江戸時代の旅行がヤバすぎる!約300円の格安宿に泊まってでも行きたかった場所とは!?

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ガクの本棚

ガクの本棚

Күн бұрын

Пікірлер: 164
@とり-j6o
@とり-j6o Ай бұрын
熊本の実家にある仏壇の裏から古い紙が出てきて、伊勢神宮に行ってきたっていう手紙とお札が出てきた。 これだったんですね。 スッキリしたのと同時にうちの先祖も行ってたんだと感慨深い気持ちになりました!
@MS-gc5ej
@MS-gc5ej Ай бұрын
それ歴史的資料だから大事にしてほしい
@キキ-r9q
@キキ-r9q Ай бұрын
博物館にでも持ち込んでみては?
@ky8823-x7w
@ky8823-x7w 24 күн бұрын
隙あらば自分語り
@dmarshall3001
@dmarshall3001 4 минут бұрын
そろりそろり
@hinake8821
@hinake8821 Ай бұрын
これ見ると、たった150年で庶民の生活水準上がりすぎだろと思う 先人に感謝
@純一の友人バカワキガ
@純一の友人バカワキガ Ай бұрын
背もたった150年で15cmぐらい伸びてるからね 凄まじいスピードで発展した
@山中達雄-j3p
@山中達雄-j3p 18 күн бұрын
現在みたいに一般庶民の生活水準が高くなったのは第二次大戦後の高度成長期以降だと思う
@Iihgyedvjiyfvbjgddn
@Iihgyedvjiyfvbjgddn 2 ай бұрын
面白かったです!絵とマッチしていて、イメージが湧きやすくて、同じ日本人としてこんな時代から今につながっているんだなあとちょっと胸熱。
@nao1208a
@nao1208a 2 ай бұрын
ちなみにあの杖は仕込み杖なんですよ 江戸時代は現代と同じ武器携帯は禁止ですが長い道中だと街道や峠越えで野犬の群れに遭遇することもあり 旅の時は仕込み杖は持参してもよろし、でした
@shuminchuuu
@shuminchuuu Ай бұрын
仕込み杖とはまるで忍者ですな... 新しい知識が増えました。 ありがとうございます!
@いけだなな-q9n
@いけだなな-q9n 2 ай бұрын
ネット情報がない時代において人情が正義だとすると思う
@モブ-l5y
@モブ-l5y Ай бұрын
足腰つよかっただろうなぁ
@Korea-zp2yd
@Korea-zp2yd 20 күн бұрын
今だったら新東名と伊勢湾岸道と伊勢道で大体5、6時間あれば東京から伊勢まで行けるわけだから、テクノロジーの発展ってすごいね
@やませみ-x3q
@やませみ-x3q Ай бұрын
私も伊勢参りや 皇居参りをしています そして全国の神社仏閣や縄文遺跡を訪ねて回っています むかしの旅人と同じことをしていますね 去年は山寺にも行きましたが 西行 芭蕉などの歌枕も外せませんね
@renonkkk
@renonkkk 2 ай бұрын
歴史を深く掘り下げての面白解説ありがとうございます。
@weallshine8888
@weallshine8888 8 күн бұрын
いい時代になりましたね
@saito_studio753
@saito_studio753 Ай бұрын
女性の移動が困難で厳しかった理由が、 領地にしばりつけていたのは知りませんでした。 江戸幕府に争いがなかったのはこうしたきびしい決まりがあったのですね。
@ウンターメッシュ-d3p
@ウンターメッシュ-d3p Ай бұрын
こーゆうの見たらあらためて紀元前にインフラや上下水道を整備してたローマ帝国って凄いんだな~って思う
@恵司岸
@恵司岸 Ай бұрын
シーボルト 「こんなに民衆が旅行する国を見たことがない」
@梶龍磨
@梶龍磨 Ай бұрын
蘭学を教えてくれた偉人だったのに、追放だなんて。🙍
@57home1
@57home1 Ай бұрын
ドイツからご苦労さまです
@梶龍磨
@梶龍磨 Ай бұрын
@@57home1 ドイツ人でありながらオランダ軍の軍医になったり、明治維新後に再来日したりとめちゃくちゃ冒険心がある。😼イザベラ・バードみたいだ。😎
@JH-sq1tz
@JH-sq1tz Ай бұрын
@@梶龍磨 まー当時の地図ってのは今とはくらべものにならないレベルの軍事機密なのでしゃーないっすね。
@挽地寛一郎
@挽地寛一郎 5 күн бұрын
昔は、江戸から京都まで徒歩で一ヶ月程度かかっていたのが、今は、東京から京都まで東海道新幹線で2時間10分で行けるのだから、文明の進歩は凄いと感じると同時に、恐ろしいと感じます。
@mokomoko4399
@mokomoko4399 Ай бұрын
伊勢参りは信心深いだけでなく、移動を制限されていた江戸時代において 伊勢参りといえば移動がしやすいからと言う話を見た事があるのですが、そんな説はあるんですか?
