【蒸気機関車より遅いディーゼル機関車】あまりにパワーが低すぎて坂を登れないディーゼル機関車が存在した

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仙台撮り鉄 / Tohoku Railway Movies

仙台撮り鉄 / Tohoku Railway Movies

Күн бұрын

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@gogogosubaru
@gogogosubaru 11 ай бұрын
大型蒸気より出力や牽引力が低いのは当然分かっていて開発しているわけであって。 トンネルの多い区間での無煙化や、総括制御による重連運転の容易化、両運転台による転車台の不要化などのメリットを優先したのです。
@でほはい
@でほはい 2 жыл бұрын
大変懐かしい動画の内容でした。 小さいころ、線路の近くでキーーンという音が近づいてくると、姿を見なくてもDF50だなとすぐに分かりました。 夜走っていると、機関車の中は薄暗い電気で灯されていただけなので、今思い出しても郷愁を誘う感じです。 下関だったので、ありとあらゆる機関車が走っていましたが、DF50は個性が強かったですね。
@ksrse30
@ksrse30 2 жыл бұрын
福知山線や紀勢線の旧客はこれでした。60年以上前にこんな技術があったこと自体、誇りに思って良いと思いますね。
@21raptor1
@21raptor1 2 жыл бұрын
「無煙化」に貢献したDLですね。 直列8気筒のエンジン音、生で聴いてみたくなってきました。
@seijirofto.de2a838
@seijirofto.de2a838 2 жыл бұрын
DF50は、紀勢本線を走る『紀伊』を牽引する姿を図鑑で見たのが唯一です。 DD51のコンセプトは「最高速度はC61、牽引力はD51」と単純明快。 機械的にも、電気的にも、アイデアが生まれてから技術が成熟していくのには、 時間がかかりますね。
@TokyoNullpo
@TokyoNullpo 2 жыл бұрын
かつてのブルートレイン富士号が宮崎ー西鹿児島(現:鹿児島中央)間で使われておりましたね。
@osakakawachi
@osakakawachi 2 жыл бұрын
DF50が牽引するブルトレって、いずれも短編成ばかりでしたからね。 ごくまれに「出雲」でDD54の代走として長編成ブルトレを牽引する事があったみたいですが。
@tif9590
@tif9590 2 жыл бұрын
実際の最高速度だと8620かC50並み 牽引力が9600並みかな
@鉄道模型大好きおじさん
@鉄道模型大好きおじさん 2 жыл бұрын
私は関西人なので、DF50といえば「紀伊」を牽引していたのが印象に残ってます。 弁天町にあった交通科学博物館にDF50を見る為によく行ってましたね。
@電光刑事-u4c
@電光刑事-u4c 2 жыл бұрын
電気式を採用する最大のメリットは、エンジンの回転と車輪の回転を完全に遮断することができる点にある 内燃機関というのはアイドリング状態でも常に回転し続けているため、停止する際にはエンジンと車輪の接続を遮断する必要がある そのため、機械式のクラッチやトルクコンバータが必要になるが、エンジンの高出力化が進むとその負荷に耐えられなくなる そういう意味でエンジンの出力を発電にのみ使用する電気式は、理想的なパワーユニットとなり、諸外国ではこの方式が主流となった しかし、それらは軸重17トン以上を許容できる路線を有する国と地域に限られており、日本のような軟弱地盤に脆弱軌道の日本では主流となりえなかった 極端な言い方をすると、DF50がSLよりも非力とされたのは、軸重を15トン以下に抑える必要があったからといえる 現在主力となっているDF200は軸重が16トンを超える路線での運用を前提に開発されており、そういう意味でも国内では初の試みがされたといえますな
@tif9590
@tif9590 2 жыл бұрын
液体トルコン式の本場だったドイツの場合も結局は電気式に屈服したし
@鉄道模型大好きおじさん
@鉄道模型大好きおじさん 2 жыл бұрын
アメリカは試験的に液体式を導入したことありますけど、10年も経たないうちに止めましたね。
@gambasuki
@gambasuki 2 жыл бұрын
DD51のように本線用大型機関車までトルクコンバータを用いた液体式が主流というのは日本の他はドイツくらいでした。日本の場合は線路がぜい弱でエンジン+発電機+主電動機という重量物を支えきれなかったのが理由です。非電化路線でマイルトレインと呼ばれる超重量級貨物列車が行き交う北米などでは昔から現代まで一貫して電気式ディーゼル機関車が主流です。
