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@サイの尾猿田彦
@サイの尾猿田彦 Сағат бұрын
邪馬台国と卑弥呼  倭国大乱の原因は孝霊天皇をめぐる出雲族の姫たちの嫉妬であった。卑弥呼は第7代孝霊天皇の皇女・日女命又の名は倭迹迹日百襲姫命である。稚日女命と倭姫命は霞会館(藤裔会)に名前を変えられた卑弥呼であった。内藤湖南(倭姫説)と笠井新也(倭迹迹日百襲姫説)はどちらも正しかった。霞会館(藤裔会)の国史改ざんとフィクションの創作によって混乱が生じていた。  卑弥呼の出身は鳥取県湯梨浜町宮内(黒田庵戸宮)である。  魏志倭人伝に「倭の地ではその身体に朱丹を塗る」とあるが、鳥取県中部の古墳から出土した人骨42体(歯のみは省略)のうち11体(26%)は朱を塗った状態で亡くなっている。  魏志倭人伝に「倭人の俗は、儀式や行事を行い、何かを言ったり行ったりする時は、骨を灼いて卜し、以って吉凶を占う」とある。青谷上寺地遺跡で全国で一番多い240点の卜骨が出土した。  倭姫命世紀にある豊鋤入姫が巡った「倭の」笠縫邑は鳥取県琴浦町八橋であった。「倭の」彌和の御室嶺の上の宮は鳥取県北栄町下神の三輪神社であった。「倭」は鳥取県中部であった。  倭国大乱は鳥取県を中心にした出雲族の反乱であった。倭姫(卑弥呼)と倭建の皇軍は鳥取県の出雲族(鬼・土蜘蛛・河童・蝦夷)を平定して倭国大乱は終結した。その後、倭姫(卑弥呼)と倭建の皇軍はさらに、西は長崎県・朝鮮半島、東は岩手県奥州市永岡神社までの広範囲を平定した。  全国に社を建てて銅鐸祭祀を銅鏡祭祀の神道に改宗させた。全国の代表者を集めての祭祀は鳥取県北栄町下神の神浅茅原していた。その時、開化天皇や崇神天皇は豊田市の猿投神社に、倭迹迹日百襲姫は神戸市の旧生田神社にいた。  しかし、鳥取県中部は東国から遠いため神道の祭祀は奈良の纒向ですることにした。しかし、奈良盆地には平定されたとはいえ敵対していた殷王朝末裔の準王一族(銅鐸祭祀の一族)が多く居たため、卑弥呼の安全な居所を探さなければならなかった。宇陀を出発し志摩国までめぐる「倭姫命世紀」は卑弥呼の安全な居所を探す巡行であった。  卑弥呼(151年~248年)の居所は志摩国に定めた。魏志倭人伝に「南の邪馬壹国に至る。女王が都とするところ」とある。女王はそれまでの都(鳥取県中部)を離れて新たに邪馬壹国(志摩国)を都とした。邪馬台国は志摩国(志摩市・鳥羽市)であった。その時はまだ霞会館(藤裔会)の創った邪馬台国(志摩国)を封印するための伊勢国・伊勢神宮(大宮司は霞会館(藤裔会)が決定する)はなかった。  奈良盆地の集落の環濠を埋めさせたのは190年頃である。卑弥呼が奈良の纒向で祭祀をするときは、伊勢神宮を通り・櫛田川沿いに高見峠を越えて吉野町宮滝経由で纒向に行き、帰りは和歌山の玉津島神社から船で何日もかけて伊射波神社まで帰った。卑弥呼の墓は鳥羽市安楽島町の「松の鼻古墳」である。  伊勢神宮は、邪馬台国を封印するため、卑弥呼が纒向へ行く御幸ルート上に建てられた。明治期に入り、纒向と同じように神道の代表者を集めての研修・祭祀を伊勢神宮で始めた。  台与は豊鋤入姫であり彦太忍信の娘の葛木志志見興利木田忍海部刀自(かつらぎししみよりきたおさかいべとじ)であった。第12代倭国王の屋主忍男武雄心の妹となる。第12代の妹は倭姫ではなく豊鋤入姫であり、神功皇后のモデルであった。豊鋤入姫は甥の武内宿禰と一緒に行動していた。豊鋤入姫は都を鳥取県中部(倭)に戻し、倉吉市鋤集落を本拠地にした。