@tokoname19790803
@tokoname19790803 Ай бұрын
庶民の娯楽の為の旅行は幕府により禁止されていましたが、神社仏閣への参拝はOKだったのでお伊勢参りみたいな参拝を理由にして旅行していた様ですね。 因みに他の藩の領内とか他地域みたいな他所へ引っ越す行為も禁止されていたりします(基本的に一度定着した場所、地域で一生を終える形になり同じ領内でも後ろ盾がない庶民がホイホイ引っ越すのは難しかった様です)
@見えないクン
@見えないクン Ай бұрын
移動には関所で通行手形を提出しないとならないが、 その発行には長屋の大屋さんや農村の庄屋さんを通じて奉行所や代官所に発行してもらわないとならないが、 伊勢参りの口実だと比較的発生してもらいやすかった。 ちな、通行手形があっても関所での審査には差があり、箱根などを筆頭に厳格な審査の場所を嫌う者は、裏街道を通る場合があった。 (東海道の裏街道の大山街道246号や甲州街道の裏街道の青梅街道や陣場街道などや中山道の裏街道の川越街道254号など)
@ED81S
@ED81S Ай бұрын
@@tokoname19790803 居住移転の禁止は建前で 村八分、田畑を売った(本来は違法)飢饉による逃散、家を継げない二男三男など 村に居場所がなくなった人間はどんどん江戸に集まっていった、だから100万人近い人口に膨れ上がった
@嘉慶林-k2j
@嘉慶林-k2j 2 ай бұрын
昔の話とはいえ、一生に一度の旅行とは何とも慎ましく、且つ人々がお互いを想いやって助け合う様が昔から日本人は素晴らしいと感じた。特におかげ犬は主人の願いをかなえるひたむきさと周りの人がそういうことも察して優しく世話を焼いてやる様が素晴らしく感動した。やはり日本人は優しさと情にあふれた善なる国の人々と思った。
@2039mumei
@2039mumei Ай бұрын
それに比べていまの若者は…😊
@梁-m4z
@梁-m4z Ай бұрын
@@2039mumeiそんな事言ってるから善意を受けられないんですよ
@tensaiGOD
@tensaiGOD Ай бұрын
@@2039mumeiお決まりの流れ
@嘉慶林-k2j
@嘉慶林-k2j Ай бұрын
今の若者もいい奴多いですよ。例えばアメリカに行くとスケボーやる子の周りは落書きやゴミだらけだけど、私の家の近くでスケボーで遊ぶ子は格好はストリートですが帰りはきれいにして帰ります。 やはり日本の子は美しい。素晴らしい公共心で遊んだ後も清々しくて大好きです。
@MisterJunFace
@MisterJunFace Ай бұрын
海外に住む日本人は他国民と違って、基本日本人同士の接触を必要以上に避けて助け合ったりはしないから一概にそうとは言えないけどね😅(村社会的な民族性への忌避感から日本を出た人同士だからというものありそうだけど) お互いを助け合う性質というよりは、旅は恥のかき捨てという言葉があるように、日本人にとって旅って特別なものだったのかもね。
@近森朱音
@近森朱音 Ай бұрын
面白かったです 旅に出るのも大変でしょうね💦 今の時代なら温泉♨️旅行とかプチ旅行は普通 女性に厳しいのは驚きました あと犬のお礼参りとか知りませんでしたし🐕
@72011539122473
@72011539122473 Ай бұрын
単体で向かったおかげ犬はどうやって伊勢にたどり着いたんだろう 関所での扱いは
@somo3
@somo3 Ай бұрын
