本では主流となりえなかった 極端な言い方をすると、DF50がSLよりも非力とされたのは、軸重を15トン以下に抑える必要があったからといえる 現在主力となっているDF200は軸重が16トンを超える路線での運用を前提に開発されており、そういう意味でも国内では初の試みがされたといえますな
@tif9590
@tif9590 Жыл бұрын
液体トルコン式の本場だったドイツの場合も結局は電気式に屈服したし
@user-ym1pv1zy6i
@user-ym1pv1zy6i Жыл бұрын
アメリカは試験的に液体式を導入したことありますけど、10年も経たないうちに止めましたね。
@user-is9nu7ho9c
@user-is9nu7ho9c Жыл бұрын
DF50が優れていた点は初めて採用されたBo - Bo - Boの軸配置だろうな。 DF50以降現在までEF62以外全てのF級機の軸配置の原点となっている。
@gambasuki
@gambasuki Жыл бұрын
DD51のように本線用大型機関車までトルクコンバータを用いた液体式が主流というのは日本の他はドイツくらいでした。日本の場合は線路がぜい弱でエンジン+発電機+主電動機という重量物を支えきれなかったのが理由です。非電化路線でマイルトレインと呼ばれる超重量級貨物列車が行き交う北米などでは昔から現代まで一貫して電気式ディーゼル機関車が主流です。
@user-wh6se3ib3v
@user-wh6se3ib3v Жыл бұрын
福知山線にてこの機関車の牽く客車列車はとにかく加速が悪かった印象が子供心に残っています。 そのかわりに出発時の衝撃はおだやかだったように感じました。 厳冬期にSGから高々と排出される蒸気は迫力と美しさがありました。
@user-ym1pv1zy6i
@user-ym1pv1zy6i Жыл бұрын
やっぱりパワーはDD54が勝りましたね。
@NaruoKusugawa
@NaruoKusugawa Жыл бұрын
DF50の空気圧による制御はスグレもので、本質的には無段階制御だから粘着力面で最高効率を叩き出します。 一応制御器にノッチが刻んでありますがこれは見せかけだけで、他の形式なら深刻な故障を起こしかねない段刻みの中間も使用できます。 なお蒸気機関車と比べるなら、当時まだまだたくさん残ってたC51辺りが適当かと。 C51淘汰の為の新形式C63計画を潰したのがこのDF50という話もあるようで、スペック的にもまあまあ近いです。
@nion8851
@nion8851 Жыл бұрын
モーターが交流になったのが大きい。直流だとパワーを出すには大型にしないといけず どうしても重くなってしまうが、交流+VVVFインバータにより軽量かつコンパクト になりメンテナンスも簡略化できた。液体式はトルクやレスポンスに優れるのかも しれないが、それに耐えるトルコンの開発も出来てないし、電気式に比べメンテナンス も大変なことから作られる可能性は低いと思われる
@user-bp8pc7oi3w
@user-bp8pc7oi3w Жыл бұрын
日豊本線の南宮崎から西鹿児島間電化開業の時に宮崎に住んでいて,DF-50の南九州最期の時を撮影して回っていました。 機関士さんに反位運転台に乗せてもらったりしてました。 宮崎機関区所属のDF-50はトップノッチが使えないようにボルトで止めてあったのが記憶に残ってますね。 乗り心地が良かったのも意外でした。
@akio3488
@akio3488 4 ай бұрын
df50機関車の採用は新幹線を実現させた十河信二さんの功績ですね。
@sunami808
@sunami808 3 ай бұрын
タイ国鉄もディーゼル電気式機関車ばかりですね。1960年台のGE製ディーゼル電気式残ってますが、その後に入った日立製液体式は廃車になってます。他にフランス製や中国製が入ってます。中国製の機関車は寝台特急を最高110キロくらいで牽引しています。米国でアムトラックの旅客列車を牽引していたGE製機関車は130キロ位で巨大な二階建て客車を牽引
@Katoki-6801
@Katoki-6801 Жыл бұрын
地元米子機関区では、MAN社製の500番台に全て置換えられたのを、子供の頃良く見てました。
@user-rz3tp5kb5z
@user-rz3tp5kb5z Жыл бұрын
DF50がデビューしたのは 確か1957(昭和32)年… 晩年期に山陰本線の旧客 列車に乗った際に世話に なった事は覚えています!