@muuminmama916
@muuminmama916 Күн бұрын
いつも拝見させていただいております 学ばせていただけて感謝致します 粟鹿神社は私くしの村の総氏神で宮司さまには氏神一帯の神社を含めて 大変おせわになっており親しくさせていただいております 昨今では鎮魂しているようですが古からの繋がりより 地域一帯の村でもそれぞれが上下に敵対している歴史が続いています 朝来市は古代豪族の古墳がかなりございます 田畑をしておりますがあちこちに古墳がありますので新たに畑を開墾するのも注意しております 粟鹿神社の地域では妙見信仰もございますので天之御中主神との御縁もございます 私くしも神(根源)に仕えしモノでございます 丹波道主命から神寶の国見の剣を授けていただいております 倭姫命も繋がっておりますのでお話が分かり易くありがたく拝見させて頂きました 此れからの世は大いなるお役目により神々が大調和に向かい一つに統合されてまいります 神々が降臨されますので準備段階へと入ります(新たな天地開闢が始まっております) 日本の國・龍の國の再建に向け土地の浄化・龍脈の浄化が始まります 長文失礼致しました 神恩感謝
@irisyell6626
@irisyell6626 Күн бұрын
おはようございます。 地場ならではの、お話をありがとうございます。 見えない力の、そしてたくさんの人の意識の向上で、世界の活性化を望んでいます。お祈りいたします。 いつも、ご視聴ありがとうございます😊🌸嬉しいです、
@mori2440
@mori2440 2 күн бұрын
日本人が表立った争いを避けるのは戦争から逃れて平和を求めた民族の末裔だからということですね。しかし朝鮮半島から目視できるほどの距離にある日本が侵略されず未開地のままだったのはなぜなんでしょう?どんな理由があったのか分かるときがくれば面白いですね。
@irisyell6626
@irisyell6626 2 күн бұрын
妄想ですが、、、、 日本は最後の希望だったからです。 ありがとうございます😊
@hidezoevo
@hidezoevo 2 күн бұрын
いやー!よくまとめられましたね!素晴らしい👍🎉
@irisyell6626
@irisyell6626 2 күн бұрын
ありがとうございます😊
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 6 күн бұрын
ヤガミヒメの悲しいお話です。 貴重な井戸の水を大切に守られてきた思いが悲しいエピソードとして描かれたんでしょうね! オオクニヌシの荒魂として思いを伝えた地もありました。美具久留御魂神社… 水の神様です。 オオクニヌシが切り拓いた足跡が信仰の対象になりました。 三輪山が御神体の大神神社…美具久留御魂神社も同様です。 神南備を崇め水を大切にする思いは普遍です。
@irisyell6626
@irisyell6626 6 күн бұрын
御井ですものね😊🌸 いつもありがとうございます!
