【#66】幕末・明治と深い関係!?東京の「招魂社」こと靖国神社の歴史を紐解く

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東京歴史散歩

東京歴史散歩

Күн бұрын

Пікірлер: 72
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます🥰 靖国神社という、身近にありながら、実は歴史の知られていない、また扱い方の難しい場所を取り上げてみました! いかがでしたか? 高評価👍と、まだの方はチャンネル登録をよろしくお願いします❣️ 感想・ご質問はコメント欄にご記入くださいませ✨ ※なお、歴史をテーマにしておりますため、靖国神社に対する賛否についてのコメントはご遠慮いただけたらと思います。
@鈴木浩之-z9e
@鈴木浩之-z9e 7 ай бұрын
靖国神社には何回か行きましたが日本庭園があるとは思いませんでした。 千鳥ヶ淵と共に桜が満開の時に行きたかったのですが来年以降になりますね。 靖国通りを渡って反対側に日本武道館や北の丸公園内がありますがそこも綺麗ですね。
@阿部吉辰
@阿部吉辰 Жыл бұрын
ありがとうございます。近現代史大好きですので散策、勉強会の参考になります。古い動画も視聴しまーす✨
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
めっちゃ嬉しいです!ありがとうございます❤️
@浮き雲-k8g
@浮き雲-k8g Жыл бұрын
激動期の品々が、今は静かに展示され、感慨無量ですね☝
@adoado5788
@adoado5788 6 ай бұрын
難しいテーマを纏めて頂き有難うございました❤かつて戦争に熱狂した日本や世界の国々があった事は覚えとかないとです😅英霊の皆さんに恒久平和を誓いたいと思いました🙏
@kyoyama3308
@kyoyama3308 6 ай бұрын
結構デリケートな題材ですけど、視聴側に配慮の行き届いた編集でした。ありがとうございました。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk 6 ай бұрын
ありがとうございます。色々な立場の方がご覧になるだろうな…と思いつつ、けっこう気を揉んだ部分なので、お褒めに預かり嬉しいです🙏
@kunihikokun
@kunihikokun Жыл бұрын
丁寧な解説、ありがとうございます。
@釣りオヤジ
@釣りオヤジ Жыл бұрын
いつも素晴らしい動画を有り難うございます❗大変勉強になりました。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
こちらこそ、ご視聴・コメントありがとうございます🙇‍♀️
@時雨北村
@時雨北村 Жыл бұрын
感動しました。 考察、感想、カメラワークやナレーションやら、 とても共感しました。かなり良質な動画かと。 考えさせてくれます。👍🏻📝
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
嬉しいコメントをありがとうございます❤️これからもよろしくお願いします🙏
@imokoasukano6316
@imokoasukano6316 Жыл бұрын
靖国神社。美しい庭園の風景とは うらはらに、なんとも難しい問題を抱えた施設であることが、さりげなく伝わってくる動画の作り方は さすがですね。 国をおもって戦ったことに かわりはないはずなのに英霊と賊軍の線引きがされている、全ての戦没者を弔う施設とも違う、そして、政教分離の原則から問題視されるけれど、今や歴史的な遺産となって撤去不可能な位置づけになっているともいえる「青銅製の鳥居」の存在、などなど、やはり難しい施設だと思いました。 鳥居があり、神職がいる施設を宗教施設と見なさない、というのは、無理があるもんなあ・・・などと感じました。 無宗教で、かつ英霊と賊軍の線引きを超えた、一般国民の戦死者も含めた、全ての戦没者のための慰霊の施設にしないかぎり、靖国神社を受け入れない人が納得することは無さそうに思いますし、また仮に靖国神社に対して政教分離の原則を崩そうとすれば、おそらく憲法改正以上に拒否反応を示す人が多いだろうと思います。それに神社であることに意義があると感じている人もおおぜい居そうですしね。 そんなことを考えながら、美しい庭園を眺めて思いにふけるのも、歴史ロマンでしょうか。ほんとに、自然はこんなに美しいのにね。 そしてあらためて思うのは「戦争なんて人間のやることでは無い」という思いですね。大村益次郎が彰義隊を殲滅させた、上野戦争直後の上野の山の写真を見たことがありますが、ゾッとしました。これは人間のやることではないな、と。戦争って美化してはいけないものだなあと、つくづく思います。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
めちゃくちゃ共感してしまうコメントをありがとうございます✨ 政治と宗教、祀られている人といない人、何かと線引きが難しく、議論を巻き起こす一方で、だからこそ特別な存在となっている靖国神社ですよね⛩ そして歴史は勝者によって語られ、紡がれているのを実感する場所でもありました… いずれにしても戦争や死を美化してはいけないですし、本当にいつか線引きなく、皆が平和に庭園でも眺めながら、祖国の歴史に思いを馳せられる日がくることを願います…🙏
@bincohkmzw
@bincohkmzw Жыл бұрын
アルマさん「靖国」のご案内解説ありがとうございます。 コロナ直前の年末に靖国神社と神田明神に行きました。しかし、靖国神社をアルマさんのように具体的に参拝見学することは出来ませんでした。というか知らなかったのが正直なところです。近いうちに上京します。次回は、アルマさんのコースに従って参拝し勉強したいと思います。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
ぜひぜひ、東京滞在&歴史散歩を楽しまれてください✨ 靖国神社は本当に、歴史を知っているかどうかで見え方の全然違ってくる場所だと思います⛩ 神田明神と平将門ゆかりの地もぜひ!!
