留萌本線・羽幌線

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急行宗谷

急行宗谷

Күн бұрын

録音:1977年(昭和52年)11月4日。
留萌本線の段階的な廃止を惜しみ、羽幌線も加えて「留萌特集」を作ってみたかったのですが、なかなか思惑通りにはいかないものです。
毎度のことですが良質な音源ではなく、お聞き苦しいかと思いますがご了承願います。
旭川発車後放送では車内スピーカーの音量が下がり、一部途切れてしまいましたが、当時の車両にはありがちでした。
また札幌到着時刻「10時59分」の案内は誤りの様子です。
00:00 急行るもい1号 旭川~留萌
05:28 留萌~増毛~留萌
06:35 羽幌線 留萌~幌延

Пікірлер: 76
@user-kk2xu6ys2l
@user-kk2xu6ys2l Жыл бұрын
昭和53年、福岡市から北海道ワイド周遊券使って博多から天売島に行くため羽幌まで一気にいきました。大阪までは普通列車何回も乗り換え、大阪からは日本海廻り急行きたぐに、青函連絡船、急行すずらん、札幌からかむい、深川から普通列車で羽幌。途中下車は大阪の3時間だけしかも急行きたぐににのるため、コンコースにならんでました。トータル53時間乗りっぱなしでした。今はもうこんなことはできないですが。懐かしいです。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
福岡市から天売島とはこれまた長旅ですね。山陽新幹線に並行する在来線には、急行列車がほとんどなく、大阪まででも苦戦されたことでしょう。 でも体力まかせの若い頃の旅、いい思い出になったことと思います。
@user-vb9xy7ee9h
@user-vb9xy7ee9h Жыл бұрын
凄い!力作ありがとうございます。 羽幌線は、廃線跡を巡りましたがほとんど遺構は 残っていませんでした。(多少橋梁がありますが。) 写真が貴重ですね。各駅の駅名。「古丹別」は、 ホームの改修工事の様子も写っていますね。 羽幌線は、車窓から日本海を眺めながら北へ向かう。いいですね。 羽幌線は距離も長く、冬場の雪も多く、定時運行は大変だったと思います。 国鉄魂とでも言えばいいのでしょうか。沿線の町村の「足」としての誇りも あったのでしょうね。 幌延駅から乗り換え、宗谷本線稚内駅行きの本数の多いこと! 駅も多いですね。 留萌本線も風前の灯火ですし。 今回も、力作をありがとうございました。楽しめました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
いつもお褒めのコメントを有難うございます。 録音も写真も、素人が安い機材で記録したもので、「古い」という以外「ウリ」がありませんが、時刻表を始めとし、切符類やスタンプなど使えるものはとにかく何でも画面に取り入れております。 廃線跡を訪れたのですね。羨ましいです。鉄道が元気だった当時の雰囲気を感じ、楽しんで頂けましたら嬉しいです。 寒さも本格的になってきました。お互いに元気で冬を乗り越えましょう。
@moto.comura
@moto.comura Жыл бұрын
やぁ〜懐かしかったです…ありがとうございます😊 急行るもい…夏休み、冬休みの毎に祖母の家に通ってました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
列車の音声から、夏休み、冬休みの楽しかった思い出が記憶によみがえり、懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
@moto.comura
@moto.comura Жыл бұрын
@@kyuukou-souya 旭川発の急行るもいは午後1時台にも会ってしかも2輌編成でしたね、しかも深川駅では当時は3番線に寄らず1番線から直接留萌本線に向かっていく強者達でした。
@nyanpeco1401
@nyanpeco1401 Жыл бұрын
今からほぼ半世紀前、ここに鉄道が地域の足としてこれ程活躍していたのかと感慨深く聴かせてもらいました。 もうバス転換されたり、残る区間も風前の灯火となっている今とは隔世の感があります。 長い間音源を保存し手間をかけて編集のうえ公開していただき感謝いたします。 文献による記録にも劣らぬ生きた歴史遺産だと思います。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
