Пікірлер
@福ちゃん-r5i
@福ちゃん-r5i 4 күн бұрын
素晴らしい動画をありがとうございます😊正しい歴史を知れて、嬉しいです。
@irisyell6626
@irisyell6626 4 күн бұрын
こちらこそ、見てくださってありがとうございます😊嬉しいです🌸
@Peco-yq1hs
@Peco-yq1hs 4 күн бұрын
ワクワクして、お参りに行きたいです!✨️😆大国主命の優しさに触れたくたりますね✨️💕
@irisyell6626
@irisyell6626 4 күн бұрын
素のやさしさ溢れる大国主命ですね😊いつもありがとうございます🌸
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 5 күн бұрын
軽快なヨルシカの曲に合わせて登場する… 出雲神話の代表作。 ワニに痛い目に遭ったウサギ。 助けたオオクニヌシ。 オオクニヌシを選んだヤガミヒメ。 難しい話は置いといて神様の馴れ初めにはホノボノします。    そんな神話を辿って神社お参りするのも楽しいです。
@irisyell6626
@irisyell6626 5 күн бұрын
モテ男、大国主の強みは、やさしさだった😊 いつも、ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@kenichiyamaguchi6761
@kenichiyamaguchi6761 5 күн бұрын
時代とともにお姿を変えてゆく神々 女神さまはともかく男神さまたちは天界で照れくさそう。😄🌿
@irisyell6626
@irisyell6626 5 күн бұрын
そうでしょうね。😊
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 6 күн бұрын
お参りしました。 当チャンネルもたくさんの方に見ていただけるようになりました。 動画の人気順に検索すると… まだまだ見ていただけてない素敵な神社。 鼻川神社 そのお宮にはそれぞれの由来 縁起があります。 御祭神にも訳があります。 その地に欠かせない宝物。 お参りして感じます。 淀川は暮らしであり営みの中心です。 感謝と鎮まりに手を合わせてきたのでしょう。 お参りしてホントよかったです。
@irisyell6626
@irisyell6626 6 күн бұрын
鼻川神社! 淀川を望み神功皇后の想いにふけったのを思い出します。 素敵な歴史ある神社ですね😊 皆さんと一緒になって、このチャンネルも続けられました。 いつも見ていただいて、コメント下さり、ほんとに心から感謝いたします。 ありがとうございます😊とても嬉しいです🌸
@酒井結衣-p3y
@酒井結衣-p3y 7 күн бұрын
孝霊天皇の深堀面白いです! 元々、十種神宝を持っていた饒速日が正当な王族だったのでは? 瓊瓊杵尊は3種の神器と稲穂をもって、食べ物を栄えさせる神だったでは? それを子孫の神武が強奪しちゃったので、隠蔽。 その後、崇神も強奪したので隠蔽。 元々、物部氏の奴隷として朝鮮半島から連れてきた藤原氏。 そして、物部氏を策略で嵌めて滅亡させた、藤原氏。 その一族が書いた古事記日本書記。隠蔽の歴史書ですね。 と、妄想してみました。
@irisyell6626
@irisyell6626 6 күн бұрын
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@ほんしょうしげる
@ほんしょうしげる 7 күн бұрын
伯母の旦那さんが稗田姓です。
@irisyell6626
@irisyell6626 7 күн бұрын
すごいですね!😊
@kouchannetwork
@kouchannetwork 7 күн бұрын
出雲口伝もその代々神官を務めたものが正統性を維持する為に作られたもの。出雲の国名が出来た時期を考えると神話の時代までたどり着けません。出雲は伊津面。伊国の沿岸を指しています。
@irisyell6626
@irisyell6626 7 күн бұрын
色々な説がありますね。 尊重します。 ご視聴ありがとうございます。
@lunaskymoon
@lunaskymoon 8 күн бұрын
この世は弱肉強食。背乗り卑怯な人間が都合よく作ったんだよ。
@irisyell6626
@irisyell6626 8 күн бұрын
調和された世がいいですね🌸 見て下さって、ありがとうございます😊
@国常立
@国常立 8 күн бұрын
開闢国常立之尊
@国常立
@国常立 8 күн бұрын
富士阿蘇大神宮 玉置神社
@irisyell6626
@irisyell6626 8 күн бұрын
ご視聴ありがとうございます😊
@TK-bm6cu
@TK-bm6cu 9 күн бұрын
稗田阿礼=柿本人麻呂とは・・初耳です。出雲口伝の本を読んでないので、こちらでいつも勉強させて頂いております。文学的に評価が高いと言われてきた古事記ですのですごく納得です。私も古事記が好きで古代に興味をもちましたので、なんかうれしく思います。もはや記紀を正史と考える人は少ないのでしょうね。でも教科書は未だに聖徳太子=聖人;蘇我氏=悪・・なのでしょうか?