@哲也西田-y3m
@哲也西田-y3m Жыл бұрын
こちらこそ 有難い動画を配信して下さり 誠に有難う御座いました。 私の実家が九段南ですから 靖国神社は母の背に負われていた頃からの安らぎの地でもあるのです。 而も先の大戦では祖父の兄が人間魚雷回天の搭乗員として戦死しています事から、靖国参拝にしても、何も特別な事では御座いません。御遺骨さえも遺す事、是れ能わざる状況下に在って 後世に生きる人々に、何を伝えたかったのだろうか・・・等との想いに至った時に仏門を目指す事と相成りました。 然し乍ら、国家公務員の身分であるが為に身勝手な理由で辞職する事も出来ず、そこで真言宗の阿闍梨様に相談を申し上げ、その結果、奈良県に本山を置く金峯山修験本宗の末寺にて修行を積む機会を与えて頂き、現在こうしてアルマ様のチャンネルにも巡り会う事が出来ました。 これもウバソク(在家)故に叶った御神仏からの恵みと受け止め、日々精進させて頂きます。 尚、アルマ様は大日如来を思い起こす御方なので、大日如来の御真言にて応援に代えさせて頂きます。 オンアビラウンケン バザラダトバン 長宗我部元親の血を引く江戸っ子より 合掌
@グランドハンドリング
@グランドハンドリング Жыл бұрын
大村さんの銅像のあたりは、明治期は競馬場だったんですよね。 また、九段通りをはさんで皇居お濠沿いに山縣有朋のお屋敷が立っていたそうな。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
ですです、競馬場!だからこその、あの広さも納得ですよね。山縣有朋のお屋敷は千鳥ヶ淵のあたりに、そして九段会館の近くには大隈重信邸もあったみたいですよ👍
@高矩-s9k
@高矩-s9k Жыл бұрын
明治26年、門人らの篤志(とくし)で完成したこの銅像は、日本最初の西洋式銅像で、たちまち都内の新名所となりました。高さ12メートル。彫刻家 大熊氏廣(おおくまうじひろ)制作です。筒袖羽織(つつそでばおり)に短袴(たんこ)を着け、左手に双眼鏡を持った大村益次郎銅像は、江戸城富士見櫓(ふじみやぐら)から北東方面の上野に籠もる彰義隊(しょうぎたい)を凝視している姿をモデルにしたとも言われています。また、大山益次郎は出張先で太ももを切られて手術を経ても治ら無かったのです。つまり、暗殺されたのです。詳細は後程に語ります。 銅像台座の文章は三條實美(さんじょうさねとみ)による大村益次郎顕彰文です。 弓矢をデザインした鉄柵と大砲8門(もん)が配置されていましたが、昭和18年に撤去され、陸軍省に献納されました。 現在も、基壇(きだん)には鉄柵の跡が残っています。 「日本陸軍の父」といわれ、司馬遼太郎作「花神(かしん)」の主人公ともなった大村益次郎(村田蔵六)は、長州藩の出身で蘭学にすぐれ、維新政府に参画して、近代的軍隊の基礎を作りました。 また靖國神社の前身である招魂社を九段坂上に建立することを決定しました。ところが、大村に反感を持つ士族らに京都で襲われて重傷を負い、招魂社創建直後の明治2年、大阪で歿しました。亨年47歳でした。 1856年のこと、伊予宇和島藩主・伊達宗城の参勤に同行した益次郎は、そのまま江戸にて「鳩居堂」という私塾を開くことになります。同時に幕府からもその知識を買われ、幕府の教育機関である蕃書調所ばんしょしらべしょ・講武所にて兵学を教えることに。 益次郎の博学ぶりは当時の同僚のなかでも一線を画しており、「渡来したての難文も先生にかかれば、容易く読み解かれてしまう」と評判だったのだとか。 幕府の教育機関は今でいう東大のようなものですから、益次郎の外国語の習熟度は国内最高レベルに達していたといえます。 