明治~昭和の吉原遊廓をAIカラー化

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小田急TIME

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Күн бұрын

吉原遊廓周辺を巡ってきました!
音源はこちらをお借りました
ほつれた糸 by もっぴーさうんど 様
dova-s.jp/bgm/...

Пікірлер: 86
@user-wi2go5yy7i
@user-wi2go5yy7i 15 күн бұрын
体系だってご紹介いただき有難うございます。カラーにすると臨場感すごいですね…。すごいです。 思い出しました。ご興味のある方がおられるかもしれませんので、昔聞いた話を、忘れないうちに書かせていただきます。吉原の花魁の話です。(長くなるので、興味のない方はスルーなさってください。すみません。) もう三十年くらい前になりますか、浅草仲見世の御隠居さんからお話を伺ったことがあります。当時もう八十歳を超えておられたので、いま御健在ならゆうに百十歳超え…の世代の方です。その方は、そのまたおばあさんの膝枕で、黒船の話を聞いたそうです。世間は大騒ぎで、見に行く人もいて。そして、その方は子供の頃、花魁を実際に見たそうです。動画に出てくるような格の高い遊女は至れり尽くせりの生活で、立派な姿をしていますが、末端の女郎の生活は厳しいもので、出かけるにも、遣手婆と呼ばれた見張りのおばあさんがつきっきりで、遊女の腰に縄を結わえて、犬のリードみたいに手に持って、紅を買いに行っていたそうです。うつむいて、疲れ切った姿でふらふらと、はだけたヨレヨレの着物で、それでも嬉しそうに紅を選んでいたそうです。「女の私たちは、気の毒でたまらないけど、男の人は、見るところが違うのね」とおっしゃっていました。そして、大きな大きな髷を結っているそうです。これは、お飾りだけでなく、「逃亡防止」のためだそうです。「逃げてもどこにいるかすぐわかるように」大きく結います。(ちょうど動画の8:00~みたいな髷のイメージです。)またこれは京都の島原で伺った話ですが、今はもう、そのサイズの髷を結える木櫛が生産されておらず、結える髪結いさんもいないのですが、髷の幅が片方だけで50㎝以上あったそうです。そして、その御隠居さんは商家の末っ子で、お父さんは吉原のお客さんでした。店が立て込んで忙しい時、それでも気晴らしに遊びに行きたい時は、わざと末っ子(園児くらい)を連れて遊郭に行くそうです。そうすると、ちびっ子を連れて散歩かな?という感じで周囲にカモフラージュになるので、わざとそうするそうです。幼児連れの遊郭なんて、教育上心配になりますが、誰にも会わないそうです。戦災で焼けてしまいましたが、戦前の遊郭や向島はからくり屋敷みたいになっていて、壁がくるんと回ったりして、人に知られずに移動することができます。マスコミ等に追われても、わからない秘密の出口からこっそり出れます。「祇園でのスクープが多いのは、そういう仕組みがないからよ」。客の連れてきた子供は、体の空いている花魁が遊んでくれます、店もわかってます。お部屋に、良い香りのお香が漂い、子供でもうっとりするような優しいおっとりとした風情のお姉さんが、お手玉やら何やら、遊んでくれるそうです。子供用の遊び道具も揃っているそうです。もともと、田舎の子が身売りしてきているので、子供の相手は根が純朴な花魁たちにとっても楽しかったようです。「ちょっと、このお姉さんと遊んでおいで。お父さんは用事があるから」と父はいつの間にか姿を消すそうです。そして、しばらくして、いつの間にか、ぱっと目の前に現れて「さあ、家に帰ろうか。お姉さんに、御礼をいいなさい。」「はい!お姉さん有難う!」またねー、と花魁に挨拶して、(お父さんどこから部屋に入ってきたんだろう…?)と思いながら帰るそうです。まさか、幼児が花魁とわかっているわけはないのですが、花魁のうしろにお琴が立てかけてあったのを、今も覚えている、とおっしゃっていました。