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1977年上野~青森~函館・急行八甲田と青函連絡船15時間の旅

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C6222Yuuzuru

C6222Yuuzuru

Күн бұрын

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@benjamin3948
@benjamin3948 3 жыл бұрын
この頃の上野駅は最高に旅情があり感動的でした。 お弁当にプラスチック容器に入ったお茶に冷凍みかん。 良い時代の思い出をありがとうございます。
@youichikawasa
@youichikawasa 3 жыл бұрын
新幹線が開通する前の上野駅って、とても賑わっていた。 みんな嬉しそうに列車へ乗っていくんだよね、お土産とかビールをたくさん抱え込んで。 あの時の音をしっかり残してくれている人がいて感謝感激!
@user-kk2xu6ys2l
@user-kk2xu6ys2l 3 жыл бұрын
確か私は1976年夏に八甲田の臨時に乗りました。21時過ぎに上野をでて青森には8時半頃だったような気がします。上野出たときには満員で持って出た簡易の椅子にしばらく座ってました。青森に着く前に車掌さんが連絡船の乗船名簿を配りにきてました。9時50分ころの連絡船で函館に向かい北海道1周がはじまりました。博多駅からワイド周遊券使いました。学生時代のいい思い出です。
@user-uw8ir5jb7q
@user-uw8ir5jb7q 5 ай бұрын
49年前、鉄道少年でした私は岩見沢の叔父宅に遊びに行く際、家族は飛行機でとの意見を押し切り 横浜自宅から八甲田~おおとりで岩見沢まで行きました。冬でしたので青森手前から雪が激しく窓枠(木枠?)に 粉雪が積もりだしたのを(車内側)鮮明に覚えています。 動画+スライド良いですね、スライドの時は色々思い出を考えることができました。 ありがとうございました。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 5 ай бұрын
コメントをいただきありがとうございます。 私は3回連絡船を利用しましたがすべて夏場でしたので、冬場に津軽海峡を渡られたのは羨ましい限りです。
@user-jc2xn1ts6q
@user-jc2xn1ts6q 5 жыл бұрын
新幹線のない時代の帝都・上野駅は、かの石川啄木さんではないけど、人情味あふれてた様々な光景だった故に、見送りのシーンとかで涙とかあると、こっちまでもが貰い泣きしそうだったのを、正直忘れること出来ないです。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 5 жыл бұрын
ありがとうございます。現代のようにスマホで情報を共有することはできませんでしたが、他人の喜怒哀楽に共感する心の余裕があった。そんな昭和時代を懐かしく思い出します。
@gu-gu8884
@gu-gu8884 Жыл бұрын
ハイケンスと車掌さんの訛った放送が素晴らしい!この当時は上野からの通しの乗務だったろうから大変でしたね。
@CYuuzuru
@CYuuzuru Жыл бұрын
ありがとうございます!八甲田の編成は青森客車区の所属で車掌さんも青森の方だったと思います。到着前の丁寧な車内放送を聞いて長旅の疲れを癒されました。
@tongarashi3208
@tongarashi3208 4 жыл бұрын
こういうの 小まめ記録してた人、今ヒーローや! 日の目を見て 良かったですね!
@CYuuzuru
@CYuuzuru 4 жыл бұрын
-老害TV 笑ってはいけないジジイ24時 さん、ありがとうこざいます!埋もれていたカセットテープが40年後、KZbinのおかげで日の目をみました。しかも沢山の方に聴いていただき嬉しいです。
@nanalinn
@nanalinn 4 жыл бұрын
この頃の上野駅が風情があった。
@os2man2
@os2man2 4 жыл бұрын
列車を待って並んでる時間が楽しかったんですよね。売店で漫画とお菓子買って食べながら。おっちゃんがオツマミくれたり。
@benb9398
@benb9398 3 жыл бұрын
風情と人情、ホントそうですよね自分も。 この時代時期ではありませんがかつて若いころ(まだ社会人になりたて)に個人旅行で当時。 新宿から松本まで行く夜行の電車が運行されていてそれで茅野まで行く予定だったのですが、本当は早い時間帯に新宿駅に行くつもりが遅れてしまい。 ホームの各乗り場はすでに10人以上の列が、それでも何とか一番少なそうな列には並んだもののそれでも席の確保は難しそう。 これは最悪茅野まで夜通し立ってなくてはならないかな?と思ったら。 自分と同じぐらいのこれも一人旅の人と会い話しているうちにその人は、その列の一番前に並んでいたのですがその人の計らいで一番前に並ばしてもらい。 席も確保できて茅野まで座ってゆくことが出来ました。 こう言うのも旅人同士の人情というモノですよね。
@user-db8np8vi1y
@user-db8np8vi1y 2 жыл бұрын
昔、東北ワイド周遊券で急行八甲田乗りました。 あと、EEきっぷでも急行八甲田乗りました。 青函連絡船は青春18きっぷで往復しました。 懐かしいです。
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
EEきっぷ🎫は便利だったっすね😉
@TheReimmy
@TheReimmy 3 жыл бұрын
青森到着の放送が実に味が有りますね!すばらしい!
