急行すずらん6号 札幌発車後放送

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急行宗谷

急行宗谷

Күн бұрын

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@北港-s8n
@北港-s8n 3 жыл бұрын
車内放送の見本のような。音量、喋りの速度、案内内容のわかり易さ、すべてにおいてお手本のような車掌さんです。タイムスリップして旅をしています、有難うございます。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
なんだかとても慎重な喋り方ですね。台風の接近、連絡船の運航状況、ひとつひとつ言葉を選んでいるような。
@オロロンライン-t9e
@オロロンライン-t9e 3 жыл бұрын
アップありがとうございます。車内放送が聴き取りやすいですね。青函連絡船、懐かしいです。台風で欠航というのも生々しくていいですね。そうでしたよね。青函連絡船が欠航だと、本州と北海道の移動が寸断されましたね。青函トンネルの完成で、いつで移動可能になりました。最後の弁当の包み紙がよかったです。「一枚のキップから」ありましたね。ありがとうございました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
いつもコメントありがとうございます。 若干ノイズがある録音ですが、ひとつの記録として楽しんで頂けたら嬉しいです。 当時は青函トンネルなど遠い未来のことと思っていましたが、今では新幹線が・・・時代の流れを感じます。
@dreamliner0801
@dreamliner0801 3 жыл бұрын
昔の優等の車掌さんは、ベテラン揃いで品がありましたね。「…でございましょうが」とか「ご辛抱願います」なんてサラッと仰ってますが、当時でさえ日常会話には出てこない言い回しです。 そして、毎度のことながら音質が素晴らしく、一瞬にして当時にタイムスリップできます。発車時の放送では車窓を流れる苗穂あたりの街の灯が、到着時の放送では鉛色の雲が垂れ込める函館の空が見えるようです。「連絡船も動いてないみたいだし、朝市でイカでも食うか…」なんて考えながら荷物をまとめている旅人を空想しました(笑) 貴重な記録、いつもありがとうございます。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
音声に合わせる写真や動画がないので、毎度苦し紛れのスライドショーですが、コメントを拝見させていただくと、聴く方それぞれが様々な情景を思い浮かべることができ、質素な画面でもいいんだ…と思うことができました。 何よりも車掌さんの放送を堪能して頂ければ本望で、嬉しい限りです。励みになるお言葉を有難うございます。
@mkrsknkarkw
@mkrsknkarkw 4 ай бұрын
今なら“客に我慢強いるとは何事だ”って必ず燃やされる🔥案件だな
@文殊院陽光-h5j
@文殊院陽光-h5j 3 жыл бұрын
おはようございます。きれいな録音、そして思い出の品までアップ、本当に感謝します。有難うございました。何度も汽車に乗り北海道を周遊したカニ族です。おまけに、昭和48年当初から2年間も生活し、その折のことを思い出しております。夜行列車は、すべて客車でこのように寝台車が連結されていました。貧乏旅行には4人掛けの自由席天国でした。有難うございます。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
いつも丁寧な文面からは「カニ族」のお姿を想像しがたいのですが、お互いに旅好き、鉄道好きのお仲間ですね。 古い録音で昔の良き旅を思い出して頂けて何よりです。
@文殊院陽光-h5j
@文殊院陽光-h5j 2 жыл бұрын
@@kyuukou-souya 様 高校を卒業した年、1971(昭和46)年の夏、アルバイトでためたお金を持って北海道を一周しました。もちろんワイド周遊券を使ってです。函館、札幌、えりも岬、帯広、釧路、根室、そこから北上、阿寒湖、摩周湖など、そして網走から稚内から天売、焼尻、旭川・・・決して忘れない旅でした。 その後、再度思い出を探すため1973(昭和48)年の1月から3月まで冬季の北海道を一周しました。 一番の思いでは、雄冬岬の集落に増毛から連絡船で渡ったところ、翌日から連絡船の欠航があ一週間も民宿に閉じ込められたこともありました。懐かしい思い出です。当時は陸路はなく、唯一の交通手段は連絡船の雄冬丸でした。現在は国道も開通し、再度訪問したいと考えています。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