あと、遊里の仕組みとして、身売りしてきた子は、売られてきた段階で、すぐに種別分けされ、画像のような高級花魁にする子は、ハイソな上客の相手が出来るように、一切店には出さず、まずみっちり諸芸百般を仕込むそうです。(下のランクと判断された子は、すぐ店に出されます)どんな方が高級花魁になれるのですか?と訊いてみたのですが、切れ長の目をした足首の締まった子など、明確な選定基準があり、見るからに見分けられるそうです。ただ、高級花魁でも、もし身請けされたとしても、30代くらいに亡くなることが多かったそうです。やはりストレスもあり、若死にの原因については、「まず、日に当たらないからね。ずっと屋内にいるから…」「人間は体の一部をあまり使うようにはなってないのね」とおっしゃってました。ただ、吉原に限らず、戦前、昭和10年すぎにも、飢饉の度に地方から娘さん(~中年も)が売られてきたので、実はそう遠い話ではありません。女性が働くところが、お金を作れるところが、当時他になかったのです。前借を必死で働いて返して、見事故郷の家族の所に帰った、いわば当時なりのキャリア系意識を持ったタイプもおられたようで、今思うほど、悲壮という感じでもなく、「生活のために稼ぐ」と割り切って勤めた女性も多かったということでした。。長々と失礼しました。
@user-nw9ck4gr9x
@user-nw9ck4gr9x 14 күн бұрын
貴重なお話ありがとうございました!
@user-wi2go5yy7i
@user-wi2go5yy7i 13 күн бұрын
@@user-nw9ck4gr9x 読んでいただいて有難うございました。
@user-wi2go5yy7i
@user-wi2go5yy7i 13 күн бұрын
あと、高級花魁とその他は始めからコースが違い、全く別の存在で、のちに入れ替わることはありません。養成期間があってこその高級花魁なので、妓楼がかけてる元手が全く違います。あとからはなれないのです。あとで元が取れるから多額の教育費もかけます。だからこそ上客が納得し、高額で店出しできます。(わずかに例外はありましたが、吉原の花魁制度が斜陽になってからでした。)高級花魁の選抜基準について、適性の話ですが、「切れ長の目」「砂に水が沁み込むように」スーッと覚える(何でも)タイプ、というのを何度かおっしゃっていました。砂に水が沁み込む…明治の方なので、なかなか含蓄の深い表現ですが、多分、本能的に抵抗なく何でも物覚えが良く、かつ素直で自然に受け身でいられる、、ような感じの気質をさすようでした。有名花魁になってからは、贔屓の上客に対して「情が深い」というのも大切なポイントになるそうです。。
@user-cn8em6og1j
@user-cn8em6og1j 13 күн бұрын
貴重なお話ですね 勉強になりました、ありがとうございます
@user-ix7mc8du3m
@user-ix7mc8du3m 9 күн бұрын
UP主さんの動画及び丁寧な解説ありがとうございます。昭和33年の売春防止法施行前の議論の時、国会に反対意見をもって押し掛けたのは吉原の花魁の方々と言うことはあまり知られていません。彼女たち曰く「私たちは体張って仕事している。それを泥棒や人殺しと同じ犯罪者にするのは反対」でした。なので売春防止法は管理売春を違法とするようになった。
@natsui643
@natsui643 Ай бұрын
いつも興味深い動画をありがとうございます。 私が大学生の時に講義を受けた高齢の先生が大文字楼の息子さんでした。もちろん講義でその話が出たわけではなく、たまたま父の蔵書にあった先生の著書で知りました。家業に反抗して勘当になったとか… 売られてきた女性が遊女になる前に幼い先生の子守をしていたそうで、後年遊女となった彼女の写真を見て、思わず叫んでしまったと、本にありました。
@time3276
@time3276 Ай бұрын
大文字楼……跡地は今、吉原公園になっています。 なんとも切なく悲しく、そして驚きの話ですね。 貴重なエピソードありがとうございます
@peaceharmony4254
@peaceharmony4254 14 күн бұрын
貴重な話をありがとうございます!