今回は留萌本線と羽幌線を取り上げたかったので、本来なら公開に値しないようなノイズだらけの録音や、不鮮明な写真も強引に使って編集いたしました。不安な気持ちでUPしたのですが、それでも嬉しい評価を頂戴し、感激しております。有難うございます。 それにしても録音から45年。頂戴したコメントにありました通り隔世の感があります。
@user-hz7ip5dq5d
@user-hz7ip5dq5d Жыл бұрын
いつも素晴らしい音源と画像のUPありがとうございます😊今回は廃線間近の留萌線と羽幌線と言う事で特に興味深く拝見しました。乗客の会話も入っていて貴重な資料だと思いました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
羽幌線は乗客の会話を拾ってしまうほど、そこそこ乗っている人がいて、決してガラガラという状態ではありませんでした。そんな賑わいがあった路線でも廃止になってしまったのですね。
@dreamliner0801
@dreamliner0801 Жыл бұрын
3面5線の広大な構内を誇った留萌駅も、途中唯一の急行停車駅だった石狩沼田駅も、ついに終焉ですね。 そこに確かに鉄道が走っていた証、消え行く鉄路へのレクイエムとして、拝聴しました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
石炭や鰊で栄えた留萌とその周辺の町も、時と共に変貌していくのですね。 高規格道路と引き換えに鉄道を廃止。鉄道好きにとってはさびしいことですが、これも時代の流れですね。 今後はどんな変貌を遂げていくのでしょう。
@hiro825yc
@hiro825yc Жыл бұрын
何時もありがとうございます😊 留萌本線は、日本海側の市町村へのアクセスとして重要な役割を担っていたと言うことが分かりますね。 在りし日の羽幌線も初めてでしたが、日本海沿いの路線だったので、車窓の景色は素晴らしかったんでしょうね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
留萌駅も貨物用の線路が何本もあって賑わっていましたが、そんな賑わいも遠い昔のことになってしまいました。 路線の縮小はさびしいですね。
@user-ou5gc9gh7k
@user-ou5gc9gh7k Жыл бұрын
待ってました!留萌線&羽幌線(嬉 いつもながら音声と画像の取り合わせが素晴らしく、乗ったことない人にも非常にわかりやすく、かつ旅情満タン、当時の雰囲気と歴史的価値一杯。 北海道は郡部でも方言訛りがないのも気づきです。 本当は留萌線だけでも乗りに行きたいけど、居住地はコロナ制限が厳しいので困難。 せめて動画を見て浸ることにします。 ってこれ、自分の生まれる前の音声なんですね!(驚
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
当時は録音したり、駅名看板を撮ったり、入場券やスタンプを集めたり・・・と、結構疲れる旅をしたものでした。 コロナによる旅行自粛を機会に身辺整理し、四散していたコレクション類を発掘し、スライドショーを作り始めました。単に自分だけの「お遊び」のつもりでしたが、時刻表を使った画面が思いがけず反響があり、一作、また一作と公開を続けている次第です。 同じ頃に旅行された方は記憶をよみがえらせて頂けましたら、また、当時をご存じない世代の方には、ほんの少しでも雰囲気を感じ取って頂けましたら嬉しいです。 石狩沼田~留萌間の存続もあとわずかですね。札沼線の時のように、密を避けるため、急遽繰り上げ廃止・・・とならないことを祈ります。
@user-xb4qo6my5j
@user-xb4qo6my5j Жыл бұрын
待ってました。いいですねー。駅名表の写真の昭和、泣けます。深川での分割を思い出しつつ。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
深川駅も要衝として賑わっていましたね。深名線がなくなったのも随分昔のことになってしまいました。そして今度は留萌本線までもが・・・
@user-nj7cj1zz8j
@user-nj7cj1zz8j Жыл бұрын
羽幌線の車内の賑やかさに当時の活気を感じます。羽幌線で4両つなげていたんですね。いまの北海道ローカル線では単行ばかりです。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