@@文殊院陽光-h5j 様。わたくしも高校卒業の年に初めて北海道を旅行しました。卒業式の日の夜行で出発でした。 初心者でしたから宗谷岬、納沙布岬、摩周湖などは外せませんでした。 そして1年後、思い出をたどるべく、再び3月に訪れています。 雄冬に滞在とはすごいですね。時刻表に増毛から雄冬への航路が記載されていたのは気になっていましたが、観光船だろう・・・ぐらいにしか思っていませんでした。当時は、陸路がなかったということを知ったのは、ずっと後になって、インターネットの情報からでした。お恥ずかしい話です。
@文殊院陽光-h5j
@文殊院陽光-h5j 2 жыл бұрын
@@kyuukou-souya 様 なるほど、よくわかりました。しかし、当時に録音機持参とは驚きです。小生高卒時の18歳では、まだカメラを買う余裕もなく、入場券や駅弁の包装紙のみの土産でした。二度目の北海道はその一年半後、冬季の北海道を訪れました。夏とほとんど同じようなコースをたどり、結局2か月も北海道を周遊しました。もう一つの冬の思い出は、礼文島にて冬のスコトン岬訪問です。夏と違い、タダタダ寒いmの一言でした。バス待ちの時間、近くの民家で暖を取らせてもらいました。その後、北海道岩見沢にてに2年間働きながら生活しました。 現在は関西で年金生活者となりました。50年も前のことですが、いろいろな場所での思い出は尽きません。この汽車の車掌の音声は、本当に当時を思い起こさせます、ありがとうございます。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
​@@文殊院陽光-h5j 様。たくさんの思い出を載せて頂き嬉しいです。読んでいて情景が浮んでくるようです。 高校卒業後、すぐに就職したため、休暇を取って、10日か、せいぜい2週間程度の旅行になりました。 最初の頃はそこそこ観光地を巡ったものですが、だんだん列車に乗ること自体が楽しみになり、録音はその頃から始めました。 一度は会社を辞めて北海道に住みたいと思いましたが、牧場の体験をしただけで、諦めました。以降は悟ったように、次回の北海道を楽しみに仕事を頑張りました。 旅の思い出って、「人」がいますね。それが土地の人だったり、同じ旅行者だったり、働く職員さんだったり。思えば様々な人との出会いがありました。学校の先生になるという人、看護婦さんになるという人、青函トンネルの工事に携わるという人。​ 文殊院陽光様のコメントを拝見し、わたくしもたくさんの思い出が甦りました。
@内藤克紀-y7j
@内藤克紀-y7j 3 жыл бұрын
夜行すずらんのB寝台に乗車したのが人生初めての寝台でした。まだ中学生でしたが奮発しました。当時の思い出が蘇って来て感激です。!
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
初めての寝台車って特に印象的ですね。3段式のB寝台で、狭くても贅沢な気分でした。
@onoppunai
@onoppunai 3 жыл бұрын
連絡船は台風の影響をモロに受けるでしょうから、こう言うアナウンスもされていたんですね。録音状態良いですね😊。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
お久しぶりです。函館到着前の録音は構えるのが遅れて、慌てたために、雑音が入ってしまいました。お恥ずかしい失敗の一例です。 この日の午前の便で北海道に上陸し、それほど強い台風とは思わなかったのですが、洞爺丸のような事故は二度と起こさないように、国鉄も慎重になっていたことでしょう。青函トンネルがある今ではいい記録になったと思います。
@onoppunai
@onoppunai 3 жыл бұрын
@@kyuukou-souya 雑音が入ってるとか、人の会話が少し入ってる方が臨場感あって良いと思いますよ。😉
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
『臨場感』ということで許容していただけるなんて嬉しいです。今後、多少難がある録音も公開していけそうです。
@中央特快大月
@中央特快大月 3 жыл бұрын
平成初期は快速ミッドナイトのスジ ミッドナイトにはカーペットカーが指定席券だけで横になれて広くて快適だった。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
快速ミッドナイトは途中停車駅を運転停車にするなど斬新でしたね。繁忙期には普通座席の自由席を連結して停車扱いにしたり、柔軟なことをするんだな・・・と感心したものでした。
@TSUYOS185
@TSUYOS185 Жыл бұрын
カーペットカーは私も一度下りで乗ったことがあります。エンジンの響きはあるものの横になれたのが快適でした。 早朝の勇払原野は本当にきれいでしたね。
@yuuzankouhi
@yuuzankouhi 3 жыл бұрын