@せいたろう-y9c
@せいたろう-y9c 2 жыл бұрын
福知山線にてこの機関車の牽く客車列車はとにかく加速が悪かった印象が子供心に残っています。 そのかわりに出発時の衝撃はおだやかだったように感じました。 厳冬期にSGから高々と排出される蒸気は迫力と美しさがありました。
@鉄道模型大好きおじさん
@鉄道模型大好きおじさん 2 жыл бұрын
やっぱりパワーはDD54が勝りましたね。
@中西正治-w6u
@中西正治-w6u 2 жыл бұрын
日豊本線の南宮崎から西鹿児島間電化開業の時に宮崎に住んでいて,DF-50の南九州最期の時を撮影して回っていました。 機関士さんに反位運転台に乗せてもらったりしてました。 宮崎機関区所属のDF-50はトップノッチが使えないようにボルトで止めてあったのが記憶に残ってますね。 乗り心地が良かったのも意外でした。
@NaruoKusugawa
@NaruoKusugawa 2 жыл бұрын
DF50の空気圧による制御はスグレもので、本質的には無段階制御だから粘着力面で最高効率を叩き出します。 一応制御器にノッチが刻んでありますがこれは見せかけだけで、他の形式なら深刻な故障を起こしかねない段刻みの中間も使用できます。 なお蒸気機関車と比べるなら、当時まだまだたくさん残ってたC51辺りが適当かと。 C51淘汰の為の新形式C63計画を潰したのがこのDF50という話もあるようで、スペック的にもまあまあ近いです。
@経澤豊
@経澤豊 2 жыл бұрын
DF50が優れていた点は初めて採用されたBo - Bo - Boの軸配置だろうな。 DF50以降現在までEF62以外全てのF級機の軸配置の原点となっている。
@Katoki-6801
@Katoki-6801 2 жыл бұрын
地元米子機関区では、MAN社製の500番台に全て置換えられたのを、子供の頃良く見てました。
@nion8851
@nion8851 2 жыл бұрын
モーターが交流になったのが大きい。直流だとパワーを出すには大型にしないといけず どうしても重くなってしまうが、交流+VVVFインバータにより軽量かつコンパクト になりメンテナンスも簡略化できた。液体式はトルクやレスポンスに優れるのかも しれないが、それに耐えるトルコンの開発も出来てないし、電気式に比べメンテナンス も大変なことから作られる可能性は低いと思われる
@与作太郎
@与作太郎 2 жыл бұрын
土讃線のサヨナラ運転は、大杉駅から阿波池田駅まで追いかけたな~😭 当時高校生だったから、原付バイクで国道を走ったっけ。
@さすらいのアルバトロス
@さすらいのアルバトロス 2 жыл бұрын
DF50がデビューしたのは 確か1957(昭和32)年… 晩年期に山陰本線の旧客 列車に乗った際に世話に なった事は覚えています!
@sbossan
@sbossan 2 жыл бұрын
DF50といえば、日豊本線を走るブルトレ富士を引く雄姿を思い出しますが、そんなに非力だったんですね。デザインはかっこいいですが。
@高須正光
@高須正光 Жыл бұрын
DF50型は、昭和50年ごろ 山陰本線京都口でみたことがあります。
@user-sunriseBroom
@user-sunriseBroom 4 ай бұрын
たとえパワーが低くても、SLより遅くても、旧型客車を引っ張る箱型ディーゼルの姿はスマートでかっこいいんだよ。
@superhitachi651
@superhitachi651 2 жыл бұрын
旅客用の気動車も、統括制御のために液体式よりも先に電気式が入りましたよね。ただこちらは液体式本格導入までのつなぎだったようで。
@TAKAHASHI550
@TAKAHASHI550 2 жыл бұрын
1970年代に九州に行ったとき、特急、富士、彗星を牽引する DF50 機関車を見ました。どこの駅か忘れましたが日豊本線の単線区間で、 DF50 の機関士が、タブレットを螺旋状の駅のタブレット受けに高速で引っかけて、くるくる回っていたのが印象に残ってます。 DF50 DD51 DF200 と非電化区間のディーゼル機関車の変遷がよく分かりました。
@川本裕孝
@川本裕孝 2 жыл бұрын
日豊本線の行橋駅に富士のヘッドマークつけて停まっていたのを高校生の時通学中に見た記憶があります。もう50数年前の記憶です。その頃の行橋は9600、C11、C50などが停まっていたな。電気はEF72?だったかな。
@原田寛-e3u
@原田寛-e3u 2 жыл бұрын
@@川本裕孝 さん 日豊線に配置されたELは、大分(幸崎)まで電化された時はED74で、その後宮崎まで延長された時にED76に交代したようですね、行橋にいたSLは田川線(現:平成筑豊鉄道)への運用では?
