【人類最大の謎】未解決問題「意識」を30年探求する脳科学者・茂木健一郎が現在地を講義

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3 ай бұрын

脳科学者/イマジン大学学長・茂木健一郎 講義:「脳と意識」
〈茂木健一郎 著〉
脳とクオリア なぜ脳に心が生まれるのか(講談社学術文庫)
bookclub.kodansha.co.jp/produ...
ペンローズの〈量子脳〉理論  ─心と意識の科学的基礎をもとめて
ロジャー・ペンローズ 著 , 竹内 薫 翻訳 , 茂木 健一郎 翻訳(筑摩書房)
www.chikumashobo.co.jp/produc...
クオリアと人工意識(講談社現代新書)
bookclub.kodansha.co.jp/produ...
ikigai
www.amazon.co.jp/Little-Book-...
#量子力学 #脳 #クオリア
Ep 00001(茂木健一郎)
池田エライザ

Пікірлер: 431
@yusukemizumura
@yusukemizumura Ай бұрын
茂木さんはXで「世間がなんと言おうと、人間には魂というものがある。」とおっしゃっているので 意識の正体が魂であることは本心ではわかっているのだと思います。
@user-fy4lw1kp6h
@user-fy4lw1kp6h 5 күн бұрын
成功それ自体に幸せを感じるのではなく、成功を追い求める日々にこそ幸せがあるということか
@user-xw1np5cw5w
@user-xw1np5cw5w 3 ай бұрын
以前から、脳や意識について興味がありました。 その意識が、茂木先生の動画が視覚に飛び込んだ途端、観たい、という欲求がわき、行動につながっていました。 私は、私の五感を通して感じる感覚がとてつもなく素晴らしいことだと思っています。その感覚に感謝する意識があります。自分が喜ぶ感覚を与えてあげる意識を認識しています。
@saisouensichousei061
@saisouensichousei061 3 ай бұрын
興味深くお聞かせいただきました。ありがとうございます。唯識について茂木さんの見解を聞いてみたいと思いました。
@mnak4290
@mnak4290 3 ай бұрын
ベストセラーおめでとう御座います 10年ほど前の茂木先生の動画が落ち込んだ自分を勇気付けてくれます 👋♥
@user-vv8dc4ub8v
@user-vv8dc4ub8v 23 күн бұрын
日本人が、海外のベストセラー作家なのは夢の様な事を叶えられましたね。嬉しいです😊
@clarafons4423
@clarafons4423 3 ай бұрын
難しかったけど、すごく刺激になりました。アカデミックなことはちんぷんかんぷんでしたが、プルーストのお話から、“今、この瞬間、幸せを感じているか、そしてそのことに気づけているか否か” が大切なんだなぁ、と、一人で納得しました。
@user-kz5cr5sx3y
@user-kz5cr5sx3y 3 ай бұрын
興味に必要な学問が全て苦手で無知ですが、何かわからない意識の話を聞くと、すごく心地良くなります。それほど低次元の私でも、わからないことさえ楽しくなるのは何か意味があるかもしれないと思いました。
@urusawa21
@urusawa21 3 ай бұрын
子供の頃からずっと記憶について不思議に思ってました。どうしても脳の中に膨大な量の記憶が保存されているとは思えず、記憶は脳の外のどこかに保存されていて、脳は記憶の外部保存ストレージにアクセスするためのデバイスのように感じていました。自己とは記憶であるといる感覚をずっと持っています。生きている間に意識の謎が解明されたらいいなぁ。
@user-mx6rs9zn5q
@user-mx6rs9zn5q Күн бұрын
そう思います 高次に生きてる自分意識 は高次世界の記憶サーブにバックアップされるのだろう 記憶のバックアップすなわち守護神だと。  98歳 しばしば昏睡する 要介護の母にそう言ったら、全くそうだ 実感してると 同感された  驚きです
@yukikoazuma2323
@yukikoazuma2323 3 ай бұрын
身体の有無に意識の存在が左右されるのか?と疑問が湧きました。 大変興味深く視聴致しました。 有難うございます。
@user-hr1ci3vi9q
@user-hr1ci3vi9q 3 ай бұрын
Ikigai読んでみたくなりました!
@kuma56kumax
@kuma56kumax 3 ай бұрын
最近ではペンローズの量子論的意識論に惹かれたりしましたが、意識の理解には物理的アプローチの他に、数学的な意識モデルも重要かもなどと素人ながら思考しております。
@acco8781
@acco8781 3 ай бұрын
脳がポジティブになっているときとネガティブになっているときに頭の中で流れる音楽が違うことに気づきました。さらに疲れているときに流れる音楽も。 私はコーヒーを飲むとたいてい鬱傾向になるので、メランコリックな曲が流れます。
@rojer618
@rojer618 3 ай бұрын
プルースト「幸せは当たり前の経験の中に在る」 持つこと=達成して得ること ではなく 在ることに幸せはある。エーリッヒ・フロムの「TO HAVE OR TO BE」(邦題「生きるということ」)のテーマでもあります。茂木さんありがとうございます。意識問題こそ正に最大のハードプロブレムです。茂木さんは僧侶の南直哉さんとの共著も出されてますね。医師の矢作直樹さんとの対談も期待します。
@finnnikoru1846
@finnnikoru1846 Ай бұрын
結局何も分かっていない。
@user-tn9qp9qv3p
@user-tn9qp9qv3p 3 ай бұрын
こちらの動画を見ているときでも 茂木さんの話を聞いている時は 意識が向いている訳だが その途中で「今、私の中にある意識が動画に向かっている。」と思った時は「そう思う所に意識が向かっている。」
@LEE_N
@LEE_N 2 ай бұрын