羽幌線、賑わっていました。留萌では4両なのにそこそこの乗車でした。羽幌から留萌へ通院や買い物などの所用で出かけた帰りなのか、主婦や高齢者が多かったという印象です。 羽幌から先はどの辺りからだったか、帰宅の高校生も乗って、終始賑わっていた感じです。
@user-vl7dn7we7b
@user-vl7dn7we7b Жыл бұрын
懐かしい車内アナウンスですね✨ 自分も夜行急行八甲田で青函連絡船使い道内の昼急行夜行急行を乗り継ぎ車内アナウンスに耳を傾けながら旅をしていました。 行く先々の駅で待ち時間が有る時に硬券を購入していました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
同志ですね。普通列車で交換待ちや退避の停車があると「それっ」とばかり駅舎に走り、入場券を買ったものでした。
@user-gg3xi6ie9z
@user-gg3xi6ie9z Жыл бұрын
九州の人間ですが、北海道はこういう素晴らしい資料を公開してくださる方がいてうらやましいですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
九州に関しても公開されている方はたくさんいらっしゃることと思います。 昔は書籍や雑誌などの印刷物を入手するしかなかったですが、今はインターネットを活用でき、これはこれでいい時代になったものです。
@user-gg3xi6ie9z
@user-gg3xi6ie9z Жыл бұрын
@@kyuukou-souya ご返信ありがとうございます。
@user-shintaro
@user-shintaro Жыл бұрын
すごい動画だ 当時を旅した気分になれる
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
有難うございます。ほんの少しでも旅気分を感じて頂けましたら嬉しいです。
@yuuharupapa
@yuuharupapa Жыл бұрын
昨日と今日 留萌泊で行って来ました タイムーリーなのありがとうございます 留萌駅羽幌線ホームは離れてましたね
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
段階的廃止の報道を受けての編集、公開でしたので、「行ってきた」というコメントが嬉しいです。 土・日がらみでしたから、別れを惜しむファンで混んでいたことでしょうね。
@user-hp1kn2pd6o
@user-hp1kn2pd6o Жыл бұрын
当時は北海道周遊券を使っていたので急行券の心配をする必要はなかったけれど、結構分割併合がややこしかったんですね。もう忘れていました。 えっ、小平って「こだいら」じゃないの?「おびら」なの?と言っていました。都民あるあるです。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
途中で分割する列車は、乗る人も案内する職員さんも大変だったことと思いますが、録音の対象としては楽しかったです。 羽幌線の乗降場「興津」→「おこつ」も知らないとなかなか読めませんよね。
@user-ex9mp4bd5n
@user-ex9mp4bd5n 10 ай бұрын
高校生の頃、羽幌線を利用して通学さしていました。 まさに土曜日は、この列車にいつも乗車していました。 また、利用していた駅からの画像があって懐かしく拝見していました。 掲載ありがとうございました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 10 ай бұрын
こちらこそ有難うございます。日常的に乗車されていた方にご視聴頂き、懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。 地元の方にとっては当たり前の風景でも、本州からの旅行者にとっては何もかもが新鮮でした。 今のように動画が気軽に撮れる時代ではありませんでしたので、放送の音を録ったり、駅名看板を撮ったりしていました。
@user-xd5cp8zp9k
@user-xd5cp8zp9k Жыл бұрын
昭和52年でしたか。 自分も昭和39年から42年3月迄留萌市に住んでおりました。 当時の留萌駅スイッチバック、羽幌線の札幌行き急行はぼろは、一旦深川方面に進みバックして留萌駅へ。はぼろ号以外の列車も同じでしたね。下り列車は留萌駅に到着のち昭和42年11月に留萌駅が改築、列車放送にもありました4番5番ホームが出来て、スイッチバックは解消されたはずです。
