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Жазылу 8 М.
急行宗谷
11:27
急行すずらん5号 函館発車後放送
4 ай бұрын
7:51
急行らいでん1号 札幌発車後放送/他
6 ай бұрын
24:28
札幌→上野(急行ニセコ1号-松前丸-急行十和田3号)
7 ай бұрын
14:46
苫小牧→岩見沢(急行ちとせ3号・札幌駅・急行大雪3号)
8 ай бұрын
7:33
急行ニセコ1号 函館発車後放送
9 ай бұрын
6:06
富内線 他(日高町―登別)
9 ай бұрын
5:13
普通滝川行 新得到着前放送
10 ай бұрын
7:33
根室→釧路 客車普通列車
10 ай бұрын
8:38
美幸線 他
11 ай бұрын
6:37
相生線
Жыл бұрын
11:39
【特別編】急行 のりくら9号~定期観光バス おくのと3号
Жыл бұрын
8:52
急行 すずらん3号 せたな 函館発車後放送
Жыл бұрын
11:23
急行 大雪7号 紋別 はぼろ 札幌発車後放送
Жыл бұрын
26:05
札幌―上野【前編】急行いぶり・急行宗谷
Жыл бұрын
23:08
札幌―上野【後編】急行八甲田
Жыл бұрын
12:32
網走-北見-池田-帯広
Жыл бұрын
4:41
急行 大雪5号 札幌発車後放送
Жыл бұрын
10:12
札幌駅放送
Жыл бұрын
9:38
急行利尻 札幌発車後放送
Жыл бұрын
4:29
急行ニセコ4号 函館到着前放送
Жыл бұрын
4:49
急行なよろ3号 大雪5号 札幌発車後放送
Жыл бұрын
16:45
特急ゆうづる4号~青函連絡船十和田丸
Жыл бұрын
15:08
急行ぬさまい 帯広→釧路 池田→帯広
Жыл бұрын
5:54
急行狩勝1号 札幌発車後放送
Жыл бұрын
13:01
急行宗谷 函館駅発車まで
Жыл бұрын
3:16
急行礼文 旭川発車後放送
Жыл бұрын
14:45
石北本線・函館本線 客車普通列車(断片録音集)
Жыл бұрын
16:22
特急おおぞら6号 釧路~札幌
2 жыл бұрын
7:49
急行ノサップ3号・2号
2 жыл бұрын
Пікірлер
@くろよん-p5n
Күн бұрын
録音が綺麗で素晴らしいです
@急行-宗谷
Күн бұрын
有難うございます。 安い機材での録音ですが、車内が静かだったことと、車内のスピーカーから出る音量が適切だったのが幸いでした。
@EchigoyaGombei
3 күн бұрын
函館からの乗り継ぎ列車の案内では、13:48発札幌行普通列車125レの乗り継ぎ案内がないですが、当時の愛轍家たちはきっと函館着岸前から乗降口でスタンバって、接岸するや否や足早にタラップを渡り、駅に足を踏み入れるや脱兎の如くホームに向かって駆けてゆき、乗継ぎを果たしていたことでしょう。自分はこの時刻に乗継はしたことがないですが、やはり同様でした。愛轍魂というものはかくも烈しいものなのです。また、コメントしておられる皆様方の中にももしかしたら、青森駅で私と共にホームで駆けくらべをした方がおられるのかも(自由席車両は進行方向後部にあり、連絡線乗換口は進行方向前部にあるため。ここでの戦いは乗船待ちの行列の並び位置を決するものであり、行列の前方に近いほど桟敷席の確保が容易になることにつながる重要なものでもありました)。 青森発山形行き普通列車のロングランっぷりに驚いている人も多いですが、この当時だと「長い方」に属する程度かと思います。例えば門司~福知山間の824レなんかは23時間47分(だったかな?)でしたし、その他寝台車付きの普通列車(「はやたま」(亀山~和歌山市)、「からまつ」(札幌~滝川~釧路)、「山陰」(京都~出雲市)そして門司港~長崎間のナントカってやつ)もありました。 この当時の乗り鉄にとっては、それらの列車(の、少なくともいずれか一つでも)を起点から終点まで乗り通すことでハクがつくって感じだったかも。その他、例えば宮脇俊三御大や種村直樹氏らの偉業である最長片道切符の旅ほどではなくても、発駅と着駅が同じ「一筆書き切符」とかそれに準ずる「連続切符」で乗り歩くとか、酔狂な経験を積むのもやはり「ハクがつく」って感じだったかと。 きょーびの若い愛轍家諸氏にとっては、そんなのは単なる年寄りの昔話って感じかもですが、しかし彼らは彼らで「海外」ってフィールドもありますからねぇ。それはそれでとても羨ましい…自分らが小僧の頃にはそういうのはなかったし、後になっても「カネはあるけど時間がない」って感じだったり。 長々とこんな話をするなんて、自分ももうこの先あんまり長くはないのかもな…