@user-bo6tr8yz4q
@user-bo6tr8yz4q Жыл бұрын
子どもの頃に見た懐かしい風景です。青函連絡船が廃止される数年前に乗った時、摩周丸の船長さんが、サイン入りカードを配ってました。コインと共に大事な宝物です。
@user-vi5ss8gy1s
@user-vi5ss8gy1s 8 жыл бұрын
私も、学生時代、昭和49年の今日(9月5日)、地下ホームで夕食の駅弁を買いこの電車で、9泊10日の北海道の旅に出かけました。 固いシートではとても眠れませんでしたが、青函連絡船で爆睡しました。 帰りもこの八甲田号で帰りました。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 8 жыл бұрын
コメントありがとうございます。私はエアクッションを持参して乗りましたが、北海道の雄大な景色を早く見たいという期待と興奮でほとんど眠れませんでした。連絡船でも隣に乗り合わせた少年から鉄道に関する質問責めにあってしまい、やはり眠れないまま函館に着いた記憶があります。。夜行座席車の連泊に疲れて、青森からは急行津軽のB寝台車で爆睡しながら上野まで帰ってきました(笑)
@user-eu1wf1ku5x
@user-eu1wf1ku5x 4 жыл бұрын
やっぱ夜行急行は上野ですネェ
@user-im5lq2ne3k
@user-im5lq2ne3k 3 жыл бұрын
連絡船の接続列車案内で【特別急行】おおぞら3号 おおとり 【普通急行】宗谷とアナウンスしているところで、おもひでぼろぼろになってしまいました。😭 音源投稿ありがとうございました😊
@user-wb3wg3we8w
@user-wb3wg3we8w Жыл бұрын
上野駅から函館駅まで何もかもが懐かしく美しい。💖✨ 初めての長旅を親から許されて、青函連絡船から降り立った初めての北海道。😌 私も、あの感動は一生忘れることは有りません。😊 貴重な写真、音声ばかりですね。ありがとうございます。🙇
@CYuuzuru
@CYuuzuru Жыл бұрын
時間をかけて行くからこそ得られる感動が、この当時の鉄道旅行にはありましたね。 昭和の高校生から見ると、北海道は未知の大陸のような存在でした(^^)
@user-wb3wg3we8w
@user-wb3wg3we8w Жыл бұрын
@@CYuuzuru 様、 返信ありがとうございます。 現在なら、北海道ヘ行く人の90%以上が飛行機の時代ですよね。飛行機を否定するつもりはさらさら有りません。ですが、飛行機による初めての渡道では、連絡船による渡道での感動には及ばないでしょうね。🙄 主様おっしゃるように、私にとっても北海道は未知の大地でした。💖✨
@takuue5148
@takuue5148 4 жыл бұрын
人情味あふれる車掌さんのアナウンスが良いですね。夜行列車の車掌さんのアナウンスにはベテランの人の声が似合う気がします。私はバリバリ平成生まれですが、この時代にタイムスリップして旅行してみたいです。
@asakusa3547
@asakusa3547 3 жыл бұрын
懐かしいです八甲田、津軽乗りました、帰省の人多かった郡山で特急待ち合わで、降りる人が多くなると寂しさ感じたな、深夜の出発になる汽笛がなんともうら淋しく感じた1人旅、青森着く頃には知らない方と雑談青森から青函連絡船乗船名簿書いたりギリギリ乗船出来た、私の遠い思い出は、今でも走馬灯のように思い出されますね💧涙が出てきますよ18くらいのわかぞうだった頃が😃💡函館長万部で宿に泊まった時家出と思われ女将に説得されたな、その私も今じゃ前期高齢者なんとも…💧言っても言っても語り尽くせません💧
@CYuuzuru
@CYuuzuru 3 жыл бұрын
ご同輩から熱いコメントをいただき恐縮です。家出人と間違えられるとは貴重な体験をされましたね!? この旅行中、国鉄バスで屈斜路湖での休憩時間の間、撮影に夢中になっている内にバスが荷物を乗せたまま発車してしまうという事件がありました。途方に暮れている私に地元のご夫婦が声をかけてくださり、そのバスの終点である斜里駅まで車で送っていただき無事荷物と再会することができました。 八甲田号に揺られた長い道のりとともに、忘れ得ぬ旅の思い出となりました。
@917k8
@917k8 Жыл бұрын
当時、この地平ホームにて全ての旅客と職員に現状をアナウンスしてた方に感銘です。 鉄道少年の頃、「危ないですから少しさがって写真撮ってくださいね」空かさず次、トーサンバン○○レ○分です。 何処で見て制御しているのか、何時来てもあの声で和む。到着列車の乗客に告げる あの味わい深い声。 それを聞けてとても嬉しくなりました、ありがとうございます。
@user-yi2pz3jq1y
@user-yi2pz3jq1y 3 жыл бұрын
休みに成ると何時も周遊券で乗ってたから懐かしいよ
@lotuseurope8806
@lotuseurope8806 3 жыл бұрын
金は無いけど時間はタップリあって直角シートも苦にならず、でも仙台位で飽きたなぁ 青森で復活して連絡船でグロッキー函館から札幌まで座れなくて疲労困憊だった旅を想い出す 夏も冬も旅したが冬の雪景色は脳裏から離れない。特に雪の青森駅は美しく綺麗でしたね
@user-jz8lp4kc9r
@user-jz8lp4kc9r 2 жыл бұрын
夜行急行「八甲田」「津軽」の並びなんて、この上ない「最強」の並びでした。感涙ものです。私の父が山形の天童出身なものですから「津軽」は定番の列車でしたね。「八甲田」は東北本線廻りで「津軽」は奥羽線廻りでした。上野発車後、しばらくは旅の始まりの期待と昂ぶりで車内もざわついていますが、夜半ともなると、気怠い雰囲気に包まれておりしました。冬場は軒並み雪害の為、大幅に遅延しておりしました。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 2 жыл бұрын
ありがとうございます。 八甲田と津軽1号の並びは夜行列車ラッシュのオープニングに飾る壮観なもので、何度も見に行きました! 発車してしばらくは暑さのため客車の窓を開けている人が多かったですが、黒磯から北は7月でも窓を閉めないと寒い位でした。 その頃には車内の会話も少なくなり、暗闇を流れる数少ない民家の灯りをぼんやり眺めているか、単調なレールの響きを子守唄にうたた寝している人が大半だったように思います。
@akita1934
@akita1934 2 жыл бұрын
昭和47年秋田から進学で上京し「津軽2号」はよく利用しました。秋田ー都内の運賃が1750円+急行券300円でした。対面4人掛けで通路に新聞紙を敷いて寝ている方もいました。所要時間9時間位で到着時間の関係でやはり秋田以北の利用が多かった。「出稼ぎ」の方の帰省・上京で混み車内は上野発車前から一気に「お国訛り」に溢れましたね。青春の思い出としてかなり比重が高いです。
@user-jc2xn1ts6q
@user-jc2xn1ts6q 6 жыл бұрын
この個性あった光景が、はや40年が経過するなんて信じられないです。
@asakusa3547
@asakusa3547 3 жыл бұрын
チャンネル発信者様と同学年ですね✌️私も同じ頃上野から八甲田急行電気機関車に乗って北海道目指して1人旅してました、青函連絡船の半鐘と蛍の光や函館に着く時には北島三郎の音楽が(うろ覚え)聴こえたような?懐かしすぎて涙が出ますよ💧
@CYuuzuru
@CYuuzuru 3 жыл бұрын
ありがとうございます。 あの頃の鉄道を使った北海道旅行には、遠いからこそ味わえる感動がありましたね。 サブちゃんの歌は「函館の女」でしたか? はるばる来たぜ函館♬という歌詞も、上野駅から列車と連絡船で旅をした人でないとピンと来ないのではないでしょうか(笑
@guleevershaut7559
@guleevershaut7559 5 жыл бұрын
この様な風景は1980年代中頃まで有り‥‥旧国鉄時代の上野駅は徐々に人情味.旅情.構内での賑わい.駅独特の空気感.一人一人の人間ドラマ.上野駅独特の風情が消えてゆき、現在の上野駅は全く魅力が無くなり、駅前には無数の中国人が占拠し始め、憤りと悲しさだけが残ります。今からでも軌道修正しなければ、神田駅前まで占拠されます。東京都は何もしない…
@CYuuzuru
@CYuuzuru 5 жыл бұрын
Guleever Shaut 交通網の基幹が新幹線になり、平成時代には並行する在来線を第三セクターへ移管する手法が横行しました。すると三セクへの路線使用料という負担が生じ、さらに複雑な乗務員や車両の運用を要する夜行列車はJRにとってお荷物となったため、廃止への道を突き進んだのだと思います。今や上野駅は常磐線を除いて通過駅となり、かつての東北本線や北陸本線は分断されて見る影もありません。 線路は続くよどこまでも♫がリアルであった国鉄時代が懐かしい。 インバウンド需要に頼らずとも景気回復できる元気な日本に戻ってほしいものです。
@shimaken885
@shimaken885 5 жыл бұрын
今では動画+音声が当たり前になってますが、写真コマ+音声でも私には当時の臨場感を感じました。 貴重な写真、音声UP、有難うございます。 もちろんチャンネル登録、高評価入れさせていただきました。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 5 жыл бұрын