その後長州藩上屋敷にて講義を行ったことをきっかけに藩士の木戸孝允きどたかよしとの縁ができ、1860年から益次郎は長州藩士として仕える道を選びます。 このときなぜ、幕府のエリートコースを捨て、長州藩を選んだのかは謎ともいわれていますが…のちの倒幕を思えば、益次郎には先見の明があったといえますね。 1868年に勃発した戊辰戦争では、鳥羽伏見の戦いを受けて出陣した藩主・毛利元徳もうりもとのりに伴い、益次郎も京都へ入ります。 ここでの益次郎の活躍はこれまで以上に目まぐるしく、彼が明治維新の立役者といわれるゆえんとなりました。 ・新政府軍の江戸城攻撃を考案 ・御所の警備に新しく遣わされた兵の訓練を担当(これがのちの陸軍となる) ・上野戦争を指揮し、旧幕府軍を1日で鎮圧 ・関東北部の戦いにおいて新政府軍の総司令官を務める などなど、多数の功績が知られています。なかでも軍師・益次郎の名を世に知らしめることになったのは、江戸にはびこっていた旧幕府軍の残党を1日で鎮圧してみせた上野戦争です。負けている風を装って旧幕府軍の油断を誘い、自陣に引き上げていくところを、当時最新の大砲だったアームストロング砲で狙い撃ち。なんと一瞬のうちに勝負をつけてしまったのです。行き違い等々の切はご容赦下さいませ。本所亀沢町7代末孫
@Matsumoto-n5q
@Matsumoto-n5q Жыл бұрын
アルマさん、いつもありがとうございます。いや〜、しかし今回はとても勉強になりました。幕末から明治、現代につながる多くの事が凝縮された内容でした。 知ってるつもり、が如何に自分には多かったかと知る事になり、感慨深く拝見しました。平和な時代だからこそ歴史から多くを学ぶ事が大切だと思いました。 凝縮されている場所
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
私も、この動画の撮影・編集を通じて、靖国神社を改めて知りました!招魂社として建てられたこと、戦犯とされた人々の合祀されていること等は認識していましたが、なかなか複雑な経緯があり、一概に是非を問えない問題も多いのだなと… 本当に、歴史から学ぶことは多いですね〜〜 今回もご視聴・コメントありがとうございます🙏
@良倉石小
@良倉石小 Жыл бұрын
お若い方がこの様な動画を配信された事に、非常に感動しました。 靖国神社にお参りすると心が清らかになります。英霊の皆様どうぞ安らかに。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
そこまでお若くもないのですが、ありがとうございます(笑) 何かと問題視されがちな靖国神社ですが、現代の日本を考える上で、非常に重要な場所だと思っております。
@TAKOMARU-JAPAN
@TAKOMARU-JAPAN Жыл бұрын
アルマさん 靖国神社の歴史散歩ありがとうございました😊 戊辰戦争以降の戦没者を御祭神とする神社ですよね😢 海軍カレーがあるとは知りませんでした😊 飲み物はやはりジンジャーエールでしょうか🙊(忘れて下さい) 昔から桜の名所なので 同期の桜 とかの由来になったのか軍服のボタンだったか階級章のマークが先だったのかが気になってので調べてみます😂
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
ジンジャーエールと海軍にどんな関係が!?と思って、慌ててネット検索してしまいました(笑) 靖国神社と解く…ということですね😂 桜と侍魂、ひいては日本軍人との関係は、なかなか切っても切れないものがありますねぇ👍 何か面白い発見がありましたら、ぜひ教えてくださいー!