@mkrsknkarkw
4 күн бұрын
最近豪雪は温暖化のせいという なら サンパチ豪雪やこの動画にある53年豪雪は 温暖化のせいという事になるな
@急行-宗谷
4 күн бұрын
今は天気予報の精度も向上し、混乱を防ぐため計画運休する時代になりました。 この放送にあるように「各地で立ち往生」という事態も少なくなりました。
@スーパーおおとり
4 күн бұрын
新幹線開業後も 仙台駅を通らないで 貨物線を通って南北に夜行走った時あったな
@急行-宗谷
4 күн бұрын
全てが夢のように遠い昔になってしまいましたね。
@HISUI39
4 күн бұрын
千歳空港駅(現南千歳)できるまで、特急は千歳駅に止まっていたのかと思いきや… 札幌から苫小牧までノンストップ! それこそ、急行は千歳止まってました。
@急行-宗谷
4 күн бұрын
今の特急は新札幌にも停車・・・時代は変わりました。
@中年おっさん-u2f
5 күн бұрын
今では、東京から北海道までは、飛行機で2時間で行ける時代になりましたね。
@急行-宗谷
4 күн бұрын
飛行機で簡単に行けるのもいいですが、北斗星のような列車の旅をまた楽しんでみたいものです。
@omukoro318
5 күн бұрын
ここの動画を見ていると、1980年12月のダイヤ改正は、北海道の国鉄に良くも悪くもかなりの影響があったことが分かりますね。この急行もなくなったし。
@急行-宗谷
5 күн бұрын
この頃はダイヤ改正の度に愛着がある列車が消えてゆき、さびしい思いをしたものでした。 ダイヤ改正で明るい話題と言えば石勝線の開業くらいかな・・・
@YUKA-TOYO-SAN
9 күн бұрын
最高だよ‼️
@急行-宗谷
9 күн бұрын
ありがとうございます。
@ogasawarah
11 күн бұрын
「ましけ」は苗穂持ち、 「かむい」「るもい」は塗りサボの旭川持ち、ですね・・・・ (字体に特徴が・・・) 留萌・芦別・富良野が市に相応しい人口があって 利用者が多い時代、でしたね・・・・ 貴重な録音の公開、ありがとうございます。
@急行-宗谷
11 күн бұрын
苗穂持ち、旭川持ち・・・という知識はありませんでした。 都市部から各地へ直通する列車があり、鉄道もまだまだ元気でした。地方にも人が多く住んでいた時代でした。
@SB-hp6hk
14 күн бұрын
鉄道弘済会時刻表に上越(かみこし)と神路が駅名表記されていて希少な資料ですね
@急行-宗谷
14 күн бұрын
今や北海道の鉄道路線図もすっかりさびしくなってしまいましたね。
@スーパーおおとり
15 күн бұрын
13:11 普通急行って言い方 初めて聞いた様な いや 忘れただけかもしれない
@急行-宗谷
15 күн бұрын
普通急行と、特別急行で使い分けていたのですね。急行列車もまだまだ多かった時代でした。
@スーパーおおとり
15 күн бұрын
4:04 小唄すし 高くなったな 今だと倍近くか…
@急行-宗谷
15 күн бұрын
駅弁もみな高くなりましたね。諸物価が上がっていますので仕方ないのかな・・・
@meimei010101
15 күн бұрын
画面の案内が旅情感たっぷりで好きです。ありがとうございます。
@急行-宗谷
15 күн бұрын
こちらこそありがとうございます。音声に見合った写真がないので、イメージ画像として、使えるものは何でも入れてしまいました。
@yasumotoma3401
16 күн бұрын
これは価値のある音声だね!
