【知って得する平安豆知識】平安時代の葬送儀礼について

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かしまし歴史チャンネル

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Ай бұрын

#大河ドラマ #平安時代 #解説
※概要
平安時代のお葬式について、庶民と、天皇や上級貴族にわけて、ご紹介しています。
2024年、NHK大河ドラマ「光る君へ」解説動画です。
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@kokemomo_kokechannel
@kokemomo_kokechannel Ай бұрын
チベットに行った時に鳥葬の場所をみました。 向こうでは鳥葬されると、自分の魂を高いところまで連れて行ってくれるので、最も尊い埋葬方法だそうです。
@user-vp2cm8kr1e
@user-vp2cm8kr1e Ай бұрын
凄いインパクトあるネーミングですね、「遺棄葬」。始めて聞いた言葉です。要するに庶民は死んだら「生ゴミ」扱いで墓もなかったんですね。藤原氏の墓所すら木の卒塔婆のみだったとわ…。「焼き」が坊主の腕の見せどころと云うのも面白いw 「行障」、これも始めて聞いた言葉です。このチャンネルは勉強になるわ😊
@saya-rc2rl
@saya-rc2rl Ай бұрын
雅な時代の表裏として、面白いトピックですね。ありがとうございます!前回の放送で、貴子さんが亡くなった時に、定子や道長が、グレーの喪服のような装いでした。通過儀礼の装束が見れたのも、興味深かったです😌
@user-gh8rs9es5e
@user-gh8rs9es5e Ай бұрын
そう言えば鈍色って今言わないですねぇ 日本の色の言い方って素敵なんか素敵なのに勿体ないなぁ
@moe25nama
@moe25nama Ай бұрын
@@user-gh8rs9es5e 鈍色(にびいろ)と言うのですね!平成生まれなもので、、初めて聞きました💦 きっと他にも知らない色の言い方があるのでしょうね。日本人なのに恥ずかしいです
@user-ph5it8co5x
@user-ph5it8co5x Ай бұрын
「あさきゆめみし」では藤衣、藤袴と表現されていました。ふじごろも ふじばかま
@yngkz23
@yngkz23 Ай бұрын
今制作中のアニメ映画「つるばみ色のなぎこ」でいうとこの「つるばみ色」かと思っていました。
@kein4804
@kein4804 Ай бұрын
明治以降の皇室は土葬ですが、上皇上皇后両陛下は火葬を御希望らしいですね。 天皇の墓所は仏塔や御陵、火葬と土葬、仏式と神道式が入り乱れてて非常に興味深いです。
@tarutaruriril2582
@tarutaruriril2582 Ай бұрын
きりゅうさんの博識には毎回驚かされますが、うっかり回もあるなんて‼️ 見ないという選択肢はないですね。 早速探してみます☺️
@ciaobambee2
@ciaobambee2 Ай бұрын
時々ひっくり返してまんべんなく焼くって吹いた〜 きりゅうさん、誰にも追いつけない膨大なデータバンクかつ話術もすごい。 ほんとおもしろいしありがたい😂
@kk-uc4wt
@kk-uc4wt Ай бұрын
時代が違うと死生観も違いますね🤔 うっかり火葬エピソードが 描かれるのか気になります笑
@user-hj5es7cu5w
@user-hj5es7cu5w Ай бұрын
まひろと道長の思い出の廃屋にも死体がたくさん転がっているのかと想像してしまいました。 10年経過しても床も抜けてないので、こっそり道長が手入れしてるのかもしれませんね。
@izumigonoi1755
@izumigonoi1755 Ай бұрын
野辺での火葬を父方の祖父で経験しました。と言っても子供は同行を許されず、火葬の様子は父から聞きました。 火葬の時間は半日ほど、だいたいが夕方から明け方まで。薪を組み上げ台座にし、その上に棺、さらに大量の藁を被せて火を点けたそうです。 きりゅうさんがおっしゃっていた「時々遺体をひっくり返す」ですが、これあったんですって。ただ「ひっくり返す」のは深夜に一度だけ、やるのは故人と一番近い血縁の男子。 父曰く「どこも皆嫌がってた」そうで、「火の中で上半身を起こしてゆらゆら揺れてる」身内を、太い松の枝を使ってひっくり返すなんて、二度とやりたくない、と言っていました。 因みに、この時の父は麻の裃に本身の脇差を帯び、足下は裸足に草鞋。額紙(ヒタイガミ)と言う三角の紙に卍を書いた物を額に付けていました。 頃は昭和40年代、場所は福島県会津地方。昔々のお話です。
@kashimashi_rekishi_ch
@kashimashi_rekishi_ch Ай бұрын
貴重なお話ありがとうございます!