@川本裕孝
@川本裕孝 2 жыл бұрын
@@原田寛-e3u 返信ありがとうございます。行橋の蒸気は田川線専用みたいだったですね。私もC11の客車で通学してました。C50は日豊線だけだったみたいですね。千鳥と波の模様がついた門デフをつけた車両がありましたよね。珍しくて写真にとってアルバムに貼っています。ターンテーブルがあって大きな駅でしたね。
@鉄道模型大好きおじさん
@鉄道模型大好きおじさん 2 жыл бұрын
DD51を駆逐したDF200でさえ、間もなく後継機への交代が始まりますね。 歴史は繰り返す。
@akio3488
@akio3488 9 ай бұрын
df50機関車の採用は新幹線を実現させた十河信二さんの功績ですね。
@takachan926
@takachan926 2 жыл бұрын
DF50、懐かしいですね。45年前頃、大阪の大学に通っていた頃、帰宅時、自分がいつも乗る電車の直前にDF50が牽引する福知山線の客車が入ってきてました。草津線はDD51が引いていましたから、大阪ではこんな機関車が走ってるのか、と思ったものです。ポンポンポンというエンジン音は経験してないと思います。ドドドドだと思います。 当時はDLに関してあまり知識がなかったのですが、後でDD51の方が大出力であることを知りました。草津線の場合、加太ー柘植の峠を越えてくるのでDD51でないと難しかったのでしょう。DD51でも重連で、バスがローギアで坂を登るようなスピードでしたから。DF50だったら3重連は必要だったでしょう。
@sunami808
@sunami808 8 ай бұрын
タイ国鉄もディーゼル電気式機関車ばかりですね。1960年台のGE製ディーゼル電気式残ってますが、その後に入った日立製液体式は廃車になってます。他にフランス製や中国製が入ってます。中国製の機関車は寝台特急を最高110キロくらいで牽引しています。米国でアムトラックの旅客列車を牽引していたGE製機関車は130キロ位で巨大な二階建て客車を牽引
@a2s54ghu76
@a2s54ghu76 2 жыл бұрын
早期に電化の対象にならなかった路線は輸送密度が低く線路規格も低いというのが相場。 出力の割に重量が嵩む古い方式の電気式DLはそうした路線にはもともと不向きだったのでしょう。
@masa695
@masa695 2 жыл бұрын
ディーゼル電気式は重連時に総括制御しやすいからな 50年代にトルコン並の制御なら飛びつくだろ
@鉄道模型大好きおじさん
@鉄道模型大好きおじさん 2 жыл бұрын
DF50を非力とか馬鹿にする人がいるけど、北陸本線の杉津越えなどでは立派に補機として活躍していたぞ。
@ASUKA-F44
@ASUKA-F44 2 жыл бұрын
DF50型ディーゼル機関車、中学時代によくお世話になりました。 山陰本線京都口や福知山線では特によく旧形客車列車にお世話になりましたが、先頭に立つのは、必ずDF50型でした。 もう50年も前になりますね( ゚Å゚;)
@sini5691
@sini5691 2 жыл бұрын
これ四国のエースだったよw客車引いてるこいつによく乗った
@nozomi-kq8mo
@nozomi-kq8mo 2 жыл бұрын
昭和47年から52年まで紀勢線沿線に住んでいたので、DF50ズルツァー型は日常の中にありました。エンジン音は動画では「ポンポンポン」と表現されていますが、私の記憶の中では「ドッドッドッドッドッドッ」です。オノマトペで表現するとマン型と変わりませんねw ちなみに、マン型とはとうとう会えずじまいでした。
@masayoshi6951
@masayoshi6951 2 жыл бұрын
私の記憶の中でも「ドッドッドッドッドッドッ」です。近くに来ると電気機関車の音が1/3位混じったような~ もう一度聞いてみたいですね。MAN型の音は記憶に無いですね。当時は混在区間?の予讃本線沿線に住んでました。
@R.K.1964.