@急行-宗谷
16 күн бұрын
ご視聴とコメントありがとうございます。
@観音寺ドナ夫
22 күн бұрын
深夜これみて聞いてると懐かしいのです私は関西なので急行列車わあまり走ってなかたのですがやはり懐かしい!立山!白兎丹後!高山!白浜越後!色々ありました懐かしい
@急行-宗谷
22 күн бұрын
昔は全国各地に急行列車が走っていましたね。幹線を走る急行、ローカル線に直通する急行。分割、併合も多くて、鉄道好きには楽しかったです。
@大輔佐藤-g5x
25 күн бұрын
松前線、江差線、瀬棚線、岩内線、胆振線、万字線、幌内線、歌志内線、上砂川支線、深名線、名寄本線、士幌線、美幸線、羽幌線、興浜北線、天北線とちょっぴり見える池北線www
@南の極楽蜻蛉
27 күн бұрын
動画の始まりの「道内時刻表」、今でも大切にカメラの防湿庫で保存してます。
@南の極楽蜻蛉
27 күн бұрын
半世紀近く前の事で、記憶も怪しいですが、倶知安~岩内の「らいでん」もお友達?
@渡辺真也-e4h
29 күн бұрын
サッポロから青森まで遠いんだなぁ。
@信-e7e
Ай бұрын
私が乗車した時代は(おおぞら3号)です。函館は深夜〜青函連絡船〜青森→(白鳥)大阪です。 全車指定席時代です。
@急行-宗谷
Ай бұрын
録音当時は「おおぞら」に自由席ができて間もない頃だったと思います。
@いそべひでき
Ай бұрын
乗ってみたかった。ニュースのインタビューでサラリーマンが廃止は残念ですって、応えていたのを思い出しました。
@急行-宗谷
Ай бұрын
夜行普通列車「からまつ」味わいがありました。何度車中泊したことか・・・ 廃止になるとの情報を得た時は残念な思いがしました。
@meimei010101
Ай бұрын
9月30日最終のからまつを見に帯広駅に行きました。録音したのですが、騒音がすごいです(笑)時代ですかね
@ラバッパー-e6y
Ай бұрын
この時代に乗り鉄したかった 昭和の札幌駅も好きだつた😢
@omukoro318
Ай бұрын
この頃は胆振線の御園〜新大滝間にあの幻のオロエン仮乗降場がまだあった頃ですよね?
@omukoro318
Ай бұрын
なぜ白滝や丸瀬布や生田原などの人口2000人前後の所に止まって、愛別に止まらないのか、子供心に不思議に思っていました笑
@llicemanll
Ай бұрын
小さい時にさっぽろ雪まつりに行くのに乗ったような気がします
@急行-宗谷
Ай бұрын
遠い昔を思い出して頂けましたら嬉しいです。
@omukoro318
Ай бұрын
地味に新十津川行きが7本もあるのがすごい😅
@急行-宗谷
Ай бұрын
それにしても札幌~石狩当別間は少ないですね。
@まさひろはやさか
Ай бұрын
急行宗谷 サボが白 特急格の急行列車の証でした。
@急行-宗谷
Ай бұрын
このサボを見た時は、近いうちに特急に格上げになるための準備かと思ったものでした。
@福井一志
Ай бұрын
エンジンの音、良いなぁ
@mikion35
Ай бұрын
当時の函館駅は北海道の交通の扇の要🪭 でしたね。
@急行-宗谷
Ай бұрын
渡道の手段が鉄道から航空機に移りつつあった時代ですが、全国ネットの国鉄は「北海道の入り口は函館」というダイヤ編成で頑張っており、函館もまだまだ活気がありました。
@スーパーおおとり
Ай бұрын
車輌が82系でやっと100km/hでる車輌でしょうし 今と違って 森⇔桂川 八雲⇔鷲ノ巣 も単線だったでしょうから 停車駅少ないが所要時間かかったのでしょうな
@さちつろマリオカートSセカンドチャンネル
Ай бұрын
急行えさしって言う名前電車はじめて知ったw
@omukoro318
Ай бұрын
茨戸川の鉄橋を自転車で渡れるくらい、本数が少なかった時代😅
@新谷直人-x5u
2 ай бұрын