@サイの尾猿田彦
@サイの尾猿田彦 7 күн бұрын
神武天皇  神武四兄弟は倉吉市大谷の四王寺山 (畝傍山・日向)で育った。神武四兄弟は九州平定のため、また二男と三男が大陸に渡るため、日本海沿いに九州に行った。北九州市山寺町一宮の旧岡田宮に到着し、飯塚市の立岩地域・福岡市の四王寺山・大宰府を本拠地にして、春日市・吉野ヶ里などの北部九州にいた殷王朝末裔を長崎まで平定していった。北部九州で発掘される石包丁は立岩産なので、食物を肉ではなく米にさせるため、稲作を普及させていったのがわかる。  四兄弟の目的は殷王朝末裔の準王一族(鬼・土蜘蛛・蝦夷)を平定することであった。宮崎県から奈良県に行く神武東征は霞会館(藤裔会)によって作り替えられた創作物語である。  九州平定後、五瀬と磐余彦は倉吉市清谷(草香の入江、清谷は戦前まで日下村であった)に帰ってきたが長髄彦の矢があたり、五瀬は鳥取県智頭町(木国)で亡くなった。磐余彦は広島県福山市まで退却し福山市を本拠地にして倭国(鳥取県中部)を取り戻す機会をうかがっていた。磐余彦は茨木市(摂津国)の東奈良遺跡に行き銅鐸絵画ではなく縄文人の風習であった土器絵画にするよう指導した。しかし奈良までは行っていない。  磐余彦は明石で出会った椎根津彦を連れて岡山県の旭川沿いに蒜山高原(高天原)に上がり饒速日と同じ鏡ヶ成から野添経由で倉吉市高城地区(上大立)に下りて、穿って道(下見関金線と円谷広瀬線)をつけ、留守の間に倭国(鳥取県中部)を占拠していた準王一族(出雲族)を平定し、初代天皇として紀元前60年に倉吉市大宮(橿原宮)で即位した。楯縫邑(倉吉市高城地区の大立)と笠縫邑(琴浦町八橋)もその時に開いた。         神武天皇は情報戦・ゲリラ戦を展開していた。  三男の御毛沼は常世国(中国雲南省)に渡り倭国への移民渡来コースを九州経由ではなく辰韓(新羅)経由に変更させた。殷王朝末裔の準王たちは移民をとらえて殷王朝から続く生贄にしていた(福岡県の宝満川流域の多数の首のない甕棺や山口県の土井ヶ浜遺跡)。  二男の稲飯は辰韓に行き紀元前57年に新羅を建国した。神武天皇はヤマト(倭)国の国号を「徐ラミツ」とし、稲飯は新羅国の国号を「徐ナバル」とした。
@akisasaki2200
@akisasaki2200 7 күн бұрын
ありがとうございました。「出雲口伝」は日本に行ったときに購入して読みたいと思います。記紀は権力者側の意向によって書かれたといいます。中立的な立場で、隠された真実の日本の歴史をもっと勉強したいものですね。フィンランド在住です。
@irisyell6626
@irisyell6626 7 күн бұрын
是非読んでみてくださいね😊 ありがとうございます。
@Gr-No0023rsO
@Gr-No0023rsO 7 күн бұрын
障害を持った子を船に乗せて流した?自分達の子を何て事するの、責任を持ってちゃんと育てなさい。
@わいとん-l9l
@わいとん-l9l 8 күн бұрын
ショート動画を初めて拝見しました IRISさんっポイ動画だなぁと思って観てました 確認したらIRISさんの動画でした
@irisyell6626
@irisyell6626 8 күн бұрын
ワタシ風を感じてくださったんですね😊 自分では、わからないんです🌸 いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@わいとん-l9l
@わいとん-l9l 8 күн бұрын
@irisyell6626 その件に詳しいんです 併せて、マナザシがやさしいんです
@irisyell6626
@irisyell6626 8 күн бұрын
@@わいとん-l9l さま ありがとうございます😊 ワタシより深く見ていただいてます。 嬉しいです🌸
@mithubachi
@mithubachi 8 күн бұрын
御縁のある神々さまとこの話を知っている感覚…辿り着きました…感謝
@irisyell6626
@irisyell6626 8 күн бұрын
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@おかめ有希
@おかめ有希 8 күн бұрын
🙏🙏🙏
@irisyell6626
@irisyell6626 8 күн бұрын
こんばんは! 嬉しいです!😊🌸😊🌸 寒い時です。お体にお気を付けください。 ありがとうございます!