@kutkrk210
@kutkrk210 14 күн бұрын
@@natsui643 そんな所に生まれたのが純粋な人で家出するとは…。 切ないな。
@yomoyama1112
@yomoyama1112 17 күн бұрын
遊女にとっては生き地獄。情緒を感じることは仕方ないとはいえ、唯々悲しい歴史。
@siesta7782
@siesta7782 12 күн бұрын
本当に生き地獄だったと思います。何の罪もないのに親の借金のかたに売られて・・・。いつの時代も弱い者にしわ寄せが来るんですね。本当に悲しい歴史ですね。
@user-es1jy8nb3q
@user-es1jy8nb3q Ай бұрын
苦界のはずなのに、この世の華のような。 吉原大門には女神像があったのですね。カラーで見られるのはありがたいです。
@yu_ino6478
@yu_ino6478 Ай бұрын
1909年の大門が紹介されていますが、この年の9月、はじめて吉原に行った志賀直哉は、格 式が高いとされた角海老楼に登楼、峯という娼妓と知り合い、以後峯が1911年2月に廃業す るまで一年半、頻繁に峯のもとに通っています。峯をモデルに、男女の駆け引きを描いた 「彼と六つ上の女」が書かれるように、志賀は、娼妓峯との経験を通して、性や女性の問題 を掘り下げていきますから、角海老楼は志賀文学の進展を促した場所だったかもしれません。
@user-np4ew3sz1v
@user-np4ew3sz1v 13 күн бұрын
貴重な映像をありがとうございます。 見返り柳が今も存在していると知り驚きました。
@Jtttcagn
@Jtttcagn Ай бұрын
木造建築の意匠を凝らした遊郭、お茶屋の数々も関東大震災、東京大空襲で消滅し、今では見る影も無い。 当時の建築の内、かろうじて残ってるのが天ぷら屋と馬肉屋というのも複雑な思い。 土手の伊勢屋は数年前に伺いましたがボリュームたっぷりの美味い天丼でした。 ただこの界隈は便が悪いんですよね。 最寄りの地下鉄駅から結構歩かされます。 元遊郭だった所にあるマンションとか、歴史を知ってる人は住み難いでしょうね。。
@user-uo3e
@user-uo3e 29 күн бұрын
素晴らしい作品をありがとうございます、感動しました。
@user-ft8vv2fv6l
@user-ft8vv2fv6l Ай бұрын
切ない…
@toshitani2705
@toshitani2705 Ай бұрын
胸を張って誇れる文化ではない。かと言ってシャカリキになって隠すモノでもない。 『江戸時代から名もなき人々の営みがここに続く』 吉原とはそんな場所なのだろうと思います。
@saquita51
@saquita51 Ай бұрын
天ぷら屋の隣の馬肉屋ですが、遠方から馬で来た吉原の客がそこで馬を売ったそうです。そしてそのお金で吉原に遊びに行ったとか。
@trasersystem
@trasersystem Ай бұрын
帰りはどうするんだろう
@user-cg3rr5mu4t
@user-cg3rr5mu4t Ай бұрын
馬が可哀想。
@user-zi5mo8tx6x
@user-zi5mo8tx6x 15 күн бұрын
勿論‼️歩き。😄
@hiyashins4966
@hiyashins4966 15 күн бұрын
馬肉屋なんてよくやるわ 想像したら馬が泣いてる
@user-kg7gk2uu2d
@user-kg7gk2uu2d 15 күн бұрын
馬可哀想ー
@ao1341go
@ao1341go Ай бұрын
吉原には人の闇がある様な、そんな気がします。 今でこそ闇の存在は薄くなりつつありますが、 今も尚語り継がれる悲劇の数々。 遊女にとっては忘れたい記憶、トラウマになったことでしょう。 メンタルヘルスという次元が無かった時代、今に生まれてきたことを幸せに感じます。
@ookamisannha
@ookamisannha 15 күн бұрын
現在との比較、歴史的解説、いいですね。有難うございます💛 昔、おじいさんが昭和初期に花魁道中を見たって言っていたので、いつの時代の人間?!と驚いたものです。 戦時中も大門の外に出られない遊女が逃げ遅れ、たくさん焼死したそうです。
@user-qu2gf4qy4u
