最近は控えめな提案のcouldを覚えました。とても使いやすいです。 We could go to Hokkaido in fall. We could go to Okinawa in winter.
@englishdoctor_roy2 ай бұрын
コメントありがとうございます。いいですね~!
@tasotaso-qm9ke8 ай бұрын
ビジネス英会話でI was wondering if I could ask you...というのがとても丁寧な言い回しですよ、いろいろ言葉を足す&直接的な表現を避けると丁寧なニュアンス出やすいですよ、というのを昔習って、その辺の感覚、実は日本人もアメリカ人もそんな変わらんのやなあと思ったのを思い出しました。 高校生のときに知っておきたかったけど、高校生のときにこれをちゃんと理解できていたかと言われると少し?な感じです。 外国語として言葉を学ぶときは、実は大元の日本語の感覚(今回のだと、「一歩ずらす」ことでなんとなく遠慮がちになる)を体感を伴って理解していることが重要になるのかも、と思いました。
@englishdoctor_roy8 ай бұрын
コメントありがとうございます。ホント似ていますよね
@佐藤愼-e4x8 ай бұрын
今回の動画を視聴して、つくづく何も知らずに、canからはいることができて良かったと思いました。 ありがとうございます。 脳が「フロントシフト」したようです。(難しかったですけど、わかりやすかったです😢) I will win the challenge.
英会話のレッスンで仮定の話でリタイアしたら何をすると聞かれていつもこう答えています。I could indulge myself but I wound’t do that because it would be boring. 仮定法はもっとカジュアルに使えるのにありえない事という説明がミスリーディングですよね。
@englishdoctor_roy8 ай бұрын
コメントありがとうございます。確かに「あり得ない」が強調されると…^^
@aoki_ch8 ай бұрын
I do appreciate your tutorial! You won't learn the difference between "can" and "could " without a good understanding of them.
@englishdoctor_roy8 ай бұрын
コメントありがとうございます!
@drfreestyle1863 ай бұрын
たぶん日本人でもよく知ってるBruno Marsの曲にToo good to say good bye(君は最高でさよならなんてできないよ的な曲)というのがあるんですが、冒頭の歌詞がこれに該当しますね。I've made mistakes. I could have treated you better.(オレは間違いを犯した。もっと君を良く扱えたはずなのに)。出来たはずなのに出来なかったという使い方でcouldを使ってますね。
@englishdoctor_roy3 ай бұрын
コメントありがとうございます。まさにそうですね~
@saba-san-k9t8 ай бұрын
いつもお世話になります😂 去年教えて頂いたGPT が今、とても良い話し相手になって、良い日々です。感謝! 昨日、紛争後復興の話題をしていた所、GPTが資料の様なものを付随したのか、それ以降、3.5から、4.0に移行してしまいました。以来、何を話しても膨大な量の返信があり…泣 今日、3.5 version に戻してくれないかと頼むと、出来ないけど、3.5並みの concise version で回答します、という事になりました、汗 びっくりな出来事で。機械ってやっぱり何だか、、と不安込みな印象を持ちそうです~🙇😅Ta
時制をずらすことで一歩引いた(可能性が薄くなる)表現、実は皆さん無意識に使ってます。 Would you like something to drink? しかし、言葉は生き物。時制をずらせば必ず丁寧になると思っていたら大間違い。 Would you shut up! 黙ってくれない! こういうケースもある。 解説の通り、実際にはifの無い形で出てくるケースが本当に多いです。 You would think so. 普通そう思うよね。(でも実際は違う) You'd think he'd be angry. 普通は怒ると思うよね。(実際は怒ってない) You wouldn't understand. 説明したって分かんないよ。(実際に説明しない事を前提に言っているから)仮定法なわけです。 人にアドバイスを求められた際に、shouldを使うよりも仮定法の方が押しつけがましくない提案が出来ます。 例えば、転職しようかどうか悩んでいると言われて、I would change jobs. 俺なら転職するな。つまり、相手にこうしろああしろと言うのでなく、自分ならこうすると言ってるので角が立たない控えめな提案が出来るわけです。 若し鳥なら飛べるのになんていう表現を例文に出すから、仮定法と言うと荒唐無稽なあり得ない事を云う時に使うんだという変な刷り込みになってしまいがちですが、実際は、 仮定法が理解出来ないと日常英語は理解するのが大変です。
@englishdoctor_roy8 ай бұрын
コメントありがとうございます。ホントよく使いますよね
@ttzzssttzzss6548 ай бұрын
Simon & Garfunkel の「El condor pasa」の歌詞を思い出しました。could, wouldの連発。 仮定法を学ぶには最適な歌詞かな~と。 ほんでもって「仮定法」と名付けるよりは「反事実法」とか「不(非)可能法」と名付けた方が近いんじゃ?と思いました。
@englishdoctor_roy8 ай бұрын
コメントありがとうございます。なるほどです^^
@星野紀子-z4w3 ай бұрын
仮定法はしらなかったですがすこしりかいてきました。
@englishdoctor_roy3 ай бұрын
コメントありがとうございます。理解が深まって良かったです^^
@aqua__rius8 ай бұрын
いつも楽しく拝聴しております! ということは、 We could win the game. 単体では、 『勝つ可能性があった=勝てたかもしれない』 『勝てるかもしれない』 の2つの訳し方が可能だという理解で間違いないでしょうか?