@sini5691
@sini5691 Жыл бұрын
これ四国のエースだったよw客車引いてるこいつによく乗った
@sbossan
@sbossan Жыл бұрын
DF50といえば、日豊本線を走るブルトレ富士を引く雄姿を思い出しますが、そんなに非力だったんですね。デザインはかっこいいですが。
@user-ym1pv1zy6i
@user-ym1pv1zy6i Жыл бұрын
DF50を非力とか馬鹿にする人がいるけど、北陸本線の杉津越えなどでは立派に補機として活躍していたぞ。
@masa695
@masa695 Жыл бұрын
ディーゼル電気式は重連時に総括制御しやすいからな 50年代にトルコン並の制御なら飛びつくだろ
@ASUKA-F44
@ASUKA-F44 Жыл бұрын
DF50型ディーゼル機関車、中学時代によくお世話になりました。 山陰本線京都口や福知山線では特によく旧形客車列車にお世話になりましたが、先頭に立つのは、必ずDF50型でした。 もう50年も前になりますね( ゚Å゚;)
@superhitachi651
@superhitachi651 Жыл бұрын
旅客用の気動車も、統括制御のために液体式よりも先に電気式が入りましたよね。ただこちらは液体式本格導入までのつなぎだったようで。
@takachan926
@takachan926 Жыл бұрын
DF50、懐かしいですね。45年前頃、大阪の大学に通っていた頃、帰宅時、自分がいつも乗る電車の直前にDF50が牽引する福知山線の客車が入ってきてました。草津線はDD51が引いていましたから、大阪ではこんな機関車が走ってるのか、と思ったものです。ポンポンポンというエンジン音は経験してないと思います。ドドドドだと思います。 当時はDLに関してあまり知識がなかったのですが、後でDD51の方が大出力であることを知りました。草津線の場合、加太ー柘植の峠を越えてくるのでDD51でないと難しかったのでしょう。DD51でも重連で、バスがローギアで坂を登るようなスピードでしたから。DF50だったら3重連は必要だったでしょう。
@user-qg3dd3bv3k
@user-qg3dd3bv3k Жыл бұрын
土讃線のサヨナラ運転は、大杉駅から阿波池田駅まで追いかけたな~😭 当時高校生だったから、原付バイクで国道を走ったっけ。
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 6 күн бұрын
♪ぬ~す~ん~だば~い~く~では~し~りだ~す~!😁
@a2s54ghu76
@a2s54ghu76 Жыл бұрын
早期に電化の対象にならなかった路線は輸送密度が低く線路規格も低いというのが相場。 出力の割に重量が嵩む古い方式の電気式DLはそうした路線にはもともと不向きだったのでしょう。
@TAKAHASHI550
@TAKAHASHI550 Жыл бұрын
1970年代に九州に行ったとき、特急、富士、彗星を牽引する DF50 機関車を見ました。どこの駅か忘れましたが日豊本線の単線区間で、 DF50 の機関士が、タブレットを螺旋状の駅のタブレット受けに高速で引っかけて、くるくる回っていたのが印象に残ってます。 DF50 DD51 DF200 と非電化区間のディーゼル機関車の変遷がよく分かりました。
@user-rz7zc2vl2d
@user-rz7zc2vl2d Жыл бұрын
日豊本線の行橋駅に富士のヘッドマークつけて停まっていたのを高校生の時通学中に見た記憶があります。もう50数年前の記憶です。その頃の行橋は9600、C11、C50などが停まっていたな。電気はEF72?だったかな。
@user-fz4qk1mj2z
@user-fz4qk1mj2z Жыл бұрын
@@user-rz7zc2vl2d さん 日豊線に配置されたELは、大分(幸崎)まで電化された時はED74で、その後宮崎まで延長された時にED76に交代したようですね、行橋にいたSLは田川線(現:平成筑豊鉄道)への運用では?