@R.K.1964. Жыл бұрын
DF50、このディーゼル機関車、今でも好きです。😊
@DM-wu9cp
@DM-wu9cp 2 жыл бұрын
いすみ鉄道が新型気動車を国鉄型のデザインで作らせたみたいに、DF200をDF50のデザインで1両作ったら面白そう。
@遠州鉄道ファン
@遠州鉄道ファン 2 жыл бұрын
DF50は1983年に全車引退となるが 1号機・4号機・18号機が現存する。
@rx75-3
@rx75-3 2 жыл бұрын
DD51形は「はまなす」を単機牽引していたさいに、300t牽引時の10‰勾配で均衡速度60km/hだったはず。24km/hでは寝台特急を牽引できないと思いますよ。
@kondoura
@kondoura 2 жыл бұрын
電気式ディーゼルカーは、戦前相模鉄道のキハ1000も珍しい採用例かなと思います。後に電車に改造されました。
@mayama8404
@mayama8404 2 ай бұрын
ディーゼル機関車ではDF50が一番好き。 好きすぎてNゲージを買いました。 もう40年以上経ちますが、未だに部屋で飾っています。
@nnrcer
@nnrcer 2 жыл бұрын
この時代に エンジンで発電してモーターを回すという発想が出ててきたのはすごいですねぇ
@user-kr1bu6rl2q
@user-kr1bu6rl2q 2 жыл бұрын
アメリカ戦艦に前例あり
@外の人001
@外の人001 Жыл бұрын
WW2のポルシェティーガー戦車もこの方式です。
@DjentlemanJP
@DjentlemanJP 2 жыл бұрын
要は日産のE-POWERと同じようなことしてるってことで合ってますか?
@user-ce8qx5hg1t
@user-ce8qx5hg1t Жыл бұрын
DF50は確かに非力ではあるものの日豊線の山道勾配区間ではC61より扱いやすかったというお話もありますね。DD51は2200PS分のエンジンは積んでいますが、実際の出力でC62は上回りませんね。
@ゆかわえりこ
@ゆかわえりこ 2 жыл бұрын
ディーゼルも最初は電気式で 開発されていたんですね 今のハイブリッドはある意味 原点回帰みたいになってるのか 現在は様々な技術が出てきたから それらを組み合わせた結果 こうなってしまったのか…… そういえばこの手の様な ハイブリッドの営業車両 西と四国以外は持ってるのよな…… (エンジンとバッテリー両方持ちとなれば 東と東海のみだけど)
@マチカネキンノタマ
@マチカネキンノタマ 2 жыл бұрын
液体式変速機の開発が上手く行っておらず、かつ電動装置が未発達だったから、最初は電気式でしかディーゼルエンジンを使えなかったから だけど、海外はむしろディーゼルエレクトリックが多かった。
@冬-i5h
@冬-i5h 2 жыл бұрын
一般向けの列車ではないけど、JR西は瑞風がハイブリッドですし、 新型検測車と試験中のローカル線向け新型車が電気式DCですよ。
@yamato1332
@yamato1332 2 жыл бұрын
5:06 これは1894年の間違いかな?