数々の文献から、おかげ犬は要所要所である程度誘導されて伊勢まで向かっていたらしいですが明確に行けた理由は今でも明らかになっていません また、関所においてはおかげ犬の首にぶら下げた荷物を役人が確認して問題なければスルーしていたそうです さらにおかげ犬を虐待すると罰当たりモノと言われるどころか役人に捕まって厳罰が科されていました
@72011539122473
@72011539122473 Ай бұрын
@@somo3 おお! 細部を教えていただきありがとうございます! 昔は今よりもずっと、神仏を大切に思う慣習が根付いていたからこそ、おかげ犬は保護されて旅の安全が確保できていたわけですね!
@kindo_ch
@kindo_ch Ай бұрын
『こんぴら狗 (くもんの児童文学) 』おすすめです! 今井恭子さん(著)・いぬんこさん (イラスト) 当時の様子が活き活きと描かれていて、おかげ犬はもちろん、 人情味あふれる人々のやさしさがジーンとくる作品です🥲 大人にも・・・というか大人にこそおすすめの本!
@hideoyamada4999
@hideoyamada4999 Ай бұрын
木賃宿が300文と言っても今のおカネで、多分、相部屋食事なしで5000-7000円だから決してやすくはないなぁ。それで最低限の食事に草鞋台でも、30日で約3両は最低限、イチネン奉公して3両一分のサンピンには夢物語だろな。
@semisonic87ify
@semisonic87ify 28 күн бұрын
いや全く違うw江戸時代って言っても初期から幕末まで260年も続いてるから貨幣価値が大きく異なる。それ故に江戸時代の金額を現代の円に換算するのは非常に難しい。
@hideoyamada4999
@hideoyamada4999 28 күн бұрын
@@semisonic87ify ワンコ代参の記録は1771年の記録からって言うから、大体江戸期に入って2/3を過ぎたあたり以後、なので、考えるべきは260年間じゃなく70~90年間?ただ、幕末には金流出量が増えて”一両小判の質・質量低下”それに伴い1両=4000文ではなくもっとわずかのゼニとしか交換できなかったとは思う。一応、幅を持たせて一両=67000円~9万程度にしたけれど、”まったく違うw”というほどに違うのかな?しっているならオシエレちょうだい。
@こばあか-e6f
@こばあか-e6f 22 күн бұрын
そもそも木賃宿が300文もするわけない。どこから300文って出てきたのやら。
@hideoyamada4999
@hideoyamada4999 22 күн бұрын
@@こばあか-e6f UPヌシさん、動画タイトルには一日300円って書いてるから、察してあげて。江戸後期の木賃宿に限らず、ネットの情報だと他の物品も含めて正確な価格は、だれか筆まめなヒトの旅日記でも見ればある程度は出て来ても、季節や場所によってのばらつきもあるだろうから、ワカラン。まあ、今でも二人分は有りそうな大きな鰻かば焼きで1500円以下のも7~8千円のも有るんだから、”蕎麦一杯イクラ”と断定するなんて無理べ。
@toyo-rex4899
@toyo-rex4899 Ай бұрын
江戸時代中期(元禄時代)以降に庶民の旅行熱が高まった理由は、貨幣経済の発展もありますが、やはり「生類憐みの令」だと思います。 それ以前だと街中で平然と辻斬りが行われていたり、旅先の宿で病気になると宿から追い出されたりするような「人命軽視」の風潮が色濃く残っていました。そんな中での旅行はまさに「命賭け」であり、気軽にできるものではありませんでした。 それを払拭してくれたのが5代将軍・綱吉が発令した「生類憐れみの令」。一般的なイメージとしては「犬を初めとしたあらゆる動物を大事にする」というものですが、実は人間もその対象になっていた(具体的には捨て子の禁止や病人の保護など)ことを知る人はそんなにいないと思います。 人命軽視から人命尊重の風潮に変化したことから、庶民が気軽に旅行ができるようになったのだと思います。