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
子供さん達は、どんな歴史を習っているんでしょうね。 こんな口伝もありますと教えてもらっているでしょうか。 いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@斎部太郎
@斎部太郎 9 күн бұрын
京田辺辺りも竹取物語に出て来るかぐや姫の名付け親・御室戸忌部の秋田の秋田姓の多い地域ですね、何か関係あるのでしょうか?🤔
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
「御室戸」の三室は「三室山(奈良県斑鳩町)」のことで 戸は人々の集団らしいです。 「奈良県斑鳩町に住んでいたであろう朝廷の祭祀を司る氏族」の秋田さんが名付たようですよ。 あまり詳しく説明できなくてごめんさい。 ありがとうございます😊
@斎部太郎
@斎部太郎 9 күн бұрын
@@irisyell6626 三室山は斑鳩周辺に2つ在りますが、龍田大社と信貴山に近い龍田大社本宮が在った三室山ではなく、少し平城京に近い三室山・神岳神社の方だと思われますね。 ただ、忌部氏は確か大伴氏宅の警護にあたったことがありますから、信貴山に近い方の可能性もありますね。 神岳神社は現在、大己貴神、須佐之男神を祭るとありますが、実際に現地で調べると市杵島姫命のようでした。
@ともさん-j9d
@ともさん-j9d 10 күн бұрын
出雲大社は、イロイロ怪しい気がします。
@irisyell6626
@irisyell6626 9 күн бұрын
きっと、オオクニヌシさんが高いところから、良きに計らえと言ってるような。。。。。💦😊 ありがとうございます🌸
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 10 күн бұрын
私 安萬侶が申し上げます。 チャンネルの始まりです。 古事記と日本書紀の始まりをありがとうございます。 柿本人麻呂のお話は泣けます。 稗田阿礼とは?記憶力抜群の謎の奇才。 昔ある業界の営業の仕事してました。関西一円はもちろん北陸の富山四国は徳島香川また岡山へも行きました。 そこでお会いした方に稗田さんがいらっしゃってなんでも末裔との事。 ですから実在したの疑わないのですが… 本人曰く  あれはかなり盛ってるらしい。記憶力だけでは名前が残らないだろう。 ただ誇りには思ってます。本当に子孫なら… 歴史に興味ある? って聞かれて いや古代のはちょっと幕末は好きです。 って答えた記憶があります。 いまでも土方歳三好きです。 あー また脱線。 私 安萬侶が申し上げます。 みなさんも始めから見て頂けたらと願ってます。
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
いつも、素敵なんです。コメント。 ありがとうございます。 とてもうれしいです😊
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 10 күн бұрын
@@irisyell6626 今NHK見てます。 さすが天下のNHK… 継体天皇のお話などされてます。 全国の視聴者さんがこの辺りの歴史に興味を持たれる事を願ってます。
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
@@きゅーぴーたろう さま いいです。 そのお姿。 継体天皇のお話は興味深いです😊 いつもありがとうございます😊
@q7o-f1i
@q7o-f1i 10 күн бұрын
ありがとうございます。出雲口伝を読み進めながら、こんな素晴らしい動画を並行して見せていただけて幸せでいっぱいです。 今、日本の神社やお寺を外国人に売る動きがあるようです。神社には学校では教えない日本の古代の歴史が守られています。神社仏閣が傷つけられるのは悲しいです。 多くの人がこの動画を見てくれますように。 どうかこれからも守られますように。
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
沢山の方に見ていただけたら嬉しいです😊 こんな伝承が残されていると知っていただければ、いいなと思います。 コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
@castleman4502
@castleman4502 10 күн бұрын
私も今後神社シリーズで色々扱っていきます。意富氏が日本の最初の氏であるのは間違いないと思います。 藤原、江戸時代、明治時代と色々書き換えられているのが歴史が見えづらくなっているのが残念です。
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
こんにちは! 頑張っておられますね😊 私もヒノモトが気になってるので探りたいです。 いつもありがとうございます😊 次回作品楽しみにします🌸
@mayumi3300
@mayumi3300 10 күн бұрын