ベルグソンの研究をしているものですが、純粋記憶の話は、記憶の話というよりも存在論で、世界の存在の仕方が持続と(潜在的な)記憶をともなっているという話で、理解することが難しいのはそのためです。茂木さんが純粋記憶についてお話くださりうれしいです。
@t0809127
@t0809127 2 ай бұрын
茂木先生は、東大出身の方ですが、コメンテーターというイメージが多く、私にはあまり価値を感じられないイメージがありましたが、初めて聞いた「意識」の御専門のお話しは素晴らしいですね。解明できないけどロマンを感じます。解明できないけど面白い。でも自分には、皆にも「ある」ということ。初めて茂木先生に向かってみたいと思いました。偶然、これに出会えてよかったです!! 今はこういう講義が無料で聞けるって、有難い時代だな、と思います。
@TheHiguchi01
@TheHiguchi01 3 ай бұрын
私は茂木先生と同じ年で今年62歳になります。高校時代にはSF小説とブルーバックスシリーズが愛読書の凡庸な学生でした。当時はカール・セーガンの「コスモス」などが話題になっていて、間もなく宇宙の真理が解明されるかもしれないという期待もあり、私自身も物理学科に進学して真理を探求しようと考えていました。 しかし、高校生の幼稚な思考でどうすれば真理に到達できるのかについて毎日考えているうちに、「あれ?」と思う瞬間が訪れました。「科学の方法ではそこには到達できない」…という直感に襲われたのです。それがどういう理屈なのかを言葉で説明することは難しく、もどかしいのですが、それ以来『エウレカ!』なんて夢物語でしか無いのだと思うようになった私は、物理学科への進学はやめて、まったく無関係なエンターテインメントの道に進みました。エンターテインメントは現実的で、人間にとって絶対的な価値があるものだと思えたからです。 今60歳を過ぎ、再び真理への興味が湧いてきています。今でも科学では真理に到達できないという思いは揺らいでいませんが、突然、想像もできない何らかのジャンプ(それは「死」なのかもしれないと思いつつ)が起こって意識が変容し、『エウレカ!』がやってくるかもしれないと期待して、イマジン大学を拝見させていただこうと思います。
@hiroyukishibata1971
@hiroyukishibata1971 2 ай бұрын
ALSのヒロ  私は、ALSに罹り、終末期を迎え、自分の人生と存在を考えているが、茂木さんの意識への洞察には感心している。生きがいは、70歳の私の世代では、学生時代に、第一に考察すべきテーマでした。私は、医師でもあるが、MBAも取得し、経済社会からも、人の生きがい、存在理由、真美善を、卒後に追求してきたつもりです。存在の理由は分からない、宇宙の意思かも、が、何をなすべきかは、わかっているつもりです。真善美に世界を進化、向上させることが、人の使命、生きる理由だと、50歳ぐらいに気づきました。混迷する世界、宗教も解決策とならない現在、生きがい、実存哲学、意識の再考察が、必須だと思っていましたが、茂木さんがそのような活動を行ってる事、この動画で、初めて知りました。スピリチュアルの矢作君、医学生時代を知ってる、には、閉口しているが、サイアンス、脳科学から、意識、生きがいを分析する手法には、100パーセント賛成です。ときどき、イマジン大学にお邪魔させていただきます。まだしばらく生きているので、病気を楽しみながら、生きがいを完成実践する予定です。
@sa-kw1pq
@sa-kw1pq 3 ай бұрын
単に「機能の名詞」とするなら、「意外に」デネットの機能主義で問題がない様にも。意識、クオリアも、セルフモニタリングと象形、自己言及とするなら、その発生段階を探る進化生物学的アプローチあたり?。博学、哲学的な茂木さんにはいつも啓発を受け楽しませてもらっております。
@sa-kw1pq
@sa-kw1pq 3 ай бұрын
@@yasiyasi5839 「唯脳論」読み直してみましょう。茂木氏も敬愛する養老氏がそう言ってるなら案外それで充分?。それより、主題についてのあなた考えは、ないやん😂
@charm_fortune_teller
@charm_fortune_teller 3 ай бұрын
クオリア問題があるのにシンクロすることがあるのが不思議ですね、いつか先生のご意見を伺ってみたいです
@user-vb7ov2hn5c
@user-vb7ov2hn5c 2 ай бұрын
自身意外の意識証明は難しいですよね。意識があるものと、意識があるように見せてるものをどうやって見極めていくかコレから議論されそう。
@kumabachi2022
@kumabachi2022 3 ай бұрын
ここ1、2年で“意識“についての興味が湧き、クオリアと言う言葉を知りました。 集中して調べることはありませんが、ふと思考に浮かんだ時に、ネットで調べたり、本を読んだりしています。 その過程で、私なりに強く感じていることは、意識は脳の分野に留まらないということです。 意識について調べていると、いつの間にか量子や遺伝子など他ジャンルにつながっていき、調べれば調べるほど範囲が広がって行って、まるで宇宙を漂っているような感覚になります。 いわゆる脳科学博士と肩書を持っていらっしゃる方でも、専門の範囲だけで完結させようとしていらっしゃり、根本的に“意識“についてちゃんと捉えている方がほとんどいないと思っていたところに、今回茂木さんのご意見を伺い、共感すると同時に嬉しく感じています。 今回、たまたま上がってきた動画を拝見しましたが、早速チャンネル登録させていただいて、ご著書を読ませていただこうと思います。
@user-ke5dl8jc1w
@user-ke5dl8jc1w 3 ай бұрын
「脳を開けたら心は無かった」って本最近読んだけど面白かった
@orimupitsuku
@orimupitsuku 3 ай бұрын
意識の科学的な「仕組み」と意識の来源(という言葉の適否は別にして、「私は何故この私であってその他の誰かではないのか」という疑問)は全然違う問題なんだけど、後者の問いを持てる人は私の感覚でも茂木さんが言っておられるように、100人に1人くらいの感じがします。自分としては意外ですけど。 これは永井均さんが言っておられる「タテ・ヨコ」問題に通じていると思います。
@user-nt1jl9cm4r
@user-nt1jl9cm4r 3 ай бұрын