@user-qu2gf4qy4u 7 күн бұрын
写真に色が入るだけで見てる側もグッと引き込まれてしまう。 華やかに思える遊郭で春を売る女達の悲しさを思うと胸が痛む。
@user-ne3oo2cd4k
@user-ne3oo2cd4k Ай бұрын
荒木経惟さんで最も好きなのが町内の世話役に先導されて吉原を往く子供みこしの写真でお店の前で見ているボイさんとおねえさんがいい感じなの
@user-hc7lu4oj1e
@user-hc7lu4oj1e Ай бұрын
本当、吉原という場所は悲しい気持ちになる場所です 今から100年以上前はここで花魁道中やってたんだ等 当時に行った気持ちで見させていただきました
@danslejardindecytrus
@danslejardindecytrus Ай бұрын
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! 💙🗾
@user-oe5iu8tk5l
@user-oe5iu8tk5l 13 күн бұрын
華やかに見えれば見えるほど悲しい歴史ですね。家が貧しいから家畜のように売られて、同世代の女性から蔑まれる…遊女の惨めさや悲しみは男性にはわからないでしょうね。
@jiroasano8407
@jiroasano8407 27 күн бұрын
お疲れ様です。一昨日(8.12)下谷神社から浅草、泪橋、山谷を街歩き、吉原大門のGS.60数年前にもありました、家族での御酉様の帰りに、まだ営業されて居るのにはただびっくり中には入りませんが、想い出の街のひとつかな?
@user-so3tj9jr5y
@user-so3tj9jr5y Ай бұрын
闇の夜は吉原ばかり月夜かな 区切るとこ違えれば真逆の意味になる有名な句。 宝井其角の言葉遊びの意は多分どちらにも有りそうだ。
@user-onioni10onioni09
@user-onioni10onioni09 Ай бұрын
人身売買や自由の制限など無しに成り立たないので負の側面はもちろん忘れてはいけないけど、吉原にいた人達は皆とは言わずとも誇りを持って生きてた人も多いはずだし文化の発信地の一つでもあったわけだし、すべてを可哀想可哀想で塗りつぶしてしまうことはかえって可哀想だと思う
@akemiito2480
@akemiito2480 14 күн бұрын
映像は表面的には美しいです。しかし 遊郭は当時 そんなにも必要不可欠だったのでしょうか。切なく悲しい。建築物としてはとても美しく現代でも再現して欲しいほど でも再現したとしたらそれはとても切なくて胸が詰まる思いをするのでしょう
@user-es4vr6ty5o
@user-es4vr6ty5o Ай бұрын
悲しい歴史の一コマ。貴重な映像ありがとうございます。探索お疲れさまでした。
@user-dl4wt2yk5c
@user-dl4wt2yk5c Ай бұрын
タクシー運転手やっていた頃、吉原大門とソープランド周辺を回ったけど、いつも人通りは少なく、失われた街と思ったね。 病気が心配の街。 いつかは区画整理され、廃墟になるのだろう。
@user-rp2fb6vm6c
@user-rp2fb6vm6c Ай бұрын
遊女の方々はその後どんな人生を送ったのでしょう。 色んなドラマがあったでしょう。 今のこの世の中を見たらどう思うでしょうね。
@user-vv3dj2rf8c
@user-vv3dj2rf8c 2 күн бұрын
地方ですが幼い頃に身売りされた方で制度が無くなり廃業後に口利きで後妻になった方を知っています。店の主人はそういう仲介もしていたようです。既に鬼籍ですが、生まれた場所さえ知らずに生きて来た方でした。戸籍を辿るお手伝いをさせて頂き、生家の住所が分かった時ボロボロと涙を流されていたのが忘れられません。
@mrstiggy8905
@mrstiggy8905 15 күн бұрын
まだ若い娘が誰彼となく好きに性行為を強要されるなんて、恐ろしいことだわ。売春っていうのは。そうならないように、無理矢理解雇して路頭に迷わないような徹底した法規を守って欲しいわ。仕事がないから路頭に迷いこういう世界に足を入れるということが往々にしてあるよ。
@YY-fk4fr
@YY-fk4fr 15 күн бұрын