とうとうこちらまで… ありがとうございます♪ 人麻呂が稗田阿礼であったというお説は 最初読んだときは衝撃的でしたが、 色々と腑に落ちる点が いくつも出て来て 今はかなり自然に そうかも知れないと思っています。 先ず、斎木雲州氏が書かれていたように 古事記の序文と 本文の文体が違うという点。 これはわたしも なんとなく思っていたことなので、 そういうことか… と思います。 太安万侶の文体は 序文に書かれていたもので、 本文のあの高度な文学的な 柔らかい文章は 書けないであろうという点。 そうなんですよ。 古事記は和歌が凄く多いですが、 個々の和歌だけでなく、 全体が壮大なひとつの和歌のように なっているのです。 史実を並べた 記録書では全くありません。 だからこそ とても解りにくいし、 それぞれの言葉や物語に 複数の意味がかけてあります。 こんな高度な和歌を作れるのは、 歌聖と呼ばれた 人麻呂以外考えられないと 今の段階では思います。 古事記編纂時は まだ、平仮名もカタカナも ありませんから、 漢字だけで書いてありますが、 完全に漢語(中国語)で書いた 日本書紀と違って、 ここは意味をとる… ここは音をとる…と、 最大限に大和言葉を入れながら、 漢字の選択をとても重要視して 注訳を入れながら、 苦労して記されたことが 伝わって来ます。 漢文で書いたようで、 多くの日本語が混ざり、 中国語としては読めない状態です。 これを伝えられているように、 稗田阿礼が朗詠し、 太安万侶が書いたとは とても思えません。 平仮名もカタカナもない状態で、 日本語の朗詠から、 語順の違う大陸語へと変換するのも、 すぐさま出来るとは思えないし、 その漢字の選択も 多くの中から細心の注意を払って 意味が最大限に伝わるような こだわりをすることは、 全体の意味や意図を 理解している人でないと 不可能だと思うのです。 つまり、 文章を作る脳と 記述する脳が 同じでないとできない技でしょう。 稗田阿礼の朗詠を 文章にして記する太安万侶は 大きな矛盾と感じられるのです。 石見国に移住した 綾部人麻呂親子は、 小野家を頼って行ったと書かれています。 小野家は古くからの【語り部】であり、 母子はここで【語らい】を習い、 人麻呂は神童的に 覚えが良かったと言われます。 語り部のことを 【御阿礼(みあれ)】と言います。 稗田氏の祖は 【猿女君】🐒 芸能の神・天之鈿女命です。 【語らい】も芸能でした。 歌聖として有名な人麻呂は、 【柿本猿】🐒とも言われています。 《稗田=猿女君》🐒 暗号はいくつも 出ているのではないかと 思いました。
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
いつも素晴らしいコメントをありがとうございます😊 とても心に響きます。 是非とも、皆様に届きますように! ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@根岸卓磨-f2g
@根岸卓磨-f2g 10 күн бұрын
脱帽です。 大変勉強になりました。 ありがとうございます。
@mayumi3300
@mayumi3300 10 күн бұрын
@@根岸卓磨-f2g さま 共感していただき 嬉しいです。 ありがとうございます♪
@根岸卓磨-f2g
@根岸卓磨-f2g 10 күн бұрын
@@mayumi3300 さま 「ここは意味をとる… ここは音をとる…と 最大限に大和言葉を入れながら〜」に、 甚く感心し、感動してしまいました。 本当に素晴らしい考察です。 返信ありがとうございます。
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 10 күн бұрын
@@mayumi3300 人麻呂 300首を超える歌を残しました。 まさに歌聖です。 古事記と日本書紀 漢字の表記に音読みと訓読みは謎の玉手箱です。 先人はホントは何て読んでたのか? それは本来の読みだったのか? 言語は? 突き詰めるに先人が残した宝物は未だに解明に至っていないんです。 出雲の口伝も然り。 本来の姿かどうかは確証ないんです。 揺れ動く歴史。 実際に目にする各地の伝承は必ずしも出雲の口伝とは一致しません。 当チャンネルでもそれを説いていらっしゃいます。真清探當證がその例かな?
@drk671FUJIsun
@drk671FUJIsun 10 күн бұрын
すばらしい作品にしあがりましたね。記紀の謎も、出雲の口伝で伝えたかったことも、すっかり代弁してくださった。権力者とその背後にいる人達の苦悩もみごとに表現されていました。だいぶ、歴史の謎も解けました。ありがとうございます。
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
嬉しいコメント。 作れて良かったです。 出雲口伝の本は賜物です。 いつもありがとうございます😊🌸
@森岩光
@森岩光 10 күн бұрын
古事記は 持統天皇が 亡き夫で実おじの 天武天皇が発願し実際に編纂作業に入りながら空中分解して果たせなかった 国史編纂の 遺志をついで 発願、 名目上の責任者には皇族の舎人親王を戴き、 実務の総責任者には 藤原 史(フヒト)が選任された。 迄は良かったものの、、、 持統天皇(女帝)が 国家元首として知って措くべき国の成り立ちを 歴史博士と夙に名高い 天武天皇の未承認のご落胤である 柿本人麻呂 (母親は綾(漢)部某女。 大海皇子がたまたま居た綾部某女を気まぐれに手篭めにして、懐妊。 それを伏せて宮下がり~実家の 渡来系弱小氏族の綾部家で生まれて、親戚の柿本家に養子となった。 綾部家が取るに足らない弱小氏族だった事が 後々の柿本人麻呂の悲劇の始まり。 認知されていたら当たり前に皇子(皇族)ですから) からご進講された際の歴史が 数次の王朝交代に絡み、 浅ましく血生臭く、凄惨で 身内(同族)同士による 権力闘争の連続に 先般、我が身に降りかかった身内同士による醜くく浅ましく 血生臭い 権力闘争がまざまざとオーバーラップした。 これが深窓のご令嬢の持統天皇のオツムの許容量がパンクさせてしまい。 おお、おお、このような血生臭く凄惨で浅ましい身内同士の権力闘争の連続等 見聞きしたくない! と(古事記編纂の)実務上の総責任者の 藤原 史(フヒト)を召して 発した一言、しかしながら絶対的な勅命の 撰善言。 が 古事記や以降のこの手の歴史書を台無しにした元凶! 持統天皇が一場の悪者です?