肉体が死滅しても意識は永遠に存在し続けることを臨死体験を経験してわかりました。持病もなく事故でもなく突然心肺停止の状態で起きた出来事でした。 この体験はあくまで私の経験上の話なので上手く説明できませんが、意識は肉体の死滅を認知するまで、いま何が起きているのか説明のつかない恐怖と闘いあがきました。そんな中突然記憶が蘇り生命は死を何度も繰り返している記憶がはっきり思い出し、死への恐怖は一瞬に去りました。 この体験で学んだことは、あくまで持論ですが潜在意識とは脳の思考、感情、感覚を司る司令塔(DNA)にあらゆるデータを記憶保管しているから、無意識に思考や感情が何度も同じことを繰り返すのも納得できました。 意識は目に見えない特 性なので恐れを回避するため都合や意味づけで勝手に記憶を変えたりしているのも納得できます。
@shodaikou7170
@shodaikou7170 2 ай бұрын
意識・・不思議です。19歳の時に事故に合い生死を彷徨った後に生きているのかそれとも死んでいく過程なのか考えてしまうことが多かったです。 映画「マトリックス」を観たときにこの様な世界の中にいるのでは?と考えてみたりもしました。 今、意識というか思うのは「虫でもなく、鳥でも、犬でもなく過去の誰か、でも未来の誰かでもなく、この時代の、この肉体の中に何故私の意識が有るのかが不思議」でなりません。
@hanjofuchikore455
@hanjofuchikore455 3 ай бұрын
10年ほど前に妻の腎臓を生体移植しました。以前は苦手で食指の進まなかった食べ物が好物に変わりました。それらは全て妻が大好物な食べ物です。これは意識に関係あるのでしょうか?妻と私は冗談半分に腎臓間でWi-Fiが飛んでると笑っています。臓器移植に意識は関係ないかも知れませんが、ドナーの記憶や癖は臓器の細胞に残っていて、時間をかけて融合を果たしていると感じています。私の意識は15歳の時の、ある経験で覚醒したと感じています。生命体は個体のようでいて、実は全て繋がっています。
@hanjofuchikore455
@hanjofuchikore455 3 ай бұрын
誤字だらけだったので編集しました。
@koala7744
@koala7744 3 ай бұрын
茂木さんは心臓に記憶が宿る等の主張は疑似科学の一種と思われているようですが、 実際に生体移植(特に心臓)にて記憶転移が起きるのは(記憶転移以外によって説明出来ると反論する方もいますが)事実としてありますね。 記憶は脳のみならず、他の臓器(特に心臓は自ら小さな電気を発生させることが出来る等特殊性のある臓器なので)にもその一部は残るのかもしれないですね。
@RIDEREX
@RIDEREX 3 ай бұрын
DNA自体に記憶が刻まれて子供や孫に受け継がれるでしょうね。茂木氏は信じないでしょうけど。意識体自体は依代を必要とせず、空間を漂う素粒子のように存在してると思います。 幽体離脱した人や人形供養する神主さん達は浮遊する魂や意識体を感じ取ってるはず。何も感じないホラ吹き自称科学者は鈍感なのです。
@user-hx9on7pj5r
@user-hx9on7pj5r 3 ай бұрын
​@@hanjofuchikore455 もしかしたら、奥さんの腎臓の代謝能力の特徴で、塩分とか、特定の成分の排出が得意になった結果、奥さんと食の好みが似てきた可能性はあるかな?と思いました。
@user-xy2mc3sc9n
@user-xy2mc3sc9n 3 ай бұрын
心臓移植の時には特に、ドナーの性質気質等も同時に移植されてるように思いますね。ドナー登録するときには、自分の性質気質等の記載も必要になるときが来るかもですね。
@mocausu9211
@mocausu9211 3 ай бұрын
意識とは、他人を知ることで自分を知る能力。と聞いたことがあります
@user-sc1iz3dl1v
@user-sc1iz3dl1v 3 ай бұрын
音の数学的表現において『ガタンゴトン』という音に対する理解は個々の意識による共感覚の重要性だと考えます。共感覚には個人差があり、理解できる人とできない人がいます。この差異は、単純に機能のレベルが高いか低いかというだけでなく、複雑な要素が組み合わさった上での共感覚が一定のレベルに到達したときにのみ生じると考えられると思います。
@gcrokusho2414
@gcrokusho2414 2 ай бұрын
笑福亭鶴瓶は40年程前の頭がもじゃもじゃの頃にラジオの番組で「おれが見てる綺麗な夕焼けの赤い色は、お前の見てる夕焼けの色と同じなん?どうなん?同じかどうか証明できるん?」と鼻息荒く叫んでました。髪型との相関があるかどうかはさておき、鶴瓶はわかってるんですね。それが芸風にも現れているようにも感じます。
@yoshikawa5807
@yoshikawa5807 3 ай бұрын
意識の問題を日常の生活で求めてます。純粋記憶の可能性は考えています。一応基本的に自分の記憶と外的な環境から現れる記憶は日常の生活では感じることが出来ますが、純粋記憶は日常の生活とはまったく違ってますから、かなりハードルは高いです。
@hikariessencedao
@hikariessencedao 3 ай бұрын
ベルリン在住です。仕事で患者さんから、茂木先生の本が凄い👏と聞き嬉しくなりました。たしかに「わからないこと」を「わかる」のが一番難しいかもしれません。わからないからこそ、神秘的でロマンを駆り立てられます😊
@tkcmcr6825
@tkcmcr6825 3 ай бұрын
最高の内容です。
@user-rp3jd7zq8g
@user-rp3jd7zq8g 2 ай бұрын
脳科学者が説明している意識は、すべて物質的な脳の機能の判断ことを言われていると思います。 だけど意識とは本来、人間の脳から分離した存在なのです。 人間とは、人の生命体に個の意識が融合することにより、人間たる存在になっているのです。 そして意識こそが人間を支配し、またそれらを取り巻く物質に影響を与えている存在なのです。 もっと大きく捉えるのならば、意識の元である意識界や精神界がこの私たちの宇宙を創っているのです。
@mitsuhironoboru8724
@mitsuhironoboru8724 Күн бұрын