日本の中で、格式が高いとされた のは吉原遊郭です。 今では考えられないですが、売春が合法だった時代のあの頃、遊郭は日本中にどこにでも、たくさんあり、吉原だけは余りにも有名なので、今の若い人では売春宿は 吉原しかないと思っている人も 多いですよね。 吉原も厳しい世界だったと思いますが、性奴隷に匹敵する遊郭が 日本中のあちこちにあり、見受けなどとは程遠い扱いを受けた遊女や、震災や戦争の被災者として、 供養されることもない遊女、 天麩羅どころか食事もままならない扱いを受けて供養されることもなく散っていった吉原以外の事実もいたことを、お忘れなきよう。
@xyzbomb
@xyzbomb 13 күн бұрын
角海老は明治からすでにあったんですねえ。今もボクシングジムやソープランドを経営してますね。
@omarimorimo
@omarimorimo Ай бұрын
馴染みだった「翔鶴」も、今は無い・・・
@liveluck-mp1kh
@liveluck-mp1kh Ай бұрын
そこに何があろうと人の集まる所には歴史と文化が有り、時の流れと共に流行り廃れもある。 日本人の歴史文化を尊重し後世に残そうという国民性は、いったいどこから来るんでしょうね?😊😊😊
@peaceharmony4254
@peaceharmony4254 14 күн бұрын
日本人だけじゃない、人類共通かと思います。
@makotonezumi277
@makotonezumi277 17 күн бұрын
昔も今も変わらないだろう。
@Littlegirl-t1o
@Littlegirl-t1o 13 күн бұрын
空襲や震災がなかったら東京はどんな街並みだったんだろう…見てみたいな
@user-vv3dj2rf8c
@user-vv3dj2rf8c 2 күн бұрын
みーんな燃やされちゃったね。 素焼きの骨壺に収められた大空襲で亡くなった先祖の遺骨が幾つかあります。
@user-kp1fz8or7b
@user-kp1fz8or7b 16 күн бұрын
吉原炎上を見てから、何故か吉原に興味があり、前に吉原界隈を散策しました。
@ONKYOVIZION
@ONKYOVIZION 13 күн бұрын
8:25 作家であり僧侶の家田荘子さんがこちらに定期的に通って御供養してくださっているのだとか。素晴らしいですね🙏
@motohami3359
@motohami3359 23 күн бұрын
一生足を延ばすことは無いだろう吉原の今昔、有難うございます、チラチラとこれも今昔の回れば大門の「見返り柳」らしき姿も写っていますね。江戸時代武士から町人、御大名や有名な藩主まで出入りした吉原ですが肺病で亡くなる遊女が多かった投げ込み寺の現在の様子まで見せて頂きました。余計な事ですが、もしかして今でも吉原の街へ入られると何か妖気の様な物を感じられるのでは?
@takhyde8208
@takhyde8208 Ай бұрын
いつか吉原と並ぶ遊郭、洲崎も取り上げて欲しいかな
@user-ln2yi9ny1w
@user-ln2yi9ny1w Ай бұрын
昔の話ではない。その原因は政治だということ。
@taroukuma7125
@taroukuma7125 Ай бұрын
若いうちは太夫と持て囃されても年には勝てず、鉛焼の顔、遣りて婆あ に為り果て 最後は菰に巻かれて浄閑寺の穴に投げ込まれる。 法然上人は救いを求めた遊女に「そのまま生きよ、そしてただ一心に阿弥陀如来に 救いを求めよ」と諭した。 私も信じたい、阿弥陀如来様は 彼女達をあの世で極楽浄土に導いたと信じたい。 この様な苦界に生きた女性、女との一夜を求めた男達、神仏はどの様な審判を下さ れただろうか。
@user-ng2vy8gh4g
@user-ng2vy8gh4g 14 күн бұрын
どの時代の男も女を買いますからね。何なら戦に負けたら女は悲惨でしたもんね。 それは国籍問わず。 ホントにいつの時代も女性は暴力に勝てませんよね。
@ehehe123456
@ehehe123456 Ай бұрын
吉原って奥まったところにあって行き慣れた人しか行き辛いですよね
@user-ti6xe4kn8b
@user-ti6xe4kn8b 17 күн бұрын
長崎県の丸山遊郭もいつか取り上げて欲しいです!