@user-rz7zc2vl2d
@user-rz7zc2vl2d Жыл бұрын
@@user-fz4qk1mj2z 返信ありがとうございます。行橋の蒸気は田川線専用みたいだったですね。私もC11の客車で通学してました。C50は日豊線だけだったみたいですね。千鳥と波の模様がついた門デフをつけた車両がありましたよね。珍しくて写真にとってアルバムに貼っています。ターンテーブルがあって大きな駅でしたね。
@user-ym1pv1zy6i
@user-ym1pv1zy6i Жыл бұрын
DD51を駆逐したDF200でさえ、間もなく後継機への交代が始まりますね。 歴史は繰り返す。
@nozomi-kq8mo
@nozomi-kq8mo Жыл бұрын
昭和47年から52年まで紀勢線沿線に住んでいたので、DF50ズルツァー型は日常の中にありました。エンジン音は動画では「ポンポンポン」と表現されていますが、私の記憶の中では「ドッドッドッドッドッドッ」です。オノマトペで表現するとマン型と変わりませんねw ちなみに、マン型とはとうとう会えずじまいでした。
@masayoshi6951
@masayoshi6951 Жыл бұрын
私の記憶の中でも「ドッドッドッドッドッドッ」です。近くに来ると電気機関車の音が1/3位混じったような~ もう一度聞いてみたいですね。MAN型の音は記憶に無いですね。当時は混在区間?の予讃本線沿線に住んでました。
@R.K.1964.
@R.K.1964. Жыл бұрын
DF50、このディーゼル機関車、今でも好きです。😊
@DM-wu9cp
@DM-wu9cp Жыл бұрын
いすみ鉄道が新型気動車を国鉄型のデザインで作らせたみたいに、DF200をDF50のデザインで1両作ったら面白そう。
@user-wg5ox5su1d
@user-wg5ox5su1d Жыл бұрын
DF50は1983年に全車引退となるが 1号機・4号機・18号機が現存する。
@nnrcer
@nnrcer Жыл бұрын
この時代に エンジンで発電してモーターを回すという発想が出ててきたのはすごいですねぇ
@user-kr1bu6rl2q
@user-kr1bu6rl2q Жыл бұрын
アメリカ戦艦に前例あり
@user-my7ur8qc9y
@user-my7ur8qc9y Жыл бұрын
WW2のポルシェティーガー戦車もこの方式です。
@kondoura
@kondoura Жыл бұрын
電気式ディーゼルカーは、戦前相模鉄道のキハ1000も珍しい採用例かなと思います。後に電車に改造されました。
@user-pf4wn5un7i
@user-pf4wn5un7i Жыл бұрын
DD51形は「はまなす」を単機牽引していたさいに、300t牽引時の10‰勾配で均衡速度60km/hだったはず。24km/hでは寝台特急を牽引できないと思いますよ。
@yy-hm7kw
@yy-hm7kw Жыл бұрын
DF50=寝台特急富士&喜劇 急行列車
@SleeperExpressJNR
@SleeperExpressJNR Жыл бұрын
DF50、差人本線でお世話になったカマ。確かに今にして思えば非力なカマだったけれど…然しまだ冷房が極一部の優等車のみ、グリーン車(当時は3等級の2等)ですら扇風機しかない時代、急行旅客列車だけでも無煙化したい!という要求に応えた功績は無視出来まい(^^);
@user-gn6bf7lu7n
@user-gn6bf7lu7n Жыл бұрын
ディーゼルも最初は電気式で 開発されていたんですね 今のハイブリッドはある意味 原点回帰みたいになってるのか 現在は様々な技術が出てきたから それらを組み合わせた結果 こうなってしまったのか…… そういえばこの手の様な ハイブリッドの営業車両 西と四国以外は持ってるのよな…… (エンジンとバッテリー両方持ちとなれば 東と東海のみだけど)
@user-zd1rt6vr6r
@user-zd1rt6vr6r Жыл бұрын
液体式変速機の開発が上手く行っておらず、かつ電動装置が未発達だったから、最初は電気式でしかディーゼルエンジンを使えなかったから だけど、海外はむしろディーゼルエレクトリックが多かった。
@user-bv1lq9ts3c
@user-bv1lq9ts3c Жыл бұрын
一般向けの列車ではないけど、JR西は瑞風がハイブリッドですし、 新型検測車と試験中のローカル線向け新型車が電気式DCですよ。
@user-ce8qx5hg1t
@user-ce8qx5hg1t 9 ай бұрын
DF50は確かに非力ではあるものの日豊線の山道勾配区間ではC61より扱いやすかったというお話もありますね。DD51は2200PS分のエンジンは積んでいますが、実際の出力でC62は上回りませんね。
@user-ee2ml4yx5g
@user-ee2ml4yx5g Жыл бұрын
ヒバリと烏山のアイツ「なんか忘れられてない?」
@DjentlemanJP
@DjentlemanJP Жыл бұрын
要は日産のE-POWERと同じようなことしてるってことで合ってますか?
