このようなお話(=解説)の動画はとてもありがたい。とくにminerva scientia さんの動画はしっかりとした学問的知識に裏付けされていると思われるうえ、現在のところ学問的に議論があるとか、これは私見だとかもおっしゃるので安心感があります。 なお、今回の動画は0.75倍速で聞くことができました!
北大論文の要旨を資料として添付する。 ***この論文①によると過去のオホーツク人は現在のアムール川流域、サハリン北部のニブフ、ウリチ、ネギダールである。 ***論文②によると遺跡出土オホーツク人はYㇵプロ頻度が非常に高い。Yハプログループの頻度を現代の民族と比較してみると、ニブフでは60% 以上と最も高く、次いでオホーツク人において高く、近い系統関係にあったウリチ、ニブフ、ネギダールでも高頻度である。ハプログループの頻度の違いから集団間の遺伝的な距離(遺伝的分化係数、FST)を算出して系統関係を調べると、オホーツク人はやはりウリチ、ネギダール、コリヤーク、アイヌに近い。北海道縄文人は、オホーツク人と離れている。北海道縄文人はハプログループYをもっていない。北海道縄文人はオホーツク人遺伝子を持たない別の人種である。 ***③によるとオホーツク人は、アムール川周辺域から北海道のオホーツク海沿岸にやって来た。北海道内続縄文文化や、それに続く擦文文化がオホーツク文化と融合して、その後、アイヌ文化が形成された。論文では、上述はミトコンドリアDNAのデータから推定できる。オホーツク人は大陸と北海道を結ぶ仲介者である。オホーツク人が北海道に侵入し、日本縄文人を殺戮、強姦して間の子、間の、アイヌが誕生した。アイヌは民族ではなく混血である。混血が先住民であるはずがない。敗戦後、アメリカ進駐軍が日本少女を強姦して数万人の混血が誕生した。金髪、碧眼の混血が日本人先住民族とは認められないし、アメリカ先住民族でもない。アイヌも日本先住民族ではない。 ***以上の論文①②③をわかりやすく説明すると、オホーツク民がモンゴル軍に追われ、日本縄文人「擦文人」の北海道を侵略し、日本縄文人には無いハプログループY遺伝子を日本縄文人に注入し、間の子アイヌが誕生した。したがって、アイヌは日本縄文人とオホーツク漂泊民との混血であり、日本縄文人ではない。インカ帝国はスペインに滅ぼされ、インカの少女はスペイン兵に強姦され、間の子、間の、アイヌの混血が誕生した。金髪、碧眼のアイノ子はメスチソと呼ばれ、インカの先住民族とは認定されていない。同様に、アイヌも日本先住民に認定できないのである。国連と日本のボケ国会議員はアホなので在日帰化朝鮮人工作員に騙されて、日本先住民に認定した。これを正さねばならない。アイヌに化けた在日帰化朝鮮人が北海道を先住民の土地として返還運動をしている。放置すれば北海道は在日帰化朝鮮人自治区になり、韓国や中共の領土にされる。どうする、家康!・・・*** 論文抜粋:遺伝子の流れから見たオホーツク文化人と北海道への影響 増田, 隆一Hokkaido University C ollection of S cholarly and Academic Papers : HUS C AP ① ミトコンドリアDNAの中の一部の遺伝情報(コントロール領域のHVR I)を解読して比較しましたープから発表されたデータと比較しました(Sato et al., 2007)。その結果、オホーツクの人たちは、現在のアムール川下流域やサハリン北部に生活していますニブフ、ウリチ、ネギダールの人たちに非常に近縁であることが明らかになりました。さらに、コリヤークやエベンなどカムチャツカ半島周辺の少数民族にもある程度近いことがわかりました。**** ② 北海道縄文人や他の民族のハプログループについては、安達先生がすでに発表されたデータや他の研究グループのデータと比較することにしました(Sato et al., 2009a)。その結果、オホーツク人37体から信頼性のあるハプログループの情報が得られました。その中でG1b、それからN9bとYという3つのハプログループが高頻度で見られ、各々、約 24%、11%、40%でした。特に、Yハプログループの頻度が非常に高いというのが、オホーツク人の特徴になります。Yハプログループの頻度を現代の民族と比較してみると、ニブフでは60% 以上と最も高く、次いでオホーツク人において高く、近い系統関係にあったウリチ、ニブフ、ネギダールでも高頻度であることがわかりました。アイヌの人たちのハプログループYの頻度が約20%であることがわかっています。一方、安達先生たちが発表された北海道縄文人にはハプログループYはまったくみられません。現代のウデヘ、コリヤーク、イテリメンというカムチャツカ半島の民族にはわずかにみられます。韓国でもわずかにみられますが、本州ではほとんどみられません。 さらに、ハプログループの頻度の違いから集団間の遺伝的な距離(遺伝的分化係数、FST)を算出して系統関係を調べると、オホーツク人はやはりウリチ、ネギダール、コリヤーク、アイヌに近いことがわかりました(Sato et al., 2009a)。それに対して北海道縄文はどうかというと、オホーツク人とはかなり離れています。さらに、前述したように、北海道縄文はハプログループYをもっていません。 ③ 以上の結果から、オホーツクの人たちは現在のアムール川下流域の人たちと最も近縁であることがわかります。よって、おそらくオホーツク人は、アムール川周辺域から北海道のオホーツク海沿岸にやって来たのだろうと推測されます。もちろん、あくまでも現在のアムール川下流域に生活する人々に近いということですが、ニブフやウリチの祖先がオホーツク文化期にどこにいたかのかはまだわかっておらず、今後の研究課題です。 いずれにしても、アムール川下流域の人々の祖先がオホーツク人と共通祖先をもっているということ、そして、コリヤークとかエベンともある程度交流をもっていた。そして、北海道内で発達していた続縄文文化やそれに続く擦文文化がオホーツク文化と融合して、その後、アイヌ文化が形成されたことが、上述のミトコンドリアDNAのデータから推定される。