何かを見ている自分。これは意識の作用ですよね。 この作用は脳内で実現しているのだとすると、見ている自分は脳内のどこにいてるのか、とても不思議です。 スマートホンに意識アプリをインストールすると、見るスマホが実現するのか。 スマホのカメラと人が見ていることの決定的な違いは人の場合は、そこに見えてる物がある様に感じてること。 それこそクオリアなのか。
@aidahopoteto5723
@aidahopoteto5723 Ай бұрын
「五十二位」ですけど・・・。「等覚一転名字妙覚」という不思議な境地を説いていますね。悟りの段階の五十一位(等覚)まで上り詰めてみてハッと感じたのは悟りに入る前の最初の位(名字)の純粋な「信」そのものが妙覚(五十二位)への直道であったという教えは茂木さんの意識のとらえ方の難しさと通じるものがあると思います。
@user-kd5bg8qu8l
@user-kd5bg8qu8l 2 ай бұрын
私は 15年ほど前に ある経験をしました。それは うちの実家はバランス釜のお風呂で その夜 種火を消し忘れていた。夜中に私がトイレに起きた時に にゃーんと 死んだ飼い猫の鳴き声がして… その時私は2つのことを思いました。ひとつは猫が教えてくれたのだと もうひとつは 脳みそがコイツ(私)に気づかせるには猫が良いだろうと それを使って教えてくれた ということです。 また、このあと だいぶ経ってから 玄関の内側にある引き戸が閉めづらい時 私は何かしら忘れ物をしたまま外出していることに気づきました。 この件二つの件で 脳みそさんは私に伝えようとしているというふうに考え始め 次第に脳みそさんと自分の存在をぼんやりとですが分けてかんがえるようになりました 今もそれは継続していて 近年は特に 脳みそさんが布石を打っていたのでは?とおもうことがたまにあります。
@user-sakurabito1104
@user-sakurabito1104 3 ай бұрын
人間レベル十段回中、多分一もないですが、意識の問題は、難しいのですね! ただのアナログと同じに感じていました♪
@pocciamelia6618
@pocciamelia6618 2 ай бұрын
意識は脳内では生まれない。つまり、発生しない。記憶は脳内には蓄積されない。思考と情報処理は脳内では行われない。意識は違う「場所」にある。記憶は違う「場所」で保管される。思考と情報処理は違う「場所」で行われる。脳は生物的・物理的に生命活動を行う為の管制機関でしかない。厳密に言うなら、意識は違う場所にあるのではなく、意識の中に物質的・物理的世界が存在している。
@kenmogi
@kenmogi 2 ай бұрын
記憶は、私たちの想定以上に私たちの意識と関係していて、だからこそ、時々ベルクソンやプルーストに戻る必要があります。
@user-op1cn6qy5l
@user-op1cn6qy5l 2 ай бұрын
アインシュタインは量子問題と絡んで、実在とは何かという問題を巧妙に回避し続けた。意識とは何かという問題も同じ次元にあるように感じます。また、意識の発生の仕組みが完璧に分かったとしても、意識と仕組みは別物(意識と脳が別物であるのと同じように)だから、じゃあ何故そこで意識が生まれるのかという疑問は決して消えることはない。結局、意識という奇妙なものを我々も脳科学者も生きるしかないんでしょう。
@yosimasafujino5967
@yosimasafujino5967 2 ай бұрын
すべてはプログラムされている。遺伝子とプログラムされた私たち量子理論よりわからな世界脳と体の不思議!今日も感謝!😍
@MUGIRO75
@MUGIRO75 3 ай бұрын
脳が意識を生み出しているというのは本当に間違いのない事実なのでしょうか? そもそも意識とは何なのかがまだ分かっていないと思うのですが、その分からないもの製造元を確定出来るとは思えないのですが、、、。
@user-fe3mg4mt7y
@user-fe3mg4mt7y 3 ай бұрын
困難であるのは、あなたが意識だからではないでしょうか。目が目を見ることはできません。
@user1968-t2g
@user1968-t2g 3 ай бұрын
意識とは何か、って意識をどう定義するのか、というところからして難しそうです。言語とは部分を切り取るものですが、意識イコール言語ではないですよね。意識について論理で研究する、とはおそろしく難しそうです。
@NamaikiSBOW
@NamaikiSBOW 3 ай бұрын
全ての研究は意識の研究に方向が向いとるイメージあるしな
@future.science7264
@future.science7264 28 күн бұрын
30年以上研究していて、これは、という物が無い、、というのを聞くと、逆に元気づけられる。
@mx6779
@mx6779 2 ай бұрын
脳にどうやって記憶されているのか知りたい。電気信号でナノレベルのタンパク質で構成されてるのか、取り出したいと意識してアクセスしようという意識を前頭葉から電気信号を出して化学反応を起こしだす時点以前から天文学的な反応が常に起こり続けてるような気がします。
@kuma56kumax
@kuma56kumax 3 ай бұрын
とても興味深く拝見しました! 私も高校生の頃「俺にはなんで意識があるんだ」と思い始め、素人ながら半世紀も思考実験をしてきました。神経回路網の活動から意識が発生するなら、コンピュータ上でその回路網をシミュレートすれば意識は発生するのかとか。人間同士の相互コミュニケーションを大局的にみると神経回路網の活動と類似しているから人間組織にも意識は発生しているのか?とか
@dhiasu1
@dhiasu1 3 ай бұрын
どれだけの原子を沢山集めたとしてもそこに意識が発生するとは思えないというね。
@user-ik7nz3qg4k
@user-ik7nz3qg4k 3 ай бұрын
しょうもないお話だこと、人間をミキサーで撹拌しても人間の材料は入っていても意識はないでしょ。
@wokdug
@wokdug 3 ай бұрын
高畑勲監督のホタルの墓が宮崎峻のトトロの横で上映されてて、宮崎峻は敗北感満載だっただろうって、誰か話してたのを思い出しました。確かにホタルの墓で死後の二人が遊ぶ場面は、生命や人生賛歌のトトロと真逆。マドレーヌを紅茶に浸して食べるのを思い出す幸せって話で思い出しました。