@user-sv8ts5dm4g
@user-sv8ts5dm4g Жыл бұрын
DF50に引かれた日豊本線経由のブルトレ『富士』に乗りましたよ。 登坂力が悪く非常に非力な感じがしました。 ところで電気式DLは合衆国がトルコンを使うのをあまり好きで無く、GEとかEMDとか大出力機関車の土壇場ですね。 ダブルスタックコンテナ積みで何十両も牽引している。 最近の旅客用は、SIEMENSチャージャーを使う例が多いですね。 あと交流モーターを発明したのが、故ニコラ・テスラ氏だと初めて知りました。
@user-lm7gv1mt5w
@user-lm7gv1mt5w Жыл бұрын
今での電気式ディーゼルエンジンは DF200がありますね ディーゼは1800馬力 主電動機はVVFインバータ320Kwを6台を 乗せる❗
@user-rf5fu6zc9y
@user-rf5fu6zc9y Жыл бұрын
坂を上れないことはない、むしろ引張力はSLより数段上。ただ、絶対的馬力が無いのでスピードが出ない。
@user-lh7km9qx5t
@user-lh7km9qx5t Жыл бұрын
HC○○系というのは現在JR東海のひだ・南紀だけですけど、今後はこういうタイプの特急も増えそうですな
@user-gx4ms7xx7m
@user-gx4ms7xx7m Жыл бұрын
DF50といえば日豊線でヘッドマークを掲げた富士が印象的だったなぁ。時代は液体式コンバータの進歩で大規模単機エンジンの時代に…満を持して登場したDD54…おや?誰か来たようだ。 機構的には簡便な電気式の方がよかったけれども,軸重の問題で日本では使いにくかった。3相交流モータの進展が大きいですね。
@user-ze4fk1gw3e
@user-ze4fk1gw3e Жыл бұрын
DF50が電化前の中央本線か中央西線で走っていた写真を何かの本かサイトで見た記憶があったような気がする。
@user-xs2oc6jm3c
@user-xs2oc6jm3c Жыл бұрын
DF50は僅か600kw高速電車1両の出力、これで特急から峠路線で貨物の補機、本務機と煙の避けたい路線で大活躍、DD50の4軸から6軸に
@user-xs2oc6jm3c
@user-xs2oc6jm3c Жыл бұрын
なり粘着性能が良く無理が効いたのだと思います。
@tif9590
@tif9590 Жыл бұрын
特急牽引したいなら重連運転じゃないとダメだったんでは
@user-vr9hb6du9t
@user-vr9hb6du9t Жыл бұрын
1番好きなディーゼル機関車です!? 四国のは見ましたが、津山にも、保存されています!? 紀勢線一周した時に、何度か見た事が有ります。
@user-bp2lo9ot6s
@user-bp2lo9ot6s Жыл бұрын
大事な旅のお供である
@user-xc8zx9fo8e
@user-xc8zx9fo8e Жыл бұрын
15:15の表はちょっと違う視点が混ざっていると思う。 DF50は、当時(1955年ちょい後頃)の国鉄が量産化に成功した日本初の本線用ディーゼル機関車だ。 当時、電気式のDLは機器類が大きくて重く、その数も増えるので、重量や製造価格が上がるために、貧弱な軸重(一つの車軸にかかる重量)しか許容できない当時の日本のローカル線を鑑み(かんがみ)たときに、国鉄が電気式DLや電気式気動車を忌避(きひ)したのは当然の成り行きだった。 しかし、1000馬力以上を吸収する大容量の液体変速機を設計できなかった当時の国鉄には、電気式のDF50を選択せざるを得なかった。 だから、その数年後(1960年ころ)に、大容量の液体変速機の設計製造が可能になると、気動車や入れ替え用DLも含めて、そのほぼすべてのディーゼル車は、その構成部品が少なく、軸重が軽くて、価格も安い、液体式での増備が進んだのもこのためである。 液体式のDD51が出てきたのが1960年ごろだったが、この後の約30年間は、ほぼすべて液体式のものしか製造していない。 