すずらんには夜行便もあったのですね。若かった自分は青函連絡船を「定宿」にしていたので、これには乗ったことはなかったなあ。 それにしても40年以上前なのに音質がよく、乗ったことはないのに懐かしく思います。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
連絡船の夜行便でも何度か船中泊したことがありました。足を伸ばして寝られるのは良かったのですが、約4時間は短か過ぎて、青森や函館に到着してからも眠かったこと・・・乗り換え列車の中でもうひと眠りしました。
@yuuzankouhi
@yuuzankouhi 3 жыл бұрын
@@kyuukou-souya だいたい往復使って寝てました。こんな金を落とさぬ客では国鉄も迷惑だったと思います。でもあのころはバスはなく列車はだいたい混んでいたような記憶しかありません。
@カルボナーラシノティ
@カルボナーラシノティ 3 жыл бұрын
北海道ワイド周遊券で無計画旅行中、泊まるとこがなかったときこのすずらんで函館まで使ったことがあります。懐かしい❗️
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
周遊券と道内完結の夜行列車・・・いい時代でした。
@おっとどっこい-s8j
@おっとどっこい-s8j 2 жыл бұрын
ありがとうございます。学生時代年はこの録音の1年後ですが,この列車になんとか乗って広島まで帰りました。植物生態の研修で北海道(礼文島など)を訪れた際,研修後同級生3人で大雪山などを登山しました。下山後札幌で台風に遭い,列車はすべて運行見送りで,札幌駅での野宿も覚悟していました。そんな中,「すすらん(夜行)」が奇跡的に運行をすることになりました。当時周遊券を持っていると,急行料金は必要なく,学生にはとてもありがたかったです。函館到着後は,連絡線で青森。靑森からは,これまた常磐線まわりの急行で上野まで帰りました。東京からは,夜行の「あさかぜ」で広島まで帰りました。札幌での夜中から二日後でしたが,今でも良い思い出に残っています。夜行の急行などノスタルジーを感じさせる列車がなくなって残念です。若い人たちに,飛行機では味わえない,こんな旅を経験させたやりたいと思っています。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
確かに飛行機では味わえない旅ですね。私のように列車に乗ること自体を楽しむ旅と違って研修とは頭が下がります。 それにしても長旅お疲れさまでした。
@pleasure7810
@pleasure7810 2 жыл бұрын
すみません、鉄道好きでもなんでもないのですが、なぜかあがってきてたので聞きました。40年以上前の車内放送をよく残していたものですね。 そしてとても昭和を感じられるいいものです。そして懐かしい旅情も感じられる。 関西の人間なので北海道の鉄道事情はよく知りませんが、当時は札幌から函館まで7時間ほどかかってたのですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
KZbin側がCMを見せるために、興味がない人にまで拡散しているようです。大抵は「低評価」を下して却下のようですが、こうして旅情を感じてコメントまで頂戴できるとは嬉しいです。 鉄道知識を語るよりも、昔を懐かしんだり、思い出を語ったり、当時を知らない人に「へぇ~」っと言って頂いたりするのが嬉しくて公開しております。
@SaM-xd4fh
@SaM-xd4fh 2 жыл бұрын
釧網本線の動画からこちらに流れてきましたが、すずらん6号もこの録音の3ヶ月前に乗りました。普通車の最後尾に乗りましたがスハフ44でした。 デッキから後ろに流れ去る線路を眺めたり、南千歳付近から旧空港ターミナルの電光時計が0:00に替わるのを見たのが印象深い。 私は函館をうろうろして8便八甲田丸に乗り、十和田4号の旧ナロネ改のナハ21で帰京しました。連泊の座席夜行、若かったなあ。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
夜行列車の車窓からふと観たあるひとコマの風景が、妙に印象深く、脳裏に刻まれていることってありますね。そんな記憶を思い起こして頂けましたら何よりです。
@welcometohakodate4713
@welcometohakodate4713 2 жыл бұрын
連絡船欠航とは、今となっては大変貴重ですね。A寝台B寝台グリーン車、座席指定、自由席、郵便、荷物 完全セットの列車でしたね! 長距離列車ならではの車掌さんの案内 貴重音源ありがとうございます
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
「完全セット」。なるほど、そんな呼び方があるのですね。A寝台やグリーン車は敷居が高く、雲の上のような存在に感じたものでした。身分相応の普通座席車は「快適」とは言い難かったですが、味わい深い長距離列車があった時代でした。
@CYuuzuru