しまっちshimaken _ さん、コメントいただきありがとうございます。遠い昔の記録ですが、お楽しみいただければうれしいです。この旅行は夜行連泊を予定していたこともあり、寂しくないよう友人に借りた大きなラジカセを持参しました。録音目的だけならもっとコンパクトな機材もあったのですが、無駄に荷物を増やしてしまいました。
@shimaken885
@shimaken885 5 жыл бұрын
@@CYuuzuru 様 コメ返を有難うございます。 当時の裏話も有難うございます(*´ω`*) その頃は私は幼少で、上野駅からよく181・183系"とき"を利用して親戚の家迄連れて行ってもらっていた記憶がございます。 途中、大雪で水上付近だったかな?各駅停車状態の運転だった記憶も・・・。 素晴らしい記録です。 私は2004年~動画撮影を始めましたが、今ではこのように動画配信で見れるようになりましたのでイイ時代になったもんだなぁと。
@user-tv2ee1pp8y
@user-tv2ee1pp8y Жыл бұрын
酒とつまみと写真等があれば朝まで70年代の上野駅を語れる人がいそう。
@user-zi4xi6vx2i
@user-zi4xi6vx2i Жыл бұрын
幾らでも語れるよ!13〜15番ホームでよくアルバイトしてたよ、某◯倉高校行ってたから! 懐かしいな〜
@user-vi5ss8gy1s
@user-vi5ss8gy1s 6 жыл бұрын
貴重な映像と音声ありがとうございます。私は、昭和49年9月5日(木)、大学3年生の時に北海道旅行のときにこの列車を利用しました。終着の青森駅は雪ではなく雨の中であったことを覚えています。11時間もの間、夜行列車に揺られ続けたためか青函連絡船の中では函館まで爆睡状態でした。帰りは、青森発0時2分発(?)の上野駅でしたが、そこでお洒落で清楚系の美人に出会ったのですが一言も話す機会がなく終わったのが本当に残念でした。 今となっては青春時代のよき思い出ですね。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 6 жыл бұрын
おとぼけ さん、八甲田号の思い出をありがとうございます。上野から青森まで同じボックスに乗り合わせた小学生と連絡船でも同行することになり、彼からの質問責めにあったため函館に着くまで私は一睡も出来ませんでした。 40年後も忘れられないような美人さんと、私も旅先で出会いたかったです!
@user-gi5wr1mt1g
@user-gi5wr1mt1g 5 жыл бұрын
いやぁホント懐かしいですなぁ。当時私は高校生、大学生の頃で東北ワイド周遊券を手にしてひたすら夜行列車を乗り継いで宿にも泊まらず10日間、平、郡山、新潟以北を南に北に。上りの八甲田と下りの十和田とか上りの津軽と下りの出羽とかまぁいろんなパターンを考えながら旅するのが大好きでした。伯養軒にもお世話になりました。今じゃ夢物語ですが。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 5 жыл бұрын
世捨人ひとり旅 国鉄時代は夜行列車の乗降客のため主要駅の待合室は終夜開放されていましたから、そのような旅も自由自在でしたね。その夜行列車がほとんど死語になる時代が来るとは、あの頃は夢にも思いませんでした。
@celloam8194
@celloam8194 4 жыл бұрын
貴重な記録ですね! 公開して下さり、ありがとうございます。
@noshin8182
@noshin8182 3 жыл бұрын
愛称がいいんだよね 八甲田、津軽、おが、十和田、鳥海…
@CYuuzuru
@CYuuzuru 3 жыл бұрын
時刻表をめくりながらこのような列車名を見ているだけで、バーチャル旅行をする楽しみもありましたね(^^)
@miharu3748
@miharu3748 6 жыл бұрын
懐かしく、貴重な動画を拝見いたしました。 この頃は、私は高校生だったな~・・・フラリ鉄道旅行が好きな、今でいう「鉄乙女」でした。 急行乗り放題のワイド周遊券を駆使して、心ゆくまで青春してたあの頃を思い出します。 車内に漂うタバコやお酒の匂い、ボックスシートで向かい合った人と一期一会でお菓子やおつまみのやりとり・・・ 決して豪華やオシャレではなかったけど、人間味あふれる泥臭い旅を体験してきました。 あの時は、近い将来に上野からの夜行列車や、急行という種別が一本も無くなってしまうなんて想像も出来ませんでした。 あ~・・・タイムスリップ出来るのなら、この時代の鉄道旅行をまた飽きるまで楽しんでみたい気持ちが押し寄せます。
@ststkg14
@ststkg14 2 жыл бұрын
青森駅で蛍の光ですか。出合わせた人は現在の飛行機や新幹線にはない旅の情緒を感じておられたんでしょうね。
@stravarese
@stravarese 7 жыл бұрын
自分は平成元年生まれですが、スマホもパソコンもいらないから、こんな時代に生きてみたかったです。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
竹内洸 さん、お若い方からコメントをいただき嬉しいです。ネットもPCもスマホもなかった時代、地図と時刻表を頼りに一人旅に出ること自体が大冒険でした。この列車に使われていたのと同型の旧型客車が大井川鉄道やJR東日本で運転されていますので、一度乗りに行かれることをお勧めします。昭和の鉄道旅行を疑似体験出来ると思います。
@user-cg6eb3gp7d
@user-cg6eb3gp7d 4 жыл бұрын
車掌さんの訛った放送がいいですね。(*´∀`)♪ハイケンスのメロディーはなんか切なくなります。 (*´ω`*)私は鉄道唱歌よりも好きですね。夜行列車が連想できて。早朝の終着前のあの淀んだ空気を知る人もだんだん少なくなるのでしょうね。
@user-yj3xv3nl4g
@user-yj3xv3nl4g Жыл бұрын
懐かしい思い出です。 小学校6年の夏休みに東京まで急行で約6時間、上野から急行八甲田で浅虫へ。台風災害の影響で浅虫から青森は代行バスでした。 盛岡からSL牽引に替わり、全開の窓から煙の匂いと煤が客室内に入ってきて、寝られませんでした。 そして青函連絡船に乗り継いで初めての北海道、函館まで21時間ほどかかったのですね。 今はフェリーで苫小牧まで40時間。
@8739ccs
@8739ccs 2 жыл бұрын
1977年12月31日の八甲田51号(上野14:41発)に乗車し、青函連絡船に乗りました。 古きアルバムを整理中です。思い出をありがとうございました。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 2 жыл бұрын
こちらこそコメントをいただきありがとうございます。年末の八甲田51号は昼間に上野を出て深夜に青森駅着というダイヤだったのですね。冬の北国へ一度は旅をしたいと思いながら、国鉄時代には実現できなかったのが残念でなりません。
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
@@CYuuzuru ↑昭和61年3月に北海道行ったオッサン。多少ダイヤ乱れたけど予定通り回れたよ😉
@pekosakura2222
@pekosakura2222 Жыл бұрын
素晴らしい。この録音は・・・。写真も、素晴らしい。
@CYuuzuru
@CYuuzuru Жыл бұрын
ありがとうございます。賑わっていた夜の上野駅を想像していただければ幸いです。
@user-eh4wo5xx8b
@user-eh4wo5xx8b Жыл бұрын
1984年に友人が上野1950発ゆうづる1号(583系)に乗って青森駅に。青森駅から津軽線で三厩駅に。三厩駅から青森駅に行って青森駅から急行八甲田号で上野に帰ってきたそうです。車中で2泊3日の強行旅、自分には絶対無理です。誘われないで良かったです。金もなかったけど。
@nw3428
@nw3428 4 жыл бұрын
いいですな~ 「夜行」に乗って、こんな旅してみたいですよ
@CYuuzuru
@CYuuzuru 4 жыл бұрын
山スロ さん、私も同じ気持ちです。出稼ぎのおじさんが上野駅の公衆電話で「今夜の夜行に乗っで明日の朝には着ぐからな」などと話していたのを懐かしく思い出します。
@resopan35
@resopan35 3 жыл бұрын
浅虫駅(現、浅虫温泉駅・青い森鉄道)のアナウンスが味がある。
@kitakoi1976
@kitakoi1976 7 жыл бұрын
76年に北海道に行くため八甲田に乗りました。忘れられない夜行列車ですね。硬いボックスシートで眠れなかったのを覚えています。でも、何だか郷愁と言うか何と言うか懐かしいです。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
大納言 さん、コメントをいただきありがとうございます。私はエアクッションを持参したものの、背中が直立ですからあまり眠れなかったように思います(笑)それでも北海道旅行への期待と興奮のためか辛いとは感じませんでした。この日から40年が過ぎましたが、私にとっても忘れられない列車です。
@user-mu3dz3iv6q
@user-mu3dz3iv6q 8 ай бұрын
1:16「元気でいろよォ」という声が旅情をさそう...