@englishdoctor_roy8 ай бұрын
コメントありがとうございます。はい、両方可能ですよ
@kiki-vm3xo8 ай бұрын
グーグル翻訳でやってみたら、試合に勝つことが出来たは、we can win the gameでした。 グーグル翻訳に喝ですね。
日本語の「できる」や「できた」に大した意味がないのには同意です。 おそらくcanとは違う概念ですね。ネイティブの文章を見ていてもそんなにcanやbe able to は登場しません。むしろ仰るようにcouldの方が多いです。 ちょっと例文をば。 「HPを100ポイント回復できる薬」を英訳すると”A medicine that recovers 100 HP”になり、この文脈においてはcanは不要です。 「着用者を生き返らせ砕け散る指輪」の場合、”a ring that will return the wearer to life, shattering to pieces in the process”になり、今回はwillが必要です。理由は、着用者が死んだらという暗黙の条件があるからで、canを使うと可能性があるという不自然な状況になってしまいます。
@englishdoctor_roy8 ай бұрын
コメントありがとうございます。確かに「回復できる」は can じゃないですね!
@miquiorodriguez30058 ай бұрын
勝てた試合だった、と日本語でも過去形っぽくなるんよね。
@englishdoctor_roy8 ай бұрын
コメントありがとうございます。確かにそうですね。
@Yoshi4898 ай бұрын
Give me a tea. おい、お茶! うちだと やかんが 飛んできます。 I wish that I would like a tea. 長いので 省略します。 I'd like a tea. お茶を 一杯 入れてもらえませんか。 仮定法過去を使うと 控えめで 丁寧な言い方になるので 日常会話で重要です。 Help yourself. やかんは 飛んできません。
過去の事実は変えられない。これは皆さん容易に理解できる筈。 その応用みたいなもので、英語では過去に対して命令形は使えません。 しかし日本語は、過去に対して命令形を使う事が出来る言語なんです。 例えば、「そんなの昨日の内にやっといてよ」それで日本語で言えるからと言って Do such a thing yesterday! なんて平気でやってしまう。 これを言われたネイティブは面食らうでしょうね。 今さらそんなこと言われても過去に戻ることは出来ないし、どうすればいいわけ? そこで仮定法過去完了の出番なわけです。 You should've done such a thing yesterday. 日本語は過去に対しても命令形は使えるが英語は使えない、 これは物凄く重要な概念です。 これは私見ですが 過去に戻って何かすることは出来ない=その可能性がないという事が、実は、現在完了形には具体的に過去を表す表現は使えない、そして、ランチもう済んだ?という表現もランチタイム内なら完了形も過去形も使えるが、夕方つまりランチタイムが終わってしまった時間(ランチの可能性がなくなった時間)には完了形は使えないという事にも繋がってくるんだと感じています。 ですから、I have been to Tokyo 2years ago. 夕方にHave you had lunch? この2文は不自然だし、I have been to the World Trade Center. これはもう建物が存在してない、つまりもう一度行こうにも行ける可能性がないので完了形でなく過去形でしか言えないわけです。
" I could win the game " ⇒" I was able to win the game " . " I should've been able to win the game " , usable also like this ☝. ……" Will you do it ? " " Could you do it ? " " Would you do it ? " . Like this , usable also bout ask . 😎