@CYuuzuru 3 жыл бұрын
1977年8月、高校の夏休み中に北海道ワイド周遊券を利用し夜行7連泊の貧乏旅行をしました。 急行宗谷さまのおかげで道内最後の夜に乗車した、この列車の思い出が鮮やかに甦りました! 何十年ぶりかで目にした連絡船の乗船名簿も懐かしいです。 素晴らしい記録をアップしていただき、ありがとうございました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
夏休みの北海道は人気があって、混雑したことでしょう。北海道最後の夜が『すずらん』とはそれもまた感慨深いことと思います。この録音から、楽しい旅の思い出が甦ってこられたのでしたら、UPした甲斐がありました。
@Imdown-fl7im
@Imdown-fl7im 3 жыл бұрын
まだ南千歳駅が無い頃ですね。懐かしい限りです。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
千歳空港駅(当時)が開業したのは、この録音の翌月の10月1日でした。すでにホームは完成していて、開業後は貨物以外の全列車が停車となるはずの駅を高速で通過していました。
@634彩豪
@634彩豪 Жыл бұрын
やっぱり夜行列車のチャイムはハイケンスのセレナーデですね🚃
@tomiyakaratomikawa
@tomiyakaratomikawa 2 жыл бұрын
「すずらん」の寝台は3段式で狭くてね・・ 下りも同じような時間に函館を出発した記憶があります。 この19日後、修学旅行で連絡船~日本海に乗りましたが2段式できれいな車両で感激しました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
確かに昔の3段式は狭かったですね。当時は周遊券で自由席ばかり乗っていましたが。
@かぜのおと-n9u
@かぜのおと-n9u 3 жыл бұрын
編成表で荷物車や郵便車も連結区間や上り下りの違いを表現しているのが律儀ですね
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
乗客にはあまり関係なさそうな荷物車の案内。深夜の途中停車駅から乗る際の乗車位置の参考か、単に鉄道ファン向けの情報かわかりませんが・・・
@中村吉郎
@中村吉郎 3 жыл бұрын
早く鈍行列車の旅へ、出掛けたいです。また札幌に住んでいらっしゃる高校の同級生と、再会したいです。  旅情気分の提供に深謝します。  万年少年より 2021.10.16
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
早速のコメントありがとうございます。 コロナもやや落ち着いてきた様子ですが、まだまだ安心はできませんね。 マスクを着け、見えないウイルスに怯えながらでは、旅の楽しさも半減してしまいそうで当分自粛を続けます。
@nyanpeco462
@nyanpeco462 2 жыл бұрын
青函連絡船の案内はなつかしく聞かせてもらいました。函館や青森に近づくと乗船名簿が渡されたこと思い出しました。なにか不安と期待のなか記入した記憶があります。当時、春の低気圧の荒天下風速27mでも高波に船首を潜らせながら航行を続けていましたので、この時は相当な風速だったと思われます。数年前急行はまなすで同様な乗車体験をしましたがすでに連絡船はなく目覚めれば青森に到着でした。それも今となっては昔のこと、これはかつての本州との連絡列車の一面を表す貴重な記録だと思います。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
確かに連絡船に乗る前は不安のような緊張感のようなものがありましたね。当時、飛行機にはまだ乗った経験がなく、「あぁ…大地から離れるんだ…」みたいな。その時の心境を思い出します。 青函トンネルなど遠い未来のことと思っていました。
@秀雄水越
@秀雄水越 Жыл бұрын
明けましておめでとうございます🙇 今の車内放送よりも何か暖かい身の有る雰囲気の車内放送だな~と懐かしさが有るね✨
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
明けましておめでとうございます。今はすっかり自動放送が主流になってしまいましたね。でもそれもまたいいです。昔を懐かしみながら快適になった現代の旅を楽しみたいと思います。
@だめだこりゃ-y2c
@だめだこりゃ-y2c 3 жыл бұрын
青函トンネルに感謝
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
改めて青函トンネルの有難さを感じました。
@藤井昌宏-k8d
@藤井昌宏-k8d 2 жыл бұрын
昔、小学生の頃札幌東区に住んでいましたが春休みや夏休み冬休みに母の実家(福島県中通り)に行く時はよく乗った事を思い出しました!
