@@KK_himeji I think both translate make sense. However,「多少を知らんや」is more precise than 「知る多少」. The real emotion behind the words is the sad for the leaving of the spring. 「花落知多少」is a question, not a judgment. (I know very little Japanese, so I may be wrong...)
@齋藤早苗-g4c6 ай бұрын
きゃー懐かしい!!漢詩大好きです。中学で『春暁』・『春望』を習い、漢詩の面白さに嵌りました。父は中国語が少し出来ます。母から1~10 yi er san~shi まで教わりました。高校では『涼州詞』『登Quan雀楼』『静夜思』など盛唐の詩を中心に蘇軾・杜牧に至るまで。 目加田誠先生の『詩経』を学びたくて大学に入るも、1年次にご退官。已む無く日本文学専攻にしましたが、2年次の中国語の講義では唐詩の解読と次週は暗唱がありました。その時、高校で習った『勅勒歌』も学び、chui feng cao di jian yang nyuというのを歌のように憶えていました。本当に中国語は美しいですね! 『登guan雀楼』は上海音楽院の先生の作曲した楽譜を見つけて、高校生に歌ってあげました。フラダンスの振り付けもしましたよ。みんな大喜び(^^♪。 2003年に長江のクルージングの際、黄河の方にも回り、この楼に登りました。「欲窮千里目 更上一層楼」と歌った心を実感できました。白帝城が島になる前に息子と行ってきました。感無量でした。ガイドさんに「国家的プロジェクトのダムだが、多くの移住者や遺跡の水没もあり、気候に影響もありそうだが絶対に必要なのか」と聞いたら「不要!」の一言でした。 『草原情歌』を中国人の二胡奏者の伴奏で歌ったり、楽しい思い出がいっぱいです。今は英語の方がましかも(笑)