@user-ie3hi2bp4iak
@user-ie3hi2bp4iak Ай бұрын
今の常識にある意味囚われている自分を発見!時代を知る事で大切な意味を改めて考えさせられました。ドラマを飛び出しての衝撃でした。より深いものを感じました。
@giantszero6962
@giantszero6962 Ай бұрын
栄華を極めた平安貴族といえども大きな墓は作らなかったことが意外だ。 死者を弔うのではなく死を忌避するという発想だよな。
@kazshige-uz1vr
@kazshige-uz1vr Ай бұрын
短時間で盛り沢山の情報をありがとうございました。鎌倉殿の13人で頼朝さまの葬儀準備をわちゃわちゃしていたシーンを思い出しました。都と地方で、また身分により葬儀も様々だったのですね。次回の投稿も楽しみにしています。
@mark-pf8yz
@mark-pf8yz Ай бұрын
観光客で賑わう京都清水寺の参道から外れた辺りが鳥辺野の地で民衆の死体置き場だったんですよね。 その名残からか今でもお墓がたくさんありますが。
@user-rj6fp8el2e
@user-rj6fp8el2e Ай бұрын
鎌倉殿の13人、懐かしいですね❤ きりゅうさん私も覚えているよ😂
@user-je4by9on2c
@user-je4by9on2c Ай бұрын
喪服って黒か白だと思ってたのですが、調べたら習俗的には鈍色だったと。今週の大河も興味深い回でした。 余談ですが、初代ポケモンの街名は日本の伝統色です。ニビシティとか。かなり渋いですよね😂
@user-bb8rn6wk1h
@user-bb8rn6wk1h Ай бұрын
平安時代にどんどん簡素な葬儀になるあたり、「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」という歌詞を思い出しました。祖母が数年前亡くなり、納骨したのですが、我が家の墓は、骨を箱から出して直接土の上に撒く形式だったためビックリしました。骨は一人ずつ分けることもなく、ご先祖様とミックスされるので、「(仲の悪い夫や姑と)一緒のお墓に入りたくないってこういうことか!」と妙に納得しました。いつか土に還るだろうから、山に撒くのと大差ないのかもしれません。
@Lily-cr4pp
@Lily-cr4pp Ай бұрын
オドロオドロ恐ろしいお話から始まり怖かったぁ衝撃😵‍💫😵‍💫😵‍💫ラットさんくぅ〜さんの、仰け反り表情に同感。
@namo-xw5hb
@namo-xw5hb Ай бұрын
リアルまひろの母です。 今回のお話、とっても興味深く面白かったです。 きりゅうさんの溢れる知識に、もう釘付けでした。 そうだったんですね、上流貴族も火葬して埋めて今の墓石みたいのはなかったから、歴史上有名人であっても埋められた所が特定できずに現代に至ったんですね。 なぜ道長とか貴族のお墓が、ないのか疑問に思っていたのですが、納得しました❤ 大学生の頃、日本史特講で菩提寺で一番古い墓石の年代を調べる宿題がありました。 その時、長野県某市真田幸村縁のお寺では、織田信長の時代の物が一番古かったです。 平安京の中にお墓作ってはいけないということも知りませんでした。 鳥葬の方法も全く知らなかったし、専門職の方もいるなんて〜 その時代にまるで生きていたかのようなきりゅうさんのお話は、とても面白くて、3回は見直しして感心してます🎉 これからも面白いお話をお願いします❤
@user-sh6fe9qj6q
@user-sh6fe9qj6q Ай бұрын
今回もわかりやすい解説ありがとうございました🙏❣️ 葬儀やお墓についてなど、当時の人の気持ちや考えが見えて来ますね。 ラットちゃんと同じく、鳥葬のやり方に少々ショックでした。そのような弔い方があるのは知ってはいたものの‥なかなかですね😮💦
@user-gb3ow9um3u
@user-gb3ow9um3u Ай бұрын
言われてみれば、火葬は生ゴミを焼くようなものなので、結構パワーがいるんだよね。