@おかめ有希
@おかめ有希 8 күн бұрын
@ さん、 いつも素敵な投稿を有難うございます。
@akisasaki2200
@akisasaki2200 8 күн бұрын
桃太郎伝説の原型がここのあったのでしょうか?桃太郎は吉備出身、鬼を出雲族に仕立て上げ、それを征伐したという勧善懲悪物語に作ったのでしょうか?もし、そうならば、子供たちに「桃太郎」の話をするときには、物語の背景も教えなければなりませんね。
@irisyell6626
@irisyell6626 8 күн бұрын
今の時代は、様々な情報がありますので、人によって世界観が違いますね。 どちらかが完全に悪という事は少ないですよね。 いつもありがとうございます😊
@ぼっち-u2o
@ぼっち-u2o 8 күн бұрын
明けましておめでとうございます。 奈良、京都へ行きたくなる動画でした。 先日鳥取、島根と行ってきましたが何回も何回もここの動画見てから行きました。 大変参考になりました。 出雲への愛を多大に感じる上、為になる動画いつもありがとうございます。 これからもよろしくお願いします。
@irisyell6626
@irisyell6626 8 күн бұрын
明けましておめでとうございます。 そんな風に言っていただくと、大変うれしいです😊 こちらこそ、よろしくお願いします🌸
@山下浩二-r3e
@山下浩二-r3e 9 күн бұрын
本年もよろしくお願い申し上げます。 かも氏....深いですよね...沼ってます^^
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
本年もよろしくお願い申しあげます😊 カモ族の追っかけをしてしまいました💦 なぜなら、切なさを感じたからです。 いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@1632takahashi
@1632takahashi 9 күн бұрын
たけつのみとはロ伝では誰になるのでしょうか? あじすきは年代があわないですよね。
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
登美家には、建津乃身(建角身、大賀茂津身)という2世紀を生きた当主がいたと匂わせています。建津乃身です。 ありがとうございます😊
@hitokotonushi-i6k
@hitokotonushi-i6k 9 күн бұрын
飛鳥に行くと、蘇我氏というのはサカ族だったんだろうなと思います。
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
そうなんですね😊
@asa01053
@asa01053 9 күн бұрын
沖縄のノロの役割が卑弥呼の祭祀になるみたいです。マクモニーグルの透視では、ベトナムあたりから、沖縄経由して九州に上陸したそうです。オオ・タタネコですね。ネコは天皇ですね。
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
そうなんですね😊
@奥澤千鶴子
@奥澤千鶴子 9 күн бұрын
大変納得のいく解釈素晴らしいです‼️ 心が晴れました。 日本神話よくぞ残った古事記みんな読んだらいいのに。😊
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
日本の神様の物語は面白く奥深いですね。読んでもらいたいですね🌸 ありがとう御座います😊🌸
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
日本の神の物語は面白いです。読んでもらいたいですね🌸 ありがとうございます。
@khkh19702000
@khkh19702000 9 күн бұрын
私は三島氏末裔の説により、ミゾクイミミノカミを女神と捉え、カモ族の御祖と考えます。
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
そうなんですね。 ミゾクイミミは古くからの地神で謎が多いですね。 情報があれば、教えてくくだされば嬉しいです😊🌸 いつもありがとうございます😊
@khkh19702000
@khkh19702000 9 күн бұрын
@ しかしながら、素晴らしい動画であると感動し、感謝してます。
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
@@khkh19702000 さま ありがとうございます😊
@akisasaki2200
@akisasaki2200 9 күн бұрын
大変勉強になりました。もっと、動画をUPしていただければ有難いです。ありがとうございました。
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
頑張ります! ありがとうございます😊
@akisasaki2200
@akisasaki2200 9 күн бұрын
お待ちしております。
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
@@akisasaki2200 様 😊
@asa01053
@asa01053 9 күн бұрын
関東に出雲族がいたそうです。物部氏。関東から国譲りで長野へ。
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