@Peco-yq1hs
@Peco-yq1hs 10 күн бұрын
素晴らしい動画でした!有難うございます。光がいっぱいでした🌿 歴史は全て繋がっているのに…胸が痛くなります。最後、泣いてしまいました😢久しぶりに出雲へ出掛けたくなりました~✨ この夏甥っ子が、石見の柿本人麻呂ご縁の地を訪ねておりました。今度話しを聞こうと思います😊💕
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
嬉しいです🌸 私もいつか、石見の柿本神社を参拝したいと思います。 いつもありがとうございます😊
@田仲聡
@田仲聡 10 күн бұрын
出雲口伝にわたしは惹きつけられます。そこには神道の原初形態とヤマト王権が成立する以前の国家が描かれているからです。民主主義と資本制が行き詰まっている現在において、そこに何か教えのようなものがある気がします。それ以外にまだまだ言葉にできないものもある。いつも動画ありがとうございます。
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
穏やかな心で過ごせる国造り、世界観。 出雲の神さまは、優しく、安らげます。 いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@kenichiyamaguchi6761
@kenichiyamaguchi6761 10 күн бұрын
もうすっかりこのチャンネルの虜であります、目がうるうるです、 それぞれの神々の蟠りが解かれて、この国を護ろうとする者たちを支えてくださると信じます。
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
とても嬉しく読まさせていただきました😊 良い未来、良い世界が迎えられると信じています。 いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@石井健次-h1n
@石井健次-h1n 10 күн бұрын
お疲れ様です♪こっち系の話の本は買ってなかったので…相変わらず出雲の伝承は凄いことが書かれているようでねェ〜🎉    チラッと出雲と蘇我王国に杵築大社の事が書かれていましたね🎉
@irisyell6626
@irisyell6626 10 күн бұрын
こんにちは! 驚く内容です💦 いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@石井健次-h1n
@石井健次-h1n 11 күн бұрын
お早う御座います♪ 1つ良い情報。大彦さんは、大の物部嫌いだったと、富さんから聞いたとコメントを他で貰いました〜🎉
@irisyell6626
@irisyell6626 11 күн бұрын
おはようございます😊 大彦命の愛すべき生き方ですね🌸 コメントありがとうございます😊嬉しいです🌈
@石井健次-h1n
@石井健次-h1n 11 күн бұрын
​​@@irisyell6626    もしかしたらこの時の大彦さんやタケミナカタ君達は、海部家を物部ッて思ってなかったのでは、海部家と物部家は別物って思っていたのかも???