@user-xd5cp8zp9k
@user-xd5cp8zp9k Жыл бұрын
失礼しました、下り列車は留萌駅に到着後、バックして羽幌線へ進入してました。が抜けてました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
昭和42年はまだ北海道を訪れる前でした。留萌駅のスイッチバックは知りませんでした。(←何かで読んだような気もするのですが、すっかり頭から消えていました) なるほど。スイッチバック解消のために貨物線のむこうに離れ小島のようなホームを新設したのですね。それまでは羽幌線の旅客列車の本数が少なかったので、スイッチバックでなんとか対応していたのかな・・・などと勝手な想像をいたします。 砂川駅の上砂川支線ホーム、旭川駅の富良野線ホーム、共に貨物用の線路が大河のようにあって、離れ小島のようなホームがありましたね。「貨物が優先、人は歩いて乗り換えて下さい」といった時代の名残りを感じましたが、消えていくのはさびしいものです。
@user-ig4hx8jl9k
@user-ig4hx8jl9k Жыл бұрын
まもなく石狩沼田から西の留萌本線が廃止になりますね。留萌市から鉄道が消えるのです。😢石狩沼田は昔の札沼線時代以来の終着駅となります。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
段階的に延びる新幹線とは対照的に、段階的に廃止される留萌本線。 札沼線、羽幌線、各私鉄など、路線の縮小はさびしいですね。石炭輸送が盛んだった頃に乗ってみたかったです。
@kumoha42andUrara
@kumoha42andUrara Жыл бұрын
お疲れ様です。 羽幌線に乗ってみたかったです。いつか沿岸バスに乗りたいと思っていますが、天北線代替も合わせてと思っているのでスケジュールが組みにくいです😥
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
日本海を眺めながら走るバスに乗ってみたい気持ちは一緒です。でもやはりバスよりは列車に乗りたくて、宗谷本線に乗ってしまいますね・・・
@east5028
@east5028 Жыл бұрын
最近知りましてお邪魔しました。実は私古丹別の出身でよくキハ22.24.急行はぼろ、るもいは親に連れられてよく乗りましたね。廃止になってすぐ尋ねましたが線路半分切れてて泣きそうになりましたね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
沿線出身の方にご視聴頂けて嬉しいです。鉄道の廃止は淋しいですね。列車が来なくなった線路を見ると心が痛みます。 返信が遅れましてすみません。
@user-vi8lv6lr6l
@user-vi8lv6lr6l Жыл бұрын
幌延から深川まで乗り通したことがあります。時刻表では海沿いを走っているように見えますが実際は幌延からは海岸線に辿りつくまで、 1時間くらいかかった様な気がします。幌延を12時ころに出て深川には17時ころ5時間の旅でした。 急行るもい・ましけ・はぼろの他に、夏場には急行天売観光号が走っていて物珍しくて乗りにいきました。 キハ22の2両編成で勿論全車自由席でした。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
羽幌線も賑わっていましたね。留萌~増毛間が支線で、羽幌線の方が本線のように感じたものでした。 羽幌線は全線乗り通すと結構時間を要しましたね。本数が少なかったこともあり、乗り通すだけではなく、途中下車して散策してみたかったと心残りです。
@user-fs3bl4fj7v
@user-fs3bl4fj7v Жыл бұрын
車内放送はこの頃のほうが良いと思えますね。また優等列車としての急行列車が運行していた資料になると思います。また羽幌線の豊岬あたりの海が見える車窓は良かったですと恵比島駅入場券はあったのですね。ではこれで終わります。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
昔は有人駅が多く、列車交換で停車時間があると入場感を買いに走ったものでした。 羽幌線の鈍行に揺られながら、車窓に日本海を眺めたことも、もう思い出の彼方になってしまいました。
@user-fs3bl4fj7v
@user-fs3bl4fj7v Жыл бұрын