埼玉の氷川神社に痕跡がありますね。 もちろん長野にも。 出雲族の足跡はほんとに、多いですね。 ありがとうございます😊
@mayumi3300
@mayumi3300 9 күн бұрын
賀茂家の歴史こそ 日本史の縮図となります。 雄大なトキの流れを ありがとうございます♪ そうなんです。 戦争によって人々が入り交じり、 溢れ出て、 新しい時代が始まります。 出雲口伝でも、 著者により微妙にお話が違います。 この謎解きをするのも また、楽しい時間です。 いつ、ヤマトから賀茂氏が 山城に移ったか… 【出雲王国と天皇政権】は 元々、【出雲王国とヤマト政権】 と言う題で 富士林雅樹氏の著作でしたが、 おそらく、 斎木雲州氏の後継者でしょうね。 この富士林さんの本ですと、 【大田田根子】と 【大賀茂津身】が同世代のように 記されています。 山城へ移ったのは この大賀茂津身で、 このお説ですと、 第一物部東征時に移ったように 見れるのですが、 勝友彦氏の 【魏志和国の都】によりますと、 大賀茂津身は第二次東征時の 登美家(賀茂家)の当主なんですね。 3世紀です。 第二次東征につきましては、 この【魏志和国の都】に 詳細な記録が描かれています。 ここに矛盾があったので、 探っていったのですが、 この部分は勝さんの方が 筋が通る気がします。 何故なら、 三輪家に残された系図と 勝さんの記述が合致するからです。 クシヒカタ以前を書きますと、 説明が長くなりますので、 今回はクシヒカタから 記述します。 天日方奇日方命   | 飯肩巣見命   | 建甕槌命   | 豊御気主命   | 大御気主命   | 阿田賀田須命 建飯賀田須命   | 大田田根子命💜   | 豊御気持命   | 大鴨積命❤→賀茂家 大部主命💛   | 大友主命💛→三輪家 となります。 勝氏によれば、 第二次東征で 磯城王朝は三輪山を占領され、 大王家も登美家も太陽の姫巫女も ヤマトを追い出されます。 登美家の当主であった 大賀茂津身は山城へ逃れるのですが、 その後、その一族の一部が 三輪山を奪回して、 太陽の女神がいなくなった三輪山で、 大物主神をお祀りしてゆきます。 それが、 大部主→大友主と続く 💛の家系で【三輪氏】になります。 一方、大賀茂津身❤の子孫たちは、 山城に残ってそちらを開拓し、 後に平安遷都を実行します。 【賀茂氏】ですね。 この系図ですと、 大鴨積命は 大田田根子命の孫の代ですので、 第一東征と第二次東征の 時間軸と合致するのですね。 そして、何故 大神神社の社家(三輪氏)💛と 賀茂神社の社家(賀茂氏)❤に 分かれたのかも 綺麗に辻褄が合うのです。 【八咫烏】と言われている 【賀茂建角身】は、 賀茂神社の御由緒と 出雲の伝承、 賀茂家の系図などを 総合的に合わせてゆくと、 3人の人物が浮かんで来ます。 ①玉依姫の父【三島溝杭耳】 賀茂神社の御由緒により、 初代大王村雲の時代に ヤマト政権創設を導いた八咫烏。 ②【大田田根子】 第一次東征の神武天皇・ ウマシマジを導いて 磐余入りさせた八咫烏 ③【大賀茂津身】 第二次東征時にヤマトを出て 都を山城へ導いた八咫烏 と、3つの時代の 3人の人物が重ねられていると 思われます。 正史の記述も 1人のキャラクターに 何人もの実在の人物が 重ねられているものが多いです。 幾重にも重なった深い意味が、 和歌を詠むように描かれているのが 我が国の歴史書です。 賀茂氏については まだまだ重要な歴史が 沢山含まれています。 発信、ありがとうございます♪
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
いつも素敵なコメントをありがとうございます。 ミゾクイミミも娘を出雲の王、事代主命に嫁がせたのですから、なかなかの神様ですね。 いつもながら思うのですが、大田田根子の存在はとても大きいですね。 伊勢の猿田彦神社にも大田命が祀られる。 陰の力は必要だったのですね。 いつもありがとうございます😊. みなさま、素敵なコメントを是非読んでください🌈
@nihontaro9
@nihontaro9 9 күн бұрын
@mayumi330🌻様 いつもながら、素晴らしいご考察ですね。 口伝の本を読み比べてみないと見えてこない深い考察ですね。 有難うございます。
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
@ さま こちらこそ、いつもありがとうございます😊 感謝です🧚‍♀️
@mayumi3300
@mayumi3300 8 күн бұрын
​@@irisyell6626さま 大田田根子は とてつもない存在だと思います。 権力闘争で 求心力を失っていた磯城王朝を 傍系でありながら民をまとめ、 物部を受け入れ、 新たな次元で繁栄させていった 実質上の大王であったと思います。 系譜上、皇統に入れられないので、 臣下として描いていますが、 その血統や登場の仕方、 その子孫に至るまで、 とても丁寧に記されています。 それだけ大きな影響を 与えた人であり、 【八咫烏】として 語り継がれた意味も納得です。
@irisyell6626
@irisyell6626 8 күн бұрын
@mayumi3300 さま いつもありがとうございます😊
@castleman4502
@castleman4502 9 күн бұрын
あけましておめでとうございます。 賀茂御祖神社ありがとうございます😊
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします🌸 ヤタガラスですね😊