@user-bp2uv2ue7n
@user-bp2uv2ue7n Ай бұрын
ラットさんが言うように、法要は常日頃個人で供養しているから、一周忌とかせいぜい三回忌くらいまで区切りをつけてもいいような気がしました。 いつも勉強になります。
@syan5844
@syan5844 Ай бұрын
鳥葬と遺棄葬の違い よく分かりました 鳥葬って鳥が多い所に放置して終わりだと思っていたら違うんですね😅 深いわ〜 そして今回もきりゅうさんの平安時代の葬儀まで知識があるなんて感心させられました👏 また次回も楽しみにしております❤
@9522miko
@9522miko Ай бұрын
平安時代の葬送儀礼を取り上げて、分かりやすく解説して下さるきりゅうさんの知識量は素晴らしいです👏👏👏 いつもお勉強になります🎵
@やまがラ
@やまがラ Ай бұрын
とても興味深かったです 弔いの形も意識も、現代まで多くの変遷があったのですね😮 平安時代の亡骸に対する意識が今と程遠く、びっくりです、すごく避けていたのですね 古墳時代の墓碑が出土したらワクワクものですが、平安時代では望めないとは…
@yossy78
@yossy78 Ай бұрын
いろいろ初耳でびっくりです😰
@user-we6my3ce6h
@user-we6my3ce6h Ай бұрын
😮葬儀は、私は、知らなかったです。もちろんのことわかりやすくて良かったー。ためになりますし、勉強になった。😊
@user-po5iq4qv4v
@user-po5iq4qv4v Ай бұрын
勉強になりました。 自治会の墓地管理や墓じまいで悩み中。平安貴族と違って人手も金もない私は、(衛生面では疫病とか増えそうだが)風葬・遺棄葬文化の方が楽だし、文化復活してくれないかなと思ってしまうw
@user-eg3os3iu6m
@user-eg3os3iu6m Ай бұрын
きりゅうさん、卒塔婆の話をされてましたが、現代では卒塔婆を印刷するプリンターがあるんですよね😅
@user-gh8rs9es5e
@user-gh8rs9es5e Ай бұрын
見たことあります なかなかのシュールさ
@user-kw2yg4zq5z
@user-kw2yg4zq5z Ай бұрын
鳥葬ではコンドルとかが食べる、とバックパッカーだった知人が言ってるのを思い出しました😮
@madame_yon
@madame_yon Ай бұрын
最後のコメントのくだり、やっぱ、くーさんオモロイわぁ😂。毎回、楽しみにしてます‼️
@user-dk3qq1ut9x
@user-dk3qq1ut9x Ай бұрын
以前きりゅうさんが義時の墓を探しに法華堂へ行って間違えて大江広元の墓参りをした動画を思い出しました😅 直秀達が鳥辺野で遺棄された時に 身分の低い人だから遺体を放置されてしまうのだと思っていましたが、 一般貴族も火葬された後に埋められるだけで、墓石はなかったのですね いつ頃から庶民も墓石を作り墓参りの習慣になるのでしょうか?
@user-td2me7mm5d
@user-td2me7mm5d Ай бұрын
うっかりも含めて学びありがとうございました🙇
@anachos
@anachos Ай бұрын
埋葬方法でちょいちょいラットさんと、く〜さんがのけぞってる様子が面白かった。鳥葬はぞっとしますね😮
@sS000
@sS000 Ай бұрын
鳥辺野はそのあたりに鳥がたくさん飛んでたから名付けられたらしいですね。もちろんカナリヤや十姉妹ではなく、捨てられた遺体の肉をつつくカラスやトンビが飛んでたんですけど。
@masa-ox5gi
@masa-ox5gi Ай бұрын
ラットちゃんも、クーさんもスーッと引いているのにきりゅう先生は楽しそう(見えた)に鳥葬の話しをしているのがなんか怖かった。知識があるからどこかの教授やドクターみたいにデータの解析をラットちゃんやクーさんに分かる様に喋っているのは分かるけど!