@@kyuukou-souya さん返信します。確かに羽幌線の車窓は綺麗でした。今の沿岸バスも少しだけ海が見える車窓いいところがあると思います。そこ宣伝できないかな?です。また線路跡もまだ少し見えます。その時はノスタルジーですね。では、
@user-pu7th1qc2v
@user-pu7th1qc2v Жыл бұрын
昭和52年、当時は汽車もバスも混んでましたね🚞 今の人は、こんなとこに汽車が走ってた🙄なんて信じられないでしょうね😄 深川の「ウロコダンコ」まだあるのかな🙄 🏖️臼谷は海水浴シーズンになると峠下から道は渋滞🚗汽車だと混んでるけどスイスイ🚞 いやーあ😄貴重な記録ですね😊💜ありがとうございました😊
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
ネットで検索したところ「ウロコダンゴ」は健在の様子ですね。良かった。 石炭輸送に活躍し、鉄道が元気だった時代は遠くなってしまいました。 縮小され廃止になる留萌本線とは対照的に、今は高規格道路が人や物資の往来を支えているのですね。
@user-pu7th1qc2v
@user-pu7th1qc2v Жыл бұрын
「ウロコダンコ」まだ食べられる😄 調べてくれたのですね😊💜 ありがとうございました😀
@arahabaki6640
@arahabaki6640 Жыл бұрын
ラジオを聴いている感じで、これはこれで味わい深いですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
感度が悪い昔のラジオ・・・そんな感じですかね・・・
@user-df3fg3jj1u
@user-df3fg3jj1u Жыл бұрын
3:13「乗り場が移動します。」こういう複雑な運行する列車が有った事は初めて知りました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
乗り歩いていると、たまにこういう転線がありましたね。入れ替えをする車両に乗っていると、普段は乗れない引き込み線に入ったりして、なんだかトクしたような気分になったものでした。
@user-hb6oi3kn5h
@user-hb6oi3kn5h 8 ай бұрын
留萌が栄えていた時代の当時に留萌本線を浜益~厚田~石狩経由で札幌まで開通させていたら廃止は免れていたのだろうか気になるところです。
@saskiyoshiaki
@saskiyoshiaki 2 ай бұрын
9:05は西武線の小平駅で、読み方は「こだいら」ですか?
@user-pr7ig7zb2d
@user-pr7ig7zb2d Жыл бұрын
急行のグリーン車、乗ってみたかったな。当時は貧乏で手が出なかった。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
同じくです。周遊券があれば自由席は追加料金なしでしたので、グリーン車は雲の上でした。
@asakazetwilight
@asakazetwilight Жыл бұрын
こんにちわ 一昨日、函館から帰りました。東北新幹線から「北斗」で札幌、函館本線経由で 函館へと行ったのですが、その道中に留萌本線へ訪れたと話された方がおられました。 ←私は自分の写真を増毛駅にしてるんですが、もし未乗車でしたら確実に行ってましたね🚄
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
留萌本線に函館本線山線、別れを惜しんで訪れる方で賑わっているそうですね。どちらもかつては急行列車が走っていたのに廃止とはさびしいですね。 北斗が走っている函館~長万部間も今のうちですね。
@asakazetwilight
@asakazetwilight Жыл бұрын
@@kyuukou-souya 函館~長万部間の駒ケ岳、大沼小沼、美しい海の景色も今のうちですか、残念です JR貨物の重要路線でもあるのに🚄
@user-eg6nq7xr8q
@user-eg6nq7xr8q 2 ай бұрын
冬の羽幌線は過酷でした。 日本海から吹き寄せる風は痛いほどに冷たく、風が止んでも半端ではないほどの雪。 厳寒の鉄路を襲う自然の猛威を受けながら、羽幌線が走っていました。 羽幌線無き後、その過酷さは、道道106号線、日本海オロロンラインで実感出来ます。 しかし!羽幌線が健在だった頃、小平を代表に、鰊で賑わっていました。 番屋には、内地からも多くの出稼ぎ人夫が溢れ、町は活気づいていました。 羽幌線が輝いていた頃です。 しかし…羽幌線も、留萌本線も、その他、多くの北海道の鉄路が廃止され、元気だった頃の北海道の鉄道ファンとして、今は只々寂しい限り