@emcon3
@emcon3 Ай бұрын
自転車で都心から多摩方面とか郊外に往復100km程度のサイクリングしてるときも「江戸時代とか徒歩でここまで来るの大変だっただろうな」っていつも考えてた。 布田道や関谷の切り通しとか通るたびに「ここまで徒歩で来るとか1日じゃ無理だよな」なんて。 当然未舗装で草刈りも今ほど行われてなく照明もなく大半が獣道に近いレベルだったんじゃないかと。
@アプリ-z9x
@アプリ-z9x 18 күн бұрын
私が住んでいる村の2つくらい村に行くまでに昔は山を歩いて行ってたらしいんですがね、昔はその山を旅人達が通って行くと何と山賊が出ていたそうです,今は鋪装された道路が通り道路も広くなっているんですがね、周りを見ると確かにこの道路が出来るまでは木々が生えたあの山道を通って旅をしていたんだなと思いましたね,地元のおばあさんが教えてくれた話なので本当だと思いますよ、
@稲村正和-b9l
@稲村正和-b9l 2 ай бұрын
昔 の 日本 ありがとう
@shucol
@shucol Ай бұрын
面白かったです!
@米28モテない村村民
@米28モテない村村民 Ай бұрын
講というのが現在の保険や年金の元だと思う。 江戸の文化レベルって当時世界的に見てもすごい高いと思う
@redicategradge
@redicategradge Ай бұрын
300年前はわざわざ自分で安い宿を探し、電車や飛行機なる乗り物で何時間もかけて海外へ旅行へ行っていました。 なんて時代が来るんかの〜?
@A1234-q3p
@A1234-q3p Ай бұрын
😊これはまぎれなく教育番組ですね☺️
@y_nya
@y_nya Ай бұрын
昔の人は健脚だっただろうなぁ それにしてもこの動画すごく面白い
@peterraccoon2160
@peterraccoon2160 Ай бұрын
浮世絵には東海道が広く描かれていますが、昔の街道は行列がすれ違える幅もないし、旅人も大名行列と袖擦りあいながら歩いていたはずです😊
@itharu9322
@itharu9322 13 күн бұрын
伊勢参りが大流行した理由の一つに、女性でも藩を跨ぐ旅行を認めてもらいやすかったという点があるようです 動画にもあるように女性の移動は厳しく制限されていました(特に江戸は深刻な嫁不足のため難しかったようです) となると、女性が旅行をするには伊勢参り等の許可の出やすい理由が必要でした 伊勢講と並んで富士講も人気でしたが、富士は女人禁制だったため女性の旅と言えばお伊勢参りとなったようです
@ノコノコ遊園地
@ノコノコ遊園地 Ай бұрын
イッヌを大切にしてる日本人 本当にそこだけは最高やな
@松本悠佐
@松本悠佐 2 ай бұрын
ぐれ宿今の簡易宿泊所のような感じでしょうね。途中…地元の浮世絵がありました🙇
@まき-s4i
@まき-s4i Ай бұрын
おかげ犬かわいいな🤣
@ExcellaNescafe
@ExcellaNescafe Ай бұрын
伊勢講のシステムは面白いですね互いの信用と信頼があったんですね。 似たようなもので自分の田舎では「頼母子(たのもし)」といって町内会 でお互い出資しあいくじに当たればそのお金を自分の事に使えるものでした。 1990年頃に終焉しました。 みんな貧しかったんですね。