本線用の電気式DLのDF200が出てきたのは1990年代頃で、この間にずいぶん電気機器や機関等の軽量化、高機能化、高性能化、そして低価格化も進んだためだ。 電気式や電気的な「気動車」等が、出てきだしたのは、ここ10年位前からだ。故障が比較的少なく、メインテナンス等にも有利なメリットがあるからだ。現在では、軌道強化や電化が進んで点もある。 そんな情勢の中で登場したDF50は、その約10年後にできた支線区用、入れ替え用の液体式DLのDE10とほぼ同じ出力だ。 ズルツァーエンジンを積んだ0番台は、そのモーターが100kw×6台であった。101系電車の電動車1ユニットが100kw×8台だからその非力さがわかる。 500番台のマン型が110kw×6台で、103系電車が電動車1ユニット110kw×8台だから、マン型ですら101系電車の1ユニット分のパワーに達しなかった。 ここで使われているモーターは101電車のものとほぼ同じものである。 101系電車1ユニットの75%・約80%の出力のもので、特急列車、急行列車を引っ張っていたという何とも奇妙なことをやっていた。道路交通で言えば、牽引装置付きのキャンピングカーのトレーラーの部分(約400kg~750kgのもの)を、原付バイクで引っ張って、幹線道路を長時間走っているようなものだ。 当時、大容量液体変速機をつくれなかった国鉄の苦肉の策として製作されたのがこのDF50であった。SL駆逐等の、需要増からの要請に無理に対応しようとしたためにできた副産物でもあった。
@ThePaysuke
@ThePaysuke Жыл бұрын
DF50が開発された頃は、電車が抵抗制御で直流モーターを使っていた時代だもん。EF65並の機関車に発電機を乗せたら、単純に考えても自重が倍だよね。
@tif9590
@tif9590 Жыл бұрын
当時だとE F58並みの機関車に発電機では
@nikkeiheiri6745
@nikkeiheiri6745 Жыл бұрын
あり?MT54って電車でも聞いた主電動機だったような・・・?
@yotarou1971
@yotarou1971 Жыл бұрын
初めましてっ 国鉄形式の485系などの代表の直流モーターだったようなっ?
@user-bt8mx9pp9o
@user-bt8mx9pp9o Жыл бұрын
正直、ディーゼルの排気臭大好きなんですよねぇ… 東京ではクンカクンカすること出来ないけど 名古屋に行った時はわざわざ在来線10番線?まで行って 胸いっぱい吸って来てました😁
@nswave-nonnon
@nswave-nonnon 7 ай бұрын
私が子供の頃 昭和45年から48年位だと思いますが 当時、北海道 札幌の国鉄東札幌駅 貨物基地で運用されていたのを覚えていますよ 当時ほとんどが蒸気機関車だったのにこの機関車がいたのを子供ながら珍しい機関車がいたので覚えてますよ
@user-nx7wr8cv8r
@user-nx7wr8cv8r Жыл бұрын
DF50 ha騒々しい機関車でしたね
@user-re4tk6jb7c
@user-re4tk6jb7c 10 ай бұрын
トヨタ式(シリーズパラレルHV)は無理かなぁ シリーズ要素とパラレル要素の良いとこ取りした最強のHVシステムが鉄道車両でも実用化したら胸熱 285はパラレル方式だからホンダのi-DCD(フリードHVと同様)だし
@TSUYOS185
@TSUYOS185 Жыл бұрын
昭和30年代には無煙化で労働環境の改善や要員の削減には貢献しましたね。いろいろ工夫したものの液体式の方が効率が良かったのでしょう。 近年普及しているのは交流モーター普及の結果ですね。
@yotarou1971
@yotarou1971 Жыл бұрын
初めまして! 交流モーターを制御できるシステム(インバーター)の発展ですよねっ!ただ半導体の寿命が稼働のリスクですねっ!!