@AUDIA3SB
@AUDIA3SB Ай бұрын
ここの直ぐ側に矢吹丈が立っているんだよな。
@user-zi5mo8tx6x
@user-zi5mo8tx6x 15 күн бұрын
梶原一騎さんやちばてつやさんも行かれたんでしょうね‼️知らなかった。有難うございます🙏。
@ぷちことらこ
@ぷちことらこ 14 күн бұрын
吉原と言えば、やっぱり映画『吉原炎上』すごく好きな映画です。哀しいけど。
@mankasu-chan
@mankasu-chan Ай бұрын
6:49の 稲本楼 の跡って、 ホテル稲本 って書いてある場所がそうかな??
@user-fz1bk8hg4d
@user-fz1bk8hg4d 21 сағат бұрын
懐かしー
@sk-fk7om
@sk-fk7om 13 күн бұрын
美女の基準が今とはかなり違うのがわかる。 目が細い感じの女性が好まれたんだね。 みんな表情が暗い感じがする。
@tomoduca
@tomoduca 9 сағат бұрын
人間に性(性欲)がある以上、こういう場所は正直これからも必要で、形を変えて存続していくことでしょう。人間とは皮肉な生き物とつくづく思う。
@moode122all4
@moode122all4 Ай бұрын
☝👍👍شكرا شكرا
@aho204
@aho204 Ай бұрын
事実かは不明ですが、祖母が吉原遊郭で働いていて、祖父がお客で行っていたと言うことを祖母から聞いたことがありますが、そんな時代に遊女とお客が結婚するのか?と疑問に思っていました。
@user-zi5mo8tx6x
@user-zi5mo8tx6x 15 күн бұрын
こんにちは😄祖母様がいらしたから‼️貴女様に繋がたんですね‼️祖父様は💴持ちですね💕。沢山、お話し聞きたかったです。有難うございます🙏😄
@user-sr3te7ie2v
@user-sr3te7ie2v 8 күн бұрын
お婆様は仲居さんとかかも知れませんよ。遊女以外の方かもしれませんがし、例え遊女だったとしてもお祖父様は人として選びお婆様を大切にされたのですから立派な方です。
@user-hd2fx5uh6t
@user-hd2fx5uh6t 4 күн бұрын
昭和31年に売春防止法が公布、翌年に施行されるまで、日本で売春は合法な商売のひとつでした。 法律施行前にそこで出会って結婚したケースは当然あったでしょう。🤗
@user-xl1cz8je4p
@user-xl1cz8je4p 15 күн бұрын
モノクロの方が風情があって好きかな!
@user-kz5tw833
@user-kz5tw833 Ай бұрын
自分がよく行ってた35年くらい前も、「呼び込みがうるさいから、店に迎えに来させた方がいいよ」と言われてましたが、今でもそうなんですね😅 現在は田舎に帰っているし、若い頃のような欲も体力も無いので寂しいばかりです😔😢
@kutkrk210
@kutkrk210 14 күн бұрын
昔の売春街は心底ブルーになるし、男だが風俗は寒気がする。 自分には合わない。
@wurry77
@wurry77 Ай бұрын
売春防止法の実施は昭和33年4月1日ですね。
@user-qu1lm5zb7t
@user-qu1lm5zb7t Күн бұрын
自分の意思に関係無く、吉原に送られた女性ばかりだったことを想うと悲しくなります。
@aki4444
@aki4444 7 күн бұрын
1904年には自転車があったのか
@user-uc4cp5ho7p
@user-uc4cp5ho7p 24 күн бұрын
コロナ禍前にスカイツリーから吉原まで歩いた事があるのですが(目的はもちろん😅)道中の向島界隈は「江戸の匂い」がしましたね。 男の本能は時代が変わっても変わることは無い。 性〇罪防止の観点からも吉原みたい場所は必要なんですよね。 でも客である男の悦びの向こうには遊女達の悲しみがある……。
140年前の吉原遊廓
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小田急TIME
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小丑和白天使的比试。#天使 #小丑 #超人不会飞
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【吉原遊郭・若紫の最期】美人花魁を襲った悲劇を解説
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