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
遠い日の記憶を思い出して頂けましたら何よりです。私の両親も福島県浜通りの出身です。
@藤井昌宏-k8d
@藤井昌宏-k8d 2 жыл бұрын
@@kyuukou-souya そうなんですか!宗谷さんこれからも宜しくお願いします!
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
@@藤井昌宏-k8d 様。浜通りでしたので、常磐線で蒸気機関車の引く列車に両親に連れられて乗ったことを思い出しました。
@anklady
@anklady 3 жыл бұрын
いつも貴重な音源のアップ、ありがとうございます。夜行すずらん、とても懐かしいです。私の北海道旅行初の夜行列車は、高1の夏休みに乗車した函館→札幌の臨時急行すずらん51号でした。座席は満席でやむなくデッキに新聞紙を敷いて寝た思い出があります。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
高1でデッキで新聞紙とは大胆ですね。でも夏休みの混雑時なら、そんなことも珍しくない時代だったのでしょうね。
@anklady
@anklady 3 жыл бұрын
@@kyuukou-souya さん この時代の夏休みの北海道は私のような同世代の旅行者も多かったです。 歌志内線乗車中に知り合った旅行者は、近所に住んでいた同い年でお互い驚いたものです。
@ゴーウェスト
@ゴーウェスト 3 жыл бұрын
すずらん、よく乗ったなあ。ちょっと甘酸っぱい思い出があるんですが(=´∀`) 懐かしい…今は、こういう旅の良さは無くなりましたね。アップありがとうございます♪
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
過ぎ去った遠い日々の思い出を感じて頂けたようですね。夜行列車って妙に感慨深いものがありますね。
@FuuKagurazaka
@FuuKagurazaka Жыл бұрын
夜行のすずらんもよく乗った物でした、当時高校生で函館ヘの旅行では往復とも寝台を使って移動していました。 その後国鉄に入ってからも松前に行った返りにこの夜行すずらんのA寝台に乗りましたが、私と母の貸し切り状態だったのを覚えています。 収録された昭和55年と言えば国鉄貨物の大幅な改正があり、ローカル線の貨物列車がのきなみ廃止されていきました、また石北本線と釧網本線の混合列車もこの年のダイヤ改正で無くなりましたが、客車だけはそのまま旧型客車での運行が暫く続きのちに50系51型での運転がされていたようです。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
道内にあった夜行急行の中で「すずらん」は比較的早い時期になくなってしまいましたね。 その後、快速「ミッドナイト」が登場して、なかなか画期的だと思いましたが、やはり高速バスには勝てなかったようですね。鉄道が元気だった時代が懐かしいです。
@加法定理って何ですか
@加法定理って何ですか Жыл бұрын
@@kyuukou-souya 平成だと夜行ははまなすだったから…夜汽車と言う言葉自体死語か…
@tatsuai7588
@tatsuai7588 Жыл бұрын
この列車も五稜郭に停まれば木古内行きの743Dに乗り換えられるのに、通過なので1時間以上待たされる江差線利用者に同情してしまう。 のように、時刻表と一緒に見せていただけると発見があって楽しいですね。感謝です。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
なるほど。五稜郭に停車すれば・・・ということは全く気が付きませんでした。 詳細にご覧いただいて有難うございます。
@長門さん視聴専用垢
@長門さん視聴専用垢 Жыл бұрын
同じ急行でも室蘭行きの「ちとせ」のグリーンは自由席なんですね〜。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
「ちとせ」は「すずらん」に比べれば距離が短く、グリーン車の利用は少なかったのでしょうね。 グリーン車を外して普通車だけにしたかったのかも知れませんが、車両運用の都合もあり、外せなかったのかな・・・? 現代の特急「すずらん」もグリーン車はありませんし・・・
@タツヒトミナミ
@タツヒトミナミ Жыл бұрын
急行すずらん5号 函館発23時40分-札幌着6時08分
@久井伸重
@久井伸重 2 жыл бұрын
青函連絡船の運行見合わせですが見合わせはあまり聞いたことがなかったのでここから始まるかな?と思いました。以上です。
@shinkoba3397
@shinkoba3397 3 жыл бұрын
すずらんって、寝台車も連結されていたんですね!素晴らしい夜行急行です。乗ってみたかったなぁ!