@toriri-service
@toriri-service Жыл бұрын
「牽引はできるものの著しい速度低下…。」確かに『特急富士』の宗太郎越えの上り勾配では 30km/h台まで落ちてしまったそうです。(しかも被牽引客車は軽量な20系) 尚 DD51は2200馬力ですが これはエンジン単体の出力で 車載状態の動輪周出力は エアクリーナー装着や伝達損失等で1300kw程度と聞いた事があります。
@user-mo4jo6en2j
@user-mo4jo6en2j Жыл бұрын
REDBEARのDF200は貨物列車をガンガン引っ張っているね、
@user-eg1ii3fd6m
@user-eg1ii3fd6m 8 ай бұрын
昔、同じ九州内でも、非電化区間の寝台特急さくらはDD51牽引だったのに、何故か寝台特急富士の非電化区間はDF50だった。 あと、DF50 は列車を牽引して営業運転中に何度か発火事故を起こしている。しかし、他のディーゼル機関車ではそんな事故を聞いた事が無かったので、DF50=萌えるイメージが強い。
@user-gi3cw2iy5f
@user-gi3cw2iy5f Жыл бұрын
四国で活躍してたね DD50は亀山駅か米原駅で見たけど動いてなかった ドイツのハンブルク中央駅で見た機関車と同じエンジンだったんだね MANは東京消防庁のはしご車で活躍したね
@user-ff9zq2pc5d
@user-ff9zq2pc5d Жыл бұрын
DF50の0番台は三菱重工と三菱電機の製造の縁なのかDF200の試作機と0番台のMTUエンジンの検査は北海道三菱ふそうが担当しています
@sayaandmasa
@sayaandmasa Жыл бұрын
アメリカのガトー級潜水艦みたいだな。
@user-qn2op4pp8x
@user-qn2op4pp8x Жыл бұрын
DF50は弁天町の交通科学博物館で保存されていたのを見たことがあります。それにしても現在の非電化路線の電動化という考え方が1950年代からあったというのは驚きですね。
@user-ym1pv1zy6i
@user-ym1pv1zy6i Жыл бұрын
私もDF50を見る為に何度も弁天町の交通科学博物館に行きました。 今は津山の、学びの鉄道館で保存されてますね。 個人的にはDF50は今でも世界一美しいディーゼル機関車だと思います。
@yamato1332
@yamato1332 Жыл бұрын
5:06 これは1894年の間違いかな?
@user-xn7zi8yk3q
@user-xn7zi8yk3q Жыл бұрын
好きなディーゼル機関車でした……。😭
@t.w.6664
@t.w.6664 Жыл бұрын
285系気動車とHC85系気動車を同じ枠で説明されていますけど、これだとHC85系もパラレルハイブリッドと勘違いします。HC85系はシリーズハイブリッドです
@qzp01467
@qzp01467 Жыл бұрын
DD50を忘れないで、こっちの方がDF50より先に走り出してるんだから。運用的にはDH50といってもおかしくない、片運転台の国産初の本線クラスの電気式ディーゼル機関車
@DK_UhoUho
@DK_UhoUho Жыл бұрын
こいつ弁天町にいたっけ? 一番最初に見たのは伊予西条やけど 次がどこか忘れた
@user-qb8ji7qi3y
@user-qb8ji7qi3y Жыл бұрын
今は梅小路に居るのは、恐らく弁天町から来たものではないかと。
@yamatokoizumi
@yamatokoizumi Жыл бұрын
5:04→1884年じゃないでしょうか?
@user-on7xo9vj5d
@user-on7xo9vj5d Жыл бұрын
軽油を使う萌えにくいという最大利点をアピールしていない点で何だかなぁ
@crankyfranky9801
@crankyfranky9801 Жыл бұрын
太平洋戦争中ガソリンカーの大事故が今のUSJ近くで起きて大量に死者を出してるもんな
@akio3488
@akio3488 Жыл бұрын
トルクコンバータの技術が未熟だったからね。重くなることは百も承知でも仕方なかった時代のこと。今この時代に電気変換させることがわからない。電池積むならわかるが積まない物は馬鹿としか言いようがない。エネルギーってやつは変換校庭にロスが発生するものである。大証関らず、回転エネルギはそのまま使えず、電気エネルギーに変換して電気エネルギーとして使う方が省エネなんだけど。Dd50は鼻から、重連として計画されたものである。永久固定重連eh10みたいなもの。SL駆逐するのはdd54完成までできなかったんですよ。さきにでた51もトラブルが多くて、エンジン、駆動装置を2基搭載することでの保守コストが半端ないことで54が計画された経緯がある。
@user-cb7uc2od6n
@user-cb7uc2od6n Жыл бұрын
内燃機関の電動化の先進だが、技術力不足で未熟他ならない話やったろ✋💦🔵🚃
@user-dk8ef3pk3n
@user-dk8ef3pk3n Жыл бұрын
子供だった頃、土佐一宮~大杉間をDF50牽引の客車列車を利用したとき、土佐山田〜繁藤間の勾配をやっとの思いで登ったのを思い出しました。 それと、試作機関車のDF40の存在を紹介してもらえたらよかったと思います。昭和50年までDF50と貨物列車で共通運用してたので…
@user-lk9st6yj7y
@user-lk9st6yj7y 11 ай бұрын
僕の少ない脳味噌で考えるなら、要は電気でモーターを回して動くのだからM車でなないでしょうか。発電所をディーゼル発電で行い、架線は無いもののその発電した電気でモーターを回して動くのであればモーターカーではと思うのですが・・・
@kazu-be1uv
@kazu-be1uv Жыл бұрын
三菱製!?三菱重工製の試作ディーゼル機があるんですか?