急行宗谷には乗りそびれた。函館と稚内を結ぶ急行列車は憧れの的でした。
@西鉄太郎
2 ай бұрын
〜より遠く、という表現、北海道でしか聞いたことがない。
@EchigoyaGombei
3 күн бұрын
夜行列車の「お晩でございます」も北海道だけだった気が。
@西鉄太郎
2 күн бұрын
@EchigoyaGombei いや、秋田発の急行天の川の車内放送動画でも言ってました。
@EchigoyaGombei
2 күн бұрын
なんとそうでしたか。自分は逆に、北海道でも「~より遠く」は聞いたことがないです。 なかなか貴重な経験をしてこられたのですね。
@hiro-m3l
2 ай бұрын
貴重な音源ありがとうございます。 それに、車内放送の裏付けの時刻表等の資料が凄いです! 当時、夕方、高山線から、東海道線直通名古屋行きの普通列車があり、それには、郵便車も連結されていました。 その車輌が、「のりくら9号」に連結されました。 郵便車と6,7,8号車の4輛は、富山から折り返し、普通列車猪谷行きになりました。 飛騨小坂で、上りの「のりくら12号」と交換がありました。 なお、多客時は、「のりくら9号」に続発の夜行として「のりくら51号」(53号だったかも)も運転されました。 「のりくら9号」は、鉄道ジャーナルで乗車記事として取り上げられたことがありました。 また、宮脇俊三さんの著書で、富山で「のりくら9号」から降りそびれ猪谷行きに乗っていた女性の話がありました。
@急行-宗谷
2 ай бұрын
当時の車両運用は複雑を極めていましたね。そんな一部を垣間見るのも鉄道好きには楽しいものでした。 宮脇俊三さんの本読みました。今でも時々読み返しています。
@tsu9966
2 ай бұрын
最近は駅に時刻表すらなくなった。使うのは人間であるのを忘れた鉄道会社はもう衰退をたどるであろう。 災害や事変になったら対応などできないでしょうね。素晴らしい時代の録音ですね。
@急行-宗谷
2 ай бұрын
列車も連絡船も「人」が動かしている・・・そんなことが感じられる時代でしたね。
@悟根岸
2 ай бұрын
67才の叔父さんです。 高校2年の春休み(1974年)、急行「大雪5号」を使いました。 目的は、石北本線常紋信号所の蒸気機関車を撮ることでした。 3日間は、「大雪5号」「利尻」「狩勝4号」を続けて、4日目に「ユースホステル」を利用しました。 どうも、ありがとうございます。
@急行-宗谷
2 ай бұрын
蒸気機関車の撮影をしていたわけではありませんが、わたしも車中3連泊して、ユース泊のような旅をしていました。みんな一緒だったのですね。
@悟根岸
2 ай бұрын
最終の最後の蒸気機関車ファンでした。カメラケース・三脚・リュックサックの www 当時、夜行急行では目立ちました。あなたとは、北海道のユースホステルで会っていそうですね !!!
@スーパーおおとり
2 ай бұрын
1:43 東北本線でも 鎖⛓️2本無しもあったんですね 3:16 緑色もありましたね
@hokutoseiexpress372
2 ай бұрын
三階建てDC急行でしかも一列車は循環急行というスゴイ列車だったのですね。。。
@急行-宗谷
2 ай бұрын
昔は「循環急行」もいくつかありましたね。時刻表にはわかり易いように経路図が載っていたものでした。
@hokutoseiexpress372
2 ай бұрын
9:47 青森~山形の普通列車は12時間近くも要したのですね。。。
@急行-宗谷
2 ай бұрын
こんな長距離鈍行が何気なく走っていた時代でした。荷物車の関係だったのでしょうね・・・
@hokutoseiexpress372
2 ай бұрын
3:03 6両ですが、急行「ちとせ」が3~6号車、急行「えりも」が11~12号車と変則的ですね。 他の急行と共通運用だったのでしょうか?