@黒田和弥
@黒田和弥 Жыл бұрын
幕末明治、アルマさんの好きな分野が凝縮された場所でしたね。 命を賭けて戦った御霊をお祀りするのは、自分は正しいと感じています。 今回も👍でした。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
ありがとうございます!どうにも第二次世界大戦のイメージが強い靖国神社ですが、実は幕末明治の聖地なんですよね…⛩
@ゼロ戦太郎
@ゼロ戦太郎 11 күн бұрын
初めまして、靖国神社、時折参拝しています 詳しく解説して頂きありがとうございます
@Okayu3
@Okayu3 6 ай бұрын
チャンネル登録します✨ 応援してます📣🌸
@石井和則-o3l
@石井和則-o3l 11 ай бұрын
大村益二郎の役職(上野戦争当時) 有栖川宮東征大総督府補佐 軍務官判事、江戸府判事兼任
@ks4735
@ks4735 Жыл бұрын
そうですよ、先人の数々の日本のため功績で今の日本があると思います。御参りすべきですしかしこんにちの日本の政治危険が近づいています、先人の意見が聞きたいものです。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
ご意見うかがいたい先人が、たくさんいますね…歴史から学ぶことは本当に多いです🙏
@kk-hv6ff
@kk-hv6ff Жыл бұрын
靖国神社に特攻の母と言われてるトメさんが出撃前に振舞った玉子丼を食べられます♪ 確か第二の鳥居あたりで!ちょっと思い出しました(笑)
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
玉子丼、存じ上げませんでした!ネットで調べてみたところ、知覧で定食屋さんを営まれていた方のお孫さんが味を監修していらっしゃるようですね。次回靖国を訪れることがあったら、その時は試してみたいと思います👍
@松永理浩
@松永理浩 7 ай бұрын
k様へ 鳥浜トメ様と言われる方だと思いますが鳥浜トメ様にこそ国民栄誉賞を授与するべきです!何で芸能人やスポーツ選手なぞに国民栄誉賞を授与しなければならないのか?!私自身!少なからず疑問があります!
@ARTMAX-h3h
@ARTMAX-h3h Жыл бұрын
私は毎年八月十五日の終戦の日に靖国神社に参拝しています。もちろん大村益次郎の銅像のことは存じ上げています。近くに千鳥ヶ淵墓園もありますので千鳥ヶ淵墓園にも手を合わせに参ります。千鳥ヶ淵墓園の案内板を目にすると大東亜戦争の規模の大きさと犠牲になった民間人の数の多さと今だに回収できていない遺骨が多くある事に言葉を失います。今の平和が永遠に続く事を願ってやみません。次回、靖国神社に御参拝の時は、ぜひ千鳥ヶ淵墓園にも足を運んでいただけたら嬉しいです。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
千鳥ヶ淵墓園は何度も前を通っているのですが、なかなかタイミングが合わず、未だに入ったことがありません…😢一度きちんと、手を合わせに行かなきゃですね。 靖国神社でも本当に、平和の大切さを実感しました…
@コタロウ犬の主人
@コタロウ犬の主人 Жыл бұрын
この4月初旬まで靖国神社徒歩圏に住んでいたので懐かしい気持ちです。国を想い命を賭した先人に哀悼の誠を捧げたいですね。 しかしランチシーン、やっと登場しましたね!箸休めで何かホッコリします😊
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
お引っ越しされたんですね!以前にお肉屋さんをご紹介いただいた際に、九段のあたりにお住まいなのかな〜〜と勝手に思っておりましたが、当たってました😉 ランチシーン、ようやく登場です。せっかくの歴史散歩に水をささないメニューに、ついに出会えたので(笑)
@rememberspecial1087
@rememberspecial1087 Жыл бұрын
こんにちは!面白い動画発見!登録しました。これからも面白い動画お願いします!