@Mocha0630cha
@Mocha0630cha 9 күн бұрын
ありがとうございます。高知の土佐一宮にアジキスカタヒコネを祀る神社があります。ヤマトから逃げた出雲族の一族でしょうか。
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
土佐神社ですね😊 大和の賀茂氏または、その同族が土佐の国造に任ぜられたこで、祀られたものといわれていますが・・・・ 元は出雲族だと思われます。 ありがとうございます😊🌸
@古澤功-c7e
@古澤功-c7e 9 күн бұрын
・・・天照大御神とは、・・・なるほど、深い・・・
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
ありがとうございます😊
@mani-x2e6o
@mani-x2e6o 9 күн бұрын
知らず知らずに導かれ、金剛山麓の美しくも大らかな氣に満ちた神社に昨年末参拝しました✨拝見してそうだったのかと染み染み思いを馳せます🙏✨ 今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます🤲
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
金剛山麓の神社、いいですね😊 今年もよろしくお願いします🌸
@そやで
@そやで 9 күн бұрын
高天原からの眺めは天上界からの神々の視界のような錯覚を覚えます、、、 そのような場所なので、後からつけられた地名かと思っていましたが、元からそうだったんですね、、、、 高鴨神社から山側は空気感が違います。 あの辺りに住まわれていた出雲族の人々は、 どれだけ穏やかに暮らしていたのだろうと想像して、外は寒いですがホクホクしています、、、いつもありがとう!
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
共感です! 高天彦神社参拝に参ったときに、その眺めをおっしゃるとおり、天上界からの神々の視界のような錯覚を覚えました。 空気観違いますね😊🌸 穏やかな世界です。天の国を思いました。 いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@そやで
@そやで 9 күн бұрын
@@irisyell6626 さま こちらこそありがとうございます!!
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 10 күн бұрын
賀茂氏の始まりのお話ありがとうございます。 摂津国三島 大和国御所 そして山城国京都… 出雲の口伝だけでは捉えきれない壮大な足跡です。 神社を巡り出したころ御所へ何度もいきました。 磐座や蜘蛛塚 神南備に心動かされました。 ご覧の方々にも是非お参りしていただきたいお宮さんばかりです。 今日の礎を成した氏族の足跡です。 巨椋池が出てきてましたね!シンクロしてたんですね! 共有出来る御利益を感じました。
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
こんにちは!体調大丈夫ですか? そうです!びっくりしました。巨椋池。シンクロですね😊 一言主神社の蜘蛛塚を見ると悲しくなります。 いつも感謝です! ありがとうございます😊🌸
@ちゃんちー-b2x
@ちゃんちー-b2x 10 күн бұрын
明けましておめでとうございます。益々国津神の御神徳が強くなってきていますね。ありがとうございます。
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
明けましておめでとうございます。 良い運気をもたらしますね😊 いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@1632takahashi
@1632takahashi 10 күн бұрын
飛鳥時代のが1本ありましたね。すいませんでした。ソツヒコや明治維新についても見てみたいです。
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
飛鳥時代のお話、いいですね😊🌸 頑張ります!
@1632takahashi
@1632takahashi 10 күн бұрын
いつもありがとうございます。できれば第z次車征以降の出雲口伝もお願いしたいのですがいかがでしようか?
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
できれば作ります😊 少し時間がかかるかもしれません💦 いつもありがとうございます。
@mori2440
@mori2440 10 күн бұрын
古代史初心者で勉強させてもらってます。いつも動画の結びの余韻が胸に響く感じで…いいですね🥹
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
響く、そう思っていただけて嬉しいです🌸 いつも、ありがとうございます😊
@amenoiwato7777
@amenoiwato7777 11 күн бұрын
だから荒祭の宮が伊勢神宮にあるのですね😊 春日大社と、  箸墓古墳も、瀬織津姫ですよね😊
@irisyell6626
@irisyell6626 11 күн бұрын
色々な説がありますね😊🌸 ありがとうございます!