@taron4832
@taron4832 2 ай бұрын
めちゃくちゃ面白かったです。
@にゃんバー
@にゃんバー Ай бұрын
旅………改めて考えさせられるね‼️ 直ぐに目的地に着くだけが【旅】じゃないんだよね😊
@takemeer500
@takemeer500 Ай бұрын
関所がない姫街道ってのがありますね
@たかちゃん-123
@たかちゃん-123 2 ай бұрын
今でこそ大変だけど、当時はそんなに大変な感覚はなかったのでは。
@momotaaro
@momotaaro Ай бұрын
山賊や強盗の恐怖はめっちゃあっただろうね
@たかちゃん-123
@たかちゃん-123 Ай бұрын
@@momotaaro幕府は盗賊、山賊の取り締まりを目的として関所など設けて取り締まりをしていたみたいだけど完全に防ぐのは難しかったみたいだね。 ただ、それは現代も一緒ではないかね。 夜はどこでも何かしら犯罪に巻き込まれる可能性はゼロではない。
@nico-jk9un
@nico-jk9un 2 ай бұрын
おかげ犬って、一匹で長い道のりを歩いて行ったってこと?道わかるの?ちょっと信じられない😂
@Penntyann
@Penntyann 2 ай бұрын
気になったのでググって掘り下げてるけど、「餌をくれる人について行く」っていう習性を上手く利用したとかなんとか そうやって誘導されてるうちに「人がいっぱい歩いてる道を歩けばいいらしい」くらいは理解するのかも
@nico-jk9un
@nico-jk9un 2 ай бұрын
@@Penntyann 調べてくださったんですね!ありがとうございます。 それは一理ありそうですよね。でもよほど理解のある犬でないと主人の元を離れたりしないと思うので驚きます。帰りは匂いをたどって帰れるのでしょうね。不思議です。
@Penntyann
@Penntyann 2 ай бұрын
@@nico-jk9un ・この当時の犬は、今で言う地域猫と同じ飼われ方をするのが一般的だった。なので恐らく、その地域の中で最も利口で、そして人懐っこいような、おかげ犬に相応しいものを選び出してたんでしょう ・おかげ犬には、代参を依頼した人の住所を記載したものも持たせていた。これなら本能を頼りに帰る必要は無い ・参考資料は見つからなかったけど、伊勢神宮でお参りを済ませたら、何かしらの証明書(御札とか御守りとか、犬でも運べそうなやつ)を持たせたのでしょう。つまり、 おかげ犬を見かけた→ お参りの証明書を持ってない→伊勢神宮へ案内する お参りの証明書を持ってる→記載の住所へ案内する という仕組みになっていたんじゃないかな。知らんけど ・しかし、人でさえ大変な旅路となる時代なので、全てのおかげ犬が務めを果たして故郷へ帰れたわけではなく、野生動物に襲われたり、怪我や病気で道半ばで野垂れ死んだり、持ち物を落として出自の分からぬ迷い犬になってしまい、見知らぬ街で第二の人生もとい犬生を送ったおかげ犬も、きっといたでしょう でも、人の勝手で犬にお遣いさせた挙げ句、道中で文字通り犬死にさせようものなら、お伊勢さまからどんな天罰が下るか分かったもんじゃない。そういうこともあって、おかげ犬は行く先々で丁重に扱われたんでしょう
@ふきのとう-v1o
@ふきのとう-v1o Ай бұрын
​@@Penntyann良い読み物になった。ありがとう!
@nico-jk9un
@nico-jk9un Ай бұрын
@@Penntyann 素晴らしい考察です!