@irisyell6626
@irisyell6626 11 күн бұрын
@@石井健次-h1n さま もとは同じでも、縄張りは違いましたね。 ありがとうございます😊
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 13 күн бұрын
♪ハナテン中古車センター♪ どこ 見てるのよ! 大阪に住みだし頃 TVのCMに関西の文化に驚きでした。 初めて買った車もそのハナテンで買いました。 住んでたのは鴻池新田でした。 新婚まも無い頃 酔っ払って目が覚めたら放出の駅前だった事思い出しました。 カミさんの怒りは   そりゃ筆舌し難い。 放出には他にも思いがあります。 その地名の由来 ホウシュツ ハナテンの読み 不思議な地名に少し悩まされてしまいました。 おかしな地名大阪に多いですよね! 喜連瓜破やら杭全やら… 北海道から出てきたばかりの若者には???の連続でした。 馴染むんですよね! しばらくするとそれが普通になるんです。 住めばミヤコと良く言ったもんです。
@irisyell6626
@irisyell6626 13 күн бұрын
わー! 奥さんの愛の想いが湧き出でています🌸😊 いい時ですね。 今も仲睦まじく、ナイスです😊
@kensasaki2453
@kensasaki2453 14 күн бұрын
私のレベルではまだまだ難しいお話でしたが、私の出身が奈良県奈良市登美ヶ丘という地名の出身で、いわゆる登美一族の住んでいたところなので、分からないながらもいつも興味深く見させて頂いてます。
@irisyell6626
@irisyell6626 13 күн бұрын
いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@森岩光
@森岩光 15 күн бұрын
大神の大神。 大物主(主は王に同じ) 幸の神三神。 の変名かと。
@irisyell6626
@irisyell6626 15 күн бұрын
いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@ねこむすめ-y2x
@ねこむすめ-y2x 16 күн бұрын
静岡の大室山にも、磐長姫の神社があります。 先日お参り致しました。 見晴らしが良く、とても落ち着く場所です…
@irisyell6626
@irisyell6626 16 күн бұрын
大室山、参拝してみたいです。 情報をありがとうございます😊嬉しいです🌸
@takiguchitsutomu2404
@takiguchitsutomu2404 17 күн бұрын
乙巳の変の時に加担した蘇我倉山田石川麻呂。同属の入鹿の殺害に協力したというのはどのような経緯があったのか。不思議です。
@irisyell6626
@irisyell6626 17 күн бұрын
真実は如何にですね💦 ご視聴、コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
@なこうどニ
@なこうどニ 20 күн бұрын
神話と現実が繋がっているのが本当に面白ですね。最後のナレーションで感動しました。
@irisyell6626
@irisyell6626 20 күн бұрын
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@きゅーぴーたろう
@きゅーぴーたろう 20 күн бұрын
大彦のお話ありがとうございます。 笛吹神社…いいですよね! 葛城から御所紀ノ川を下ってナガスネヒコの足跡は活躍に対して少ないです。勢力の変遷がその足跡を消滅させたんでしょうね!生駒の神社でも御祭神が隠されました。 辿るとおぼろげに見えてくるナガスネヒコの足跡… 名草戸畔も記紀では多く語られません。 その地を巡ってお宮に伝わる伝承を知ると見えて来る。   和歌山に残る大切な歴史の財産です。
@irisyell6626
@irisyell6626 20 күн бұрын
大変うれしいです🌸 ナガスネ彦命が蘇ります。 いつも。いつも、ありがとうございます😊
@mayumi3300
@mayumi3300 20 күн бұрын
いつも素敵な動画を ありがとうございます♪ 以前、ニュージーランドの長老が 「母方のひいおばあちゃんを 調べなさい。 それが鍵🔑ですよ。」 と言われていたので、 調べたら、 賀茂族ゆかりの地の 「タネさん」という人で、 あ〜大田田根子か〜😆 と思っていたら、 次々に色んなことが 分かって来たので驚いています。 母方の家は遡れば、 東北の安倍一族に繋がります。 大彦族ですね。 今回はなんとも 親しみのある回でした。 ありがとうございます♪ ひとつお伺いしたいのですが、 Iris さんは 【出雲王国と天皇政権】 をお持ちですよね。 斎木雲州氏の著作になっていますね。 わたしが持っているのは、 【出雲王国とヤマト政権】 富士林雅樹氏のものです。 ほとんど内容は 同じだと思うのですが、 【巻末付録】の系図で、 4 磯城登美家・賀茂家・太田家系図 というのがあると思うのですが、 クシヒカタの子・建飯勝の妃 【沙麻奈姫】は どこの家出身であるか、 書いてありますか?! よろしければ 教えてください。💟
@irisyell6626
@irisyell6626 20 күн бұрын
ワクワクなコメントをありがとうございます😊嬉しいです🌸 大彦命ですね😊 沙麻奈姫のは、ホヒと書いてあります。 いつもありがとうございます。元気になります🌸
@mayumi3300
@mayumi3300 20 күн бұрын
@@irisyell6626 さま ありがとうございます♪ では、富士林氏の著書と 同じですね。 気になっていることがあったので。 ありがとうございました。💟
@irisyell6626
@irisyell6626 20 күн бұрын
@@mayumi3300 様 😊😊😊
@石井健次-h1n
@石井健次-h1n 11 күн бұрын
@@mayumi3300    お早う御座いますマユミ先生。 コシの國のホヒ家の姫がタケミナカタ君の嫁さんになってるんですよ‼️ これを利用してタケミナカタ君や諏訪大社は物部だってなってるんじゃないかと⁇?
@mayumi3300
@mayumi3300 11 күн бұрын
@@石井健次-h1n さま わ〜 それ知りませんでした。 何と言う方ですか?!