@大山竜介
@大山竜介 2 жыл бұрын
坂を上れないことはない、むしろ引張力はSLより数段上。ただ、絶対的馬力が無いのでスピードが出ない。
@権三郎平衛
@権三郎平衛 2 жыл бұрын
15:15の表はちょっと違う視点が混ざっていると思う。 DF50は、当時(1955年ちょい後頃)の国鉄が量産化に成功した日本初の本線用ディーゼル機関車だ。 当時、電気式のDLは機器類が大きくて重く、その数も増えるので、重量や製造価格が上がるために、貧弱な軸重(一つの車軸にかかる重量)しか許容できない当時の日本のローカル線を鑑み(かんがみ)たときに、国鉄が電気式DLや電気式気動車を忌避(きひ)したのは当然の成り行きだった。 しかし、1000馬力以上を吸収する大容量の液体変速機を設計できなかった当時の国鉄には、電気式のDF50を選択せざるを得なかった。 だから、その数年後(1960年ころ)に、大容量の液体変速機の設計製造が可能になると、気動車や入れ替え用DLも含めて、そのほぼすべてのディーゼル車は、その構成部品が少なく、軸重が軽くて、価格も安い、液体式での増備が進んだのもこのためである。 液体式のDD51が出てきたのが1960年ごろだったが、この後の約30年間は、ほぼすべて液体式のものしか製造していない。 本線用の電気式DLのDF200が出てきたのは1990年代頃で、この間にずいぶん電気機器や機関等の軽量化、高機能化、高性能化、そして低価格化も進んだためだ。 電気式や電気的な「気動車」等が、出てきだしたのは、ここ10年位前からだ。故障が比較的少なく、メインテナンス等にも有利なメリットがあるからだ。現在では、軌道強化や電化が進んで点もある。 そんな情勢の中で登場したDF50は、その約10年後にできた支線区用、入れ替え用の液体式DLのDE10とほぼ同じ出力だ。 ズルツァーエンジンを積んだ0番台は、そのモーターが100kw×6台であった。101系電車の電動車1ユニットが100kw×8台だからその非力さがわかる。 500番台のマン型が110kw×6台で、103系電車が電動車1ユニット110kw×8台だから、マン型ですら101系電車の1ユニット分のパワーに達しなかった。 ここで使われているモーターは101電車のものとほぼ同じものである。 101系電車1ユニットの75%・約80%の出力のもので、特急列車、急行列車を引っ張っていたという何とも奇妙なことをやっていた。道路交通で言えば、牽引装置付きのキャンピングカーのトレーラーの部分(約400kg~750kgのもの)を、原付バイクで引っ張って、幹線道路を長時間走っているようなものだ。 当時、大容量液体変速機をつくれなかった国鉄の苦肉の策として製作されたのがこのDF50であった。SL駆逐等の、需要増からの要請に無理に対応しようとしたためにできた副産物でもあった。
@SleeperExpressJNR
@SleeperExpressJNR 2 жыл бұрын
DF50、差人本線でお世話になったカマ。確かに今にして思えば非力なカマだったけれど…然しまだ冷房が極一部の優等車のみ、グリーン車(当時は3等級の2等)ですら扇風機しかない時代、急行旅客列車だけでも無煙化したい!という要求に応えた功績は無視出来まい(^^);
@かたおかあきお
@かたおかあきお 2 жыл бұрын
1番好きなディーゼル機関車です!? 四国のは見ましたが、津山にも、保存されています!? 紀勢線一周した時に、何度か見た事が有ります。
@菅野操-z5s
@菅野操-z5s 2 жыл бұрын
DF50は僅か600kw高速電車1両の出力、これで特急から峠路線で貨物の補機、本務機と煙の避けたい路線で大活躍、DD50の4軸から6軸に
@菅野操-z5s
@菅野操-z5s 2 жыл бұрын
なり粘着性能が良く無理が効いたのだと思います。
@tif9590
@tif9590 2 жыл бұрын
特急牽引したいなら重連運転じゃないとダメだったんでは