@立花蔵人
@立花蔵人 Ай бұрын
色々物価とか調べてみたら、結構納得のいく金額だったりすることが多いんですよね。
@jpntechnostream505
@jpntechnostream505 Ай бұрын
現代でも、泊まりの旅行なんて夢のまた夢だという庶民はいっぱいいる現実も忘れちゃいけないね。
@ED81S
@ED81S Ай бұрын
貧乏暇なしだからこそ、余暇があって小金持ちのインバウンドが目障りで仕方がないという人が出てくる
@繁植草
@繁植草 5 күн бұрын
人生を満喫した時代 😮
@EXELICA-b6f
@EXELICA-b6f Ай бұрын
旧東海道を車やバイクで抜けると 実は周りが田んぼだらけの場所でも景観の為に松が植えられ、街道沿いだけが街として発展していて 道を外れるといきなりど田舎になるので当時の観光としての伊勢参りの経済効果は高いのと 景観の為の松を植えると言うのは 世界でも例がないそうです。
@清水謙
@清水謙 Ай бұрын
インターネットも電話もない時代に旅してみたかったな これこそが真のバックパッカーだね
@papipapipooon2308
@papipapipooon2308 Ай бұрын
社会でこういうの習いたかった🥺
@世捨て人-w9r
@世捨て人-w9r 2 ай бұрын
当時は現在と違って娯楽がほとんど無かったはずです。特に農村は死ぬほど単調な生活だったでしょう。 であるならば、お伊勢参りは一生に一度の数少ない娯楽だったのでしょう。旅の目的も神仏への参拝だったら大義名分も立つので問題ない。 そういえば、十辺舎一九の東海道中膝栗毛はそんなお伊勢参りを題材のした小説でしたっけ。 久し振りに読んでみようかと思います。
@KK-db4lk
@KK-db4lk Ай бұрын
おかげ犬かわいい
@createkanon9085
@createkanon9085 14 күн бұрын
犬の話は少し盛られてますね、正確には伊勢までは飼い主と行きましたが、参拝途中で病にかかり犬に持ち物託し、家まで戻ったと文献で拝見しました
@mar2186
@mar2186 17 күн бұрын
ん?こんぴらさん出てきた?こんぴらさんってそんなにメジャーなところだったんだ
@ナガサキコロちゃん
@ナガサキコロちゃん 8 күн бұрын
子供だけで伊勢参りする事もあったと以前本で読んだ事があるけど映画化して欲しいな。
@源康介
@源康介 2 ай бұрын
旅行って出来たんですね! 移動の自由がないと思ってました😅
@karuhata
@karuhata Ай бұрын
移動の自由はあったけど、移住の自由は無かったって感じでしょうね。
@斯蘭-p2k
@斯蘭-p2k Ай бұрын
13:26 かっこいい
@ch-ss7zn
@ch-ss7zn 2 ай бұрын
おかげ犬が優しくされたのも生類憐みの令のおかげですね!
@k-9b-137
@k-9b-137 Ай бұрын
おかげ犬の話、やはりお金を盗んだりする罰当たりは0じゃないだろうけど、おかげ犬が成立するほどには少なかったのだろうから、やはり良いな。
@netetahito5223
@netetahito5223 10 күн бұрын
テレビもネットもなく、リアルな周りが全てだった時代って考えたら こういう旅行って今で言ったら贅沢な旅行だよね
@hogohogehage
@hogohogehage Ай бұрын
とっくに登録させていただいたと 思っていましたが 登録されていませんでした。 大変失礼いたしました。 誤読の無いナレーションは とてもありがたいです。
@tonks-jf2zr
@tonks-jf2zr Ай бұрын
「万巻の書を読み 千里の道を行ったものでなければ ともに語るに足りない」 て 文字通りの選良の話しなんですね
@鯰鰻-h2x
@鯰鰻-h2x Ай бұрын
結構な人が命を落としてそう 許可制とはいえ幕府が道中差し(武器)の携帯を認めるぐらいだから、追い剥ぎもそうだけど野犬に出くわす危険が高かったと思われる。
@リョータ-i1k
@リョータ-i1k 5 күн бұрын
5:58 これがシンクロニシティってやつか
@安倍晋三非公式
@安倍晋三非公式 Ай бұрын
日本人は旅行好きだったんだよね
@Private-c5d
@Private-c5d Ай бұрын
現代で言うツアーコンダクターがいたり、関所はイミグレーション、手形はパスポートやビザに当たるかな? 規模や難易度は違うとはいえ仕組みそのものは現代とほぼ変わっていなくて、江戸時代の文化水準の高さに驚く
@zebrah4279
@zebrah4279 Ай бұрын
9:25 寺にお伊勢参りした犬の石像…? おおらかでいいなw
@netetahito5223
@netetahito5223 10 күн бұрын
知れば知るほど治安が良かったのが分かる
@minakatamanabu7413
@minakatamanabu7413 14 күн бұрын
「ぐれ宿」・・・さしずめ今ならライダーハウスですかね?