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
ありがとうございます!光栄です❤️
@兎歩-f2x
@兎歩-f2x Жыл бұрын
遊就館 しゃちほこ に挟まれた入口の彫り物? や壁に掛けられた鬼瓦みたいなレリーフ。百合のマークが隠れミッキーの如く あちこち入ってるのが気になります。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
隠れミッキー(笑)素敵な表現ですね✨ 伊東忠太が手掛けた築地本願寺の撮影に行ったときにも思いましたが、不思議な紋様や生き物がたくさん散りばめられていて、独特の世界観を醸し出していますよね〜〜
@わらなっとう-r5l
@わらなっとう-r5l Жыл бұрын
靖国神社は昨年も参拝しましたが、改めて見るとまだ見ていないものがたくさんあることに気づかされました。近現代の歴史の縮図または「鑑(かがみ)」とも言うべき神社で、知れば知るほど「厳粛な気持ち」になります。 一点、靖国神社はなぜ東向きなのだろうか、という疑問があります。ググったところでは、「春季例大祭」(つまり今頃)の太陽が昇る方向を向いている、その方向に鹿島神宮、香取神宮、息栖神社もある、と書いているものがあり、なるほど、と思いました(それぞれの神社の向きはまた別)。また東向きの神社は一般に太陽神と関係があるとも言われているとか。付け加えるなら、やはり靖国神社は天皇もご親拝される(ていた)ところであり、神社が南向きだと天皇が北をお向きにならなければならないがそれはどうか、ということではないかとも考えました。明治神宮などは南向きですが、そこはまた別格なのだと思われます。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
靖国神社は本当に、歴史を知らずには堪能できない神社だと思っています。 向きの考え方は非常に興味深いですね!日本に限らず、ピラミッドや各国の宗教建造物なども、その向きによって何を目的として建てられたものなのか、どのような信仰・意味が込められているのか、様々な考察がされていますし… 鹿島神宮や香取神宮との関係も気になります!!
@zandzsuquadron4365
@zandzsuquadron4365 Жыл бұрын
村田蔵六と松本清熊
@asa01053
@asa01053 Жыл бұрын
今年は桜の季節に二回参拝しました。拍手はしないで手を合わせるだけにしました。どちらかというと慰霊の神社ですね。願い事とかはしないように。ありがとうございましたと感謝の気持ちを。
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
安らかにお休みください、という気持ちが強くなる場所ですね🙏そして、平和のありがたみを痛感します…
@高矩-s9k
@高矩-s9k Жыл бұрын
大村益次郎(村田蔵六)は、文政8(1825)年に長州藩の村医者の子として生まれ、若き日に緒方洪庵の適塾で学びました。同門には、福沢諭吉、佐野常民、橋本佐内、大鳥圭介といった近代日本の歴史に名を残す人物が大勢います。 逸材ぞろいの適塾で塾頭まで務めた益次郎は、洪庵の推薦で宇和島藩に出仕します。そこで蘭学を教えるとともに、軍艦の製造にも着手。さらに幕府の講武所で教べんをとるようになり、西洋兵学の第一人者と言われる存在になっていったのです。此の人材を長州藩が手をこまねいて見ているわけにはいきません。益次郎に対し、万延元(1860)年に藩への出仕を命じました。今風に言うならば、ヘッドハンティングをしたのです。藩命が下ったとはいえ、益次郎には幕府の役人として生きる道もあったと思います。しかし、益次郎は長州藩士として故郷に戻る選択をしました。長州藩のためにお役に立ちたいという意志が強かったに違いありません。やがて長州藩は、幕府から征伐のターゲットにされ、存亡の危機を迎えることになります。益次郎は、今までの兵学の知識をもとに藩の軍政改革に尽力し、最新鋭の兵器をそろえた西洋式軍備を整え、軍事訓練を進めてきました。その成果を発揮したのが、慶応2(1866)年の第2次長州征伐です。長州藩は「四境戦争」と呼び、幕府が攻め口とするエリアに軍隊を配備しました。その一つ、山陰の石州口に益次郎は出陣します。生まれて初めての実戦でしたが、益次郎は百姓の姿をし、部下にはしごを持たせて領内に潜入。俯瞰(ふかん)の位置から敵の動きを見定め、作戦を立てたと言われています。浜田藩領内に進軍した長州軍は、人数では劣勢だったものの、西洋式の軍隊はよく鍛えられており、激しい戦闘の末、浜田城を落とします。この戦いでの勝利によって、益次郎は指揮官としての能力の高さを見せつけました。彰義隊との戦いをたった1日で制し大村益次郎の名が全国に知れ渡るようになった戦いが、戊辰戦争のなかでも激戦の一つと言われた「上野戦争」です。