@bolaurel1
@bolaurel1 4 жыл бұрын
なつかしいですね。 当方も1983年に初めて北海道へ行ったとき、急行『八甲田』~連絡船~特急『おおとり』と乗り継ぎました。 時刻も上野19時10分発~青森着6時15分、連絡船7時30分発~函館11時20分着は全く変わっておりませんね。 ただ、八甲田の客車は12系に変わり、1号車のグリーン車はなくなっていました。 雰囲気では旧型客車の方が上ですが、実際に一晩過ごすには冷房も付いている12系の方が上だな、などと当時は感じておりました。
@nanalinn
@nanalinn 6 жыл бұрын
私も社会人駆け出しの頃は八甲田で帰省していました。画像と違うのは客車は14系、直流区間の機関車はEF65、青森―函館間は海峡号でした。
@welcometohakodate4713
@welcometohakodate4713 2 жыл бұрын
願わくば、我がライブカメラも、ここまで巻き戻したい!(泣)
@keichan4615
@keichan4615 6 жыл бұрын
私が生まれる前の出来事だけど、旅行や出稼ぎといったら夜行列車でなかなか行けない所に行く感じです。実は今は北海道から九州まで一日かからず行けますもんね。 飛行機があれば日帰りもできる。時代がすすみ新幹線は便利になった反面、何かを失った気がする。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 6 жыл бұрын
kei chan 出稼ぎという言葉も最近あまり聞きませんが、よくご存じですね!夜行列車は出稼ぎの方が故郷へ帰る足としても活躍していました。高校生の時、上野から乗った夜汽車で同席した出稼ぎのおじさんに大学生と間違えられ、お酒を勧められました。断るのに苦労したことも今では懐かしい思い出です。
@yancan5175
@yancan5175 Жыл бұрын
私が2度の北海道へ二回とも行きか帰りに乗車した八甲田 もう14系客車でかなりきれいな客車になっていましたが、それでも酒盛りなどが始まったりしてました。
@user-fl6js5sv3x
@user-fl6js5sv3x 4 жыл бұрын
昔のことが甦ってくる映像でした。 私は北海道へ鉄路で行ったのは二回、青函連絡船には三回ほど… 1回目はゆうづる→連絡船→北海 2回目は八甲田→快速海峡→快速ミッドナイト どちらも函館観光を挟んでの旅程でした☺️ 函館で入った?46度のお風呂は堪らなかった😅 貴重な映像、ありがとうございました♪(^^)
@TAMRAN2646
@TAMRAN2646 7 жыл бұрын
私は、1971年7月に初めて北海道旅行で乗車したのが急行十和田3号でした。北海道で初めて乗車した列車が、C62機関車牽引の急行ニセコ3号でした。その後は1975年まで20回ほど北海道へ渡りました。上野から急行八甲田や特急はくつる・ゆうづる・みちのく号などの列車を利用しましたので、青森駅から青函連絡船への乗り換えの賑わいが蘇りました。拝見して、大変懐かしく感じられました。青函連絡船は、八甲田丸・羊蹄丸がほとんどでした。昨年6月に40年ぶりに函館へ行ってきました。もちろん、メモリアルシップ羊蹄丸を懐かしく見学してきました。当時の上野駅・函館駅は今と違って、大変旅情の有る駅で雰囲気が大変好きでした。現在は仙台市に居住していますが、東北本線を走っていた全ての寝台列車が廃止されてしまい寂しい思いが募っています。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
坂ノ下田村麻呂 さま、コメントをいただきありがとうございます。私もあと5年早く生まれていれば、函館駅に発着するC62をこの目で見られたと思います。まったく羨ましい限りです!
@user-zr1ho1zu3k
@user-zr1ho1zu3k 5 жыл бұрын
1977年当時は仙台-青森間のみB寝台車(スハネ16)が連結されていましたね。KATOとマイクロエースから出ている八甲田のセットもちょうどこの頃の編成だと思います。懐かしいですね。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 5 жыл бұрын
村田J さん、私は眠りに落ちていて、仙台でスハネとスハフを増結するシーンを見逃したのが残念です。 KATOの急行八甲田セットには郵便車オユ10(上りのみ連結)が付属していますが、76年に撮影した写真を見ると冷房付きのスユ13が連結されていました。
@user-zr1ho1zu3k
@user-zr1ho1zu3k 5 жыл бұрын
C6222さん。コメントありがとうございます。仙台での増結シーン見逃してしまい残念でしたね。 私は当時小学生でしたが時刻表は良く読んでいたのでこの事は知っていて、興味があり乗ってみたい列車だったのですがさすがに小学生の身では夜行列車でひとり旅をすることも出来ず諦めた思い出があります。 あとスユ13はオユ12に電暖を付けた護送用郵便車なので冷房付は無いと思います。スユ16のお間違えでは?