@かーかー合唱団
@かーかー合唱団 19 күн бұрын
女性が旅することを厳しく制限したと紹介されたあとに江戸の旅は助け合いという結論付けをするとちょっとおかしいかもしれません 弥次喜多道中記などでそうした助け合いのエピソードを紹介したあとで結論されたほうが良いような気がします
@giantszero6962
@giantszero6962 Ай бұрын
>商売道具や旅先で買ったお土産物は前もって送っていた。 さらっと言ってるが当時の宅急便ってどうなってたのか気になった。(飛脚で送る手紙は別として) 宿場を指定してそこで受け取るとかできたんだろうか。 馬の背中に荷物積んだ配送便も街道を行き来してたりするのかも。
@Astrawboy_NameAlreadyInUse
@Astrawboy_NameAlreadyInUse Ай бұрын
若い内しか長距離を徒歩は難しいな。馬があれば日本の縦向きの移動なんて大した事ないだろうが。しかし足軽の筋肉も目を見張るものがある。歩く人はみんな鶏むね肉並にたんぱくな筋肉がぎっちぎちになってそう。脂も取ってねぇのによくやるよ。
@賢司-e1x
@賢司-e1x 20 күн бұрын
江戸から伊勢は遠いから一生で一回だろうが、箱根や富士だと一生で三回ぐらいは行けるな。
@uetaki-yu8di
@uetaki-yu8di 2 ай бұрын
昔は当たり前だが、信号が無かったから距離感はもっと近かった筈
@ho-vs7kd
@ho-vs7kd Ай бұрын
うん。俺にはちょっとマニアックな内容過ぎた。 このチャンネル好きな人マジで歴史好きな人だと思う。
@OKOME_X2
@OKOME_X2 20 күн бұрын
藤屋御本陣の本陣ってそういうことだったのか...!?
@kt57
@kt57 Ай бұрын
犬が伊勢参りってすごすぎる。今より治安いいんじゃないか?
@Astrawboy_NameAlreadyInUse
@Astrawboy_NameAlreadyInUse Ай бұрын
あのめっちゃ幅の広い傘って、頭につけてるから手が自由になるし現代でも需要ある筈なのに、もう一度流行らないね。なんでだろう。紐で顎にかけて、邪魔になるときは後ろにスライドさせれば背中に背負えるし。すこし首元が危ないか。
@_imyour_hayakawa
@_imyour_hayakawa Ай бұрын
行きは江戸楽しみってモチベでいけるけど、帰りは行きのキツさを知ってるから帰るのだるそう
@xtm_1234
@xtm_1234 2 ай бұрын
伊勢講ってのは初めて聞いた。なるほどねえ。
@t2phage-l8b
@t2phage-l8b Ай бұрын
庶民にとっては一生に一度の楽しみっていうことは今でいう四季島とか瑞風くらいの価値があったんだな
@coincoin2007
@coincoin2007 Ай бұрын
わんこ好きは昔からなのね
@takayukiumino2783
@takayukiumino2783 Ай бұрын
一度も行ったことがない伊勢神宮に犬だけで行かせるのは絶対無理だろ……途中で野良化してただろ絶対…
@いなば原
@いなば原 6 күн бұрын
同じ路を行く旅人達がリレー形式で連れていったらしい
@なんでも褒める人
@なんでも褒める人 Ай бұрын
コメ欄おもろいやつ多い
@ba-io8xy
@ba-io8xy Ай бұрын
この手のコンテンツ、動画は面白いのにコメント欄が臭いのが残念
@てつこ-u7r
@てつこ-u7r 2 ай бұрын
帰り足痛くて無理
@skal1xx_ml933
@skal1xx_ml933 Ай бұрын
すごいな、、、、、
@ダイナマイト-n5p
@ダイナマイト-n5p Ай бұрын
だからおかげ横丁というんだねぇ
@elrd1032
@elrd1032 Ай бұрын
現代の旅行は旅先でするもの 過去の旅行は目的地までの道
@shangtian-i3c
@shangtian-i3c 2 ай бұрын
おかげ犬ってほんとに伊勢まだ行けたのかな?