@plus-ko5qn
@plus-ko5qn 12 күн бұрын
フリーレン!
@irisyell6626
@irisyell6626 12 күн бұрын
凍る💦
@mani-x2e6o
@mani-x2e6o 12 күн бұрын
切ないですが和合を祈ります🙏✨でも多くの方々に知って表に出て欲しいです。
@irisyell6626
@irisyell6626 12 күн бұрын
ご視聴ありがとうございます😊
@奥澤千鶴子
@奥澤千鶴子 12 күн бұрын
興味深いことばかりですが。古い歴史を知る複雑な思いも正直なところ。国の平安を祈ります。🎌⛩️
@irisyell6626
@irisyell6626 12 күн бұрын
心の片隅に置いていただければ幸いです。 未来に向け、世界、国民の幸せを願い、国の安泰を望みます。 ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@Eii-1681
@Eii-1681 12 күн бұрын
神武節に歌われる「〽今日のこの日は大君(王:おほきみ)の産まれ給える善き日なり~~」今上天皇と神武節と重なって祝われる2月の十数日と23日ですよ。身延線にもウチの山梨の大磯小磯に一番近しい「クナド≒久那土駅」があります。クナドの神って道祖神じゃ無いの?今は過疎ですが?古事記の蘇賀石河?宿祢?氏が後に成って加賀の石川県の蘇我氏との関係を正当立てた可能性があります。7:10 石川臣麻子(おみまこ)は馬子の実名だった可能性がありますが。倉山田石川麻呂さんと入鹿さんが混同している可能性があり、モトモトは入鹿がいなかった可能性があり倉山田石川麻呂さんが同なのかは解かりませんがです。蘇我の支流が出雲に渡った者が伝承者なんでしょうけれども。ウチは相模の酒匂川付近の曾我の別所の部庄(荘園?曾我梅林?)の者ですが。蘇我の「大化の改新」以前の部曲の「カキベ」ですが。悪霊は物質では無いので剣で斬り殺せませんウチの馬鹿な曾我の八卦の悪霊に対抗した者が?倭国が矮国と云われる由縁ですか?俺はアル…修正主義で悠仁さまと一緒だよ?>倉山田の石川麻呂の系<なんじゃない?議会政治は間違って無かっただろ?相模の曾我氏は跡の子孫を残していますが。蘇民将来じゃ無いの?曾我の別所の土佐の長曾我部もいました木曾義仲も?ウチは母系で女系で身受けして呉れるいもとのお兄さんがいたが?男を立てようとする女は正しいよ。宗我(しゅうわる?れ?と書いて曾我と読む、氏神様)神社は酒匂川付近にもあるよ。天皇は事代主みたいな男の助言者の言伝(ことづて)をするお嫁さんも欲して居られる「光る君へ」の藤原氏みたいな?だから男の議会政治の言葉を納して大納言とかの?政争で家族内での争いも人殺しには関与しない方が善いと思うが?天皇の王命であれば助言者と召されても良いが立候補すると不味い?議会政治でお前たち大臣の貴族や豪族が評定せよ評議会を設けて評定せよとの定めだったろ?蘭学のケーコさんも議会政治で!?翡翠の勾玉に穴をあけるのは技術で?奈良県の高市郡に居を構える蘇我入鹿の神社も高市神社じゃ無いのかしらん?