@CYuuzuru
@CYuuzuru 5 жыл бұрын
村田J さん、どこかのサイトで見た編成表を鵜呑みにしていましたが、写真を確認したところスユ16でした。ご指摘ありがとうありがとうございます。
@ecneicslaicos
@ecneicslaicos 7 жыл бұрын
「忘れ物の「ぬ」いように…」 「あお「む」り「す」うちゃく(終着)になります」いいですねぇ。 (私も東北人なのでバカにしてるわけじゃなく懐旧の念) 小学校のころ14系時代の八甲田に乗ったのですが、国鉄時代は色々汚かったけど旅情がありましたね…「四季島」建造もいいんだけど…。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
ecneicslaicos さん、コメントありがとうございます。確かに現代の旅も世の中も、すべてが綺麗で速く、快適になりました。でも街を歩く人の表情は、あの頃の方が生き生きしていたような気がします。前に進むのが人間の本性ですから、仕方ないのでしょうね。
@inarish
@inarish 7 жыл бұрын
いやー、目に浮かぶようです。素敵な音源有難うございます。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
inarish ありがとうございます^_^。先日水上から旧型客車の夜汽車に乗り、あの頃の旅を思い出してきました。
@skyscraper3343
@skyscraper3343 6 жыл бұрын
うわあ懐かしい。祖父が亡くなって札幌に行った時まんまこの経路だったんですよね。旧客の夜汽車にまた乗ってみたいなあ。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 6 жыл бұрын
skyscraper 334 上野発の夜汽車で北へ向かわれたのですね。旧型客車に乗れるのは JRの高崎周辺と大井川鉄道くらいという現状は寂しいです。
@akina611
@akina611 7 жыл бұрын
今思うと、九州や北海道まで当たり前のように毎日毎日、カッコイイ寝台列車が走っていたり、 縦横無尽に、味のある客車列車や急行列車が人知れず走っていたあの頃が、 なんて貴重で素晴らしい時代だったんだろう・・と、しみじみ回想します。 せめてサンライズは、ずっとずっと、いつまでも走っていてほしいと思います・・・。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
aki murata さん、コメントをいただきありがとうございます。世の移ろいはますます早くなり、あの頃は当たり前だった夜行列車もすっかり過去の存在になってしまいました。せめてサンライズだけは、まだまだ走り続けてほしいですね。
@R..T..
@R..T.. 3 жыл бұрын
夜行列車黄金時代… 何らかの理由で世界中で飛行機飛べなくなって、バスが走れなくなって、長距離移動の覇権を再び鉄道が握る時代がきてほしいとすら思ってしまう
@CYuuzuru
@CYuuzuru 3 жыл бұрын
JR各社がバスとの競争で優位に立てる列車を走らせてやろうという気概を持つならば、夜行列車の復権は不可能ではないと思います。
@sunami808
@sunami808 2 жыл бұрын
どこぞの🇨🇳みたく夜行バスの運行を法規制すればあるかも?中国の駅って深夜でも活気がある。高速鉄道でも寝台車や食堂車があるのは羨ましい
@naomoro610
@naomoro610 2 жыл бұрын
記憶の彼方に急行岩手に乗ったなあ、懐かしいなあ
@CYuuzuru
@CYuuzuru 2 жыл бұрын
私も一度だけ、上野を23時台に出発する急行いわて3号に小牛田まで乗りました。懐かしいですね。
@KAZUO06210803
@KAZUO06210803 7 жыл бұрын
大変貴重な音声ですね。また、写真を上手く編集されて、まるで動画のように楽しませて頂きました。ありがとうございました。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
KAZUO06210803 ご覧いただきありがとうございます。拙い録音ですが、のんびりした昭和の鉄道旅行の様子を想像していただければ幸いです。
@user-db8np8vi1y
@user-db8np8vi1y 4 жыл бұрын
急行八甲田はJR東日本のフリーきっぷや東北ワイド周遊券で乗りました。 懐かしいです。 青函連絡船は青春18きっぷで乗りました。
@chirokazama4558
@chirokazama4558 7 жыл бұрын
最後の「函館だぁ、函館きた~」の声がいいっすね
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
chiro kazama 上野から急行八甲田の同じボックスシートで相席した小学生と長万部まで道中を共にすることになり、「函館来た〜!」の声の主はその小学生だったと記憶しています。絶妙なタイミングで叫んでくれました。笑
@thunderbird1691
@thunderbird1691 3 жыл бұрын
急行越前が見えます。一度上京する時に往復で乗ったんですが、あれは酷かったあ~。もう乗りたくない。ただ、周遊券1枚で乗れたから、高速バスのない時代一番安かった。故郷の駅と上野を結ぶ唯一の列車だっただけに貴重ではありました。北陸新幹線が延長される日がまもなく来る。けれど、今度は中京関西へのアクセスが劇的におかしくなる。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 3 жыл бұрын
急行越前は21時前に上野駅を出て、福井到着は翌朝7時過ぎでしたね。 旧型客車のボックス席での10時間は身体に応えますが、あの頃は老若男女が夜行列車を利用していたのですから皆さん忍耐強かったのでしょう!
@notoosamu199
@notoosamu199 7 жыл бұрын
八甲田、津軽、十和田と夜行急行が次々上野駅を発車、盆正月はそれぞれに臨時列車もあったし縫うように寝台特急もそれぞれ発車。 盆正月の上野駅はひっきりなしに夜行が発車してました。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
noto osamu この当時の帰省シーズンには40本以上の夜行列車が出発していたのですから、隔世の感があります。まさにラッシュでしたね!
@cadeau999
@cadeau999 Жыл бұрын
初めての北海道旅行は1910発の八甲田を利用しました。青森までの道のりは本当に長かったです。 飛行機に乗ることは金銭的に困難な時代で、ひたすら耐えるしかなかったです。 今は飛行機も安価になり、二時間で釧路や女満別まで行けてしまうのは夢のようです。
@RINKOU99
@RINKOU99 5 жыл бұрын
上野発の夜行列車とか北斗星、カシオペアしか知らないけどいつも地平ホームに行くと八甲田、津軽とか秋田、青森までの行き先に思いを馳せてる。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 5 жыл бұрын
RINKOU99 北斗星も今やすっかり過去帳入りしてしまいましたが、この動画で北への玄関口だった上野駅を偲んでいただけると嬉しいです。
@user-zk7qs1yq4l
@user-zk7qs1yq4l Жыл бұрын
札幌の少し東から乗車、函館、青森、東京を経由して浜松そして東海道線に乗り換え、まる一日かかった。
@CYuuzuru
@CYuuzuru Жыл бұрын
東海道・山陽新幹線しかない時代と現代とでは距離感がまったく違いますね。 この当時の北海道は異国の地に近いイメージがありました。
@user-wi2sc7lq3b
@user-wi2sc7lq3b 2 жыл бұрын
0:37 0:55 上野駅のホームに「奥の松」の看板が設置されていたことに驚きました。 「奥の松」といえば福島県の二本松にある酒造会社なので、福島県民の私からすれば嬉しい限りです。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 2 жыл бұрын
よく気付かれましたね!現在の上野駅にも清酒「奥の松」の看板はあるようです。 鉄道博物館の国鉄上野駅再現コーナーの柱にも、このプレートが設置されています。ロゴの書体は故森繁久彌さんが揮毫されたそうです。
@user-rz3tp5kb5z
@user-rz3tp5kb5z Жыл бұрын
動き始めた 汽車の窓辺を 流れてゆく 景色だけを じっと 見ていた~🎵
@user-jv5wt4wx3n
@user-jv5wt4wx3n 5 ай бұрын
KATOMIXでこのころの情景を再現して リアルではLCCに乗って青森などに3000円で行くのが令和流か。
@jacksan1
@jacksan1 4 жыл бұрын
青森市に住んでいた時には、さて、東京往復はどうしようかな、今日は余裕があるから、特急ゆうづるかな、それとも、節約して、急行十和田か八甲田にしようか。でも、久しく奥羽本線を経由してないので、津軽で行こうかな、などなど、嬉しい迷いがあったものです。いや、懐かしい。あと、青森到着前の、連絡船乗船名簿用紙の配布も、遥かな想い出の一つです。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 4 жыл бұрын
jacksan1 青函連絡船の乗船名簿が配られたのは野辺地あたりだったと思いますが、いよいよ北海道へ渡るのだという実感が湧いて気分が高揚したのを覚えています。 この旅の帰り道は青森から急行津軽1号を利用しました。同じ目的地へ行くにも様々な選択肢があり、今思えば贅沢な時代でしたね!