@pori-corr
@pori-corr Ай бұрын
7歳までは神の内って当時から言われてたんかな
@user-os9mr4je6y
@user-os9mr4je6y Ай бұрын
歴史にあまり関心の無かった私が、『どうする家康』を見始めた頃からのチャンネル初心者で、改めて知る歴史に自身の無知と面白さに楽しく拝見しております。 今回の平安時代の葬送儀礼について気になった点が有り、コメントさせていただきます。 当時の儀礼としては現代の様に何度も法事はせず、四十九日と一回忌程度との事でしたが、現代では一周忌の翌年が三回忌なので、逆算すると一回忌は葬儀だと思っていますが、当時が年忌が一回という事なのか、私の認識違いなのかモヤモヤしてますのでスッキリさせていただけると幸いです。 今後も『光る君へ』の雅なだけの世界ではない歴史解説を楽しみにしております。
@ayosikawa9999
@ayosikawa9999 Ай бұрын
藤原家はふんわりした、合祀墓、合同墓みたいな感じだったのですね。 藤原氏であれば、どんな末端であっても小幡に葬ってもらえたのでしょうか。 この頃、藤原の一族、というのはどの辺りまで認知されていたのでしょう。基準になるものは何かあったのでしょうか。 家系図を作っていたりしたのでしょうか。
@uedasimoda
@uedasimoda Ай бұрын
死生観を具体的に感じられてすごく面白かったです!なるほどなぁと何か清々しい気持ちにさえなりました。
@izuka2959
@izuka2959 Ай бұрын
義時のお墓、私も同じ間違いをし(行ったのは20年くらい前ですが)例の動画で間違いだったと知りました😂
@meko5413
@meko5413 Ай бұрын
平安時代では貴族の御仁も、貴族の子供も、一般市民も、鳥辺野に捨て置くとは意外でした! 死に場所が公平なのは一般市民の溜飲を下げる要因にはなるでしょうね・・・
@user-yc5sv4qz7r
@user-yc5sv4qz7r Ай бұрын
今回も解説ありがとうございます。 お弔いのお作法の変遷の歴史、なかなか興味深いですね。 鳥葬、私も野生の鳥に食われるものだと思ってました、その方が捨身の考えから「らしい」気がして。 鎌倉殿での「燃え残っては困るのだが」に当時様々に憶測が有りましたが、貴重な薪と火葬職人の事を考えると、含みの無い当然の心配だったんだなぁと。
@Orangepeel-v1o
@Orangepeel-v1o Ай бұрын
鳥葬は鳥が食べやすいように、火葬は焼き加減の技術が… 葬式って…大変すぎる…。
@laughingswordfish3665
@laughingswordfish3665 Ай бұрын
KZbinの焼く係の方についての解説動画によりますと、男女(女性の方が生物的に脂肪が多め。)や体格・年齢などを考慮して のぞき窓から中を見ながら職人芸で火力を調節して綺麗にお骨が残るようにしているそうです。 平安時代のお弔い事情を考えると今の時代に生まれて良かったと思います。さすがに屋外に放置は悲しすぎます…
@einheldenleben
@einheldenleben Ай бұрын
近代的な火葬場の裏に回ってコンピューター制御しているらしい装置を見たことがあります。タッチ式の操作パネルに「人体」という項目があるのが目に入って衝撃的でした! そこで業務を行っている方も当然いらっしゃるわけで、毎日物凄いプレッシャーだろうと想像していたのですが、お見受けするところ淡々とお仕事をされていました。
@3kei575
@3kei575 Ай бұрын
木幡、六地蔵エリアって明るいイメージはなかったけど、そういうエリアだったんですね。 最近の木幡といえば、京アニ事件
@tianon9692
@tianon9692 Ай бұрын
チベットの鳥葬、大きな石でご遺体を打ち砕いて鳥が食べやすくするんですよね。 モザイク入りだったけど、昔はこういう風景もテレビで放送されていました。
@user-en1so1ts5y
@user-en1so1ts5y Ай бұрын
きりゅうさんさすがですね博識でいらっしゃる!!たくさん勉強になりました!紫式部やとなりになる小野篁のお墓は後からできたってことになるのですかね?どこかでお話ししていたらごめんなさい!!
@savagebear2610
@savagebear2610 Ай бұрын
しばらく気になっていた平安時代の葬送儀礼。解説ありがとうございます!