明治元(1868)年、江戸城無血開城に異を唱える旧幕臣たちが彰義隊を名乗り、寛永寺のある上野の山に立てこもった戦いです。東征軍の一員だった益次郎は、頑強に抵抗する彰義隊に手を焼く新政府から、上野戦争の指揮を取るよう命じられます。新政府軍と彰義隊とは、圧倒的な戦力差があったといいますが、彰義隊の士気は高く、籠城さながらの戦いは困難を極めると予想されました。益次郎の戦略は「短期決戦」で、そのためには最大の武器であるアームストロング砲をいかに効率的に使うかがカギを握っていました。予想通りの苦戦が強いられる中、頃合いを見計らっていた益次郎が、最終決着を目指して砲撃の命を下します。アームストロング砲によって彰義隊は壊滅状態となり、上野の山はわずか1日で陥落しました。益次郎の「短期決戦」への不断の決意と戦場での的確で冷静な判断が、江戸のまちを戦火から救ったのです。大村益次郎は村医者だったころ、あまり愛想がよくない人だったと言われていました。おそらく、学者肌によくある合理主義者だったのでしょう。だからこそ、戦い方を徹底的に分析し、最大の効果を上げる戦略を立てることができたのだと思います。一方で、好きな豆腐を肴に酒をたしなむような人物でもありました。益次郎は、豆腐を食べることが何よりも楽しみだったと伝わっていますが、ひょっとすると豆腐の味にも蘊蓄(うんちく)を傾け、徹底してこだわっていたのかもしれませんね。安保法制で日本は平和国家の本質を自ら破って変質した国に生まれ変わりました。しかし、その中で「誰が祭祀される」靖国が再び登場していることを忘れてはなりません。益次郎はその後、46歳で暗殺(太ももを切られて手術が遅れて感染症が悪化)されました。現在、靖国神社に建てられている銅像は上野方面を見て、明治26年(1893)に制作された日本で最も古い西洋式の銅像です。本所亀沢町7代末孫         松平
@西方秀則
@西方秀則 4 ай бұрын
日本軍人の戦死者(英霊)はこの神社⛩に祭られておられるので御座居ます。
@森本珪子
@森本珪子 Жыл бұрын
😊😊😊😊😊😊😂❤❤❤❤❤❤
@仁井ノ上
@仁井ノ上 Ай бұрын
大村益次郎で近代兵制の創始者という事だけしか知りません。
@徳川家彦
@徳川家彦 Жыл бұрын
大村益次郎像懐かしいだで!
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
懐かしさをお届けできて良かったです!!
@gtitomo1981
@gtitomo1981 Жыл бұрын
私はコヤツが大嫌いです!!
@MrSaikyou
@MrSaikyou 7 ай бұрын
靖国は日本人として大切にしたい場所ですね。
@福山さとし
@福山さとし Жыл бұрын
今回もご苦労さまでした。やっと靖国神社に行ってくれましたか。アルマさんみたいに行けないけど俺も色々と調べてますよ。 今は政治家が靖国参拝する?しないでニュースに出て太平洋戦争で亡くなった人ら祀る神社ってイメージですもんね… タイトルに書いてる。このお人は誰でしょう?銅像が出た大村益次郎でしょ。大村益次郎とか他の人らもでしょうが幕末とかの戦争で亡くなった新政府側の人ら祀るに招魂社を作ったらしいですね。だから大村益次郎の銅像あるとか西郷隆盛とか明治政府に反乱した人らは、だから祀られなかったとか…大村益次郎も暗殺されなければ戊辰戦争もっと早い終わってたかも?
@tokyo_historical_walk
@tokyo_historical_walk Жыл бұрын
ようやく行ってきましたよ!笑 靖国神社、やはり第二次世界大戦の戦死者を祀っているイメージが強いですよね。(マスコミが政治家の参拝と、戦犯とされた人々の合祀を取り上げて騒ぐからかもしれませんが…) 大村益次郎をはじめとする靖国創建に携わった人々や、明治維新に命をかけた人々を祀る招魂社としての起源が、もっと広く世に知られたら良いのですが… などと考えつつ、諸外国を含むセンシティブな議論の的である靖国に関する動画をどうまとめるか、揉んでいたらすっかり遅くなってしまった次第でした🤣 今回もご視聴・コメントありがとうございます🙏
@黒川千鶴-u1v
@黒川千鶴-u1v 2 ай бұрын
靖国は行かないよ。
Чистка воды совком от денег
00:32
FD Vasya
Рет қаралды 1,9 МЛН
1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9 🙈⚽️
00:46
Celine Dept
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Long Nails 💅🏻 #shorts
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Mr DegrEE
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