@jacksan1
@jacksan1 4 жыл бұрын
@@CYuuzuru 同じゆうづるでも、客車寝台と電車寝台が選べましたからね。私の亡き父は、客車の起動時の、あのカックンが嫌いで、電車ゆうづるかはくつるばかり乗っていました。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 4 жыл бұрын
jacksan1 連結器の違いで、発車時の衝動はどうしても客車の方が不利でしたね。多少料金は高くても電車寝台の方が幅が広く快適でしたから、お父様の選択は正しかったと思います。
@user-wn4iq7zj8n
@user-wn4iq7zj8n 3 жыл бұрын
上野発の夜行列車 津軽海峡・夏景色
@cma46210
@cma46210 7 жыл бұрын
乗ったのは73年だったろうか。 当たり前に有ったものが消えちまった。走行中なのにドアは開けられるし直角シートだし でも18歳には楽しかった。駅弁のお茶がとんでもなくヤバいのを発見したり 冷凍ミカンが妙にうまかった
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
Altoman Japan さん、こんばんは。確かに速さも快適さも劣っていましたが、あの頃の旅は五感に刺激を与えてくれたように思います。夏の夜明け頃、開け放った客車の窓から吸い込む空気の新鮮さに遠くへ来たことを実感しました。半透明なビニール製?容器入りのお茶、懐かしいですね。
@cma46210
@cma46210 7 жыл бұрын
半世紀も前になってしまったか、最近駅で冷凍ミカンを見たよ まだあるんだ
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
Altoman Japan さん、冷凍ミカンはまだ売っているのですね!赤いネット入りではなくなったようですが。当たり前のように走っていた夜行列車が半世紀後になくなっているとは、あの頃私も想像できませんでした。笑
@user-oi7ed3yy9v
@user-oi7ed3yy9v 6 жыл бұрын
懐かしいですね。自分が八甲田で渡道した時は摩周丸で、函館からは特急おおとりでした。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 5 жыл бұрын
市川宏 さんは函館から特急に乗られましたか。私はワイド周遊券利用のため、急行宗谷でのんびりと札幌へ向かいました(^^)
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
@@CYuuzuru 1981年頃から北海道・九州限定でワイド周遊券の周遊エリアで特急自由席乗車可能になったとさ😉
@elbuenos143
@elbuenos143 Жыл бұрын
♪ネオンライトでは燃やせない~  ふるさと行きの乗車券~
@t3sutatra388
@t3sutatra388 5 жыл бұрын
1:45 「お近くの方、デッキのドアをお閉め下さい」 自動ドアが当たり前の私(24歳)にとっては衝撃的な放送です
@CYuuzuru
@CYuuzuru 5 жыл бұрын
T3SU Tatra 80年代半ばまで、国鉄の普通列車、急行列車の一部には、手動ドアで冷房のない旧型客車が使われていました。「列車がよく止まってからお降りください」というアナウンスもよく耳にしました。(笑
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
私にも衝撃的!旧客はドア開放で当たり前に走ってだけど😁
@user-ks1xu6dc5k
@user-ks1xu6dc5k 3 жыл бұрын
青山学院大学児童文化研究部の夏巡回で、子ども会活動をするために東北に行く時、八甲田を利用してました❗️寝袋を抱えて、巡回地へ…懐かしい思い出です
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke 6 жыл бұрын
自分は、青函トンネルが開通したその年の夏に、青函連絡船が復活した時に、最初で最後の乗船をしました。 急行八甲田はMOTOトレインを兼ねていました。先頭1号車(その前にMOTO乗客用の寝台車が併結)の自由席に乗るために、上野駅13番ホームに14時から並びました。高校時代に中学の仲間とバカ話したりして時間つぶしてました。 簡易リクライニングと旅の興奮で、1時間しか寝られませんでした。 初めての青函連絡船八甲田丸だったと思います。乗船名簿を記念に10枚くらい貰いました。 途中で十和田丸とすれ違いました。思いのほか潮風が強かったですね。 初北海道の函館山は曇って何も見えずww。戻りは青函トンネル経由で戻り、夜は青函連絡船内でのシップホテル。 船内をくまなく歩きました。グリーン座席や寝台席、シャワールームなどあちこち探検しました。 でもやっぱり、リアルタイムで乗りたかったですね。。。 それでも、ぎりぎり味わえた経験は宝物です。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 6 жыл бұрын
kumosukeponsuke 青函連絡船最後の年、私は仕事が多忙で乗りに行くことが出来なかったので羨ましい限りです!船内食堂で食べた海峡ラーメンが、とても美味しかったのを覚えています。
@nanalinn
@nanalinn 6 жыл бұрын
確か、復活運航したときの船は八甲田丸ではなく、羊蹄丸だったように記憶しています。(もう一隻は確かに十和田丸でした)
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke 6 жыл бұрын
ご指摘感謝です。羊蹄丸でしたか、、、 潮風に吹かれてから、1時間しか寝てないこともあって、結局横になれたこともあって寝てしまって、 船上からの函館入港を見ようと目論んでたことがご破産してしまったことも思い出しました。
@Zero_Fighter_Japan
@Zero_Fighter_Japan 5 жыл бұрын
お盆休み・年末の帰省客が、指定券を購入するために、徹夜で並んでいた様子を記憶しています。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 5 жыл бұрын
Hirofumi Yamada 今の時期、上野駅は毎晩大混雑で大連絡橋にも夜行列車の臨時待合所が設けられていましたね。まさに隔世の感があります。
@morimori185
@morimori185 3 жыл бұрын
北海道ワイド周遊券を使う人には 御用達だったそうですね
@TheCryingFrenchman
@TheCryingFrenchman 6 жыл бұрын
新幹線というのが登場して便利になったけどやっぱこういうのいいなあ 昼行東京発普通大阪行きとか夜行列車とか乗り通してみたかった いまじゃ寝台列車もサンライズしかなくてかなしい50年くらい前に生まれたかった
@CYuuzuru
@CYuuzuru 6 жыл бұрын
tomo yama310 国鉄時代は移動時間の面では不便でしたが列車には多くの選択肢がありましたし、食事にも優等列車には食堂車があり駅弁、車内販売といった多くのバリエーションがありました。乗せてやる的な接客態度をとる職員への苦情もあったことは確かですが、ソフト、ハード含めた全体的なホスピタリティーは現代のJRより充実していたかもしれません。
@okhan
@okhan 6 жыл бұрын
50年前に生まれた人もね、もっと早く生まれたら SL時代が味わえたのにって思ってたからね
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
この動画の頃よりも前だと列車劇混み😉
@ksmkz8700
@ksmkz8700 7 жыл бұрын
1977年、東京から札幌への帰省に何度も利用しました。節約のため下宿先で自炊した握り飯をもって八甲田に乗り、青森で連絡船に接続。函館で札幌行き急行(名前はもうわすれてしまいました)に乗り換え。懐かしいな。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
K SMKZ さん、急行八甲田号の常連?でいらした方からコメントをいただき嬉しいです。函館から札幌方面へ最も接続が良かった急行列車は、稚内行きの宗谷ではないかと思います。札幌到着は夕方になりますから、本当に長い旅でしたね。
@ksmkz8700
@ksmkz8700 7 жыл бұрын
C6222Yuuzuruさん、お返事を頂き恐れいります。1977年の夏休みの帰省後、札幌⇔網走、札幌⇔函館を走る特急車内で車内販売のアルバイトをしていました。 当時食堂車併設で、調理さん(車内販売の日食の社員さんがそう呼んでいた)の賄い飯を手稲車両基地から札幌までの間に急いで食べていました。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
K SMKZ さん、札幌〜網走は特急おおとり、札幌〜函館は特急北斗でしょうか。揺れる車内での長時間乗務は相当ハードだったでしょうね!