@drk671FUJIsun
@drk671FUJIsun 21 күн бұрын
IRISさん 今回はいよいよ物語の核心部分ですね。あまりに記紀の内容と話が異なるので戸惑いました。次のような理解で誤りありませんか? 記紀では欠史八代とも呼ばれる歴代天皇が何をしたか記されていない時代である。この時代に大和で一体何があったのか?出雲口伝は言う。 神武東征はなかった。代わりに第1次物部東征があった。 物語のスタートは徐福一行が出雲にやってきて、狼藉を働いたので、出雲族の大半は大和へ移った(初回動画)。徐福と出雲王家の姫高照姫との子、五十猛から始まる氏族である海部氏の子孫である天村雲が初代大王(記紀では神武天皇)と大和では呼ばれるようになった。初代王朝は海(アマ)王朝とよばれていたが、代々出雲族登美家から姫君をもらっていたので、徐福の血が薄まり、第三代安寧大王からは磯家と言うようになった。 磯家第七代孝霊大王の時代に物部氏は大和を目指した(第一次物部東征)。磯家の皇太子大彦命である中曽大根彦は物部氏と闘った。紀の川付近で戦いがあり、名草山で敵イッセが命を落とし、亀山神社(皇室所縁)に埋葬される。物部軍は熊野へ行き、八咫烏に案内されて大和に入る。八咫烏とは登美家の分家の太田タネヒコであった。 大和侵入後、宗教的政治的対立は続くが、物部氏は道教神信仰(鏡を使用)を、磯王朝はサイノカミ信仰(太陽信仰、銅鉾を使用)で対立するが、物部氏におされ、大彦勢は越後経由で信濃(布施)へ退却した。大彦命はそこでなくなった。布施神社が建てられ、祭神に大彦命と第七代出雲主王 冬衣命が祀られている。磯家の残りの軍勢は東北へ行き、日高見国を作ったといわれている。 大和では八咫烏こと太田タネヒコが鏡の文化を受け入れ、三輪山の祭主となった。 日本書紀では大彦命を神武天皇の反逆者長髄彦のモデルとしたてあげた。また、大和に存在していた磯家王朝、徐福到来以前に出雲に存在していた出雲王朝も存在していないこととしている。退却した磯家の人々を蝦夷とよび、のちの世まで執拗に対立していくことになる。 しかし、動画で示した神社の祭神をみれば、勝者がどんなに歴史を脚色しようとも史実が刻まれている。
@irisyell6626
@irisyell6626 21 күн бұрын
すごーい! 納得です。 私の頭も解放されました💦 これだけ、まとめてくださって、ありがとうございます😊嬉しいです🌸 そして、いつも見てくれて、ありがとうございます😊
@drk671FUJIsun
@drk671FUJIsun 21 күн бұрын
@@irisyell6626 様 私は神武東征はあったと考えていますが、一つだけ腑に落ちないことがあります。それはあれだけの偉業を成した人物の神社が橿原に祀られたのが明治以降だということです。明治の神仏分離令がでてから、民衆が神武を祀るべきだという声が大きくなり橿原神宮を作ったという点です。亀山神宮と橿原神宮がいつだれによって祀られたか分かりますか?
@irisyell6626
@irisyell6626 21 күн бұрын
@@drk671FUJIsun 様 ありがとうございます😊 竈山神社は、橋本さんです。 橿原神宮は建てるさい、土地で地元民と揉めたみたいです。政府。 詳しくは・・・・・いつかね💦
@drk671FUJIsun
@drk671FUJIsun 21 күн бұрын
@@irisyell6626 様 神武東征の際は大阪で矢を受け和歌山でお兄さんがなくなる。紀伊半島でももう一人なくなったと思うのですが、二人ともどこかに祀られているはずですよね。八咫烏があれだけまつられているのだから。
@irisyell6626
@irisyell6626 21 күн бұрын
@@drk671FUJIsun さま 神武さん、存在を私は信じています💞
@Harutoshi86104
@Harutoshi86104 21 күн бұрын
出雲族が畿内の先住民であることは『記紀』を見ても明らかです だから敗れた側の出雲族の歴史があるのは当然です これを観てようやく連作の動画の意味が理解出来るようになりました 出雲王朝の初代・五十猛が 古事記では 須佐能男尊の子となっているのは 伊勢系神話の作り話かもしれません この神系は いろんな神様をのっとっていますからね 神武東征は物部東征のすり替えだった これものっとり 口伝では大彦命が孝元天皇の第一皇子=長髄彦 という事ですか 確かに登美能那賀須泥毘古とも言いますから 登美家と関係があるのでしょう  しかし 五瀬彦の祭神の竈山神社はあるが 物部氏の痕跡がない 大田田根子=八咫烏 というのは ある意味『記紀』を基盤にして 口伝は造られている ともいえます なんせ『記紀』の存在は相当古く 口伝が公表されたのは昭和ですからね いろいろと勉強になりました ありがとうございました 😁
@irisyell6626
@irisyell6626 21 күн бұрын
嬉しくなりました。 真っすぐに、見て下さったからです😊 ありがとうございます😊嬉しいです🌸励みになります!