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
すずらん、後のはまなす同様、北海道らしい花の愛称で、寝台付きの夜行。どちらも情緒がありました。
@藤井昌宏-k8d
@藤井昌宏-k8d 2 жыл бұрын
すずらん6号か!最後尾の何両かは小学生低学年だったので忘れてしまいましたが、あの時の車内の匂いは今でも昨日のように覚えています!
@地蔵-z9i
@地蔵-z9i 2 жыл бұрын
3:12からの時刻表を見るに、「駒ヶ岳」「赤井川」以外は有人駅だったということですかね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
地蔵様 発見ですね。 古い道内時刻表には無人駅の(無)、乗降場の(乗)が記載されていましたが、1977年(昭和52年)7月号を最後に、この記載が削除されていました。 使用した1980年(昭和55年)9月号は、すでに削除後でしたが、このページの2駅だけは削除されずに残っていました。 削除漏れのまま、何年も発行され続けた様子ですが、今まで全く気が付きませんでした。
@地蔵-z9i
@地蔵-z9i 2 жыл бұрын
@@kyuukou-souya さん、「そんなわけないだろうけども…」という思いでした。無人駅の表記が必要だった時代ですね。似た感じでは、当たり前だった喫煙当たり前の世の「禁煙車」も無くなりましたね。
@スーパーおおとり
@スーパーおおとり 2 жыл бұрын
そうしますと 東山駅 が有人だったって事?
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
@@スーパーおおとり 様。要するにミスプリということですね。 (無)や(乗)の印は本来、営業キロが乗っているページにのみキロ数と共に記載されていましたが、このページだけはミスで載っていて、削除も漏れた様子です。 (無)や(乗)が記載されていた当時は、東山は乗降場でしたから、キロの表示がなく、(乗)でした。
@タツヒトミナミ
@タツヒトミナミ Жыл бұрын
今度は、函館発特急「おおぞら3号」もお願いしますよ、出来ればキハ183系で。
@小樽築港機関区
@小樽築港機関区 3 жыл бұрын
昔、夜行すずらんは、D51が牽引してたな~。 (連絡船のアナの時、車内の声が高くなった様な?)
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
D51牽引の頃は知りませんでした。初めて北海道旅行した時はC62急行ニセコもすでに無く。辛うじて、室蘭本線と釧網本線でSL牽引の普通列車に乗りました。
@小樽築港機関区
@小樽築港機関区 2 жыл бұрын
@@kyuukou-souya さん、幼少の頃は踏切から急行ニセコ(C62.2.3)に手を振ってました。
@原田寛-e3u
@原田寛-e3u 2 жыл бұрын
寝台車と座席車は10系で、グリーン車はスロ54かスロ62ですか?