@ymanush
@ymanush 3 ай бұрын
目的を持つという意識、自分の利益を持つ意識、他者を意識する意識、空間を認識する意識、時間を感じる等など、感覚と知識、実践理性と考えていくと、数学的表現では分かりませんが、西田幾多郎先生の言われた純粋経験に達するように思えます。深い問題ですね。
@takachantakataka5945
@takachantakataka5945 2 ай бұрын
意識が先に在りてプログラミングを構成し必要な要素を組み立てたのだ。
@user-vr7wc7il6c
@user-vr7wc7il6c 3 ай бұрын
容易に思考を止めることが出来るようになるまで訓練して、感情がある、それを観察している観察者が残る。 やがてそれが消えてゆく。自分というのがどこにあるのか、じっと探って行くと面白いです。 なぜ、このような無意味で面倒臭いことを始めたか。 苦しみから逃れる道を探した末。 こちらで教えて頂いた、プルーストの日々の幸せとも繋がりがあと感じています。 意識は科学の最大のテーマ・謎ですが、アカデミックというフィルターをすり抜けてしまう。
@user-fy4lw1kp6h
@user-fy4lw1kp6h 3 күн бұрын
この場合純粋記憶は必ずしも自分のものである必要はないと思います 小説を読んだ時のあのなんとも言えない幸せな気持ちも、小説を通じて自分の中に純粋記憶を生み出すことで、幸せに似た感情を生み出しているのではないでしょうか
@pocciamelia6618
@pocciamelia6618 2 ай бұрын
幸せとは何か? 人生とは何か? 命とは何か? 愛とは何か? 神とは何か? 奇跡とは何か? 希望とは何か? 科学とは何か? 宇宙とは何か? ・・・ それらは全てそれぞれが「ジョーク」の異なる一つの形態に過ぎない。
@user-yk1wr5jn1s
@user-yk1wr5jn1s 2 ай бұрын
例えば五感を絶たれた状態でも意識は意識として存在出来るのだろうか?という事を考えました。というのも、SF的に人間の意識だけをコンピューターに移すというのが有って、その場合、体が無い状態=五感が無い状態で意識だけ存在できるのか?とふと思いました。
@hirojetwolf
@hirojetwolf 5 күн бұрын
ダニングクルーガー効果!!!!とても身近にあることなので調べてみます。
@dartanian19700505
@dartanian19700505 2 ай бұрын
ピュアメモリーは時空(移動)を認識する為のもの 右にあったものが左に移動したとしたら右にあったものを記憶していないとこの移動は認識できません。 シナップスが破損したアルツハイマーの人が車の移動を認識できるのはこの為 ピュアメモリーは物質に存在しているのだと思います。 ピュアメモリーの複合体である物質はエピソードメモリーを持ち 各メモリーをまとめて"保存"する為、意識が存在していると思います。 一次元 線 二次元 画像 三次元 立体 四次元 動画 四次元は時空と記憶でできています。
@freelyquestions
@freelyquestions 2 ай бұрын
思い出のクオリア
@masugi9851
@masugi9851 3 ай бұрын
現時点までの人間が理解しうる、主に目でみて科学的に確認できるこの問題の領域には限界があるだろうことは察していても、各研究者の主張は、その時代においての社会的意義、立場などから、学問として少しでも進化したようなそれらしい論理が展開されるが、それらはみな問題を真に理解するための論理からは程遠いような印象がある。
@user-is7ou4od4p
@user-is7ou4od4p 3 ай бұрын
茂木健一郎さんがんばってください!!!😂
@PEKOCHANNEL
@PEKOCHANNEL 3 ай бұрын
脳に記憶はなくて、フックの役割だけって話を聞くと、プログラミングの世界におけるポインターの役割に似てるように感じますね
@akirakataoka8885
@akirakataoka8885 2 ай бұрын
クオリアと実存の違いを教えてください。
@xnippo5892
@xnippo5892 Ай бұрын
細菌レベルから霊長類、人類までの全生命の中で、どのレベルの生命から意識と呼べるものを持っているんでしょうかね?
@seba6244
@seba6244 3 ай бұрын
証明することができないので単なる逃げになってしまうのですが‥ 私は子供の頃から「意識」というものは、パソコンでいうところのショートカットのようなもので、身体(主に脳)の中に存在するものではないと思っておりました。 自分では意識というものがあるから身体を中心とした周囲を認識できますが、実際には俯瞰して見ているものを自分として認識しているだけなんじゃないか‥ と考えています。現在62歳ですが、それは今でも変わっていません。 「ショートカット」という表現は誰もしませんが(今まで聞いたことが無い)、同じような感覚を持っている方は‥おりませんかね~?
@user-fg6pg8si1k
@user-fg6pg8si1k 2 ай бұрын
意識の複雑差を複数パラメーターで解析するときに、単細胞や初期の多細胞の意識を考えるとブレイクスルーするかも?
@user-im1ip6ks3m
@user-im1ip6ks3m 23 күн бұрын
意識というのはメカニズムそのものだと考えています。例えば物が動くメカニズムについて、ボールが転がる、歩く、自転車をこぐ、車で走る、飛行機で飛ぶ、そのメカニズムは様々ですが、それら全てが動くという現象であると同様に、意識という現象も様々であって、極端な事を言えば、石にも意識はあると言えるのだと考えています。しかし、やはり最も重要なことは、人間の意識のメカニズムの解明であってそれを多くの学者さんは考えているのですよね。がんばってほしいなと思います。
@js9008
@js9008 2 ай бұрын
茂木先生の仰っている意識は赤を朱と認識するように、小説を読みアニメを見て声の認識ズレで違うこの声じゃないんだよなと思ったりする事でしょうか?
