ポールが主導権を取ろうとエゴイスティックになったことは解散の要因だろうけど、でもGet Back Sessionの必死にビートルズを繋ごうとするポールを見ると泣けてくるのは私だけでしょうか……やっぱりポールにとってジョンは対等ではあるけども憧れの存在だったと思うし、ビートルズを最後まで愛したのはポールだった。 だからこそ、脱退宣言によって誰でもないポール自身の手でビートルズを終わらせようとしたのではないでしょうか?
面白い解説ありがとうございます。ホワイトアルバムのころジョンとポールの仲が最悪でレコーディング中にリンゴが出て行ったり、ジョージの話ではビートルズだけでレコーディングしているととっても暗かった。それで他のミュージシャンを参加させると突然二人が余所行きの態度になるので、クラプトンに演奏をしてもらったとどこかで話していましたね。ジョンのスランプにも成程!と思いますが、やはりヨーコがレコーディングにでしゃばるのも嫌だった、みたいな話聞いたことあります。最後アビーロード前に撮影したlet it beではかなり険悪な雰囲気が看られましたし、ポールが他のメンバーにあれこれ指示をするのも面白くなかったと。ただ後にだれか忘れましたがメンバーが映画ほど雰囲気は悪く無かったとも話していましたよね。まぁ、原因は色々合わさって、ですよね。先ほどのリンゴ同様ジョージも途中で放棄したりしましたが、決定的なのはポールが対外的に脱会!としゃべってしまったことで完璧に解散となったみたいです。
なんで解散になったのかはリアルタイムのときは解らなかったけどいろんな視点からの文献や資料を読んでみたらジョンの気持ちポールの気持ちがわかったよ。解散後のジョンのイマジンに収録されてるHow do you sleepって言う曲がジョンがポールに対する気持ちをぶちまけてるけどどうしてそんなにポールの悪口を言ってるのかも理解できるんだな。単にどっちがリーダーとしての力関係が逆転したとか書く曲の数が多い少ないなんて単純な原因ではないことだけははっきり言えます。ジョンとポールはお互いを尊敬しあってます。Let it beのアルバム作成の時もジョンの曲が少ないのを気にしてでポールは自分の曲Get backのリードギターをジョンに弾いてもらって目立つようにさせてます。しかしその当時ジョンはもうビートルズでやっていくことに全く興味がなくてヨーコさんと二人で世界を平和にするために行動を起こそうとしていたのです。ジョンの気持ちを見抜いてしまったポールはもうジョンをビートルズに無理やり繋いでやって行くのは無理だと察して一人でこそっと他のメンバーに極秘で自分だけで作ったアルバムを作っていたのです。これが1970年4月17日に発売されたポールのソロデビューアルバムMcCartneyです。ジョンは969年9月にビートルズ脱退の意志をポールに伝えていたがそれだけはしないでくれと哀願するポールの気持ちを尊重して脱退をしないで約束を守っていたのにいきなり1970年4月9日にポールはジョンに電話でバンドを辞めると伝えその直後に自分のアルバムを発売したことにジョンは狂わんばかりに激怒したって事です。要するにポールは解散後の初アルバムだったらまず売り上げはすごいだろうと目論んで引き留めても無理だと確信したポールは先に脱退したいけどしないでいた気持ちを裏切って解散を利用して商売したというポールの人間性に激怒した内容がイマジンでのHow do you sleepなのです。この事実はビートルズを愛する僕としてはあまり触れたくないのですがジョンはなんと言ってもヨーコさんと二人になりたかったのです。そして本当に人間としての幸せを感ずる素晴らしい時期を軽井沢で親子3人で過ごし子育てに専念したってわけです。ヨーコさんとの子供ショーンが学校でビートルズを知りジョンにパパはビートルズだったの?って聞かれたときにショーンの為にそれを立証しようということでヨーコさんとアルバムを作ったのがスターティングオーヴァーです。このアルバムを聴くとジョンが如何にヨーコさんを愛していたかがわかります。そしてジョンは人生の中で本当の幸せを感じたのです。ヨーコさんは当時、世界中(僕もでした)のビートルズフリークスから解散させた人物として恨まれましたがジョンに真の幸せな時間を与えてくれた唯一の女性ですし日本人として誇りに思います。でもジョンが亡くなったときは2日間泣き明かしました。でもビートルズは永遠だと思います、スティッカムで知り合ってビートルズ演奏やってた20代の子がぼくよりビートルズの知識が上だったのにはやはりビートルズは凄いし永遠だなって思わされましたw