@yy-hm7kw
@yy-hm7kw 2 жыл бұрын
DF50=寝台特急富士&喜劇 急行列車
@中村真也-q8q
@中村真也-q8q Жыл бұрын
DF50が電化前の中央本線か中央西線で走っていた写真を何かの本かサイトで見た記憶があったような気がする。
@木島ノ安岐
@木島ノ安岐 2 жыл бұрын
ヒバリと烏山のアイツ「なんか忘れられてない?」
@lh7km9qx5t
@lh7km9qx5t 2 жыл бұрын
HC○○系というのは現在JR東海のひだ・南紀だけですけど、今後はこういうタイプの特急も増えそうですな
@ひるのいこい
@ひるのいこい 2 жыл бұрын
DF50といえば日豊線でヘッドマークを掲げた富士が印象的だったなぁ。時代は液体式コンバータの進歩で大規模単機エンジンの時代に…満を持して登場したDD54…おや?誰か来たようだ。 機構的には簡便な電気式の方がよかったけれども,軸重の問題で日本では使いにくかった。3相交流モータの進展が大きいですね。
@廉北多古
@廉北多古 2 жыл бұрын
正直、ディーゼルの排気臭大好きなんですよねぇ… 東京ではクンカクンカすること出来ないけど 名古屋に行った時はわざわざ在来線10番線?まで行って 胸いっぱい吸って来てました😁
@原田慎也-d6y
@原田慎也-d6y 2 жыл бұрын
今での電気式ディーゼルエンジンは DF200がありますね ディーゼは1800馬力 主電動機はVVFインバータ320Kwを6台を 乗せる❗
@六輪生活
@六輪生活 2 жыл бұрын
DF50に引かれた日豊本線経由のブルトレ『富士』に乗りましたよ。 登坂力が悪く非常に非力な感じがしました。 ところで電気式DLは合衆国がトルコンを使うのをあまり好きで無く、GEとかEMDとか大出力機関車の土壇場ですね。 ダブルスタックコンテナ積みで何十両も牽引している。 最近の旅客用は、SIEMENSチャージャーを使う例が多いですね。 あと交流モーターを発明したのが、故ニコラ・テスラ氏だと初めて知りました。
@ThePaysuke
@ThePaysuke 2 жыл бұрын
DF50が開発された頃は、電車が抵抗制御で直流モーターを使っていた時代だもん。EF65並の機関車に発電機を乗せたら、単純に考えても自重が倍だよね。
@tif9590
@tif9590 2 жыл бұрын
当時だとE F58並みの機関車に発電機では
@toriri-service
@toriri-service 2 жыл бұрын
「牽引はできるものの著しい速度低下…。」確かに『特急富士』の宗太郎越えの上り勾配では 30km/h台まで落ちてしまったそうです。(しかも被牽引客車は軽量な20系) 尚 DD51は2200馬力ですが これはエンジン単体の出力で 車載状態の動輪周出力は エアクリーナー装着や伝達損失等で1300kw程度と聞いた事があります。
@第参号ああ
@第参号ああ 2 жыл бұрын
大事な旅のお供である
@nswave-nonnon
@nswave-nonnon Жыл бұрын
私が子供の頃 昭和45年から48年位だと思いますが 当時、北海道 札幌の国鉄東札幌駅 貨物基地で運用されていたのを覚えていますよ 当時ほとんどが蒸気機関車だったのにこの機関車がいたのを子供ながら珍しい機関車がいたので覚えてますよ
@TSUYOS185
@TSUYOS185 2 жыл бұрын
昭和30年代には無煙化で労働環境の改善や要員の削減には貢献しましたね。いろいろ工夫したものの液体式の方が効率が良かったのでしょう。 近年普及しているのは交流モーター普及の結果ですね。
@yotarou1971
@yotarou1971 2 жыл бұрын
初めまして! 交流モーターを制御できるシステム(インバーター)の発展ですよねっ!ただ半導体の寿命が稼働のリスクですねっ!!