@kashimashi_rekishi_ch
@kashimashi_rekishi_ch Ай бұрын
いつもありがとうございます。
@user-el7yj6eg6y
@user-el7yj6eg6y Ай бұрын
春日大社にも、平等院にも行きましたが、道長の墓所って行ってないと、気づきました。談山神社は鎌足公の墓所ですよね。 ドラマの中で、喪の鈍色はこんな色なのだと、私も興味深かったです。今回もお話面白かったです。次は中国史、宋や女真との関わりについて、解説して頂けませんでしょうか
@user-je4jy2rk5r
@user-je4jy2rk5r Ай бұрын
きりゅうさんの穏やかな口調と、ラットちゃんの可愛い口調とクーさんの緩やかな口調を聞くと、心が落ち着きます。 日々の癒しです…。 例え、葬送の話でも…😆
@user-mn6yg3ql7b
@user-mn6yg3ql7b Ай бұрын
千本通ことが、浮かんできました。
@user-kp1sb8ls8n
@user-kp1sb8ls8n Ай бұрын
くーさんが話していたきりゅうさんおポンチエピソード早速見ました❤
@user-ks5gh6md4e
@user-ks5gh6md4e Ай бұрын
自分の祖父は墓地の片隅の穴の中で火葬しました。 火葬するところは覚えてないですがお花を散らして横たえられる祖父の姿は覚えてます。その後のお葬式では公営の火葬場で行ってたので最後の風習の景色だったようです。 昭和50年に入るかどうかくらいの時でした。三重県のいなかでしたので 塩辛いお吸い物と大きな葬式饅頭が出ます。
@user-さわ
@user-さわ Ай бұрын
同じく三重県の田舎出身です。 祖父の遺体は山の中にある火葬場で焼きました。 釜が小さいので、寝る棺ではなく、座棺です。 大柄な人の場合、フタが閉まらないから、首をバキッとやるそうです。 燃やすのは薪で、火は遺族がつけます。 係員などはいません。 子どもの頃は近所で葬儀があると、「今日は火葬だから、外で遊ぶな」と言われました(焼いている灰が飛んでくるから)。 翌日、また山の火葬場に向かい、御骨拾いをしました。 昭和50年代か60年代です。 まさか似た経験をされている方がいらっしゃるとは😲 しかも同じ県で😅
@user-nc8ud2px3b
@user-nc8ud2px3b Ай бұрын
謎だらけの平安時代のお話、いつも勉強になります😊
@yumi.k415
@yumi.k415 Ай бұрын
故人の霊が戻ってこないようにわざわざ壁を壊して直すとは、よっぽど戻ってきて欲しくなかったんですね。 毎年お盆にお迎えしている現代とは正反対に思いますが、いつからどうして変わったのでしょうか?
@user-uo9jh3yi2o
@user-uo9jh3yi2o Ай бұрын
なかなかこのような事 聞くことないのでありがとうございました。 いったいいつから白衣装から黒に変わったのかしら?
@user-mc8lm3ev7m
@user-mc8lm3ev7m Ай бұрын
きりゅうさん、大河ドラマ化されなさそうな、ヒミコの時代の『魏志倭人伝』の中国語での読み聞かせ動画を作って欲しいです。
@gone5018
@gone5018 Ай бұрын
鳥葬🦜の食べやすい様に整えるが、衝撃でした😅 首都圏の山奥ですが、数十年前に祖父が亡くなった時は土葬でしたが、その数年後の祖母は火葬でした。父曰く法律?条例?が、変わったから、土葬ができなくなったと言ってたのを思い出しました
@user-dy6fp4gw7t
@user-dy6fp4gw7t Ай бұрын
映画『つるばみ色のなぎ子たち』楽しみですね。 平安京における貴人の死と民草の死を書いた名作になると思います。 化野、船岡山、鳥辺野の流行の変遷を知りたいですね。
@user-number_929
@user-number_929 Ай бұрын
平安時代の寿命について、天皇、貴族、庶民.. もっと詳しく知りたいです。お願いします🤲✨
@MrHagehage
@MrHagehage Ай бұрын
縄文の遺跡でも家屋跡から遺骨が何体か出てきてそこには血縁がない事もありますけどその習慣が平安まで残っていたんでしょうかね
@peony48G
@peony48G Ай бұрын
49日で区切りはありがたいです
@user-gh8rs9es5e
@user-gh8rs9es5e Ай бұрын
定子中宮が亡くなった時の一条天皇の詠を是非紹介して頂きたいなぁ まだ21歳位ですよね一条天皇 清少納言はお墓の側で暮らしたと聞きました その辺のお話も聞けると良いなぁ
@user-jn3qg7vi6v
@user-jn3qg7vi6v Ай бұрын
高階ママが亡くなって、定子や清少納言、道長が着ていた喪服の色はなんという色ですか?黒じゃないし、グレーでもないし。。。
@user-hf2br9mp1k
@user-hf2br9mp1k Ай бұрын
鈍色ですね。
@user-hf2br9mp1k
@user-hf2br9mp1k Ай бұрын
読み方は、にびいろ
@user-jn3qg7vi6v
@user-jn3qg7vi6v Ай бұрын
ありがとうございます。奥ゆかしい、趣のある色だと思いました。​@@user-hf2br9mp1k
@hachihachi5805
@hachihachi5805 Ай бұрын
今ある歴代の陵墓は、誰が作ったんですかね? 本物もあれば供養塔の様な役割をしてるのもあるって事ですよね? まとめられてる陵墓もありますよね あれは、後から宮内庁が作ったんですかね? いつか、歴代の天皇の陵墓を全部訪れたいと思ってます。
@reonanatk
@reonanatk Ай бұрын
子どもの埋葬の話で… 山口県の岩国城の近くにある岩国藩主吉川家の墓所では、大人よりも子どものお墓の数が多いです。年齢も6歳ぐらいでで、中でも一番多いのが3歳ぐらい… ボコスカ死んでたって平安時代も同じだったんですねぇ😮
@user-ph5it8co5x
@user-ph5it8co5x Ай бұрын
深い内容です😮。大陸は土地が広いから土葬、日本は狭いから骨だけにして……かと思ってました
@noraw7435
@noraw7435 Ай бұрын
なんか『卒塔婆小町』を思い出しながら聴いちゃいました。ずっと後になって作られたフィクションだけど、お墓を舞台にしているお話だから。庶民なら卒塔婆もあるだけまだましだったのかしら。
@user-gb3ow9um3u
@user-gb3ow9um3u Ай бұрын
遺体と3年・・・一週間でもきついのに。しかも腐るよねぇ。😣
@user-oc1no1zv4n
@user-oc1no1zv4n Ай бұрын
古事記を編纂した太安万侶の墓が見つかった時は、銅板製の墓誌が見つかってその墓誌に名前、位階や住所亡くなった日付が刻まれていたとか。こういう金属製の墓誌を皆さんお墓に入れといてくださると特定できてありがいたんですけどねぇ!