@user-dm4zw8zm9i
@user-dm4zw8zm9i 3 ай бұрын
フリーマンの言うカオスアトラクターが意識に関係していると聞いたことがあります。
@bm8656
@bm8656 Ай бұрын
茂木さんの講義自体はとてもおもしろいんですが、冒頭のBGMの音量が大きすぎて、その点が気になりました
@GingerDrinker-kz6qv
@GingerDrinker-kz6qv 2 ай бұрын
聴きながら、最後にお釈迦様の話が出てくるのでは、と思ってたらやっぱり出てきてびっくり。
@stellamrsavre
@stellamrsavre 3 ай бұрын
意識の難しさを理解するのが難しい、ということですが、一つぐらいクイズのような問いかけ、例題が欲しかったです。 仏教系辺りでの議論も同じですが、意識という言葉の定義が曖昧で議論がかみ合わないというのがよくある話です。 仏教系では現象を時間的、物質的に細かく極限に小さく追求していくアプローチが取られます。 ですから意識と言っても意識の最小単位(微小時間)のことを調べようとするのです。 クオリアについても生まれた瞬間の極めて経験が少ない瞬間にはどうのようになっているのか的な方向性になると思います。 私にとっては意識自体の存在、意識の存在自体を意識できる(認識できる)不思議、が長年の大いなる疑問でした。 この、自分は今、ありありと間違いなく存在している、という感覚。 この疑問の答えは、わかってしまえば非常に単純で間違えようもないものでした。 なぜ仏教が刹那(せつな)などという微小時間の概念を生み出したのかも合点がいきました。 ですがこの問題は非常にやっかいなものなのです。将来、科学が意識やクオリアの正体を見事明らかにしたとしても、 その論文を書いた当人も、読者も誰一人、わかったー!そうだったのか!はースッキリした!とはなれないのです。 キリンを見たことがない人に絵や映像を使わず、言葉や文章で懇切丁寧に事細かにその特徴を伝えるのに似ているかもしれません。 9割方イメージは出来たとしても、実際に見たことがある人の理解には及ばず、理解が欠けている、スッキリしない。 茂木さんは美しく完璧に記述された数学での意識、クオリアの証明を見せられてもスッキリしないタイプではないでしょうか? 電車内でのガタンゴトンが疑問の発露であるならば、そんな気がします。 茂木さんが良いアプローチ方法に出会えますことをお祈りします。
@user-je3qs8bc9e
@user-je3qs8bc9e 3 күн бұрын
意識の問題については、他の何かに置きかえることが不可能ということかと思います。 その大きな理由としては、人間の意識を数値化したり代わる表現が出来ないが故のことだと確信します。
@gunjyouwata4687
@gunjyouwata4687 3 ай бұрын
電子の流れだから素粒子でどう動き始めるかは自動反射的に無意識状態で勝手におこってて有利そうなのを互いであみだくじのように計算して選ぶんじゃないかなぁ 多分コンピュータ 優秀で出来損ない
@user-wk6vo9me6d
@user-wk6vo9me6d 3 ай бұрын
前野さんの受動意識仮説はどうですか?
@genius_miyuki
@genius_miyuki 2 ай бұрын
だから、天命にふさわしくなるまで勉強を続けるだけなのですね。 それと、ひとりでは創れない。合意と協力がないと。 とても難しいんですね
@user-vv8dc4ub8v
@user-vv8dc4ub8v 23 күн бұрын
難しいと理解する事が大事なのですね。 全てを見切れていない、なかで全てを分かったと勘違いをするのが 馬鹿なんです✨ね 人生の中で20代30代の人が偉そうに年配の人を軽んじるときに 同じ気持ちになります。 自分以上の経験者は世の中に 五万といます。意味の有る謙虚さが生きる上で学びに繋がります。
@stormjpn9486
@stormjpn9486 2 ай бұрын
感情をつかさどる偏桃体、そして記憶領域、作業領域、様々な情報を記憶し、記憶された情報と情報を関連付けされ複雑な情報になるにつれ深く想像力が働くようになります、この想像力によって地頭の良さが向上し意識が拡張され、様々なベクトルで物事を俯瞰して捉える事が出来るようになっていきます。 脳の発達と共に意識が拡張されている感覚に気が付きましたよ高校生の時期に。小学生の頃はこんなに想像力を働かせることが出来なかった。でも今はこれだけ脳を使う事が出来ている。それを実感したとき、意識が拡張されていると同時に認識しました。そのとき前頭葉の発達によるものだと理解しましたのですが、これは脳の作業領域が拡張されることで、そこから導き出せる意識というものの実態は、考え中の状態に答えがあり、反射的なものではなく保留状態を指しているのだと思いました。極端な話、人から前頭葉を除去すると考える力そのものが無くなるわけですから意識は失われます。
@user-dk9zi7zr2x
@user-dk9zi7zr2x 2 ай бұрын
質問ですが、心臓を人工心臓に変えた場合、心臓が苦しくなるような思いとか感覚はもはやなくなるのでしょうか、それとも人工心臓に感じるようになるのでしょうか?