@ksmkz8700
@ksmkz8700 7 жыл бұрын
辛いより、楽しかったですよ。若かったですから。動画内の「蛍の光」で感傷に浸っています。そのほかの動画も楽しく拝見しています。 ありがとうございます。
@midori3203
@midori3203 5 жыл бұрын
函館〜札幌の急行は、山線はニセコ、海線はたしか、すずらんだったと思います。
@user-ev7im2wc5x
@user-ev7im2wc5x Жыл бұрын
矢吹丈が紀ちゃんに別れを告げドサ周りに旅立つ姿が見えてきそうです。
@henohenomoheji3349
@henohenomoheji3349 7 жыл бұрын
昭和48年、急行八甲田で上野から北海道へ旅行へ行ったことを思い出す。 当時、北海道周遊券が21日間有効で1万3000円程度だったかなあ。 本当に懐かしい急行八甲田の画像でした。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
henohenomoheji コメントをいただきありがとうございます。ワイド周遊券利用は、若者の旅のまさに定番でしたね。急行自由席乗り放題のメリットは大きかったです!
@nobsuz
@nobsuz 4 жыл бұрын
矢吹丈がどさ回りに旅立つ上野駅がまだここにある。
@hokusoubito
@hokusoubito 7 жыл бұрын
最後尾の荷物車がいいですね。 八戸を過ぎたあたりから青函連絡船の乗船名簿を車掌が配っていたと聞きました。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
hokusoubito さん、この当時八甲田号の下り列車には荷物車、上り列車には荷物車+郵便車が連結されていました。新聞の輸送もまだ鉄道がメインの時代でした。車内で乗船名簿が配られると、何だかワクワクしたような記憶があります(^ ^)
@user-hv9rf9nm7h
@user-hv9rf9nm7h 7 жыл бұрын
C6222Yuuzuru 様 急行 八甲田〜青函3便(?)〜急行 ニセコで郵便、荷物車を航送してましたからねぇ… 模型は主様の物でしょうか? 最後尾のワサフ良いですね…
@CYuuzuru
@CYuuzuru 6 жыл бұрын
美幸小早川 さん、返信に気づかず失礼しました。 模型はNゲージで当時の八甲田号を再現したものです。 仙台で機関車の後ろにB寝台車と座席車を各1両を増結した後の編成となっています。
@user-ts1os5ql1w
@user-ts1os5ql1w 4 жыл бұрын
青函連絡船廃止の2年後初めて道内を訪れた時は、函館駅も随所に連絡船乗り場の痕跡が残っていたんだが・・・・。赤い三角屋根の函館駅と正面玄関にアサヒビールの看板・カーブしたどこまでもながーいホームと跨線橋。0番ホームもあった。青函トンネル開通で電化はされたがディーゼル列車が行き交う発着駅だった。。快速海峡50系・特急北斗キハ183・臨時で札幌行き急行ニセコ・キハ56・3両編成がホームに停車していた。サッポロビールの看板は旭川駅の旧駅舎の屋上についていた。記憶違いでサッポロでなくアサヒだ函館駅舎の看板。。
@jacksan1
@jacksan1 4 жыл бұрын
聞こえる声が訛っていたりして、石川啄木の短歌そのものです。乗っていらっしゃるお客様層は、今でもそれ程違わないと思うのですが、何故か新幹線の東京駅・上野駅では、方言があまり聞こえないように感じます。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 4 жыл бұрын
jacksan1 今や、ふるさとのなまり懐かし、、の世界も過去のものでしょうか。 昭和時代は出稼ぎ等の中高年で上京する方もけっこう多かったのに対し、現代は進学や就職時に上京して若い内に首都圏に定住するパターンが主流となったように思います。その結果一極集中が進むとともに方言を話さない方の比率が増えたのでは、という印象です。
@jacksan1
@jacksan1 4 жыл бұрын
@@CYuuzuru それと、駅の雰囲気もあるかもしれません。正真正銘の北の玄関口だった頃の上野駅では、思い切り方言で話しても、そこがまだ「地方」の延長線上にあったような、訛った言葉が比較的自然である雰囲気が存在した感じでしたが、新幹線駅だと、お行儀良くしなければいけないようで、畏まって標準語に切り替えなければならない雰囲気がある、と言ってしまうと大袈裟でしょうか。
@user-dn2gb2qb3m
@user-dn2gb2qb3m 3 жыл бұрын
方言を話す人は東北の中で田舎な方で少ししか話さないので新幹線で上野に行っても切り替えってないですけどね。さらに東北の各県庁所在地となると五十代とかでもたまにポロくらいしか方言でなくてさらに若い世代となる方言を知らないケースがあるので方言出せといわれても困惑するでしょうねぇ。
@jacksan1
@jacksan1 3 жыл бұрын
@@user-dn2gb2qb3m この動画の頃は、結構上野駅などでは方言が聞こえていましたけどね。月日が流れて、今は昔。現在は変わったんですね。この動画の頃は、長距離列車でも、急行に乗ると、結構楽しく方言丸出しで上野に着くまで喋っていたこともあった記憶があります(特急はお行儀のよい方が乗る列車でした)。私が青森市に住んでいた頃は、若い人も含めて、公式の場(学校の授業、ビジネスの取引、デパートの様な店)では可能な限り標準語(に近い発音)で話して、授業や取引が終わってインフォーマルに切り替わった途端に、全員一斉に津軽弁に戻す、というのが普通でした。もうそんなことはしていないんでしょうかね。先日、山形の村山地区に住む従弟から、今まで標準語で話していた車のセールスマンが、何度か話した後にいきなりズーズー弁に切り替えて来た、とか言って笑っていました。
@user-hw8kj4ml6m
@user-hw8kj4ml6m 2 жыл бұрын
北から南まで新幹線網ができたために夜行列車はなくなりましたね(´・ω・`)
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
かろうじて「サンライズ出雲・瀬戸」だけだね😉
@user-oo1vf4nq2x
@user-oo1vf4nq2x 6 жыл бұрын
晩年の"八甲田"は"夜行列車"なのにも関わらず、普通車のみのモノクラス編成の印象が強いですが、少し前の時代には二等車(後に一等車、現在のグリーン車)や三等寝台車(後の二等寝台車、更に後にB寝台車)も編成していたんですよね。これはゴー・サン・トウ(S50.3.10)前の関西~九州方面の急行群("雲仙"、"西海"、"阿蘇"、"くにさき(国東)")らの末路とよく似ています。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 6 жыл бұрын
六郎万英孝 75年3月以前の八甲田号には上野-青森間で2両のB寝台車を連結、さらに仙台-青森間でB寝台車2両を増結していましたが、その後は仙台-青森間で1両のB寝台車を増結し、その他はすべて普通、グリーンの座席車という編成に変更されました。座席車主体の編成に変わっていったのは、多客期に少しでも多くの定員を確保するためだったかもしれません。10系寝台車が70年代に淘汰され寝台車主体の急行が20系に置き換えられる中で、座席車主体の急行は14系モノクラス編成に統一されていったのは山陽筋の夜行列車と同様の流れでしたね。