@takajoe_._.1991
@takajoe_._.1991 Ай бұрын
木幡の宇治陵、大小の御陵が点在している住宅地に住んでいます。 藤原氏から入内した女性たちも埋葬されていることから宇治陵は宮内庁の管轄です。どなたが何処にとはわからないので、もしかして大河ドラマに出てくる方々が自宅裏に埋葬されているかもしれないという(笑 話は変わりますが、50年程前の滋賀の田舎で土葬に立ち会ったことがあります。時代劇で観た棺桶でした。それを白い裃を着た親族の男性が担いでお墓まで行列して田んぼの畦道を歩いて行きました。50年前とはいえ火葬が当たり前だったので驚きました。
@jupiter-xf2lj
@jupiter-xf2lj Ай бұрын
そんなモンハンのこんがり肉みたいな…
@yngkz23
@yngkz23 Ай бұрын
簡素なお葬式を望むのは、やはり緊縮財政だったからでしょうか? 今のお弔い形式が一番しっくりきますね、どうしても。 各地方にも各地方の鳥辺野とかに該当する場所があったのかも?って思いました。 「太平記」の頃だと墓石として五輪塔が作られてたとか聞いたことがあります。
@user-kb2pj1rl5j
@user-kb2pj1rl5j Ай бұрын
定子さん土葬なんですか! 源氏物語でみんな和歌で煙になってるので、貴族は火葬なんだと思ってました!
@sS000
@sS000 Ай бұрын
高階貴子が亡くなって道長が弔問に行ったとき、定子も清少納言も左前ではなかったですね。そういう習慣はまだこのころは無かった?
@savagebear2610
@savagebear2610 Ай бұрын
木幡に道長や紫式部の骨が埋められたのですね?今は住宅や畑になっちゃったのかな?
@user-さわ
@user-さわ Ай бұрын
紫式部のお墓は、小野篁のお墓の隣ですよね
@user-bc5ip6lz2v
@user-bc5ip6lz2v Ай бұрын
@@user-さわアレは後世の人が作ったお墓では?小野篁の墓の隣りに。
@user-さわ
@user-さわ Ай бұрын
@@user-bc5ip6lz2v はい、そうです。 小説を書いた、つまり嘘をたくさんついたことで地獄に堕ちてしまっては気の毒だということで、閻魔様に顔が利く小野篁のお墓と並べたそうですね。 それでも「雨月物語」では地獄に堕ちたと書かれている紫式部。 当時は真実でないことを記すことが忌避すべきことだったのでしょうね。 そう言いながら、きっと正史とされている史書の数々は勝者に都合よく書かれていたはずだけど💦
@user-qt3kf9pq7x
@user-qt3kf9pq7x Ай бұрын
古墳全盛の時代から⇒古墳が廃れていくと、やがて「この古墳ってどなたが埋葬されているんだっけ❓」となったと聞きましたが、(火葬+山稜形式)の場合も荒れるにまかせた場合もあり!とのことですが~「どの天皇のお墓」の識別・認識はあったのでしょうか❓伊周が父道隆の墓所の位置が分からなかった?お話からすると、天皇家とはいえ若干心配ですね💦 庶民が放置葬から土葬形式に移行した時期はいつ頃のことなんだろうか❓現代(此処百年くらい?)はお墓に特別の思い入れを込めて祀りますが、維持管理も大変+諸事情から⇒「墓じまい」の傾向が出てきていますね・・・昔は「お墓」そのものにはあまり執着しない感覚だったのですね❗【石の卒塔婆が一基だけ】~まさに今の「〇〇家先祖累代之墓」みたいですね😅そして「石の卒塔婆=墓石の元」&「貴族でも七歳以下の子供は火葬をしない・葬儀もしない」~勉強になりました❗
@user-rp3cp6rl7m
@user-rp3cp6rl7m Ай бұрын
以前に、きりゅうさんが平安の埋葬についてお話されていたこともあり、ご遺体を放置する時代ということは知っていましたが、生きている時は雅ですが亡くなってしまったらそんな扱いかと思うと悲しくなります。お墓参りの風習はなかったとの事なので、「お盆」の風習もなかったのでしょうか?「お盆やお彼岸亅等の風習はいつ頃から始まったのでしょう?