@noriyatakano4028
@noriyatakano4028 3 ай бұрын
人工知能(これを定義するのが非常に難しいのですが。)に意識が宿る時は、人間の子供が自己意識に目覚めるのと同じように、そのプログラムを走らせた(Run)時に、ハードウェアやソフトウェア、システム・アルゴリズム、色々なものが結集した結果、その上に意識が宿るように見えて、何故人工知能がその特有の意識を持ったのかを人工知能自身が考え出したときが来るとしたら、その時には人間と同じようなとは言えませんが、人間が意識をその子がその子の意識を自然と持つように、人工知能内でも意識がメモリーや大記憶領域、システム論なんかにも寄りますが、その上で、意識が自己意識ってこういうことなんだと保持することが出来れば、人工知能上でも意識が保持できることになるかもしれないと考えさせられました・ています。 人間の意識については脳というハードウェアがあって徐々に脳内にOS・ソフトウェアのようなものが出来ているような感じかな?そして自分が自分だと認識する日が着てその後は自己を保って意識を保っていくのだと思っています・考えさせられました。 情報工学と、人間の意識が何故自分が自分なのかについてです。ただし私はシミュレーション仮説支持者と一種の運命論者で、人の意識がある種降りた・か、その子がその運命を背負うものだと思っています。ここらへんは適当です。
@user-yk1wr5jn1s
@user-yk1wr5jn1s 3 ай бұрын
意識の働きについてはある程度分かっても、意識とは何かについては意識している主体が何なのか分からないので永遠に分からないと思います。それは宇宙が出来た後の事は数式理論で説明できても、宇宙そのものがなぜ存在したのかは永遠に説明できないのと同じです。
@sanmiroku675
@sanmiroku675 2 ай бұрын
主人は急性心筋梗塞の影響で脳が低酸素になり脳波がないと言われ植物状態になっていますが、何か、どこか、魂レベルでなにかわかってるのではないか?ただ、アウトプットできないだけじゃないか?って思う事があります。 意識=魂とするなら、脳と意識は脳の中に意識があるというわけではないような気がします。心理学者アーノルド・ミンデルが無意識の人と会話しますが、これは魂と会話してるのかな?と。脳は魂の言葉を言語化してるだけ?魂と直接会話できると、事故などで脳を損傷した方々への希望になると思います。
@Michaelthebattleangel
@Michaelthebattleangel 2 ай бұрын
ふと思い出したのですが… 小松左京の「果てしなき流れの果に」だったか「次ぐのは誰か」だったかは忘れたましたが、彼がSFと言う当時 (戦後の昭和時代…実存から不確実性の不安な時代へ、大阪万博からやがて阪神淡路大震災を経て、そしてリーマンショックへと向かう直前辺りの時代) の文学ジャンル上で、可能な限り、人類のはるか未来へ視線を投げかけ、その可能性 (それが良かれ悪しかれ、また人間の物理的な存在形態の有り様やその有無も含めて) を可能な限り思考実験した果てにたどりついた、というか新たな沃野の入口に、その主人公が新たな未知の存在形態として究極的にたどりついたところが、 やはり今回テーマの “意識” 体としての未来だった…  確かそんなことが書かれていた気がします。 それは、思うに、きっと、デカルトあたりがたどりついた、コギト・エルゴ・スム「我思う故に我あり」(ほんとは彼がハッキリこう言ったわけではないが) にも通じる近代西洋哲学の確固たる基本的な思考原理の拠り所?あたりも、その意識としての自信というか自覚のようなものでもあるし、 逆に、そのアンチテーゼとも言える?アプローチかもしれないけれど、うつろう変化やゆらぎの中で、そのデカルトの確信した危うさ?さえも既に見抜いていた?感のあるブッダが既に2500前にスッタニパータで弟子たちに言っていた「我ありと考える不当な意識の根本を制止し…」というあたりの、後の弟子たちが構築する ”空“ (有るけど無い…(つまり意識たる捉え方や立場=場によって事象は異なる)、無いからこそあり得る…(つまり変化によって有無が生じ、意識=意志の介在によって新たな変化=有に関与も出来る))… つまり、立場によって変わったり移ろいゆく自分を絶対だと思っていけないし、単純に自分を基準にして他と比較し思い上がったり落ち込んでもいけない。また、終わり(=無)があるから始まる(=有)ので、ならば気持ち(=意識)次第で新たな展開も見込まれる… もやはり、 現実の現象に対する “意識” の関わり方としての、彼なりの探求であり、また同時代の人々を救おうとした切実な、彼なりのアプローチだったのだと思います(私なりの解釈ではありますが…😂)。 さらに、アインシュタインやマックス・プランクそして南部先生などの時代を経て現代に至る新たな世界観の時代での、“意識” という、茂木先生方の取り組まれるジャンルは、今まさに、新たな科学的なフェーズのステージへの展開へと入って来ていると思われます。 この意識の問題は、深く究明し、どこかで一線を引いておかないと、いずれ、案外そう遠くない未来に、AIやロボットに意識はあるか、さらには、人権を認めるべきか。 また、事故によっては、自己判断能力のあるロボットに責任があるのか、開発者の責任なのか、などの裁判や議論にもつながることかもしれず… なので、 まあ、特に偏った思想にも、また特定の宗教にも縛られない日本の、まさにこの時代に、この ”意識“ あるいは “認識” 探求の現場に?居合わせたことに感謝したいと思う、今日この頃であります😂✨
@user-tf8nj3nu2f
@user-tf8nj3nu2f 17 күн бұрын
死んだら、この今の考えている自分は何処に行くの?と小学生の頃、寐る前、布団に座りながら思いました。まさに、意識について疑問が生まれた「純粋記憶」でしょうか。生きるとは?何のために生まれてきたの?は、その頃に考えたのか、以来、還暦を過ぎてもほぼ進化はなく、同じようです。愛を知るために生まれてきた、が、私のテーマのようです。愛って、意識ですね😊私はサイエンスはや学術世界には縁がない場所に生きてますが、意識のことや探究は好きです。デヴィッド・R・ホーキンズ博士の意義のマップは分かりやすく、自分の現状を確認できるツールとして壁に貼ってます😂 分からないのに知っている感覚の「意識とは」は永遠のなぞなぞ、楽しめますね❤ありがとうございました🙏💞🌿
@hfg7-957hdu3ht
@hfg7-957hdu3ht 2 ай бұрын
先生によると、コレコレの人は「わかっていない」という話が根底にあり、多すぎるように思うのですが、視聴者はわかる答え(あるいはそれに近いもの)を求めていると思います。
@flashnewlight1075
@flashnewlight1075 3 ай бұрын
川勝知事の発言に関しても茂木先生の意見が聞きたい。
@kiyomioneal3912
@kiyomioneal3912 3 ай бұрын
臨死体験からいくと意識は死んでもあるんでしすね。魂に記憶があるんだと思います。
@slimpink
@slimpink Ай бұрын
コンピュータで例えるなら、物理アドレスとこの層で閉じて処理される論理が意識なんだろうけど、この処理を使っている人とかOSから見ると意識にみえる。