@kenichiyamaguchi6761
@kenichiyamaguchi6761 21 күн бұрын
笛吹神社の祠から頂いた炎の御魂はハヤトさんのお仕組みで無事、蛭子の洞窟に収められました。 いつも楽しく視聴させて頂いています、ありがとうございます。
@irisyell6626
@irisyell6626 21 күн бұрын
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@有名人化託話
@有名人化託話 21 күн бұрын
大彦は孝安の皇子で、孝霊の異母兄、モモソ姫は太田タネヒコの姉との旧家伝承があり「記紀」系譜との真偽のほどは?
@irisyell6626
@irisyell6626 21 күн бұрын
大元出版の本の中でも内容が統一されてないことがありますね💦 大彦にとって、登美家のクニアレ姫が母で、モモソ姫は妹と読みましたが・・・・・ 真偽は・・・・・・ご視聴ありがとうございます😊
@TK-bm6cu
@TK-bm6cu 21 күн бұрын
出雲家と海部家と磯城家についてわかりやすかったです。出来ましたら孝霊天皇時代の出雲攻め(吉備から?)と物部の関係のくだりの話あたりを今後期待したいです。
@irisyell6626
@irisyell6626 21 күн бұрын
いつか作りますね。 待っててね😊😊😊😊 ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@Peco-yq1hs
@Peco-yq1hs 21 күн бұрын
有難うございます、楽しく見させて頂きました✨️ 今も昔も変わらず、信仰の違いからいさかいが絶えず…胸が痛いです😓 出雲族と物部族…の軌跡を少しづつ辿ります🌿😊
@irisyell6626
@irisyell6626 21 күн бұрын
今の日本人の基ですものね。 大田田根子は和合の神ですね。 ナガスネ彦の心意気は愛されますね。 いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@Peco-yq1hs
@Peco-yq1hs 21 күн бұрын
日本の御先祖さまに 感謝です🌿😊✨️
@irisyell6626
@irisyell6626 21 күн бұрын
😊😊😊😊😊😊🌸
@harucyann773
@harucyann773 24 күн бұрын
音楽が大きすぎてせっかくのコメントが聞こえません... 残念です😢
@irisyell6626
@irisyell6626 24 күн бұрын
見てもらったのに、残念でしたね💦 字幕つけてますので この先の動画は音楽の音さげてます。
@muramotodroneterrace8449
@muramotodroneterrace8449 24 күн бұрын
@@irisyell6626 凄く興味深い内容だったので少し残念だっただけです。次期待してます!頑張って下さい。
@irisyell6626
@irisyell6626 24 күн бұрын
@@muramotodroneterrace8449様 ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@酒井結衣-p3y
@酒井結衣-p3y 27 күн бұрын
大日本根子彦太邇皇尊→中曽大根彦→安倍晋三。あー、面白い!! 船橋大神宮の本当の名前の意富比神社。ここから来てたんですね。 神大根王の伝承が茨木の長幡部神社に繋がってるし、 崇神と戦った、出雲国造11代出雲振根繋がってますね! 仁徳天皇陵も実は・・・妄想が膨らみますw 天津彦根命=カガセオ。 良い動画ですね!イイね登録しました。他のも全部見ます♪
@irisyell6626
@irisyell6626 27 күн бұрын
ありがとうございます😊
@TK-bm6cu
@TK-bm6cu 28 күн бұрын
いつも楽しく見ております。大神神社も奈良旅行の際、立寄りました。蘇我※物部のイメージが強く、蘇我の出自出雲と対立する物部と勝手に想像してる自分は浅はかでした。分派、連合いろんな形態で勢力主導権争いがあったのかな?と今は思うようになってきました。ただ日本国の祖は出雲(天孫族含め)であったのは間違いないのではと思います。
@irisyell6626
@irisyell6626 28 күн бұрын
いつもありがとうございます😊 コメントも大変うれしく思います🌸
@noshimaru123yt
@noshimaru123yt 29 күн бұрын