@kenichiyamaguchi6761
@kenichiyamaguchi6761 13 күн бұрын
宮川神社は貴船神社の龍神さんをはじめ、各地の龍神さんたちの憩いの場らしいです、 昨年お仕組みの人たちが水の流れが少し滞っていたので浄化して 山全体の気を整えてくれたようです。 玉依姫さまの社は問題なく健やかな気配であられたとか。😊🌿❤️
@irisyell6626
@irisyell6626 13 күн бұрын
いつもありがとうございます😊🌸
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 13 күн бұрын
当チャンネルご覧の方に是非お参りしていただきたいお宮です。 宮川神社! お社の裏手をご覧いただきたいです。 初めてお参りした時はそんな事になっているとは知りませんでした。 きれいにされていた印象です。 周りは良き時代の原風景です。 ただただ水のせせらぎとゆっくりとした空間を感じます。 お帰りはネコタのベーグルおすすめです。
@irisyell6626
@irisyell6626 13 күн бұрын
良き時代の原風景、 水のせせらぎとゆっくりとした空間。 お帰りはネコタのベーグル。 そうです😊 みなさん、是非! いつもありがとうございます😊🌸
@浮世離れ-s8y
@浮世離れ-s8y 14 күн бұрын
蘇我馬子の編纂した天皇記と国記を読みたいなあ😢 中大兄皇子め、
@irisyell6626
@irisyell6626 14 күн бұрын
読みたいですね😊 ありがとうございます🌸
@hitokotonushi-i6k
@hitokotonushi-i6k 7 күн бұрын
ちなみに、日本書紀の表記は「中大兄」であって、「皇子」は付いてません。 私はこの人物は当時日本に人質として居た百済王子・豊璋だと思います。
@mani-x2e6o
@mani-x2e6o 15 күн бұрын
和合の時が来ているのですね✨
@irisyell6626
@irisyell6626 14 күн бұрын
そうであればいいですね✨
@sanaesato-b3x
@sanaesato-b3x 16 күн бұрын
本物の画像が嬉しいです。
@irisyell6626
@irisyell6626 15 күн бұрын
そのお言葉、嬉しいです。 ありがとうございます😊
@mani-x2e6o
@mani-x2e6o 16 күн бұрын
出雲口伝を聴くと、よく分からなかった事が全てわかって来ます。 日本神話は全く作られたものですね。。
@irisyell6626
@irisyell6626 15 күн бұрын
日本神話はとても巧みです😊 ありがとうございます!
@mani-x2e6o
@mani-x2e6o 15 күн бұрын
@ 真に😌 こちらこそありがとうございます。
@irisyell6626
@irisyell6626 15 күн бұрын
@@mani-x2e6o 様 😊😊😊
@mani-x2e6o
@mani-x2e6o 16 күн бұрын
配信ありがとうございます🙏 出雲口伝をもっと知りたい気持ちでいっぱいです。多くの人に知って頂きたい表に出て欲しい歴史です。
@irisyell6626
@irisyell6626 16 күн бұрын
ご視聴ありがとうございます😊嬉しいです🌸 励みになります!
@陽子-c1d
@陽子-c1d 16 күн бұрын
0:00 いつもありがとうございます。阿須伎神社、度々お参りしています。静かな所です。本殿は、穏やかな雰囲気に比べ荒神様(スサノオ)、水神様に向かうと、荘厳で鳥肌がたちます。八雲山も弥山山も霊山、私にとってとてもリフレッシュ出来る神社様です。戦いを避け、自国を離れる…無駄な死を避け生きて行く…なんとも切ないです。
@irisyell6626
@irisyell6626 16 күн бұрын
荘厳な雰囲気、まさに出雲ですね✨ ありがとうございます。嬉しいです🌸
@麻紀-i4l
@麻紀-i4l 17 күн бұрын
ありがとうございます❤ 2025年お正月、いつもは大神神社に初詣に行くのに、なんとなく今年は大和神社にお参りに行きました! そして今年は奈良から出雲市に移住する予定で、大和神社と出雲の繋がりを知らなかったので、ビックリしました。因みに昨日は、宇陀の八咫烏神社にお参りに行きました😊 境内から、鳥居越しに見えた、伊那佐山がキレイでした😊
@irisyell6626
@irisyell6626 17 күн бұрын
大和神社と出雲の繋がり、深いですね✨ よいお正月ですね😊 ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 18 күн бұрын
出雲の口伝をわかりやすくくだいて紹介してらっしゃるチャンネルがあります。 まろンチャンネルさんです。 一度ご覧になってみてはいかがでしょう。 ご参考まで!
@irisyell6626
@irisyell6626 18 күн бұрын
存じあげてますよ😊 ありがとうございます!
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 18 күн бұрын
@ ありがとうございます。 視聴回数伸び悩みに少し協力させていただきました。
@irisyell6626
@irisyell6626 18 күн бұрын
@@きゅーぴーたろう さま 😊😊