@t.w.6664
@t.w.6664 Жыл бұрын
285系気動車とHC85系気動車を同じ枠で説明されていますけど、これだとHC85系もパラレルハイブリッドと勘違いします。HC85系はシリーズハイブリッドです
@ハヤト-j9z
@ハヤト-j9z Жыл бұрын
トヨタ式(シリーズパラレルHV)は無理かなぁ シリーズ要素とパラレル要素の良いとこ取りした最強のHVシステムが鉄道車両でも実用化したら胸熱 285はパラレル方式だからホンダのi-DCD(フリードHVと同様)だし
@竹内克-l7r
@竹内克-l7r Жыл бұрын
昔、同じ九州内でも、非電化区間の寝台特急さくらはDD51牽引だったのに、何故か寝台特急富士の非電化区間はDF50だった。 あと、DF50 は列車を牽引して営業運転中に何度か発火事故を起こしている。しかし、他のディーゼル機関車ではそんな事故を聞いた事が無かったので、DF50=萌えるイメージが強い。
@バリウブド-g3g
@バリウブド-g3g 2 жыл бұрын
四国で活躍してたね DD50は亀山駅か米原駅で見たけど動いてなかった ドイツのハンブルク中央駅で見た機関車と同じエンジンだったんだね MANは東京消防庁のはしご車で活躍したね
@坂本龍雄-l3f
@坂本龍雄-l3f 2 жыл бұрын
DF50の0番台は三菱重工と三菱電機の製造の縁なのかDF200の試作機と0番台のMTUエンジンの検査は北海道三菱ふそうが担当しています
@茶虎鳥
@茶虎鳥 2 жыл бұрын
DF50は弁天町の交通科学博物館で保存されていたのを見たことがあります。それにしても現在の非電化路線の電動化という考え方が1950年代からあったというのは驚きですね。
@鉄道模型大好きおじさん
@鉄道模型大好きおじさん 2 жыл бұрын
私もDF50を見る為に何度も弁天町の交通科学博物館に行きました。 今は津山の、学びの鉄道館で保存されてますね。 個人的にはDF50は今でも世界一美しいディーゼル機関車だと思います。
@晋一郎住友住友
@晋一郎住友住友 2 жыл бұрын
DF50 ha騒々しい機関車でしたね
@qzp01467
@qzp01467 2 жыл бұрын
DD50を忘れないで、こっちの方がDF50より先に走り出してるんだから。運用的にはDH50といってもおかしくない、片運転台の国産初の本線クラスの電気式ディーゼル機関車
@ヒマ人空港の
@ヒマ人空港の Жыл бұрын
REDBEARのDF200は貨物列車をガンガン引っ張っているね、
@yamatokoizumi
@yamatokoizumi 2 жыл бұрын
5:04→1884年じゃないでしょうか?
@nikkeiheiri6745
@nikkeiheiri6745 2 жыл бұрын
あり?MT54って電車でも聞いた主電動機だったような・・・?
@yotarou1971
@yotarou1971 2 жыл бұрын
初めましてっ 国鉄形式の485系などの代表の直流モーターだったようなっ?
@yuikubo10
@yuikubo10 2 жыл бұрын
5:04 「トルクが太いディーゼルエンジンは1984年の開発以来,1910年代まで…」となっていますが文脈的にも年代的にもおかしいのでは。1884年開発の間違いのような。
@sayaandmasa
@sayaandmasa 2 жыл бұрын
アメリカのガトー級潜水艦みたいだな。
@シャーマンポリカルポフ
@シャーマンポリカルポフ 2 жыл бұрын
好きなディーゼル機関車でした……。😭
@あおぞらまこと
@あおぞらまこと 2 жыл бұрын
子供だった頃、土佐一宮~大杉間をDF50牽引の客車列車を利用したとき、土佐山田〜繁藤間の勾配をやっとの思いで登ったのを思い出しました。 それと、試作機関車のDF40の存在を紹介してもらえたらよかったと思います。昭和50年までDF50と貨物列車で共通運用してたので…
@kazu-be1uv
@kazu-be1uv 2 жыл бұрын
三菱製!?三菱重工製の試作ディーゼル機があるんですか?