ちょっといろいろインスパイアされてしまったので長くなります。 福永晋三氏は三輪山は福岡県の香春町だと比定しており、古代の出雲はスサノオの一族が筑豊地方に建てた国だと考えていらっしゃいます。その後、鉄器の技術に長けた饒速日(物部の祖、男神天照)に討たれ、一族はネの国、いまの出雲地方に流されたという説です。そもそもはアメノミナカヌシを崇め、大物主を祀る人々が住んでいたその土地には、鰐(龍)や蛇を信仰する古代インドのドラヴィダ人も移り住んでいたのではないか、その後ビスヌ神やガルーダ信仰をもったアーリア人も渡来し八咫烏と呼ばれたのではないか? という説ですので、この動画ではインドの神々がごっちゃになっている感じがします。福永説では、教科書のいう奈良時代までは北部九州に都があり、平安京を作るのに合わせて、都も神社や仏閣も、それこそ大仏様も含めて、記紀の地名と辻褄が合うように、九州から京都に移ったと考えています。みやこ、あすか、おうみ、おおさか、などなど、ほぼほぼ比定してらっしゃいます。ですが、記紀編纂にあたり、いろいろ不都合があったため、出雲口伝や宮下文書やらの古史古伝にも修正が入ったのかもしれません。明治維新、第二次大戦後にも修正が入っていてもおかしくないと思います。海村雲が天村雲命だとすると宋史王年代紀にある天御中主の次の王ですね。タタライスズ姫は神武天皇の皇妃と同一でしょうか? とするとずいぶん時代が変わりますが、出雲口伝の歴史と神武以降のヤマトの歴史は重複するものが多そうです。徐福の渡来は東周が滅ぶくらいのタイミングで日本に来たとすると紀元前200年頃でしょうか。絹糸の技術も同時代に渡って来たような気がします。 出雲口伝がおおよそ正しいのだとすると出雲文字と呼ばれる神代文字も意外と歴史が古いのかもしれません。
@irisyell6626
@irisyell6626 28 күн бұрын
福永晋三氏は研究の末の持論で、尊重させていただきます。 出雲族の日本上陸は今から4千年前、徐福渡来は紀元前2世紀ごろと出雲口伝は伝えます。 天村雲が神武のモデルとしますので、タタラ五十鈴姫は初代天皇の后だと出雲口伝は伝えます。 滋賀にある安閑神社の祭神は、継体天皇の御子の安閑天皇です。神代文字が置かれています。継体天皇は出雲族系です。 日本のもとと言われるタミル語は、ドラヴィダ語族 に属する言語です。 ご視聴、コメントありがとうございます😊とても嬉しいです🌸
@anu5684
@anu5684 29 күн бұрын
ガネーシャ神🐘とパールヴァティー神とシヴァ神。インドの神様たち😊
@irisyell6626
@irisyell6626 29 күн бұрын
ありがとうございます😊
@事代123
@事代123 29 күн бұрын
天の逆手(あめのさかて)は、美保神社では「あめのむかえで」と表記されているようで出雲と奈良の関係性にどうも繋がる暗号のようです。 原文(古事記?)には「青柴垣打成」とあり打ちは拍手に掛からず、 手を打つとは「倭之青垣(やまとのあおがき)」を差し御諸山(みもろやま、三輪山)に移る(事代主の子供、女系中心に迎えられた?)ことを暗示している。 「(奈良県橿原市)今井町 今西家住宅 十市県主(とおちあがたぬし)今西家保存会のホームページ参照」 かなり前から三輪山の大物主は事代主ではないかなと思えるシンクロニシティが多発し、最近になって自分の先祖のルーツが三輪山だと確信出来るレベルになりました。 IRISさんの動画ともシンクロ率が高いのでこれからも良い動画をお願いします(前の動画で雄略天皇の文字を見て色々な事が繋がり過ぎてうわっ!となりました) IRISさんの動画で三輪山が太陽信仰だと始めて知りました。 ただ一つ氣になるのが太陽のレイライン「三輪山から大和三山の矢」が指し示す阿波忌部氏(奈良の忌部山、阿波の剣山)です。 三輪山と忌部氏の関係性を知っていたら動画にして頂けると有り難いです。
@irisyell6626
@irisyell6626 29 күн бұрын
出来たら作りますね😊 ご視聴、コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
@オルテガパパ
@オルテガパパ Ай бұрын
出雲にはまだまだ沢山、社があります出雲とゆうより山陰地方って言ったほうが良いのかな、まあ〜とにかく神様の国ですよ😮出雲地方は、中国から来たのはちょっと信じられないんですけどね😅
@irisyell6626
@irisyell6626 Ай бұрын
コメントありがとうございます😊 出雲の伝承からです。 神様のくにですね。嬉しいです🌸
@jiro3627
@jiro3627 Ай бұрын
いつも楽しみにしております。ありがとうございます🙏✨ 三輪山、大神神社、行ってみたいです。 新潟出身で糸魚川の奴奈川姫の近くに住んでいました。奴奈川姫さまは大国主命さまの妻とされていますが、事実は事代主さまの妻でいらっしゃいます。また、彌彦神社の御祭神は「天香山命 (あめのかごやまのみこと)」。香を「カゴ」とよぶようです。天香山命さまは五十猛さまと同一という説もあります。カゴといえば籠神社。五十猛さまが海部氏と繋がっていたお話に納得です。 伊勢神宮の八拍手も八代の大国主命さまと事代主さまを思っての拍手のようにも感じます。
@irisyell6626
@irisyell6626 Ай бұрын
ありがとうございます😊 嬉しいです🌸