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 ай бұрын
冬の羽幌線は訪れたことがありませんが、鉄路がなくなっても冬の厳しさは少しも変わらないことと思います。 鰊が捕れなくなり、石炭産業もなくなり、自然環境が厳しい土地から人々が離れてしまうのですね。
@user-cv8tl5xc3r
@user-cv8tl5xc3r Жыл бұрын
留萌駅も、とうとう…。(泣)
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
残念ではありますが・・・ 石炭などの重量貨物の大量輸送なら鉄道も活躍できるのですが、現代のように人と生活物資の輸送では高規格道路に勝てないですね。
@bibilu2007-man
@bibilu2007-man Жыл бұрын
このころの急行列車は結構な多層建て列車だったんですね これも気動車のなせる技 函館本線という軸の列車に、ついて離れて、ついて離れて、転線して・・・ いつでしたか3月に留萌本線に乗ったときは、雪崩の恐れで増毛まで行けず、いつのまにか廃止になってしまいました。10年前はどんな天候でも状況でも列車を走らせていたんですが、再訪できませんでした。 羽幌線もまた来ようと思ったときには廃止されていましたし、一期一会なのかもしれません。 札沼線の末端区間もコロナ禍の中、予定より早く廃止されましたね。 どうやら最後を見届けることはできないようです。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
何だか国鉄末期に吹き荒れた廃線嵐のように、北海道では次々に鉄路がなくなっていきますね。 乗る人がいないのだからやむを得ない・・・と思ってもやはりさびしいです。
@exp.m.k.2300
@exp.m.k.2300 Жыл бұрын
上り急行「るもい」と「ましけ」は共に深川で転線していたのはびっくり。というより深川駅の配線の都合なのでしょうか、割りと面倒くさいことをしていたのですね...
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
到着、分割、転線、併結、発車・・・駅に佇んで終始眺めていたら楽しそうですね。 当時の国鉄はこういう作業を器用にこなしていましたね。
@user-hy7by8tx9h
@user-hy7by8tx9h Жыл бұрын
留萠本線の留萠~増毛が増毛線で 深川~留萠と留萠~幌延を合わせた191.2㌔が石天本線なら少なくとも羽幌までは残ったと思います 何とも残念です。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
石炭輸送が主な目的で作られた鉄道が、炭鉱の閉山、人口の減少で貨物も乗客もなくなり、廃止になっていく・・・時代の流れで仕方ないとは思いますが、なんだかさびしいですね。
@user-xc9xe7xk8f
@user-xc9xe7xk8f Жыл бұрын
留萌行きを切り離して留萌から来た列車繋ぐ深川で更に普通を繋なぐ本州並みの鬼畜運用っすねー だったら本州の急行で別れ再び出会う的な急行あったので、急行宗谷の一部を留萌経由にして幌延で再び出会う的な運用あったら面白そうでしたね
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
分割、併合は鉄道好きには楽しかったですね。一般の乗客や案内する職員は誤乗防止に大変だったことと思いますが。
@okhan
@okhan Жыл бұрын
北海道は鉄道が無くなると町も消えて行きますね 内地と違って開拓地だからそうなってしまうのかなあ
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
木材や石炭などの資源を求め、あるいは農業や畜産のための新天地を求めて、人々が奥地へ移り住んだ時代は終ってしまいました。今は先人が開拓した土地を離れ、都市部に移り住む時代なのですね。 そう考えると鉄道の衰退も仕方がないのかな・・・と思います。
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