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
こまめに記録をとっておかなくて申し訳ありません。
@hc-ir2dr
@hc-ir2dr 2 жыл бұрын
北海道なので、普通車はスハ43の北海道仕様のスハ45の可能性もないでしょうか。
@原田寛-e3u
@原田寛-e3u 2 жыл бұрын
@@hc-ir2dr さん なるほど、旧客車を連結するとなると、牽引機関車(DD51)にはSG(蒸気発生器―ボイラー)が搭載されていたはずでは❓
@hc-ir2dr
@hc-ir2dr 2 жыл бұрын
@@原田寛-e3u 様 北海道の旧型客車は蒸気暖房でしたので、機関車にSGは搭載されていたと思います。
@繁青木-q6o
@繁青木-q6o 2 жыл бұрын
一音抜けたハイケンスのセレナーデがいい!と思っていたら、何故か最後は抜けてないですね(笑) 台風接近時の貴重な音源、ありがとうございました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
録音した時は連絡船からさらに本州方面の列車案内を期待していたので、台風の影響でがっかりしたものでした。 でも青函トンネルが日常になった今となってはこれもひとつの記録になったと思います。
@can164jp1
@can164jp1 3 жыл бұрын
地元HBCの村形アナウンサーのようなベテランの名調子ですね。古い例えで恐縮です。夜行すずらんは後のはまなすのご先祖様とでも言いましょうか(笑)山線廻りの夜行鈍行客車もありましたねぇ…夜行列車で宿代も浮いて朝から函館観光ですよね。もっぱら駒場町巡りですけど(笑)
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
連絡船の案内の時は、台風情報を報じるラジオ放送のようで、ちょっと緊張しました。
@mkrsknkarkw
@mkrsknkarkw 2 жыл бұрын
時刻設定が“はまなす”のご先祖みたいな列車 台風🌀で連絡船運航見合せ放送だが 今みたいに 的外れなモンスタークレーマーもいない時代 今なら 車掌に“何で運航しないんだ”とか詰め寄る××が 必ず湧く事案()
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
台風の接近に伴い、計画運休するようになったのもこんな理由からでしょう・・・
@果実煮-b6n
@果実煮-b6n 2 жыл бұрын
結局 連絡船は運休なんだ?
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
台風でしたからね。洞爺丸のような事故を二度と起こさないように慎重になっていたことでしょう。
@果実煮-b6n
@果実煮-b6n 2 жыл бұрын
連絡船が心配で 寝られなかったでしょう? 全ての停車駅に駅員がいたのか? 今と違うね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
@@果実煮-b6n 様。北海道に上陸したのは、欠航になる前、この日の午前の便でした。それがその日の函館行き夜行に乗っているとは不審な動きでありますが、翌日は江差方面に行く予定をしていましたので、連絡船の運航は心配しませんでした。 駒ケ岳駅と赤井川駅の(無)は消去漏れのいわばミスプリのようで、他が有人駅ということではないようです。急行停車駅くらいは深夜であっても全て有人駅だったとは思いますが。
@tarouken2652
@tarouken2652 2 жыл бұрын
昔 ソニーのデンスケ 欲しかったな~~ぁ 今だ Dfとデジタルレコーダを 持ち 汽車に乗ってます 動画が肌に合わない 貴重な音声を ありがとう
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 жыл бұрын
この頃、動画を撮影するには8ミリフイルムですが、高価で手が出ず、音声を録ることぐらいしかできませんでした。 でも耳から入る音声の方が様々な場面を思い出すことができますね。
@買うたこうた
@買うたこうた 3 жыл бұрын
編成表には前から2両目の郵便・荷物車は長万部~函館のみ連結になってますが、これは長万部33分間停車中に入れ換え作業をするのですか?
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 3 жыл бұрын
深夜の長万部でどんな作業が行われるのか確認しておけば良かったのですが、寝ていました。 時刻表の編成表を見る限りでは、札幌から来た荷物車と1号車の間に、挟み込むようにもう1両荷物車を連結しているように見えますね。当時の国鉄は、切り離し、連結を器用にやってのけていたし、連絡船に積んだり、本州の列車に連結したりと、その先の運用を考えてのことかな・・・などと勝手に解釈していました。想像の域を出ませんので、この方面に詳しい方からご教示いただけると有難いですね。
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