@Private-c5d
@Private-c5d Ай бұрын
紹介されているシロがあれだけ崇められているのを見るに、やっぱり多くの犬が迷って行方不明になったり命を落としたりしたとは思うわ
@座はうすネイル
@座はうすネイル 5 күн бұрын
金比羅と書いて『こんぴら』と読みます。
@たらこスパゲッティ-z9w
@たらこスパゲッティ-z9w Ай бұрын
道中で命を落とす方も多かったでしょうね。
@ryucream
@ryucream Ай бұрын
60年ごとに式年遷宮があるからね!
@kurobuta_azarashi
@kurobuta_azarashi 2 ай бұрын
シロ!
@武田玄信
@武田玄信 2 ай бұрын
お四国参りなんてお金持たなくても大丈夫だったんだぜ。ま、途中で病に倒れる人も結構いたという事で村境には遍路墓があったりした。 国道11号線が通った時には大量の骨が出た場所がある。 俺の家もお接待用の部屋が有って無料で泊めて食事まで出してたと爺さんが言ってたな。 お接待すれば、お大師(弘法大師空海)の御蔭がもらえるとか自分の代わりにお四国米死してくれてるからとかの理由だったらしい。 明治の初めころの話。 現代においても無料接待宿(無人)が有るぜ。
@羽根敏樹
@羽根敏樹 Ай бұрын
お四国米死?
@あおかさね
@あおかさね Ай бұрын
日本各地を旅行して手記を遺した女性がいますね
@ominvan1996
@ominvan1996 2 ай бұрын
古臭いが余計かな?
@ruvics.5332
@ruvics.5332 Ай бұрын
6:11 絶対干支が関係してるだろ
@灰色山猫
@灰色山猫 6 күн бұрын
遷宮が60年ごとなので、翌年のお参りをお陰参りって説が濃厚そう。
@2039mumei
@2039mumei Ай бұрын
飛行機も船も電車も新幹線も車もあるのに一生に一度も旅行さえしなくなっていく日本人😤いいと思います😊
@ゆき山-l7k
@ゆき山-l7k Ай бұрын
えぇ…
@いーよこいよ-z1f
@いーよこいよ-z1f Ай бұрын
持ち物がiPhoneで代用できそうなものばかりだね 江戸時代のiPhoneは高価だったのかな?
@ky8823-x7w
@ky8823-x7w 24 күн бұрын
旅くらいしか娯楽がないんだろ
@rafuu506
@rafuu506 16 күн бұрын
銭湯や居酒屋があった
@海原雄山-h4m
@海原雄山-h4m Ай бұрын
関門を無断で超えると死刑
@Superトロピカル俺
@Superトロピカル俺 Ай бұрын
一生に一度か、切ないね
@はちべー-i5b
@はちべー-i5b 6 күн бұрын
みんな臭そうだな・・・
@SB-gu6yq
@SB-gu6yq Ай бұрын
どうやって犬が一匹で行ったこともない数百キロも先の目的地について帰って来れるんや
江戸時代のヤクザ『博徒』の生活実態がヤバすぎた…
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