@user-rj5td9io6d
@user-rj5td9io6d 3 жыл бұрын
現代でも、上野では、新幹線で、東北 新潟 北陸への帰省客で混んでいますよ。折角、新幹線で、在来線にゆとりがあるなら、通勤通学輸送や、近距離輸送に回して欲しいですね。
@rorlang
@rorlang 6 жыл бұрын
八甲田・十和田ははつかり・やまびこなどの指定席が取れない時にお世話になりました 家族で田舎に帰省するので夏休みなどは指定席はとりにくく、北星などの夜行も活用しないといけなかったですね
@CYuuzuru
@CYuuzuru 6 жыл бұрын
rorlang さん、コメントいただきありがとうございます。多客期の上野駅では列車を待つ乗客がホームに入りきらず、連絡橋などに各列車ごとの臨時待合所が設けられていた時代もありました。現在の上野駅からは想像もつかないほど賑わっていましたね。
@user-vt2nq7zo6e
@user-vt2nq7zo6e 2 жыл бұрын
2021現在寝台特急、急行もない カシオペアも北斗星も消えた
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
かろうじて「サンライズ出雲・瀬戸」だけだね😉
@toyohiko5800
@toyohiko5800 Жыл бұрын
そのサンライズも、いつ廃止になってもおかしく無い状況です。 新幹線を🚄ご利用下さいって! ああ〜つまらん
@user-yy8gi7we4r
@user-yy8gi7we4r Жыл бұрын
カシオペアもカシオペア紀行として頑張っている。
@MrDogpapa
@MrDogpapa 4 жыл бұрын
この頃、一人で親の実家から臨時急行の14系客車(全席座席車)夜行の記憶がよみがえりますね。山形で、30分停車だけど当然駅構内では売店も閉まっていて買えない筈ですが、 確か人は多数降りてたのでそれは思い出せない。 到着する朝まで腹すいた状態で辛かった。 車掌さんの担当区が地方だと、アナウンスに訛が入ってて滅茶滅茶旅情豊、今は地方でも訛が入らない標準語なのでつまんないなぁ。
@user-pn4gc4qx2y
@user-pn4gc4qx2y 6 жыл бұрын
八甲田号、この頃も上野車掌区でしたか? 車掌氏、ちょっとナマってます🌾
@CYuuzuru
@CYuuzuru 6 жыл бұрын
痛散湯警報器 詳しくはわかりませんが、客車の所属は青森でしたから青森車掌区 の担当ではないかと思います。ほどよいお国訛りを感じますね!
@user-ew1hj1sz5c
@user-ew1hj1sz5c 7 жыл бұрын
おぉ!おもひでぽろぽろと同じ感じ!感動する!
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
グッドバイ さん、おもひでぽろぽろはもっと後の時代になりますが、タエ子が上野駅から旅立ってゆくシーンに重なりますね。今では上野駅からの夜行列車すべてが思い出になってしまいました。
@lostsinar3026
@lostsinar3026 7 жыл бұрын
連絡船の「蛍の光」聴いたの30年ぶり、いやもっとかなあ。夜行便だと到着時つまり早朝「カッコウワルツ」が流れてたんですよね。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 7 жыл бұрын
lost sinar ありがとうございます。青函連絡船を利用したのは昼間ばかりで夜行便に乗る機会は一度もなかったのですが、「カッコウワルツ」を聴いてみたかったです!
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
@@CYuuzuru 私は逆に連絡船🚢はほとんど深夜便😁
@user-ri5xc9lh6z
@user-ri5xc9lh6z 6 жыл бұрын
船の車大丈夫なんだろうか 海風とか 昭和はいいなあ
@CYuuzuru
@CYuuzuru 6 жыл бұрын
マナカ 波が荒い日は飛沫がクルマを直撃していたかも、、
@user-nv9qk4jh7n
@user-nv9qk4jh7n 6 жыл бұрын
ラフマニノフのヴォカリーズを一緒に流したいところですなあ… NHKFM夜の停車駅
@CYuuzuru
@CYuuzuru 6 жыл бұрын
長田清司 さん、夜の停車駅のホストは江守徹さんだったでしょうか。ジェットストリームの城達也さんとともに懐かしく思い出します。
@4wdvista140
@4wdvista140 3 жыл бұрын
1972年3月に始めて渡道するため、東北本線は1Mはつかり583系昼席運転に乗り、青函1便に乗り継いだ。この筋なら函館の朝イチの特急、急行に連絡するからだ。 鉄道好きだが八甲田はのろく、青森から函館に着く時間は遅すぎる。 八甲田は、上りで途中下車仙台などの目的利用しかしなかった。1Mも485系なら良かったのだが仕方ない。 20回位北海道へ行くなかで、急行十和田、津軽も寄り道などのため利用したことはあるが、下り八甲田は気乗りしなかった。急行としては頑張って走る列車だったことには違いないんだが。 今から思うと少し遊びが足りず、もったいなかった。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 3 жыл бұрын
一時期583系の寝台をセットせずに運転されていた「ゆうづる」が1往復だけあり、渡道する際に青森まで乗車しました。 冷房付きとはいえ、リクライニングなしのボックス席では熟睡出来ず辛かった記憶があります。
@2430kei
@2430kei 4 жыл бұрын
昔はこれだけ賑わっていた。ヒコーキに主役の座を奪われるまでは
@luckymimi7
@luckymimi7 3 жыл бұрын
後、高速網 子供の頃正月に帰省した時超満員で子供だけ窓から降りたよ
@melodystrollvery4535
@melodystrollvery4535 3 жыл бұрын
あまり暑くない東南アジアの現風景みたい。w
@user-vm9ox8dh7u
@user-vm9ox8dh7u 4 жыл бұрын
グリーン車乗りたかった
@user-ze1ft3wy9x
@user-ze1ft3wy9x 3 жыл бұрын
初めまして、私は急行きたぐに号のグリーン車に乗車した経験があります。
@user-cg6eb3gp7d
@user-cg6eb3gp7d Жыл бұрын
重厚で大人の雰囲気な旧型客車のグリーン車は乗ってみたかったですな。(*´・∀・)
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まろねふ
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dtmagicttr
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WHO CAN RUN FASTER?
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Zhong
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