@user-fz4qk1mj2z
@user-fz4qk1mj2z Жыл бұрын
kazuちゃん猫好きさん 三菱は現在の神戸造船所で 鉄道車両の生産を始め(自動車も神戸で生産を始めた)その後、三原製作所(現在は鉄道車両から撤退)で生産していました。
@kazu-be1uv
@kazu-be1uv Жыл бұрын
@@user-fz4qk1mj2z なるほど!僕は、父が数年前まで「三菱重工フォークリフト」の会社に勤めていたのでちょっと気になりました。
@user-fz4qk1mj2z
@user-fz4qk1mj2z Жыл бұрын
@@kazu-be1uv さん 三菱フォークリフトは、相模原製作所で生産していましたが、相模原の建設機械が「キャタピラージャパン」に移管して、フォークリフトも2~3.5tクラスは、「日本輸送機(ニチユ)」に移管してますね(営業部門は、三菱とニチユの共同会社)
@user-ff9zq2pc5d
@user-ff9zq2pc5d 5 ай бұрын
ちなみに、DF50の0番代が三菱重工と三菱電機製造の縁からかDF200の試作機と0番代のMTU(旧マイバッハ)エンジンは北海道三菱ふそうが検査を担当しているそうです
@yuikubo10
@yuikubo10 Жыл бұрын
5:04 「トルクが太いディーゼルエンジンは1984年の開発以来,1910年代まで…」となっていますが文脈的にも年代的にもおかしいのでは。1884年開発の間違いのような。
@user-dr1pz1vu9x
@user-dr1pz1vu9x Жыл бұрын
まあ日本は世界的には主力な電気式を技術的にあきらめて 国産ではまだましだった液体式を推進しただけだがな そしてまさにガラパゴスな状況になったわけだ まあファンとしては液体式天国の日本は面白かったわけだが♪
@SHUN1ASA
@SHUN1ASA Жыл бұрын
日本の非電化路線は軌道が弱かったので、とにかく機関車の重量を軽くすることが求められました そのためモーターとエンジンを両方搭載することで絶対的に重くなる電気式機関車は、国内では事実上採用不可能だったのです ちなみにシステムの構造としては、昔から電気式の方が遥かに簡単です 液体式(トルコン)は開発も保守も難しいので、むしろ海外では不人気でした 決して電気式の技術開発が困難で諦めたわけではないですよ その証拠に、日本メーカーが製造し輸出した機関車には、電気式が多数あります とにかく日本は昔から軌道(線形を含む)が最大の弱点でして、近代化完了時期までの機関車開発は全て「軌道条件」に縛られてました 画期的なのに「重くなる」と言われて不採用になったアイデアがどれほどあったか…
@takurohkunimoto3971
@takurohkunimoto3971 Жыл бұрын
東洋経済オンライン(?)にあったけど、日本のディーゼル機関車は世界での競争力ゼロだそうで。とどのつまりはDD51で成長が停まったガラパゴス、ということか?またもやDF50みたいに海外の技術に頼るかDD12みたいに輸入することになるのか?
@photo_kyoto830
@photo_kyoto830 Жыл бұрын
戦前にもDD10型電気式デイーゼル機関車はありましたよ。ガソリン電気式なら、キハ43000系が有名、大型ガソリン機関を積んだキハニ36450もありました。 戦後はキハ44000系が電気式として製作され、キハ45000登場までの繋ぎとして、量産されました。 戦前の技術のどこがダメで、どのようにして現代に電気式が復活したのか、もう少し研究してから動画投稿されてはいかがかな? Wikiの受け売り動画は混乱を招くだけ、迷惑だ!
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