@kenhisayosi
@kenhisayosi Ай бұрын
今日も分かり易い解説ありがとうございます🤗昔からの弔い方の変遷を詳しく解説してくれてよくわかりました😁 私もこの5月に母が亡くなってドタバタしてたのを思い出し道長さんのついうっかりというのがよくわかります。
@user-ez5xr8vs8q
@user-ez5xr8vs8q Ай бұрын
土塀を壊して柩を出してすぐ直す! …身内の霊が戻って来るのもダメなんだ。 今だと「幽霊でもいいから帰っておいで〜」と思ったりするのにね。身内(友達やペットも)の霊なら、怖くないし。
@kanna9830
@kanna9830 Ай бұрын
今はセレモニーホールで葬儀をすることが多くなり家で葬儀を行うことがなくなってきましたが、私が住んでるあたりでは家で葬儀をした場合、玄関ではなく縁側とかから棺を運び出していました。(←これは日本どこへ行っても同じですか?)貴族が家の門を通さずに塀を壊して棺を通したお話を聞いて、昔からしていたことなんだなと思いました。
@yngkz23
@yngkz23 Ай бұрын
そういえばうちの田舎でも縁側から出していました。単純に座敷からすぐに出すためかと思っていたのですが。
@user-md7zg8ye8f
@user-md7zg8ye8f Ай бұрын
チベットでの鳥葬(天葬)の動画をみると これは宗教的な意味より遺体処理なんでしょうね ハゲワシが徹底的に食べてくれるので仕事がスムーズにすすむという感じか
@user-to5jt7nl9v
@user-to5jt7nl9v Ай бұрын
義時は、頼朝が亡くなった時火葬に必要なだけの木材が用意できるかどうかと心配してましたね。
@user-cp3bv1hz9q
@user-cp3bv1hz9q Ай бұрын
ハイパーハードボイルドグルメリポートという番組でネパールの火葬師の仕事が出てくるんですが、燃えてきた遺体をバッキバキ折って灰にしていたのは衝撃でした… 普通の炎で御骨や灰にするのは大変だろうなぁ
@michiko4309
@michiko4309 Ай бұрын
ちょうど平安時代の風葬、気になってました😳 梅田のグラングリーン大阪の建設が始まった当初 1500体以上の人の骨が出てきたとか😱江戸時代の庶民の人の達なのでしょう😭土葬だから156年以上経っても遺骨が残ってるんでしょうか?
@ka-ro5ip
@ka-ro5ip Ай бұрын
「土壁の横線が多いほど位が高いんだよ」と京都旅行に行ったときにタクシーの運転手さんから説明されました。 それで壁の線はいつ頃始まって、何パターンあるんでしょうか?   鳥葬のお話、興味深かったです😅
@kashimashi_rekishi_ch
@kashimashi_rekishi_ch Ай бұрын
筋塀といって、5本が最高位、下は3本まであります。
@ka-ro5ip
@ka-ro5ip Ай бұрын
​@@kashimashi_rekishi_ch ご回答ありがとうございます
@user-nn6kx9km9c
@user-nn6kx9km9c Ай бұрын
平安では病気自体が穢れだったんですね。 今回まひろが羊肉を食べてたけど、不味そう、というか慣れてなさそうでした。鶏肉豚肉は一般に食べてたのでしょうか?
@user-st9tv4ky3o
@user-st9tv4ky3o Ай бұрын
平安時代に棺桶や骨壺はありましたか?