@829dokadoka55
@829dokadoka55 24 күн бұрын
「私」という意識について4〜5才ぐらいの時に疑問で仕方なかった事を思い出した。 こんな凄い学者も考えてるんだと嬉しくなった
@harada_leela
@harada_leela 3 ай бұрын
意識というか、世界は『しろねこさんが観ている夢』です。
@yukitorasuchi-ef
@yukitorasuchi-ef 3 ай бұрын
ちなみにオッドアイですかね?笑笑 その発想良いですね♪ 思わずニヤけてしまいました🥰
@harada_leela
@harada_leela 3 ай бұрын
@@yukitorasuchi-ef ありがとう😁私の前世は、荘子なので、当時は『人生は、蝶が観ている夢』と称した😉🦋
@yukitorasuchi-ef
@yukitorasuchi-ef 3 ай бұрын
@@harada_leela 荘子ですか!凄いですね! 私のそんな崇高な感じな人ではなく、前世は一般人で、おそらく男性、イギリス?イングランド?辺りのパンクロッカーでアナーキストな自由人だったとなんとなくですけど感じてますw 基本的に昔から政府や政治家って必要か!?ってずっと思ってて、Love&Pieceを求めてます。 前世記憶は思い出せないですけど、無意識的に影響受けると言いますからね(*´ω`*) あの世が真実って言われますし、この世は夢の世界でしょうね☆
@harada_leela
@harada_leela 3 ай бұрын
​@@yukitorasuchi-efジョン・レノンも、小野洋子さんに出会って、覚醒しましたもんね😉✨🎸
@1969kim1969011
@1969kim1969011 3 ай бұрын
純粋記憶とは深層意識の事のように思えます・・・認識合ってますでしょうか? これによりデジャブも発生するように思いますのと、細かいディテールの記憶によって作られるものと考えられるかと思います。 意識の基は、記憶の積み重ねによって構築され、そのバリエーションの多さによって意識のレベルが変わるのかぁと思います。ディープラーニングにも似てますね。
@user-mh3wn2nc6b
@user-mh3wn2nc6b 2 ай бұрын
意識の問題は難しいですが、以前瞑想をしていた時に、寝ている時に、朝、目が覚める直前に有ったのですが、その時の体験は、寝ているのに意識が有り、勿論五感は働いていないでしたが、目が覚める直前の具体的に説明すれば、五感が開く時の経験はガラスに石をぶつけた時にヒビが広がって割れる様に、五感がその様な感じで、触覚、聴覚が開いた感じです。不思議に感じました。
@user-bq8pp5fc9q
@user-bq8pp5fc9q 23 күн бұрын
茂木先生がもし、ラマナ・マハリシを読んだらどのような感想を抱くのか、興味深いです。
@tenkey2022
@tenkey2022 13 күн бұрын
たいへん興味深い話です。 まったく理解できているとは思いませんが、自分の中では 主体にとってのクオリアが意識であり、即ち現実であるという認識をしています。 あると思えば在り、ないと思えば無いという感覚とでも言いましょうか。
@sky7kd6
@sky7kd6 2 ай бұрын
ちょっと変だなと思ったんだけど、仮に意識の問題が何の解決の見込みもない問題だたとしたら、お釈迦様をはじめとした昔の仏教ではいったい何を悟ったんだということになるね。仏教では「私」が無いとされている。僕は僕自身が「無い」とは認識できないんだけど、修行すれば理解できるようになるかもしれない。その理解に数学や情報科学は必要ないはずなんだ。
@user-ro5nd2tr6b
@user-ro5nd2tr6b 3 ай бұрын
意識の問題はあらゆる学問の根幹を成すものだと思う。時間の事や宇宙の事がわからないのは、意識の問題に深く関わると考えます。古来から神学でも人間の意識は、神の力の一部が、人間に宿っているとされた。東洋の宗教、哲学、具体的にインドの哲学では、意識は永遠で記憶だけが消滅して、生死を繰り返しているそうです。意識の問題としては、もっと手前の議論ができないで、宗教でも、学問とくに研究では明後日の方向に行ってしまうのですね。それは、我々人間には、解けないように、厚いカーテンで閉ざされている様な事でしょう。もし、意識の問題が解けたら、それは人間がなぜ、存在するのかもわかるのかもしれない。
@oniku0828
@oniku0828 3 ай бұрын
フックから取れた外套はどこにいっちゃうのでしょうか?
@mandamnippon1
@mandamnippon1 3 ай бұрын
床に落ちる。
@紅葉-17
@紅葉-17 Ай бұрын
意識はニューロン、軸索等の電気的な反応ではなくグリア等の化学的な反応が関わってるんじゃないかと想像しています。
@yasu-xx2tn
@yasu-xx2tn 3 ай бұрын
きのう意識についてなんとなく考えていた。記憶が私が私であるという意識の連続性を繋いでいる。意識喪失したり寝て目が覚めて意識を取り戻した時、昨日の私と今日の私が同じものだと意識はうまく繋ぎ合わせる。辻褄を合わせる。身体は同じように継続しているように見えるから、意識は同じ私を継続する。全く幻想かもしれないのに。 記憶がない時、自分はいない。何も認識できない時があるっていう事実が大切だと感じている 普段生活している時でも、なんらかの印象に没頭していて私を意識することは一日の中で数分〜数時間くらいじゃないかと感じる しかし、世の中はそんな意識が錯覚したリアリティを前提に生きていると思うとまるで幻覚を見ているに等しいなと感じるし面白いなと思う
@chi-jewellery5736
@chi-jewellery5736 2 ай бұрын
臨死体験してから 意識について私も三十年私なりに考えてます。 体から意識が離れた感覚の時、脳は酸欠状態だったように思われる。 けど意識は通常よりはっきりクリアで気持ち良く、夢より鮮明。自由自在に移動できた感じ。スーッと移動していると、 ふと"純粋"という言葉が浮かんできてピュアな世界だ ここは!と思った。そしてずっとこのままここに居たいと思ったけど 冷静に考え、このまま真っ直ぐ行くと死ぬんだな、今死んだら親が悲しむから戻らなきゃ、とクルッと反転したら体に戻った。そこから不思議人生体験を色々するようになり、申し訳ないけど科学全般懐疑的に思うようになった。 でも天邪鬼なので スピリチュアルも信用できず… きっと死んだら全て解明すると思ってます だから死ぬのが楽しみ😇 あと意識が難しいとしたら無意識は どうなっちゃうの~と思った
@user-dt5kb6pg4y
@user-dt5kb6pg4y Ай бұрын
臨死体験をした人は死ぬのがあまり怖くなくなるみたいですね。 知の巨人、立花隆さんの「臨死体験」という本は面白かった。
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Lizzy Isaeva
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