@原田寛-e3u
@原田寛-e3u 2 жыл бұрын
kazuちゃん猫好きさん 三菱は現在の神戸造船所で 鉄道車両の生産を始め(自動車も神戸で生産を始めた)その後、三原製作所(現在は鉄道車両から撤退)で生産していました。
@kazu-be1uv
@kazu-be1uv 2 жыл бұрын
@@原田寛-e3u なるほど!僕は、父が数年前まで「三菱重工フォークリフト」の会社に勤めていたのでちょっと気になりました。
@原田寛-e3u
@原田寛-e3u 2 жыл бұрын
@@kazu-be1uv さん 三菱フォークリフトは、相模原製作所で生産していましたが、相模原の建設機械が「キャタピラージャパン」に移管して、フォークリフトも2~3.5tクラスは、「日本輸送機(ニチユ)」に移管してますね(営業部門は、三菱とニチユの共同会社)
@坂本龍雄-l3f
@坂本龍雄-l3f 10 ай бұрын
ちなみに、DF50の0番代が三菱重工と三菱電機製造の縁からかDF200の試作機と0番代のMTU(旧マイバッハ)エンジンは北海道三菱ふそうが検査を担当しているそうです
@DK_UhoUho
@DK_UhoUho 2 жыл бұрын
こいつ弁天町にいたっけ? 一番最初に見たのは伊予西条やけど 次がどこか忘れた
@おかやん-t2c
@おかやん-t2c 2 жыл бұрын
今は梅小路に居るのは、恐らく弁天町から来たものではないかと。
@フィオウ
@フィオウ 2 жыл бұрын
軽油を使う萌えにくいという最大利点をアピールしていない点で何だかなぁ
@crankyfranky9801
@crankyfranky9801 2 жыл бұрын
太平洋戦争中ガソリンカーの大事故が今のUSJ近くで起きて大量に死者を出してるもんな
@akio3488
@akio3488 2 жыл бұрын
トルクコンバータの技術が未熟だったからね。重くなることは百も承知でも仕方なかった時代のこと。今この時代に電気変換させることがわからない。電池積むならわかるが積まない物は馬鹿としか言いようがない。エネルギーってやつは変換校庭にロスが発生するものである。大証関らず、回転エネルギはそのまま使えず、電気エネルギーに変換して電気エネルギーとして使う方が省エネなんだけど。Dd50は鼻から、重連として計画されたものである。永久固定重連eh10みたいなもの。SL駆逐するのはdd54完成までできなかったんですよ。さきにでた51もトラブルが多くて、エンジン、駆動装置を2基搭載することでの保守コストが半端ないことで54が計画された経緯がある。
@小鹿野雄一
@小鹿野雄一 2 жыл бұрын
内燃機関の電動化の先進だが、技術力不足で未熟他ならない話やったろ✋💦🔵🚃
@渡邊利雄
@渡邊利雄 Жыл бұрын
僕の少ない脳味噌で考えるなら、要は電気でモーターを回して動くのだからM車でなないでしょうか。発電所をディーゼル発電で行い、架線は無いもののその発電した電気でモーターを回して動くのであればモーターカーではと思うのですが・・・
@あふろべなとる
@あふろべなとる 2 жыл бұрын
まあ日本は世界的には主力な電気式を技術的にあきらめて 国産ではまだましだった液体式を推進しただけだがな そしてまさにガラパゴスな状況になったわけだ まあファンとしては液体式天国の日本は面白かったわけだが♪
@SHUN1ASA
@SHUN1ASA 2 жыл бұрын
日本の非電化路線は軌道が弱かったので、とにかく機関車の重量を軽くすることが求められました そのためモーターとエンジンを両方搭載することで絶対的に重くなる電気式機関車は、国内では事実上採用不可能だったのです ちなみにシステムの構造としては、昔から電気式の方が遥かに簡単です 液体式(トルコン)は開発も保守も難しいので、むしろ海外では不人気でした 決して電気式の技術開発が困難で諦めたわけではないですよ その証拠に、日本メーカーが製造し輸出した機関車には、電気式が多数あります とにかく日本は昔から軌道(線形を含む)が最大の弱点でして、近代化完了時期までの機関車開発は全て「軌道条件」に縛られてました 画期的なのに「重くなる」と言われて不採用になったアイデアがどれほどあったか…
@takurohkunimoto3971
@takurohkunimoto3971 2 жыл бұрын
東洋経済オンライン(?)にあったけど、日本のディーゼル機関車は世界での競争力ゼロだそうで。とどのつまりはDD51で成長が停まったガラパゴス、ということか?またもやDF50みたいに海外の技術に頼るかDD12みたいに輸入することになるのか?
@photo_kyoto830
@photo_kyoto830 2 жыл бұрын
戦前にもDD10型電気式デイーゼル機関車はありましたよ。ガソリン電気式なら、キハ43000系が有名、大型ガソリン機関を積んだキハニ36450もありました。 戦後はキハ44000系が電気式として製作され、キハ45000登場までの繋ぎとして、量産されました。 戦前の技術のどこがダメで、どのようにして現代に電気式が復活したのか、もう少し研究してから動画投稿されてはいかがかな? Wikiの受け売り動画は混乱を招くだけ、迷惑だ!
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