@user-dz6oe9vn3m
@user-dz6oe9vn3m Ай бұрын
沖縄のガマに入ったことがあり、風葬された人骨を見たことがあります この頃は一般人はガマに入れないので、今思うと貴重な経験をしました つい昨年ハイキングで鳥辺野周辺を歩きました 今もお寺や墓地の多いエリアです 火葬って僧侶自身が行なってたんですね ちょっとびっくりです 死穢に触れてはいけないタブーは天皇自身には今もありますよね?昭和天皇が亡くなったとき、天皇は身内の葬儀に出られないと知って非常に驚きましたが、そういうことだったんですね 木幡の浄妙寺は母の実家の近所ですが、藤原家の菩提寺てホンマ?と思うほど地味な寺です それと道長が建立した法成寺跡にある京都府立〇〇高校に勤めてたので、毎日のように石碑を見てました 隠してもきりゅうさんにはバレるでしょうが(笑)ジュリー、山本富士子、田宮二郎、上村淳史などを輩出した名門校です 大河ドラマ「八重の桜」とゆかりが深くあの一年は紀行のロケが来たり大騒動でした 廬山寺も近いけど新島襄旧邸も近いところです ちなみに巨大な明治天皇陵の中にある桃山小学校の卒業生、校歌の始まりが「明治の帝とこしえにしずまりたもうみささぎの〜」でした
@user-ph6ez3bo7f
@user-ph6ez3bo7f Ай бұрын
ふと思ったのですが、死=穢れ の場合臨終を迎える場はどうなるんでしょう・・ 今わの際には、自宅から出てそこで死ぬことになる、、のかそれとも「家の主」はそこで死んでから 外に出されるのか・・・???  特に帝の場合は、内裏の中で亡くなると内裏が死穢に汚れるということはないんでしょうか。 そして、喪についても詳しく知りたいです! 今でも忌引きは近しさによってもらえる日にちが決まっていたりしますが・・ 帝が死んだ場合、后が死んだ場合は喪に服する義務があるのはどこまでなのか? 使える主人が死んだ場合と、その逆の場合とはやはり 違うんでしょうね~。  色々気になります!
@user-og5po9tz6m
@user-og5po9tz6m Ай бұрын
檀林皇后は風葬だったのですか?天皇家は神道式の葬儀だったのでしょうか。
@user-ci2yo7eg4w
@user-ci2yo7eg4w Ай бұрын
毎回すごく楽しみに見させていただいてます。一つ教えていただきたいのですが、まひろが越前に向かうとき、首から両端が結ばれた袋のようなものを下げてますがあれは何なのでしょうか?ご教授の程よろしくお願いします。
@kashimashi_rekishi_ch
@kashimashi_rekishi_ch Ай бұрын
懸け守りです。
@user-gh8nr1ec4i
@user-gh8nr1ec4i Ай бұрын
色んな考えの天皇がいらっしゃったんですね😅
@setsut742
@setsut742 Ай бұрын
まさに墓騒動真っ只中の私の身内。ご先祖様に失礼が無いようにとか考えてる令和の人間の考え方がバカバカしく感じました🤭
@user-fi7vr9ub7e
@user-fi7vr9ub7e Ай бұрын
一周期ではなく一周忌では と思います
@kashimashi_rekishi_ch
@kashimashi_rekishi_ch Ай бұрын
ご指摘ありがとうございます。
@mihokomori6501
@mihokomori6501 Ай бұрын
覚えてます!!本当は大江殿のお墓でしたっけ?!
@kashimashi_rekishi_ch
@kashimashi_rekishi_ch Ай бұрын
そうですw でも、大江殿のお墓も江戸時代に立てたものなんですよねw
@user-cy4qe8zr8r
@user-cy4qe8zr8r Ай бұрын
天皇の名前が道の通りの名前はおもろい、😂
@user-qu6wc3zb8m
@user-qu6wc3zb8m Ай бұрын
火葬はどこでしたのでしょうか。寺でしょうか。鳥辺野でしょうか。
@vientoviento6517
@vientoviento6517 Ай бұрын
くーさん、北条一族は源氏ではなく平氏ですよー
@matudono
@matudono Ай бұрын
TV壊れて見られなかった(;_;) で、いつか書こうと思ってたこと書きます 枕草子が定子一人のために書かれたように 源氏物語も彰子一人だけのために書かれたもののように思っています 人気エッセイ枕草子へのカウンターで書かれたと言うより 箱入り娘で世間知らずのまだ子どもの彰子のために 大人の貴族の恋愛手引書として 彰子一人の為だけに書かれたと思います ドラマ的には倫子さんが 「私は何でもお見通しよ」ってな感じでまひろに頼むってのを見たいなあ
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