@急行-宗谷
2 ай бұрын
真相は知る由もありませんが、函館→札幌の下り「すずらん3号」に東室蘭で「ちとせ11号」を併結する編成では、主編成である「すずらん」に1~6を割り当て、「ちとせ」には7・8・9・10号車が当てられています。 これに苫小牧で「えりも」を併結することは通常ありませんが、ダイヤが混乱してやむを得ず、所定の「ちとせ」以外に併結する場合も考慮し「えりも」は番号が重複しないよう、また、わかり易さもあって11・12を常時割り当てていたのかな・・・と全て想像の域を出ませんが。 尚、札幌行きの場合、「ちとせ1号」には東室蘭で洞爺始発(洞爺~東室蘭間普通)の1・2号車が併結されて6両になっています。
@hokutoseiexpress372
2 ай бұрын
函館~洞爺は無停車でしたか!スゴいダイヤだったですね。。。
@急行-宗谷
2 ай бұрын
現在の北斗は道内各都市間を結ぶのが役目ですが、この頃は青函連絡船を介して本州連絡の一翼を担っていましたからね。
@滝本良貴-q1k
Ай бұрын
ある意味… 「スーパ北斗」 ですね。
@hokutoseiexpress372
2 ай бұрын
釧路~釧網線経由~網走~札幌の急行があったのですね。。。
@急行-宗谷
2 ай бұрын
昔は長距離の急行が結構ありましたね。今では特急も短距離になってしまいました。
@hokutoseiexpress372
2 ай бұрын
紋別は遠軽経由、興部経由、どちらが所要時間が短かったのだろう?
@急行-宗谷
2 ай бұрын
大雪4号の遠軽着は21時20分、遠軽21時45分発の普通列車、渚滑行きで紋別発(←着時刻不明)が22時46分です。 一方、名寄経由の急行紋別で行くと紋別着22時25分(発時刻22時48分)になります。
@hokutoseiexpress372
2 ай бұрын
@@急行-宗谷 さま ありがとうございます。 略、同タイムですね。遠軽経由に加えて、名寄~紋別の利用客も考慮したダイヤだったのでしょうね。
@みちはる石井
2 ай бұрын
懐かしいですね。それにしても夜遅くまで話し声がうるさい。それが許された時代だったんですね
@急行-宗谷
2 ай бұрын
札幌からの帰宅列車の役割も兼ねていましたからね。車中泊で乗っている人の方が少なかったです。
@TSUYOS185
2 ай бұрын
昭和53年の冬、私の父が東京から札幌出張の帰路に札幌からのすずらん号のB寝台+連絡船の自由席グリーンを利用しておりました。 航空機に押されつつもまだまだ需要があるのだなと思いました。 この動画で寝台車の内容がわずかながらも分かったのが嬉しいです。 私自身はこの放送の10年後にミッドナイトのカーペットで同じ経路をたどっています。 夜行すずらんとほとんど変わらない時刻に驚きました。
@急行-宗谷
2 ай бұрын
道内夜行の中で「すずらん」は早い時期に撤退してしまいましたが、快速「ミッドナイト」で復活した感じですね。「ミッドナイト」はなかなか画期的な列車だったと思います。
@genmei8954
2 ай бұрын
座席車より寝台車の両数が多いところに時代を感じます。 芦別や富良野をギリ日着圏と考えると、つい最近の「札幌のホテル難民が宿泊予約サイトで誘導されるままに芦別の予約を入れてしまった」のも何とかなりそう…と妄想もまた楽し。
@急行-宗谷
2 ай бұрын
札幌の宿が取れず芦別・・・って結構大変ですね。
@サボイアs21
2 ай бұрын
父親の実家が東根室駅から歩いて3分のところにありました。その東根室駅が来年3月で終わりです😢
@急行-宗谷
2 ай бұрын
東根室駅へは根室駅から歩いて訪れたことがありましたが、無くなってしまうのですね。
@じゃがりん83号
2 ай бұрын
なんとなく利別川など池田までの橋梁通過想像できます。貴重な音源ありがとうございましす。
@急行-宗谷
2 ай бұрын
動画を気軽に撮れる時代ではなく、音声しかありませんが、情景を想像して頂けましたら嬉しいです。